2003年

2003年

○ 2003/8/8(Fri)…はじめまして
ホームページやっとそれらしくなりました。
私の飲み友達、紫水勇太郎が作ってくれました。
ユーちゃんありがとう。
今まで自分で間に合わせで作ったページを見ていただいていた方(結構カウントされていたのですが)、はじめまして。
アップしたことで安心せず、内容充実して行くよう心掛けなければ。
アップしたとたんで、なんですが、事務所は明日9日から17日まで夏休みです。

○ 2003/8/9(Sat)…台風
台風10号。午後昼頃から風雨。
そんな中、事務所でN邸のサッシュの打ち合わせ。
午前中は、知合いの劇団がビルのワンフロアーを借り、事務所兼貸しスタジオに改装したいとの事で、吉祥寺で現場を見る。

○ 2003/8/10(Sun)…セミナー
13:30〜16:30原宿にてザ・ハウスのセミナー。
「いろいろな家・いろいろな形」というタイトルで、話をする。
設計過程を5つのケースを通して、見てもらった。
いろいろな要因から、計画は変化して行く、と言う話をした。
参加者は30人以上いた。みんな熱心だ。
さすがに3時間一人で喋ると疲れる。家に帰ってきてからのビールうまかった。
表参道はケヤキが陰を作り、歩道も石畳みなので風が吹くと、真夏日なのに居心地がよい。樹木の力を感じた。

○ 2003/8/11(Mon)…七輪
友人夫妻を迎え、久しぶりに大和町の屋上で七輪。
藤沢・江ノ島の干物やさんから取り寄せた、いわしやえぼだい、友人が西荻窪のエモ商会で買ってきてくれた野菜を焼く。
夕方、建物の日陰ができてからで、風も吹き過し易かった。
夜、友人と連れ立って、高円寺文庫センターへ。
ユリイカのバックナンバー「新しいカフカ」購入。

○ 2003/8/12(Tue)…取材
NewHouseと言う雑誌の取材が、大和町であった。
何月号に載るのか聞き忘れたが、結構長いインタビューだった。
作品が載るのでなく、人物紹介のようなコーナー。
その後、吉祥寺のスタジオ改装の打合せに、三鷹まで。
取材に当り、前日の七輪で焼いた魚の匂いが結構残っていたようだが、大丈夫だっただろうか。

○ 2003/8/13(Wed)…ライ麦畑
村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読み終わる。
  まことに感性豊かでない16歳を過した私には、何となくそうかも知れないなと思って読んでいたが、やはり少しの事しか残らなかった。
ATGとか日本の映画をよく見に行っていたことは思い出すが、なんて現実主義的16才を過していたのだろう。

○ 2003/8/14(Thu)…夏休み
周りはどうやら本格的な夏休みのようだ。
何本か電話があって、みんな一様に「出ていたんですか?」と一瞬びっくりする。留守電に伝言残そうと電話してきた人がほとんどなのだろう。
せっかくの夏休みも、梅雨のような雨模様。
明日くらいから、夏休みモードにしよう。
白州T邸、世田谷E邸エスキス。少し進展する。

○ 2003/8/15(Fri)…「煙草の害について」
雨の続く寒い夏休みだ。
午後から夏休み。
ラピュタ阿佐ヶ谷で、日活撮影所が戦後再開された当時、撮影された映画をやっていたので、行ってみた。その回のフィルムは保存状態が悪く、常にピントの合わない状態を了解下さい、との掲示がでており、帰ってきてしまった。
そのかわり、柄本明さんがモスクワに行き、チェーホフの「煙草の害について」という、一人芝居をのをテレビで録画しておいた物を見た。
モスクワの劇場、振るいつきたくなるくらい魅力的な劇場で、歴史の厚みを感じた。
あんな劇場で芝居が見れたら、楽しいだろう。

○ 2003/8/16(Sat)
今日も一日雨。
頼んでおいた本が届く。
武満徹全集の3。村上春樹全集。アラーキーの自選作品集。フラナリ?・オコナー全短編上下。
オコナ?の「善人はなかなかない」をさっそく読む。オコナーの小説の持つ独特の雰囲気。
日々の中で、起りそうもないことが書かれているのだが、読むと納得してしまう。小説のもつひとつの力を感じる。

○ 2003/8/17(Sun)
今日も寒い位だ。
家の窓に絡み付いている定家葛を取り払う。
オーニングの窓の溝に、恐いくらいに取り付いている。
さすが、定家葛。
岡崎恭子「ヘルター・スケルター」「うたかたの日々」
E邸、T邸のエスキス。

○ 2003/8/18(Mon)
夏休みも終わり、スタッフも出てくる。
午後、N邸の配筋検査と定例会議。夜まで続く。

○ 2003/8/19(Tue)
先月引き渡したK邸の増減のチェック。
夏休みの間にエスキスしたE邸の屋根の模型ができた。
どうにか先に進めそうな感じだ。

○ 2003/8/20(Wed)
毎週水曜はN邸の定例会儀だが、今日がコンクリート打ちなので、今週は月曜日に終わっている。一日事務所。  定例会儀とは・・・工事が進んでいる間、現場の近くに構えた現場事務所で、現場の担当者、業者(主に電気・設備)、設計事務所、が週に1回時間を決めて打合せする会議のことです。その会議で工程や細々したことを決めて行きます。時には、施主も交えて行うこともあります。

○ 2003/8/21(Thu)
9:30から、N邸の電気の打合せ。担当の坂下、設備設計の酒巻さん、関東電設の高野さん。午前中一杯かかる。規模の大きい住宅なので、電気だけでもチェックするところが沢山ある。
午後、スタッフの高橋、木村とE邸の打ち合わせ。確認、実施に向けて、方針きめる。玄関ホール(ここは施主が沢山もっているポスターを飾れる建具で囲み、ギャラリーのようにしようと思っている。)の詰めが必要。  T邸、わずかづつであるがエスキス進行しつつある。

○ 2003/8/22(Fri)
午後、ザ・ハウスの新人の間々田さんが来所。登録している事務所を全て訪ね、どのような仕事をしているかを確認して歩く、との事。
夕方、この前から進めている、知己の劇団の貸しスタジオ+事務所への改装を考えてる場所へ。現状電気の確認。
その後、坂本(私のかみさん・日本語教師)が教えている学校の前生徒のお姉さんがやっているお店へ。東小金井の南口、天天菜館。お姉さんは中国の1級調理師(?)の資格を持つだけのことがあり、美味しい。それに安かった。東小金井は学生時代、友人が下宿をしており、週に2回はジャズ研の仲間が集まっていたところなので、懐かしかった。武蔵境と武蔵小金井に挟まれ、ひっそりしたところが、なんとも中央線心をくすぐる街である。

○ 2003/8/23(Sat)
今年2月、阿佐ヶ谷に引っ越すまで10年以上、田園調布(多摩川園)に事務所をシェア?していた、大学の同級の鈴木基紀を訪ねる。彼は今自由が丘に事務所を構えている。引っ越してから初めての訪問。
自由が丘にこんな所が有ったのか、というような怪し気なビルの3階である。しばし事務所でビールを飲みながら、近況報告。話足らず場所を移すことに。彼が昔逝っていた店の支店が、自由が丘にオープンしたのでそこに行こうという。聞けば店の名は「一休」。高円寺のガードしたにいまだにある店が、元々の店との事。私の役者名が「一休」なので、気になっていた店である。10年以上も一緒のところでやっていて、マンネリ化していたが、久々に合うと、いろいろな刺激を与えてくれる友人であることを改めて感じた。

○ 2003/8/24(Sun)…夏と力士
昨日に続き、暑い一日。
借りていた本を、自転車で阿佐ヶ谷図書館まで返しに行く。
青梅街道の交差点の近くに有る、日大の相撲部の稽古場の外に、気持ちの良いくらいパンパンに肥った学生達が休んでいた。夏と力士、なんとも言えぬ取り合わせ。

○ 2003/8/25(Mon)
朝から現場事務所で施主も交えN邸の打ち合わせ。弱電の打合せがメイン。弱電とは、インターネット、LAN、TV、TEL等の総称で、最近システムの変化も激しく、複雑になっている。
帰りに青山ブックセンターで、シリーズ・哲学のエッセンス「レヴィナス・何のために生きるのか」購入。以前からレヴィナスをかじってみたいと思っていた。偶然眼に入り買ってしまった。

○ 2003/8/26(Tue)
午後、事務所でE邸施主打ち合わせ。確認申請前の最終確認。
  その後、終了が迫っている、田中一光展を見に東京都現代美術館へ行く。安藤忠雄デザインのペットボトルの展示は、ペットボトルの壁の向こう側の高い所からライティングされ、水にもぐって水面を見たような感じで、浮遊感のある魅力的な展示であった。最初のアイデアを、損なわず実現して行く手腕は凄い。
夜、旭化成の桐山と打ち合わせ。

○ 2003/8/27(Wed)
午後、N邸定例。一週間があっという間だ。
昨日から高円寺は阿波踊り。明日までである。すごい人である。

○ 2003/8/28(Thu)
11:00先月引き渡したK邸の、工事金額の増減分の打合せに住協建設の吉野さんと直江さん来所。
午後はT邸のスケッチ・図面作成。N邸の照明の検討。スタッフ2人は、E邸の申請準備。木村が初めての申請になるので、高橋が指導しながらの準備になっている。

○ 2003/8/29(Fri)
午後、構造設計の吉田さんと打ち合わせ。
E邸、T邸。E邸は最終段階。T邸は少し前進と言った所だが、検討事項よりみえてきたようだ。

○ 2003/8/30(Sat)
朝7:40のひかりで、かみさんの実家の浜松へ。韓国(日本在住)の友人、柳さん夫婦も一緒に。9:15浜松着。駅でピックアップしてもらい、天竜川の上流へ鮎を食べに行く。かみさんの両親、兄家族5人、妹家族5人、計16人、車3台の大集団である。鮎をいろいろな形で調理した料理が、いくつも出てくる。今年は寒かったこともあり、小振りだそうだ。しかし、ここの鮎は全て天然で、全く生臭さがない。
帰りに、温泉に入り夕方、実家へ。今度は東京で調達してきた食材で、柳さんの奥さんが、韓国料理。トックポッキ、キンパプ、チャプチェをマッコリでいただく。
満足な長い一日だった。

○ 2003/8/31(Sun)
昨日は柳さん達と、実家に宿泊。
昼頃、昨年完成させたかみさんの兄の家へ。子供部屋の建具を新たにつける打合せ。一年間快適だったそうだ。大きなワンルームになっているので、兄・妹家族の子供6人が遊び回っていても気にならない。
その後、浜名湖へ遊びに行く。浜松はブラジルから働きに来ている人が多く、まるで浜はリオみたいだ。(リオに行ったことはないのだが。)夕方温泉に入り、鰻を御馳走になり、19:42のこだまで帰郷。
柳さん夫婦は子供達の人気者で、良く遊んでくれたので疲れたのではないか。私はくたくたであった。

○ 2003/9/1(Mon)
明日は撮影や打合せで一日外なので、E邸の確認申請明後日提出できるよう、打ち合わせ。

○ 2003/9/2(Tue)
2001年に竣工した、H邸の雑誌取材。暖炉を中心に、2誌重なる。
10:00「室内」(10月号)、13:00「NewHouse」(12月号)。
夕方、ザ・ハウスで面談。
「翻訳夜話2・サリンジャー戦記」村上春樹/柴田元幸を了読。サリンジャーが、村上春樹の「世界の終わり・・・」や「海辺のカフカ」に出てくる、終わりの世界そのままの生活を送っていることを知る。
保坂和志「生きる歓び」購入。読みはじめる。

○ 2003/9/3(Wed)
高橋と木村は、朝からE邸の確認申請を提出に。
午後、N邸の定例。終了後、坂下とビールを少し飲みながら、打ち合わせ。
20:00過ぎ、渋谷に出てみると、落雷と雨で山手線が止まっている。バスで中野に出て、JRで高円寺に向かうが、駅のアナウンスはパニック時のいつものように、肝心な情報は流れず、乗客を混乱させる。なんて危機監理が甘いのだろうと、いつものように思う。

○ 2003/9/4(Thu)
午後、坂下とN邸の打ち合わせ。
N邸は今月末にコンクリート打終わる予定。
今月がいろいろなことを決める、ピークになるのだろう。

○ 2003/9/5(Fri)
午後、N邸配筋検査。
コンクリート打設もあと一回。おおよその空間把握できてきた。
もっと大きくて散漫になるかと思ったが、今のところ良い大きさで出来つつある。
Graziaという月刊誌に、「あなたがリフォームするなら誰にたのみますか?」という記事(P222)に、エディターのWさんが、私の名前をあげてくれている雑誌が届く。
夜、とある電話があり、面白い仕事、もしかしたら始まるかも知れない。

○ 2003/9/6(Sat)
午後、一月前に引き渡した、千代田区のK邸に工事金額の増減の打合せに行く。施工した住協建設の吉野さんも一緒に。お金の話は、なかなか面倒なものだが、ここを通過しなければ、工事完了にはならない。
帰りに、南洋堂でELcroquis112/113JEAN NOUVEL購入。
TBSの王様のブランチという番組の、部屋にレポーターが訪問するコーナーに、船堀のT邸が登場。Tさん家族楽しそうに暮らしている様子。写真では分りにくい空間のつながりが、動画だと良くわかる。

○ 2003/9/7(Sun)
一週間程前に、事務所に電話をいただき、一度お会いする事になった、Oさんが大和町にみえるので、午前中少し片付け。延びにのびている、定家葛キャロラインジャスミンを剪定。
午後、Oさん夫妻、お出でになる。住宅に対しての考え方、ここ一、二年僕が考えてる事(NewHouse12月号に掲載される予定のインタビューに、最近思ってる事述べてあります。)と近く、楽しい時間であった。
やはり、住宅に対していろいろな考え方を持っている人がいて、同じ方向を向いていることは大切だと、思った。だから、我々も建築に対してどのような考えを持ってるのか、をはっきりして行く事が重要だ。そして、さらにそれを形にして行く事が。

○ 2003/9/8(Mon)
11:00自宅近くの、大和町のKさん宅を訪ねる。
道路を挟んだ向いに、土地を確保したので、そこに建築をする事の相談。
どんな物ができるか、お楽しみ。
午後、銀行に行ったついでに、川上弘美の「椰子・椰子」(新潮文庫)購入。
梁山泊を通して長いおつきあいの高 福子さんが、9月7日亡くなられたとのファックスが入る。明日が通夜。

○ 2003/9/9(Tue)
19:00から、新小岩の自宅で高福子さんの通夜。福子さんはここで「たまや」というお店を営んでいた。ぼくも何度かお邪魔させていただいた。
福子さんの意思を尊重しての友人葬。「御礼に代えて」という、福子さんの生い立ちと病状の経過が書かれた、丁寧な手紙とトルコキキョウをいただく。「死」によって、より福子さんを知る事になる。
たまたま、今日保坂和志の「生きる歓び」「小実昌さんのこと」を読み終わる。この2編の小説は、生と死に向き合って書かれた物で、感慨深い。

○ 2003/9/10(Wed)
水曜日はいつものように、定例会儀でほぼ一日終わってしまう。

○ 2003/9/11(Thu)
「チョムスキー9.11」を見て、いま私たちにできることを考える2222人イベントin中野サンプラザ、という長い名前のイベントに行く。
以前から見たかった「チョムスキー9.11」と、最新の新たなインタヴュ?「チョムスキーイラク後の世界を語る」の上映と、ライブ・トーク。
浅薄な私がまず驚いたのは、「チョムスキー9.11」が日本で製作された映画だ、ということ。なぜか、疑いもなくアメリカの映画だと思っていた。
監督のジャン・ユンカーマンは日本(東京都中野区)在住であった。
この映画から、いろいろ思うことがあったので、引き続き日報で書いて行くつもりだ。

○ 2003/9/12(Fri)
チョムスキーはテロは至る所で行われている、といっている。
南米でも、中東でも、東アジアでも。
9.11もなにも特別驚く事でなく、その特徴はそれが行われたのが、アメリカのマンハッタンであった、という事だけであると。
宇宙からみれば、我々の地球の存続を賭けにすれば、火星人は滅亡の方に賭けるだろう。
「誰もがテロをやめさせたいと思ってる。簡単なことです。参加するのをやめればよい。」というのがチョムスキーのアピールである。
この映画を見て、僕は批評性ということを考えた。
チョムスキーの話は、現実に起きている事を明らかにしているだけで、狭量な意味での批評性は皆無である。
だから、可能性を感じる。(つづく)

○ 2003/9/13(Sat)
チョムスキーを通して、批評性という事を考える時、思い起こすのが、1998年に伊東豊雄さんが書いた「脱近代的身体像・批評性のない住宅は可能か」(新建築住宅特集1998・9月号)という文章であった。
この文章が世にでた時、いろいろな反応があったが、僕はあまりピンとこなかった。
しかし、このチョムスキーの映画を見ながら、伊東さんがいう所の「批評性のない」という事が自分なりに理解できた。長くなるが、一部を書き写してみる。
「・・・70年代に最初の住宅を設計した私は、「社会に対して批評的であることは」建築家にとっての美徳のように考えてきたからである。だがそれは近代以降ずっと継続している思考だといってもよいのかもしれない。モダニズムの建築が社会を変えようと志して以来、常に現実社会に対するネガティブなポーズを取り続けてきたのではなかったか。しかも社会に受け入れられないのを美徳として続けてきたのである。しかし建築家がもっとポジティブに社会にに対して語りかけていかない限り、つまり批評性という言葉を取り下げない限り、排他的な建築をつくり続けることになるのではないか。そしてその隘路から脱却するためには、住宅がもっとも取っ掛かりやすいジャンルに思われる。」(つづく)

○ 2003/9/14(Sun)
伊東さんは、メキシコを訪れた際に、ファン・オルゴマンによって設計された、ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロの家(1932)に訪れる機会に恵まれる。
「ル・コルビュジェによる新しい生活を保証するはずの「近代建築の五原則」(1926年)もこうしてみると、自らの建築をモダニズムの論理で説得するための道具立てのように思われてしまう。(中略)「リベラとカーロの家」においてこれらの五つの提案は、真にピュアな社会への提案として実現されている。このひたむきな機能追求の瞬間にのみ、モダニズムの言語は閉ざされたコンテクストを突き抜けて批評的言語であることを止揚し得たのではないだろうか。」
伊東さんは「透明性症候群とでも呼ぶべき」「キュービックでピュアな形態をとり、透明性を指向している」現在の住宅の傾向に対峙し、「社会的言語を失ってソフィスティケートされた美意識の中に閉じていくとき、切り開くことのできないもどかしさを批評性というネガティブな言葉で正当化しているにすぎないのではないだろうか。」と考える。そして「モダニズムの継承者としての身体を脱」し「新しい身体像を描くことを考えるべきである。それは、非自然的身体ではなくもうひとつの自然に馴染む身体であり、それはかつての自然を受け入れる身体である。このようなふたつの自然が重なり合ったとき、新しい身体の求める家ははじめてポジティブな言語で語られるのではないだろうか。」とまとめている。(つづく)

○ 2003/9/15(Mon)
チョムスキーから、遠くへ来てしまったが、日々設計を、とくに住宅を設計していくことで、どのようにこの世の中と関係をもっていくのか、最近考える。それを考え続けることは、独善的な批評性からいかに意識的でいられるか、いかに新しい身体性を持つかにつながること、なのかもしれないと思う。
苦労しながら読んでいる、「シリーズ哲学のエッセンス-レヴィナス-何のために生きるのか」に次のようにある。
「No Music,No Lifeという標語の意味は、パンを食べるのとは違う仕方で、それより高尚な仕方で、音楽を享受しなければ生きていられないということではなくて、パンを食べるのと同じ仕方で音楽を享受しなければ生きていられないということである。だから、自分のためにパンを享受して生きることと、自分のために音楽を享受して生きることには、何の優劣の差もない。両者ともに、人生を享受する幸福なエゴイズムである。」
連休作・完

○ 2003/9/16(Tue)
午前中、大和町のKさん、拙宅を見学にみえる。
午後は以前から進めていた、吉祥寺の多目的スペースの詰めの打合せ予定だったが、昼前の電話で突如この計画自体が消滅する。
連休中に、OZONEから面談の問い合わせがある。18日面談。
昨日、住宅の建設を考えており、土地を探していて、以前大和町にみえたことのあるO&Kさんから電話あり、中野に検討中の土地があるということで、拝見した。

○ 2003/9/17(Wed)
N邸の定例会儀。

○ 2003/9/18(Thu)
朝事務所に行くとOZONEから、今日18:00から面談予定のFさんの資料が届いていた。リフォームとなっているが、どちらかというとコンバージョンに近い計画だ。予算から考えると、基本性能を確保する事で目一杯だが、面白くなるかはクライアント次第、と思って夕方OZONEへ。
Fさんは、「中古の倉庫」にしぼって、物件を探したそうだ。倉庫であれば、なんにでもできるのではないかと。そんな事を考える方達だから、面白くないわけない。世の中少しづつだが、確かに変わっていっているんだ、と思う。私が指名される、されないは別に、ひとつの社会的ストックとして、残るものができるのを期待したい。
面談の前に、OZONEで今開催されている「ハウスミーティング」に「プチエコデザイン」のブースを出している、長尾亜子さんを訪ねる。ちょうどブースにいて、久しぶりに少し話す。

○ 2003/9/19(Fri)
97年に世田谷に完成したM邸の近所に住んでいて、M邸が好きで、一度話を聞きたいという方から電話がある。日曜日に自宅に来ていただくことになる。

○ 2003/9/20(Sat)
11:00から、ザ・ハウスで面談。軽井沢のゲストハウスを見て、やはり軽井沢に別荘を考えているHさん。偶然にも以前住宅を設計したK&Nさんと同じ会社にいらして、K&Nさんのお宅にも行かれた事があるそうだ。こんな風に設計を通して、偶然知合いの知り合いに巡り会う事が、増えている。
その後、友人の建築家の山嵜さんの事務所の、開設10周年のお祝の会に参加。
19:00からの中学の同窓会まで時間があったので、新宿武蔵野館で「フリーダ」を見る。この前見て感動した「トーク・トゥ?・ハ?」はスペインの映画で、「フリーダ」はメキシコのことをアメリカで撮った映画だが、スパニッシュな雰囲気に、なぜか私は弱い。
19:00から西荻窪で荻窪中学の同窓会。40人以上集まる。結局4次会まで。私は、次の日打合せがあるので、朝4時ころ帰るが、まだみんなは唄ってた。とにかく女性が元気だ。

○ 2003/9/21(Sun)
11:00に金曜日に連絡合ったYさん、自宅にお出でになる。
私は二日酔いまではいかないが、少々寝不足。
朝から雨で、寒い。こんな日は一日本を読むに限るが、途中でつらくなり、横になる。眠ることはできず、たまっていた新聞を読む。朝日の夕刊に、一週間コラム形式で、西荻のいろんなところが紹介されていた。私は生まれが西荻で、西荻の街が好きで、そのコラムに古本屋やアケタの店が紹介されていて嬉しくなる。

○ 2003/9/22(Mon)
午後N邸の配筋検査。
配筋検査とは、コンクリートの建物で、コンクリートを打つ前に、打合せ通り鉄筋が施工されているか、設備電気の施工がされているか確認する検査です。N邸もいよいよ24日が最後のコンクリート打設となる。

○ 2003/9/23(Tue)
事務所で仕事しながら、昨日現場の帰りに買ってきた「トーク・トゥ?・ハ?」と「フリーダ」のサウンドトラックを聴く。「フリーダ」は確かに坂本が言うように、ジプシーの音楽。「トーク・トゥ?・ハ?」もジプシーを感じさせる映画であった。私が弱いのは、スパニッシュと言うよりも、ジプシーの旋律か。
「フリーダ」の映画パンフレットに近代性と身体性のの面白い指摘があった。手元にないので、いつか日報に書き写したい。

○ 2003/9/24(Wed)
昨日のつづき。
「フリーダ」のパンフレットに、野谷文昭さん(立教大学教授・ラテンアメリカ文学)が書かれていた事が興味深かったので、書き写す。
フリーダがパリに行った時、手紙にフランス人の退屈な芸術論を聞くなら、メキシコの市場で物売りをした方がマシ、と書いている。
「この観察は興味深い。なぜなら、ノーベル賞詩人のオクタビオ・パスや作家のカルロス・フエンテスが後に唱える文化論を先取りしているからだ。彼らはフランスの芸術は頭で考えるために身体性が欠けていると批判する。」
「イデオロギーを持たないと言われたメキシコ革命は何よりもまず土地と言う現実を踏まえた土着革命だった。土地はフリーダが根ざす民族的ルーツでもある。毋方がメキシコ人である彼女だが、リベ?ラと遭ってからメキシコの民族性を強く意識するようになったようだ。しかし父親の影響が大きかったのだろう、少女時代にはヨーロッパ志向を強く示している。(中略)最初の自画像をヨーロッパ的手法で描いている。ヨーロッパはむしろ彼女のルーツとして先にあったとも言える。」
まさに、近代性と身体性の亀裂。
野谷文昭さんをネットで検索すると、対談が出てきてそこでは中上健次が話題にあがっていた。1、2年前集中的に中上健次を読んだ時に感じた、熊野に密接に結びついた身体性を思い出した。
近代性に対して信頼感もなく、メキシコや熊野のような強烈な土地も持たず、どのように、どのような身体性を獲得していかなければならないのか、大きな問題だなあ。

○ 2003/9/25(Thu)
朝自転車で、K計画の調査に中野区役所。
午後、E邸実施アップ前の最後の施主打ち合わせ。
来月初めに実施設計をアップし、見積にだし、11月には工事に入る予定である。

○ 2003/9/26(Fri)
「プリンツ21 細江英公特集」「在日からの手紙」姜尚中内田雅敏太田出版購入。
昨日ファックスでお願いしてあった、M邸をホームページに出させていただく件、Mさんより電話あり、了解いただく。
準備を始めよう。

○ 2003/9/27(Sat)
夕方、私のお客さま、Kさん御夫妻とお嬢さん、坂本美貴のお客さま、Sさん御夫妻とお嬢さんが大和町に遊びに来た。秋晴れの気持ちよい天気。屋上で七輪。
韓国の友人、柳さんとヒャンスク夫妻が来てくれて、パジョン(韓国お好み焼き)を作ってくれる。坂本美貴はキンパブ(韓国のり巻き)。みんなよく食べてくれた。柳さん夫妻は深夜3時くらいに帰ったそうだ。私は12時過ぎに撃沈していた。

○ 2003/9/28(Sun)
午後2時から、N邸の家具の打ち合わせに、坂下とNさんのご自宅に。夕方遅くまで、打ち合わせ続いた。
帰りの電車で、「シリーズ・哲学のエッセンス-レヴィナス-何のために生きるのか」を読み終わる。100ページの本だが、ほほ1ヵ月かかった。この内容は自分なりにまとめておきたいので、いずれ日報にアップしたいと思っているが、はたしてきちんと理解しているのか、あやしいものがある。

○ 2003/9/29(Mon)
午後PS暖房機械に来てもらい、白州T邸の暖房検討を依頼。
冬場かなり寒くなる場所だが、ガラスに覆われた居間の計画がどう考えても魅力的で、はたして実現性あるのか、検討してみたい。PS暖房は東京で何度か使った事があるが、今日聞いたら、北海道が一番使われている地域だそうだ。
その後、大和町K計画の敷地に面する、狭隘道路の調査へ自転車で。引き続き、住宅地図をコピーしに図書館へ行くが、休館。事務所へ帰る途中にある古書店で「赤瀬川原平-全面自供」を見つけ、購入。赤瀬川さんの本、結構古書店に出てるのだが、この本はなかなかみつからなかった。

○ 2003/9/30(Tue)
今日で9月も終わり。この間まで夏だった(とはいえ、今年はそれ程ギラギラした夏ではなかったが)のだが、もうすでに秋と言う感じだ。
E邸の見積りを来週お願いする予定の、O建設とE建設の営業の方がみえる。見積の状況、施工時期の会社の状況などを事前にうかがった。
OZONEからメールが来て、倉庫を手に入れて、改装を計画していたHさんは、迷っていたが他の方に決まったとの連絡があった。面白そうな、今とても興味がある計画だったので残念だ。でも、日報に倉庫を住宅にするような計画をぜひやってみたいと、書き続ければまたそんなチャンスも巡ってくるだろう。
日報に書き忘れていたが、現在書店に並んでいる「室内」10月号・P30に特集・暖炉を焚くとき-ここは都心のビルの中、というタイトルで、大塚アトリエで設計した家が掲載されている。

○ 2003/10/1(Wed)
朝、K計画の狭隘道路の申請に、自転車で中野区役所へ。
午後、N邸の定例に向かう電車の中で、保坂和志の新刊「カンバセーション・ピース」を読み始める。今一番読むのを楽しみにしている作家だ。今回の本は、家に関する話のようで楽しみだ。
「・・・昭和二十三年に建てられたこの家は全部の部屋が畳で、部屋と部屋の仕切りはすべて襖なので、はっきりと用途を決めて建てられているいまの家とは、人と部屋の関係が全然違っていた。
 時代も昭和三十年代半ばのことだから、部屋をあらかじめ決めたとおりの用途に使おうなんて律義さは人間の側にも育っていなくて、早い話が子どもがいればそこが子どもの部屋になり、布団を敷けばそこが寝室になった。・・・」
ここ最近、私が家について考えていることが書かれていた。そうか、漠然と思っていた家は、自分が生まれ育った頃の家だったのかもしれない。そう言えば、私の家は人に部屋を貸しており、簡単な建具のむこうの空間の中に下宿人が同居していた。そんな家が多かったことを思い出した。
定例は、夜9時近くまで続き、帰りの電車では頭が朦朧としていたが、そんな状態で読む「保坂和志」は最高で、保坂さんがぬるい温泉につかってるような文を書きたいといっていた、そんな状態を体感できた。

○ 2003/10/2(Thu)
E邸、いよいよ来週見積に出す。
スタッフと詰めの打ち合わせ。
N邸家具、門扉のチェック。門扉オートロックなのだが、セキュリティーを優先するか、日常の遣い勝手を優先するか、とにかく複雑だ。夜テレビで空き巣対策の番組をやっていたが、昨日の続きになるが、昭和三十年代はそう言う面でも世間がおおらかだった。

○ 2003/10/3(Fri)
K計画、一歩前進か。ひとつ面白そうなアイデアが出る。
白州T邸のPSの計画書、月曜日に出てくる事になる。
夜食事しながら、TVの「男はつらいよ-寅次郎物語(秋吉久美子)」を見ていたら、山田洋次監督のいやらしさの無いテクニックにえらく感動してしまい、急に斉藤耕一の「約束」が見たくなる。地下からビデオを持ってきて、横になってみる。25年くらい前の岸恵子と萩原健一主演の映画だ。タイトルバックから素晴らしい、フランス映画のようなトーンの映画らしい映画で、昔から大好きな映画のひとつだ。あっという間に見終わってしまう。

○ 2003/10/4(Sat)
午後、N邸家具の打合せ、現場事務所で。16:00頃、友人の植木屋の笹隈さんが現場に来てくれる。植栽の相談をし、提案をお願いした。
16:30からクライアント御家族に現場を見てもらい、いくつかの打ち合わせ。その後、現場の担当者や関係者と我々設計者を食事に招待していただいた。年末の完成に向け、いよいよ仕上工事が佳境になっていく。

○ 2003/10/5(Sun)
久々に仕事の予定のない日曜日。午前中たまった新聞を読み、植木鋏をオリンピックまで買いに行く。昼は、今年癌で亡くなってしまった友人の名倉に教えてもらった讃岐うどん(乾麺を30分茹でる)で、鍋焼うどん。このうどん、本当にコシがあって美味しい。
午後は家にいる時読み続けている「海辺のカフカ」(2回目)。
夜、坂本美貴と久しぶりに天婦羅やの「テン助」にいく。美味しくてボリュームがあるのだが、最近食べる量を減らした2人には、やはり多すぎてお土産にして持ち帰った。我々には丁度よい食事量は、世間では少なすぎるのだろうか。
なにも無い日曜日は久しぶり、と書いたが、このところ多かった面談も一段落。2週間前にM邸を見て、とお出でになった方も、ひとつの土地を2つに分けてもらって購入予定だったが、もうひとかたのローンがうまくいかず、土地取得できなかった、との連絡があった。最近、人に紹介された面白そうな不動産屋さんがいるので、紹介した。
土地は縁のものなので、皆さん気に入る土地に巡り会うまで、苦労されているようだ。我々も土地を探している時、一時諦めようかと思った時もある。諦めていたら今頃、住まいも事務所も全く違ったところにあるのかもしれないな、と家に寝転がって考えていたら、不思議な感じがした。

○ 2003/10/6(Mon)
午前、PS暖房機来所。N邸の打ち合わせ。
中野区役所から、K計画の狭隘道路の査定が終了した、との連絡が入る。
これで敷地形状も確定したので、より具体的に進められる。

○ 2003/10/7(Tue)
午後、E邸の見積用図面を建設会社3社に渡した。今回は4社にお願いする。明日の午前中もう1社みえる。
途中、質疑応答があり、約2週間後に見積が出てくる。クライアントの予算との調整や、適切な見積かをこちらでチェックして、建設会社を決め、工事に入ることになる。

○ 2003/10/8(Wed)
午後N邸の定例会儀。
21:00まで続く。ボリュームのある住宅なので、決めなくてはならない事が膨大にある。帰りの電車では、坂下も私もしばらく黙っているしかなかった。

○ 2003/10/9(Thu)
朝T邸の暖房計画を提案してもら為に、電気を使った暖房システムを専門にやっているメーカーと打ち合わせ。  その間、N邸の外壁の塗装見本がうまくできないので、外壁の材料となる難燃木材のメーカーに問い合わせをすると、今使おうと思っているメーカーの塗料(けっこう良く使われる)は相性が悪いということがわかる。何度試してもだめなわけだ。しかし、こんなものかもしれないと、施工してしまったら、大変だった。そういう事例があるのだったら、カタログに注意書きを明示しておいて欲しいものだ。
午後、梁山泊がいつもお世話になる、飛騨の弓削さんのお嬢さん(今、イタリアで料理修行中)が、フィレンツェで知り合ったという衣笠君が訪ねてきた。イタリアでインテリアの学校に行っていて、帰ったら東京の事務所で働きたいと思っていて、一月前ぐらいからメールをもらっていた。今うちの事務所では人はいらないが、帰ってきたら一度おいで、と言ってあった。高校を中退して、お金を稼ぎイタリアへ行ったそうだ。出身は関西で、でも東京で働きたいとのこと。大変だな、と言うと。楽しいです、と返事。若いのだな、と素直に思う。今日関西に帰って、また10日後位に東京にくると言う。なにか手伝ってあげられれば良いが。

○ 2003/10/10(Fri)
午前、E邸のクライアントに来所頂き、見積に出した実施設計図の説明をした。
午後、K計画の打ち合わせ。そのまま中野区役所へ行き、狭隘道路の書類を受け取る。
途中、高円寺文庫センターで「ノーム・チョムスキー」(リトルモア)とOMS(扇町ミュージアムスクエアー)の本を購入。OMSはこの間閉館になった、大阪の小劇場で、その歴史やそこで芝居した多くの人達のコメントが載っている本だ。一度もそこで芝居を見た事はないが、近くの扇町公園で梁山泊がテントを張った時、前を通ったことがある。

○ 2003/10/11(Sat)
午後、坂本美貴の友人のBさん一家来所。世田谷に土地を購入したので相談に。
その後、坂下とN邸の打ち合わせ。17:00にN邸のオーディオの計画を請け負っているクリオネの高杉さん来所。家具に組み込む部分や、現状の再確認。
打合せ後、坂下と高円寺大将へ。後から坂本美貴も参加。

○ 2003/10/12(Sun)
西側通路のフェンスの定家葛の剪定をするが、雨の後だからか、亀虫のような虫や蚊が葉っぱの中に避難していて、苅りはじめると大挙して襲ってくる。たまらず中止。蒸し蒸ししていたので、即ビール。
夕方まで、たまった新聞や買った本の整理。
夜、西新宿の原っぱで「河童」を上演中の唐組に行く。25年前の芝居。私が初めて状況劇場を観たのが、この「河童」の次の「唐版・犬狼都市」だった。「河童」で根津甚八さんが退団し、小林薫さんが主演だった。今都庁が建っている場所に赤テントが張られていた。当時凄い人気で、整理券があるのを知らなかった私は、のこのこ開演間際にテントへ。満員のテントの最後列で、なにをやっているのか解らず、ただただ暑い。ところが最後に、石の中から真っ赤な鮮血が噴き出し、テントが空いて外とつながった時のカタルシスはなにかを私の中に残した。
あんな変な芝居、2度と見に行くかと思っていたが、1年後なぜかもう一度だけ体験したくなり、今度は早く行って前のほうで芝居を観てはまり込んでしまった。その時の芝居が「鉛の心臓」。梁山泊の座長・金守珍を記憶したのがこの時である。その何年後かに自分がテントに関わるなど、夢にも思ってなかった。
「河童」3.5畳のアパートを「さご城」と呼び、3.5畳のアパートの部屋に池を作ってしまう、唐さんの想像力にはまいった。

○ 2003/10/13(Mon)
13:00坂下と新宿のINAXのショウルームで待ち合わせ。N邸のキッチンの石のサンプルをもらう。高層ビルから見る新宿は、熱帯低気圧の影響で昼だと言うの夕方のような天気。昨日の夜は遥か下の足元のテントから、高層ビルを見上げていたのだ、と思うと、昨日の夜やテントが自分の中に起った妄想のようで、不思議な感じがする。
14:00に現場近くの駅につくが、地上に出ると凄い嵐。30分駅に足留め。15:00から現場でNさんに来ていただき、仕上の打ち合わせ。この時は台風一過のようにカラリとした天気。昨日からのじめじめも一掃。17:00過ぎまで、家具・AV関係の方も交え打ち合わせ。

○ 2003/10/14(Tue)
今年は、小津安二郎の生誕100年で、今BSで小津作品の連続放映をしている。夜たまたま「晩春」を見始めて、とうとう最後まで見てしまった。
前に一度見ているのだが、今回さらに面白かった。
徹底したカット割りによる展開。そのカット割りの時間も、北鎌倉の笠智衆と原節子の親子のシーンでは、ゆったりと。東京から来るおばさん、杉村晴子のシーンでは、ちゃっちゃかと。
カット割りがほとんどなので、カメラが動き出すと、気持ちも動き出す。
何よりも、終戦直後の昭和の時代の一地方を、フィルムに封じ込めている、その表現に引き付けられた。

○ 2003/10/15(Wed)
水曜日は、この日報でもうお馴染みのN邸定例会儀だ。
おおよその型枠もはずれ、大工工事が始まっている。
ペントハウスから差し込む光で、2階の空間がいきいきとしてきた。

○ 2003/10/16(Thu)
秋日和。良い天気だ。
自転車で図書館まで本の返却に行くが、休館日。
私の前を、自転車に乗った力士。のどかな秋の午後だ。
夕方、深沢の家のMさん来所。2年前に拙宅で忘年会をやった時に忘れていった忘れ物、やっと返す事が出来た。

○ 2003/10/17(Fri)
午後、決算の資料を持って、自転車で荻窪の会計士事務所へ。
会計士事務所の手前にある、古書店で物色。
「書を捨てよ、町へ出よう」「ポケットに名言を」寺山修司・角川文庫、「下下戦記」吉田司・文春文庫、いずれも100円。「タクシードライバー日誌」梁石白・ちくま文庫、200円。芸術新潮「現代のうつわ」「フリーダ・カーロのざわめき」各600円。アートシアター・パンフレット65「新宿泥棒日記(横尾忠則ポスター付)800円。購入。

○ 2003/10/18(Sat)
22:00から、今オーストラリアで行われている、ラグビーワールドカップの日本第2戦、対フランス戦が放映された。第1戦のスコットランド戦も素晴らしい試合だったが、前回準優勝のフランスを相手に、健闘した。前回のワールドカップでは、100点以上の差がついたゲームがあり、アジアからの参加は考えた方がよいとまで言われた。もちろん勝たなくては予選突破はできないが、素晴らしいゲームは、我々ファンを幸せな気持ちにさせてくれる。残りの、フィジー、アメリカ戦に期待したい。

○ 2003/10/19(Sun)
朝8;00頃、消防車が近所で止まった。何台も来ている。
屋上に上がってみると、焦げ臭い。
裏の、路地の奥で出火のようだ。
野次馬となって見に行くが、路地の奥の奥なので、現場は見れなかった。
中野の大和町のあたりは、細い、入り組んだ路地が多く、ひったくりなどの多い地域だ。最近新しい防火規制区域にも指定された。確かに大きな地震が来て、火災が発生したら消火活動が困難であろう。そうは考えても、なにもことをおこさない自分は、設計者として失格か。などと少し反省。

○ 2003/10/20(Mon)
今、スタッフは模型作りに勤しんでる。
E邸の30分の1の模型。さすがにこのスケールになると、迫力がある。仕上の検討などもできるような模型だ。  白州のT邸も新たに3種類の屋根の検討と、内部の構成を考える模型がほぼ出来上がった。当たり前ではあるが、平面で解らなかったことが、みえてくる。

○ 2003/10/21(Tue)
16:30歌舞伎座。夜の部。
「祇園祭礼信仰記・金閣寺」と「於染久松色読(おそめひさまつうきなのよみうり)・新版お染の七役」。  後者は「坂東玉三郎七役相勤め申し候」と銘打たれ、玉三郎が7つの役を早変わりする芝居だ。体力的にも大変な役で、15年振りの再演で、これが最後かもしれないと言うことで、超満員。
鶴屋南北の原作は良質なウエルメイドプレイ。客を飽きさせない。玉三郎が舞台から消え、早変わりして登場する度に、客席からはため息がもれる。全ての客が玉三郎一点に集中する、異様な空間になっている。まさに傾(かぶ)いている。屏風の陰で二役を早変わる、軽演劇ではお馴染みになっているシーンもある。ある意味では、娯楽としての芝居の要素は、歌舞伎にかなりあることが納得できる。だてに400年続いているものではない。
席は「を-17」。3階最後列。幕見席(一幕だけ見る席)の前。一番高い所だ。1900人の吐息と熱気が上がってきて充満し息苦しい。2500円と安いのだが、終演した時にはぐったりしていた。でも見といて良かった。

○ 2003/10/22(Wed)
午後N邸、定例会儀。夜まで続く。
予告:もうしばらくで、坊主コレクションがスタートします。
こう御期待。

○ 2003/10/23(Thu)
坊主コレクション、アップがアップした。
坊主はまだまだ沢山いる。私が坊主に関するものならなんでも集めている事を知っている友人が、探して入手して来てくれたものもある。
ラグビーワールドカップ、フィジー戦。前半は素晴らしい試合展開だったが、後半は完全にフィージーマジックにやられていた。

○ 2003/10/24(Fri)
午前中、決算の書類が出来たとの事で、自転車で公認会計士事務所へ。
午後、E邸の見積が2社から出てくる。厳しいがどうにかなるか。来週の月曜日にもう1社出てくるので、それが出たらチェックと比較表作りが始まる。
浜松のS邸。完全なワンルームの住宅だが、子供達に仕切が必要となったら作れる拠り所を仕掛けておいた。この夏、遊びに行った時に、長女のところだけはそろそろ仕切必要と、打合せしてきた。建具とケンドンの簡易な壁で、子供達3人分の仕切を考え、工務店に見積ってもらった。ひとつひとつ見ると、たいした金額ではないが、まとまるとそこそこになる。(見積とはいつもそうだが。)そこで、今回は今必要なひと部屋だけにして、また何年か経って、さらに仕切必要になったら、建具を追加すれば簡単にしきれるようにしておく事になりそうだ。でも、仕切れる拠り所を最初に仕込んでおかなければ、もっと大変な工事になったし、今回の事でワンルームで作り、必要に応じて仕切っていくことの検証が出来、良い経験をしている。

○ 2003/10/25(Sat)
午後、中野に土地を入手した、K+Oさん来所。ずいぶん前に大和町の家を見に来てくれて、土地が決まったら連絡をもらう事になっていた。一月程前、気に入ったところがあるので見て欲しいとの連絡をもらい、一緒に見に行った所に決められた。
今年初めに、事務所を阿佐ヶ谷に移し、生まれた町である西荻窪から、梁山泊の稽古場のある東中野くらいの、自転車で気軽に行き来できる範囲での活動を、自分のこれからの仕事のテーマのひとつにできないか、と考えている。いくつかのプロジェクトが少しづつその地域で始まりつつある。楽しみだ。

○ 2003/10/26(Sun)
爽やかな、晴天。
今工事中N邸のクライアント御家族が、大和町に遊びにいらした。まさに屋上七輪日和。日なたは暑いくらいだ。高円寺のホルモン屋・ニ楽亭のテッチャン(これがうまい)を中心に、キンパブ、チャンジャ、トックなどの韓国料理ばかりになってしまった。準備してから気がついた。Nさんの子供達、まだ小学生なので、こんな酒飲み中心のメニューで大丈夫かと。案ずるより産むがやすし。辛いもの始め、韓国料理は大好きのとの事。韓国に来たみたいと歓んでくれた。

○ 2003/10/27(Mon)
ラグビー・ワールドカップ最終戦。対アメリカ戦。健闘したが、ついに勝ち星をあげる事はできなかった。
接戦に気が高ぶったのか、横になっても全然眠くならない。寝ても寝つけないことが年に何回かある。起き上がって、寝酒に(その前も飲んでるのだが)普段飲まないスコッチをロックで少し飲みながら、本を読んでみるが、眼がシワシワするだけで、眠くはならない。我慢して横になってると、気がつけば、朝の6:00。少しは眠ったようだ。

○ 2003/10/28(Tue)
雨が良く降る。
昼、坂下にN邸の資料、図面を手渡しに新宿まで出る。その後、桂花でラーメン。
紀伊国屋書店で「ためらいの倫理学-戦争・性・物語」内田樹(角川文庫)購入。先月出て阿佐ヶ谷、高円寺の本屋、どこを探してもみつからなかったもの。紀伊国屋では平積みされていた。
その後、青山ブックセンターで「書きあぐねている人のための小説入門」保坂和志(草思社)「植草甚一コラージュ日記1」植草甚一(平凡社)この2冊は、新刊だが紀伊国屋では眼につかなかった。本屋ごとの品揃え、見比べると面白い。ついでに「SWITCH11月号・荒木経惟」。
昨日の日報に書いたように、昨晩眠れなかった。起きた時と午前中は、スッキリしていたが、帰りの電車で急に頭が重くなる。まるで、時差ぼけのようだ。これが旅に出ての時差ぼけなら楽しいのだが、なんで日々の生活で、時差ぼけが。

○ 2003/10/29(Wed)
昨日とうって変わって、暑いくらいの良い天気。
昼前、坂本美貴の友人のBさんが入手した土地を見に行く。世田谷の中町。東急大井町線の等々力から、歩いて15分くらい。そこからN邸の現場のある、深沢まで歩く。合計40分位。風が強かったが、天気が良かったので気持ちよかった。途中で昼食を取ろうと思ったが、なんとこの間1軒も店が無かった。
N邸は間仕切の下地がほぼ終了しており、どんどん最後の空間がイメージし易くなっていく。今のところはこちらのイメージ以上に良いスケールで出来上がっているように思える。これからが正念場だろう。ここで気を抜くと取り返しのつかない事になる。
つらつら読んでる、保坂和志「カンバセイション・ピース」の中から。
「湯川秀樹が中間子理論の計算をしたときには、複雑な計算式を最後まで解くのに一年以上かかったと言われているのに、コンピューターだとあっという間にできてしまう。計算に膨大な時間がかかっていた時代は、科学者たちは特別な瞬間を想定してそこに考えを集中させていたのに、計算が楽になってしまったために、科学者は特別な瞬間を回避してすべてを統計や確率の産物にしてしまうようになった。」

○ 2003/10/30(Thu)
13:30市ヶ谷H邸へ。部分的な手直しの確認を工務店と行う。
その後神保町の南洋堂へ。南洋堂は建築専門の書店で、新刊からバックナンバー等揃っている。
その後、表参道のギャラリーで、白州のクライアントのTさんが、陶芸の4人展を開催中なので訪ねる。
帰りに初めて、表参道沿いの今話題のファションビル郡を見に行く。同潤会アパートはすでに取り壊され、地下工事が始まっている。夏に表参道を歩いた時にも感じたが、ケヤキ並木の存在感が僕にはより大きくなっているように感じる。自分が年をとって、自然に眼が行くようになったのかもしれないが。あの同潤会アパートが無くなって、よりそう思うようになった。夕暮れの中の、樹木のシルエットが美しかった。
それにしても、原宿の駅に近付くにつれ、雑然となり、なんとなく人の生活が感じられ、ほっとするのはなんだろう。オシャレな場所に全く向いてない、大塚のキャラクター故か。

○ 2003/10/31(Fri)
E邸の見積りチェック及び比較表が出来上がったので、午後Eさんに来所頂き、方針を決める。いくつか問題は残っているが、どうにか予算に合うようにつめていきたい。
日報に写真を添付する方法を、HPを作成してくれている那須のユーちゃんに教えてもらった。さっそく、一昨日の日報に添付してみたら、大成功。(あたりまえか)これからは時々写真付きにしていこう、と思っている。 

○ 2003/11/1(Sat)
私の大学の同級生の那須が教えている、埼玉のものつくり大学の学園祭で、「夜を賭けて」のメイキング「ヨルカケ」を上映。
今年の夏、インターシップで大塚アトリエに、学生の石井さんが来ていた時、那須が来所し一杯やっているうちに、「ヨルカケ」上映の運びとなった。
監督の金さんも来てくれた。観客は少なかったが、皆熱心に話を聞いてくれた。学生達が実習でつくってるものを見せてもらい、これから梁山泊や私の仕事で、一緒になにかやったら楽しい事が出来そうな確信を、金さんも私も持った。
18:00今年神田に竣工したK邸に招かれる。この計画はOZONEがプロデュースしたもので、OZONEのTさん、うちのスッタフの高橋、坂本美貴も一緒に御招待頂いた。美味しい食事とワインを沢山頂いた。私は最後はあまり記憶が無い。でも、愉しい夜だった。

○ 2003/11/2(Sun)
借りてきて見ていなかった「トーク・トゥー・ハー」のアルモドバルの「オール・アバウト・マイ・マザー」を見た。
「トーク」の時は、ピナ・バウシュの舞台、これは「欲望という名の電車」の舞台のシーンがある。主人公達はその舞台を見ている。画面ではこちら(私)を見つめている映像になる。下手をすると、際物になりそうなストーリーが、時に大胆に、時に繊細に関連づけられ、アルモドバルの濃密な世界が出来上がっている。生(性)と死(思)を底辺に、映画・芝居・舞踏が大きな意味を持ってくる。そして訪れる恩寵。恩寵がすごくリアルにそこにある。
ケーブルテレビで、北野武の「ドールズ」も見た。期待以上の作品だった。北野作品には常に、マージナルなメンタリティーをもった(もしくはマージナルな場所に活きる)人達が出てくる。それらへの眼差し、寄り添い方が独特で、それが北野映画ではないかと、この「ドールズ」を見て、思った。ここにも恩寵はたしかにある。  この2本で、一杯になってしまった。
高円寺文庫センターで、「現代詩手帖11月号/生誕百年・瀧口修造」「映画芸術405」。

  ○ 2003/11/3(Mon)
休日の事務所は静かで良い。
B邸のスケッチ。

○ 2003/11/4(Tue)
明日のN邸、定例の準備。
B邸のスケッチ。東西に長い敷地の特徴を活かす案の概略がまとまってきた。次に違う特性から考えていってみよう。
白州T邸、暖房の検討やっと出そろったので、次に進もう。
K計画の第一次案の模型も出来つつある。

○ 2003/11/5(Wed)
11:00、アートンに郭さんを訪ねる。アートンは郭さんが経営する出版社で、郭さんは「夜を賭けて」のプロデューサーでもある。
アートンの新刊「500万で家をつくろうと思った」鈴木隆之×藤井誠二著をいただく。藤井さんは「夜を賭けて」のオーディションに参加した若者達のインタビューを「いつの日にかきっと」という本にして、アートンから出している。その藤井さんが、500万で家つくりを試み、完成させた記録をまとめた本だ。偶然にも写真は私の竣工写真を撮ってもらってる、新良太さん。どんな内容か楽しみだ。http://www.artone.co.jp/
午後はN邸の定例。もう図面で打ち合わせする事も少なくなってきた。現場を見て廻ることが、大事な段階になった。外部の仕上作業も始まっている。

○ 2003/11/6(Thu)
10:00、E邸の見積りの打ち合わせに、J建設来所。こちらでチェックした、見積りに落ちている部分や単価がおかしい部分などの再確認・検討をお願いした。
午後、ハンズに模型材料を探しに。その先の松涛美術館で開催中の「合田佐和子 影像」展に足を延ばす。1958年から今年までの作品が展示されている。合田さんは唐十郎さんや寺山修司さんの芝居や映画にも参加している。略歴を見ると、初期の状況劇場の小道具も創っていたそうだ。最近の唐組のポスターも合田さんの絵画が多い。
作品を見始めた瞬間、フリーダ・カーロを思い浮かべてしまった。私性の強さというか、その人のなかにあるものが、これ程素直に強く表現されているように見えるのは、女性だからであろうか。どんどん引込まれていく。さらに略歴をみると、2001年には「森村泰昌と合田佐和子」展を高知県立美術館で開催しており、森村さんはフリーダに特に関心を寄せている。生きる事と表現の直接性に、私はうたれ弱い。

○ 2003/11/7(Fri)
夕方、少しづつ計画を始めたBさんの現在お住まいの所を訪ねる。
新しく家をたてる人は、例えば、いま暮らしてるのは賃貸なので、自分の自由にできる新居は、いまの部屋のイメージを一新する、と考えている人がほとんどであろう。もっともである。でも、私はいまお住まいの所を、一度は見せてもらうようにしている。(もちろん新居に持っていきたい家具などを、見せていただいたりするために、訪ねる必要もあるわけだが。)そこで見た事、ものを設計の手がかりにするのでは無いが、設計で判断に困った時など、いまの生活の場を見ているか、いないかで、クライアントに対するリアリティーが微妙に違う感じがするからだ。
Bさんの現在の住まいは、目蒲線の長原。3年前まで私が住んでいた町だ。ここに、週に2回は行っていた、とても素敵な台湾料理屋さんがある。名前は「一福」。美味しくて、安くて、なによりお店をやっているご夫婦の人柄がよい。自宅を引っ越してからも、事務所が田園調布にあった時には時々行っていたが、事務所を引っ越してからは、御無沙汰していた。Bさん宅に伺うのは夕方にしてもらい、久々に「一福」を訪ねた。もちろん大満足の一夜であった。

○ 2003/11/8(Sat)
10:00N邸の現場。外部に張る板の割り付けに立ち会う。外壁左官部分は良い感じで仕上っている。暖かくて穏やかな秋の日だ。こんな天候が続くと、現場もありがたいのだが。
一度事務所に戻り、杉並の宮前で友人の新ちゃん(沼尻新さん)が個展を開催してるので、自転車で訪ねる。新ちゃんが、バイクや車の雑誌の表紙のために書いた、いろんなバイクや車の絵200点が展示してある。20年の記録だそうだ。圧巻。久々に新ちゃんと話す。

○ 2003/11/9(Sun)
昨晩というか、今朝、寝つけない。しかも、食べ過ぎたようで消化不良。
午前中に投票。
「カンバセーション・ピース」保坂和志著、了読。いろんな事(ピース)の積み重なりから、今ができているとということが、読み終わって何となく理解できる。以前書いた身体性の話と、自分のなかでは連続していきそうだ。身体性のことを考えた時読もうと思った、「東京の[地霊(ゲニウス・ロキ)]」鈴木博之著に、明日から取りかかろう。

○ 2003/11/10(Mon)
K邸、B邸のスケッチ。
K計画の模型ほぼ完成。

○ 2003/11/11(Tue)
寒く鬱陶しい天気が続いている。
白州T邸の基本設計。K邸のスケッチ。両方をいろいろ考えているうちに、自分の中に長く続いていたなにか吹っ切れない気持が、スッキリしてきた。やっぱり、がむしゃらにやれってことか。
明日は晴れるか。

○ 2003/11/12(Wed)
今日は良い天気だ。
11:00K計画のプレゼンテイション。チャーミングな模型が出来上がった。
そのまま、N邸現場へ。外壁のから松の縁甲板が一部分張られている。都市の中で、優しく、くつろいだ住宅が出来上がりそうだ。家具の打ち合わせ、午後から夜まで続く。もう一息が、なかなかみえてこない。

○ 2003/11/13(Thu)
高知県立美術館より「森村泰昌と合田佐和子展」のカタログと「ムンクスクリーム」が、倉敷の大原美術館から「フランソワ・ルーアン展」のカタログが届く。
「森村泰昌と合田佐和子展」のカタログは、先日松涛美術館で見た合田佐和子展で見かけ、興味を持ち、ホームページを訪れたらミュージアムショップで販売していたので注文したものだ。
「ムンクスクリーム」は同じミュージアムショップで扱っていたもので、ムンクの「叫び」の人物を、空気を注入して膨らます人形にしたものだ。これは坊主だったので、コレクションに加えるために購入した。(今度、坊主コレクションのコーナーで紹介します。)
「フランソワ・ルーアン展」のカタログは、古書店などでずっと探していたものだ。1997年にセゾン美術館であった展覧会で、「編み込み」と言う手法で絵画作品を制作しているフランス人で、ずいぶん経ってから古い「美術手帖」でルーアンの作品を見て、興味を持ちカタログを探していた。
なんのことはない、インターネットで検索してみたら、大原美術館がヒットし、同展が巡回しており、今でもカタログを販売していた、と言うわけだ。考えてみれば、本当に便利な世の中になったものだ。

○ 2003/11/14(Fri)
ピナ・バウシュ/ヴッパタール舞踊団「過去と現在と未来の子どもたちのために」を新宿文化センターに見に行く。
9.11後に発表されたものだ。真っ白い床、壁、天井で出来た室内が舞台上にある。照明も色はつかず、暖色系のと寒色系の白い照明で構成されている。
第1部が85分、休憩を挟んで2部が65分。真っ白の中、女性の優しい色使いの衣装が映える。床に幾何学模様を描くように当てられた照明が、静かにゆっくり形を変えてゆく。初めは照明をコントロールしているように見えるが、気がつくと奥の壁がゆっくり前に移動している。その壁の開口を通して舞台に当てられる照明が、壁の移動によって、少しづつ形を変えているのだ。第1部は淡々と進む。様々な踊りが繰り広げられ、1部の終幕近くの群舞に導かれる。その過程は、穏やかだがダイナミックだ。
第2部になると、3方の壁がダイナミックに動き、舞台に躍動感を与える。1部が舞踊が中心の表現だとすれば、2部は舞台美術、照明、舞踊が一体となった表現になっている。それらがこれほど一体になった舞台表現は、今まで見たピナの作品にもなく、初めての体験だ。その精神性と完成度の高さに接し、いつものように感動と、自分の仕事に対する反省をした。
ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団は、この公演の前後5週間、日本に滞在し各地を廻り、来年日本との共同制作の新作を日本で初演する予定だ。楽しみだ。

○ 2003/11/15(Sat)
午後N邸現場。外壁やキッチンの工事がかなり進んだので、クライアント(夫人)を案内する。同時に、色の確認をしていただく。
その後、自由が丘のT建設へ。
夕方、坂下と自由が丘に事務所を構える、空間設計社・鈴木基紀を訪ねる。(今年初めまで、多摩川園に一緒に事務所を構えていた同級生)しばらく事務所で話をした後、一休へ飲みに行く。
1116

○ 2003/11/16(Sun)
午後、東京国際女子マラソン。夜、ビデオに撮っておいた、ワールドカップラグビー・オーストラリアvsニュージーランド。
夕方、夕食の買い物のついでに、高円寺文庫センターで2册。「中央線誕生」中村建治著/本の風景社。中央線の歴史がまとめられている。中央線沿線での仕事を、ひとつのテーマにしようとしてるので、その歴史を知っておく事は必要だろう。
もう一冊は「都市のかなしみ・建築百年のかたち」鈴木博之著/中央公論新社。今読んでいる「東京の[地霊]」の著者の最新刊。鈴木博之さんは東京大学の建築史の教授で、私が修士論文を書く時、鈴木さんが「建築の世紀末」という著書の中で書かれていた、「他社への意識」ということに教わる部分が多かった。20年経って、最近またその当時考えていた事が気になり出して、「東京の[地霊]」を読み始めた。今日購入した「都市の・・」の表紙の写真、クレジットを見ると、鬼海弘雄。鬼海さんの「や・ちまた」みすず書房、と言う本がまた魅力的な本で、大好きな本であり、今回の組み合わせもなんとなくだが理解できる。http://www.soshisha.com/books/1240.htm

○ 2003/11/17(Mon)
朝、初めての方から電話をもらう。傾斜地の入手を計画中だが、実際建てられるのか見て欲しいとのこと。時間がうまく合ったので、午後一に来所頂く。敷地の状況を伺うと、大変面白い土地である。但し敷地の上下によう壁があり、構造的にどれくらいの負担になりそうか、どような調査をしたらよさそうか、構造事務所等にあたってみることを約束する。夕方、簡単に断面を当ってみると、予想外の傾斜。早々に電話で、傾斜に対する費用がかなりかかりそうな事をお話した。でも、とても面白そうな土地ではある。
土地入手前に見てもらえないか、とのお話が時々ある。もちろんこちらの負担にならない範囲で、調査したりする。その際、そうする事でこちらに依頼してもらう、という条件はつけない。何故なら、土地を見ての判断はニュートラルな判断しかできないし、そこを選択するかどうかは、やはり住まい手が決断するべきだと思っているからだ。そのお手伝いしか我々はできないが、それでも少しは役にたつのでは、と思っている。自分の責任の基にした決断なのだから、その決断の先には、自由な選択が残されているべきだと思う。

○ 2003/11/18(Tue)
K計画、K邸、白州T邸が私とスタッフの中で、目まぐるしく動いている。

○ 2003/11/19(Wed)
午後、N邸の現場。引込み柱やメーターボックスの打ち合わせ。
サッシのガラスも全て入り、塗装工事が進んでいる。現場に行く度に、かなり様変わりしており、空間のつながりがわかるようになってきた。
夜帰ると、坂本美貴の浜松の友人から、きれいに梱包された美味しそうな柿が届いていた。秋の箱詰め。

○ 2003/11/20(Thu)
二日くらい前から、風邪っぽいと思っていた。朝起きるとのどがカサカサする。朝事務所に来たが、顔全体が熱っぽく、体温を計ってみたら、37度以上あった。午後2:00過ぎ早退して、医者へ。その後、家でずっと寝ていた。

○ 2003/11/21(Fri)
昨日の夜から、今朝にかけて熟睡できたが、まだのどと鼻の調子がいまいちだ。
  夜、新宿梁山泊アトリエ公演「楽屋」清水邦夫作・金盾進演出の初日。この芝居は1977年に書かれた非常に良く出来た芝居で、いろんな所で上演されているらしい。梁山泊も1998年に下北沢のスズナリで上演した。その時はセットをかなり作りこんだが、今回はアトリエ公演でスペースにも限りがあり、セットデザインはしていない。でも、とてもシンプルにまとまって、若手の女優達も集中力が有って、密度の高い芝居に仕上っていた。普段あまり芝居を見ない人や初めて芝居を見る人にも、最適だ。きっと芝居の面白さを感じられる、と思う。23日(日)の昼の公演までの予定であったが、凄く予約が多く、夜18:00開演で追加公演が決まったので、ぜひとも見に行ってもらえれば、と思う。詳しくは下記のページへ。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~s-ryo/

○ 2003/11/22(Sat)
午前、OZONEの萩原さん来所。
OZONEで12月に開く「あかり展」に、私の持ってる倉俣史朗さんデザインのSAMBA・Mという照明器具を参考展示したいとのことで、ピックアップに来てくれた。
ワイングラスの中に、赤い発光ダイオードがセットされており、水中で赤い光がともるものだ。だいぶ前に、ヤマギワから譲ってもらった。試作に幾つか作っただけで、商品化はされなかったものだと聞いていた。だんだん思い出してきたが、その当時パチンコ店を設計していて、建物全部が照明のようなものを考えていて、ヤマギワの人から、赤く光るワイングラスと聞いて、さっそく譲っていただいた記憶が有る。
午後、白州のTER邸の基本設計のプレゼ。
前回の案から、屋根の形、開口などずいぶん変わったが、こちらが良いと思っていたものを、気にいって頂き、一安心。年末年始にかけて概算見積を取る事になった。
今週は風邪のせいか、ここで完全にエネルギー切れ。

○ 2003/11/23(Sun)
大学対抗戦ラグビー・早稲田vs慶応。その後ビデオで撮っておいた、ラグビーワールドカップ・イングランドvsオーストラリア。世界1を決める試合は、素晴らしい試合だった。大学ラグビーに比べると、グラウンドが半分ぐらいにみえた。

○ 2003/11/24(Mon)
10:00松庵のKAKさん宅へ。幾つかのハウスメーカーからプレゼンが出てきている。これらに対する感想を聞き、こちらの基本計画を説明する。
それにしてもメーカーの提案というのはなんだろう。あるメーカーから出た案に、子供部屋が狭いと話しら、面積増やして子供部屋を広くするだけで、すぐ図面を持ってきた、という。たった1つの案しかなく、次はそのマイナーチェンジ。住まい手はプロではないのだから、その他の可能性は想像することは難しいだろう。答えはいくつも有る。メーカーとでは、そんな可能性を住まい手は検討さえできない。そんな風に作られた家に、自分達の暮らしを合わせていくしかないのは、悲しい。
KAKさん宅、行ってみたら昨年末引き渡したMAT邸のすぐ近くで、話の後電話してちょっと拝見させて頂く。
そのまま西荻から柏に移動。OIS+KUDさん宅を訪ねる。
中野に土地を手に入れたので、これから計画を進めていくために、いまのお住まいを見せてもらう。
KUDさんの机の前にピナ・バウシェのちらしが張ってあり、お二人もこの間の公演見たとのこと。OISさんの持っている本、私の持っているのとダブルもが多い。こんな事からから、計画は始まる。話ながら、すでに頭ではスケッチが始まっている。
初めてお目にかかってから半年。これから完成までに、1年〜1年半、共同作業をしていく。このペースと、メーカーのペース、どちらがおかしいのだろう。

○ 2003/11/25(Tue)
11:00市ヶ谷HON邸。テナント用の表札の追加を、建設会社の担当者に立ち会ってもらいお願いする。
帰りに書店で「二百年の子供」大江健三郎著(中央公論新社)。
高橋、熱があって休み。
BAB邸、KAR計画スケッチ。

○ 2003/11/26(Wed)
終日事務所。
スタッフと、白州のTER邸とBAB邸の計画の打ち合わせ。
昨日に引き続き、KAR計画スケッチ。構造事務所と電話で打ち合わせ。

○ 2003/11/27(Thu)
13:00NIS邸現場。明日から足場ばらしなので、外壁の仕上りの確認。から松に打ったビスもきれいに仕上っている。内部も家具の搬入を待つような状態で、現場に来る度に空間が豊かになってくる。
事務所に戻り、BAB邸スケッチ。この段階ではベストな案を思い付く。
18:00旭化成で同期入社の桐山と「馬主会」。3年前から、共同場主会「ラフィアン・ターフマンクラブ」に入会し、2人で一口馬主になっている。今年の馬は3頭目で、マイネミレーの02。父はスペシャルウィークだ。今は北海道のトレーニングパークで馴致を開始したところだ。入厩するまで、カラー写真付きのレポートが届く。評判はなかなかで、楽しみだ。
「馬主会」の前に、青山ブックセンターで、「東京遺産」森まゆみ著・岩波新書、「植草甚一コラージュ日記?/ニューヨーク1974」植草甚一著/瀬戸俊一編・平凡社、「子どもは判ってくれない」内田樹著・洋泉社、写真集「IRRESISTIBLE STEPS/井上青龍1956-1988」蒼穹社。ついいっぱい手を出してしまった。でも最後の写真集、偶然見つけたメッヶモンだ。

○ 2003/11/28(Fri)
夜、私のホームページを作ってくれている紫水夫妻が家に泊まりに来た。
坂本美貴=チェ・ミキと紫水夫妻=ユーちゃん+アコちゃんとカルロスがバンドを作っていて(こう書いてみると、どんな連中なのか、と思うが)、四谷で忘年会をした後、家にきた。紫水夫妻は今年9月に、19年に渡る東京暮らしに終止符を打ち、那須高原に移住した。久しぶりにいろいろ話した。
いずれ彼らのバンドのホームページのリンクもはられる、と思う。

○ 2003/11/29(Sat)
昨日は飲み過ぎた。それほどひどくないが、二日酔いである。
1:00前には寝たのかと思っていたが、後で聞いたら3::00過ぎだったとのこと。
事務所で仕事するが、集中できず、資料を持ち帰る。

○ 2003/11/30(Sun)
昨日持ち帰った、KAR計画とBAB邸のスケッチ。
雨が上がった時を見計らって、買い物。
ここ何週間かに購入した本をパラパラ見る。
夜、「ウルルン体験記」を見たら、カンボジアの船の家に暮らす家族と体験生活をする内容だった。5人兄弟で、一番上のお兄さんが15才の時お母さんが亡くなり、お父さんは再婚して出ていってしまって、それから子供達5人で暮らしている家族だった。家が浮かんでいる湖で、漁をしたりで暮らして来たらしい。なんていう親父だ、という事はさておき、15才を筆頭に生きていける子供達や、どうにか暮らしていける環境に考える所があった。もちろんテレビだから鵜呑みにするつもりはない。でも、東京で15才を初めとする5人兄弟が、はたして活きていけるだろうか。

○ 2003/12/1(Mon)
季節外れの台風で、一日雨。
昨日スケッチしたKAR、屋根の形が複雑になってきたので、スタッフの木村に模型作成を指示。
BAB のスケッチ。TERの基本設計図作成。この三つが同時に進行中。
明日は天気が良くなりそうなので、足場が外れたNISに行く段取り。

○ 2003/12/2(Tue)
午後、NIS現場。足場がとれて外観が全て見えるようになった。
板張り、左官、打放しのそれぞれの部分がきれいに仕上っている。同時期に同じ建設会社で工事を進めている、大学の先輩の宮沢さんとスタッフの鈴木さんが、現場を見に来た。
17:00ユーロスペースでカール・ドライヤーの「奇跡」を見る。
「北欧が生んだ至宝、カール・ドライヤー監督(1889-1968)は格別の位置を占めています。映画という媒体を通じて人間の《信仰》と《悪》とを探究し、超越的なるものをスクリーンに定着させようとしたしたドライヤーの試みは、他のどの監督の道のりとも重なることはありません。」と挨拶にあるように、この「奇跡」という映画は、我々の眼には見えないものを、スクリーンに定着させようという、真摯な映画だった。
映画に限らず、全ての表現はそこに意味があるのだろうが、ここまでストレートな表現は今の時代には出にくい形だと思う。現代では、「超越的なるもの」が見えにくくなってきているし、また「超越的なるもの」を定着することが、非常に危険で危うい状況にあるように思える。でも、それだからこそ、表現することに対して、安易に妥協しないでギリギリまで練り上げる必要性を考えさせられた。またもや、反省。
http://www.acejapan.or.jp/artg/filmg/fes/dreyer/

○ 2003/12/3(Wed)
12月ももう3日。別になにが、という訳ではないが、年末なのでケツカッチンな感じがして気忙しい。
ただの年の変わり目なのだが。たかが年の変わり目、されど年の変わり目か。惰性の消化試合な日々を送らないよう、注意しよう。

○ 2003/12/4(Thu)
午前、EMOの最終見積りの打合せを建設会社と行う。年内に契約して、来年からの工事ですすめる事にする。  急にNISの現場に行くことになる。その前に床屋に寄る。高円寺の駅側の、カット・シャンプー1450円の床屋だ。2ミリのバリカンで、頭から鬚まで全てカットするので、早い。さすがに、2ミリの髪の毛で外に出ると、初めは寒い。頭がキーンという。
現場はまた進んでおり、屋上緑化の準備が進んでいた。明日、セダムという植物の植わった、50センチ角のシート状のものを並べていくそうだ。引込みポールも建ち、屋上の笠木や手摺も付き、より良い感じに仕上ってきた。来週からは家具が入ってくる。行く度に変わっていく現場は楽しみでもあるが、我々のした決定が適切だったのか、出来上がって初めて判るので、恐い経験でもある。

  ○ 2003/12/5(Fri)
朝、ある資料を探してたら、OZONEの登録更新の書類が出てきた。12月8日までで、種類に書込んでFAX。  午後、一級建築士事務所の住所変更届けに都庁へ。
その後OZONEの「あかり展」に。貸してある、倉俣史朗さんの照明が展示されているか、見に行ったが見つからなかった。その足で、アキレス腱を切って大久保の病院に入院中の、構造設計の山崎さんを訪ねる。見舞いを兼ね、KARの打ち合わせ。図々しくも病院に模型まで持ち込み、打ち合わせ。そこで、屋根の形に問題が発生。あれこれ話したが、上手い解決方法がすぐには見つかりそうもないので、来週初めのプレゼンは構造的に安全側にしたものでプレゼンする事に。病院から事務所に電話して、スタッフに変更の指示。すぐ、事務所に戻り作業の確認。
なんだか、慌ただしい一日だった。
今日NISに行った坂下からメールで、屋上緑化の写真が届く。なんだか癒される。

○ 2003/12/6(Sat)
栃木でオープンハウスがあったので、訪ねた。
栃木には初めて行ったが、結構遠かった。北千住から、東武日光線快速で75分位。帰りは特急スペーシアを使った。ついビールを買ってしまい、観光帰り気分。
栃木は古い蔵や、掘り割りがあり落ち着いた町だった。ただ寒かったこともあるのか、淋しさも感じた。オープンハウスの場所から駅に向かう通りに、瀬戸物屋があり、店先に福ちゃんの貯金箱があったので、入手。一応坊主と認定。
「東京の[地霊]」鈴木博之著を車中で読み終わり、同じ著者の「都市のかなしみ」を読みはじめる。長い時間、電車に乗るのも、本が読めて悪くない。

○ 2003/12/7(Sun)
今日もオープンハウス。今日は北浦和。
またもや初めての場所。でも、埼玉のこのあたりや、柏、我孫子などの千葉の町は、だいたい同じような雰囲気が感じられる。ハンバーガーショップ、牛丼や、町金融、駅前のショッピングビル、でワンセットになっていて、違いはその広がりと数による。昨日の栃木とは、成り立ち方が随分違う。
引き続き電車のなかで「都市のかなしみ」を読み続ける。そのなかの一説。
「だが空間は、時間とともに存在して場所となる。都市とは、時間を超越した真理ではなく、時間とともに存在する真実である。ゲニウス・ロキは、場所のなかにひそむ時間と、その時間のなかで形成されたかたち、つまりは場所のなかにひそむ歴史と文化を、現在によみがえらせ、生きつづけさせる力のことである。場所とは、文化を蓄積させる形式のことなのだ。それが、おそらくは都市そのものを生きつづけさせる力であろう。」

○ 2003/12/8(Mon)
昼近く、KAR打ち合わせ。計画の概要が決まる。ただ、コスト、地盤などから構造をどのようにするか悩んでいる。もう一息だ。
TERの概算見積を出してもらうため、山梨の建設会社に図面を送った。
BABは基本計画のまとめに入りつつある。
今日はジョン・レノンの命日で、「イマジン」がラジオから頻繁に流れている。

  ○ 2003/12/9(Tue)
銀行に行った帰りに、近くの古書店に寄る。
小さいお店だが、結構充実している。建築、映画、美術の本なども多い。
「武がたけしを殺す理由-全映画インタヴュ?集」rockin'on・980円。今年の9月に出た本だ。
「源氏絵語」横尾忠則・飛鳥新社・2500円。横尾忠則版源氏物語。こちらは1991年、出版。

○ 2003/12/10(Wed)
午後、NIS現場。
家具が運び込まれ、内部は騒然としている。アルミのシャッターも付き、最後の壁のコンクリートも打ち終わった。ひとつの工事が終わるごとに、様子が変わっていく。家具が取り付いた後、どのような感じになるか、とても楽しみだ。
夕方、ユーロスペースでカール・ドライヤーの「吸血鬼」を見る。1930年の作品。この作品の一本前の「裁かるるジャンヌ」は無声映画の傑作といわれているもので、この「吸血鬼」が初めてのサウンド映画である。映像的に非常に実験的で、アップの多用、ズーム、カット割りも頻繁だ。気になって調べてみると、ドライヤーが1889年生まれ。エイゼンシュテインも1889年生まれ。溝口が1898年生まれ。まさに映画の黎明期だ。先週見た「奇跡」は1954年の作品。「吸血鬼」に比べると、映像的にはかなりオーソドックスな手法で、ドラマを見せる映画だった。サウンド映画の最初の作品で、台詞の少ない分、映像に比重が置かれているのだろうか。もう一本、遺作の「ゲアトルーズ」1964年も見てみたい。

○ 2003/12/11(Thu)
今日は寒い。
KAKの解体の下見の為に、無人の家に30分くらいいたが、本当に冷えきってしまった。
解体屋さんも言っていたが、やはり人の暮らしてない家は寒い。蓄熱されていた熱が、完全に放熱されてしまうからだ。
午後からKARの概算見積り用図面作業。半日キャドで図面を書いていると、右手が麻痺してくるようだ。もうさすがに、一日ぶっとうしで図面作業はできないな。
ラジオでは、明日は18度まで気温が上がると言っている。今日と10度違うそうだ。凄い天気だ。

○ 2003/12/12(Fri)
昨日、一昨日と、夜食事をしながらBSで小津安二郎の映画を、なんとなく見てしまった。
昨日が「秋刀魚の味」1962年。一昨日が「彼岸花」1958年。途中からなんとなく、なんていう見方は良くないのだろうが、それでもちゃんと見た感じになる。こんなタイプの映画がもうひとつある。フーテンの寅さん「男はつらいよ」シリーズだ。小津の後期の作品と寅さんのシリーズはどの作品も、筋立てや出演者、カメラアングルやシーンのつながりが一緒で、集中していなくても安心して見られる。松竹らしい映画だ。
そうは言っても「秋刀魚の味」佳作だと思う。その時代の持つ雰囲気を、とても上手く映画のなかに封じ込めている。笠智衆扮するサラリーマンが、海軍で元部下だった今は自動車修理工(加東大介)に出会い、2人は自動車修理工のいき附けのトリスバーに行く。そこで戦時中の思い出話しをし、軍艦マーチをかけてもらう。
子どもの頃、日曜日の夕方にパチンコ屋にいる親父を呼びに行く度に、なんで軍艦マーチがかかっているのだろう、と思っていた。単に勇ましくあおってるのかな、とも思っていた。でも昨日このシーンを見て、そうか戦争に行っていた親父達には、軍艦マーチは懐かしく、そんな年代の客が当時の客だったことに気付いた。
「秋刀魚の味」に映し出される風景は懐かしく、でもたかだか40年前の風景だ。この映画を見ると、その頃の時間が流れるスピードや空気の匂いなどを思い出す。そんな60年代という「現在」が封印されている。
そう考えると、寅さんが旅をするのは、そんな時代をいつも探し求め、旅しているようにも思えてしまう。
今日は、小津安二郎、生誕100年。没後40年。同じ日に生まれ去っていった人だ。

○ 2003/12/13(Sat)
午前中、中野区上高田のオープンハウスに自転車で。梁山泊の稽古場「芝居砦・満天星」のすぐ側だった。年末だから、この2、3週の週末はオープンハウスだらけらしい。
近くに「たきび」という歌の、「かきねのかきねの曲り角・・・」のモデルとなっている、かきねの家があると、教えてもらったので、見に行った。こんな町中に、まだ武蔵野の面影を残す家が残っているのかと、びっくりした。でも思い出してみれば、子どものころころには、このような家が沢山あったように思う。実際今でも、阿佐ヶ谷や高円寺のこの近所に、すずめのお宿のような家や、木の下見張りの家がいくつかある。
14:00「映画『無法松の一生』と完全復元パフォーマンス杉並公演パート2-切り裂かれた十八分。」セシオン杉並大ホール。阿佐ヶ谷在住の映画評論家・白井佳夫さんが長年続けている公演。戦時中日本の、戦後アメリカの検閲でカットされた十八分を、シナリオの朗読で再現しようと言う試み。詳しくはホームページを見ていただければ、と思う。阪東妻三郎が大好きで、この映画も見ていて、カットされていることは何となく知っていた。映画を見た後、朗読で再現されるシーンは、画面がないからか、より頭の中に場面が浮かび上がるようで、すごく豊かな印象が残った。凄く手作りの、アナログな試みだが、その手作りさがとても力強い。
http://members.jcom.home.ne.jp/muhoumatu-suginami/
19:00先日出版された「厳選・建築家名鑑」の出版パーティー兼忘年会。新宿・銀座ライオン。
盛り沢山の一日だった。

○ 2003/12/14(Sun)
牛筋を煮る。インディアンサマー
ビデオにとっておいた、小津安二郎の「風の中の牝鶏」(1948年)を見る。
後期の鎌倉シリーズとは全く違う、凄まじい作品。
ラストシーンがとてつもなく美しい。
http://www.ozu100.jp/list.html

○ 2003/12/15(Mon)
今日は一日事務所。
KAR立面検討。TER概算用設備指示書ファックス。BAB基本計画プレゼン用図面+模型フィニッシュ。
「龍馬の手紙‐坂本龍馬全書簡集・関係文書・詠草」宮地佐一郎/講談社学術文庫、購入。

○ 2003/12/16(Tue)
午後NIS現場。家具が半分ぐらい入った。外部のコンクリート壁も塞がった。完成に着々と近付きつつある。
夕方、ユーロスペース「ゲアトルーズ」カール・ドライヤー1964年。愛と孤独についての話。主な登場人物は4人。ゲアトルーズという女性を中心に、3人の男性との関係が描かれる。ほとんどのシーンで、この4人のなかの2人がソファに座り、2人とも正面を向いて会話を交わす。室内のセットが独特の雰囲気をつくり出していた。
連続上映に合わせ、集中的にドライヤーの作品を3本見た。非常に高い精神性を、映像で追求してるように感じられた。映像のひとつの可能性を体験したが、いろんな意味で、現在このような映画を作ることは難しいだろうとも、感じた。

○ 2003/12/17(Wed)
11:00モダンリビングのインタビュー。2月号の「30代が建てる家」という特集の、狭小敷地に建てる家について。
夜、新宿梁山泊の忘年会。久々の顔もちらほら。照明のショウコさんとは、本当に何年振りだった。ショウコさんは今フィリピンに住んでいる。最近現地で、倉庫を劇場にコンバージョンして、そこを拠点に演劇のテクニカルなワークショップを開いているそうだ。資料を見せてもらったが、凄く充実している。東南アジアには、このようなテクニカルなワークショップがなく、フィリピン以外の国からも参加者がいるそうだ。参加者はプロだけでなく、アマチュア、全く芝居と関係の無い人、子どもたち、と多岐に渡っている。倉庫の改装や、運営の経費で借金を抱え、自分のプライベートな時間などないそうだ。でも、とても充実した活動だと思う。自分もなにか始めたい、と思ってるが、始めるなら生半可な覚悟では始まらないのだろう。
梁山泊らしい、手作りの楽しい忘年会だった。

○ 2003/12/18(Thu)
KARの構造がなかなか決まらない。面白そうな案は出るのだが、コストが本当に限られてるので、決めきれない状態。そうも言っていられないが。
19:00、同じく設計をやっている荒木さんと、下北沢の井上さんの設計事務所を訪ねる。10年以上前に3年くらい暮らしていたあたりに、井上さんの事務所はあった。その時、茶沢通りにあるPOSYと言う店で、旗揚げ直前の梁山泊と知り合った。いろんな事があった時期で、町だ。
荒木さん、井上さん、小高さん、彼らのスタッフと建設会社の曽田さんで飲み会。二次会にレディージェーンへ。そこに、松本さん、泉さん参加。久々の下北沢だった。この一年くらい、外で飲む事が少なくなって、夜外出するのがおっくうになっていたが、たまには良いものだ。

○ 2003/12/19(Fri)
やはり、昨日、一昨日と二日続いて飲み会があると、今日はとても疲れてしまってる。年か。
NIS現場。床仕上げが始まった。床が仕上ると、また様相が変わる。良くなってきている。
その後、KOBの竣工図の原図を持って、KOBの担当の吉野さんの現在の現場事務所・恵比寿を訪ねる。

○ 2003/12/20(Sat)
午前、KAKの打ち合わせ。
そのまま、新井薬師のオープンハウスへ。

○ 2003/12/21(Sun)
13:00、 大和町へ来客。梁山泊のメンバーが、大阪でおつきあいさせていただいている方の紹介。阿佐ヶ谷在住で、家を作ろう、と考えている御家族。今まで建売りとかを見ていたが、大阪の友人の方から、設計事務所と一緒に家作りを考えてみたら、とアドバイスを受け、訪ねていらした。家作りのひとつの選択肢としての、設計事務所の良い所、大変な所をお話した。
15:30、BABの初めてのプレゼン。模型を嬉しそうに持って帰られたので、ほっと安心。

○ 2003/12/22(Mon)
年末調整の資料を持って、自転車で、荻窪の会計士事務所へ。
今読んでいる、「都市のかなしみ」鈴木博之著より
「いま、世界が一つになったといわれる時代に、われわれは初めて自らの未来のイメージを作り上げなければならなくなってきた。なぜなら、外国のイメージはすでに日本に氾濫しているのだから。これからの一〇〇年のなかで、われわれはゆっくりと、自分たちの都市と建築のイメージを求めなければならないのであろう。」 

○ 2003/12/23(Tue)
11:00、新聞の懸賞で当った「十二月大歌舞伎」歌舞伎座。
十月の時と同じ、三階の一番後ろの席。
演目は舞妓の花宴(しらびょうしのはなのえん)・実盛物語・道行旅路の嫁入(みちゆきたびじのよめいり)・西郷と豚姫。実盛物語の新之助が良かった。
夜の忘年会まで時間があったので、16:30、京橋のフィルムセンターへ。フィルムセンター、何年ぶりだろう。多分、高校の時よく通っていた時以来か。新しくなってからは初めてだ。今、小津安二郎の現存するフィルムの連続上映を行っている。今日は「突貫小僧」1929年と「その夜の妻」1930年。どちらも白黒・無声。  前者は14分の短編喜劇。人さらい(懐かしい言葉だ)がさらった子が、とんでもないわんぱくで、人さらいが散々な眼にあう。始終笑いが起っていた。後者は良く出来たフィルムノアール。画面に映る台詞は本当に少なく、でも逆に見ている者の想像を掻き立てる。画面は本当にモダンで、しゃれている。
18:30、中野坂上「まこと」の忘年会。10年位前、中野坂上に住んでいた頃、良く通っていた飲み屋さんだ。最近では、一年に一回この忘年会でお邪魔するようになってしまったが、懐かしい顔が集まった。
ともかく、忙しい一日だったが、なんだか疲れず、気分がリフレッシュした。

○ 2003/12/24(Wed)
13:00、EMO工事契約の最終打ち合わせ。クライアントと建設会社が来所。
その後、その建設会社に手伝ってもらい、KARのレベル測定に行く。
全面道路が坂道で、計画詰ってきたので、斜線検討をシビアーにする必要が出てきた。

○ 2003/12/25(Thu)
午後、NIS現場。明日はいよいよ区役所の検査。役所も年末最後の検査日だそうだ。工事は年末まで続くが、検査が終わると、今年も一段落だ。
坂下は毎日現場に行っている。この二三日は、どんどん仕上ってく、という感じらしい。今日から、階段脇のステンレス張りが始まっていた。この工事が完成したら、どう化けるか、楽しみだ。
KARも方向が見えてきた。ただ、敷地までの道が細く、地盤もあまり良くないので、地盤改良や杭がどのような工法が可能か今調査中で、その答えによっては、また考え直す必要になるかもしれない。

○ 2003/12/26(Fri)
14;00区役所の完了検査。写真提出の指摘が一点で、無事検査合格。特には問題点は無いとは思っていたが、やはり終えるとほっとする。
19:30渋谷で、昔からの知合いの設計事務所が集まって、忘年会。懐かしい顔もあり、けっこう飲んだ。

○ 2003/12/27(Sat)
昨日、夜、忘年会から二次会に移動中に、昼間電話もらっていたYさんに、電話したらしい。というのも、11:00過ぎ、事務所にYさんとそのスタッフの方から、相次いで電話あり、どうも話が噛み合わない。聞けば、前の晩に電話で、吉祥寺にある地下スペースを、小劇場に出来ないか見て欲しいので、今日10:00に連絡取り合おう、と言う事に決めたらしい。電話した事すら憶えていない。危険だ。今日は予定が入ってたので、平身低頭で、29日にしてもらう。
夜、NISのクライアント御家族に忘年会のお誘いを受けており、三宿の焼肉屋さんに連れていってもらう。坂下、チェ・ミキ同行。焼くと言うより、あぶるくらいで食べる焼肉、美味だった。

○ 2003/12/28(Sun)
年賀状のピックアップと、窓拭き用のクレンザーを買いに、代々木がらハンズへ。
高円寺で門松と輪飾り。
午後、窓拭き。
有馬記念、一着・四着。残念。

○ 2003/12/29(Mon)
先日失礼した、吉祥寺の件。13:00に吉祥寺。消防とか問題なければ、良い小劇場スペースになりそうだ。
年明けから、消防などに打診して見る事になる。
阿佐ヶ谷、パール商店街のブックギルドで「HANA-BI/北野武ギャラリー」TOKYOFM出版。文字道理、北野武の絵画集。その内何点かは、映画「HANA-BI」に使われている。

○ 2003/12/30(Tue)
年賀状の住所整理。

○ 2003/12/31(Wed)
年賀状の発送。
御多分にもれず、年越し天婦羅そば。

事務所概要

自己紹介

住宅設計について

家つくりを考えている方へのメッセージ

大塚 聡・略歴

大塚聡アトリエ・略歴

作品掲載誌

受賞

浅草九倶楽部+浅草九劇・2017

エンガワの家・2012年

改修・隠れ家リトリート・2011年

下北沢の家・2010年

経堂の家・2009年

高尾の家・2007年

中野中央の家・2005年

白州の週末住宅・2005年

北沢の家・2004年

桜新町の家・2004年

遠州浜の家・2002年

軽井沢のゲストハウス・2002年

大和町の家・2000年

深沢の家・1997年

計画案・MYOプロジェクト

コンペ優秀賞・暮しの道具

コンペ案・三次市民ホール

コンペ案・沖縄県看護協会

設計のプロセス

以上が設計のプロセスですが、より詳しくは以下のQ&Aも参考にして頂ければ、と思います。

はじめに

関町の家・建て方

小岩の家・実施計画

小岩の家・内装

小岩の家・鉄骨階段

小岩の家・上棟

小岩の家・木造部分建て方

小岩の家・地下コンクリート壁

小岩の家・根切り+耐圧盤

小岩の家・基礎地盤補強工事

小岩の家-1

空間造形4 写真ギャラリー案内

一次掘削

地鎮祭

魑魅魍魎の生息地帯

坊主No.2

坊主No.1

はじめに

「鉛の心臓」 紅テントの虜に

「唐版 犬狼都市」紅テント洗礼

武蔵野大学環境学部環境学科住環境専攻・都市環境専攻

OZONE家つくりサポート

新宿梁山泊

紫水'DANNA'勇太郎

株式会社ワークス WOORKS Inc.

居待月〜the 18th. moon