○ 2004/1/1
新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
西荻の実家へ。
荻窪八幡へお参り。
『「明治」という国家』司馬遼太郎(NHKBOOKS)を読みはじめる。
年末、事務所の片づけをしていたら、出てきた本だ。
途中まで読んでいたようす。また、最初から読みはじめる。
○ 2004/1/2
チェ・ミキの浜松の実家へ。
○ 2004/1/3
浜松より帰京。
○ 2004/1/4
昨年買った本などの整理。
○ 2004/1/5
午前、事務所へ。
頂いた年賀状などの整理。
午後NISの現場へ。
今日、クライアントの本だけの引っ越し。
将来10.000册の収納を目標に作った本棚が、半分ぐらい埋まった。
本が入ると、ぐっと住宅らしくなってくる。
○ 2004/1/6
昼、KAKのクライアントと高円寺で少し話す。
スタッフは今日まで休み。明日からスタッフが出てくるので、細々とした雑用と賀状の返事。
銀行、郵便局へ出たついでに、自転車で杉並中央図書館。
○ 2004/1/7
今日から、スタッフ出社。
年末から新年を挟んで、1週間以上空いているので、現状の確認をする。
私がNISの竣工を控えてるので、いくつかある仕事が、旨くローテーション組めない。
後2週間くらいしょうがないか。
しかし、5日からの新年、あまり穏やかなスタートとは言えない。
○ 2004/1/8
KAKのクライアントが、今お住まいのところへ、家具の寸法などを計りに伺う。
場所は杉並の松庵。駅で言えば西荻窪。
自転車で30分もかからない。ただ、今日は風が強く寒い。前から風が吹いてくると、進むのも大変だった。
帰りに書店で「東京人・2月号/特集・中央線人による文化人類学 中央線の魔力part4」購入。
ちなみに、「東京人」の中央線の魔力part3には、私、ちょこっと、写真に登場してます。高円寺の大将で飲んでいる所を、写されてしまった。撮影は、あの都築饗一さん。閑な方は、探してみて下さい。
○ 2004/1/9
午前KAK、スケッチ。
午後NIS現場。
オーディオのセッティングも終わり、中庭には高麗芝が敷き詰められた。
階段の脇の壁に張られた、鏡面のステンレスの養生も外れ、様相が一変した。
ナチュラルでおおらかだった空間が、きゅっとしまった感じがする。大成功。
もう完成だ。後は来週、ソファやベットなどの家具が入る。楽しみだ。
○ 2004/1/10
TER打ち合わせ。概算見積を基に、予算の確認。
夕方、浜松よりチェ・ミキの兄家族5人(子供3人)、大和町に来る。
明日、劇団四季の「ライオン・キング」を見に行く為に、来京。
○ 2004/1/11
「ライオン・キング」が13:00からなので、その前に渋谷のユーロスペースに「ミトン」を見に行く。1967年、旧ソ連、ロマン・カチャーノフのマペット・アニメーションで、10分の作品。同時に同じ監督の、「レター」と「ママ」が上映される。三本合わせて、30分。会場は満員。台詞が一切無く、映像と音楽で構成されたアニメーションは、見る方の想像を誘う。単純なストーリーだが、いろいろな感じ方が出来る。立ち見だったが、あっと言う間に終わってしまった。特に「ミトン」は秀逸だった。 16:00、妙蓮寺のおばさん、大和町に。夕方「ライオン・キング」から戻ってきた、兄家族と高円寺の中華料理屋へ。
○ 2004/1/12
朝、兄家族は、上野の科学博物館へ、恐竜の展示を見に出かけた。
12:00、NIS現場。事務所、施主検査。夕方まで。いよいよ来週末、引き渡しだ。
夜、大和町に帰ると、静かになっていた。兄家族は午後一番で、浜松へ発ったそうだ。
台風一過、と言う感じだ。
○ 2004/1/13
午後、EMOの工事担当者が来所。
EMOは明日、地鎮祭。工事前の注意事項などを打ち合わせ。
昨日の検査の際、NISの増減見積が出てきたので、チェック。
年明け、2週目も、いろいろな事が同時に進行し、慌ただしく過ぎていく。
少し立ち止まりながら、進めていかないとまずい、と思いながらも、物事はこちらの思惑と関係なく、進んでいく。
○ 2004/1/14
午後、徐々に進めているK+Oの確認のために、再度敷地を見に行く。
中野なので、自転車で。今日も風が強く、向い風になると進むのが大変だった。
最近、自転車で西は西荻窪、東は中野・東中野の間を行き来する事が多いが、この間の街、似ているようで少しづつ違う。その違いを、自転車ですり抜けていく感じは、電車に乗ってしまうと感じられない感覚だ。
帰りに、事務所近くの古書店で、映画監督ジャック・タチとアキ・カウリスマキの、昨年特集上映された時に出た、ガイドブック入手。
○ 2004/1/15
11:00、EMO地鎮祭。
風があったが、日溜まりのなかで無事修了。
午後、吉祥寺に小さなホールをつくる為に、主催者と不動産会社の人と、消防所と役所を廻る。
K+O、昨日夜、多くのバリエーションが生まれそうな、ひとつアイデア浮かぶ。焦らず、つめてみたい。
KAK、解体が始まる。
○ 2004/1/16
朝、NISの現場。
植栽も終わり、あとは引き渡しを待つばかり。現場ではクリーニングが進められている。
午後、坂下とNISの増減のチェック。
○ 2004/1/17
NIS、クライアントの御好意で、知合いの設計事務所に限った、ささやかな見学会。
粉雪降る寒い日だったが、途切れる事なく、お客さんがあった。寒いなか、ありがとうございました。 夕方から、クライアントと増減の打ち合わせ。
○ 2004/1/18
12:30。NIS引き渡し。
昨日と打って変わって、良い天気。
引き渡し後、取扱い説明。15:30頃まで。
終了後、坂下と新宿のオイスターバーで、お疲れの乾杯。ビールの次に頼んだ、日本酒が疲れを誘う。小一時間で、お疲れ会も終了。
青山ブックセンターで、「ヴェイユの言葉」冨原眞弓 編訳(みすず書房)、「江戸前「握り」」荒木水都弘/浅妻千映子 (光文社新書)。
後者は、NISのクライアントに連れてって頂いた、寿司屋さんの本。とてつも無く、美味しい寿司だった。
○ 2004/1/19
朝、大学の先輩の宮沢さん設計の住宅の現場を見せてもらう。
その後、植田実さんの建築学会賞受賞を記念して、田町の建築会館で今日まで建築会館で開催されている「『都市住宅』再読・植田実の編集現場」に行く。
我々が学生だった頃、刊行されていた「都市住宅」(1968創刊)はとても刺激的な雑誌で、建築を住宅や都市から考えようとした様々な試みが、記録されている。当時建築界において、住宅は今のように市民権を得ておらず、でも今世界的に活躍している、我々の一世代上の建築家が、住宅の現場で果敢な試みを繰り広げていた。
同時に、デザインサーベイや都市を読み取る作業が、地道に続けられていた。保存についても、この頃から話題に上がるようになった。
展示されていた誌面を改めてみて、わくわくしてきた。さっそく手元にある物を、もう一度見返してみよう。中央線の沿線でなにかできないか、と思っている事の、ヒントになりそうだ。
一瞬だが、植田さんのおめにかかれた。
○ 2004/1/20
K+O、いろいろな案が出てきた。
小さい住宅の面白さが、ひたひたと滲み出てきた、という感じだ。
これをもう一歩深められるか、それが問題だろう。
KAK、基本計画2次案。
○ 2004/1/21
11:30、吉祥寺の建物の地下のスペースを、小劇場にできないかという打ち合わせ。武蔵野市役所へ。
夜、モダンリビングの次号の校正原稿がファックスで送られてくる。すぐチェックバック。
○ 2004/1/22
10:00、松庵でKAK基本計画打ち合わせ。
午後、東京オペラシティーのジャン・ヌーベル展に行く。環境をつくり出しているように感じた。「非物質化」と言う事を言っているが、ときにその形態は、とてもエロチックで、根源的なかたちとなって顕われている。
17:30、NISを施工する建設会社で、初めての打ち合わせ。その後顔合せ会食。二次会で新宿まで飲みに行ってしまった。
○ 2004/1/23
昨日は、それ程きつい酒を飲まなかったが、長い時間飲んでいたので、今日は朝つらい。
昔は、2時3時まで飲んでても大丈夫だったが、弱くなった。
今日は一日事務所で、いろいろな計画の見直し。
ちょっと買い物に出たついでに、書店に寄ったら、「空間の行間」磯崎新・福田和也(筑摩書房)が眼についた。タイトルどおり、空間=日本建築・行間=日本文学についての、2人の対談。手にとったら面白そう。今読んでる「『明治』という国家」につながりそうな感じがする。今年の日本の歴史に対する興味、いつまで続くか。
○ 2004/1/24
10:00、坂下をKAKの敷地に案内。その後、喫茶店で打ち合わせ。手伝ってもらう事になる。
16:00、写真家の新さん、来所。竣工した物をいくつか撮ってもらう予定。
新さんが撮影した写真が、2月11日から目黒区美術館で開催される、「建築家 村野籐吾のディテール/旧千代田生命本社ビル写真図面展」に展示されるそうで、そのチラシとチケットを持ってきてくれた。
目黒区美術館で以前出した、「活字」という本を「室内」で見つけて、購入した事があったが、その本も新さんが何点か写真撮影を担当していた。どっかで繋がっていくものだなあ。
○ 2004/1/25
新年になって、土日も仕事が続いたが、久々になにも無い日曜日。
でも、朝8:30頃目がさめてしまう。午前中自宅で、K+O、TER、KAKの図面チェック。月曜日にスタッフと打ち合わせする内容をまとめる。
12:00、テレビで大阪国際女子マラソン。優勝した坂本選手に対し、解説の陸連関係者は、タイムのことより後半スピードが落ちなかった事は素晴らしい、と盛んに言っていたが、なんだか選考の言い訳をしているようだった。いつも問題になるマラソンの選考、もっとスッキリできない物か。マラソンを見るのが好きなだけに、走る選手が可哀想に思えてくる。
夜、借りてきたビデオで、「パラダイスの夕暮れ」アキ・カウリスマキ(1986)を見る。アキ・カウリスマキも昨年連続上映があった監督。全くなにも知らずに見たが、ちょっと藤田敏八が活躍していた日活(ということはロマンポルノが盛んな頃か)の映画のようだ。色使い、バックに流れる歌の使い方が独特だった。引き続き見てみよう。
○ 2004/1/26
午後、昨年7月に完成したKOBの取材立ち会い。(「新しい住まいの設計」5月号/3月21日発売予定) 完成から半年、住まいこなしている感じだった。大人のスペース、家族のスペース、子供達のスペースが使われる事に依り、それぞれ個性を発揮してしていた。子供室の上にあるロフトは、かわいい遊び場になっていた。
昨日で「『明治』という国家」読み終わった。建築の歴史の研究室を出ているのだが、昨年末から読んでいるいる本に依って、今になって、歴史の面白さが少しわかるようになってきた。23日の日報に書いた「空間の行間」に移る前に、昨年梁山泊から手渡された「梁山泊版・『どん底』」(作・ゴーリキー/脚色・梶原涼)の台本を読んでしまおう。オリジナルの岩波文庫の「どん底」も、同時進行で読んでみる。
○ 2004/1/27
10:00、HON-Kのクライアント宅へ。ゲストハウスの浴室廻り、個室のテーブルとパネルヒーターの追加の打ち合わせ。
その後は夜まで事務所。
○ 2004/1/28
10:00、吉祥寺の小劇場候補のスペースについて、打合せに現地に行く。
昼事務所に戻り、いくつかの雑用。
郵便局に行くついでに、書店で「VOGUE・NIPPON」3月号を見る。衣装の観点から、ピナ・バウシュが取り上げられている。「カフェ・ミュラー」のピナ自身のダンス写真を含め、ヴッパタール舞踊団の女性ダンサーの写真が沢山掲載されていた。
「どん底」梁山泊版・ゴーリキイ版、了読。カール・ドライアーの映画「奇跡」が思い浮かぶ。
○ 2004/1/29
1日事務所。
TER、K+O、KAK、KARのエスキス。
「空間の行間」読み始める。
○ 2004/1/30
10:00、EMOの定例打ち合わせ。幡ヶ谷の建設会社で。
帰りに、新宿の青山ブックセンターで、「現代住宅研究」塚本由晴+西沢大良(INAX出版)、「ポートレイト・イン・ジャズ」和田誠+村上春樹(新潮文庫)。
昼、事務所に戻る。金守珍監督の第2作目の映画のシナリオを、梁山泊の伸子さんが届けてくれていた。
そういえば、書くのを忘れていたが、今毎週月〜金曜日、お昼の13:00から13:30までTBSで放映中の「コスメの魔法」に、梁山泊の三浦伸子・梶村ともみコンビがレギュラー出演中です。来週は、ウイークリーのゲストで、近藤結宥花と原昇が出演。ぜひ御覧下さい。
○ 2004/1/31
13:00に大和町に、クライアント候補のNさんがみえるので、午前中片付け。
本を整理していて、3年前くらいに手に入れた「サイレント・ガーデン」武満徹著が眼についたので、地下から2階に持ってきた。
13:00、Nさん御家族みえる。今、土地を探し始めたところ。現在、下北沢にお住いとのことで、私も10年以上前、下北沢に暮らしたことがあり、そこで梁山泊と知合った。同じ街に暮らしたり、同じ街が好きだったりすると、とても気持がわかるような気がする。たまたま今日から、シネマ下北沢で「夜を賭けて」の最終スクリーン上映も始まる。
Nさんと、好きな空間について話していて、これからちょっと考えてみたい事に対するヒントをもらった。
15:00、BAB。クライアント打ち合わせ。昨年末に提出した、3案のひとつに決め、少し細かい部分の摺り合わせ。
○ 2004/2/1
午前中、「サイレント・ガーデン」を読む。「滞院報告・キャロティンの祭典」という副題がついている。1995年、武満さんが癌で入院していた時の日誌と、病床で考えたレシピが1冊の本になっている。とても美しい本だ。
「沈黙の庭・サイレント・ガーデン」とは、6月26日(月)に、うとうとしているが眠れず、目覚めていた間に考えていた、退院したら書こうと思う作品のタイトルのひとつ。
7月4日(火)「あとは少しでもおだやかな、平和な生活。まだいらいらしたりする本来の気質がすぐ顔をのぞかせる。いかんいかん。そして、自分の内に音楽、外には音楽は不要。」
この時期大好きな、「翼-武満徹ポップ・ソングズ」石川セリの録音が行われいて、そのテープを病院で聴いたことが書かれている。そのCDを聴きながら、途中まで、滞院報告を読んだ。
夕方、買い物。牛筋1キロ。手羽元。
○ 2004/2/2
ひさしぶりの雨。
終日、事務所でいろいろな計画の検討。
1月は4週目くらいまで、ゆったりと時間が流れていたように感じたが、最終週はあっという間に過ぎて、もう2月、という感じだ。
○ 2004/2/3
9:30、坂下がKAKの模型届けてくれる。
15:00、永福町でKAKの打ち合わせ。
クライアントと、1時間ぐらい住宅展示場をのぞいてみる。
好きな雰囲気、色などを聞かせてもらう。
しかしモデルハウスは広すぎる。しかも変なところが広い。営業の人にきくと、実際に建つ家は、そう言う部分は普通の広さになってます、という。じゃあモデルハウスはなんなのだろう。しかし逆に見れば、それでこそモデルハウスの機能を果たしている、ともいえる。いずれにしても、そういうモデルハウスに憧れ、家を建てる人もいるのだから、様々だ。
喫茶店で打合せ後、浜田山から一度乗ってみたかった「すぎ丸」(阿佐ヶ谷と浜田山の間をシャトル運転しているミニバス・100円)で、事務所に戻る。周りが暗くなっていたので、今度は明るいときに乗ってみたい。杉並も結構くねくねした細い道だらけだ。阿佐ヶ谷住宅、なかなか良い。
○ 2004/2/4
一日事務所。
EMO工事スタートしたが、一番初めの地盤改良に時間がかかってしまっている。
週末のプレゼンに向け、可愛い模型ができつつある。
○ 2004/2/5
様々な計画が同時進行中なので、朝から自分のなかで整理してみた。
頑張れば、面白くなりそうなものが沢山ある。
午後、杉並区役所。KAKの狭隘道路申請がおりたので、取りにいく。
書店で「キネマ旬報・2003年度ベスト・テン発表」、「東京人・200号記念・東京からなくなったもの」。
事務所近くの古書店で「言わなければよかったのに日記」深沢七郎(中公文庫)、「遠野物語の原風景」内藤正敏(ちくま文庫).
後者はチェ・ミキへ。
この古書店、品揃え、回転ともに、本当に素晴らしい。店の名前を見てくるの、また忘れてしまった。
○ 2004/2/6
10:00、EMO定例会議。建設会社にて。
同じ会社に、KARの概算見積を依頼してあったものがでてきた。何度か構造を変え、やっと予算にあいそうな状況になってきた。
建設会社からの帰り道にある古書店を覗く。「日本映画の現場へ」リュミエール叢書3・山根貞男(筑摩書房)、「戦争と建築」五十嵐太郎(晶文社)。
今、寝る前に植草甚一さんの手書きの日記を読んでいるが、植草さんは散歩が好きで、そのついでに、古書店に立ち寄る。日記には例の独特の文体で「・・・急に・・の・・書店に行きたくなり、フランスの雑誌5册。3500円。」のような書き込みが、ほぼ毎日ある。毎日とはいかないが、気分は植草だ。 新宿で乗り換えのついでに、私的に懸案だったスピーカー・アンプ・プレイヤーの買い替えの情報を集めようと、オーディオ・ユニオンへ。いろいろ決めかかるが、事務所に戻り、NISでオーディオビジュアルの計画・設置をやってもらったクリオネの高杉さんに相談。要望を話したら、さっそく提案してくれ、夕方には決めてしまった。高杉さんの提案のスピーカーは、ZINGALIというイタリアの会社の物で、ジンガリとはイタリア語で、ジプシーのことで、そのネーミングに先ずまいってしまった。かたちもチャーミングだ。
○ 2004/2/7
午前中、K+Oのプレゼンの準備。
14:30、K+O打ち合わせ。模型を喜んで持って帰っていただいた。
18:30、武蔵境の武蔵野スイングホール。オ・スノディ3兄弟のライブ。伝統的なアイルランドの音楽を、現代的な演奏している。ギターも開放弦にしたり、打楽器の演奏が凄い。最後の曲、彼らのリードで、独特なアイリシュのテンポの早い演奏に合わせ、手拍子する。そのスピード感と緊張感がとても心地よかった。参加してはじめて楽しめる音楽だ。
○ 2004/2/8
先日、日報にも書いた、深沢七郎の「言わなければよかったのに日記」。拾い読みしているが、面白い。
あまりに、面白いので、書き写す。
『正宗先生にはいつも失敗ばかりだ。まずいことばかり云ってしまって失礼なことばかりだ。だいたい、一番はじめに先生の千束のお宅へ行った時、お庭に池があるとばかり思って行ったのだが、池などないのである。(変だな?)と思いながらドアの前に立った。お庭は広く、山の中にあるような高い木があるけど池がないのは意外だった。(この先生と白鳥では、どんな関係があるのだろう?)と不思議に思った。ボクはバレーの「白鳥の湖」か「瀕死の白鳥」に関係のある人か、白鳥の好きな人だとばかり思っていたのに。
椅子に腰かけて話をして下さるのを聞いているうちに気がついたのは、銘酒で有名な菊正宗の本家の跡取り息子にでも生まれた人ではないかと思った。そんなふうな、大家の家柄の生まれの人だと気がついた。そう思えば先生の生まれた家には白鳥が住んでいるような池があるような気がしてきた。念のために、
「先生は酒の・・・・、菊正宗の・・・?」
と伺うと、
「ボクはそんな家と何の関係もないよ」
とおっしゃった。今、考えても、まずいことを云っちゃって、と悔やんでいる。』
この日記が出版されたのが、1958年。時に深沢七郎44才。2年前に「楢山節考」で第1回中央公論新人賞を受賞し、文壇デビューしている。この日記は、「畏敬する作家たち正宗白鳥、武田泰淳、井伏鱒二などとの奇妙でおかしい交流を綴る。生涯を自然流に生きた異才の抱腹絶倒の文壇登場日記他。」と背表紙にある。
まさにその通り。よい本を手にとった。
そんな気分で、夕方買い物へ。高円寺、商店街の八百屋や肉屋、買い物客が一杯で、よく見るといろんな人がいる。いいまちだ。
○ 2004/2/9
12:00、KARの予算について打ち合わせ。概ね了解を得て、先にすすめる事になる。
14:00、吉祥寺の小劇場の打ち合わせ。まだどうなるかわからないが、とにかくスペースを借りる交渉を、引き続き進めていく事になる。
○ 2004/2/10
午前中、郵便局や図書館、雑用。
16:30、六本木、構造の吉田さんの事務所で、KAK、TERの構造打ち合わせ。
18:30、新宿で同時期に同じ建設会社で工事が進んでいた、先輩の宮沢さんとスタッフ、坂下、建設会社の担当者、営業、集まりお疲れ会。
○ 2004/2/11
朝起きたら、風邪をひいている。どうしようか迷ったが、大丈夫だろうと、神保町・岩波ホールへ「美しい夏キリシマ」を見に行く。
10:30にチケットを買って、近くの古書店を廻ろうとしたが、休日で、ほとんどの店が11:00開店。岩波ホール近くの、特価本屋で「愛しのチロ」荒木経惟(平凡社ライブラリー)、「美しい映画になら微笑むがよい」川本三郎(中央公論社)。前者は遅ればせながら、後者はアジアの映画を中心に書かれ、アジアの監督9人へのインタビューもはいっている。「ペパーミント・キャンディー」のイ・チャンドン、「八月のクリスマス」のホ・ジノも含まれている。
11:30「美しい夏キリシマ」満員。年輩の方が多い。今は、歳をめしたかたのほうが、若い人達より、好奇心旺盛なのではないか。
映画、美しかった。台詞のなかに、「美しい物が何故美しいか、きちんと言えないもどかしさ」というはなしが出てくる。そのように、周りから説明的に形作っていく美しさでなく、そこにそのまま有る事の美しさがあった。できれば、スクリーンで見たい映画だ。それくらい画面が素晴らしい。
見終わったら、かなり風邪がまずく、新宿での雑用あきらめ、家に帰る。
寝ながら見ようと、「僕のスゥイング」トニ?・ガトリフ監督。篠籐ゆりさんから教えてもらった映画。ロマ(ジプシー)のギターにひかれた男の子の話。その男の子が好きになる、スゥイングという名のロマの女の子が、とても可愛い。ギターも良いし、小粒だが佳作だ。
家に、ZINGALI(スピーカー・イタリア語でジプシー)が届いた。
○ 2004/2/12
風邪、まだ思わしくない。咳と鼻。
午前、姪が高校、第一志望合格とのこと。おめでとう。
先日取材してもらった、KOBの校正原稿が扶桑社から届く。
14:00、大久保、構造の山崎さんの事務所へ。KAR、BAB、K+O、三件の打ち合わせ。
その後、新宿へ雑用。今日は18:00でギブアップ。
○ 2004/2/13
良く寝て、早く回復するよう心掛けているが、なかなか。
扶桑社の校正原稿チェックバック。
午後、KAKの法解釈確認に杉並区役所へ。近いとても便利だ。
今日は、東京ワンダーサイトのコンサートに誘っていただいていたが、鼻を啜ったり、我慢できず大きなくしゃみをしたりで、行ったとしても周りに迷惑をかけそうなので、失礼させていただく事にする。
○ 2004/2/14
今日は14:00から、拙宅・大和町の家に、中央線な人達が集まって、中央線沿線で何かできないかを考えてみよう、と言う会合。
午前中は家の片づけと、会合のための買い物。
中央線沿線に住む、プロダクト・インテリア・建築の仕事をしてる人が、10人弱集まって、飲みながら話した。19:00、残れる人だけで、高円寺大将に場所を移す。
大将は、私が勝手に、ここを住宅にしたら、と思っている場所。22:30頃解散。
○ 2004/2/15
10:30、井荻。一度住宅の相談にみえた事のあるHさんと待ち合わせ。
土地を探していたら、奥さんの実家のそばに、築後10年弱の建物付きの土地が出てきたとのことで、構造や設備的に大丈夫か、アドバイスに同行。
井荻は、家から自転車で20分。
12:00、家に戻る。
午後、先週届いた、スピーカー・アンプ・プレーヤーの梱包を解き、セッティング。これが思ったより重労働。16:00、やっと音が出るが、新しいスピーカーの接続の仕方解らず、とりあえず古いスピーカーを使用。
25年ぶりに、レコードを聞いた。
夜、テレビで寅さん。
○ 2004/2/16
坂下からファックスが入っており、金曜の夜、転んで顎の骨を折り入院、とのこと。水曜日が手術だそうだ。でも、26日には退院の予定らしい。
忙しい時に困ったものだが、大事に至らず、よかった。
そんなこんなで、この2週間の予定と担当を組み換える。一日事務所。
昨年末のインタビューが掲載された、モダンリビングNo153が届く。
○ 2004/2/17
10:30、高円寺にてKAK打ち合わせ。
昼に事務所に戻る。
来週、お知らせ板をだすので、敷地周りを住宅地図を持って確認に行く。
慌ただしくなってきた。
風邪もだいぶ良くなったが、なかなかスッキリしない。
○ 2004/2/18
朝、KARの事前打合せに中野区役所。帰りに、事務所の登記簿謄本と印鑑証明のカードの為に、法務局に立ち寄る。10:30に事務所に戻る。
11:00、EMOの現場担当者、来所。簡単な打ち合わせ
11:30、吉祥寺の小劇場の件で、主催者から電話が有る。少し進んだらしい。来週設備事務所と現地を訪ね、換気や衛生の計画をする事になる。
午後は進行中の計画の検討。いろんなものを、ガ?っと押し進めていかなければならない状態になってきた。三月・四月がヤマだな。
○ 2004/2/19
11:00、新宿ピカデリー4「この世の外へ・クラブ進駐軍」。中学の同級生がプロデュースで参加している映画。明日までなので、慌てて見に行く。
終戦直後の話。力のこもった作品だった。自分が関わった事があるからか、気になるのがセット。その凄さにびっくり。終戦後の町並みや闇市、米軍キャンプ、良く作られている。我々もそうだったが、セットを作る時は、新しい材料を焼いたり色をつけたりして、古く見せる。AGINGという。プログラムを読むと、この映画のセットは、全て古材を使うという、こだわりようだったようだ。
ただ、かかってる映画館が悲しかった。あんな空間では、映画が可哀想だ。そこに居る事自体で、淋しくなってくる。
その足で、石神井台の敷地候補を見に行く。初めは自転車で行こうかと思っていたが、西荻からバスにする。大泉学園行き。高校が上石神井にあったので、昔同じルートを通る、上石神井行きのバスに乗っていた。大泉学園行きは、行きと帰りで、私の小・中・高全てが見れるルートを通る。久々で懐かしかった。
そして今日、いろんなアポイントが全て来週に集中し始めた。大変な1週間になりそうだ。
坂下の手術は旨く行ったようだ。早々の復帰を期待したい。
○ 2004/2/20
午後、杉並社会保険事務所。年金手帳の再発行をしてもらう。
概ね、お年寄りが多いが、いろんな人が来ている。相談の人が多く、やはりある年令にならないと、現実味ない話なのだろう。
帰りに、近くの古書店に寄る。今日は何故か、音楽関係2册。
「ジャズ喫茶『ベイシ?』の選択」-ぼくとジムランの酒とバラの日々」菅原正二(講談社+α文庫)。「エンニオ・モリコーネ」(愛育社)。ずっとエンリオだと思っていた。
○ 2004/2/21
早朝、突然チェ・ミキかなり調子悪くなる。8:30頃大きい病院のほうが良いので、中野の病院へ行こうとするが、車に乗ると気分が悪くなりそうというので、事務所近くの阿佐ヶ谷の病院へ。
9:00事務所。10:30、TERクライアント打ち合わせ。懸案、ほぼ決まり実施設計に入る。12:00、打ち合わせ終わり、病院に電話してみたら、丁度診察が終わり会計をしているところ。たいした事なく、一安心。
14:00、先週、大和町で初めてあったデザイナーのミリメーターの2人、来所。先週の会の二次会で、KARの外部スクリーンの計画に参加してみないか、と話した。その打合せ。とりあえず、敷地見て、アイデア出しをしてもらう事になる。
17:00、高円寺、ニ楽亭。小さくて、けしてきれいではないが、ホルモンが旨く、いつも込んでいる店で、姪の高校合格祝い。西荻の両親と妹家族。
今週から、友人と2人で1/100口持っている馬(マイネミレーの02)の情報を、週末アップします。
サラブレッドは、入厩して競走馬名がつくまで、母親の名前+生まれた西暦で呼ばれます。
興味の有る方は、http://www.ruffian.co.jp/
所属場の近況・2才馬(02生まれ)の102155を見て下さい。このナンバーが我が愛馬です。
マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。集団調教でも道中でおかれることはないように、スピードに乗ってからの走りはスムーズです。普段は落ち着いていますが、闘志を内に秘めていそうです。
○ 2004/2/22
最近は日曜日も朝早く眼がさめてしまう。
午前中、たまって居る事を片付ける。合間を縫って、先週つなげなかった新しいスピーカーを接続。手間取ったが、どうにか完了。素敵な音が出てきた。オーディオやテレビの廃品回収の車が通ったので、古いデッキやアンプ等を持っていってもらう。地下が、少しすっきりした。
14:00、顎の骨を折り、慶応病院に入院している坂下の見舞い。見舞いと言いつつ、図面とカタログを持参し、退屈な時に選択しておくよう依頼。坂下苦笑い。
帰りに新宿。
せっかくオーディオの環境が良くなったので、タワーレコードでCD購入。「ビル・エバンス/コンプリート・ライブ・アット・ザ・ヴィレッジ・バンガード1961」有名な「ワルツ・フォー・デビイ」を生んだライブドキュメント。
青山ブックセンター。「『忘れられた日本人』を読む」網野喜彦(岩波書店)、「<私>という演算」保坂和志(中公文庫)、「熊の敷石」堀江敏幸(講談社文庫)。
夜、昨日ビデオに録画しておいたETVスペシャル「貘さんを知っていますか?」? 沖縄に生まれ、大和で生きた詩人・山之口貘の軌跡 ?を見る。
「生活」という言葉が、重い響きで伝わってくる。
○ 2004/2/23
朝ポストに、梁山泊の4月の公演の台本がはいっていた。
10:00、KAKお知らせ標識設置。
11:00、クライアントが顔合わせを済ませていた近隣の方のところを、同行してもらい計画の説明をする。その後、近くの喫茶店で少し打ち合わせ。
12:00、KAR打ち合わせ。工事はまだ先だが、日取りが良いので27日に地鎮祭を行う。その打合せと、役所に行って打ち合わせてきた事の話。
その合間に、スタッフとTER、KARの打ち合わせ事項を伝える。
先日、日本アカデミー賞のテレビを見ていたら、「夜を賭けて」の録音の堀内さんが、「座頭市」で最優秀録音賞を受賞し、ブラウン管に登場。お祝の葉書を投函。
○ 2004/2/24
11:00、吉祥寺の小劇場候補のスペース。設備の酒巻さんに同行してもらう。まだまだ先は長そうだ。
そのまま吉祥寺のカフェで、酒巻さんとTER、KAKの打ち合わせ。
銀行等の雑用終え、13:30事務所。
14:00頃から、昨日お知らせ板を出した、KAKの近隣まわり。マンション、アパートが多く、その内2棟は古い木賃アパートで、部屋によっては人が住んでいるのか定かでないところもある。チャイムも無く、各部屋をノックしていくと、自分が侵入者になったような気分になり、途中でやめる。
入口に書いてあった、マンションの管理会社に電話したり、懇意の地元不動産会社にその木賃アパートの管理会社を教えてもらい、どうにかなりそうな感じである。
建築の設計は、こんな雑用が沢山ある。面倒で、その雑用をなるべく先送りしたくなるが、先送りしている内はあまり気分良く無く、集中できない。やはりそんな雑用は積極的に片付け、本来の設計作業に気持よく取りかかれるように自分をしむけていかなければいけないのだ、と雑用から逃げず、そこに集中している時は強く思うのだが・・・。
○ 2004/2/25
昼前、杉並区役所にKAKの標識設置届けを出しに行く。
その足で、杉並図書館へ。
午後は、ずっと事務所で図面作業。
○ 2004/2/26
今日は慌ただしかった。
10:00、KAKの近隣説明。今日、この時間ならいらしゃる、と連絡を頂いたお宅。たまたま、お隣も外で立ち話をしておられたので、続けて説明。その後、高円寺駅前の不動産会社。一昨日書いた、木賃アパートを管理している会社。親切に話を聞いていただき、掲示とポスティングで大丈夫になる。これはほっとした、そこで、隣の木賃アパートの管理会社も教えてもらう。近くだが、今日は休み。その後2軒説明。昼前に事務所に戻る。
午後一番に準備をして、2軒の掲示とポスティング。14:00過ぎに事務所に戻ると、 K+Oのクライアントがいらしていた。14:00を4:00と思い違いしていた。早く戻ってよかった。
15:30、打ち合わせ終了。明日、KARの地鎮祭があるので、床屋へ。その後再度近隣をまわってみる。2軒いらしたが、2軒目のお宅で、この地域に3階建てが建つようになったのか、と聞かれる。なんでも、このお宅を建てる時に、3階は住宅に使えなく、3階建ての住宅は建てられないと言われた、という。確かにこの街区、1軒3階建てはあるが、ある建物は、半地下に2階にしている。何か地区条例でもあるのか。そう言えば、説明した方2人くらいにも、そのような事を言われた。でも、区役所で地域の条件調べた時には、そんな話は無かった。
時、16:30。すぐ自転車で、阿佐ヶ谷の杉並区役所へ。中高層の係、都市計画課に聞いてみても、そんな条例はない、という。ほっと安心。すぐ高円寺に戻り、説明。今日は、自転車で阿佐ヶ谷-高円寺間を4往復。良い運動だった。自転車で動けるところは、本当に便利だ。
坂下、今日退院予定だが、退院の連絡ない。心配だ。
○ 2004/2/27
10:00、KAR地鎮祭。寒かったが、良い天気だった。工事はまだ先。四月にはいってからの予定。
KARの敷地は大和町。そのままKAKの近隣の木賃アパートのもう一棟を管理している不動産会社へ。担当者留守で、説明書類置いてくる。11:00過ぎ、事務所。昼前に先程訪ねた不動産会社に電話。アパートの壁に掲示する事で、了解もらう。懸案だったニ棟が片付いた。
午前中メールで、坂下から退院の報告。昨日無事退院したが、メール見る気力も残って無かったそうだ。
ここのところ出ている事が多かったので、午後はスタッフとの打ち合わせ。
梁山泊から稽古を見て打合せしたいとの電話。まだ台本2種類のうち、片方しか読んでないので、週末に読み、来週稽古場に行く事にする。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。大人しいように見えて意外に強情な面があり、駐立の練習中にゲートを蹴るなどの悪さをしていました。洗い場でもうるささを見せており、狭い場所は苦手なのかもしれません。
○ 2004/2/28
10:00、KAK近隣の地権者で、まだ2軒の方に会えていないので、土曜日ならと思ったが、やはり留守。
そのまま事務所に。BABの新しい案ファックス。
いろいろ見直し。
梁山泊版「どん底」読みながら、アイデアだし。
○ 2004/2/29
午前中、たまっている新聞を読んだり、雑用。
午後、梁山泊版「どん底」スケッチ。KAK見直し。たまっている雑誌、本の整理。
夜、「八月のクリスマス」のホ・ジノ監督の「春の日は過ぎ行く」をDVDでみる。登場人物の設定やストーリーなど、かなり良く出来ているのだが、盛り込み過ぎのところが有り、紋切り型の映画になってしまっている。「八月のクリスマス」は、本当に好きな映画なので、つい比べてしまう。
主人公の男性サンウをやった、ユ・ジテは良かった。DVD特典にはいっていた、東京国際映画祭の舞台インタビューでは、映画の役とまったく違った印象で、いろんな役がやれそうな役者だった。
○ 2004/3/1
密度高そうな3月。
その初日、スタッフの高橋が風邪でダウン。
これからを予感させる、幕開けだ。
夜、ザ・ハウスの新宿店オープンのお祝いの会。新宿住友ビル。
この高層ビルの足元に、初めて紫龍テント劇場を建ててから、今年で10年。あっという間だ。
また、何人かの同業者と知合いになった。
○ 2004/3/2
朝、事務所。
10:00、KAR明日確認申請を提出するので、印鑑を借りに行く。
そのまま、KAKの近隣まわり。地権者の方には、やっと全てお会いする事が出来た。
そのまま、アパートをまわるが、やはり御留守が多い。寒いので、11:00過ぎに一度事務所に戻る。 高橋は、午後から復帰、とのこと。
昼過ぎ、再度KAK近隣。賃貸が多いので、大変だ。
16:00、EMOの建設会社来所。打ち合わせ。
坂下、骨折の為にしている、歯並びを矯正するようなギブス、まだとれないのでメールとファックスでやり取りしていたが、さすがにそれではたちいかなくなり、電話する。意外に会話でき、安心した。
○ 2004/3/3
午前中、KARの確認申請を提出しに、自転車で中野区役所。
13:00、KAKクライアント打ち合わせ。
19:00、自転車で梁山泊・満天星に。四月にやる「どん底」の打ち合わせ。オープニングから少し見せてもらう。金さんの要望を聞き、ラフな打ち合わせをする。
その後、台本、今日決定稿が出来上がったというので、その本読み。まだ荒っぽいところがあるが、今までもらって読んでいたものより、すごく良くなっている。煮詰めていったら面白くなるのでは。
ただ、満天星狭いので、どうセットを計画したら良いか。満天星では、今までのなかで一番難しい物になりそうだ。22:30、終了。
「梁山泊版・どん底・桜貝篇」の情報は、リンクの梁山泊のホームページを御覧下さい。ぜひ見に来て下さい。
○ 2004/3/4
やる事が沢山ある3月だというのに、11:00歌舞伎座。新聞の懸賞で当ったもの。
「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」「藤娘」「恋飛脚大和往来・新口村」
最後の「恋飛脚大和往来」は近松の「冥土の飛脚」のなかの一幕。梅川・忠兵衛の心中もの。忠兵衛と忠兵衛の父孫右衛門の役は、ひとり二役。様式ではなく、本当に芝居の上手い役者でないと出来ない役。片岡仁左衛門の演技、集中した良い芝居だった。
昨日から日生劇場でやっている「新・近松心中物語」(近松の心中もの基に、秋元松代さんが書いたもの)。
主演の梅川は寺島しのぶ。今日の「伽羅先代萩」には、尾上菊五郎と菊之助が出ていた。そして、梅川・忠兵衛。これって、なにか仕組まれているのだろうか。ずいぶん前に「新・近松心中物語」の一番安い席とってしまった。今月見に行く。そう言う時に限って、やる事が沢山になる。
これで、「緋牡丹博徒」でも見たら、寺島一家を一月の内に見てしまう事になる。
17:00、事務所。(仕事もしています。)
○ 2004/3/5
いちにち事務所。
15:00、横浜国大の唐ゼミのメンバーが来所。
横浜の港未来21公園で、テントを張って公演する事になり、テント設営の相談。
風が凄いだろうから、心配である。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。前半にもたつくことはありますが、終いはしっかりと伸びてきます。まだトモの甘さは残っていますが、前脚のかき込みはパワフルです。
○ 2004/3/6
午前中、KAK、クライアントに同行してもらい、最後の近隣地権者に挨拶に伺う。
その後、喫茶店で少し打ち合わせ。
そのまま、自転車で井荻のオープンハウスに行く。
事務所へ帰る途中に、事務所近くの古書店に寄る。やっと名前を確認。銀星舎。
「笛吹川」深沢七郎・新潮文庫、「ジャズと生きる」秋吉敏子・岩波新書。
15:00、BAB打ち合わせ。
○ 2004/3/7
午前中、梁山泊の「どん底」のセットのスケッチ。
ファックスで、梁山泊へ。
夕方まで、整理、雑用。
夜、アキ・カウリスマキの「真夜中の虹」(1988)を見るが、酔っぱらっていて内容良く憶えていないが、現実にはこんな事あり得ないが、でもリアリティーのある、魅力的な映画、だったような気がする。
○ 2004/3/8
午前、KAK最後の近隣まわり。
午後、打合せで自由が丘に。帰りに、自由が丘のヴィレッジバンガードに寄る。
保坂和志と小島信夫の往復書簡をパラパラとめくったら、「この作品は面白いけど、リアリティーがないね」という批評を良く見るが、面白いものにリアリティーがあるのであって、どんなにリアルでも、面白くないものにはリアリティーはない、と言うような事を保坂和志が書いていた。
昨日見た映画のことを思い出した。
夕方、事務所。
夜、「真夜中の虹」を見直す。やっぱりいい。短いショットの積み重ね。説明的でない人物像。どんどん変化していく状況。それら全てが登場人物にアクティビティーを与え、映画にリアリティーを加えている。
「トーク・トゥー・ハー」や「オールアバウトマイマザー」のペドロ・アルモドバルの映画の良さも、そこにある。
○ 2004/3/9
午前中、杉並区役所にKAKの近隣説明報告書を提出に行く。
ついでに、スタッフの高橋が結構品揃えが良いと言っていた、区役所の向い、青梅街道の北側にある書店、「書原」を覗く。入口は靴屋と並んでいて小さいのだが、中にはいると確かに品揃えが良い。最近の本屋とは、なにか雰囲気が違う。書棚の高さや通路幅。古い建物で天井がむき出しだからか。時間がなかったので、ざっとまわる。今度ゆっくり来て、違いの基を探してみよう。
「KAWAMATA・川俣正-アーティストの個人公共事業」岡林洋編著(美術出版社)
16:00、EMO建築会社にて打ち合わせ。現場担当者が調子悪くなり、様子を見ていたが、交代。工程、ずいぶん遅れてしまった。ただし、地盤改良をしたので、その養生期間が充分とれるようになったのは、良かったが。
○ 2004/3/10
1日事務所。
13:30、鳥居君の紹介で、旭ガラスのホームページになにか書く事になり、そのサイトを作成している一ノ渡さん来所。
午後から夜にかけてK+O。北側と道路の斜線がとても複雑なため、断面のエスキスをやっていたが、久々に頭の芯が疲れた。
梁山泊の金さんから、「どん底」のセットの変更について、電話あり。
○ 2004/3/11
10:30、EMOクライアントと建設会社と打ち合わせ。現場担当者が変わったので、紹介と新しいスケジュールの説明。
1日事務所にいたが、しばらく連絡がなかった吉祥寺の小劇場の件で連絡がはいったり、進行中の計画をスタッフと打合せしたり、諸々で、慌ただしい。
夕方になって、やっと集中して、まとまった仕事ができるようになった。
○ 2004/3/12
早朝から事務所で、ここ2日取り組んでいる、K+Oの斜線のスケッチを続ける。
以前住宅の設計をさせていただいたHさんから、会社を移転するので、3月には新しいスペースを決めるので、決まったらそこの使い方の相談にのって欲しいとの、話を頂いていた。場所が決まった、ということで14:00、目黒まで。新しいスペースを拝見し、要望を伺う。
17:30、事務所。
引き続き、斜線のスケッチ。やっと全貌をつかむ。ここまでくると、いろんなことが考えられる。
○ 2004/3/13
10:30、一昨年の暮、完成した住宅の、遅くなった1年点検。自転車で松庵まで。とてもきれいに使ってていただき、嬉しかった。
帰り道、荻窪の古書店で、「アーバン・フロッタージュ」真壁智治(住まい学大系077)、「新訂・福翁自伝」福沢諭吉(岩波文庫)。
14:00、BABクライアント、スケジュール打ち合わせ。
夜、DVDになった、「夜を賭けて」を見る。
○ 2004/3/14
とびとびながら、終日、「どん底・桜貝篇」の美術プラン。夕方梁山泊へファックス。
買い物に行ったついでに、高円寺文庫センター。「沖縄随筆集」山之口貘(平凡社ライブラリー)。
○ 2004/3/15
慌ただしい1日だった。
電話連絡が多く、仕事が分断される。
15:00。先日お話を伺ってきた、Hさんの事務所移転の件、ミリメーターにも参加してもらおうと打ち合わせ。
先週あまりに斜線検討に熱中し過ぎて、マイネミレー02レポートを忘れていたのを、今気が付く。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。じりっぽいところはありますが、終いの脚は確実です。順調に乗り込まれ、馬体が引き締まってきました。
今週も密度の高い1週間になりそうだ。
○ 2004/3/16
今は、いくつかのプロジェクトが同時に、同じような状況になりつつある。
いつもの事だが、そんな状況を狙ったように、芝居関係の諸々が同時発生する。
担当者は、それぞれひとつづつ相手にしているのだが、私はどれかひとつに集中するわけでないので、時間は密度高く過ぎてゆくのだが、後で1日を振り返ると、何をやったのかわからなくなる。
あまり精神衛生上良い状況ではないが、後半月か一月くらい、こんな状況を力づくで乗り切るしかないのだろう。
とにかく、ひとつひとつクリアーしていくしかない。
○ 2004/3/17
朝、事務所。
10:00、吉祥寺の小劇場候補場所の打ち合わせ、現地にて。
その足で、新宿花園神社へ。梁山泊版「どん底・桜貝篇」の現地調査。
昼飯を食べ、区役所裏の北京料理「玉蘭」で肉マン8個買う。ここは、小さな、お世辞にもきれいとは言えない店だが、旨い。チェ・ミキが、教え子の中国からの学生に教えてもらった店。もちもちとした皮が絶品。スタッフにも1個づつ、お土産。
今日は、風が強いが、コートを来て歩くと、暑いくらいの陽気だ。
13:00過ぎ、事務所。
現地調査してきた事を、絵にして梁山泊へファックス。
演出からOKがでたので、道具帳を作成。データをメール。
少しづつだが、いろんな事が折り返し点に達しつつあるようだ。
○ 2004/3/18
1日事務所。
16:00、TER構造打ち合わせ。構造、設備をまとめていったら、もう1段階進化しそうなアイデアがでてきた。早急に検討する事にした。
17:30、一昨年竣工した住宅のクライアントのMさんが、近所まで来たので、と立ち寄ってくれた。彼らご夫婦は、いつも梁山泊を見に来てくれ、住宅以外のところでもおつき合いさせていただいている。 クライアントで、引き渡した後も、梁山泊を見に来てくれる方は他にもいらしゃる。ありがたいことだ。
○ 2004/3/19
今日も1日事務所。だが盛り沢山。
途中分断されながら、明日のK+Oの打合せの準備。
明後日のTER打ち合わせの図面を、高橋と打ち合わせ。
13:00、坂下来所。KAKの見積り用図面最後の打ち合わせ。まだ、顎が気になるようだが、完全復帰。
2日続けて、事務所に居っぱなしなので、気分転換に銀星舎へ。「朝鮮童謡選」金素雲訳編(岩波文庫)450円。「1920年代に東京在住の朝鮮人から採集した口伝民謡のうち童謡を一書に集めたもの。」
夕方から、「どん底・桜貝篇」3幕のスケッチ。夜、梁山泊へファックス。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。以前に比べると素軽さが出て、加速がつきやすくなっています。後半もしっかりと伸びており走りに安定感が出てきました。
○ 2004/3/20
午前中、諸々の雑用を片付ける。
13:00、K+Oクライアント打ち合わせ。空間構成、構造、スケジュールなどを打ち合わせる。
17:00、日生劇場。「新・近松心中物語-それは恋-」秋元松代・作、蜷川幸雄・演出。
25年前に初演された、息の長い作品。8年前くらいに一度見ている。今回は、若いキャスティングで、蜷川さんが台本と新たに向き合い、新しい演出をつけたもの。確かに、この本の持つ若い登場人物達の気持が良く伝わってくる芝居になっていたが、その部分がはっきりすればする程、セットや照明の豪華さが浮いてみえてくる。だから、以前のセットにあった、屋根の上に狂い咲いている彼岸花が、なくなっていたりするのだろうが。個人的に言えば、絢爛豪華だった以前の作品のほうが、好きだ。
○ 2004/3/21
11:00、TERクライアント打ち合わせ。実施アップ前の最終打ち合わせ。
構造の進展があり、良い建物にまとまりそうだ。
昼過ぎ、大和町に戻る。「空間の行間」やっと読み終わる。全く新しい時代に、建築はどう対応していくか。文学はそれを、その内部で完結する事ができるが、建築は物理的に直接状況と関わり持つことが必要になる。その時、テクノロジーによる新たな構築を構想されたものを、歴史的に見返している。そして、そのような改革が起った後、それらがそれ以前のシステムを全て変革してしまう事なく、旨く取り込みながら、ずるずる変容していくのが、日本の特質で、それを「和様化」と呼んでいる。
磯崎 新と福田 和也の博識さに、いささか あきれながらも、骨太な筋が浮かび上がる対談だった。
○ 2004/3/22
9:00ハ、KAKの構造・設備の実施図、宅急便で届く。
朝、土日の打ち合わせ事項を、スタッフに伝える。
11:00過ぎ、坂下がKAK意匠実施図を持って来所。必要部数鵜、コピーをとる。
午後は、明日、吉祥寺の小劇場候補の打合せに消防署に行くので、その準備。
夕方、建設会社2社に、KAKの実施図を渡す。
ちょっと、一段落。
夜、黒沢明の「どん底」を参考に見る。ずいぶん前に一度見たが、映画としてはあまり感心しなかった。今回見直して、「どん底」はやはり、映画向きというよりも芝居向きだと思った。そう思ってみると、黒沢の「どん底」の俳優達の個性は、とてつもない密度があり、どん底をどん底なら示している。これは、大変な芝居だ。若手の多い梁山泊。それぞれが、どこまで個性を発揮するかに、梁山泊版「どん底・桜貝篇」の成功がかかっている。
○ 2004/3/23
朝、事務所。最近は、夜早く寝て、朝早く起き、8:00前から事務所にいるパターンが定着した。
食住接近と歳をとった、ってことか。
10:00、武蔵野消防。吉祥寺の小劇場候補の事前相談。設備の酒巻さんと。
その後、バスで吉祥寺に出て、喫茶店で打ち合わせ。
12:00前に事務所に戻る。
午後、図書館と銀行にちょっと出る。図書館から借りてきた資料で、断熱の資料を読む。が、漠然としていて、あまり良くわからない。
19:00、新宿まで打合せに出る。
○ 2004/3/24
14:00、高田馬場、翔設計。
TERの床暖房のメーカーと打ち合わせ。
17:00前に事務所に戻るが、すぐ出かける。
18:00、東中野。中央線デザインクラブのミーティング。12、3人集まる。24:00近くに解散。
昨日から、「<私>という演算」保坂和志(中公文庫)を読みはじめる。「わかる」や「ある」と言う事に対する、考察。
○ 2004/3/25
14:00、ミリメーター来所。
LEV新事務所計画の打ち合わせ。ミリメーター、面白いアイデアを出してくれる。
その前後で、梁山泊の「どん底・桜貝篇」の3幕・道具帳を書いて、夕方、梁山泊へメール。
夜、テレビで「男はつらいよ・寅次郎紅の花」を見る。寅さんシリーズの最後の作品。放映前に山田洋次監督が、この撮影の時、渥美清さんはとても辛そうにしていて、関係者一同これが最後になる覚悟をして撮っていた、とインタビューに答えていた。
1995年の作品。阪神・淡路大震災とオームのサリン事件があった年だ。映画の中にも、長田が出てくる。この年に、寅さんが終わるのも、不思議な感じがする。
いくつか感じた事があった。久々に、とらやに寅がリリーさん(浅丘ルリ子)と満男と一緒に帰ってくる。とらや一同が出迎え、歓迎しているシーン。画面手前左手に寅さんの肩から帽子のつばまでの後ろ姿が大きく映り、右手に一同がほぼ全身映っている。その大きさの比率が、あまりにも唐突で、一同にピントがあい、寅の後ろ姿のボケ方が尋常ではない。なんだか、寅さんの後ろ姿だけ、後から合成したように感じられるくらいだ。寅さんがすでに違うところから、皆を見守っているように感じた。
もうひとつ。色々あって、奄美大島に暮らすリリーさんの家に、寅さん・満男が居候する。まるでひとつの家族のように。奄美大島の開放的な家が、新しい家族像を受け入れる、奥深さを持っているような、至福の時間が画面の中にあった。
○ 2004/3/26
朝、事務所。
10:00、昨年7月に完成した、千代田区のKOB。「マンスリーM」という雑誌の取材に立ち会う。楽しそうに、きれいに使っていただいている。ありがたい。
帰りに南洋堂で、「集合住宅物語」植田実(みすず書房)と「行動主義/レム・コールハウスドキュメント」瀧口範子(TOTO出版)。
植田さんの「集合住宅物語」には、阿佐ヶ谷に事務所を移し、自転車で行動している最中に見つけた、阿佐ヶ谷住宅も出ている。先日の中央線デザインクラブのミーティングで阿佐ヶ谷住宅の話になり、前川国男が関わっている事を知った。パラパラ見たら、もちろんその記述もあった。写真は、「や・ちまた」「PERSONA」の鬼海弘雄。
16:00、TERクライアント来所。先日お渡しした図面の、変更希望部分の打ち合わせ。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。もっさり感がありましたが、気合いの乗りが良くなり、馬体に芯も入りつつあるようで動きがきびきびしてきました。ゲートの出もなかなかの速さです。
○ 2004/3/27
吉祥寺の小劇場候補スペースの、申請用図面をまとめFAX。
時間なくて見ていなかった雑誌などのチェック。
16:00、梁山泊の稽古場へ自転車で出かける。
「どん底・桜貝篇」セットの打ち合わせ。
○ 2004/3/28
午前中、金守珍監督の第2作目のシナリオを読み直す。
午後一杯で、ロケハンの為に、シナリオに出てくるガラス工場をイメージするための写真をピックアップ。
○ 2004/3/29
10:00、KARの本見積を建設会社が持ってきてくれる。概算とほぼ同額にまとまり、一安心。
見積のチェック。クライアントに説明するための、サンプル、カタログのコピー。
午後、同時進行中のプロジェクトの、指示、打合せ。ファックスのやり取りやスタッフとの打ち合わせ。
16:00。朝出てきた見積をkARクライアントに届けに行く。小1時間打ち合わせ。来月中頃には着工したい。
月曜日は、パラパラといろんな連絡が入り、落ち着かない時間が過ぎていく事が、ここのところ多い。
○ 2004/3/30
朝、事務所。新しい映画の、ロケハン用スケッチを始める。
10:30、高円寺の喫茶店でKAKクライアント打ち合わせ。見積に出している実施設計図をみての要望の打ち合わせ。
12:00、事務所に戻る。
14:00、中目黒。LEV新事務所計画の打合せに、ミリメーターと現事務所を訪ねる。
その後、中目黒からバスにのり、目黒区美術館まで。「建築家・村野籐吾のディテール/旧千代田生命本社ビル写真図面展」。この展覧会の写真は、竣工写真を撮ってもらっている、新さんが撮影。
先日「新・近松心中物語」を日生劇場に見に行った。日生劇場も村野籐吾の設計。久々に訪れた日生劇場は、特に階段が続くロビーが、芝居を見ると言う高揚感を、もり立ててくれる贅沢さを随所に持った建築だと言う事を、改めて感じた。ディテールの積み重ねが、コントロールされて空間を構成している。旧千代田生命ビル(現目黒区総合庁舎)も同様。そのディテールも、その当時の最新技術との共同作業でもある。けして、職人技に頼った、旦那芸のみではない。技術と職人を村野が統合している。カーンのイェ?ルアートギャラリーとブリティシュミュージアムを見た時、同じような事を思った。
年表を見ると、日生劇場は村野72才の作品。千代田は75才だ。恐ろしい。
18:00、事務所。
スタッフと打ち合わ。
ロケハン用スケッチ仕上一歩手前。
○ 2004/3/31
あっという間に3月末が来た。いろいろあり、密度の高い3月だったが、過ぎてみればあっという間だ。
早朝一度目がさめた時、TERで今判断に迷っている部分について、ひとつの案が浮かんだ。いろいろ考え過ぎて、へんな方向に行っていたのだ。シンプルに戻す事を思い付いた。思い込みとは恐いものである。何のためにそうしたのか、初めの条件を忘れ、どんどん本筋からずれていく。
朝、構造の吉田さんに電話して、検討をお願いする。これで大丈夫になると、シンプルな計画にまとまる。
昼前後を使い、ロケハン用スケッチを仕上げ、資料をまとめる。
梁山泊の原から、セットの打合せの電話。演出がずいぶん変わったようだ。明日から通し稽古で、それは見に行く予定なので、そこで打ち合わせる事にする。
吉祥寺の小劇場候補の申請図まとめ、郵送。
その他、いろいろな電話連絡。
K+O見直し。
19:00、阿佐ヶ谷・吐夢。映画のプロデュースをしている、村松さんと秋元さんにロケハン用資料を渡す。
○ 2004/4/1
午前、吉祥寺の小劇場候補の概算見積用図面まとめ、建設会社にファックス。
その他、様々な連絡事項。
14:00からの梁山泊「どん底・桜貝篇」の通し稽古に立ち会うため、自転車で東中野の芝居砦・満天星へ。早稲田通りをずっと行くのだが、その途中に研究室の先輩の宮坂さんの事務所があるはずで、注意しながら何度か行き来しているのだが、今まで見つからなかった。今日は、地図で再確認してそのあたりをゆっくり走っていたら、なんと早稲田通りに宮坂さんが。通りに面したガラスの工事中で、表に立っていたのだ。本当に久しぶりだった。少し立ち話。13:30、稽古場に着く。
18:00、事務所に戻る。
TERスタッフと打ち合わせ。
○ 2004/4/2
1日事務所。
午前中、TERの照明計画等を高橋と打ち合わせ。
午後から夜は、K+OとBABを考えていく上で、今後重要になってくるであろう、構造と壁・サッシの納まりをいろいろ考える。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで休養中。放牧されています。順調に乗り込まれ動きもある程度の水準に達してきました。気分転換の意味もあり一息入れています。
○ 2004/4/3
午前中、事務所で雑務を片付ける。
13:00、高田馬場の設備事務所・翔設計へ。TER実施の最終打ち合わせ。
14:00終了。新宿に用事が合ったので、高田馬場から歩く。良い天気。大学が新大久保と高田馬場の中間にあったので、大学の頃は良く新宿・高田馬場間を歩いたものだ。途中戸山公園は桜満開。大久保通りから職安通りの間は、まるで韓国。まるでソウルの裏通りを歩いているようだ。
15:00、事務所に戻る。
今日は大和町に、今は御主人の海外協力隊のシニアボランティアに同行し、チェニジァに暮らしている、チェ・ミキが教えている日本語学校の元同僚の先生夫妻と現同僚の先生がみえる。
16:00前に大和町に戻る。今年初の、屋上七輪。
○ 2004/4/4
今日はまるで冬に戻ったかのように寒い。
こんな日は一日家にいるに限る。
昨日の片づけとたまっていた新聞を読む。
午後、先週借りてきていたが、見ていなかった、アキ・カウリスマキの「マッチ工場の少女」を見る。映画が始まってから15分位経て、初めての台詞が出てくる。極端に台詞が少なく、映像とバックに流れるフィンランド歌謡によって、話は進んでいく。敗者三部作シリーズの最後の作品。アキ・カウリスマキの映画はまだ3本しか見ておらず、すべて敗者三部作シリーズ。
「マッチ工場の少女」はストーリーを書いてしまうと、それだけの話になってしまうし、あまりにもどん底すぎる。でも、なんだかお腹の中をキューとひねられるような感覚が残った。たぶん見る人の状況や環境によって、いろんな感じ方があるのでは、と思う。
今日のように、春だったのが急に冬に戻り、冬を本当の冬の時期より、より意識できる状況で見たので、なんだかはまりすぎてしまったようだ。
夕方、ビデオの返却と買い物に高円寺駅まで行くが、人通りが少なく、町は淋しそうだった。
○ 2004/4/5
午前中、スタッフとTERの打ち合わせや、明日見積が出てくるKAKの見直し。
昨日、眼鏡の柄を曲げてしまったので、昼から新宿の眼鏡店へ。結局取り替える事にするが、店内を見ていたら、遠近両用眼鏡の文字が。最近、というか随分前から、小さい文字が読みにくく、眼鏡を外さないと読めない時もある。説明を聞いてみると、やはりそのような状態には遠近両用が良いとのことなので、試してみることに。確かに、小さい文字も読み易くなる。作り替えることを考えてみよう。「皆さん、40代になると、同じですよ。」と言われるが、歳である。
KAR、工事契約の準備。その他連絡事項。
梁山泊から「どん底・桜貝篇」のスケジュールのファックスが届く。明日の19:00、ゲネプロの予定。
○ 2004/4/6
BAB、K+Oのスケッチ。
15:00と17:00、KAKの見積が建設会社から出てくる。
19:00、新宿梁山泊・芝居砦満天星へ。衣装、メイクありのゲネプロ。30分押しで19:30開始。 今日まで、稽古や作業で皆あまり寝ていないそうだ。24:00、満天星を出る。その後も皆の準備は続いている。良い初日が迎えられるとよいのだが。
明日は、夕方打合せがあるので、夜事務所で仕事をしていようと思っていたが、その打合せが18:00過ぎ頃に終われたら、初日に参加することにしよう。
○ 2004/4/7
朝、TERの陶芸釜のメーカーの方から電話。換気についての話の中で、設置場所の話に。クライアントに電話してもらい、設置場所を変更することに。自分達が経験したことがないことや、特別な技術やノウハウがないと、判断に間違いが起きることが多々ある。今は、実施設計の最終段階。この時点で確認できたのは、とても良かった。直行でEMOの基礎の配筋検査に行き、戻ってきた高橋と打ち合わせ。
K+O、この2、3日作業している、内容をつめていく前の斜線詳細検討を続ける。
15:30、坂下とKAK見積りチェックと比較表作成。
18:00過ぎにチェック終わらせ、いくつかメールして、慌ただしく自転車で、梁山泊・芝居砦・満天星に。
10分程、押していたが、21:50初日終演。どうにか初日開いた。昨日のゲネを見た時、とても心配で、初日を見よう、と決めた。3幕途中までは、昨日の時点でも芝居になっていたが、その後は全く芝居になっていなかった。初日を見ている途中も、1、2幕は安心して見ていた。そして、3、4幕。全てが昨日より格段にレベルアップしており、通して芝居になっていた。
台詞のなかに、もうすぐ読み終わる、保坂和志の「『私』という演算」に書かれている、<私が今ここにいることとは>と言うことと繋がる部分がいくつかある。<他者>の存在を考えさせられる芝居だ。 終演後、満天星の名付け親、小田島雄志さんの音頭で初日乾杯。しかし、この芝居これからも毎日変わっていくことだろう。また、楽日近くに見に行く時間を作ろう。
○ 2004/4/8
朝、新聞には、アメリカ軍がバグダットのモスクを空爆という記事。これが戦争でなくなんなのだろう。メディアのなかの戦争。もっと想像力を働かせなくては。
10:30、KAKの見積について、クライアント打ち合わせ。
14:00、目黒。LEVの新事務所の工事打ち合わせ、ミリメーターと。中央線の人身事故で、打合せのスタートが30分遅れたため、15:30、目黒はミリメーターにお願いして、新橋へ。
16:00、BABのクライアントの会社の近くのカフェで、BAB打ち合わせ。18:00終了。
しかし、新橋・汐留サイドは、良くわからない街だ。立ち並ぶ高層ビルと、中途半端な足元。1987年汐留がまだJRの操車線跡地だった頃、ここで新宿梁山泊の「カルメン夜想曲」の公演が行われた事を、今思い出した。
帰りに、いためた眼鏡の柄を交換するため、新宿へ。
電車のなかで他の人が読んでいた新聞の一面に、「自衛隊宿営地周辺に砲撃。テロか。」と。モスクの空爆はテロでなく、これはテロ。どこが違うのだろう。
○ 2004/4/9
昨日はほぼ一日外出していたので、朝からKAKの減額案を考える。
昨日打ち合わせてきた、BABのスケッチ。
スタッフとTERの実施設計の打ち合わせ。
K+Oの斜線検討スケッチ。
夕方、KAKの見積をしてくれた、建設会社に来てもらい、減額案の打ち合わせ。時間が無いので、急いでまとめていく必要がある。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで休養中。放牧されています。青草を探し、あちこち放牧地を歩き回る毎日です。もうしばらく一息入れ、いったん馬体をゆるめてから造り直すことになります。
馬名が決まりました。
マイネポリーヌ:Pauline/画家ミレーの最初の妻の名
○ 2004/4/10
今年初めに竣工したNISのクライアントが、御礼の会を開いてくれた。
12:00、設計や工事の関係者、20人程がお邪魔する。天気もよく、中庭に面した開口を全面的に開け放し、気持が良い。世田谷にある、とても美味しいお鮨屋さんが出張してきて、握ってくれた。
18:00近くまで、沢山飲み、美味しく食べ、楽しませて頂いた。
夜、梁山泊を通じてもう長いおつき合いの、飛騨国府の弓削さんが泊まりに来る。お茶の水の画廊で、奥さんと二人展を開催しており、梁山泊の「どん底・桜貝篇」を見てから、大和町に来るのだが、あまり遅くならないように、とお願いしておいたが、来たのは24:00過ぎ。私はその前に、一度寝てしまった。2:00過ぎくらいまで、また飲む。
○ 2004/4/11
朝、弓削さんが起きた気配が合ったので、しばらくして起きる。弓削さんが飲んでるもの、お茶かと思ったら、ウイスキー。ついついおつき合い。
弓削さん、11:00前くらいにまた寝てしまう。12:30、チェ・ミキが梁山泊に行くので、弓削さんを起こし、一緒に駅まで連れってもらう。
夕方まで、新聞や雑誌、本の整理。
18:00、梁山泊、芝居砦・満天星を出た、チェ・ミキから電話。彼女の友達と、私が設計した家のクライアント、Mさん夫妻も、今日梁山泊を見ることになっていたので、夜一緒に飲もうと言うことになっていた。Mさん夫妻の知合いの方も一緒に、高円寺の成都へ。22:00、近くまで。会話が弾んだ。 しかし、昨日から今日まで、飲み続けの二日間。いささか疲れたが、楽しい時間が過ごせた。
保坂和志「『私』という演算」了読。「映画の文法-日本映画のショット分析」今泉容子(彩流社)を読みはじめる。
○ 2004/4/12
午前中、吉祥寺・小劇場候補、図面整備。メール、雑務等。
13:00、渋谷のアートン。金守珍監督、第2作目の打ち合わせ。
予定より早く終わったので、青山でやっている、六平直政さんの「三人の彫刻展」に立ち寄る。
16:00、事務所。夕方、TERの実施設計図を長野の建設会社に宅急便。
引き続き、BAB、K+Oスケッチ。
今週も慌ただしい週になりそうだ。
○ 2004/4/13
今日は一日事務所。
朝、高橋・木村とKARの現場用図面についての打ち合わせ。
EMOに続いて、KARも工事に入る。
突然、吉祥寺の小劇場候補の申請を、明日提出するのに必要な図面の連絡。昼を挟んで、ファックス。 K+Oの輪郭確認スケッチを午後、一段落させる。明日、もう少しの作業が必要か。
その後、BABの新しい断面のスケッチ。
17:00、坂下来所。KAKの変更部分と模型作成の打ち合わせ。
明日からは、打合せが入ったり、来客があったり、外出したりでまとまった作業が出来ないので、今日一日いろいろできたのは、ありがたい。
常にそうだが、気を抜いて消極的だと、思わぬことが押し寄せる。集中して、積極的に考えていくと、なぜだか諸々の問題も整理され、旨い具合に物事が運んでいくようになるような気がする。しばらくは、自分のケツを叩くしかないか。
○ 2004/4/14
朝から、打合せの合間を縫って、BAB断面検討。
11:00、KAKの減額調整見積を、建設会社が持ってきてくれる。どうにか目標内に納まっている。一安心。
14:00、ザ・ハウス来社。
16:30、LEV新オフィス打合せに、ミリメーター来所。
17:00過ぎ、スタッフは梁山泊、芝居砦・満天星へ「どん底・桜貝篇」を見に出かける。
ミリメーターとの打合せ中に、何本も大事な電話がかかってくる。(ミリメーターのお二人、ごめんなさい。)18:00、打ち合わせ終了。
19:00過ぎ、BABの断面検討、一段落。
その後、いくつかのスケッチ、雑用。
一日事務所だったが、あっという間に過ぎた一日だった。
○ 2004/4/15
朝から、BABの断面検討の図面を書く。昨日ひと通り終わったが、明け方目がさめた時に、新たな検討の必要性を思いつく。
最近、明け方に目がさめ、いろいろ思い付くことがよくある。良い思いつきも有れば、気になっていたのだが、忘れていたことをふと思い出すこともある。そのまま寝てしまうと忘れてしますので、起き出してメモをとる。またベットに戻ると、新たに思い付きメモを取りに行く。そんなことを3、4回繰り返すこともある。
9:45、KAR建設会社と敷地、地縄確認。
BABの図面をまとめ、スタッフに郵送を頼み、14:00過ぎ自転車で梁山泊・芝居砦・満天星へ。
打合せの後、事務所に戻って出かけると、芝居にまいなわないので、満天星のあるマンションに自転車を止め、中目黒へ。ミリメーターとLEV新事務所打ち合わせへ。17:00、終了。
18:30、満天星。初日に続き、2回目。昨日から公演の後半が始まったのだが、昨日は130人(満天星は100人入ったら超満員)とのこと。今日も超満員。嬉しいことだ。日曜の夜に追加公演を決めたそうだ。
役者達が粒だってきて、いきいきして良い芝居になりつつある。
○ 2004/4/16
午前中、木村とKARの打ち合わせ。数日前におりた、KAKの確認申請一部訂正があるとの事で、坂下が確認申請書取りに来る。
K+Oの断面検討。
14:30、以前大塚アトリエに在籍していた松尾さんが、昨年暮に誕生した優ちゃんをつれて来所。しっかりお母さんになっていた。設計の仕事も再開するそうだ。ゆっくり続けていって欲しい。
18:00、TERのクライアント来所。実施設計アップ直前にあった、変更について確認。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで休養中。放牧されています。馬体が緩んできたように感じられますが、体型は崩れていません。精神面でのリフレッシュ効果も感じられ、とてもリラックスしています。なお、競走馬名はマイネポリーヌで登録されています。
○ 2004/4/17
14:00、K+Oクライアント来所。キッチン・収納などの要望の打ち合わせ。
前回の打合せの時、雑談していた時に話題に上がった、武満徹の「夢の引用」をOさんが貸してくれた。武満徹が映画について書いた本で、他の知合いからも面白い本だと、書名は聞いていた。だが、絶版になっていてネット検索しても、なかなか見つからなかった。
17:00、何年か前、住宅の計画の件で大和町にいらしたSさん御家族、来所。聞けば、大和町においでになったのは3年くらい前で、その時まだ懐妊していなかったお子さんが、今2才になるとのこと。時間はあっという間に経っていく。
○ 2004/4/18
一日大和町。
午前中、収納の整理。お隣との目隠になっているカロライン・ジャスミンの手入れ。黄色い花が咲き誇っているが、ほっておくと蔦がのび、お隣の屋根に根付いてしまうので剪定する。咲いた花が散って、御近所の入口廻りに飛び散っているので、掃除。
途中、廃品回収の車が来たので、処分しようと玄関に置いてあった、洗濯機の乾燥機を持っていってもらう。結構な費用がかかるので、テープ部分がだめになった古いミニコンポとセットで、安くしてもらう。
廃品回収のおじさん、家のなかを見渡して、新しいアンプやスピーカーや、コピー・ファックス機を物色して、あれらは、と聞いてくる。とんでもない。置いていったチラシを見ると、オーディオ類は他の国で喜んで使われてます、とある。
借りてきたDVDで、「トーク・トゥ?・ハ?」を見る。映画館で見て、2度目だが、やはり良く出来てる。赤を基調にし、その補色の緑を組み合わせた色彩計画が独特だ。4人の主人公達の構図も練られている。それらによって、あまりにも濃い登場人物の関係性が、リアリティーを得ている。
先日近所で、映画のロケに使えそうなアパートを見つけたので、買物がてらデジカメで撮影に。
15:40、皐月賞。我々の共同馬主の母体である、ラフィアンの代表・岡田さんが5頭を送り込むが、最高順位2着。残念、初クラシック制覇はまたのびた。
昨日借りた、武満徹の「夢の引用」をパラパラめくる。出だしから面白い。途中から一文書き写す。
「映画は夢だ。それこそ悪夢や滑稽な夢、いっさいの人間の欲望が紡ぎ織りなす夢だ。映画のなかでは、人間(ひと)は、夢でさえ見なかったできごとや情景を見ることができる。」
梁山泊「どん底・桜貝篇」の楽日。夜、追加公演になり、その後打上げとのことだが、遠慮させてもらう。(すみません。おつかれさまでした。)
○ 2004/4/19
一日事務所。
KAR、KAK、K+Oなどを色々。
ザ・ハウスの展示会の資料確認。
いつも月曜日は漫然と過ぎていくことが多い。
○ 2004/4/20
10:00、KAKの工事開始前の、近隣挨拶について、建設会社に来てもらい打ち合わせ。
ここ2、3日、K+Oの外壁の構成を検討している。構造は鉄骨で考えており、熱・音環境を満足し、コストパフォーマンスが良い構成を検討しているが、限られたスペースなので、構造体を顕わすかどうかをスケッチしている。
16:30、構造の山崎さんの事務所。K+Oをメインに、KAR、BABの打合せも。
山崎さんの事務所に行く途中に、映画のロケに良さそうなアパートがあったので、デジカメにおさめる。
帰りに新宿にでて、眼鏡の調子が悪いのを直してもらう。
タワーレコードで、アキ・カウリスマキの「過去のない男」のサウンドトラックを購入。「マッチ工場の少女」のサウンドトラックが欲しいのだが、日本ではでていないようで、その代わり。「過去のない男」はまだ見てないのだが、ホームページで見ると、「マッチ工場の少女」のバックにも流れていた、イスケルマというフィンランドで絶大な人気のムード歌謡が、やはり流れているという。いずれ映画も見よう。
青山ブックセンターで、「中二階のある家」アントン・チェーホフ/工藤正広訳。チェーホフ没後100周年記念出版とある。チェーホフの短編小説の翻訳と解説だが、何故か建築のコーナーに平積みになっていた。題名が「中二階のある家」で、建築関係の本だと思われたのか。まあどちらにしても、面白そうなので入手する。
○ 2004/4/21
朝、事務所。
10:30、自由が丘で打ち合わせ。
帰りに、昨年まで多摩川園で事務所をシェア?していた、鈴木基紀の事務所・空間設計社が自由が丘に有るので寄る。
ものつくり大学の片根君が、インターシップで来ていた。空間設計社の入っている建物が、なかなか雰囲気有るので、デジカメに収める。
昼、渋谷駅脇のガードをロケハン。
13:00、事務所に戻る。
16:00、KARの工事契約。
その前後、スタッフと色々な打ち合わせ。
夜、ロケハンの写真が少しまとまったので、クルージンへメール。
K+Oの昨日の山崎さんとの打ち合わせたこと、改めて考えてみたいと思っていたが、今日は落ち着く暇なく、断念。
○ 2004/4/22
朝、事務所。
10:00、池ノ上。EMOの外壁の色を決める、クライアント打ち合わせ。連休明けにいよいよ建て方。 引き続き打合せを高橋にまかせ、帰る途中に吉祥寺下車し、俗に言うハーモニカ横丁をロケハン。良い雰囲気だ。学生の頃、ここにあった飲み屋で良く飲んだ。
11:30、事務所に戻ると、居るはずの木村がいない。留守録になっている電話に、自転車で出勤途中に車と接触し転倒して、車を運転してた方が、病院に連れていってくれ、事故扱いになるため、警察に行ったりしていて遅れている、とのこと。昼前に電話があって、たいしたことなくすんだらしい。
13:00前に事務所に来る。
13:30、KARの現場。地盤改良工事終了の確認。
午後、14:00-18:00、高橋がEMOプレカット最終打ち合わせ。その間、KARの簡単な工事打ち合わせ。
17:00、ネクストコーポレーション来所。
人口密度の高い午後だった。
○ 2004/4/23
朝、事務所。ザ・ハウス展示会データの整理。
11:00、KAK地鎮祭。その後喫茶店で工事契約。
夜、横浜国大の唐十郎研究室のメンバーで構成された、唐ゼミの公演を見に、みなとみらいへ。新しいテントでのこけら落とし公演。海に近い、吹きさらしの公園にテントを張ると言うことだったので心配だったが、梁山泊の水ウエイトを使って、どうにか大丈夫そうだった。
演目は「ジョン・シルバー」。1965年の芝居。観念的な言葉が肉体的に使われ、何かを待ち続けているという、60年代的な芝居だが、1990年代以降30-40年経って、また現在の時代状況にはまっているように思えた。唐ゼミの公演は、きちんと芝居として、それらが伝わってきた。
しかし、この間行った汐留めもそうだが、みなとみらいも何だかわからない開発だ。中央線の沿線に広がる街と、これらの街のもつ質の違いを考えてみるのも面白い。
行帰りの電車の中で読んでいた「夢の引用」武満徹から気になる言葉『根源的(ラジカル)なアクチュアリティ』
○ 2004/4/24
土曜日は本当に静かで良い。
午後一で、新しいノートを物色しに行き、帰りに銀星舎へ。
「ダ・ヴィンチ特別編集5・中央線/カルチャー魔境の歩き方」ついこの間新刊で書店に並んでたもの。
「カフカ傑作短編集」フランツ・カフカ/長谷川四郎訳(福武文庫)。カフカはいつかまとめて読んでみたい作家のひとり。
16:00、BBHのクライアント打ち合わせ。打合せしている内に、空間構成は大きく変わらないのだが、個室の使用用途が入れ代わり、新たなイメージが共有された。
ザ・ハウスに写真データ発送。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。むだな肉のつかないタイプのようで、休ませた割にはすっきりした体つきです。なかなかスピードに乗り切れずにもたついていますが、乗り込んでくれば解消してくるはずです。
○ 2004/4/25
午前、吉祥寺の小劇場候補の資料作成検討。
午後久々に、牛筋入手。高円寺北口の純情商店会を入ってすぐ、左手にある肉屋さんの牛筋の質が良い。ここ何回か売り切れていた。800gと少し少ないが、贅沢は言えない。
下ごしらえをし、今日は生姜の千切りをのせ、醤油をたらし、牛筋の水煮。牛筋料理の中でも、下ごしらえ後すぐの、水煮が一番おいしい。
夜、昨晩ビデオにとっておいた、「センセイの鞄」を見る。川上弘美の小説はいくつか読んだことが有り、その不思議さが好きだ。「センセイの鞄」はまだ読んでないが、映像はそんな、あるかないかはっきりしない、むこうが透けてみえそうな世界をよくあらわしていた。ただ、最後が。文章ではどうなってるのか、確かめてみたい、と思った。
○ 2004/4/26
10:00、KAKの建設会社、来所。現場の担当者と顔合せと打ち合わせ。これで、三つの現場が同時に進行することになる。
14:00、東京土建、来所。事務手続きについて、打ち合わせ。
合間を縫って、BBH。土曜日に打合せしたことのスケッチ。
19:00、チューブ。吉祥寺、KISSCAFEにて。
○ 2004/4/27
一日事務所。
BBHの模型を作るための図面を仕上げる。
TRT床暖房についての連絡。KRHの柱梁の位置の詳細検討の打ち合わせ。
午後、高橋MSHの一年点検。
今日は凄い風だ。4月では、観測史上ニ番目の風速だそうだ。
夜、10CH「報道ステイション」秋吉敏子出演。ビッグバンドの活動を終わらせ、ピアニストに戻るそうだ。「TEN・TEN」という曲を演奏。日本の「テンテン手まり」をアレンジしたもの。でも、日本の曲のアレンジと言うより、ジャズそのもの。(じゃあ、ジャズとはといわれると、困るが。)短い演奏だったが、テレビを通しても、ダイレクトに伝わってきた。
○ 2004/4/28
14:30、LEV新オフィス打ち合わせの事前打ち合わせ、ミリメーターと。
15:00、LEV新オフィスクライアント打ち合わせ。
打合せ後、事務所ないの備品などを、実測。
近くのカフェで、ミリメーターと打ち合わせ。
○ 2004/4/29
午前中、途中だった「映画の文法・日本映画のショット分析」今泉容子(彩流社)読み終わる。映画の基本的な技法を、日本の映画のショットを具体例にあげながら、説明した本。知っているつもりの事が、きちんと整理されていて、眼から鱗。
午後、映画の打合せと見学で、調布のほうまで出かける。よい天気だ。電車の中で「夢の引用」武満徹、読み続ける。
『私は、(映画について、考えたり、書いたりする場合でさえ)個々の映画の物語性というものには、さして関心ををもてない。私にとって、映画は、夢の引用であり、そして、夢と映画は、相互に可逆的な関係にあり、映画によって夢はまたその領域を拡大しつづける。・・・夢が現実の隠れた深部を暴くように、映画において映像(イメージ)は、この現実に何か余分なものを付け加えたりするものではない。映像(イメージ)は、現実にあって、私たちが見過ごしているものなのである。』
帰りに紀伊国屋で「新版・歴史のための弁明-歴史家の仕事-」マルク・ブロック/村松剛訳(岩波書店)、「ザビット一家、家を建てる」長倉洋海。偶然、紀伊国屋画廊で「ザビット一家、家を建てる」の写真展が行われていた。コソボの連続取材の最新。仮設の家にすんでいる、コソボの家族が家を建てる記録だ。とても元気の出る写真集だ。家を建てることが、生きることと繋がっている。
○ 2004/4/30
今日で四月も終わり。ラジオでは、連休のあい間で、曜日がわからなくなってしまっているひともいるでしょうが、と言っている。確かに。
でも、考えると、今日が終わると、世間的には、休みがあけるともう木曜日。五月もすぐ10日になってしまう。
午後、根切りが始まったKRHの様子を自転車で見に行く。その足でコラムを書かなければならない、ハローアーキテクトというHPのための写真を撮りに、阿佐ヶ谷住宅へ。途中、気になっている場所をデジカメ。映画に使えそうな場所もある。阿佐ヶ谷住宅、何度来てもほのぼのして、居心地のよい空間だ。 事務所に戻り、KRH、KOH、スケッチ。
○ 2004/5/1
午前、連休中に来客があるので、片付け。
13:30、KRHの現場で簡単な打ち合わせ。
その後、来客に備え、職安通りの南大門市場まで買物に。キンパブ(韓国のり巻き)用、ソーセージ、沢庵、海苔。うまそうなチャンジャとぶたの耳の茹でたのがあったので、買う。
「夢の引用」武満徹、読了。
『こうして(ひとつの)映画について(私が)いかに書き綴っても、あの、薄明のなかに溶けているように消えていった、オレンジ色の電車の映像-イメージ-の鮮烈さを写しとることは不可能であり、また、それがもたらす無限定なまでの意味の多様さに比べて、私の行為はあまりにも力及ばぬものであることを覚らないではいられない。だが、それが映画の夢というものであり、それはまた、(私たちが)映画に託すことが可能な夢でもある。』
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。徐々にスタートのもっさり感は解消してきました。道中の走りも素軽さが出て、反応もまずまずです。
○ 2004/5/2
チェ・ミキの従兄弟の結婚式で、名古屋往復。
○ 2004/5/3
午前、映画のシナリオ再読。メモを撮りながら半分まで。
昼前から準備を始め、13:30、梁山泊関係3人来宅。
時々、霧雨みたいな状態だったが、屋上七輪決行。夕方には、晴れ間も出てきた。
昨日、今日飲み続けで、さすがに疲れてきた。
○ 2004/5/4
10:00、連休を使ってディズニーランドに来ていた、チェ・ミキの妹家族が、大和町に来た。
10:30、事務所。昼前後を挟んで、ハローアーキテクトの原稿仕上げる。
映画のシナリオ、残り半分再読。
○ 2004/5/5
朝起きたら、咳がひどく、関節もいたく、熱っぽいので計ってみたら、熱がある。
3、4日前から、少しのどが痛かったが、完璧な風邪。
午後予定していた、KKHのクライアント打ち合わせ土曜に延期してもらう。
一日寝ていた。よく眠れるものだ。良い休養になった。
○ 2004/5/6
天気予報では晴れて暖かくなる、と言うことだったが、一向に晴れず肌寒い。昨日あれだけ安静にしていたが、風邪がスッキリしない。
10:00、KKHの建設会社来所。契約図面の打ち合わせ。明日、地縄立ち会いにする。
午前中、ハローアーキテクトの原稿と写真データメールするが、上手く相手に届かない。なんやかやしている内に、午前中は過ぎる。
14:00、渋谷で新しい映画の打ち合わせ。夕方まで。
事務所に戻り、ハローアーキテクトのデータのやりとり。映画打合せでもらってきた資料読む。
夜、久々に「8月のクリスマス」ホ・ジノ監督(1998)を見る。見る度に、この映画の素晴らしさがみえてくる。大好きな映画だ。
○ 2004/5/7
午前中KKHの施工図チェック。
12:20、KKHの現場。地縄確認。
16:00、KRHの打ち合わせ、事務所で、建設会社と。
夕方から夜にかけて、明日のKKHクライアント打合せの準備。
その間、吉祥寺の小劇場候補の連絡いろいろ入る。二転三転。
なかなかしつこい風邪で、長く話していると、のどがヒリヒリしてきて、咳き込んでしまう。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。気持ちが前向きになり、以前に比べると行きたがるようになってきました。スピードにのってからの動きは上々です。
○ 2004/5/8
10:00、KKHクライアント打ち合わせ。昼過ぎまで。
一度大和町に戻り、今年初めに竣工したNSHへ。今日は朝から、新(あたらし)さんに写真を撮ってもらっている。坂下が朝から手伝っている。19:30、撮影完了。
NSHのクライアント御家族に、我々3人夕食の御招待頂く。渋谷のベトナム料理のお店に連れてっていただく。とてもおいしかった。
楽しく暮らしていただいているそうだ。天気も心配だったが、よい天気で、写真の仕上りが楽しみだ。
○ 2004/5/9
新しい映画の参考にと、2本ビデオを借りてきて見た。両方ともよく出来ているのだが、(多くの人に対して)良質のプログラムピクチャーというのかな。「人は何故、映画を撮るのか?」という、素朴な疑問が残った。莫大な制作費をかけて(ここが結構大きいなあ)、何の為に。もちろんいろんな答えがあるだろう。
夜、3chの「トップランナー」で、庵野秀明監督が新作「キューティー・ハニー」について、「現場の熱気がダイレクトに見ている人に伝わるような映画をつくりたかった」というようなことを言っていた。
分かりやすい、ひとつの表明だ、と思った。
○ 2004/5/10
朝8:00、ミリメーターからファックス。彼らも早いな。
KKHの施工図訂正、ファックス。土曜日に届いた、KOHの構造案の検討。LEV新オフィスの見積チェック。などなど。
16:30、KRHの基礎配筋検査。山崎さんと。
検査後、高円寺駅そばのミスタードーナツで打ち合わせ。KOHの構造が俄然面白くなってきた。いよいよまとめて行けそうだ。途中まで作った、BBHの模型も面白くなってきたし、この2つはそろそろ収斂していく段階になった。
19:00、事務所。映画の資料読む。
○ 2004/5/11
朝、事務所。
昨日の映画の資料の続き。
10:30、EMH の現場。8日(土)に建て方だったが、打合せと写真撮影があったので、高橋に任せていた。
現場でいくつか気付くことがあった。木造だが屋上付きで、上がってみると最高の眺めだった。
今日は夏のような天気で、現場にいるだけで、日に焼ける。
12:30、中目黒でミリメーターとLEV新オフィスの下打合せ。
13:30、LEV新オフィス、クライアント打ち合わせ。
帰りに、青山ブックセンターで「映画技法完全レファレンス」(フィルムアート社)。
17:30、事務所。
○ 2004/5/12
朝、事務所。昨日のLEV新オフィスについて、電話連絡など。
10:30、KRHのクライアント打ち合わせ。外構について。クライアントが紹介してくれた、門扉・フェンスなど、外構全てを手掛ける深沢さん、西荻の方だと聞いてはいたが、話してみたらなんと、荻窪中学の一年先輩。その他にも、西荻関係で共通の知合いがたくさんいた。お互いびっくり。
深沢さん達に、大和町の家をさっと見てもらって、昼前事務所。
午後は、KOHの構造スケッチ。
「夜を賭けて」のメイキング、「ヨルカケ」の監督・毛利さんから相談の電話あり。
18:00、武蔵境のミリメーターの事務所で、LEV新オフィスの打ち合わせ。
○ 2004/5/13
8:00前、事務所。
10:00、構造の吉田さんとKKH現場。床づけのローム層確認。いくつかの打ち合わせ。
11:00、事務所に戻り、すぐ渋谷まで。
新しい映画の打ち合わせ。ロケハンに向け、シーンにそって、撮影場所やセットのイメージの打ち合わせ。
15:30、修了。16:30、事務所に戻る。
木村と明日のKRHのプレカットの打ち合せ用図面のチェック。
その間にいくつもの電話。落ち着かないこと、この上ない。
18:30、坂下来所。KKHの打ち合わせ。
○ 2004/5/14
8:00、事務所。メールチェックや現場への連絡。
今日から「新版・歴史のための弁明・歴史家の仕事」マルク・ブロック/村松剛訳(岩波書店)を読みはじめる。ここのところ、映画の参考になるような、技術的なことを書いた本を、続けて読んでいたので、まとまったものがとても読みたくなった。
午前、TRH明日のクライアント打合せのための準備。
昼に事務所を出て、KKHクライアント宅へ。打ち合わせ。
15:00、事務所に戻り、KRHの防音工事、プレカットの打ち合わせ。
慌ただしく、一日が過ぎていく。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。休養前に芯を入れたためか良化が早く、さっそく手応えがきつくなってきました。トモの甘さは相変わらずで、蹄の先端を引きずるように歩きます。
○ 2004/5/15
TRHの見積についての打合せの準備。
11:00、歯科医院へ。連休前に、詰めていたものが取れてしまったので、その治療に。1時間半くらいかかる。何度か通わなければならないそうだ。
13:30、TRHクライアント打ち合わせ。
打合せの後、自転車で上石神井の荒木さんのオープンハウスへ。帰りに、西荻方面を廻る。今月は、西荻北口を中心にアートイベントをやっているので、どんな様子か見がてら、先日、KRHのクライアントに紹介していただいた、鍛冶屋さんで中学の先輩のアトリエ・ベガを訪ねる。アトリエ・ベルもこのイベントに参加していて、夜やる薪能の準備で御留守だった。
夕方、西荻の実家にちょっと寄る。
○ 2004/5/16
午前中、たまった新聞を読む。
美術家の中村政人さんが、湯島の築50年の民家を改修しながら、暮らし、事務所にもなっている「湯島もみじ」が紹介されていた。注目している面白いプロジェクトだ。その記事の中で中村さんが「自分の体より大きいものを作る喜びが、ずっと続いている。変化する家と街から情報を読みとり、体から考える。それがコミュニティーの形成にもつながる。これは本来の意味で『建築』的。東京全体も同じように考えれば、六本木や汐留めのような開発にはならなかったと思います。」語っている。
以前感じた、みなとみらいや汐留と中央線沿線の街との差異も、この言葉にあるような身体性の観点から考えてみると、全く同じことが考えられる。
13:00、過ぎ。三鷹台の小高さんの家を訪ねる。小高さんが今すんでいる家は、生田勉設計の「牟礼の家」(1960年頃竣工)。緑を見ながらの飲み会。夕方お暇する。
17:30、大和町。ミリメーターとLEV新オフィスの見積の電話連絡。
夜、昨日とっておいた、ETV特集「“フォーク”であること〜高田渡と高石ともや」と借りて来ていた「ラブ&ポップ」庵野秀明(1998)を見る。
○ 2004/5/17
8:00、事務所。KRHのプレカット工場から、何度か電話あり。
新しい映画の件で、野辺さんに電話してお願いごと。
午後に打ち合わせのLEV新事務所の見積りを見る。ミリメーターと電話で打ち合わせ。
TRHの土曜日の打合せ事項をまとめ、白州の建設会社にファックス。
KOHのスケッチ、木村に説明。
14:30、LEV新事務所の打ち合わせ。クライアントとビルの指定業者。予定より出てきた見積り高かったが、この打合せで調整、クライアントにも了解頂き、明日からさっそく工事の段取りに入ることになり、一安心。
18:00前、事務所に戻る。TRHの建設会社に電話して、今週の金曜日に現地に行って、打合せすることにする。
○ 2004/5/18
8:00、事務所。LEV新オフィスの件で、いくつか電話連絡。
KOHの構造スケッチ。午後一で木村に作図指示。
今日は、EMHの上棟式なので、14:30に事務所を出て、お祝いのお酒を買って、現場に向かう。
16:00、EMH上棟式。簡略のお清めの後、合板で作った仮テーブルを囲み、二時間程クライアントと職人さん達と飲んだ。やはり、上棟の骨組みの下で飲むのは楽しい。
その後、建設会社の方と、下北沢と新宿で飲む。
上棟式から、日本酒を飲んだので、けっこう酔ってしまった。
○ 2004/5/19
昨日の酒が残っていて、9:30に事務所に来たが、集中力無し。
KKHの工事担当者来所。
12:00、事務所を出て、仙川へ向かう。先日電話があった「ヨルカケ」の監督・毛利さんの敷地候補地を見るため。駅で待ち合わせ、候補地をみて、すぐ近くの現在お住いの家で話をする。仙川の駅は調布市で、敷地候補は世田谷区。住宅地図を見ると、行政境を挟んで、調布市の整理された街区と世田谷区の昔のままの未整理の街区の、極端な違い驚く。毛利さんが今住まわれている家も、細い路地にそって家が並ぶ一画で、居心地のよいところだった。先日日報に書いた、街の出来かたと身体性の関わりをここでも如実に感じた。
16:30、事務所に戻る。
KOHのスケッチ。
○ 2004/5/20
8:00、事務所。
朝からKOHの作業。
10:30、キッチン・洗面化粧台の打合せに、KKHのクライアントと建設会社の担当者、来所。
木村、高橋、二人で KOHとBBHの模型づくり。
今晩は台風だそうだ。
○ 2004/5/21
台風一過しつつある朝。
8:00、事務所。
昼から、TRHの見積り調整に、山梨県の白州まで行くので、準備。
木村にKOHの模型、追加指示。
12:00のあずさに乗って、構造の吉田さんと小淵沢まで。
昨夜の雨で、空気がきれいだ。新緑も爽やかで、遠くの山並もはっきりみえる。
現地を確認した後、建設会社と見積の打ち合わせ。
夕方になると、少し寒いくらいだ。
20:00、新宿に戻る。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。掛かるほどではありませんが、もう少し気持ちに余裕があっても良さそうです。抵抗力が落ちているようで軽い皮膚病を発症しています。
○ 2004/5/22
午前中、昨日のTRHのまとめと連絡。午後の打合せの為に出来上がった模型を見て、打合せ事項の確認。
14:00、KOHクライアント打ち合わせ。構造をがらっと変えたので、その説明。気に入ってもらえた。ほぼ、固まってきたので、詳細の設計に入れるようになった。
16:30、BBHクライアント打ち合わせ。こちらも、これから詳細を詰めていくことになる。
チェ・ミキが今年の春から行っている大学院の同級生・ヤスエチャンチェ・ミキと大将で飲む。
○ 2004/5/23
11:00に毛利さん一家が大和町においでになるので、片付け。
いまや盛りと延び放題延びている、キャロライナジャスミンと定家葛を剪定。多少は整理できるが、秋になって葉が少なくなってから、本格的に剪定しよう。とりあえず、お隣の樋などに絡み付かないようにした。
11:00過ぎ、毛利さん一家、来宅。拙宅を見てもらい、二時間弱いろんな話をした。
午後は高円寺周辺に買物に行き、あとはたまった新聞等を読む。
寒い日曜日。この時期、ある程度の暖かさに体がなれているので、急に寒くなると、よりエネルギーが必要になる。思い付いて、夜はキムチ鍋にする。
○ 2004/5/24
8;00、事務所。日報を書込む。
TRHの工事届を作成し、建設会社へファックス。
木村とKRHのプレカットの打ち合わせ。
午前から午後にかけて、KKHの躯体図チェック。
16:00、歯医者。先日の治療の続き。
18:00、KKHの建設会社担当者来所。簡単な打ち合わせ。
18:45、坂下来所。打ち合わせ。
○ 2004/5/25
8:00、事務所。
今日は気持のよい天気だ。朝9:00、空に雲ひとつない。
午前中、KKHの躯体図チェック終了。
その間、吉祥寺の小劇場候補の連絡、いくつか。
午後一番、構造・吉田さんから来た指示図を、高橋とチェック。
木村とKRHの電気について打ち合わせ。
吉祥寺の小劇場候補について、武蔵野市役所に連絡。
KRHの現場、間があいてしまっているので、確認に自転車で。
同時にKKHの現場に、図面を届けに行く。
自転車、気持よい。こんなぶらぶらした生活もいいな、と、フと思う。
夕方が気持の良い時間帯になってきた。
途中、高円寺文庫センターで、日曜日の新聞の書評で見た「水鏡綺譚」近藤ようこ(青林工芸舎)を見つけたので、入手。
事務所に戻り、映画の案を考えたり、色々なスケッチ。
夜テレビを見ていると、キヨシロウがコマーシャルで、「幸せになりたい、でも頑張りたくなーい。」というような歌を唄っていた。なんだか、わかる。
○ 2004/5/26
8:00、事務所。今日も良い天気になりそうだ。
午前中、木村とKRHのサッシの打ち合わせ。
昼前に事務所を出て、13:00LEV新オフィス、クライアント打ち合わせ。ミリメーターと一緒に。
打合せは続いていたが、15:00に途中退席。
16:00前に事務所に戻り、すぐに自転車で高円寺駅へ。構造の吉田さんをピックアップして、KKHの現場へ。地中梁と耐圧盤の配筋検査。17:00、終了。
18:00、事務所でKKHの1階躯体図の打ち合わせ。坂下と建設会社の担当者。
その後、KRHのプレカットの打ち合わせ。
なんだか、打ち合わせ報告見たくなってきたな。
○ 2004/5/27
朝、事務所。
KRHの担当者から電話があり、29日建て方の連絡が入る。
いくつかの連絡の後、吉祥寺の小劇場候補の件で武蔵野市役所へ。
帰りは、丁度来た吉祥寺行きのバスに乗り、吉祥寺経由で事務所へ。
途中、吉祥寺の書店で「InterCommunication49/5つの対話・終わりと始まりのあいだで」(面白そうな対話メンバーだったので。)、「芸術新潮6月号/磯崎新・日本建築史を読みかえる6章」。
10:30に事務所に戻ると、KRHのクライアントから上棟式の日取りの連絡が入っていた。同時にKRHの金物のファックスが構造の山崎さんから来ていたので、担当者に連絡。ちょうど、現場に向かっていると言うことだったので、こちらも向かう。自転車で行ける現場は、身軽で良い。風が気持よく、爽やかだ。現地で話をし、11:40事務所に戻る。
2.、3日前から、映画のセットをのスケッチを、思い付いてはしている。夜、BSで白黒の時代劇を毎日やっており、たらたら見ていると面白い画面が時にあり、アイデアをメモし、昼間スケッチしたりしている。
14:30、写真家の新さん来所。先日撮影したNSHのポジを持ってきてくれた。素敵なカットが沢山だ。新さんが参加した、北京での展覧会の話などを聞く。
16:00過ぎ、映画セットのための資料探しに図書館へ。あまり収穫無し。
KOH、BBH、映画のセットのスケッチ。
○ 2004/5/28
朝、事務所。
職住接近と早めの出社をするようになってから、直行と言うことが少なくなった。
すなわち、「朝、事務所」が多い。
午前、茅野の建設会社からTRHの修正見積りがファックスで届く。
すぐチェックする。先日現地まで行って、打合せしてきた事が反映され、どうにか予算に近付いた。
14:00前、KRHの担当者来所。サッシュなどの打ち合わせ。今日から土台引き、材木搬入。明日建て方だ。
15:30、TRHのクライアント来所。修正見積を説明し、了解頂く。すぐ、建設会社に連絡し、契約、地鎮祭の段取り。
これで、4つ目の現場が動き出すことになる。分かっていたことだが、気を引き締めていこう。
17:00、銀座のINAXで明日から行われる、ザ・ハウスの作品展(http://www.thehouse.co.jp/event.html)のオープニングパーティーに出席するため、事務所を出る。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。センスがあり、先日のスピード調教でも伸びのあるしっかりした動きを見せました。ただ、少しトモが寂しくなってきたため、ペースを落として乗っています。
○ 2004/5/29
今日からKRHの建て方。朝現場にちょっと寄って、渋谷へ。
11:00の映画の打ち合わせまで、スターバックスでBBHのスケッチ。歩いている内にアイデア思い付いたので。
11:00映画の打ち合わせ。14:00終了。
16:00に国立で、映画のロケハンの為に萩原さんと待ち合わせしているが、時間があるので、吉祥寺まで行く。久々に、ジャズ喫茶のメグに行ってみる。十年以上来てないかもしれない。大音量で聞くジャズはやはり気持良い。
「新版:歴史のための弁明-歴史家の仕事-」を読み続けると、現代に思いがいく。例えば、拉致に関する政府の発表ひとつにしても、それらによって作られる歴史がどれだけ真実なのだろうか、と考える。歴史における、「証拠」「批判」等に対する、著者マルク・ブロックの考えを読んで行くと、けして現在生きていることが、現在の歴史にとって有利であるわけでない、という言説が何となくリアルに感じられてくる。
この本は「レジスタンス運動に参加してドイツ軍に銃殺された」著者により、危機の時代に考え、書かれている。すぐれた理性は、そのような状況のなかで、歴史を元に、警笛を鳴らす。そう思うと、現代の理性の無さは、実に危険だ。
16:30から、2ケ所萩原さんに案内してもらう。2ケ所とも、非常に魅力的な所だ。
国立、独特の雰囲気のある、良い町だ。
○ 2004/5/30
昨日から、暑い。まるで夏のようだ。
午前、新聞を読んだり、定家葛の剪定。
午後、買物に出かけ、ダービーをみる。コスモパルク残念。
自分でバリカン。
○ 2004/5/31
朝、事務所。今日は朝から蒸し蒸しする。
日報のアップ。ロケハンのデジカメ写真、メールで写真屋にプリント依頼。便利になったものだ。
高橋とTRHの契約図面の打ち合わせ。
今日も朝からKRHの建て方が行われている。レッカーが入らないので、時間がかかる。風も強いし大変だ。
KOH、BBH、KKHのスケッチ。
○ 2004/6/1
気がつけば、もう6月。
朝、事務所。BBH、KOHスケッチ。
昼に俳優の六平さんから電話がある。六平さんは新宿梁山泊時代からの知人で、1年ほど前、家を設計させてもらい完成した。今日はゆみさんと一緒に、ラピュタ阿佐ヶ谷に試写会にきたので、帰りに事務所に寄りたい、という電話だった。
今日は夕方からKRHの上棟式なので、午後一番でお祝いのお酒を買いに行く。
15:30、六平さんたちが来所。
16:30まで、今工事しているものや、設計しているものの模型などを見ながら話をする。
六平さんたちも、新宿で約束があるとのことで、一緒に事務所を出る。
17:00、KRHの上棟式。
18:30終了。その後、建設会社の担当者と高円寺で飲む。
○ 2004/6/2
昨晩少々飲み過ぎ。9:30事務所。
KKHの明日の打合せの準備。
13:00、歯医者。そのままBBHの敷地へ。新たに分割された10区画程のまとまりのひとつだが、周りがかなり建ってきたということで、再度行ってみた。屋上を計画しているので、隣の工事中の足場に上がらせてもらい、眺望を確認。
17:00過ぎ、事務所に戻る。
引き続き、KKHの準備。
○ 2004/6/3
今日も昨日に続き、サラッとして気持良い。
朝、事務所。昨日、一昨日のデジカメ写真を写真屋にメール。
朝ちょっとした連絡があり、KRHの現場へ。
午前中はKKHの打合せ準備。
昼を食べながら、写真ピックアップ。
14:00、KKHの設備を中心にした打合せ。16:00終了。
17:00過ぎ、再びKRHの現場へ。
今晩は、TRHのクライアントに、工事契約にいたり一段落、という事で食事に招待していただいており、18:30過ぎ、全員で事務所を出る。
西荻窪北口の「仁(リェン)」という、TRHのクライアントの大学時代の同級生がオーナーシェフの、中華を主体にしたおいしい料理のお店だった。
帰り道に「アケタの店」により、ずっと探していたが見つからなかった「AKETA・2つのオカリーナ祭りから・大工哲弘と西都古墳」を入手。さすがに、制作者「アケタの店」には置いてあった。
「アケタの店」25年以上前、良く通っていた西荻のジャズライブハウスだ。この日は板橋文夫オーケストラのライブ。ナツカシー、と思ってスケジュール表を手にとると、5月7日〜7月8日が開店30周年記念のスペシャル・ライブ月間で、出演者に懐かしい名前が並んでいる。久々にライブ聴きにこようか。 手に入れたCDは秀逸。http://www.aketa.org/cdnew.html
夜、途中からTVでやっていた「レオン」を見る。アップの使い方が素晴らしい。
最近、TVで映画を途中から見るが、物語に捕われないで見ることができるので、面白い映像だと続けて見れるが、つまらない映像だとすぐ止めてしまう。けっこう面白い。
○ 2004/6/4
今朝も晴天。乾燥していて清清しい。朝、事務所。
午後の構造・山崎さんとの打合せの準備。毛利さんから連絡あり、土地決めたとのこと。来週打ち合わせをすることにする。吉祥寺の小劇場候補の連絡あり。
昼一、高橋とEMHの電気設備打合せ。途中、KRHのクライアントから連絡あり、サッシ、ガラスの変更について、来週現場で打ち合わせることに。
14:00、山崎さん来所。KOHとBBHの構造打ち合わせ。
15:00終了。引き続き高橋と打合せ。
その後、木村とKRHの納まりの打合せ。
明日の白州行きの準備と吉祥寺の小劇場候補について、主催者に自分のスケジュールの連絡。
時計の電池が切れたので、入れ替えに出たついでに、KKHの現場のぞく。
KKHの施工図チェック。
打合せの続く一日だった。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。肉づきを良くするために引き続き攻め過ぎないようにしています。調子落ちもなく、動きは平行線です。
○ 2004/6/5
朝から山梨・白州へ。
9:00、三鷹でクライアントにピックアップしてもらう。構造・吉田さんも同行。途中、中央高速で事故渋滞。予定より一時間かかり、12:30、現場着。建設会社が地縄とレベルを出しておいてくれる。
まず、全員で簡易な地鎮祭。塩、米、酒で四方お浄め。地縄の確認。その後地盤を確認するために、ユンボで2ケ所地面を掘り返してもらう。根切り底を決め、レベルの確認をする。
現場での確認事項終わったので、隣の別荘の庭先を借り、工事契約書に調印。14:30全て終了。
昼を食べてなかったので、クライアントに旧街道にある古い造り酒屋「七賢」(http://www.sake-shichiken.co.jp/)がやっているお店「臺 眠」に連れていっていただき、麦とろ定食を御馳走になる。出てくる水は「七賢」の仕込み水。白州は水がおいしいので有名だそうだ。良い天気においしい水と空気、ほっとする。
食事の後、「七賢」の酒と、近所に金精軒(http://www.kinseiken.co.jp/)の野沢菜まんじゅう(以前いただいて、とてもおいしかった)を買い、帰途につく。
17:30、三鷹着。帰りはスムーズだったので、2時間しかかからなかった。
短い旅だったが、良い気分転換になった。
○ 2004/6/6
昨日とは打って変わって、雨。いよいよ梅雨入りか。
「歴史からの弁明-歴史家の仕事」読み終わる。博学な歴史学者による、たくさんの具体例から考察された、歴史とは何かの記述。当たり前だが、学問とは厳しいものだ。常に批判を持ち、判断していくことの大変さ。
坂下にKKHの連絡。
昨日買ってきた、七賢・劉伶を飲む。
○ 2004/6/7
今日は変な天気だった。
事務所に来た8:00頃は、けっこう雨が降っていたが、すぐに止んだ。その後も、晴れたと思ったら暗くなってきて雨が強くなったり。湿度も高い。
10:00、MRHのクライアント来所。要望をヒア?リング。
14:00、14日からインターシップで事務所研修の甲木(かつき)君来所。住まいは高円寺北。すぐ側で、小学校から高校までこの近所だったそうだ。
KKHの施工図チェックを集中的にやる。
○ 2004/6/8
KKHの施工図用図面作成。
10:00前、KKHの担当者来所。図面等をもらう。
昼前、KRHの担当者来所。内装のサンプル類を持ってきてくれる。
13:00、KRHの現場へ。クライアントと屋根、窓、外壁についての打合せ。
18:00、渋谷。新しい映画の打合せ。プレロケハンも大詰め。
昼間は蒸し蒸ししたが、夜になったら湿度が下がったのか、涼しくなってきた。
○ 2004/6/9
KKHの施工図用図面作業。
午後一、木村とKOHとKRHの打合せ。
17:00、坂下来所。KKHの施工図チェック打合せ。
○ 2004/6/10
8月にクランクイン予定の映画のロケハン。
7:30新宿出発。上尾、群馬県中之条町、高崎をまわる。
20:30高円寺着。
成果が上がった、内容の濃いロケハンだった。
○ 2004/6/11
午前中、昨日のロケハンの写真の整理とプリントメール。連絡事項であっという間に過ぎる。
13:00、KKHの担当者来所。施工図チェックバック。
TRHの基礎施工図がファックスできたので、チェックバック。
ロケセット候補地の実測の図面、途中まで。
16:45KKH1階壁・2階スラブ配筋検査。構造の吉田さんと。
前回の配筋検査の時、次のとき高円寺を案内することにしていたので、吉田さんと沖縄料理・抱瓶(だちびん)へ。19:00過ぎ、吉田さんの奥さんとチェ・ミキ参加。
その後、大将へ。深夜まで飲んでしまう。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。ウォーキングマシンによる運動をしています。左前の球節の辺りが腫れており痛みがあるようです。単なる捻挫であればすぐに症状が治まるはずですが、長引くようであれば詳しい検査を行います。
心配だ。
○ 2004/6/12
昼前事務所。
ロケハンの写真ピックアップと唐組へのお祝いのお酒を買いに行く。
昨日の続きのロケセット候補地の実測の図面を完成し、メール。
MRHの敷地図。その他進行中の諸々のチェック。
17:00、新宿花園神社の唐組・赤テントへ向かう。
19:00、唐組「津波」。津波にさらわれ、思い出となってしまった場所を、懸命に守ろうとする女性陶器職工の物語り。モノとシステム対決。
○ 2004/6/13
朝、たまった新聞を読む。
10:00、ミリメーターの笠置さんと目黒で待ち合わせ。
LEV新オフィス、建築関係の工事がほとんど終わったので、一緒に現場へ。
帰りに新宿下車し、青山ブックセンターへ。「映画覚書vol.1」阿部和重(文芸春秋)、「国際シンポジウム小津安二郎生誕100年記念[OZU2003]の記録」(朝日選書)、「きわめてよいふうけい」ホンマタカシ(リトルモア)。
昼、大和町に戻る。
新聞の続き、KOH、TRHのチェック。
夕暮れ、室内は暗いが、外は明るい。CDプレイヤーから流れる、古謝美佐子の「家路」(ドヴォルザーク)。しみみじみした、日曜の夕方。
夜、借りてきたビデオ「月の砂漠」青山真治監督を見る。自然さと不自然さが絡み合った映画。それが映画なのかもしれない。
○ 2004/6/14
抜けた日射しに、ひやっとした風。気持の良い朝だ。
朝、事務所。9:00前、TRHの長野の建設会社の担当者から電話。いよいよ工事が始まった。
10:00、今日からものつくり大学から、インターンシップで甲木君研修スタート。
13:30、KRHの現場打ち合わせ。屋根は葺き終え、外部の合板を張っている。
15:00、事務所。
16:30、歯医者。歯医者から戻り、木村と明日のKRHのクライアント打合せの準備。
KKH、BBHの検討。
○ 2004/6/15
新聞の天気予報を見ると、今日は30度になるそうだが、朝は空気が乾燥していて、気持が良い。
11:00、KRHクライアント打合せ。
15:00、事務所に戻る。
16:00前事務所を出て、中野区松ヶ丘の住宅展示場に向かう。
西武新宿線の新井薬師前から歩いて5分の所にある。自転車で行けば、20分くらいの所だが、そこに行った後馬主会があるので、バスと電車を乗り継いで行ったら、一時間弱かかった。自転車はある範囲内では、便利なものだ。
夜、馬主会。
○ 2004/6/16
今日も良い天気だ。
朝、事務所。
10:30、昨日のKRHのクライアント打合せの結果を木村に指示。
昼を挟んで、BBHの矩形図スケッチ。
17:30、坂下来所。KKHの打合せ。
今週は、週末まで打合せが詰ってしまった。
慌ただしいが、これらをひとつひとつクリアーして行くことで、物事が先に進んでいくのだ。
でも、そんな状況だからこそ、何か見落としていないか、クールダウンして見直すことが大切だと、肝に命じる。
○ 2004/6/17
今日もまだ梅雨の中休みか。
朝、事務所。
10:00、松庵のKKHのクライアント宅へ、自転車で。打合せ、12:00過ぎ終了。西荻でラーメンを食べ、事務所への帰り道。次の打合せまで時間があったので、自転車でゆっくり走っていたら、通りすがりの店でシャツが目につき、物色、購入。気がつけば、13:00、過ぎ。慌てて事務所へ。
14:00過ぎに、目黒。(これは電車。)LEV新オフィスのクライアント・事務所検査。ミリメーターと。
16:00、事務所に戻る。
高橋、木村とそれぞれ打合せ。
18:30、KKHの現場担当者来所。躯体図チェックバックと今朝の打合せ事項伝達。
あっという間に、一日が過ぎてゆく。
明日も、同じような一日になりそうだ。
○ 2004/6/18
朝、事務所。昨日、BBHのクライアントから、要望の見直しの連絡があり、その検討。
10:15、自転車で新宿梁山泊・満天星へ自転車で向かう。満天星裏の土地の空家をロケセットに使えるかの検討。主だったスタッフが集まる。その後、セットを組む稽古場を見てもらい、スタッフ打合せ。14:30終了。15:00、事務所。
いくつかの連絡、スタッフとの打合せ後、16:00、KRH電気・内装仕上げ打合せ。19:00、終了。 再び、BBHスケッチ。
今日も一日、あっという間に過ぎてゆく。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。左前脚球節の腫れは、捻挫が原因だったようですぐに回復しました。もう痛みはありません。ただし、今は少し精神的にカリカリしているため、落ち着かせながら乗っています。
一安心。
○ 2004/6/19
9:00、事務所。BBHスケッチ。
11:00、事務所を出て目黒のLEV新オフィスへ。今日は引越なので、様子を見に行く。
14:00、事務所に戻る。引き続きBBHのスケッチ。
17:00、一段楽したので、大和町に戻り、花組のスキャナーを使い、先日見に行った満天星裏の、映画のロケセット候補地の図面作成。
○ 2004/6/20
午前中、昨日に引き続き、満天星裏のロケセットのプラン作成。作成後、ファックス。
一日、映画の準備のためのスケッチ。
今日は夏真っ盛り、と言える天気。
夜になっても蒸し暑い。
○ 2004/6/21
朝、事務所。図面作業を少しして、8:45KRH現場へ自転車で。
9:00、構造・山崎さん、軸組、金物検査。その場で、BBHの変更についての打合せ。
10:00過ぎ、事務所に戻る。
昨日作成した、ロケセットプランの図面を梁山泊・三浦さんピックアップに来る。
進行中のプロジェクトについて、スタッフとそれぞれ打合せ。明日の打合せの準備。
15:00頃から、台風で雨風が強くなる。
16:30、一度大和町に戻り、着替えて国分寺の葬祭場へ。
妹の嫁ぎ先のお父さんが亡くなり、お通夜。受付のテントが風であおられている。
読経を聴いているうちに、この3年位の間に、若くして亡くなった二人の友人のことを強く思い出した。
ことあるごとに、思い出すが、葬儀と言う状況に、二人の不在を強く感じた。
○ 2004/6/22
台風一過。晴天。朝、事務所。
映画セットの図面を書きはじめる。
11:30前、以前事務所にバイトに来てくれていた風間さんより、仕事で近くまで来ている電話がある。しばらくして来所。住宅関係の会社で働いていて、忙しくやっているようだ。変わらず元気だ。
14:00、KKHの打合せ。設備の酒巻さん、現場担当者、設備電気業者さん。16:00終了。
17:00、TRHのキッチンについてクライアント打合せ。
連絡事項、スタッフとの打合せが、頻繁に入る。
映画のひとつのセットのスケッチが一段楽し、さらにエスキスを続ける。
明後日から、ロケハンが山場になりそうだ。
○ 2004/6/23
今日から、朝7:00から事務所に来ることにした。
映画で時間使うことも多くなるので、事務所にいる時、なるべく沢山仕事ができるように。撮影が始まると、朝早く現場に行くことも多くなるだろうから、丁度良い。サマータイムだ。
木村に指示しておいた、KOHの図面チェックとスケッチ。
KKHの現場用図面を訂正し、施工図用に電気業者さんにメール。TRH の基礎と1階スラブの施工図がファックスで来たので、高橋と一緒にチェックバック。
16:00、歯医者へ。最後の型取りと仮歯入れ。2時間近くかかる。
終了後、慌てて事務所に戻り、18:30、KRHクライアント宅へ。工事の増減を含め、予算の再確認。
事務所に戻り、打ち合わせ事項、指示。
午前中5時間仕事ができると、やはり色々なことができる。
○ 2004/6/24
今日から、梁山泊の座長・金監督の2作目「ガラスの使徒(つかい)」のメインロケハンが始まる。
8:00、渋谷出発。滋賀県竜王町に向かう。
今回の映画は、レンズ磨き職人の話し。滋賀で天体望遠鏡の研摩をされている苗村さんを、映画のスタッフ総勢11人で訪ねた。
往路、4時間くらい走ったところで、ロケバスの左前輪がバースト。突然の衝撃。幸い、分離帯の所で止まり、事故にはならなかった。タイヤ交換して次のサービスエリアで昼休憩と、ロケバスのチェック。しかしロケバスのエンジンがかからなくなる。バーストした時の衝撃で、電気系統がいかれてしまったらしい。しかたがないので、修理工とレンタカーのバスが手配され、予定大幅に遅れ16:00過ぎ、苗村さんの住宅兼作業場に到着。苗村さんにレンズや磨き方、作業場や機械の説明、テストの仕方などいろいろ伺う。良くわからなかったことが、次第に明らかになっていくが、解れば解る程それらをどう映画にするか、悩みは膨らんでいく。しかし、苗村さんにお話を伺えたことは大収穫。帰りの時間を考え、18:30、まだまだ伺いたいことあったが、皆後ろ髪を引かれながらもお暇する。
この間に、ロケバスの修理はすんでいたが、途中のサービスエリアでピックアップしたり、安全運転のため、結局東京着は深夜1:00前。梁山泊の車や、制作の車に分散し帰路に着く。
ながーい一日だった。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。相変わらずテンションが上がりやすく、前掻きをしたりすることがあります。それでも坂路での動きは上々で、特にスピードにのってからは全身を使った伸びやかな走りです。
○ 2004/6/25
昨日遅かったので、9:00事務所。
10:00から、スタッフや甲木くんと打合せし、11:00前事務所を出る。今日は、都内のロケハン。 国立、白金台、六本木、東麻布、板橋、最後に茅場町の豊海橋をまわる。20:30終了、解散。
その後、京橋へ。チェ・ミキの友人たちと飲み会。2、3年振りである。大阪から来ているハマちゃん、大和町に宿泊。
○ 2004/6/26
10:30、事務所。
昨日、一昨日とほとんど事務所にいなかったので、日報をアップ。
ロケハンのデジカメ写真の整理。いくつかの連絡事項。
午後、写真のプリントをメールで依頼。KOHのスケッチ。映画セットのスケッチ。
「夜を賭けて」の時や芝居の時もそうだが、映画や芝居のことから、建築に切り替えるのにちょっと時間がかかる。同じことをやっているようでいて、やはりずいぶん違うのだろう。
○ 2004/6/27
8:30まで、ゆっくり寝る。
たまった新聞を読み、「ガラスの使徒」のシナリオを再度読み、メモとスケッチ。昼前、キャリライナジャスミンを剪定。この時期、あっという間にのびる。
午後、買物に行き、BBH、KOHのエスキス。
夜、借りてきたビデオ「汚れた血」レオス・カラックス(1986)を見る。予想以上に面白い映画だった。主演のドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュどちらも良かった。ラストでジュリエット・ビノシュが滑走路を両手を広げ走るシーンのフィルム処理が最高だった。もう一度見てみたい。もちろん他の映画も。
○ 2004/6/28
朝、事務所。
進行中のプロジェクトの作業。
17:00、KKHの2階スラブの配筋検査。構造・吉田さんと。終了後、他の現場の打合せ、マックにて。 18:30、事務所に戻る。吉田さんとの打合せ事項、高橋と打合せ。
、と書いている今は30日。大きなことは思い出せるが、細かい具体的なことは思い出せない。たかが、一昨日のことだが、恐ろしい。
○ 2004/6/29
映画のロケハン、9:00新宿出発なので、KOHの図面を取りに、一度事務所へ。
大和町でエスキスをしばらくして、8:15大和町を出る。
ロケハンは群馬県・中之条町を中心に、高崎まで。監督、演出部、撮影、照明のスタッフとあらかじめロケハンしてあった場所を周りながら、カメラアングルや撮影方法、ロヶ地での飾り等を打合せして行く。今日のロケハンは、水に絡む撮影の場所が中心なので、現地での打合せが予想外に長くなり、高崎で夕方終了の予定が、21:00になってしまう。23:00帰京。
途中で坊主をゲット。
○ 2004/6/30
昨日はさすがに疲れて、7:30前起きる。
大和町で、昨日の写真を取り込んだりして、9:00前、事務所。
夕立ちのような雨が降っている。
午前中、KKHとTRHの図面チェック。甲木君と映画セット模型の打合せ。
13:30、KKH現場担当者来所。打合せ。
その後、木村とKOHの打合せ。
明日の映画打合せの資料を探しに、図書館へ。模型に使おうと思って、宗教画の画集を借りてくるが、模型につけてみて、予想していた雰囲気と違うので、却下。やはり模型は一発で判断できる。
夕方、甲木君と模型、あれやこれやいじくりまわして、どうにかある段階へ。
TRHの建設会社と、電話連絡。
夜、再び木村とKOHの打合せ。
もう、6月も終わり。半年が過ぎた。今までで一番ヒートアップしそうな、7・8月がやってくる。
○ 2004/7/1
朝、事務所。
9:15自転車で満天星へ向かう。10:00から映画の打合せ。
満天星裏のロケセット候補地を下見した後、11:00前打合せ開始。
21:00終了。
○ 2004/7/2
朝、事務所。
セットの図面手直し。
木村とKOHの打合せ。
甲木君とBBHの模型の打合せ。
14:00、満天星で映画打ち合わせ、昨日の続き。
○ 2004/7/3
8:30、事務所。
KOHのチェック。いくつかの連絡事項。
10:00、事務所を出て、自転車でKKHの現場の前を通り、高円寺に自転車を置き仙川へ。11:00、MRHのクライアントと敷地へ。今建っている建物の中に入れてもらい、環境のチェック。
12:00前、仙川を出て、明大前で乗り換え池ノ上へ。EMHの現場。光の感じがなかなか良い。明るすぎず、暗すぎず。光がまわって来るよう考えたところに、ほんのりと明かりがまわり込む。2階、太陽光が強すぎないか心配だったが、開口をしぼったので、今日の日射しでも丁度良い明るさになっている。
下北沢まで歩き、食事し、高円寺に戻る。自転車をピックアップし、KRHの現場へ。こちらも随分進んだ。
事務所に戻り、KOHの構造の連絡等。
夕方、映画の制作担当の大谷さんから電話があり、僕が紹介した映画のロケセット候補の場所が、持ち主さんの了解を得られたとの連絡があり、ホッとする。(寺林さん、ありがとうございます。)
セットの図面も少し進んだ。
明日から、ロケハン3連チャンだ。
○ 2004/7/4
映画のロケハン。8:30、新宿出発。秩父へ。
秩父では、カメラのレンズを作っている工場を見学。
秩父市内には行かなかったが、秩父の山中工務店に鳥越さんの家をやってもらった時、何度か秩父を訪れたことを思い出した。
その後、東京に戻りお台場当りをロケハン。
16:30、満天星に戻る。
満天星に作るセットの打合せ。
○ 2004/7/5
今日も映画のロケハン。8:00新宿出発。
11:00、福島県の滝根町着。滝根町・星の村天文台をロケハン。12:30終了。
帰りに大宮をロケハンして、18:00前満天星に戻る。
○ 2004/7/6
朝、事務所。
いくつかの連絡事項とスタッフ打合せ。
10:45事務所を出て、成城学園に向かう。11:45ロケハンスタート。
先ずは、成城東宝撮影所。撮影に使う予定のプールを下見。水深4メーター位か。内側が青く塗られたプールの水の色が美しい。
次に吹上の、ものつくり大学に向かう。ものつくり大学の作業所をセットのスタジオとして使えないかの下見。岩下先生との打合せ。
19:00前、高円寺に戻る。TRHの現場からファックスが来ており、連絡。
明日からしばらくは、事務所で仕事ができる。が、明日は予定が一杯なので、木・金・土は集中したい。
InterCommunicationNO49「特集:5つの対話-終わりと始まりのあいだで」の「大澤真幸×北田暁大:リベラリズムと現代社会 —自由・責任・正義」は非常に興味深い対話だった。もう一度読みかえしてみたい。
「カフカ短編集」池内紀編訳(岩波文庫)を読みはじめる。
○ 2004/7/7
朝7:00、事務所。
続いたロケハン写真の整理。午後打ち合わせ予定のKKHの施工図チェック。
8:45、事務所を出てEMHの現場へ。内装仕上げのクライアント打合せ。今日は暑い。
11:30打合せ終了。高橋を置いて先に戻る。
13:00、歯医者。取れた詰め物の処置がやっと終了。まだやるところはあるが、忙しいので予約を確定することが出来ないので、映画の終わる9月から処置再開にする。
木村とKOHの打合せ。セットの件で、梁山泊と電話でいくつかの打合せ。セットで使うクロス見本を、梁山泊が持ってきてくれたので、決める。
15:00、KKH定例打ち合わせ。
終了後、TRHの設備連絡事項ファックス。セットの道具帳一枚仕上げファックス。
17:30、彩の国さいたま芸術劇場へ。
17:00、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団「天地」。昨年の公演の際に日本に2ヵ月程滞在し、その経験、印象をもとに作り上げた作品。ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団はこのような共同制作を世界各地で行っている。
目の前にあるイメージがどんどん変わっていく。時にイメージは重層する。最後、激しいリズムとダンスのめくるめく交叉。最高になった時、本当にゆっくりのフェイドアウト。網膜からイメージが消えていく。
休憩20分を含め、3時間の大作だが、あっという間に終わってしまった。
この忙しい時期、今だったら券を買って見に来なかっただろうが、チケットを買ったのが3ヵ月前。見れて良かった。良い刺激になった。
東京の最高気温35度。暑く、密度の高い一日だった。
○ 2004/7/8
朝、事務所。
KOH申請に向けての疑問点、ここ何日か悩んでいたところを役所にききに行く準備。何ケ所かに問い合わせ。
セット図面、作図。
10:00、木村が来たので、KOHの図面指示しチェック完了するのを待って、11:00区役所へ。こちらの解釈が通る見通しがついた。すぐ事務所に戻り、木村に打合せ事項報告。
午後一番、セット図面上げファックス。梁山泊と電話で打ち合わせ。
甲木君、BBHの検討用模型、完成。明日からセット作成作業の手伝いをしてもらおう、と思っている。その打ち合わせをしてもらうために夕方から、梁山泊・満天星に行ってもらう。
17:00、坂下来所。KKHのスイッチ、照明等の配置の打合せ、及び最終サッシュ図のチェック。
今日も暑い。なんだかこの間見た「汚れた血」のようなシチュエーションみたいだ。「汚れた血」はハレー彗星の接近のため、夜が暑いという近未来が舞台設定になっている。
○ 2004/7/9
7:00前、事務所。朝から暑い。今日も35度になるようだ。
朝から、満天星裏に作るロケセットの図面。
メールで、今後の作業に必要そうな写真のプリント依頼。
午後一番、KKHの担当者来所。昨日のサッシ図のチェックバック。
高橋と来週現場に行く、TRHの打合せ。
木村とKOHのサッシ周りの打合せ。
ロケハンの写真を整理し、引き続き、ロケセットの作業。18:30、図面完成したので、梁山泊へメール。
BBHの模型、エスキス。
<マイネポリーヌ> 真歌トレーニングパークで休養中。昼夜放牧されています。1日20時間程度放牧地で過ごしており、運動量は十分です。昼夜放牧の間に体質強化が望まれます。
○ 2004/7/10
朝8:00、事務所。今日で7月に入って、十日が過ぎてしまった。あっという間だ。
今度の撮影は8月一ヵ月となっている。いつもの芝居の時もそうだが、建築のタイムスパンに比べ圧倒的に短く、通常の仕事の締切り感と全然違う。だから時間の進むスピードも違い、あっという間に過ぎていく。
この密度は、建築の仕事にも良い影響を与えているが、スピード感で建築の長いスパンをやり通すことは難しいだろう。やはり映画の短いタイムスパンの中でのことだろう。
9:30、事務所を出て満天星へ。
セット、良い感じに出来上がりつつある。いくつか打合せして、昼事務所に戻る。
ロケセット図面の手直し、メール。
13日の白州行きの切符の手配と写真ピックアップ。
別のセットのエスキス。
○ 2004/7/11
9:30、事務所。
10:00から、梁山泊の梶村とセット装飾の打合せ。
13:00終了。昼食を食べに行く。その後事務所に戻り、セットのエスキスをする準備をして、大和町に戻る。
投票と買物に行き、その後セットとロケセットのエスキス。
今日の午後は、晴れてはいるが落雷があり雨の降る、変な天気だった。
投票に行く時、そういえば前の選挙の時、高円寺在住の新宿・ナジャの安保さんご夫婦にあったな、と思って自転車で商店街を行ったら、今回もまた安保さんたちに出会ってしまった。不思議だ。
○ 2004/7/12
朝、事務所。ここ何日かの猛暑に比べ、ずいぶんすごし易い。
今日は1日かけて、昨日のセットの打合せとエスキスをまとめてしまう。
その間、いくつかの連絡事項。
夕方には頭を切り替えて、進行中のプロジェクトのエスキス。
○ 2004/7/13
朝、事務所。新聞を見ると最高気温37度となっているが、朝はすごし易い。
いくつかのプロジェクトのエスキスをして、9:45事務所を出る。
10:30新宿発のあずさで小淵沢へ。白州のTRHの基礎配筋検査と、木造部分の打合せ。構造・吉田さんと高橋。
13:30現場到着。基礎の型枠が組まれ、建物の輪郭がわかる。まだ組まれていない2階が特に気持よくなりそうだ。2:30現場を離れ、茅野にある建設会社に向かう。これから刻みにはいる木軸部分の詳細打合せ。
17:00過ぎに終了し、車で茅野駅まで送ってもらい、17:48のあずさで新宿へ。
車中、話の流れで肉マンの話になり、皆で肉マンの旨い新宿の玉蘭に行って、飲むことになる。吉田さんの奥さんとチェ・ミキも参加。
帰りに、映画の参考にならないかと、久々にゴールデン街をひとまわりしてみる。
新宿駅に向かう途中に、アクセサリー売りの露店商がいたので、写真を取らしてもらう。
○ 2004/7/14
朝、事務所。今日も暑くなりそうだ。
昨日の写真の整理とプリント依頼等、雑務いくつか。
9:00、事務所を出て駒場東大前へ。10:00打合せ。事務所だった建物を、住宅に変える計画。
13:00前。事務所に戻る。
昨日、木村が扁桃腺を腫らしたようで熱が下がらず、今日も事務所に来たが調子悪く、午前中で早退した。昨日吉田さんも、風邪から扁桃腺を腫らし、高熱がでたといっていた。これだけ暑くなり、冷房のきいたところとの温度差が激しくなると、体調管理も大変である。
昨日のTRHの現場写真をクライアントにメール。
ハローアーキテクトの原稿チェックバック。
図書館に予約しておいた本が準備できたので、自転車で取りに行く。
今晩の映画の打合せの資料整理。
17:00、KKHの最後の配筋検査。
18:00過ぎ事務所に戻り、いくつか連絡事項、スケッチ。
19:00、事務所を出て満天星に向かう。20:00から映画のセットの打合せ。
○ 2004/7/15
朝、事務所。
9:00過ぎ、事務所を出て満天星へ。
今日から、満天星裏のロケセットの作業が始まるので、立ち会い。
とにかく暑い。茫々に生えていた草刈りから始まった。草の中で暮らしていた虫たちは大騒ぎ。
昼まで、作業内容の確認。ものつくり大学の甲木君ももくもくと作業していた。
満天星では、カメラテストや本読みなど、いろんなことが行われていた。
一度大和町に戻り、着替えて、14:00事務所へ。
事務所に行ったら、今度は高橋が高熱を出して休んでいた。今年の夏風邪の特徴のようだ。
セットの打合せ事項のまとめと、進行中のプロジェクトのスケッチをするが、炎天下で作業したせいか、体がかったるい。
夜は少し早めにあがる。
○ 2004/7/16
最高気温は34度になるが、事務所に来る朝7:00頃は、外は結構過しやすい。
セットの図面作業。
KOH、木村の図面のチェック。
9:00過ぎ、木村から電話が有り、また熱が上がってしまった、とのこと。火曜までゆっくり休むように言う。今日は、高橋も熱が下がらず、休み。
引き続き、KOHとBBHのスケッチ。
午後から、セットの図面。夜までに2場面分の図面アップ。
久々に一日事務所で、ひとりなので、集中して仕事ができる。
18:30、KKHの現場担当者来所。19日のクライアント打合せの確認。
<マイネポリーヌ> 真歌トレーニングパークで休養中。昼夜放牧されています。先週に比べて涼しかったため、中間はのびのび気持ちよさそうに過ごしていました。7月下旬より乗り運動を再開する予定です。
○ 2004/7/17
7:30、新宿出発。群馬ロケハン。
高崎、中之条、天文台。最後の天文台は、磯崎新さんの設計だった。
22:30、高円寺着。
○ 2004/7/18
8:00に起き、昨日もらったシナリオの改訂版を読んだり、洗濯したり。
11:00、渋谷、焼き鳥屋のロケハン。
12:00終了。
14:00から新宿で打合せ。
18:00チェ・ミキと大将へ。久しぶり。19:00には満杯になっていた。
帰りに、黒沼さんにばったり会う。
○ 2004/7/19
朝、7:30事務所。日報アップ。ロケハン写真整理。雑務。BBHスケッチ。
9:30、事務所を出て西荻窪へ。10:00、建設会社と一緒にKKHクライアント打合せ。その後、クリオネの高杉さんにも来てもらい、AV関係の打合せ。
13:00過ぎ、事務所に一度戻り、14:00過ぎ、国立へ向かう。「ガラスの使徒」確認ロケハン。その後、小金井に移動。骨董屋さんをロケハン。そこで坊主を見つけ、入手。
18:00過ぎ、事務所に戻り、BBHのスケッチなど。
今日で、ほとんどのロケハンが終了した。クランクインも近い。しかしこの暑さと、建築の仕事との頭の切り替えと休み無しで、疲れがかなりたまってきている。
○ 2004/7/20
朝、事務所。写真の整理やメール返信。雑務いくつか。
もうしばらくで、セット作りの現場から戻ってくる甲木君に、開口検討模型を作ってもらうために、BBHのスケッチ。
10:00前、木村のお姉さんから電話が有り、先週からの熱が連休中も下がらず、発疹も出てきたので昨日救急病院に運ばれ、そこでの診断で「はしか」だと判明したとのこと。はしかのワクチン摂取はしていたので、街の病院では風邪と扁桃腺と判断されていたらしい。ひとに移さないように、4、5日入院になったそうだ。
やはり、週末に熱を出していた高橋は出社してきた。はしかではないようだ。
引き続きBBHのスケッチ。その後、最後のセット道具帳に手を付ける。
満天星裏のロケセットがあらかた完成したというので、15:30頃でて、確認にいこうと思っていたら、ロケセットの写真データが送られてきた。見たら図面と違うところがあるので、15:00過ぎ満天星に自転車で向かう。
いくつか手直しの打合せ。全体的には良い感じで出来ている。甲木君も「かっちゃん」と呼ばれ、力になっているようだ。
17:00、満天星を出て、東中野の地下駐輪場に自転車を留め、五反田イマジカへ。テスト撮影の試写。水中シーンや昼間に撮影した夜のシーンのテスト試写だが、よく撮れている。だんだんクランクインに向けて、実感が湧いてくる。19:00過ぎ終了。
○ 2004/7/21
昨日は最高気温39度以上。観測史上最高だったそうだ。今朝も風があるが、7:00でもう日射しが強い。
朝、事務所。メール、ファックスのチェックと返信。
最後のセット図面。
9:30、KRHの現場。7割出来上がりと言うところか。
10:30、事務所に戻る。
引き続きセット図面。17:00過ぎ出来上がったので、梁山泊にメール。
写真ピックアップに行ったついでに、書店に。
「en-taxi」06/SNMMER2004、特集「いま、激しく唐十郎の海を泳ぐこと」。唐組の役者さんたちが紹介されている。「美術手帖」8月号、特集「芸術家・赤瀬川原平」。
ついでに銀星舎へ。リュミエール叢書13「レオス・カラックス/映画の21世紀へ向けて」鈴木布美子(筑摩書房)。「映画美術/擬景・借景・嘘百景」木村威夫(ワイズ出版)。
途中で、セットの計画、変更を思い付き、手直ししメール。
これで、とりあえず図面化しなくてはならないものアップしたので、しばらくは建築に集中できそうだ。その間にセットの装飾のアイデアを出していこう。
○ 2004/7/22
朝7:00、事務所。曇り空で、どんよりしている。
セットの飾りのことを、少し考える。
BBH、クライアントからのメールの懸案事項、検討。検討事項まとめて、クライアントへファックス。 KOHのスケッチ。
今週は事務所にいる時間が多く、建築に集中できる時間も多く、体が設計計画のモードに戻って来た。 14:20、自転車で事務所を出て、満天星へ。
セット作製の打ち合わせと、満天星裏ロケセットの確認。ロケセットは飾り付けも進んでおり、雰囲気出てきた。大道具部は明日から東村山の作業所に移り、2組のセットを叩くとのこと。良いタイミングだった。
17:30、事務所に戻る。
今日は夕方になったら、少し温度が下がり、過しやすい。18:30過ぎにはエアコンを止めて、窓を開けた。
○ 2004/7/23
今朝も過しやすい。過しやすいと言うより、2・3日前の暑さに慣れてしまったから、楽なのだろう。
朝、事務所。事務所に来て先ずやるのが、メールチェックと返事、日報アップ、そしてこのところはデジカメ写真の整理。これらが結構時間がかかる。しかし、今サマータイムで早くから事務所に来ているので、のんびりできる。
朝から、KOHのまとめ。明日構造の山崎さんに情報を送り、最終設計してもらう。
9;30、木村から電話が有り、今日の午後退院できるとのこと。来週から、KOHに復帰してもらい、実施をまとめていこう。
ものつくり大学の甲木君は、今日からまた事務所で模型づくり。秋にあるOZONEの展覧会の為に、軽井沢のゲストハウスの模型を作り始めてもらう。
MRHも少し考えはじめる。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。久々の坂路ですが、ふわふわすることもなくしっかりとハミを取って走っています。休養明けにしては重々しさも感じられず、素軽い走りです。
○ 2004/7/24
8:00過ぎ、起床。久しぶりにゆっくり起きた。
9:00、事務所。いつもは7:00頃自転車で来るが、7:00と9:00、この2時間で空気や日射しが全然違っている。サマータイム、良い習慣かもしれない。
KOH追加図面を付けて、山崎さんにファックス。
MRH、TKHの現調写真をメールでプリント注文。
映画のロケハンの実測、図面化。小道具の図面作製。
明日、打合せがあるので、決定稿を再読。
16:30、KRHの担当者来所。外壁の色見本を持ってきてくれる。クライアントに電話して、月曜日に見てもらうことにする。
MRHのスケッチ。
○ 2004/7/25
9:00、満天星。決定稿打ち合わせ。13:00過ぎまで。
その後、満天星のセット、満天星裏のロケセットで現地打ち合わせ。リハーサルで出た、セットの改良点などを打ち合わせ。16:00過ぎ終了。
今日も暑い。
自転車で、高円寺と東中野間を往復したが、行きは日曜の朝8:00台だからひとが少ないのは当たり前だとしても、夕方も何だかひとが少ないように思えた。これも暑いからか。
○ 2004/7/26
7:00、事務所。
7:30頃から雷。7:40には暗くなり、強い雨が降り始めた。ひとしきり降って10:00前には上がった。この雨で外は少し涼しくなった。
KOHのスケッチ。
10:00、木村今週より復帰。KRH、KOHの打ち合わせ、指示。
11:15、KRHの現場へ。外壁職といくつかの打ち合わせ、クライアントと。
さっきまで雨で涼しかったが、その後の日射しで蒸し蒸ししてきた。
午後一で、EMHの現場へ。ちょっとした変更が有り、高橋と現場確認。現場で変更案を決め、大工さんと打ち合わせ。クライアントからの要望の部分的な変更だが、使う側からしか思い付かない変更で、全体が一歩動いた感じだ。一緒に作ることの楽しさ。
写真をピックアップして、16:00事務所に戻る。
KOH、セットのことでいくつかの電話連絡。
OZONE面談資料を読む。KKHのスイッチ・照明などのプロット図のチェック。坂下へファックス。
ピックアップしてきた写真の整理。
○ 2004/7/27
今日も事務所に来る7:00頃は、風が有り、空気も乾燥していて過しやすい。
KKHのプロット図の修正。
木村とKOHの打合せ。11:00前、クリオネの高杉さんから連絡有り、KKHのAVシステムのクライアント打合せをしてきた、とのことで、帰りがてら事務所に寄ってもらうことに。
11:00過ぎ、高杉さん来所。AVシステムと建築の納まり打合せ。
13:30、事務所を出て神田のKBHへ。14:30、KBHを施工した建設会社の方が、KBHとほぼ同じような規模の住宅の建設を予定している方と、KBHを見学したいということなので、紹介してもらいながら案内をする。
帰りに、お茶の水の丸善で、「いまこそ読みたい哲学の名著・自分を変える思索の楽しみ」長谷川宏(光文社)、「宮本常一の写真に読む失われた昭和」佐野眞一(平凡社)、AERAMook「建築学がわかる。」を購入。
新宿のルミネにあった青山ブックセンターが好きで、時々途中下車して店内をぶらつくと、面白そうな本が見つかり楽しみだった。青山ブックセンターなきいま、またそんな書店を探せるだろうか。
17:00、阿佐ヶ谷。写真のピックアップをして事務所へ。
駅に着く度に開く電車の扉から流れ込んでくる空気が、お茶の水や新宿では生暖かったが、阿佐ヶ谷ではそうでもない。ヒートアイランド現象か。
○ 2004/7/28
今日も朝から良い天気。
KKHのAVシステムまわりの図面。坂下からメールで来た、プロット展開図のチェック。
映画用の資料整理。
BBHのエスキス。自分の中での方針がまとまる。クライアントに、今週末に打合せの時間をとってもらうよう連絡。
映画のセットに、大和町と事務所で使っている家具を使う予定だ。今度の日曜に飾り付けの確認を行うために、梁山泊のメンバーが、夜ピックアップに来た。
○ 2004/7/29
今日は台風。朝から時々強い雨が降る。
KKHのプロット展開図のプリント及びチェック。
OZONEの明日の面談の資料、再読。持参する事務所の作品の写真の整理。
KOHのエスキス。KKHのAVコーナーの打合せを、ファックスと電話で、クリオネの高杉さんと。図面化してファックス。
15:00、KRHの現場。納まりがうまく行ってないところを、担当者と打合せ。
昼過ぎから、晴れてきたと思ったら、急に激しい雨が降る。その繰り返しが何度も。まるで自然にからかわれているようである。
夕方、木村とKOHの打合せ。いろんなものがひとつの方向に向かって収斂していく感じが出てきた。
○ 2004/7/30
今日はまだ台風の影響か、晴れてはいるが雲が多い。
KKHの打合せ資料準備。KOHエスキス。
10:00、KKH現場打ち合わせ。主に設備の確認。11:30、終了。
14:30、事務所を出て新宿のOZONEに向かう。15:45からOZONE家づくりサポートの面談。その前に、資料コーナーにある雑誌を見るために、少し早く出る。
面談、17:15終了。
タワーレコード、「トランスフォーメーション」村治佳織。先週の土曜日J-WAVEで紹介していたもの。武満徹のギター曲が収録されている、最新のCD。
紀伊国屋書店、甲木君のインターンシップ終了記念品を入手のため。建築新刊のコーナーに、「0円ハウス」坂口恭平(リトル・モア)を見つけ、購入。
やはり、ルミネの青山ブックセンターがなくなったのは、淋しい。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。休ませたことによってトモを持ち上げる筋力が低下しているようです。以前よりも蹄の先端を引きずって歩いていますが、走っている最中は気になりません。調教の動きは上向いています。
○ 2004/7/31
8:00までゆっくり眠る。ここ何日か、小屋裏に寝ている。窓を開けておくと、気持の良い風がはいってきて、安眠できる。ここのところ、タイトなスケジュールが続くので、夏風邪はひきたくないので、空調に頼らず、安眠できるのはありがたい。
しかし、小屋裏は昼間一番暑くなるので、夜こんなに居心地良いとは思わなかった。さすがに、日射しが強くなる、8:00頃からは温度が上がってくるが、いつも起きてる6:00頃はほんとに、気持良い。 今日は、明け方また間欠的な驟雨があった。夏っぽい夏なのか。
9:00、事務所。日報アップ。KOHの図面作業。
10:00過ぎ、今日は木村も出てきて、KOHの図面作業。
15:00、BBHのクライアント来所、打合せ。何転かしたが、今日で最終方針が決まる。
18:00、大和町に戻り、KOHとMRHのエスキス。
○ 2004/8/1
10:00、東村山。東村山の倉庫で、「ガラスの使徒」のセット作りが進められており、今日は仮組み立てと飾りの確認。
13:00、演出部、撮影・照明部が現地に。
今回は、二組のセットを作る。東村山で作製して、ものつくり大学の実習室を借りて、建てて撮影する。まだ途中であるが、なかなか良い感じで出来上がりつつある。
炎天下で、風も強く大変な作業だったが、確認できて一安心だ。
全ての作業、17:30終了。
梁山泊と唐組のメンバー、それに手伝いの人達で叩いているが、劇団員はもちろん映画には役者として出ている。そのうちの何人かは、この後満天星でダンスの稽古があるらしい。大変だ。
こちらはばてばて。19:00前、高円寺着。チェ・ミキを呼び出し、大将へ。生ビールがうまい。
○ 2004/8/2
気が着けば、八月。
さすがに疲れて、7:00起床。今週も暑い日が続くらしい。
映画はいよいよ、あと一週間でクランクイン。
セット仮組写真、メールでプリント依頼。
構造の山崎さんから、KOHの伏図・軸組図のファックスがある。午後チェックバック。
KOHの仕上げ、設備関係の検討。
映画の美術の連絡事項、いくつか。
午後遅くからは集中できたが、なんだか落ち着かない一日だった。
○ 2004/8/3
今日は、朝過しやすい気温だ。
朝からKOHの実施設計の詰めの検討。
木村、高橋と打合せ。
映画のセットの電話連絡、検討。スケッチ作製。
ものつくり大学の甲木君、今週でインターシップが終わる。今週後半は、クランクインに向けて忙しくなりそうなので、18:30からお疲れ会。阿佐ヶ谷の東京コケコッコ本舗。
○ 2004/8/4
朝から蒸し暑い。
KOHの設備の検討、準備。
昨日演出部から出た変更点の対応検討。
10:00、KOH高橋と木村と打合せ。
10:30過ぎ、事務所を出て、自転車で満天星へ。
満天星裏のロケセットの手直しの打合せ。監督とセットの打合せ。
13:00過ぎ満天星を出る。
途中、中野法務局、区の出張所に寄り、KRHの現場にちょっと立ち寄る。
今日は暑い。
14:00事務所に戻る。
BBHの作業を少し進める。
17:00過ぎ、今計画中の建物の予算について、建設会社に来てもらいヒア−リング。
○ 2004/8/5
朝、風があり、過しやすい。
KOHの図面チェック。
8:00、事務所を出て新宿へ。
9:00から、花園神社にて「ガラスの使徒」のオールスタッフ。映画に関わるスタッフが集合し、顔合せ、脚本、撮影場所等の確認を行う。11:30終了。
11:30より、プロデューサーの郭さん、脚本・出演の唐さん、その他キャストも加わり紹介。
12:00より、花園神社の宮司さんによる、成功・安全祈願のお払い。12:30終了。
全てのスケジュール終了後、映画で使うレンズをアクリルで作製していただいた、株式会社北辰光器の北本さんに、研摩作業所のについて、この間の仮組セットの写真を見ながら、喫茶店で話を伺う。
14:30事務所に戻る。
TRHのサッシ納まり図、現場からファックスで来ていたもの、高橋とチェック。
KOHの実施図、チェック。木村と打合せ。
BBHのスケッチ。
○ 2004/8/6
ここのところ、朝はいつも同じような天気だ。
昨日木村がプリントアウトしておいてくれたKOHの図面チェック。
午後のKKHの打合せ準備。
10:00木村とKOHの打合せ。
映画で追加になった、装置の図面作製、メール。
今日から、大道具・装飾部はものつくり大学でセットの建て込みにはいっている。現地合わせの、いくつかの変更連絡あり。
13:00、事務所でKKHの家具・内装打合せ。
15:00終了。そのまま現場へ。現場で打合せ。16:30終了。
阿佐ヶ谷駅で、9日に草津の現調の指定券を購入。現調後、夜中之条の撮影隊に合流する予定。御盆に入るので、緑の窓口も混んでいる。指定のとれた列車も、指定残りわずかとのこと。しかし、これがゆっくり湯治だったら良いのだが。そんな時間もないかもしれないが、せっかく行くのだから、一風呂浴びたいところだ。
17:00、事務所。KKHの連絡。BBHスケッチ。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。余分な脂肪が取れて、筋肉質の好馬体です。ハミにもたれるようなところもなく、重心の低いスマートな走りです。
・・・何だか、良い感じだ。
○ 2004/8/7
ここのところ疲れがたまってるので、少しゆっくり寝ようと思うが、7:00前に目がさめてしまう。 7:30から一時間、延びに延びた定家葛を剪定する。西側の生活通路にはり出し、通行の邪魔になっている部分を苅る。蔦の奥のほうで、はちが巣を作っていた。横を通ったおばあさん二人から、「この木の香りが気持よいのよ。」と同じことを言われた。通行の邪魔になりながらも、少しは楽しんでもらってるんだなと思い、棄てたもんじゃないな、と安心。
一時間の剪定で、ギブアップ。もっと苅らなくてはならないところがあるが、通路を片付けたので、終了。
シャワーを浴び、9:00事務所。
KKHクライアントへ、電話連絡。
KOHの実施設計図のチェック。
昼に大和町に戻り、MRHのスケッチ。明日クランクインする映画の、スケジュール確認。明日の準備。
○ 2004/8/8
「ガラスの使徒」いよいよクランクイン。
6:30新宿出発。秩父のレンズ工場へ。
8:30前着。さっそく準備。撮影が始まる。
この工場の撮影のあと、東京に戻って、上高田で夜の撮影があるので、先発隊として昼前秩父を出て上高田へ向かう。14:00前、上高田着。
ロケセットに植えかえた木が枯れたりしていたのを、しまちゅうまで買いに行き植え変えたり、京都から送ってもらったレンズ研摩関係の物を飾ったり、準備。しかし、暑い。
秩父の撮影隊は関越の事故渋滞に巻き込まれ、予定よりだいぶ遅れている。
18:00過ぎ、撮影隊上高田に到着。夕食後、19:00から準備開始。
その前に、レンズの装飾の打合せを行う。
20:30本番開始。このシーンは人物は登場しない。主役は蛙。蛙の名演技でスムーズに撮影終了。21:00過ぎ、撤収。
10:00過ぎ、大和町に戻る。ながーい一日だった。くたくたである。
このような膨大なエネルギーを使いながら、今日撮った分は本編中の何分になるのだろう。映画。まさに夢を紡ぎ出す作業と言えよう。しかしこれを産業とすることは、非常に難しいのでは。このような作業を通して出来上がってくるものが、どう社会に受けいられるかは、まさしくその社会がどう言う社会かによるだろう。そして、その社会とどのような関係性を持つかを考えたものでないと、存在の意味のあるものは出来上がってこないだろう。そういう意味では、建築とも似ている部分もある。
○ 2004/8/9
6:30、起床。
明日は早朝から群馬で撮影。そのため、今日は中之条前泊。準備と昨日の写真取り込み、7:30、事務所。
KOHの実施図の打合せを木村と。BBHのスケッチ。
11:30過ぎ、事務所を出て上野へ。13:00上野発の草津5号で長野原草津口へ。撮影隊に合流する前に、OZONEでプレゼン予定の、草津の敷地の現調。山の天気は変わりやすい。霧が深くなったと思ったら、雨が降り始める。17:00前、バスで草津の山を降り、吾妻線で中之条へ。
18:00過ぎ、少し前に到着していた撮影隊に合流。脚本・出演の唐さんやキャスト・スタッフの食事会に参加。中之条・美野原カントリー倶楽部に宿泊。
○ 2004/8/10
5:45、美野原カントリー倶楽部出発。群馬県立天文台へ。
石橋蓮司さん演じる、天文学者のシーンの撮影。
エキストラで参加。石橋蓮司さんと絡むうえに、急に台詞ができ、それも英語だったため、焦ってしまう。久々の役者で、冷や汗もの。
撮影は16:00、テンポよく終了。撤収後帰京。途中小さな渋滞があり、20:00過ぎ新宿着。
一度事務所に立ち寄り、21:00大和町。
チェ・ミキが土曜から浜松に行っていたが、浜松から姪の伽耶を連れて帰ってきていた。明日から、映画の撮影が満天星裏であるので、一度見てみたいということで来京。映画や芝居も見たいそうだ。
西荻から、母が入院したとの連絡あり。
○ 2004/8/11
8:00、満天星裏上高田のロケセット。
9:00、撮影開始。
午前中は薄曇りで、凌ぎやすい。少し押しながら撮影は進む。昼食後、太陽が必要な撮影の時には、ピーカン。いまのところ、天候を初めとして、うまくこちらの都合どおり進んでいる。
16:00前、事務所に戻るために、上高田を出る。
途中、KRHの現場にちょっと寄って、16:30事務所。
夜にかけて、KOHの見積図面を建設会社2社に渡し、見積り依頼。
○ 2004/8/12
今日から16日まで、事務所もお盆休み。
少し、エネルギー切れなので、日報も御盆休み。
今日からスタッフは盆休み。
7:30、上高田ロケセット撮影。
9:30、チェ・ミキと伽耶、浩美が撮影現場の見学に来る。
14:00過ぎ、上高田を出て事務所に。途中、写真ピックアップ。
日報のアップ。KOHの実施図コピーなどをして、資料を持って大和町へ。
奥村君に電話をして、ハローワークの求人について教えてもらう。宮沢さん、建築をやめて好きなことをやってくことにした、とのこと。うらやましい。
18:30伽耶と一緒にニ楽亭でホルモン。
○ 2004/8/13
7:00起床。
映画の劇車両の件で気になることがあり、梶村に電話をしたら、昨日は押して12:00過ぎまで撮影だったそうだ。今日のスタートは一時間遅らして、8:30に変更とのこと。
皆ヘロヘロだろう。
8:00事務所。
KOHの実施図を見直す。
昼、大和町に戻り、MRHのスケッチ。方向がみえてきた。
シーン変わりに、セットの確認(解体シーン)に行くことにしており、梶村からの連絡を待っていたが、昨日の撮影の遅れの影響か、結局明日になる。
夜、西荻から連絡あり、母の状態あまりよくないとのこと。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。裸足のままで鍛えていきたいと考えていますが、蹄の先端がすり減って今後の調教に支障をきたす恐れもあるため蹄鉄を装着しました。動きは至って良好です。
○ 2004/8/14
7:30、上高田撮影開始。
午前の撮影の最後に、シーン変わりの飾り変えを確認。
上高田を出て、途中大和町でシャワーを浴び、事務所へ。
14:00、KOHの実施図の説明。16:00終了。
すぐ上高田へ戻る。解体シーンの前で撮影終了。
19:30から金監督、阿部助監督と東中野のむらさきで生ビール。
○ 2004/8/15
朝から雨。7:30、撮影開始の判断。雨の中の解体シーン。
12:00前、解体後の飾り替えの確認をして、大和町に戻る。
15:00、吉祥寺で父と待ち合わせ、野村病院へ。
原因がわからず、あまり良い状態ではないと聞いていたが、元気そうで少し安心する。週明け早々、杏林病院に移って検査を改めてするそうだ。回復を祈るだけだ。
16:00、吉祥寺に戻り、父とチェ・ミキと李朝園へ。父にもからだ気を付けてもらわねば。
○ 2004/8/16
8:00事務所。
撮影現場のデジカメデータの整理。裏日報。
今日から木村は出社。
KOH打合せ。BBH の図面作製指示。
KKHの施工図チェック。
借りっ放しの本を返しに、図書館へ。
午後引き続きKKHのチェック、及び連絡。
15:30、事務所を出て満天星へ。明日から満天星内のセットで撮影が始まるので、その確認。しかし、上高田の撮影が押し、着いた時はまだ上高田の片付け中。
17:00過ぎ、満天星を出て五反田イマジカへ。18:30、今までのラッシュ。19:30過ぎ終了。 随所に唐ワールドの片鱗があるが、これがどう仕上るかは見当もつかない。
20:30満天星に戻る。セットの飾り付け、出来るとこまでやって、21:30満天星を出る。
○ 2004/8/17
7:30、満天星。
今日から満天星に作ったセットでの撮影。
9:00、撮影開始なので皆準備で忙しく動いている。
セットは照明が入り、ぐっとムードが出てきた。
21:00前、今日の分の撮影全て終了。
○ 2004/8/18
8:00、事務所。
満天星での撮影は続いているが、セットとしては昨日と同じ状況なので、今日は事務所。
デジカメデータの整理。木村とKRHの確認事項。
KKHの施工図のチェック。
16:00、KRHの現場。もうすぐ引き渡しなので、現場担当者と状況確認。
MRHのスケッチ。
撮影の状況連絡、明日の打合せ。
○ 2004/8/19
7:30事務所。
夕方打合せがあるKKHのチェック。
木村とKOHの確認申請図面打合せ。
昨日メールでプリントアウト依頼しておいた、映画の撮影現場の写真をピックアップ。
13:30に事務所を出て、満天星へ。来週高崎で行うロケで使う道具の確認。満天星内のセットでの撮影が、押しながらも進んでいる。皆疲れぎみの様子。
15:30に満天星を出てKKHの現場へ。
16:00KKH現場打合せ。
18:00終了。
しかし、昨日と今日はまた暑い。蒸し蒸しする。陽が落ちるのも早くなってきた。これが残暑で、9月に入ったら涼しくなると良いが。
○ 2004/8/20
7:00事務所。
KKHクライアント打合せの準備。
9:30KKHの現場へ向かう。10:00クライアント打合せ、現場で。内外の仕上げの決定。
11:00前終了。
KOHの確認申請のため、木村がいくつかの民間機関に、判断しかねている部分の問い合わせをしたが、それぞれ答えが違う。建築基準法はあまりにも煩雑になり過ぎているのではないか。
MRHのスケッチ及び作業。展開しすぎたので、一度このあたりでまとめてみることにする。
15:00事務所を出る。HMHのクライアントに紹介していただいた、クライアント候補を訪ねる。
その後、EMHの現場に行くが、進捗状況が聞いていたのと随分違うので、高橋に連絡して担当者に連絡とるように指示。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。順調に18秒前後のキャンターを消化しており、今のところテンションが上がりすぎる心配もなさそうです。フットワークには伸びがあり、センスを感じさせる走りです。
○ 2004/8/20
その後、ユーロスペースに「子猫をお願い」を見に行く。チェ・ミキも一緒に。
とても暗い話だが、それを感じさせない。貧困、生涯、国籍、性差、家族など広い視点を持った映画だった。全編等して、丁寧に作られており、どう言う映画にしたいかを、監督が良く分かっている映画で、監督が映画を良く知っている。インチョン(仁川)の風景も良かった。
○ 2004/8/21
朝、明日からのロケの準備の連絡を梁山泊の梶村ととる。
銀行によったり、買い物して、9:30事務所。
昨日ファックスで依頼しておいたKKHのオーデュオの配線図が、クリオネの高杉さんからファックスバックされていた。すぐに現場担当者に電話連絡したら、たまたまこちらに向かってるとのことなので手渡す。
明日の天気を確認。「夜を賭けて」の撮影の時、僕が韓国のロケセット入りすると大雨や霧になり、嵐を呼ぶ男と言うことになっていた。今回の「ガラスの使徒」の撮影でも、上高田のロケセットでの終盤、僕が現場に行くと強い風が吹いてきたり、解体シーンでは雨になり、現場を離れたら雨が上がったりしている。
明日は高崎市役所前で早朝撮影のスケジュール。この日しかないというスケジュール。美術的にはあまりすることないので、夕方からの高崎の別の場所でのロケの準備に、昼頃到着する段取りにした。
2、3日前の天気予報では、曇り一時雨だったが、さっき天気予報見ると、曇り。どうにか持って欲しい。
MRH、NKHの作業。
13:00、チェ・ミキと母親の入院している病院へ見舞い。
KRHの足場ばらしだったので現場に行くが、まだシートが取れたところだった。
クライアントと決めた色が、良い感じで仕上った。
○ 2004/8/22
10:25、上野発の高崎線、高崎行き乗車。
12:00、高崎着。ロケセット現場の高崎電気館ビルへ。
高崎市役所前では撮影が行われているが、大道具・装飾のメンバーの何人かが先乗りして準備中。
夕方、照明部も入り、準備ほぼ完成。
明かりが入り、独特な空間が出来上がった。
18:30、スタート。
2時間くらいかけて、監督が演技をつける。それをもとにカット割りを確認し撮影開始。
スタート直前から、ぽつりぽつりと雨。やはり僕が呼んだ雨か。しかし、それ程強くない。
今日のシーンは雨降らしのシーンなので、あまり影響ない。
ワンシーンずつ、撮影が進む。まわりには、出演者の中島みゆきさんや唐十郎さんを見ようと、見学者がたくさん集まっている。皆口々に、映画の撮影ってこんなに大変なんだ、とか、この建物がこんなにきれいになるんだ、とか話している。そうです、大変なんです。
明日の夕方からもこの場所で撮影が続くが、飾りの変化がなく、明日は打合せがはいっているので、22:30の新幹線に乗って帰京。
○ 2004/8/23
朝、事務所。
撮影現場の写真整理、銀行、日報アップなどの雑用。
午後、TRHの詳細打ち合わせ、高橋と。TRHは30、31日の建て方が決まった。その週末に現場に同行願えないかの連絡メール。楽しみだ。
MRHのスケッチ。
16:00、ホッブスの山根さん来所。BBHのキッチンについて打合せ。クライアントへ連絡の依頼。
夕方、高崎のロケ現場の梶村に連絡。昨日は3:00終了だったそうだ。今日も雨が少し降っているとのこと。今日の撮影は17:00からなので、少しは休めたのか、元気そうな声だった。
○ 2004/8/24
8:00、事務所。
メールチェックや諸々の連絡。
10:00木村が朝KRHの現場に寄ったら、遅れていた階段が入ったと聞いたので、心配な部分もあり現場担当者に連絡。当初の打合せと違う部分が出てきているようなので、10:30前現場へ向かう。
今日は渋谷で13:00からロケなので、11:30には渋谷のロケ現場に行っていよう、と思っていたのだが。
KRHの現場で階段の確認と打合せ。11:00過ぎ、渋谷のロケ地へ向かう。
12:00前、渋谷のロケ地に到着。高崎の現場から今朝5:00に帰京したとのことで、皆ヘロヘロ状態だ。
準備して、13:00過ぎテスト開始。
撮影が始まったので、14:00過ぎ渋谷を離れ、26日に撮影予定の都立豊島病院へ。
別部隊が医療器機メーカーから借りてきたものをセットしている現場の確認。16:00終了。
東中野まで車で送ってもらい、KRHの現場に寄って階段確認し、事務所にもどる。
明日の現場で、病院の様子を確認してもらうために、デジカメプリント依頼。
いくつかの連絡事項と打合せ。
久しぶりに暑く、慌ただしい一日だった。
○ 2004/8/25
8:00、国立。
今日は国立の学園通りに面した、テラバヤシさんの事務所の前で撮影。
朝は雲行き怪しく、雨が降ってきたが、すぐ上がり薄曇りの天気が続き、過しやすかった。早朝のシーンを技術的な処理で撮影しているので、曇りでよかった。
15:00には、国立での撮影終了。
その後、東小金井に移動。骨董店での撮影。20:00終了。
一日撮影に立ち会う。
○ 2004/8/26
朝7:30、都立豊島病院。
今日は病院のロケ。24日に仕込んでおいたところに、今日持ち込んだものを飾り、9:00過ぎ撮影開始。
狭くて、ガラスの多い場所で、手持ちカメラのワンカットなので、その段取りだけでも大変。
最初のカットがOKになったのは。12:00過ぎ。
14:00過ぎ、病院を出てKRHの現場へ。一部荷物が運び込まれたので、確認に。
16:30、事務所。
今週、外に出ていることが多いので、連絡事項や雑務で過ぎてしまう。
○ 2004/8/27
7:00事務所。
メールや雑務。
KKHの施工図チェック。打合せ資料整理。
MRHのスケッチ。少しづつ進めている。
最近この日報、気付いた時にその時間までの部分を書き留めるようにしている。そうしないと、次の日に何をしたか思い出せないことがある。いろんなことを同時にやってるから、って事もあるが、もちろん肉体的なこともある。
いろんな計画のスピードが落ちているようにも思う。判断が遅くなってるようだ。良いことなのか、良くないことなのか。(もちろん効率で言えば、良くないのだが。)
NZHのエスキスも少しづつ進める。
14:00前、事務所を出て西麻布のマンションへ。
9月1日のロケの場所だが、部屋が変わったので確認。
16:30、五反田イマジカ。ラッシュ。
18:30、終了。演出、撮影、照明、記録の方達と五反田で少し飲む。
21:30前、高円寺。今日は阿波踊り。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。相変わらずトモを引きずって歩くため、2週間に1回の早いペースで蹄鉄を履き替える必要があります。ただ、今のところ蹄に関するトラブルはありません。気合いの乗りが良く、単走でもすいすい走ります。
○ 2004/8/28
8:00、事務所。
プリント依頼、メール、連絡など。
10:00からのKRHの事務所・施主検査の後、大和町で作業をするための資料整え、9:00過ぎ、事務所を出て大和町へ。
10:00、KRH。クライアント、事務所検査。いくつかの残工事があるが、その日程も確認し、11:00終了。
外構は、クライアントのお知り合いで、西荻窪で鉄加工のアトリエを開いている、深沢さんが担当する。深沢さんは偶然だが、なんと僕の荻窪中学の一年先輩。楽しみだ。
大和町で、NKHのエスキス。2つの基本線がでる。
1日のロケに飾る物を、大和町で物色していたら、いくつか使えそうなものがあったので、梶村に連絡。夕方、車で取りに来る。
入手したままの本や、新聞の整理。
○ 2004/8/29
朝から雨。少しゆっくり寝て、8:30起床。
NKHのエスキス続き。
北海道マラソンを見ながら、引き続き、本や新聞の整理。
14:15、チェ・ミキと大和町を出て、吉祥寺へ。
15:00、吉祥寺で父と落ち合い、母の入院している杏林病院へ。
先週始め、病院を移って、ずいぶんと元気になった。少し安心した。
帰りのバス、井の頭公園口から吉祥寺駅まで、雨のせいか混んでいて20分位かかるとアナウンスがあったので、井の頭公園口で降りる。食事しようと話していたところ、駅までの途中に「いせや」があることを思い出し、父の希望で「いせや」へ。本当に久しぶりだった。
○ 2004/8/30
8:30、事務所。
メールでプリント依頼してあった写真のピックアップ。
いくつかの連絡事項、日報アップ。
KKHのバルコニー施工図、坂下からのメールで送られてきた図面と合せてチェック。
木村とKOHの質疑、BBHの打合せ。
今日明日が、山梨の白州のTRHの建て方だったが、現場に確認してみたら、台風の影響で1、2日に延期したとのこと。
昼過ぎ、1日のロケで使おうと思っている、洋雑誌を高円寺と阿佐ヶ谷の古書店に探しに行くが、収穫無し。ヴォ−グとかエルを探したが、地域性が違うのか、一切無かった。
途中、KKHの現場に寄る。上から、間仕切の下地が施工されつつあった。ユニットバスも納まっていた。
16:00、KKHの現場担当者、来所。バルコニーの図面打合せ。
MRH図面作業にかかる。
○ 2004/8/31
7:00事務所。
台風一過、というより、過ぎ去りつつある。
8月も今日で終わり。映画撮影も今週と来週が最後の山だ。いろんなことが、ぐっと動く9月の前半になりそうだ。
MRHの図面作業。フリーハンドでエスキスしていたものを、きちんとした線に置き換えていくと、またみえてくるものがある。
9:15事務所を出て、満天星へ。今週初めから、いろんなところでロケが続くので、美術部は人手が足りない。タイアップでお借りするガラス作品を、ピックアップする手が無いので、唐組の辻さんと僕が行くことになった。
10:00過ぎ、満天星を出て西新宿のテセラ・アートというガラス工房へ。いろんな作品を見せていただき、今回のセットにあいそうなオブジェを何点かお借りする。仕事の写真を見せてもらう。いろんな仕事をされている、まさにブリコラージュ的工房だった。どうしても工芸的なデザインの仕事が多いので考えてしまうが、こういう工房的な仕事と、自分の仕事のつながりをどう考えていくか、と言うことも面白そうだ。
12:00過ぎ、満天星に搬入して、渋谷に向かう。
食事をして、渋谷の古書店でセットの飾りに使う、洋雑誌を購入。
渋谷から池ノ上のEMHの現場へ。午前中現場担当者と打合せだった高橋が現場におり、現場で何点か打合せ。もう一息なのだが、ここにきて段取りがうまくなく、工程が遅れている。
14:30現場を出る。
15:30事務所。
KKHの階段図チェック。
○ 2004/9/1
朝6:00、東麻布の高級レンタルマンション。
今日はこのマンションの一室を飾り変えて撮影。
7:00撮影開始。20:00前撮影終了。
明日からは群馬県中之条で撮影が始まる。
○ 2004/9/2
6:15新宿スバルビル前出発。
群馬県中之条町の四万ダムに、9:00過ぎ到着。
あいにくの雨。ダムでの撮影は明日に延期し、古い廃校を改装した伊参スタジオ(「眠る男」がここで撮影された)で車の留め置き撮影。
その後、吾妻線・小野上駅でロケ。雨はやまない。
同じく廃校になった、旧五反田小学校で、水中シーンの合成実写部分の撮影。
昔の教室に置いてある、机や楽器、農機具を並べ替えて、飾りつける。
22:30終了。
○ 2004/9/3
宿舎を7:00に出て、四万ダムへ。
今日は良い天気。ダム湖に浮かぶ、ゴミの撤去に手こずりながらも、順調に撮影は進む。
13:40に中之条駅に到着する役者の出迎えの車に乗せてもらい駅へ。
13:42発の吾妻線に乗り、東京へ向かう。
17:00前。東京駅着。事務所へ電話すると、色々な問題が起こっている。
電話連絡をいくつかして、今日は事務所に行かずに大和町に戻る。
○ 2004/9/4
8:00事務所。
問題点の処理、連絡など。
9:30事務所を出て、三鷹へ。
駅でTRHのクライアントにピックアップしてもらい、山梨県・白州へ。
1、2日に建て方の終わったTRHの現場へ。
12:00白州に到着。美味しいおそばをご馳走になる。このあたりは、南アルプスの天然水が湧き出ており、サントリーの醸造所もあるくらいで、その水で煎れたコーヒーも美味しい。
13:00現場へ。車から降りたとたん、眼にはいった屋根に感激。
ワクワクして現場を回る。上棟時にこんなにワクワクしたのは久しぶりだ。
屋根の色を決め、簡単な上棟式を行い、14:30過ぎ帰路に付く。
上棟時のこの感覚を最後までなくさないように、と心を引き締める。
18:00前、事務所に戻り、いくつかの連絡事項。
○ 2004/9/5
7:30起床。
連日のデジカメで撮影したデータの整理。
来週から入る、ものつくり大学に建て込んであるセットに飾るために、中之条で撮ってきた写真をピックアップ。
それだけだと足りないので、いくつかの写真を撮る。
TTHとMRHのエスキス。たまった新聞等の整理。
14:30チェ・ミキと大和町を出て、三鷹の杏林病院へ。母の見舞い。
杏林病院に移ってから、どんどん良くなっている。少し安心した。
帰りに西荻に寄り、父の手伝いをして、一緒に食事をする。
阿佐ヶ谷に戻り、神明宮のお祭りの夜店をひやかす。金魚2ひき。
○ 2004/9/6
8:00、事務所。
メールのチェックや電話連絡。
9:30、KRHの現場へ。土曜日家具が入ったので、その確認。いくつかの残工事の確認。
10:00、事務所に戻る。
木村とBBHの打ち合わせ。
午後一で打合せの、KKHの階段施工図の訂正。
高橋に、EMHの状況確認と、TRHの現場状況の説明。
13:00、KKH。クライアントと仕上の打ち合わせ。その後、現場担当者と細かい打合せ。
15:00、事務所に戻る。
15:30、KOHの見積りが先ず1社から出てくる。
17:00、もう1社から見積りが出てくる。
木村に見積チェックと比較表作成を指示。
17:45、事務所を出て五反田のイマジカへ。
19:00からラッシュ。
○ 2004/9/7
9:00新宿スバルビル出発。埼玉のものつくり大学へ。
明日からいよいよ撮影の大詰め。ものつくり大学に建て込んだセットでの撮影。
今日は明日からの準備作業と段取り・コンテ確認。
20:00終了。大道具と装飾・小道具を担当している梁山泊のメンバーと、準備で足りないものの買物に出掛け、近くの健康ランドで風呂に入り、食事をして23:00にものつくり大学の宿舎に戻る。
○ 2004/9/8
8:00前東京から本隊が到着。さっそく撮影準備。
ものつくり大学のフィニッシュ研修棟を借りているのだが、作業棟なので空調が入ってなく、すべて締めきり、暗幕を張っているのでとても暑い。セットの中は照明が入り、さらに暑い。役者も大変だ。
押しながらも撮影が進み、22:00撮影終了。
22:30から、今までの荒つなぎのラッシュ。
24:00前、終了。
ものつくり大学、宿泊。
○ 2004/9/9
8:00撮影開始。
昨日より涼しく、少し助かる。
16:30まで、撮影に立ち会い、ものつくり大学を出て事務所に向かう。
18:00事務所。
メールチェック。スタッフとの打合せ。明日の打合せ準備。週末の打合せの連絡など。
○ 2004/9/10
8;00事務所。
撮影時にとった写真の整理。
木村とKOHの見積査定の打合せ。
今日午後一の打合せのTTHの昨日の準備の続き。
12:00事務所を出て、駒場東大前。13:00TTHの打合せ。
14:30終了。池ノ上のEMHの現場へ。
足場も取れ、外観が確認できる。選んだ鋼板の色も良い。内部も大工工事は終了し、塗装工事にはいっている。空間のつながりが独特で、おもしろいスペースが出来上がっている。
現場の帰りに、吉祥寺の駅ビルの書店に寄ったら、村上春樹の新刊が平積みされていた。阿佐ヶ谷で買おうと、阿佐ヶ谷駅側の書店に行ったら、無い。聞いたら、すぐ売り切れてしまったとのこと。
吉祥寺では一杯あったのに、阿佐ヶ谷あたりでは、少ししか入ってこないのか。そう言えば、「少年カフカ」のメールのやり取りで、地方では発売直後は入手しにくい、というのがあったが、とほほである。
17:00前、事務所に戻り、EMHで気になったこと高橋に伝える。
木村とKOHの見積り査定の再打合せと、クライアントからの要望事項の整理。
外から帰ったら、ファックスでクランクアップまでのスケジュールが届いていた。もう少しだ。
たまっている日報、アップ。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。気のいいタイプなので、攻めすぎには注意しています。脂肪がつきにくい体質で、すっきりした好馬体です。
○ 2004/9/11
8:30、事務所。
今日の打合せの準備や雑用、買物などであっという間に時間が過ぎる。
14:00、KOHのクライアント打合せ。先週出てきた見積の説明及び、実施設計図に対する要望と確認。
建設会社を決め、地鎮祭の日程なども打ち合わせる。
17:00終了。資料を整えて、KKHの現場へ。
いくつかの確認事項。間仕切の下地も終わり、ボードが張られ始めている。
○ 2004/9/12
午前中、NKHのスケッチ。概様まとまりつつある。
13:30大和町を出て、モノレール・大井競馬場前の倉庫の中にある、「湾岸音響」というレコーディングスタジオに向かう。
クライアントが今日ここでレコーディングを行っており、手作りのスタジオで雰囲気が良いということで、参考に拝見する。
ツーバイフォー材を使ったライト風の設えで、手稲に作ってありながらも、素人の手による納まりの緩さが、居心地の良さを醸し出している。こういう工事をプロにやらせるのが、一番難しいが、好きな雰囲気なので何か考えてみよう。
夕方、大和町に戻り、ケン・ローチ監督の「Sweet・Sixteen」をビデオで借りてきて見る。
「ガラスの使徒」のスクリプターの石川さんのお薦めの映画。
ビターだけれど、タイトルはスイート。映画の中で、家が象徴的に扱われており、考えさせられる。今読んでいる天童荒太さんの「家族狩り」にも、家が重要なキーワードで、興味深い。
○ 2004/9/13
6:00前、大和町を出て、高崎線の吹上のものつくり大学、8:00前着。
8日から続いている、ものつくり大学に建て込んだセットでの撮影に。
イメージシーンに使われる強化ガラスの搬入が今日の予定。急に強化ガラスになったので、色々なところにあたって、納期ぎりぎりだったので、確認の為に立ち会い。スケジュールでは、その撮影が今日の予定に変わったので、何時に着くか心配だったが、電話で確認したより早く、13:30過ぎに搬入され一安心。
今日の撮影は、すでに撮影終了しているラストシーンのひとつ前のシーンで、複数の俳優が入る芝居の最後のシーン。血のりや弾着のシーンもあり、押してガラスの撮影は明日になった。
20:00過ぎ、撮影の続くものつくり大学を出る。
イメージ・物の撮りや、中之条で雨のため撮れなかった風景の撮りなど、撮影は後二日あるが、僕の立ち会いは今日が最後。無事のクランクアップを祈る。
ありきたりの表現だが、まさしく、長かったようで終わってみればあっという間。
明日からは、建築に集中。
○ 2004/9/14
8:00、事務所。
メールチェックや連絡事項。
高橋とTRHの電気設備の打ち合わせ。上棟後、順調に工事は進んでおり、電気配線などが進んでいる様子。
午後、KRHの現場担当者が増減の見積を持って来所。その場で査定し、改訂を依頼。
16:30、KKHの現場へ。坂下と。バルコニーの鉄骨がつき、内部のボード張りも進み、着実に完成に近付いている。
夕方事務所に戻ると、映画撮影の明日分の最後のスケジュールがファックスで届いていた。いよいよ明日クランクアップ。
○ 2004/9/15
8:00、事務所。
進行中のいろいろなプロジェクトの打合せと、スケッチ。
昨日からプリンターの調子がおかしい。うまく紙が送られず、途中で止まってしまう。
普段当たり前に使っているものが、突然使えなくなると、とたんに不便を感じる。
健康な時に健康のありがたさを感じないのと一緒だ。
木村がタクシーで新宿の修理センターまで持っていくが、部品交換が必要で21日までプリンターなしだ。
プリンター無しで、どれだけ困るか。楽しみだ。
○ 2004/9/16
朝9:00に調布で構造の吉田さんにピックアップしてもらい、吉田さんの車で白州へ。
11:30、白州の現場着。
4日に来た時より、もちろん進んでおり、壁の構造用合板も張られ、より良い感じになってきている。
吉田さんも特に大きな指摘も無かった。60度に振れた建物なので、軸組難しかったかと思うが、大工さんが丁寧にきれいに立ち上げてくれた。
こういう現場をみると、やはり大工さんの良し悪しに大きく左右されるのが実感される。
昼に、甲州ほうとうを御馳走になり、15:00打ち合わせ終了。
今回車で来たのは、なにか建築を見て帰ろう、と考えて。昼食の間、現地に詳しい現場担当者にインターネットで調べてきたいくつかの建物の行きかた、時間などを聞いたが、東京に戻らなくてはならない時間もあり、近郊のものを見ることにする。
TRHを施工する会社が以前施工して雑誌に載ったもの、とその近所で施行中のある設計事務所が設計したものを外から見て、八ヶ岳美術館へ。村野籐吾設計、1979年完成。
町立の美術館で予算が無かったのか、仕上はあっさりしている。しかし、その平面計画は独特で、とても90才のひとが考えたものとは思えない。
19:00過ぎ、東京に戻る。
○ 2004/9/17
8:00、事務所。
一昨日壊れたプリンター、修理センターでは不具合の症状出ず、クリーニングのみで終わった。
あまり不自由を感じずに終わってしまった。
9:00過ぎ、事務所を出てEMHの現場へ。
本当は今日事務所検査のだが、まだ終わって無い工事も多く、残工事の確認に終止。
11:00過ぎ、クライアントも来て、今後のスケジュールの確認。
12:00過ぎに現場を出て、高橋とクライアントは購入する家具の確認に。
僕は新宿に。桂花で桂花。
その後歌舞伎町のハローワークへ。
職安通りは、完璧に韓国のソウルの裏町のようだ。空気がそうだ。
ハローワークで求人表を申し込む。
スタッフをひとり探しています。最低一軒は、設計監理の担当をしたことがあるひとで、うちの事務所に興味があるひとは、連絡下さい。
今週は映画も終わり、その緊張も抜けたことと、その影響で滞っていたいろんなことをこなしてきたので、バッテリーが切れぎみになってきた。(「スイート・シックスティーン」の台詞)
気分転換に、ラピュタ阿佐ヶ谷に映画を見に行くことにして、19:00事務所を出る。
19:20、「関の弥太ッペ」山下耕作監督・1963年。全体に凄くオーソドックスに作られ、入り込みやすいが、大事なところではさり気ない仕掛けがある。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。厩舎の周りを歩かせる程度の運動をしています。今週中の入厩を予定していましたが、洗い場で暴れて左トモ飛節に外傷を負ったため延期することとなりました。圧迫包帯で処置していますが、坂路調教再開まで時間はかからない見込みです。
○ 2004/9/18
8:00まで熟睡。9:00事務所。
日報のアップ。現場からの質問事項のファックスの返答。11:00からの打合せの準備。
11:00、TRHのクライアント打ち合わせ。一昨日現場に行った時、外壁や造作材の切れ端をもらってきたので、その確認や設備の確認、いくつか。
昼過ぎ、大和町に戻り、NKH、TTHのスケッチ。
夕方、買物に。純情通り商店街の肉屋に、久しぶりに牛筋が500gあった。
○ 2004/9/19
久々に、今日は仕事を一切しないと決める。
朝刊を讀んでから、夏の間に延び切った定価葛とカロライナジャスミンの剪定。とにかく凄い繁殖力だ。一時間かけてざっと刈り取るが、もう少し秋が深まったら本格的に刈り取ることにする。
シャワーを浴びて、ビール。
ビールを飲みながら、天童荒太さんの「家族狩り」の最後をゆっくり讀む。読みごたえのある小説だった。色々なことを改めて考えさせられた。一言では言えないが、考え方が少し変わったように思える程の、影響を受けた。
昼に、一昨日新宿の玉蘭で買ってきた肉まん。久しぶりに食べたら、やはりうまい。
テレビを見ていたら、少し寝てしまう。
少し寝て、目がさめたところで、クランクイン前に見て感動した「汚れた血」レオス・カラックス監督を見る。
何度見ても、わからない部分がありながらも、次々と変わっていく画像に引込まれてしまう。暗いシーンが多く、映画館できちんと見たい。「ガラスの使徒」の助監督の阿部さんも「汚れた血」が好きで、ブラウン菅でみると色彩がきついが、スクリーンで見るともっとしっとりとしてる、と話していた。 しかし、ラストのカットは何度見ても、唸ってしまう。
夕方、牛筋を煮る。
チェ・ミキが火曜から金曜まで韓国に行っていて、松茸を買ってきたので、小さな七輪を買ってきて、炭火で焼いて食べる。
○ 2004/9/20
深夜から、急に下痢になり、何度か目がさめる。
腹の調子がまだ少し変なので、気になり7:00に起きてしまう。
7:30過ぎ事務所。
留守録にはいっていた伝言の連絡。日報アップ。メール返信。
現場の写真をメールでプリント依頼。
EMH本来なら明日引き渡しだったが、まだ搬入されてない物があったリ残工事もあるので、17日に残工事の打ち合わせをしたが、それ以降現場の動きが改善されておらず、なんだかなし崩しに工事が延びて行っていることを、監理不足だとクライアントからお叱りを受ける。
たしかに、ここまできてきちんとした日程も決まらず、毎日現場に状況を確認すべきところを、現場任せにしすぎていた。自分の甘さが情けなくなる。
気を取り直し、建設会社と担当者に連絡。休日だが連絡とれ、現場の状況と明日の作業の確認の打合せを段取る。
進行中のプロジェクトの作業をして、16:00事務所を出る。
17:00現場着。建設会社の担当者とひとつひとつ未搬入、残工事の工程を確認。18:30、クライアントにも来ていただき、明日以降の作業の確認をする。
○ 2004/9/21
8:00、事務所。
TRHの現場との連絡。KKHの確認事項。
昨日のEMHの確認事項について高橋と打ち合わせ。
いろんな電話がかかってきて、なかなか打合せが進まない。
TRHの打合せを含め、午前中いっぱいかかる。
昼過ぎからは、木村とBBH、KOHの打ち合わせ。
その後、NKHのスケッチ。
17:00過ぎ、事務所を出て、EMHの現場へ向かう。
昨日の打ち合わせ通り出来ているかの確認。何点か問題があったが、どうにか予定通り行っているようだ。
それにしても、昨日のクライアントからの一喝は、良いタイミングだったかもしれない。
何もないところから計画を立ち上げていくことには何の苦もないのだが、最近歳のせいもあるのか、設計や現場での細かい詰めが面倒に感じていた。自分でも良くないとは思いながら、その煩雑さから距離をとっていた。
でも、ものつくりの楽しさは、それらの煩雑なことをひとつひとつクリアーして行くことでしか実感できず、達成感も得られないことは良く分かっているつもりだったが。
それらの面倒からの逃避が、最近の基本設計の思い切りの無さにも、微妙に影響を与えているようにも感じる。ある種の充実感の無さもそれが原因かもしれない。
昨日の一件で、随分迷いが吹き飛んだ。
バッテリーがオーバーホールされたようだ。
○ 2004/9/22
7:30、事務所。
昨晩来ていたTRHの現場からの質疑の連絡。
KKHの打ち合わせ図面の準備。EMH気付いたところを現場指示。
9:00、事務所を出てKKHの現場へ。外部足場も外れ、順調に進んでいる。
10:00過ぎ事務所に戻る。
高橋と昨日のEMHの状況とTRHの打ち合わせ。
木村と午後一打ち合わせのBBH、KOHの確認。
13:00構造の山崎さん来所。BBH、KOHの構造打ち合わせ。
14:30終了。予約してあった本が準備できた、との連絡が図書館からあったので、取りに行く。
TTHのスケッチ。
16:00、事務所を出てEMHの現場へ向かう。
現場、しゃきっとするには今一歩、生みの苦しみというところ。
○ 2004/9/23
朝、写真をピックアップして、8:30事務所。
メールや雑事。10:00過ぎ事務所を出て、KOHの地鎮祭へ自転車で向かう。
11:00KOH地鎮祭。今日は暑くなく、過しやすく良かった。
12:00前終了。
夕方の打合せの準備。
14:30モダンリビングの野間さん来所。
16:00前事務所を出て、構造の吉田さんの事務所へ。
NKH、MRHの打ち合わせ。面白い案が出て、内容の濃い打合せだった。
18:30終了。六本木からバスで渋谷に向かう。
19:30「ガラスの使徒」の打ち上げ。
主だったキャストとほとんどのスタッフが集まった。みんな笑顔だった。
21:30終了。監督、唐さん、佐藤めぐみさん、唐組、梁山泊のメンバーで二次会。
○ 2004/9/24
昨日遅かったので、8:30事務所。
NKHの図面作業開始。
昨日EMHの現場を見てきた高橋と打ち合わせ。またもや問題点発生。
EMOカーテン取付の為に、高橋が現場に行くので、担当者と良く打ち合わせるように指示。
13:00過ぎ、坂下来所。KKHの現場に行って、スイッチ、コンセントの確認の指示。
EMHの現場の高橋から電話があり、またもや問題点が見つかる。結局、担当者が図面をよく見ていない事が、原因だ。僕も高橋も呆れて、空いた口が塞がらない。
15:30過ぎ、KKHの現場に行き坂下に合流し、現場打ち合わせ。
夕方、振込みなどを忘れていたので、銀行へ。
高橋に予定変更して、今日は事務所に戻らなくても良いので。現場できちんと担当者と詰めてくるように指示。
今日は一日、NKHの作業。
今週は休みが多く、自分は仕事に集中できたが、何だかあっという間に一週間が過ぎた、という感じだ。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。左トモの外傷はほとんど問題なく、すぐに乗り出すことができました。10月上旬の入厩を考えています。
いよいよ入厩。
○ 2004/9/25
9:00、KKHの現場。クライアントとスケジュール確認といくつかの打ち合わせ。
10:00終了。いくつかの連絡事項があり、すぐ昼になってしまった。
14:00、BBHのクライアント打ち合わせ。実施にはいる前の最終打ち合わせ。
17:00終了。NKHの作業を続ける。
○ 2004/9/26
朝から大和町でNKHのスケッチと作業。
14:00に大和町を出て、EMHの現場へ。明日が延びに延びた引き渡しで、今日キッチンがはいるので、その確認。
昨日のBBHの打合せで、EMHと同じ仕上材の提案をしたので、EMHのクライアントにお願いして、BBHのクライアントに現場を見せてもらう。
EMH細かい部分はまだ残っているが、明日どうにか引き渡しはできそうだ。
16:00過ぎ終了。
16:30吉祥寺でチェ・ミキと待ち合わせ、杏林病院へ。
入院中の母は、ずいぶん良くなっているが、この一ヵ月以上歩いてないので、ベットへの出たりはいったりはできるようになったが、自由に歩いて自分のスペースから出ることができない。
それがもどかしいらしく、いらいらしていた。
身内のそういう状態を見ていると、急に、道をゆっくりつえをつきながら歩いている老人が目にはいってくるようになる。自分勝手なものだ。
<石山修武の日記0920>
父と暮らせばのシナリオを読んで色々と考えた。世の中は、健常者そして生きている人間ばかりで成り立っているわけではない。体や気持ちに傷を負った人と混在しながら世界は成立している。この現実を的確に把握した社会論が必要な気がしてならない。それをベースにした論の成立も急務であろう。と、偉そうな事言う前に、これは私がやらなければならない。モダニズム・デザインへの本能的な距離感は、そのデザインの枠組みが抽象的思考、あるいは趣向を成立させ得る知識人、教養人をベースにし、又、それを対象としている事なのだ。
○ 2004/9/27
朝8:00事務所。雨が振っていて肌寒い。
NKHの作業。朝、高橋と木村が出社して来たところで、打ち合わせ。
OZONEのプレゼンが30日に迫ってきているので、明日から全員でかかることにする。
14:00過ぎ、事務所を出てEMHの現場に向かう。やっと、今日引き渡し。細かいところはいくつか手直し、未施工はあるが、暮すにはどうにか問題ないところまで行った。
増減、工事が遅れたことのけじめは、改めて打ち合わせることにして、鍵が渡され、取扱い説明。
17:00前、高橋に任せ、現場を出て事務所に向かう。
電車の中で、今「センセイの鞄」川上弘美を読んでいる。センセイと教え子が居酒屋で出会い、その付き合いが季節を追って書かれている。
「太陽」に、一月毎に連載されたものだそうで、きっとその号に合わせて季節が変わっていったのだろう。
ちょうど秋から冬にかけての部分を読んでおり、二人が行く居酒屋で、鍋や熱燗、湯豆腐のはなしがでてきて、今日のような日には、熱燗で鍋も良いなとしみじみ思ってしまう。
「蛇を踏む」も良かったが、川上弘美、小説読みの書いた小説、いいね。
○ 2004/9/28
8:00事務所。
私も高橋も木村も終日NKH。
そうはいってもなんだかの連絡事項等ある。
EMHは第一陣のお母さんの引っ越し、どうにか無事終わったようだ。天気も良くて、良かった。
15:00、KKHの現場で外構の打ち合わせ。
戻って引き続きNKhの作業。
夜、梁山泊のメンバーが、映画のセットに貸し出してあったテーブルを返却に来てくれた。
○ 2004/9/29
8:00事務所。
昨日と同じような一日。
高橋と木村はプレゼン用の模型作り。
○ 2004/9/30
台風一過。本当に今年は台風上陸が多い。少し蒸し蒸しする。
8:00過ぎ、事務所。
メールチェック等の雑用。
今日のプレゼンの準備。
10:00、高橋と木村に模型の手直し指示。
11:00前、今日から阿佐ヶ谷の地域区民センターで、父親が参加している、絵を描く趣味のグループの「しいの実会絵画展」が始まるので、お祝いの花を買って訪ねる。
まだ、絵を飾ったりの準備中をしているところだった。
改めて見に来る事を約束する。
早飯をして、12:00事務所を出る。
13:00から、OZONEでNKHのプレゼンテイション。始まる前に、今OZONEの企画で展示してある軽井沢のゲストハウスの模型を、確認する。
プレゼンは、尾関さんと駒田さん御夫妻の3者。
このプレゼン、いつもそう思うのだが、計画してる時は多分こんな案のバリエーションが皆から出てくるのだろうな、と思っているのだが、実際見てみると三者全く違っている。
これがとても刺激になる。今自分が考えていることを客観的に見直す良い機会になっている。
今回も、とても面白かった。
今日で9月も終わり。
8月、いや6月のロケハンから始まり、9月中に終了した映画と同時進行で、今日のプレゼンが決っていた、OZONEのNKHの提案も終わった。
同時進行とは言え、映画撮影終了後ダッシュをかけたが、他の進行中の現場もあり思うように進まず、プレッシャーになっていた9月末を無事終了。
6月から続いた、肩の力がやっと抜けた。
長く、ハードな夏が終わった。
○ 2004/10/1
朝8:00事務所。
昨日で一区切ついたせいか、昨日の夜から風邪ぎみで、鼻が出てこまる。
今朝も、鼻は止まらず、風邪の症状がある。
ちょっと緊張が切れただけでこの様。なんて安直な体だろう。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。いつでも入厩できる状態です。先日の併せ馬ではテンに行けなかったものの、中盤あたりからは長く良い脚を使っていました。再度、蹄鉄を履き替えています。
○ 2004/10/2
風邪がまだ続いている。
事務所でメールやら雑用。
打合せを1件。午後には大和町に戻って、休養することにした。
昨日、打ち合わせに出た後、集中力がなかったので、事務所に戻らず、「誰も知らない」を渋谷で見た。
14才の男の子が、カンヌで最年少で日本人初の主演男優賞をとって話題になった映画だ。
監督は是枝裕和さん。「ワンダフルライフ」を見て、気になっている監督。
「誰も知らない」は父親の違う4人の兄弟(12才を筆頭に男の子二人、女の子二人)が、母親に置き去りにされ、誰にも知られずに生きていく話だ。
88年に実際にあった事件から発想されている。
置き去りにされることに対する恐怖は、けして子供だけにあるのではなく、大人の中にも確実にある事を、改めて感じた。
そのなかでどう生きていくか。演出を極力排して撮影されているため、(行き当たりばったりというのでなく、周到な準備の上撮影されているが)4人の子供達に感情を寄せ過ぎるとあまりにも悲しく、画面を見ていられない。その中で、映画らしい部分が挟まれると、少し余裕が出る。
88年に事件がおきてから、実際に映画にするまで15年の時間が必要だった、とパンフレットにあった。
それを読んで、「ああ」と思った。映画を見終わってから、ずっと考えていたことは、「何故、この事件を映画にしなければならなかったのか」と言うことだった。
パンフレットの監督の言葉等を読むと、少しづつその気持が分かってくるが、正直いまだ何故と思っている。
撮るのに15年かかっているのだ。そんなに簡単に、答えは見つからないだろう。
でも、何かを表現すると言うことの、ひとつの意味をここから得られそうな気がする。
○ 2004/10/3
昨日ゆっくり寝たので、少しは風邪が良くなっている。
11:00お茶の水。KBHの一年点検。お子さんたちもすっかり大きくなった。
14:00前、大和町に戻る。
雨が良く降る。
お茶の水の行き帰りに「センセイの鞄」の最終章を読み終わる。
「家族狩り」「アフターザダーク」「センセイの鞄」と読み続けてきて、再び中上健次を無性に読みたくなってきた。
夕方まで、大和町で休養。
夕方から、高円寺・ニ楽亭で父親と食事。
○ 2004/10/4
風邪もだいぶ良くなったが、まだ少しのどがいがらっぽいし、腹の調子もいまいちだ。
雨は降り続いている。
事務所のファックスに、金久美子(キム・クミジャ)さんの通夜・告別式のお知らせがはいっていた。
土曜の夕刊にも記事が出ていた。
久美子さんを初めて見たのは、黒テントの芝居で、すぐファンになってしまった。もう20年以上前か。面識もなく、ただ芝居を見ているファンだったが、新宿梁山泊に参加したことで知り合うことが出来た。
まだ45才。ここ何年かで僕のまわりでも、癌で二人の友人がなくなったが、久美子さんも癌だった。 あまりにも早すぎる。
午後一で、もうすぐ工事が始まるところの近隣の説明。
先週たまっていた、現場からの質疑を返したり、連絡事項を中心に段取りをいくつか。
夕方事務所を出て、大和町で礼服に着替え、久美子さんの通夜へ。
懐かしい顔が沢山だった。
○ 2004/10/5
本当に良く続く雨だ。
昨日の夜、母が今日の午前中に退院することになった、と父から電話があった。
約60日入院をしていたことになる。
雨で大変だろうが、久しぶりの家で嬉しいのではないか。
10月にはいって、やっと建築のペースが完全復調した。
午後、西荻に電話をしてみたら、無事退院し家にもでって来ていた。
今週末から来週にかけて、ばんばん予定が入り始めた。
新国立劇場の小劇場をさらに小さく区切って、舞台の息吹が客席に伝わるような空間での芝居の試みが行われている、と夕刊にあった。TheLoftと銘打たれている。
何日か前に、新国立の小劇場の「胎内」三好十郎の広告を切り抜いてあった。
それがTheLoftでの芝居だった。
三好十郎の芝居を一度見てみたかった。前回新国立の「浮標(ブイ)」は見のがしてしまった。
さっそく明日予約しよう。
○ 2004/10/6
雨あがった。
沢山の雨に洗い流され、空気が澄んでいる。
いつのまにか青空は、映画のクランクインした頃の濃い青から、爽やかな秋の青に変わっていた。
竣工間近で内部仕上に珪藻土を薄く吹き付けているKKH、昨日までの雨で珪藻土が流れてしまうらしい。
引越が迫っているので、そんななかでも塗装続けざるを得ない。
午後、現場に行ってみる。
とりあえず引っ越しには間に合いそうだが、今週末の天気がまた雨。水道の引き込み等があるので気になる。
MRHの1次案まとめに入る。
○ 2004/10/7
今日も良い天気が続いている。
「ガラスの使徒」の撮影現場日記もクランクアップまで行った。(高橋さん、お疲れ様でした。)
こうやって終わってみると、懐かしく思い出し、あっという間だった出来事が、随分昔の事のように思えてくる。
それくらい、日々を過すことに終止してしまっているのだろう。
けれどそれが現実で、これからもそうした日々が続くのだろう。
だから、こんなメモのような日報も、自分の中では少しは意味のあることになるのかもしれない。
夜、飲み会。
坊主をもらう。
○ 2004/10/8
良い天気も昨日まで。大きな台風が来ているようだ。
唐組はいま新宿でテントを張っている。明日の夜行くのだが、天気予報図を見ると一番関東に近付く時だ。大丈夫だろうか。
朝、ふと大和町の隣の空き地を見たら、背の高い植物が群生し黄色い花を咲かしている。せいたかあわだちそうだ。この空き地、原っぱ原っぱしていてよいのだが、昔だったらこんな原っぱあったら、子供達の格好の遊び場になってた。いまは誰も遊んでいない。
昼前、事務所を出て調布の東京現像所へ。ラッシュを見る。
17:00、KRHクライアント宅へ。
夜、今日も飲み会。
雨が激しくなってきた。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。左トモの外傷はかさぶたになってかわいており、問題はありません。テンションが上がりすぎることもなく、入厩まで今の状態を維持するだけです。
○ 2004/10/9
台風が、午後から夜にかけて関東接近、もしくは上陸の予報。
秋になって雨が良く降る。
午後予定していたKOH打合せ、クライアントから連絡あり、台風の影響を考え11日に延期する。懸命な判断。
それに引き換え、夜予定している唐組行きは、予定通りに行くつもり。どんな状況になるのか。
そして、17:00大和町を出る。
歩き始めて最初は、ちょっと強い雨だな、と思うくらいだったが、途中から凄い風。
高円寺駅につく頃は、びっしょり。駅のアナウンスでは、早めの帰宅を呼び掛けている。
この時点で、後悔しつつも、もしテントが風で飛ばされた時の覚悟をし、わくわくも少し。
新宿でお祝いの酒を買い、地下道を通って西口公園先のテントへ向かう。
雨はさっきより小降りになっている。西口公園脇の道路は、樹木に守られて風も少ない。
テントにつくまで、時に突風を受けながら到着。
テントのまわりの劇団員の動きも慌ただしく、受付の女優陣も緊張感のある顔をしている。
開場までしばし、トラックの中で雨宿り。
ところがなんと、18:45開場の為に番号順に並ぶ頃には、雨も風も止みかけてきた。空の上の雲の動きは、コマ落しの映像を見ているように早いが、雲も切れ切れで星も見える。
この天候ながら、お客さんは200人位いる。
19:00を少し押して、「眠りオルゴール」初日開演。
テント内も、外も、シーンとして真空状態の中にいるような感じだ。
2時間半の2幕の芝居。あっという間に終わってしまう。久々の大スペクタクル。入り乱れる時空。
終演後テントでの飲み会で、鳥山さんが「昨日の夜12:00に唐さんが、自転車を漕げばつく電燈を2つ探してこい。」との指示をだした、との話をした。どんな状況でも芝居を続けることを考えるテント魂がそこにあった。
エキサイティングな一夜だった。
○ 2004/10/10
台風一過したが、スッキリしない天気。
風で飛ばされた葉っぱで汚れた玄関先を掃除したり、KKHの現場にちょっと寄って買物に行ったり。
午後は大和町でスケッチ。
台風で、隣の空き地のせいたかあわだちそうどうなってるか見てみたら、傾きなながらも健在だった。
○ 2004/10/11
朝起きたら、今日も曇り。
事務所に向かおうと大和町を出たら、雨が降っている。
最近東京の天候は、急に暑くなり、暑さが終わったと思ったら、急に肌寒くなる。
過しやすい、爽やかな春や秋が本当に短い、極端な天候になっている。
13:00、KOHのクライアント打ち合わせ。
15:00、KKHの現場。
18:20、中野光座(廃館になった映画館が時々、芝居等に使われている)で、鳥越さんと待ち合わせ。
トリさんの知り合いのお子さんが、黒テントの「ピランデッロ」という芝居に出ている、とのことで一緒に見に行くことになった。
本当に久しぶりの黒テント。
完全な台詞劇で、台詞の量も多い。多分普通にやったら3時間近くなるのではないかと思う芝居を、斉藤晴彦さんの超人的な台詞術で、正味2時間の芝居にしている。
次々とくり出される台詞に、脳か覚醒状態になってしまう芝居だった。
その後、トリさんとトリさんと一緒にいらした山口さんとチェ・ミキと中野で少し飲んで話す。
○ 2004/10/12
今朝も、変な天気だった。
朝9:00頃までは雨が降っていたが、だんだん晴れてきた。
天気予報では雨、と言っている。
雨は午後になってやっと降ってきた。
15:00過ぎ事務所を出て、EMHへ。細かい残工事の確認。まだ少し残っている。
引越が終わって、まだ片付け途中だが、お母さんの部屋はまるで引越の前にいらした部屋を、きれいにリフォームしたかのように、ゆったりと落ち着いていた。
○ 2004/10/13
朝から、白州。TRHの現場。
東京は雨だったが、小淵沢ははじめ曇っていたが、午後には晴れてきた。
現場は順調に進んでいる。
電気、設備、内装工事の細かい打ち合わせ。
陽が暮れるととたんに寒くなった。職人さんたちも口々に、寒いと言っている。
夕方のあずさに乗って、帰京。
○ 2004/10/14
朝、事務所でメールや連絡事項、いろいろ。
10:00、KKH。昨日荷物の引っ越しだったのでその確認。
昨日のTRHの写真整理と打ち合わせ事項の整理。
午後もメールや連絡事項が沢山。
16:30、EMHの現場担当者来所。残工事、増減の打ち合わせ。
などなどをやっていると、一日があっという間に過ぎてしまう。
特に今日は、ちょっとした連絡や来客が多かった。
昨日は現場で一日、内容の濃い打ち合わせが出来ただけに、今日はなんだか上滑りの一日になってしまった。
○ 2004/10/15
今日は久しぶりに気持の良い天気。
朝、KKHの引き渡しの準備。
9:30、KKH引き渡し。
午後、高橋とTRHの現場報告、打ち合わせ。
TTHのスケッチ。
建築は構想を考えたり、スケッチをしていれば良いのなら楽しいのだが、実際には様々な問題が持ち上がる。
時々それらが煩わしくなり、テンションが落ちてゆく時もあるが、今はどうにかそれらに対峙してゆくことからエネルギーをもらっているような状況にある。
あまり良い事ではないが、悪くもないな。
<マイネポリーヌ>
15日(金)美浦の高橋裕厩舎に入厩しました。左トモ飛節の外傷で厩舎へ送り出すのが1ヶ月遅れてしまいましたが、状態は当時と同じく良好です。他馬がいなくなると寂しがる幼い性格でもあるので、しばらくは僚馬を付けて乗り込みを進めていくことになります。
いよいよ入厩。
○ 2004/10/16
朝、KKHのクライアント及び事務所検査。
11:00前事務所。
14:00、TKHのクライアント打ち合わせ。
一週間があっという間に過ぎていく。
○ 2004/10/17
午前中、BBHの図面チェック。
12:00に大和町を出て初台の新国立劇場へ。
新国立の小劇場を半分に仕切った空間「ロフト」で、「胎内」三好十郎作(1949年作)・栗山民也演出を見る。
三好十郎は昔、NHKかどこかでその評伝の番組を見てから、一度芝居を見てみたいと思っていた作家だ。
休憩無しの2時間の舞台は充実していた。
出演者3人で美術も抽象化された、芝居らしい芝居のひとつの典型だった。照明が素晴らしかった。
帰ってきてから、何日か前の朝日新聞の扇田昭彦さんの劇評を読む。
「題名の『胎内』とは、3人を閉じ込める暗く湿った壕のことだろう。この『胎内』は社会的存在としての人間を消去し、生命存在としての人間を掘り起こす。皮肉なことに、彼らがそれを自覚した時、死はもう目前に迫っている。この設定は普遍的だ。」
帰りに新宿に寄り、プリンターを買って、高野4階のコニカミノルタプラザの鈴木豊写真展「ガウディ時空の神話」http://konicaminolta.jp/about/plaza/schedule/october/gallery_bc.html#1へ。
鈴木さんの独特な撮影方法によるガウディの建築空間の写真。その空間に佇んでいるような気持になる。
グエル公園が世界遺産の登録され、清掃されきれいになり過ぎたり、サグラダ・ファミリヤの工事の進み方が急ピッチになり、観光客も凄い人数が押し寄せるようになっていて、写真を撮る気持を高めるのに苦労した、と話していた。
写真から、空間の存在感が充分伝わってきた。
○ 2004/10/18
朝晩、めっきり寒くなってきた。
この間まで、半袖でも暑かったのに。
朝、いくつかの連絡事項やメール、日報アップ。
木村とBBHとKOHの打ち合わせ。
15:00、日活調布撮影所で「ガラスの使徒」のフィルムラッシュ。
ビデオ編集で1時間51分にしたものを、現像してフィルムにしたもの。
やはり映画は、暗い中フィルムで見るに限る。
18:00過ぎ事務所に戻り、いくつかの連絡事項等。
○ 2004/10/19
今日からまた雨が降るようだ。
大形の台風も本州上陸の可能性があると言う。
9:00過ぎ、坂下来所。いくつかの打ち合わせ。
11:00前、阿佐ヶ谷の皮膚科へ。顔に炎症ができ、町の薬局で買ってきた軟こうを塗っていたら、よけいにひどくなってきた。医者にそれを見せたら、炎症がひどくなるほうの薬だ、といわれた。
14:00過ぎ事務所を出て、15:00、OKBの打ち合わせ。
○ 2004/10/20
昨日からの雨が降り続き、鬱陶しい。朝、布団から出るのに、決心がいる。
雨は雨でもちろん良いこともあるが、これだけ雨が多いと陽の光が恋しくなる。
人間も植物と同じで、太陽光から元気をもらうのだな、と感じる。
10:00、現場担当者とKOHの現場へ。
事務所に戻って、確認申請と図面を渡す。
TRHの気になっている部分のチェックとメール。
15:30、MRHのクライアント打ち合わせ。
夜になって、雨や風が激しくなってきた。
○ 2004/10/21
台風一過だがすっきりしない。
午後、青葉台に。
6年前に設計した住宅の屋根が雨漏りしたので、工務店と訪ねる。
6年前はまだ空き地だらけだったが、今はまわりに住宅が建て込んでいる。
すっかり変わっていて、びっくりしてしまった。
○ 2004/10/22
朝からいくつかの連絡事項。
9:00荻窪の会計士事務所に、決算の伝票を持っていく。
銀行に寄ったりし、10:00前事務所に戻る。
振込みをしていたら、同じ支店の口座に振り込むのに、手数料が取られている。振り込み手数料の表を見たら、10月1日からの表が小さく張ってあり、同支店でもかかるように変更されている。
後ろめたさが、もろに感じられた。世知がない世の中だ。
昨日の新聞でも「環境税」という、なんだかわからない税金の記事が出ていたが、計画経済にすることで現在の社会は成り立っているというが、計画してこれでは、トホホじゃなのかな。
10:30、ザ・ハウスの干場さん来所。
新しく入社したので、各事務所をまわっている、その一環。
12:00に事務所を出て、EMHへ。
増減の説明を建設会社と一緒にクライアントに。
15:30事務所に戻り、KOHの現場に。ついでに近くのリフォーム候補地をのぞいてみる。
その行帰りに、KKHに寄り、外構の工事の確認。
夕方事務所に戻り、連絡事項諸々。
今日は、落ち着かない一日だった。
ただ、やっぱり、陽の光は気持ちが良い。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。環境の変化に動じることもなく、素直に指示に従っています。僚馬と併せ馬でのキャンターを消化しており、ゲート練習も無難に消化中です。
○ 2004/10/23
今日も秋晴れ。心地よい。
朝、雑務やスケッチ。
12:00前、求人の面談。
13:00事務所を出て、EMHへ。KOHのクライアントと同行。仕上の材料の施工例として見せていただく。
見学の後、近くの喫茶店で打ち合わせ。
16:30三鷹市民ギャラリー「牛腸茂雄展-自己と他者-」。
牛腸の写真は、雑誌や写真展では理解されず、何度も何度も見てもらうことで、良さがわかる写真なので、写真集でないとだめだ、と本人が言うように、派手さのない、硬い尖った鉛筆で描かれたスケッチのような写真だった。
だから、淡々と一枚づつ歩みを進めていくしかない。
展示の最後に「SELF AND OTHERS」という映画がビデオ上映されており、それを見ることによって、少し牛腸の写真に近付いた感じになった。
この映画がとても良くて、誰が監督か販売しているビデオのクレジットを見たら、「阿賀にいきる」の佐藤真だった。撮影も素晴らしかったので確認したら、田村正毅。
地下でこのビデオを見ていたのだが、その最中に地盤がグニュグニュねじれるような動きの地震。
後で、新潟の大きい地震だったことが分かった。
○ 2004/10/24
散らかったテーブルまわりを片付ける。
菊花賞、コスモバルク4着。地方馬のクラシック初制覇ならず。
「たそがれ清兵衛」のDVDを借りてくる。
いま「山田洋次の<世界>-幻風景を追って-」切通理作著(ちくま新書)を読んでいるので。
昔、ぼくも寅さん論を書いたら面白い、と思っていた。
まだ途中だが、この本、切通理作の言いたいことを山田洋次の映画を利用して書いているようにも思えなくもないが、そんな物か。
映画のエンドクレジットに、装飾:島村篤史とあり懐かしかった。「夜を賭けて」では、島村さんにお世話になった。
「『しきり』の文化論」柏木博著(講談社現代新書)を読み終わる。期待して読み始めただけに、拍子抜け。
○ 2004/10/25
薄曇り。
朝、メールや日報のアップ。
今日は朝からEMHの賃貸部分の写真撮影。高橋が立ち会っている。だんだん晴れてきた。
木村と打合せしたり、KKHの現場にちょっと行ったり、進行中のプロジェクトの確認をしたり連絡が入ったり。
月曜日はなんだか、いつも落ち着かないことが多い。
○ 2004/10/26
今日は朝から雨。どんよりしている。
台風24号は低気圧に変わりそうである。
大きな災害の後には、冷たい雨が降るような気がする。
9:30事務所を出て、新宿のハローワークまで。
10:30事務所に戻り、BBHの仕様を考えはじめる。
13:00過ぎ、クレディースイスの小林さん来所。
15:00頃から終日、集中してBBHの仕様検討と図面チェック。
雨の日はのってくると、集中しやすい。
○ 2004/10/27
ほぼ終日事務所でスケッチと打ち合わせ。
午前中に明日の白州行きの回数券を購入に。
13:00坂下来所。木村も含めBBHの打ち合わせ。
16:00MRHのクライアント来所。先日のプレゼンに対する要望のヒア−リング。
進行中のプロジェクトの連絡事項が結構頻繁に入る。
夜、木村にKOHの検討事項指示。
梁山泊がもうすぐ公演なのだが、稽古を見に行くタイミングが合わない。
「唐版・風の又三郎・2004」で、去年の再演なので、セットはそのままだそうだが、構成や演出が随分変わったらしく、一度は稽古見ておきたいと思っていたが、無理のようだ。
お客さんになったつもりで、東京初日を楽しみにするか。
皆さんも是非見に来て下さい。
詳しくは、下記の新宿梁山泊のホームページを御覧下さい。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~s-ryo/
○ 2004/10/28
8:00、新宿発のあずさに乗ってTRHの現場へ。
高い山の上は、すでに雪で少し白くなっている。下のほうでは、木々が少しづつ紅葉を始めている。 朝晩は本当に寒くなってきたそうだ。でも日中、陽が射すと暖かいので、朝股引をはきたいくらい寒くても、まだ我慢してるそうだ。
現場はガラスも入り、仕上の木工事も進み、とても良い感じになってきた。丁寧な仕事をしてもらっている。
夜BSで、十何年か前劇場で見た「刑事ジョン・ブック/目撃者」をやっていので、途中から見た。ストーリーは至極単純なので、飲みながら見ていた。
アーミッシュが集まって納屋の建て方をやるシーンがあり、地面で組んだひとつの通りのフレームを、何人もが手や棒で押しながら、反対からロープで引っ張り上げて建てていた。そのやり方が梁山泊のテントを建てる方法とまるっきり同じなので、笑ってしまった。立ち上げたフレームを、何人もがたかって、つないでいるところも、同じような風景だった。
○ 2004/10/29
朝事務所。
メールチェックと昨日の現場写真の整理とプリント依頼。
9:30、図書館に寄って、荻窪の岩崎公認会計士事務所。決算が出来たので取りに行く。
昨日一日いなかったので、なにかと慌ただしい。
坂下が区役所で、BBHの法的な確認事項を打ち合わせしてきてくれたので、それをもとに最終チェック。
高橋が今月一杯で退所。すなわち今日で終わりなので、ひとりでまるで引越のように整理を進めている。
17:00、事務所を出てEMHへ。
20:00新宿のタイ料理屋で高橋の送別会。吉田さんも参加してくれた。
吉田さんと2:00頃まで飲み続ける。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。手綱からもしっかりとした感触が伝わってくるように、前向きな気持ちで調教に臨んでいます。ゲートの上達も早く、間もなく試験の目処がたつ見込みです。
○ 2004/10/30
さすがに二日酔いぎみ。
10:30、KOHの現場でレベル・地縄の確認。
今日明日、阿佐ヶ谷は「ジャズ・ストリート」というイベントなのだが、雨で寒く可哀想だ。
明日は近くの第9朝鮮学校でも、コリア・フェスティバルがあると、電柱にチラシが張ってあるが、天気予報は雨。こちらも可哀想だ。
○ 2004/10/31
天気予報がはずれ、時々陽も射す天気。
午前中に買物がてら、第9朝鮮学校のコリア・フェスティバルに行ってみた。時間早かったようでまだ始まっていなかったが、2、30人のひとが並んでまっていた。
「山田洋次の<世界>-幻風景を追って-」切通理作著(ちくま新書)を読み終わる。
ある時代までの、ある階層の日本人が生きていた世界を、山田洋次は映画で描いており、それを切通理作を「原」風景とは言わず、「幻」風景と言っている。
確かに、向田邦子にもそのような「幻」風景があり、それは非常に魅力的だ。
川上弘美の「センセイの鞄」にもあてはまるかもしれない。
何故だか、久しぶりに「夜を賭けて」をとても見たくなり、DVDを見た。
○ 2004/11/1
今日から11月。
10月で退社した高橋の席は空いたままだが、しばらくこの体制でやっていくしかない。
雨の予報だったが、どうにか降らずにすんでいる。
決算の振込みや、雑用。いつものように、月曜日は連絡事項が多い。
進行中のプロジェクトのスケッチを進めながら、木村と坂下がBBHの実施設計のまとめの作業にはいっている。
○ 2004/11/2
朝は霧が出ていたが、9:00を過ぎて晴れてきた。
10:00、KKHへ。外構の打ち合わせ。
BBHの設計と積算依頼の準備。
午後ちょっと出て、知合いからファックスで送られてきた、近くの敷地候補を見に行きながら、近くの古書店・銀星舎に梁山泊の「唐版・風の又三郎2004」のポスターとチラシを持っていって置いてもらう。
明日のザ・ハウスの面談準備をしたり、なかなかまとまった仕事ができない。
夜帰ったら、小樽のビレッジ・バンガードの柴田君から、注文していた本が沢山届いていた。
○ 2004/11/3
秋晴れ、ちょっと手前、といった天気。
10:30、ザ・ハウス新宿店で面談。
昼頃になり、まさに秋晴れ。暑いくらいだ。
14:00、KOHのクライアント打ち合わせ。
16:00、求人面接。
夕方、KKHの現場へ。
夜、新聞を読んでいたら、「チルチンびと」と言う雑誌の、住宅の成分表示と言うような特集の広告が出ていた。
先日読み終わった、「山田洋次の世界」に、生産者名の入った野菜が出てきた時、山田洋次がそんな状況を嘆いた、というような文章があった。
変な方向に進んでいるのだな。日本と言うシステムが、信じられなくなって来ているのだな、と感じた。そして、それがまた商売になるのだな、とちょっと考え込んでしまった。
○ 2004/11/4
今日も良い天気だ。
朝から、BBHの実施設計、見積り準備。
午後、一段楽してTRHの内装仕上のサンプルの確認と手配。
MRHのスケッチ。
KKHの外構の様子を確認に行く。
成すがままにしておいたら、自分の席のまわりが、足の踏み場もなくなってきたので、少しづつ整理しているが、いらなくなった資料の山で、少し整理したらあっという間に広々した。
無駄なものを溜め込み過ぎているので、もっとこまめに整理すれば良い、と言うことは分かっているのだが、なかなか。
○ 2004/11/5
秋晴れが続きそうだ。
気持ちが良い。
10:30、HMHへ。
午後、TRHの電気器具と仕上の打合せの準備。
MRHのスケッチ。
<マイネポリーヌ> 美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。スタートダッシュが速くなり、先日、ゲート試験に合格しました。まだまだ時計が詰まりそうな手応えで、加速してからの動きには見どころがあります。
○ 2004/11/6
11:00、TRHのクライアント打ち合わせ。
13:30、坂下、木村とBBHの実施設計アップ、まとめ。
夜、「ほえる犬は噛まない」のDVDを借りてきて見る。
国民性を徹底的に皮肉りながら、憎めない世界が描かれていた。韓国映画のパワーを感じた。
主演女優は、「子猫をお願い」でとてもよかったペ・ドゥナ。チェ・ミキの「猫の前は犬なんだ。」という感想が笑えた。
○ 2004/11/7
とにかく、定価葛とキャロラインジャスミンの繁殖力は凄い。
またお隣の屋根壁にくっ付きそうになっていたので、剪定。
しかし、これも限度がある。そろそろ笹隈さんにお願いするか。
牛腸茂雄展のカタログを見ていたら、三鷹の前に8/6〜9/5の間、出身地の新潟でも開催されていた。
そしてその後の地震。その時、三鷹の牛腸茂雄展で、牛腸のドキュメンタリーを見ていた、ということが改めて、結びついた。
読みかけだった、「山田宏一の映画教室vol.1 フランソワ・トリュフォーの映画誌」(平凡社)を読み終わる。
トリュフォーの映画に現われる、いくつかのキーワードについて書かれた本。山田宏一の池袋のコミュニティー・カレッジでのレクチャーをまとめたもの。この短いレクチャーの後に、そのシーンを見ると言う構成だったようだ。受けてみたいレクチャーだ。
映画好きの監督が、その映画の中で映画のマイスターに敬意をはらい撮影したシーンを、映画好きの山田宏一が嬉しそうに披露するという、純粋な楽しみに溢れた本。
「レオス・カラックス-映画の二十一世紀へ向けて」鈴木布美子著(筑摩書房/リュミエール叢書13)を読む前に、見ておこうと夕方、「汚れた血」のレオス・カラックスの「ボンヌフの恋人」を見る。
「汚れた血」のほうが格段に良かった。
良くわからないことが、この本を読めば謎ときされるか。
○ 2004/11/8
朝、薄曇り。
メールチェックに日報のアップ。
BBHの図面の最終チェック。構造との照合。
午後、建設会社に見積用図面を渡す。
夜、木村とKOHの打ち合わせ。
寝る前に少し、昔昔に拾い読みした「映画術・ヒッチコック/トリュフォー」山田宏一・蓮実重彦訳(晶文社)を少し再読。
トリュフォーが50時間かけて、ヒッチコックにインタビューしたものだが、序文から面白い。
○ 2004/11/9
秋晴れは続いている。
10:00、建築、設備、電気の担当者と、KOHの打ち合わせ。
午後、MRHのスケッチとKOHの木村との打ち合わせ。
14:00過ぎ、KKHへ。外構工事がほとんど完了して、良い感じになっている。細かい修正部分とオーディオ部分の確認。
帰りに銀行に寄り、普段あまり寄らない阿佐ヶ谷南口の「ふるほんや」という古書店に寄ったら、「ルル・オン・ザ・ブリッジ」ポール・オースター(新潮文庫)が見つかった。
この本、「ガラスの使徒」のスタッフの高橋さんが、自分のホームページの日記の中で先日、面白かったと書いていた本だ。
ポール・オースターが監督・脚本をやった映画のシナリオとスタッフのインタビューがまとまった本だ。面白そうだったので、インターネットで検索したら、絶版。古書のネット検索にも引っ掛かってこなかった。
こんなにすぐに見つかるとは。
○ 2004/11/10
朝、KOHの現場。今日から鋼管杭の施工。構造の山崎さんと、1本目の施工を確認して終了。
午後一、高橋が事務整理、データの受け継ぎで来所。
15:00、EMH。細かい手直しの最終確認。
17:00、OKBの打ち合わせ。構造の吉田さん、設備の酒巻さんと一緒にクライアントを訪ねる。
帰りに、渋谷で酒巻さんと少し飲む。
酒巻さんとの付き合いももう20年くらいになるが、昔の話になって懐かしかった。
今度、昔やった吉祥寺の「かっぱ」を訪ねてみよう、ということになった。
○ 2004/11/11
昨晩、酒巻さんと飲んだ時に、日本酒を少し飲んだら、今朝辛かった。
何故だか、日本酒だけが少しでも残るようになってしまった。
いつもより少し遅くまで寝て、9:00事務所。
今日は朝からやけに電話連絡が多い。
懐かしい電話も多かった。
進行中の現場やプロジェクトの作業。
○ 2004/11/12
夕べからの雨は、朝も降り続いていた。
午前中は様々な雑用。
午後、木村とKOHの打ち合わせ。
TRHの現場行き準備。
1週間はあっという間に過ぎていく。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。ペースアップして息遣いを整えながら、少しずつ気合いを乗せているところです。トモの踏ん張りは甘めですが、動きそのものは素軽くなってきました。28日(日)東京の新馬戦・芝1800mに、C・ルメール騎手でデビュー予定です。
なんだかぱっとしない今日この頃に、嬉しい知らせ。ギリギリ府中に間に合うか。
○ 2004/11/13
10:00、KOHの現場。お隣を訪ね、境界確認をし、地縄再確認。
杭工事の後が、もぐらの穴のように空いていた。
事務所に戻って、工務店と簡単な打ち合わせ。
自転車での行き来、風が強い。
14:00、BBHのクライアント打ち合わせ。
先週アップし、見積中の実施設計図の説明。
夕方、大和町に戻り、たまっている本等の整理。
○ 2004/11/14
昼に大和町を出て、チェ・ミキと新宿に「血と骨」崔洋一監督を見に行く。
原作が「夜を賭けて」の梁石日さんで、時代的にもだぶってる部分もあり、重なって見れるところもいくつかあった。
映画を見た後、花園神社のニの酉に行く。今年は参の酉まである年だ。
今年が最後といつも言っている見せ物小屋、今年も健在。
以前から気になっていた、高円寺の高架下にある、立ち飲み串揚げ屋さんに行ってみる。なかなか良かった。
「血と骨」を見たせいか、マッコリが飲みたくなり、串揚げ屋さんを早々に切り上げ、同じく高円寺の韓国食堂「コチュカル」に移動して、マッコリとキムチ。
○ 2004/11/15
朝8:00のあずさに乗って、小淵沢へ。
TRHの現場。階段脇の棚も出来て、また空間がはっきりしてきた。
まわりの木はずいぶん葉っぱが落ち、見通しを期待していた東側の視界が開けた。
期待どおり林の向うに、山並が見えるようになり、テラスからは八ヶ岳が望める。
夏の間は、これらが全て隠れてしまう程葉が繁る。これだけ木に囲まれていると、四季の景色の違いがはっきりする。
○ 2004/11/16
日報アップ。メールチェック。昨日の写真整理。
BBHの質疑が昨日出ているので、まとめる。
MRHの図面を坂下にチェックバック。
オーディオ部分の棚を直し、クリオネの高杉さんが再セッティングしているので、KKHに。
先日、日報に切通理作さんの『山田洋次の<世界>』について書いたら、御本人からトークショーのメールを頂く。切通さんも阿佐ヶ谷在住とのこと。
先週末、鳥越さんから西荻の街つくりのシンポジュウムの案内をもらったり、鳥越さんと僕が参加する吉祥寺のイベント・トークショーがあったり(http://kichijoji.info/debeso/)、中央線つながりがにわかに活発になってきた。
○ 2004/11/17
2、3日前から、朝ずいぶん寒くなってきた。
朝、メールチェックしたら、共同馬主を一緒にやっている桐山から、ラフィアンのHPとは別のHPにマイネポリーヌの情報があった、と連絡が入っていた。
マイネポリーヌ(牝 高橋裕厩舎 父スペシャルウィーク母マイネミレー)
ルメール騎手で予定 推定馬体重460kg
高橋裕師「牧場でも乗り込んできたが、気性が素直でいいね。稽古では牡馬と併せても見劣らない。初戦からやれそうだが、大きいところを狙える器だよ」
ワクワク。
昨日の夜、一昨日の月曜日の夜ビデオに録画しておいたテレビ東京 ザ・ヒューマンD「『バカの壁』養老孟司の頭の中」(10:00〜11:00)を見た。
MRHのクライアントが演出した養老孟司さんのドキュメンタリー。
ずいぶん前に「唯脳論」を読んだことがあるが、最近話題の養老先生。
凄い数の依頼が有る講演会に同行し、途中のインタビューや講演の一部の映像に映し出される養老節、『バカの壁』が売れるのもわかるような気がする。
進行中のプロジェクトの検討。
その合間に、高円寺の駅の方まで行くようがあったので、高円寺文庫センターに寄って買い物したら、レジのところに、あの人間風車のプロレスラー、ビル・ロビンソンの本が置いてあり、サインの色紙まであった。
お店のひとに聞いたら、なんとこのあたりに住んでいるとのこと。
恐るべし、高円寺。
○ 2004/11/18
今日は1日図面書き。
年のせいかここ1、2年、細かい字が読み取れない。
CADがあるので、どうにか図面作業できるが、鉛筆と三角スケールだったら、きっととんでもない図面になってしまうであろう。
じっと、パソコンに向かっていたので、腰がいたくなった。地味な作業だが、これがないと先に進まないことも確かだ。
○ 2004/11/19
今日も朝から、図面書き。
雨が降り続き、一日中空が暗い。
17:00過ぎ、タイミング合わず、渡しそびれていた引き渡し書類を渡しに、建設会社とKRHへ。
その後、いくつかの現場が終わったので、打上げで飲む。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。初めて併せ馬で一杯に追われましたが、上々の反応が見られ先着しました。まだまだ奥の深さがある馬で、デビューまでにさらに良化の可能性が感じられます。
○ 2004/11/20
午後に来客があるので、午前中大和町片付け。
今日は良い天気だ。
13:00、大和町でクライアント候補、面談。
NSHのクライアントから食事にお招き頂いており、15:00過ぎに大和町を出る。
NSHのクライアントを御紹介頂いた、MYHのクライアント御家族、NSHのクライアントの会社の同期のHGさん、等10名。
今日、私とチェ・ミキのことを知っている人と引き合わせるから、と言われていたが、それがHGさん。NSH
に伺って、話を聞いてどなたか初めてわかる。
HGさんは、寺林さん設計の家のクライアント。以前映画の個人的なロケハンで、萩原さんに初めて寺林さんの事務所に連れていってもらった時に、偶然事務所に見えて話をしたことがあった。
HGさんの奥さんがやっているバンドを通じ、チェ・ミキの音楽仲間ともつながり、びっくり。
懐かしい顔や、新しいつながりに、おいしいお酒。すっかり遅くまでお邪魔してしまった。
○ 2004/11/21
昨日、一昨日の連日の酒に、少し飲み疲れ。
こんなことは昔はなかったのだが。自重を体が求めるようになったのか。
昨日と言うか、今朝3時ころ寝たので、起きたのは昼前。
ここのところ、昼頃まで寝ていたくても、目がさめてしまう様になっていたので、久々。
スミレアオイハウスの5周年のオープンハウスがあるので、出掛けるつもりでいたが、疲れがとれず断念。
それでもだらだらしてると、もったいない陽気だったので、気分転換に、中野富士見町のギャラリーHORIまで、自転車で散歩。
何日か前、新聞の情報欄に「細江英公人間写真展『おかあさんのばか』」の情報があり、行ってみる。
40年前の写真だったが、細江英公さんらしい、力強い写真だった。写真も奥が深い。
戻ってきて、さらに気分転換に、近くの銭湯へ。
○ 2004/11/22
朝、日報のアップやメールや連絡事項、諸々。
KOHのサッシュ図のチェック。
午後一で、サッシュ図木村と打ち合わせ。
夕方までに、BBHの見積りが出てくる。
夕方、クライアントに報告のファックス。
OKBの図面作業。
MRHの図面チェック。
18:00過ぎ、KOHの建設会社来所。躯体、サッシュの打ち合わせ。
○ 2004/11/23
昨晩、「レオス・カラックス/映画の二十一世紀へ向けて」鈴木布美子著(筑摩書房・リュミエール叢書13)を読み終わる。
1992年に出版され、その時点で撮られていた、「ボーイ・ミーツ・ガール」、「汚れた血」、「ボンヌフの恋人」について書かれた本だ。カラックスへのインタビューと、伝説的とも言ってよい「ボンヌフの恋人」のオープンセットのドキュメント、そして3本の映画の作品論で構成されている。
それぞれ興味深いものだったが、その中の「汚れた血」の作品論の最後の一説は、「汚れた血」を見た感動が、そのまま文章になっていた。
「言葉に対する身振りの優位。恐らくこれがカラックスの映画における基本的主題である。このことが、彼の豊富なサイレント映画体験と深く関わっているのは間違いない。パリのシネマテークで浴びるように見たサイレント期の作品が、彼の映画作家としての自己形成に大きな影響を及ぼしたという事実は、彼自身の口からたびたび語られている。もちろんそれは、カラックスがサイレント映画の持ち味を現在に蘇らせようとする楽天的な復古主義者であることを意味しない。確かにこの映画については映画史的な”引用”の多さがよく指摘される。けれども私たちに真に必要なのは、”引用”についての仔細な注釈を付け加えることではなく、映画史の始源から体得された映像への倫理的感受性に素直に感動することであろう。
死を間近に感じたアレックス(主人公:大塚註)は、両眼を閉じ、腹話術でリーズに語りかける。見つめあうことを放棄した者の悲痛な独白と、それに続くアンナの言葉なき疾走(このシーンを見るだけでも、この映画を見る価値がある:大塚註)に感じ入ることができる者にのみ、私たちの未来は開かれているのだ。」
今日も朝から、良い天気。
メールや連絡事項。
TRHの検討、図面作業。
途中、自転車で図書館へ。
○ 2004/11/24
今日も天気がよい。
昨日梁山泊は旅から戻り、今日朝から池袋の旧時習小学校の校庭でテント設営作業。
午前中、OKBの図面作業。
途中、銀行へ行き振込み等を済ませる。
午後一、坂下来所。
MRHの打ち合わせ。
BBHの見積り比較表作成。
マイネポリーヌが28日、東京競馬場4Rでデビューしそうだ。(抽選で除外の可能性もあるが。)
一口を共同で持っている桐山から電話。
28日、府中での待ち合せを決める。いよいよだ。
今日、再びマイネポリーヌの情報がネットに。
マイネポリーヌ(牝 高橋裕厩舎 父スペシャルウィーク母マイネミレー)
ルメール騎手で予定 推定馬体重460kg台
谷代助手「けいこに乗っていて背中の柔らかい馬。追い出してからの瞬発力はなかなかのもの」
高橋裕師「牧場で乗っていたし、気性も素直。先々も楽しめる馬だとみている」
○ 2004/11/25
9:30、MRHの第2回目のプレゼン。
こちらも面白い提案ができたがクライアントも喜んでくれた。
午前中、木村とKOHの打ち合わせ。
午後から、模型作りのバイトの福岡さんが来所。
14:00、事務所を出て池袋の旧時習小学校に建った、梁山泊のテントへ。
皆、長い旅が終わってホッとしたようだった。
帰りに、新宿の書店に寄ったら、「出現フォトモ」糸崎公朗著が眼に入る。
街等を撮った写真を立体的に組み立て作る模型をフォトモと称して、その作品を集めた本だ。
前からこの本を知ってはいたが、今回中を見てみたら、フォトモの実例に何故か中央線沿線の作品が多い。なかには、「中央線快速高尾行」というのもある。
早速、購入。
マイネポリーヌがデビュー決定。28日、東京4R。
○ 2004/11/26
朝9:00に三鷹でクライアントにピックアップしてもらい、白州TRHの現場。
設備の酒巻さんにも同行してもらう。
現場は標高高いが、良い天気で風もなく、暖かかった。
<マイネポリーヌ>
28日(日)東京4Rの新馬戦・芝1800mでデビューします。鋭いスタートダッシュから一気にハナを奪うようなスピード馬には見えないので、比較的ゆったり行ける方がレースはしやすいものと思われます。極端なスローとなったときに対応できるかどうかですが、調教では追えばしっかり伸びる馬です。
○ 2004/11/27
朝、BBHの各社の減額・合理化案をチェック。
クライアントに連絡。
TRHの検討図面作成。
夜、新宿梁山泊「唐版・風の又三郎2004」東京初日。
昨年の「唐版・風の又三郎」より30分短くなり、よりドラマティクな舞台になっていた。
ギリシャ神話のオルフェウスの話を下敷きに、芝居の神話見事に作り上げている。
今、ユリイカ11月号「特集・藤森照信-建築快楽主義」を読んでいるが、その中で盛んに藤森さんの原人性が語られているが、唐さんも同様に原人なのではないか、と感じた。
○ 2004/11/28
9:00前に大和町を出て、府中の東京競馬場へ向かう。
今日は今年の東京最終開催・ジャパンカップなので、1レースから観客が多い。
競馬場の待ち合せ場所で、桐山と落ち合う。
10:45、パドックに4レースの競走馬が入ってくる。
12番、マイネポリーヌを初めて直に見る。鹿毛の馬体が、冬の光線に光っている。
パドックの周回を終わり、各馬が本馬場に向かっていく。我々も移動。
本馬場には早くも、先導馬が姿を表わしている。
普通ここで各馬返し馬(ウォームアップにスタート地点まで走っていく)なのだが、新馬の集団は先導馬の後ろに固まって、のんびりしている。微笑ましい光景があった。
騎手に促され、やっと返し馬を初めても、集団で走り、まるで牧場に放牧されているようだ。
11:05、スタート。結果は7着。結果は残念だったが、無事走り終えて良かった。
駅前の食堂で桐山と一杯やりながらレースを振り返る。
良いレースをしたし、今後の調教での変わり身が期待できる、と。
17:00、西荻で母親の退院祝い。妹家族とチェ・ミキ、総勢8人。
沢山食べて飲んだ。
○ 2004/11/29
朝、メールチェックと日報アップ。
TRHの打合せ事項の整理。
KOHの現場より連絡あり、午後現場で打ち合わせすることに。
13:00前、自転車でKOHの現場。
小一時間で打ち合わせは終わり、同じく自転車で荻窪の公認会計士の岩崎さんのところへ。
これまでいつも、一年溜めた伝票を決算時に持って行っていたが、今期からこまめに収支を報告するようにしたので、9、10月分を持って行く。
16:00前、KOHのRC施工図打ち合わせ。
その他、進行中のプロジェクトの整理と検討。
○ 2004/11/30
今日で11月も終わり。早くも12月。
暑い中で、映画撮影をしていたのが、ついこの間のようだ。
TRHの図面をまとめ、建設会社へファックス。
昼前、先日「ピランデッロ」の公演で紹介してもらった黒テントの宗重さんから電話があり、稽古場の件で相談したいことがある、とのことで、午後一に阿佐ヶ谷の喫茶店で話をする。
その際、平野甲賀さんも御一緒で、初めてお目にかかる。
昔から、平野さんの作品のファンなので、お目にかかれて嬉しかった。
夕方、BBHの合理化案の打ち合わせ。
TRHの図面訂正作業。
○ 2004/12/1
12月に入り、昨日の夜から寒くなり出した。
BBHの見積を再度見直す。
午後一、KOHの現場で設備配管チェック。
進行中のプロジェクトの検討。あっちに行ったり、こっちに行ったり。
○ 2004/12/2
MRHのクライアントから、先日提案した案に対する要望がファックスで届いたので、検討する。
BBH打合せ準備。
13:00過ぎに事務所を出て、汐留に向かう。
喫茶店でBBHのクライアントと見積の打合せ。
「ユリイカ11月号・特集・藤森照信」の自著年譜が面白い。特に子供時代の年譜が秀逸だ。
恐るべし記憶力。記憶力というより、体に刻まれた感情なのか。
○ 2004/12/3
朝、KOHの連絡事項。
9:30、MRHのクライアント来所。
昨日頂いた要望について打ち合わせ。
午後、昨日打ち合わせたBBHの見積り減額案を作成。
午前中の打合せのまとめ等をして、16:30事務所を出る。
夕方から、ザ・ハウスの忘年会。
<マイネポリーヌ>
28日(日)東京でデビューし7着でした。手応え良く追走し勝負どころでは余力を残して進出しましたが、追われてからが案外でした。調教の動きを考えるともっと走れるはずです。次走は11日(土)中山の牝馬限定・芝1800mの予定です。
○ 2004/12/4
土曜日なのに、今日は朝から電話が多い。
巷を見ると、週休二日が完全に定着しているが、建築業界だけは週休二日どこ吹く風だ。
スタッフ面接をしたり、KOHの配筋検査に行ったり。
17:00過ぎ、事務所を出て、池袋の新宿梁山泊へ。
冬の台風が到来するらしく、夕方から雨が降り出した。
○ 2004/12/5
昨日の新宿梁山泊「唐版・風の又三郎・2004」は素晴らしい舞台だった。
3幕、休憩を含め3時間の舞台だが、幕ごとに変容して行く主人公の織部とエリカ。
台詞にあるように、「変装の街のオルフェウスとエウリディヶ」の再生の物語が、くっきり浮かび上がっていた。
この二人を取り囲む、闇の世界の住人たちの魑魅魍魎も非常にリアルだった。
このような闇の悪意が、我々の周りを静かに取り囲んでいるのだろう、と実感できた。
素晴らしい戯曲は古びることなく、その時代時代で蘇ることができる。改めて、確認できた。
昨晩の台風一過で、なんと最高気温25度。生暖かい風が吹いている。
吉祥寺の通称「近鉄裏」に忽然と姿をあらわした、DEBESO(http://kichijoji.info/debeso/)のイベントに参加。
○ 2004/12/6
今日も朝から風が強い。
どうやら、風の又三郎が芝居から飛び出し、街に降り立ったようだ。
メールチェックに日報アップ。
KOHの打ち合わせ。KOHは今日耐圧のコンクリート打設。
TRHの図面まとめ作業。
夜、クライアント候補再面談。
○ 2004/12/7
一昨日の暖かさがあったので、昨日今日の寒さに冬を感じる。
TRHの図面作業。
KOHの電気業者さん来所。打ち合わせ。
MRHの要望事項、ファックスで来たのでスケッチ。
KNHの事前調査。
その合間に、皮膚科の病院と銀行。
その帰りに、阿佐ヶ谷の旧中杉通りの酒屋で、芋焼酎「あさひ」購入。
焼酎のロックを少しづつ飲むのが、今はぴったり自分の体調に合っているようだ。
○ 2004/12/8
朝、自転車に乗ると、寒さで頭がキーンとなる。
良い天気だが、だんだん冷え込んできたのを感じる。
TRHの外構計画。
KOHのスタッフ打ち合わせ。
マイネポリーヌが11日(土)中山4Rに出走予定の案内が、ラフィアンのホームページの掲示された。
チェ・ミキの従兄弟が、夕方から大和町に遊びに来ているので、早めに事務所を出る。
○ 2004/12/9
昨晩、従兄弟たちは20:00前に帰ったのだが、僕とチェ・ミキは調子に乗って遅くまで飲み続けたので、少し胃が重い。
以前設計したMTHのクライアントとの打ち合わせのため、9:30過ぎ事務所を出て、三鷹にある仕事場に向かう。
昨日の続きの、TRHの外構計画。
夕方、BBHの減額案を建設会社が持ってきてくれる。もう一息か。
何だか寒気がする。まさか風邪では。
マイネポリーヌの出走確定を確認したら、「次の馬は、出走を予定していましたが、取りやめとなりました。
・・・ポリーヌ(右前脚球節部分の腫れのため。レントゲンの結果は異常なし。来週以降)・・・」となっていた。
桐山と中山競馬場行きを約束していたが、行く必要はなくなった。
慌ただしげな週末が、一転。
気持ちは中山競馬場だったので、ポッカリ空白の時間のように感じる。
やることは幾らでもあるのだが。
○ 2004/12/10
昨日から、天気は曇りで、鬱陶しい。
昨日の寒気は、今朝はないが、のどがいがらっぽい。用心するに越したことはない。
OKBの現調のために、9:00過ぎ事務所を出る。
帰りに新宿で途中下車して、元青山ブックセンターのブックファーストへ。
雰囲気は少し変わったが、品揃え的には踏襲しているようなので、見やすい。
SD(鹿島出版会)と「藤森照信の特選美術館三昧」(TOTO出版)購入。
藤森さんの「昭和住宅物語」(新建築社)から始まる一連の探訪記は、独創的な解釈で歴史のパースペクティブの味付けも効いて、面白い。この間読了した鈴木布美子さんのレオス・カラックスのインタビュー等をまとめた本を読んだ時の、ワクワク感が有る。映画と同じように、建築も面白いことを、再確認できる。
事務所に戻る昼頃には、陽が射してきた。
14:00、スタッフ面談。
16:00、KOHの設備打ち合わせ。
連絡事項多数。
MRHのスケッチ。
TRHのキッチン図チェック。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。厩舎の周りを歩かせる程度の運動を行っています。追い切り翌日に右前脚球節が腫れるアクシデントに見舞われました。レントゲン検査で異常はなく、捻挫が原因だと思われます。湿布を貼って処置しており、次走については、今後の回復具合次第となります。
○ 2004/12/11
少しゆっくり事務所に来て、連絡事項と昨日の現場調査の写真の整理。
12:00過ぎに事務所を出て、早稲田へ向かう。
来年の早稲田建築合同クラス会の幹事年が我々S54年卒で、山地さんの呼びかけで、忘年会兼懇親会が企画された。
集まったのは10名だったが、20年振りの顔も有り、懐かしかった。
○ 2004/12/12
11:00、小雨の中を自転車で、KNHの既存建物へ。今日は本当に寒い。
一時間弱建物内を見せてもらいながら、クライアントから希望を伺う。
大和町に戻り、いくつかの雑誌の記事等読んだ後、昨日買ってきた「犬猫-36歳・女性・映画監督が出来るまで」井口奈己著(フリースタイル)を読む。
ある日、映画を撮ろう、と思った井口さんが、8ミリで撮った映画「犬猫」を35ミリでリメイクするまでの、メイキングエッセイ。
映画作りの楽しさ、辛さ、嬉しさ、大変さがあますところなく綴られている。
昔読んだ「光の教会-安藤忠雄の現場」平松剛著にも、同じ興奮があった。
詰るところ、もの作りは面白い、と言うことだが、常にその新鮮さをキープしていることは難しい。
そりゃ、現実にはいろんなことがあって、そちらに振り回される事の方が多く、ついつい後ろ向きになってしまう。
だから、時々こんな本に出会うと、やっぱりもの作りの楽しさを追い求めよう、と前向きになる。
○ 2004/12/13
冬なのに又、キャロラインジャスミンが黄色い花を付け始めた。
今日は良い天気だ。
朝。事務所でメールチェックと日報のアップ。
MRHのスケッチ。
12:00に事務所を出て、13:00からKOHの配筋検査。
13:30から、役所の中間検査。
14:30前、KOHの現場を出て黒テントの新しい稽古場へ。
建設会社と一緒に、古いが味の有る建物の最低限の整備事項を確認。
事務所に夕方戻る。
引き続きMRHの作業。
○ 2004/12/14
13:00過ぎ、白州のTRHの現場。
もうほぼ完成。良い感じで仕上ってきている。
クライアントも含め、外構の打合せをして、引き渡しの日程を決める。
今「現代思想のパフォーマンス」難波江和英・内田樹著(光文社新書)を読んでいる。
ソシュール、バルト、フーコー、ラカン、サイードの思想をそれぞれ、案内編・解説編・実践編に分けて書かれた本だ
白州行きの電車の中で、バルトの案内編と解説編を読みつつ、実践編は映画を取り上げるしかないな、と思っていたら、「エイリアン」を取り上げていた。その実践事態はいまいちだったが、全体的にはめっぽう面白い本だ。
○ 2004/12/15
師走というが、忘年会等があり、なんとなく慌ただしく、時間があっという間に過ぎて行ってしまう。
MRHのスケッチと図面作業。変更案をファックスで送る。
BBHの減額見積が昨日事務所に届いていたので、査定してクライアントにファックスし、電話で説明。
KNHのスケッチ。
○ 2004/12/16
10:00自由が丘で打合せがあったので、帰りに久しぶりに、以前事務所をシェア−していた鈴木基紀の事務所を訪ねる。
元気そうで何よりだった。
11:30に自由が丘を出て、建築会館の『2004吉阪隆正展「頭と手」』へ。http://www.taka2004.com/
八王子の大学セミナーハウスの大きな粘土模型が圧巻だ。
吉阪先生は「有形学」を提唱された。意味より形、そんな事を思った。
15:00事務所に戻り、いくつかの連絡事項。
MRHのスケッチ。
18:30新宿。
マイネポリーヌの一口をシェア−している旭化成の同期の桐山、以前事務所で模型作りを手伝ってくれ、今偶然派遣で旭化成に行っている高玉さんと、忘年会。
高玉さんに会うのは本当に久しぶりで、楽しい会だった。
○ 2004/12/17
昨日の夕方から吹き始めた北風が、今朝もぴゅーぴゅー吹いている。
MRHのスケッチを続ける。
夜、韓国の友人、柳さんと奥さんのヒャンスクとチェ・ミキと高円寺の成都に。
柳さんたちに会うのは一年ぶりくらいか。
11:30頃、マッコルリを飲みにコチュカルに移動。
2:00近くまで飲む。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。右前の球節の腫れは繋靱帯の疲れが原因でしたが、すっかり治まりキャンターを再開しています。これからピッチを上げ、1月9日、中山の牝馬限定・芝1600mを使いたいと考えています。
○ 2004/12/18
事務所に来たら、渡邊保忠先生の「日本建築生産組織に関する研究・1959」が届いていた。
先日、吉阪先生の展覧会に行って、吉阪先生と保忠先生の本を読み直してみようと、取出していたところだった。
17:00、設計させていただいた、唐十郎さんのアトリエ・稽古場のお披露目。
沢山の人が集まり、遅くまで賑やかだった。
○ 2004/12/19
木、金、土曜日と三連チャンで、さすがに疲れぎみ。
一日大和町。
午前中は溜まっていた新聞を読む。
午後夕食の買物に行った時、高円寺の東通り商店街で魅力的な品揃えの古書店を見つけ、2冊購入。
確か、「アジアンドック」という名前だった。
初めて気がついたので、訪ねたら、去年開店したそうだ。
夕方、鳥の集会をチェ・ミキが発見。
うちのすぐ側の電線に、沢山の鳥が集まっていた。
しばらく席の入れ代わりを繰り返し、いくつかのグループに分かれ、飛び去って行った。
夜、日曜洋画劇場でジョン・ウー監督の「フェイス/オフ」を見始めたら、止められなくなって最後まで見てしまった。
最後の抱擁シーンは流石だ。
○ 2004/12/20
カバーコラム
富士ヶ嶺観音堂 1
あらゆる写真は現実ではない。あらゆる事物は三次元、または四次元に属しているが、写真はそれを二次元の平面に移し変える。当然そこには異常な無理が働いている。あらゆる写真はそれ故に非現実世界を表現している。
この写真は富士山麓上九一色村に建てた観音堂の夜景である。ステンレス製の墓の丸い小シェルターに点々と光が写し込まれているのが撮られている。この写真をとった人はその風景に特別な意味を見ようとして、この写真を撮った。撮ってみて、現像してみたら、更に不思議なモノが写っていた。観音堂のほぼ中心に変な丸い大きな光がハッキリと写し出されている。
ただし、蛍の光のようなステンレスの反射光は人間の肉眼が視た現実だが、この観音堂の中心の丸い光は写真機が写したとったものである。人間の肉眼(身体)はそれを観てはいない。つまり、ここに写されている丸い光はカメラという機械が拾ったものだ。発光体にレンズを向けた時に良くレンズが起こす現象であるかも知れぬ。弱い逆光を写そうとして出現してしまったモノの可能性が高い。
しかし、それでは人間の側の問題は考える事ができぬ。この写真には先ず第一に写真をとった人の身体の偶然が引き起こしたカメラのレンズの誤作動があったかも知れない。第二に、その誤作動の結果、印画紙上に出現した丸い光を、観音玉光だと直観した人間の想像力がある。それを前近代だとか、妄想、迷信の類いだと捨てきれない。例え、機械の犯した誤りであるにせよ、その誤りのお蔭で何人もの人間が有難い事だと想う事の方が大事なのではなかろうか。
病気、障害も又、それぞれの人間に個別な尊厳である。それぞれの人間にとっては不可避な事件であると考えるよりも、それぞれの人体器官が主体的に引きおこした誤作動の結果だと考えた方が、その宿命のようなものを受け入れて、対応しやすくなるだろう。誤りも又、一つの個別性を持った現実なのである。
異常な現象は世に満ち満ちている。考えてみれば日々の生活の繰り返し性、退屈さだって異常と言えばそうなのだ。健康というものだって生命の維持運動のディテールを想像すれば異常の連続によって引き起こされているのだろう。病気、障害も又、厳然たる人間の個性だと考えると、少しばかり世界が別の様相を帯びてくる。
石山修武
○ 2004/12/20
午前中は日報アップ、年末調整の資料作り、忘れていたOZONEの登録更新の書類作り。
MRH、KOHのスケッチ。
16:30、KOHの工務店打ち合わせ。
夜、阿佐ヶ谷で新宿梁山泊の忘年会。
先週から飲み会続きで、年末らしくなってきた。
○ 2004/12/21
昨日は遅くまで飲んでいたので、朝が辛い。
10:00前、MRHのクライアント来所。
午後一、自転車で荻窪の岩崎会計士事務所まで、昨日まとめた年末調整と11月の帳簿を届ける。
木村とKOHの打ち合わせ。
MRHのスケッチ。
16:30、建設会社来所。BBHの減額打ち合わせ。
今日は冬至。
「冬来たりなば、春遠からじ」とは良く言ったものだ。
そう言う考え方は、なかなか魅力的だ。
夜、柚湯。
○ 2004/12/22
冬至の次の日だけあって、陽が登るのが遅い。
8:00過ぎになってやっと空に陽が射してくる。
10:00、以前設計させていただいたHMHへ。
一部内装やリ替えの打ち合わせ。
MRH、KNHのスケッチ。
○ 2004/12/23
午前中事務所。
KOH、BBH等の連絡事項。
昼に大和町に戻り、諸雑用と片付け。
今週末チェ・ミキの福井の友人家族が、大和町に泊まりに来るので。
夜、ずっと昔中野中央に住んでいた頃、よく行っていた「まこと」の忘年会に参加。
一年ぶりに懐かしい顔に会う。
○ 2004/12/24
午前中、KOHの検討。
午後、KNHのスケッチ。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。その後、調教を続けても繋靱帯に悪化は見られません。水曜日にはハロン15秒ペースのキャンターでさっと流しました。馬体がゆるんだ感じはないので、年明けには良い状態に整う見込みです。
○ 2004/12/25
朝9:00、調布で構造の吉田さんにピックアップしてもらい、TRHの現場へ。
総勢7人。今日はTRHの引き渡し。
高速が空いていたので、現場行きの前に茅野まで行き、藤森照信さん設計の「神長官守矢資料館」を訪ねる。
「神長官守矢資料館」に着いて建物に近付くと、二人の女性が建物を見ている。
何と、「室内」の編集部の佐野さんと遊佐さん。近くにある藤森さんの新作「高過庵」の写真撮影が終わったところで、写真家の藤塚さんが、藤森さんを茅野の駅まで送って行っているとのこと。
しばらくすると、藤塚さんが戻ってきた。
なんと、寄寓な。
しばらく話した後、お別れして「神長官守矢資料館」と「高過庵」を見学。
藤塚さんたちに「高過庵」の場所を教えていただいたので、すぐ見つかる。
「高過庵」の前で、皆唖然。僕は写真で見ていたが、初めて眼に飛び込んできた時には、とんでもないものを見てしまった、という驚き。
物を作る事の楽しさが、溢れた建築だ。でも僕達が建築と思い込んでいる概念からは、大きくシフトしている。そこが、見ていて気持ちをワクワクさせてくれる。
上に上がってみたいものだ。
12:30過ぎ、TRHの現場。
まだ残工事はあるが、きちんと仕上っていた。
床暖房の効果も確認できた。
クライアントと僕と設備の酒巻さんは現場で、いくつかの打ち合わせ。
吉田さんと残りの5人は、先に現場を出て、他の建築を見に行った。
帰りはクライアントの車に同乗させてもらい、三鷹に17:30過ぎ到着。
今日は大和町に、チェ・ミキの友人・沢田さん一家がいらしていて、大和町の留守電で確認したら、高円寺の「抱瓶」にいるとのことで、向かう。
○ 2004/12/26
昨日は沢田さんたちと、沢山飲み、話をし楽しかった。
今日は浅草とお台場に行き、銀座の保養所に泊まるという沢田さんたちは、9:00に大和町を出発。元気だ。
片づけをしたり、近所の店に買物に行ったりで一日を過す。
○ 2004/12/27
朝、事務所。
日報のアップ。25日の写真の整理・プリント依頼。
BBHの契約の準備。
KOHの打合せの準備。
13:30、KOH。クライアントに1階のコンクリート部分を見ていただく。
その後事務所に移り、打ち合わせ。
今夜、渋谷で設計事務所仲間の忘年会がある。
時間が調度よかったので、その前に塚本晋也監督の「ヴィタール」を見ようと、アミューズCONへ。
とんでもなくエレベーターの位置の分りにくいビルで、呆れた。
「ヴィタール」はピナ・バウシュのタンツテアターがダンスを主体にした表現になっているように、映画というより映像を主体にした表現と言えるものだった。
観客の肉体に直接訴えかけてくる音。水が重要なモチーフになり、その音が常に観客を包む。
まるで映画自体が肉体のようだ。
それだけに、主人公(浅野忠信)の死んだ恋人(柄本奈美)が突然ダンスを踊り出すシーンは、ちょっと興醒めだった。彼女はプロのバレリーナで、踊らなくてもその立ち振る舞いは肉体表現になっていたのだから。
でもとにかく、映画館で見なければ、その良さは1/10になってしまう映画だった。
19:00から、渋谷のダイニングバーで忘年会。
一年ぶりの顔もたくさんあった。
○ 2004/12/28
事務所は今日で仕事納め。
だからと言うわけではないだろうが、慌ただしい。
KOHのプレカット軸組図チェックを木村と打ち合わせ。
MRH の立面検討。
電話連絡が頻繁に入る。
13:30、KOHの建設会社来所。打ち合わせ。
その後、KNHの改修前の建物に同行してもらい、風にやられた屋上の一部を応急処置をしてもらう。
そのまま、内部の再確認と現状写真を撮る。
日報も1月11日まで、ちょっと一休み。
新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
西荻の実家へ。
荻窪八幡へお参り。
『「明治」という国家』司馬遼太郎(NHKBOOKS)を読みはじめる。
年末、事務所の片づけをしていたら、出てきた本だ。
途中まで読んでいたようす。また、最初から読みはじめる。
○ 2004/1/2
チェ・ミキの浜松の実家へ。
○ 2004/1/3
浜松より帰京。
○ 2004/1/4
昨年買った本などの整理。
○ 2004/1/5
午前、事務所へ。
頂いた年賀状などの整理。
午後NISの現場へ。
今日、クライアントの本だけの引っ越し。
将来10.000册の収納を目標に作った本棚が、半分ぐらい埋まった。
本が入ると、ぐっと住宅らしくなってくる。
○ 2004/1/6
昼、KAKのクライアントと高円寺で少し話す。
スタッフは今日まで休み。明日からスタッフが出てくるので、細々とした雑用と賀状の返事。
銀行、郵便局へ出たついでに、自転車で杉並中央図書館。
○ 2004/1/7
今日から、スタッフ出社。
年末から新年を挟んで、1週間以上空いているので、現状の確認をする。
私がNISの竣工を控えてるので、いくつかある仕事が、旨くローテーション組めない。
後2週間くらいしょうがないか。
しかし、5日からの新年、あまり穏やかなスタートとは言えない。
○ 2004/1/8
KAKのクライアントが、今お住まいのところへ、家具の寸法などを計りに伺う。
場所は杉並の松庵。駅で言えば西荻窪。
自転車で30分もかからない。ただ、今日は風が強く寒い。前から風が吹いてくると、進むのも大変だった。
帰りに書店で「東京人・2月号/特集・中央線人による文化人類学 中央線の魔力part4」購入。
ちなみに、「東京人」の中央線の魔力part3には、私、ちょこっと、写真に登場してます。高円寺の大将で飲んでいる所を、写されてしまった。撮影は、あの都築饗一さん。閑な方は、探してみて下さい。
○ 2004/1/9
午前KAK、スケッチ。
午後NIS現場。
オーディオのセッティングも終わり、中庭には高麗芝が敷き詰められた。
階段の脇の壁に張られた、鏡面のステンレスの養生も外れ、様相が一変した。
ナチュラルでおおらかだった空間が、きゅっとしまった感じがする。大成功。
もう完成だ。後は来週、ソファやベットなどの家具が入る。楽しみだ。
○ 2004/1/10
TER打ち合わせ。概算見積を基に、予算の確認。
夕方、浜松よりチェ・ミキの兄家族5人(子供3人)、大和町に来る。
明日、劇団四季の「ライオン・キング」を見に行く為に、来京。
○ 2004/1/11
「ライオン・キング」が13:00からなので、その前に渋谷のユーロスペースに「ミトン」を見に行く。1967年、旧ソ連、ロマン・カチャーノフのマペット・アニメーションで、10分の作品。同時に同じ監督の、「レター」と「ママ」が上映される。三本合わせて、30分。会場は満員。台詞が一切無く、映像と音楽で構成されたアニメーションは、見る方の想像を誘う。単純なストーリーだが、いろいろな感じ方が出来る。立ち見だったが、あっと言う間に終わってしまった。特に「ミトン」は秀逸だった。 16:00、妙蓮寺のおばさん、大和町に。夕方「ライオン・キング」から戻ってきた、兄家族と高円寺の中華料理屋へ。
○ 2004/1/12
朝、兄家族は、上野の科学博物館へ、恐竜の展示を見に出かけた。
12:00、NIS現場。事務所、施主検査。夕方まで。いよいよ来週末、引き渡しだ。
夜、大和町に帰ると、静かになっていた。兄家族は午後一番で、浜松へ発ったそうだ。
台風一過、と言う感じだ。
○ 2004/1/13
午後、EMOの工事担当者が来所。
EMOは明日、地鎮祭。工事前の注意事項などを打ち合わせ。
昨日の検査の際、NISの増減見積が出てきたので、チェック。
年明け、2週目も、いろいろな事が同時に進行し、慌ただしく過ぎていく。
少し立ち止まりながら、進めていかないとまずい、と思いながらも、物事はこちらの思惑と関係なく、進んでいく。
○ 2004/1/14
午後、徐々に進めているK+Oの確認のために、再度敷地を見に行く。
中野なので、自転車で。今日も風が強く、向い風になると進むのが大変だった。
最近、自転車で西は西荻窪、東は中野・東中野の間を行き来する事が多いが、この間の街、似ているようで少しづつ違う。その違いを、自転車ですり抜けていく感じは、電車に乗ってしまうと感じられない感覚だ。
帰りに、事務所近くの古書店で、映画監督ジャック・タチとアキ・カウリスマキの、昨年特集上映された時に出た、ガイドブック入手。
○ 2004/1/15
11:00、EMO地鎮祭。
風があったが、日溜まりのなかで無事修了。
午後、吉祥寺に小さなホールをつくる為に、主催者と不動産会社の人と、消防所と役所を廻る。
K+O、昨日夜、多くのバリエーションが生まれそうな、ひとつアイデア浮かぶ。焦らず、つめてみたい。
KAK、解体が始まる。
○ 2004/1/16
朝、NISの現場。
植栽も終わり、あとは引き渡しを待つばかり。現場ではクリーニングが進められている。
午後、坂下とNISの増減のチェック。
○ 2004/1/17
NIS、クライアントの御好意で、知合いの設計事務所に限った、ささやかな見学会。
粉雪降る寒い日だったが、途切れる事なく、お客さんがあった。寒いなか、ありがとうございました。 夕方から、クライアントと増減の打ち合わせ。
○ 2004/1/18
12:30。NIS引き渡し。
昨日と打って変わって、良い天気。
引き渡し後、取扱い説明。15:30頃まで。
終了後、坂下と新宿のオイスターバーで、お疲れの乾杯。ビールの次に頼んだ、日本酒が疲れを誘う。小一時間で、お疲れ会も終了。
青山ブックセンターで、「ヴェイユの言葉」冨原眞弓 編訳(みすず書房)、「江戸前「握り」」荒木水都弘/浅妻千映子 (光文社新書)。
後者は、NISのクライアントに連れてって頂いた、寿司屋さんの本。とてつも無く、美味しい寿司だった。
○ 2004/1/19
朝、大学の先輩の宮沢さん設計の住宅の現場を見せてもらう。
その後、植田実さんの建築学会賞受賞を記念して、田町の建築会館で今日まで建築会館で開催されている「『都市住宅』再読・植田実の編集現場」に行く。
我々が学生だった頃、刊行されていた「都市住宅」(1968創刊)はとても刺激的な雑誌で、建築を住宅や都市から考えようとした様々な試みが、記録されている。当時建築界において、住宅は今のように市民権を得ておらず、でも今世界的に活躍している、我々の一世代上の建築家が、住宅の現場で果敢な試みを繰り広げていた。
同時に、デザインサーベイや都市を読み取る作業が、地道に続けられていた。保存についても、この頃から話題に上がるようになった。
展示されていた誌面を改めてみて、わくわくしてきた。さっそく手元にある物を、もう一度見返してみよう。中央線の沿線でなにかできないか、と思っている事の、ヒントになりそうだ。
一瞬だが、植田さんのおめにかかれた。
○ 2004/1/20
K+O、いろいろな案が出てきた。
小さい住宅の面白さが、ひたひたと滲み出てきた、という感じだ。
これをもう一歩深められるか、それが問題だろう。
KAK、基本計画2次案。
○ 2004/1/21
11:30、吉祥寺の建物の地下のスペースを、小劇場にできないかという打ち合わせ。武蔵野市役所へ。
夜、モダンリビングの次号の校正原稿がファックスで送られてくる。すぐチェックバック。
○ 2004/1/22
10:00、松庵でKAK基本計画打ち合わせ。
午後、東京オペラシティーのジャン・ヌーベル展に行く。環境をつくり出しているように感じた。「非物質化」と言う事を言っているが、ときにその形態は、とてもエロチックで、根源的なかたちとなって顕われている。
17:30、NISを施工する建設会社で、初めての打ち合わせ。その後顔合せ会食。二次会で新宿まで飲みに行ってしまった。
○ 2004/1/23
昨日は、それ程きつい酒を飲まなかったが、長い時間飲んでいたので、今日は朝つらい。
昔は、2時3時まで飲んでても大丈夫だったが、弱くなった。
今日は一日事務所で、いろいろな計画の見直し。
ちょっと買い物に出たついでに、書店に寄ったら、「空間の行間」磯崎新・福田和也(筑摩書房)が眼についた。タイトルどおり、空間=日本建築・行間=日本文学についての、2人の対談。手にとったら面白そう。今読んでる「『明治』という国家」につながりそうな感じがする。今年の日本の歴史に対する興味、いつまで続くか。
○ 2004/1/24
10:00、坂下をKAKの敷地に案内。その後、喫茶店で打ち合わせ。手伝ってもらう事になる。
16:00、写真家の新さん、来所。竣工した物をいくつか撮ってもらう予定。
新さんが撮影した写真が、2月11日から目黒区美術館で開催される、「建築家 村野籐吾のディテール/旧千代田生命本社ビル写真図面展」に展示されるそうで、そのチラシとチケットを持ってきてくれた。
目黒区美術館で以前出した、「活字」という本を「室内」で見つけて、購入した事があったが、その本も新さんが何点か写真撮影を担当していた。どっかで繋がっていくものだなあ。
○ 2004/1/25
新年になって、土日も仕事が続いたが、久々になにも無い日曜日。
でも、朝8:30頃目がさめてしまう。午前中自宅で、K+O、TER、KAKの図面チェック。月曜日にスタッフと打ち合わせする内容をまとめる。
12:00、テレビで大阪国際女子マラソン。優勝した坂本選手に対し、解説の陸連関係者は、タイムのことより後半スピードが落ちなかった事は素晴らしい、と盛んに言っていたが、なんだか選考の言い訳をしているようだった。いつも問題になるマラソンの選考、もっとスッキリできない物か。マラソンを見るのが好きなだけに、走る選手が可哀想に思えてくる。
夜、借りてきたビデオで、「パラダイスの夕暮れ」アキ・カウリスマキ(1986)を見る。アキ・カウリスマキも昨年連続上映があった監督。全くなにも知らずに見たが、ちょっと藤田敏八が活躍していた日活(ということはロマンポルノが盛んな頃か)の映画のようだ。色使い、バックに流れる歌の使い方が独特だった。引き続き見てみよう。
○ 2004/1/26
午後、昨年7月に完成したKOBの取材立ち会い。(「新しい住まいの設計」5月号/3月21日発売予定) 完成から半年、住まいこなしている感じだった。大人のスペース、家族のスペース、子供達のスペースが使われる事に依り、それぞれ個性を発揮してしていた。子供室の上にあるロフトは、かわいい遊び場になっていた。
昨日で「『明治』という国家」読み終わった。建築の歴史の研究室を出ているのだが、昨年末から読んでいるいる本に依って、今になって、歴史の面白さが少しわかるようになってきた。23日の日報に書いた「空間の行間」に移る前に、昨年梁山泊から手渡された「梁山泊版・『どん底』」(作・ゴーリキー/脚色・梶原涼)の台本を読んでしまおう。オリジナルの岩波文庫の「どん底」も、同時進行で読んでみる。
○ 2004/1/27
10:00、HON-Kのクライアント宅へ。ゲストハウスの浴室廻り、個室のテーブルとパネルヒーターの追加の打ち合わせ。
その後は夜まで事務所。
○ 2004/1/28
10:00、吉祥寺の小劇場候補のスペースについて、打合せに現地に行く。
昼事務所に戻り、いくつかの雑用。
郵便局に行くついでに、書店で「VOGUE・NIPPON」3月号を見る。衣装の観点から、ピナ・バウシュが取り上げられている。「カフェ・ミュラー」のピナ自身のダンス写真を含め、ヴッパタール舞踊団の女性ダンサーの写真が沢山掲載されていた。
「どん底」梁山泊版・ゴーリキイ版、了読。カール・ドライアーの映画「奇跡」が思い浮かぶ。
○ 2004/1/29
1日事務所。
TER、K+O、KAK、KARのエスキス。
「空間の行間」読み始める。
○ 2004/1/30
10:00、EMOの定例打ち合わせ。幡ヶ谷の建設会社で。
帰りに、新宿の青山ブックセンターで、「現代住宅研究」塚本由晴+西沢大良(INAX出版)、「ポートレイト・イン・ジャズ」和田誠+村上春樹(新潮文庫)。
昼、事務所に戻る。金守珍監督の第2作目の映画のシナリオを、梁山泊の伸子さんが届けてくれていた。
そういえば、書くのを忘れていたが、今毎週月〜金曜日、お昼の13:00から13:30までTBSで放映中の「コスメの魔法」に、梁山泊の三浦伸子・梶村ともみコンビがレギュラー出演中です。来週は、ウイークリーのゲストで、近藤結宥花と原昇が出演。ぜひ御覧下さい。
○ 2004/1/31
13:00に大和町に、クライアント候補のNさんがみえるので、午前中片付け。
本を整理していて、3年前くらいに手に入れた「サイレント・ガーデン」武満徹著が眼についたので、地下から2階に持ってきた。
13:00、Nさん御家族みえる。今、土地を探し始めたところ。現在、下北沢にお住いとのことで、私も10年以上前、下北沢に暮らしたことがあり、そこで梁山泊と知合った。同じ街に暮らしたり、同じ街が好きだったりすると、とても気持がわかるような気がする。たまたま今日から、シネマ下北沢で「夜を賭けて」の最終スクリーン上映も始まる。
Nさんと、好きな空間について話していて、これからちょっと考えてみたい事に対するヒントをもらった。
15:00、BAB。クライアント打ち合わせ。昨年末に提出した、3案のひとつに決め、少し細かい部分の摺り合わせ。
○ 2004/2/1
午前中、「サイレント・ガーデン」を読む。「滞院報告・キャロティンの祭典」という副題がついている。1995年、武満さんが癌で入院していた時の日誌と、病床で考えたレシピが1冊の本になっている。とても美しい本だ。
「沈黙の庭・サイレント・ガーデン」とは、6月26日(月)に、うとうとしているが眠れず、目覚めていた間に考えていた、退院したら書こうと思う作品のタイトルのひとつ。
7月4日(火)「あとは少しでもおだやかな、平和な生活。まだいらいらしたりする本来の気質がすぐ顔をのぞかせる。いかんいかん。そして、自分の内に音楽、外には音楽は不要。」
この時期大好きな、「翼-武満徹ポップ・ソングズ」石川セリの録音が行われいて、そのテープを病院で聴いたことが書かれている。そのCDを聴きながら、途中まで、滞院報告を読んだ。
夕方、買い物。牛筋1キロ。手羽元。
○ 2004/2/2
ひさしぶりの雨。
終日、事務所でいろいろな計画の検討。
1月は4週目くらいまで、ゆったりと時間が流れていたように感じたが、最終週はあっという間に過ぎて、もう2月、という感じだ。
○ 2004/2/3
9:30、坂下がKAKの模型届けてくれる。
15:00、永福町でKAKの打ち合わせ。
クライアントと、1時間ぐらい住宅展示場をのぞいてみる。
好きな雰囲気、色などを聞かせてもらう。
しかしモデルハウスは広すぎる。しかも変なところが広い。営業の人にきくと、実際に建つ家は、そう言う部分は普通の広さになってます、という。じゃあモデルハウスはなんなのだろう。しかし逆に見れば、それでこそモデルハウスの機能を果たしている、ともいえる。いずれにしても、そういうモデルハウスに憧れ、家を建てる人もいるのだから、様々だ。
喫茶店で打合せ後、浜田山から一度乗ってみたかった「すぎ丸」(阿佐ヶ谷と浜田山の間をシャトル運転しているミニバス・100円)で、事務所に戻る。周りが暗くなっていたので、今度は明るいときに乗ってみたい。杉並も結構くねくねした細い道だらけだ。阿佐ヶ谷住宅、なかなか良い。
○ 2004/2/4
一日事務所。
EMO工事スタートしたが、一番初めの地盤改良に時間がかかってしまっている。
週末のプレゼンに向け、可愛い模型ができつつある。
○ 2004/2/5
様々な計画が同時進行中なので、朝から自分のなかで整理してみた。
頑張れば、面白くなりそうなものが沢山ある。
午後、杉並区役所。KAKの狭隘道路申請がおりたので、取りにいく。
書店で「キネマ旬報・2003年度ベスト・テン発表」、「東京人・200号記念・東京からなくなったもの」。
事務所近くの古書店で「言わなければよかったのに日記」深沢七郎(中公文庫)、「遠野物語の原風景」内藤正敏(ちくま文庫).
後者はチェ・ミキへ。
この古書店、品揃え、回転ともに、本当に素晴らしい。店の名前を見てくるの、また忘れてしまった。
○ 2004/2/6
10:00、EMO定例会議。建設会社にて。
同じ会社に、KARの概算見積を依頼してあったものがでてきた。何度か構造を変え、やっと予算にあいそうな状況になってきた。
建設会社からの帰り道にある古書店を覗く。「日本映画の現場へ」リュミエール叢書3・山根貞男(筑摩書房)、「戦争と建築」五十嵐太郎(晶文社)。
今、寝る前に植草甚一さんの手書きの日記を読んでいるが、植草さんは散歩が好きで、そのついでに、古書店に立ち寄る。日記には例の独特の文体で「・・・急に・・の・・書店に行きたくなり、フランスの雑誌5册。3500円。」のような書き込みが、ほぼ毎日ある。毎日とはいかないが、気分は植草だ。 新宿で乗り換えのついでに、私的に懸案だったスピーカー・アンプ・プレイヤーの買い替えの情報を集めようと、オーディオ・ユニオンへ。いろいろ決めかかるが、事務所に戻り、NISでオーディオビジュアルの計画・設置をやってもらったクリオネの高杉さんに相談。要望を話したら、さっそく提案してくれ、夕方には決めてしまった。高杉さんの提案のスピーカーは、ZINGALIというイタリアの会社の物で、ジンガリとはイタリア語で、ジプシーのことで、そのネーミングに先ずまいってしまった。かたちもチャーミングだ。
○ 2004/2/7
午前中、K+Oのプレゼンの準備。
14:30、K+O打ち合わせ。模型を喜んで持って帰っていただいた。
18:30、武蔵境の武蔵野スイングホール。オ・スノディ3兄弟のライブ。伝統的なアイルランドの音楽を、現代的な演奏している。ギターも開放弦にしたり、打楽器の演奏が凄い。最後の曲、彼らのリードで、独特なアイリシュのテンポの早い演奏に合わせ、手拍子する。そのスピード感と緊張感がとても心地よかった。参加してはじめて楽しめる音楽だ。
○ 2004/2/8
先日、日報にも書いた、深沢七郎の「言わなければよかったのに日記」。拾い読みしているが、面白い。
あまりに、面白いので、書き写す。
『正宗先生にはいつも失敗ばかりだ。まずいことばかり云ってしまって失礼なことばかりだ。だいたい、一番はじめに先生の千束のお宅へ行った時、お庭に池があるとばかり思って行ったのだが、池などないのである。(変だな?)と思いながらドアの前に立った。お庭は広く、山の中にあるような高い木があるけど池がないのは意外だった。(この先生と白鳥では、どんな関係があるのだろう?)と不思議に思った。ボクはバレーの「白鳥の湖」か「瀕死の白鳥」に関係のある人か、白鳥の好きな人だとばかり思っていたのに。
椅子に腰かけて話をして下さるのを聞いているうちに気がついたのは、銘酒で有名な菊正宗の本家の跡取り息子にでも生まれた人ではないかと思った。そんなふうな、大家の家柄の生まれの人だと気がついた。そう思えば先生の生まれた家には白鳥が住んでいるような池があるような気がしてきた。念のために、
「先生は酒の・・・・、菊正宗の・・・?」
と伺うと、
「ボクはそんな家と何の関係もないよ」
とおっしゃった。今、考えても、まずいことを云っちゃって、と悔やんでいる。』
この日記が出版されたのが、1958年。時に深沢七郎44才。2年前に「楢山節考」で第1回中央公論新人賞を受賞し、文壇デビューしている。この日記は、「畏敬する作家たち正宗白鳥、武田泰淳、井伏鱒二などとの奇妙でおかしい交流を綴る。生涯を自然流に生きた異才の抱腹絶倒の文壇登場日記他。」と背表紙にある。
まさにその通り。よい本を手にとった。
そんな気分で、夕方買い物へ。高円寺、商店街の八百屋や肉屋、買い物客が一杯で、よく見るといろんな人がいる。いいまちだ。
○ 2004/2/9
12:00、KARの予算について打ち合わせ。概ね了解を得て、先にすすめる事になる。
14:00、吉祥寺の小劇場の打ち合わせ。まだどうなるかわからないが、とにかくスペースを借りる交渉を、引き続き進めていく事になる。
○ 2004/2/10
午前中、郵便局や図書館、雑用。
16:30、六本木、構造の吉田さんの事務所で、KAK、TERの構造打ち合わせ。
18:30、新宿で同時期に同じ建設会社で工事が進んでいた、先輩の宮沢さんとスタッフ、坂下、建設会社の担当者、営業、集まりお疲れ会。
○ 2004/2/11
朝起きたら、風邪をひいている。どうしようか迷ったが、大丈夫だろうと、神保町・岩波ホールへ「美しい夏キリシマ」を見に行く。
10:30にチケットを買って、近くの古書店を廻ろうとしたが、休日で、ほとんどの店が11:00開店。岩波ホール近くの、特価本屋で「愛しのチロ」荒木経惟(平凡社ライブラリー)、「美しい映画になら微笑むがよい」川本三郎(中央公論社)。前者は遅ればせながら、後者はアジアの映画を中心に書かれ、アジアの監督9人へのインタビューもはいっている。「ペパーミント・キャンディー」のイ・チャンドン、「八月のクリスマス」のホ・ジノも含まれている。
11:30「美しい夏キリシマ」満員。年輩の方が多い。今は、歳をめしたかたのほうが、若い人達より、好奇心旺盛なのではないか。
映画、美しかった。台詞のなかに、「美しい物が何故美しいか、きちんと言えないもどかしさ」というはなしが出てくる。そのように、周りから説明的に形作っていく美しさでなく、そこにそのまま有る事の美しさがあった。できれば、スクリーンで見たい映画だ。それくらい画面が素晴らしい。
見終わったら、かなり風邪がまずく、新宿での雑用あきらめ、家に帰る。
寝ながら見ようと、「僕のスゥイング」トニ?・ガトリフ監督。篠籐ゆりさんから教えてもらった映画。ロマ(ジプシー)のギターにひかれた男の子の話。その男の子が好きになる、スゥイングという名のロマの女の子が、とても可愛い。ギターも良いし、小粒だが佳作だ。
家に、ZINGALI(スピーカー・イタリア語でジプシー)が届いた。
○ 2004/2/12
風邪、まだ思わしくない。咳と鼻。
午前、姪が高校、第一志望合格とのこと。おめでとう。
先日取材してもらった、KOBの校正原稿が扶桑社から届く。
14:00、大久保、構造の山崎さんの事務所へ。KAR、BAB、K+O、三件の打ち合わせ。
その後、新宿へ雑用。今日は18:00でギブアップ。
○ 2004/2/13
良く寝て、早く回復するよう心掛けているが、なかなか。
扶桑社の校正原稿チェックバック。
午後、KAKの法解釈確認に杉並区役所へ。近いとても便利だ。
今日は、東京ワンダーサイトのコンサートに誘っていただいていたが、鼻を啜ったり、我慢できず大きなくしゃみをしたりで、行ったとしても周りに迷惑をかけそうなので、失礼させていただく事にする。
○ 2004/2/14
今日は14:00から、拙宅・大和町の家に、中央線な人達が集まって、中央線沿線で何かできないかを考えてみよう、と言う会合。
午前中は家の片づけと、会合のための買い物。
中央線沿線に住む、プロダクト・インテリア・建築の仕事をしてる人が、10人弱集まって、飲みながら話した。19:00、残れる人だけで、高円寺大将に場所を移す。
大将は、私が勝手に、ここを住宅にしたら、と思っている場所。22:30頃解散。
○ 2004/2/15
10:30、井荻。一度住宅の相談にみえた事のあるHさんと待ち合わせ。
土地を探していたら、奥さんの実家のそばに、築後10年弱の建物付きの土地が出てきたとのことで、構造や設備的に大丈夫か、アドバイスに同行。
井荻は、家から自転車で20分。
12:00、家に戻る。
午後、先週届いた、スピーカー・アンプ・プレーヤーの梱包を解き、セッティング。これが思ったより重労働。16:00、やっと音が出るが、新しいスピーカーの接続の仕方解らず、とりあえず古いスピーカーを使用。
25年ぶりに、レコードを聞いた。
夜、テレビで寅さん。
○ 2004/2/16
坂下からファックスが入っており、金曜の夜、転んで顎の骨を折り入院、とのこと。水曜日が手術だそうだ。でも、26日には退院の予定らしい。
忙しい時に困ったものだが、大事に至らず、よかった。
そんなこんなで、この2週間の予定と担当を組み換える。一日事務所。
昨年末のインタビューが掲載された、モダンリビングNo153が届く。
○ 2004/2/17
10:30、高円寺にてKAK打ち合わせ。
昼に事務所に戻る。
来週、お知らせ板をだすので、敷地周りを住宅地図を持って確認に行く。
慌ただしくなってきた。
風邪もだいぶ良くなったが、なかなかスッキリしない。
○ 2004/2/18
朝、KARの事前打合せに中野区役所。帰りに、事務所の登記簿謄本と印鑑証明のカードの為に、法務局に立ち寄る。10:30に事務所に戻る。
11:00、EMOの現場担当者、来所。簡単な打ち合わせ
11:30、吉祥寺の小劇場の件で、主催者から電話が有る。少し進んだらしい。来週設備事務所と現地を訪ね、換気や衛生の計画をする事になる。
午後は進行中の計画の検討。いろんなものを、ガ?っと押し進めていかなければならない状態になってきた。三月・四月がヤマだな。
○ 2004/2/19
11:00、新宿ピカデリー4「この世の外へ・クラブ進駐軍」。中学の同級生がプロデュースで参加している映画。明日までなので、慌てて見に行く。
終戦直後の話。力のこもった作品だった。自分が関わった事があるからか、気になるのがセット。その凄さにびっくり。終戦後の町並みや闇市、米軍キャンプ、良く作られている。我々もそうだったが、セットを作る時は、新しい材料を焼いたり色をつけたりして、古く見せる。AGINGという。プログラムを読むと、この映画のセットは、全て古材を使うという、こだわりようだったようだ。
ただ、かかってる映画館が悲しかった。あんな空間では、映画が可哀想だ。そこに居る事自体で、淋しくなってくる。
その足で、石神井台の敷地候補を見に行く。初めは自転車で行こうかと思っていたが、西荻からバスにする。大泉学園行き。高校が上石神井にあったので、昔同じルートを通る、上石神井行きのバスに乗っていた。大泉学園行きは、行きと帰りで、私の小・中・高全てが見れるルートを通る。久々で懐かしかった。
そして今日、いろんなアポイントが全て来週に集中し始めた。大変な1週間になりそうだ。
坂下の手術は旨く行ったようだ。早々の復帰を期待したい。
○ 2004/2/20
午後、杉並社会保険事務所。年金手帳の再発行をしてもらう。
概ね、お年寄りが多いが、いろんな人が来ている。相談の人が多く、やはりある年令にならないと、現実味ない話なのだろう。
帰りに、近くの古書店に寄る。今日は何故か、音楽関係2册。
「ジャズ喫茶『ベイシ?』の選択」-ぼくとジムランの酒とバラの日々」菅原正二(講談社+α文庫)。「エンニオ・モリコーネ」(愛育社)。ずっとエンリオだと思っていた。
○ 2004/2/21
早朝、突然チェ・ミキかなり調子悪くなる。8:30頃大きい病院のほうが良いので、中野の病院へ行こうとするが、車に乗ると気分が悪くなりそうというので、事務所近くの阿佐ヶ谷の病院へ。
9:00事務所。10:30、TERクライアント打ち合わせ。懸案、ほぼ決まり実施設計に入る。12:00、打ち合わせ終わり、病院に電話してみたら、丁度診察が終わり会計をしているところ。たいした事なく、一安心。
14:00、先週、大和町で初めてあったデザイナーのミリメーターの2人、来所。先週の会の二次会で、KARの外部スクリーンの計画に参加してみないか、と話した。その打合せ。とりあえず、敷地見て、アイデア出しをしてもらう事になる。
17:00、高円寺、ニ楽亭。小さくて、けしてきれいではないが、ホルモンが旨く、いつも込んでいる店で、姪の高校合格祝い。西荻の両親と妹家族。
今週から、友人と2人で1/100口持っている馬(マイネミレーの02)の情報を、週末アップします。
サラブレッドは、入厩して競走馬名がつくまで、母親の名前+生まれた西暦で呼ばれます。
興味の有る方は、http://www.ruffian.co.jp/
所属場の近況・2才馬(02生まれ)の102155を見て下さい。このナンバーが我が愛馬です。
マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。集団調教でも道中でおかれることはないように、スピードに乗ってからの走りはスムーズです。普段は落ち着いていますが、闘志を内に秘めていそうです。
○ 2004/2/22
最近は日曜日も朝早く眼がさめてしまう。
午前中、たまって居る事を片付ける。合間を縫って、先週つなげなかった新しいスピーカーを接続。手間取ったが、どうにか完了。素敵な音が出てきた。オーディオやテレビの廃品回収の車が通ったので、古いデッキやアンプ等を持っていってもらう。地下が、少しすっきりした。
14:00、顎の骨を折り、慶応病院に入院している坂下の見舞い。見舞いと言いつつ、図面とカタログを持参し、退屈な時に選択しておくよう依頼。坂下苦笑い。
帰りに新宿。
せっかくオーディオの環境が良くなったので、タワーレコードでCD購入。「ビル・エバンス/コンプリート・ライブ・アット・ザ・ヴィレッジ・バンガード1961」有名な「ワルツ・フォー・デビイ」を生んだライブドキュメント。
青山ブックセンター。「『忘れられた日本人』を読む」網野喜彦(岩波書店)、「<私>という演算」保坂和志(中公文庫)、「熊の敷石」堀江敏幸(講談社文庫)。
夜、昨日ビデオに録画しておいたETVスペシャル「貘さんを知っていますか?」? 沖縄に生まれ、大和で生きた詩人・山之口貘の軌跡 ?を見る。
「生活」という言葉が、重い響きで伝わってくる。
○ 2004/2/23
朝ポストに、梁山泊の4月の公演の台本がはいっていた。
10:00、KAKお知らせ標識設置。
11:00、クライアントが顔合わせを済ませていた近隣の方のところを、同行してもらい計画の説明をする。その後、近くの喫茶店で少し打ち合わせ。
12:00、KAR打ち合わせ。工事はまだ先だが、日取りが良いので27日に地鎮祭を行う。その打合せと、役所に行って打ち合わせてきた事の話。
その合間に、スタッフとTER、KARの打ち合わせ事項を伝える。
先日、日本アカデミー賞のテレビを見ていたら、「夜を賭けて」の録音の堀内さんが、「座頭市」で最優秀録音賞を受賞し、ブラウン管に登場。お祝の葉書を投函。
○ 2004/2/24
11:00、吉祥寺の小劇場候補のスペース。設備の酒巻さんに同行してもらう。まだまだ先は長そうだ。
そのまま吉祥寺のカフェで、酒巻さんとTER、KAKの打ち合わせ。
銀行等の雑用終え、13:30事務所。
14:00頃から、昨日お知らせ板を出した、KAKの近隣まわり。マンション、アパートが多く、その内2棟は古い木賃アパートで、部屋によっては人が住んでいるのか定かでないところもある。チャイムも無く、各部屋をノックしていくと、自分が侵入者になったような気分になり、途中でやめる。
入口に書いてあった、マンションの管理会社に電話したり、懇意の地元不動産会社にその木賃アパートの管理会社を教えてもらい、どうにかなりそうな感じである。
建築の設計は、こんな雑用が沢山ある。面倒で、その雑用をなるべく先送りしたくなるが、先送りしている内はあまり気分良く無く、集中できない。やはりそんな雑用は積極的に片付け、本来の設計作業に気持よく取りかかれるように自分をしむけていかなければいけないのだ、と雑用から逃げず、そこに集中している時は強く思うのだが・・・。
○ 2004/2/25
昼前、杉並区役所にKAKの標識設置届けを出しに行く。
その足で、杉並図書館へ。
午後は、ずっと事務所で図面作業。
○ 2004/2/26
今日は慌ただしかった。
10:00、KAKの近隣説明。今日、この時間ならいらしゃる、と連絡を頂いたお宅。たまたま、お隣も外で立ち話をしておられたので、続けて説明。その後、高円寺駅前の不動産会社。一昨日書いた、木賃アパートを管理している会社。親切に話を聞いていただき、掲示とポスティングで大丈夫になる。これはほっとした、そこで、隣の木賃アパートの管理会社も教えてもらう。近くだが、今日は休み。その後2軒説明。昼前に事務所に戻る。
午後一番に準備をして、2軒の掲示とポスティング。14:00過ぎに事務所に戻ると、 K+Oのクライアントがいらしていた。14:00を4:00と思い違いしていた。早く戻ってよかった。
15:30、打ち合わせ終了。明日、KARの地鎮祭があるので、床屋へ。その後再度近隣をまわってみる。2軒いらしたが、2軒目のお宅で、この地域に3階建てが建つようになったのか、と聞かれる。なんでも、このお宅を建てる時に、3階は住宅に使えなく、3階建ての住宅は建てられないと言われた、という。確かにこの街区、1軒3階建てはあるが、ある建物は、半地下に2階にしている。何か地区条例でもあるのか。そう言えば、説明した方2人くらいにも、そのような事を言われた。でも、区役所で地域の条件調べた時には、そんな話は無かった。
時、16:30。すぐ自転車で、阿佐ヶ谷の杉並区役所へ。中高層の係、都市計画課に聞いてみても、そんな条例はない、という。ほっと安心。すぐ高円寺に戻り、説明。今日は、自転車で阿佐ヶ谷-高円寺間を4往復。良い運動だった。自転車で動けるところは、本当に便利だ。
坂下、今日退院予定だが、退院の連絡ない。心配だ。
○ 2004/2/27
10:00、KAR地鎮祭。寒かったが、良い天気だった。工事はまだ先。四月にはいってからの予定。
KARの敷地は大和町。そのままKAKの近隣の木賃アパートのもう一棟を管理している不動産会社へ。担当者留守で、説明書類置いてくる。11:00過ぎ、事務所。昼前に先程訪ねた不動産会社に電話。アパートの壁に掲示する事で、了解もらう。懸案だったニ棟が片付いた。
午前中メールで、坂下から退院の報告。昨日無事退院したが、メール見る気力も残って無かったそうだ。
ここのところ出ている事が多かったので、午後はスタッフとの打ち合わせ。
梁山泊から稽古を見て打合せしたいとの電話。まだ台本2種類のうち、片方しか読んでないので、週末に読み、来週稽古場に行く事にする。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。大人しいように見えて意外に強情な面があり、駐立の練習中にゲートを蹴るなどの悪さをしていました。洗い場でもうるささを見せており、狭い場所は苦手なのかもしれません。
○ 2004/2/28
10:00、KAK近隣の地権者で、まだ2軒の方に会えていないので、土曜日ならと思ったが、やはり留守。
そのまま事務所に。BABの新しい案ファックス。
いろいろ見直し。
梁山泊版「どん底」読みながら、アイデアだし。
○ 2004/2/29
午前中、たまっている新聞を読んだり、雑用。
午後、梁山泊版「どん底」スケッチ。KAK見直し。たまっている雑誌、本の整理。
夜、「八月のクリスマス」のホ・ジノ監督の「春の日は過ぎ行く」をDVDでみる。登場人物の設定やストーリーなど、かなり良く出来ているのだが、盛り込み過ぎのところが有り、紋切り型の映画になってしまっている。「八月のクリスマス」は、本当に好きな映画なので、つい比べてしまう。
主人公の男性サンウをやった、ユ・ジテは良かった。DVD特典にはいっていた、東京国際映画祭の舞台インタビューでは、映画の役とまったく違った印象で、いろんな役がやれそうな役者だった。
○ 2004/3/1
密度高そうな3月。
その初日、スタッフの高橋が風邪でダウン。
これからを予感させる、幕開けだ。
夜、ザ・ハウスの新宿店オープンのお祝いの会。新宿住友ビル。
この高層ビルの足元に、初めて紫龍テント劇場を建ててから、今年で10年。あっという間だ。
また、何人かの同業者と知合いになった。
○ 2004/3/2
朝、事務所。
10:00、KAR明日確認申請を提出するので、印鑑を借りに行く。
そのまま、KAKの近隣まわり。地権者の方には、やっと全てお会いする事が出来た。
そのまま、アパートをまわるが、やはり御留守が多い。寒いので、11:00過ぎに一度事務所に戻る。 高橋は、午後から復帰、とのこと。
昼過ぎ、再度KAK近隣。賃貸が多いので、大変だ。
16:00、EMOの建設会社来所。打ち合わせ。
坂下、骨折の為にしている、歯並びを矯正するようなギブス、まだとれないのでメールとファックスでやり取りしていたが、さすがにそれではたちいかなくなり、電話する。意外に会話でき、安心した。
○ 2004/3/3
午前中、KARの確認申請を提出しに、自転車で中野区役所。
13:00、KAKクライアント打ち合わせ。
19:00、自転車で梁山泊・満天星に。四月にやる「どん底」の打ち合わせ。オープニングから少し見せてもらう。金さんの要望を聞き、ラフな打ち合わせをする。
その後、台本、今日決定稿が出来上がったというので、その本読み。まだ荒っぽいところがあるが、今までもらって読んでいたものより、すごく良くなっている。煮詰めていったら面白くなるのでは。
ただ、満天星狭いので、どうセットを計画したら良いか。満天星では、今までのなかで一番難しい物になりそうだ。22:30、終了。
「梁山泊版・どん底・桜貝篇」の情報は、リンクの梁山泊のホームページを御覧下さい。ぜひ見に来て下さい。
○ 2004/3/4
やる事が沢山ある3月だというのに、11:00歌舞伎座。新聞の懸賞で当ったもの。
「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」「藤娘」「恋飛脚大和往来・新口村」
最後の「恋飛脚大和往来」は近松の「冥土の飛脚」のなかの一幕。梅川・忠兵衛の心中もの。忠兵衛と忠兵衛の父孫右衛門の役は、ひとり二役。様式ではなく、本当に芝居の上手い役者でないと出来ない役。片岡仁左衛門の演技、集中した良い芝居だった。
昨日から日生劇場でやっている「新・近松心中物語」(近松の心中もの基に、秋元松代さんが書いたもの)。
主演の梅川は寺島しのぶ。今日の「伽羅先代萩」には、尾上菊五郎と菊之助が出ていた。そして、梅川・忠兵衛。これって、なにか仕組まれているのだろうか。ずいぶん前に「新・近松心中物語」の一番安い席とってしまった。今月見に行く。そう言う時に限って、やる事が沢山になる。
これで、「緋牡丹博徒」でも見たら、寺島一家を一月の内に見てしまう事になる。
17:00、事務所。(仕事もしています。)
○ 2004/3/5
いちにち事務所。
15:00、横浜国大の唐ゼミのメンバーが来所。
横浜の港未来21公園で、テントを張って公演する事になり、テント設営の相談。
風が凄いだろうから、心配である。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。前半にもたつくことはありますが、終いはしっかりと伸びてきます。まだトモの甘さは残っていますが、前脚のかき込みはパワフルです。
○ 2004/3/6
午前中、KAK、クライアントに同行してもらい、最後の近隣地権者に挨拶に伺う。
その後、喫茶店で少し打ち合わせ。
そのまま、自転車で井荻のオープンハウスに行く。
事務所へ帰る途中に、事務所近くの古書店に寄る。やっと名前を確認。銀星舎。
「笛吹川」深沢七郎・新潮文庫、「ジャズと生きる」秋吉敏子・岩波新書。
15:00、BAB打ち合わせ。
○ 2004/3/7
午前中、梁山泊の「どん底」のセットのスケッチ。
ファックスで、梁山泊へ。
夕方まで、整理、雑用。
夜、アキ・カウリスマキの「真夜中の虹」(1988)を見るが、酔っぱらっていて内容良く憶えていないが、現実にはこんな事あり得ないが、でもリアリティーのある、魅力的な映画、だったような気がする。
○ 2004/3/8
午前、KAK最後の近隣まわり。
午後、打合せで自由が丘に。帰りに、自由が丘のヴィレッジバンガードに寄る。
保坂和志と小島信夫の往復書簡をパラパラとめくったら、「この作品は面白いけど、リアリティーがないね」という批評を良く見るが、面白いものにリアリティーがあるのであって、どんなにリアルでも、面白くないものにはリアリティーはない、と言うような事を保坂和志が書いていた。
昨日見た映画のことを思い出した。
夕方、事務所。
夜、「真夜中の虹」を見直す。やっぱりいい。短いショットの積み重ね。説明的でない人物像。どんどん変化していく状況。それら全てが登場人物にアクティビティーを与え、映画にリアリティーを加えている。
「トーク・トゥー・ハー」や「オールアバウトマイマザー」のペドロ・アルモドバルの映画の良さも、そこにある。
○ 2004/3/9
午前中、杉並区役所にKAKの近隣説明報告書を提出に行く。
ついでに、スタッフの高橋が結構品揃えが良いと言っていた、区役所の向い、青梅街道の北側にある書店、「書原」を覗く。入口は靴屋と並んでいて小さいのだが、中にはいると確かに品揃えが良い。最近の本屋とは、なにか雰囲気が違う。書棚の高さや通路幅。古い建物で天井がむき出しだからか。時間がなかったので、ざっとまわる。今度ゆっくり来て、違いの基を探してみよう。
「KAWAMATA・川俣正-アーティストの個人公共事業」岡林洋編著(美術出版社)
16:00、EMO建築会社にて打ち合わせ。現場担当者が調子悪くなり、様子を見ていたが、交代。工程、ずいぶん遅れてしまった。ただし、地盤改良をしたので、その養生期間が充分とれるようになったのは、良かったが。
○ 2004/3/10
1日事務所。
13:30、鳥居君の紹介で、旭ガラスのホームページになにか書く事になり、そのサイトを作成している一ノ渡さん来所。
午後から夜にかけてK+O。北側と道路の斜線がとても複雑なため、断面のエスキスをやっていたが、久々に頭の芯が疲れた。
梁山泊の金さんから、「どん底」のセットの変更について、電話あり。
○ 2004/3/11
10:30、EMOクライアントと建設会社と打ち合わせ。現場担当者が変わったので、紹介と新しいスケジュールの説明。
1日事務所にいたが、しばらく連絡がなかった吉祥寺の小劇場の件で連絡がはいったり、進行中の計画をスタッフと打合せしたり、諸々で、慌ただしい。
夕方になって、やっと集中して、まとまった仕事ができるようになった。
○ 2004/3/12
早朝から事務所で、ここ2日取り組んでいる、K+Oの斜線のスケッチを続ける。
以前住宅の設計をさせていただいたHさんから、会社を移転するので、3月には新しいスペースを決めるので、決まったらそこの使い方の相談にのって欲しいとの、話を頂いていた。場所が決まった、ということで14:00、目黒まで。新しいスペースを拝見し、要望を伺う。
17:30、事務所。
引き続き、斜線のスケッチ。やっと全貌をつかむ。ここまでくると、いろんなことが考えられる。
○ 2004/3/13
10:30、一昨年の暮、完成した住宅の、遅くなった1年点検。自転車で松庵まで。とてもきれいに使ってていただき、嬉しかった。
帰り道、荻窪の古書店で、「アーバン・フロッタージュ」真壁智治(住まい学大系077)、「新訂・福翁自伝」福沢諭吉(岩波文庫)。
14:00、BABクライアント、スケジュール打ち合わせ。
夜、DVDになった、「夜を賭けて」を見る。
○ 2004/3/14
とびとびながら、終日、「どん底・桜貝篇」の美術プラン。夕方梁山泊へファックス。
買い物に行ったついでに、高円寺文庫センター。「沖縄随筆集」山之口貘(平凡社ライブラリー)。
○ 2004/3/15
慌ただしい1日だった。
電話連絡が多く、仕事が分断される。
15:00。先日お話を伺ってきた、Hさんの事務所移転の件、ミリメーターにも参加してもらおうと打ち合わせ。
先週あまりに斜線検討に熱中し過ぎて、マイネミレー02レポートを忘れていたのを、今気が付く。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。じりっぽいところはありますが、終いの脚は確実です。順調に乗り込まれ、馬体が引き締まってきました。
今週も密度の高い1週間になりそうだ。
○ 2004/3/16
今は、いくつかのプロジェクトが同時に、同じような状況になりつつある。
いつもの事だが、そんな状況を狙ったように、芝居関係の諸々が同時発生する。
担当者は、それぞれひとつづつ相手にしているのだが、私はどれかひとつに集中するわけでないので、時間は密度高く過ぎてゆくのだが、後で1日を振り返ると、何をやったのかわからなくなる。
あまり精神衛生上良い状況ではないが、後半月か一月くらい、こんな状況を力づくで乗り切るしかないのだろう。
とにかく、ひとつひとつクリアーしていくしかない。
○ 2004/3/17
朝、事務所。
10:00、吉祥寺の小劇場候補場所の打ち合わせ、現地にて。
その足で、新宿花園神社へ。梁山泊版「どん底・桜貝篇」の現地調査。
昼飯を食べ、区役所裏の北京料理「玉蘭」で肉マン8個買う。ここは、小さな、お世辞にもきれいとは言えない店だが、旨い。チェ・ミキが、教え子の中国からの学生に教えてもらった店。もちもちとした皮が絶品。スタッフにも1個づつ、お土産。
今日は、風が強いが、コートを来て歩くと、暑いくらいの陽気だ。
13:00過ぎ、事務所。
現地調査してきた事を、絵にして梁山泊へファックス。
演出からOKがでたので、道具帳を作成。データをメール。
少しづつだが、いろんな事が折り返し点に達しつつあるようだ。
○ 2004/3/18
1日事務所。
16:00、TER構造打ち合わせ。構造、設備をまとめていったら、もう1段階進化しそうなアイデアがでてきた。早急に検討する事にした。
17:30、一昨年竣工した住宅のクライアントのMさんが、近所まで来たので、と立ち寄ってくれた。彼らご夫婦は、いつも梁山泊を見に来てくれ、住宅以外のところでもおつき合いさせていただいている。 クライアントで、引き渡した後も、梁山泊を見に来てくれる方は他にもいらしゃる。ありがたいことだ。
○ 2004/3/19
今日も1日事務所。だが盛り沢山。
途中分断されながら、明日のK+Oの打合せの準備。
明後日のTER打ち合わせの図面を、高橋と打ち合わせ。
13:00、坂下来所。KAKの見積り用図面最後の打ち合わせ。まだ、顎が気になるようだが、完全復帰。
2日続けて、事務所に居っぱなしなので、気分転換に銀星舎へ。「朝鮮童謡選」金素雲訳編(岩波文庫)450円。「1920年代に東京在住の朝鮮人から採集した口伝民謡のうち童謡を一書に集めたもの。」
夕方から、「どん底・桜貝篇」3幕のスケッチ。夜、梁山泊へファックス。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。以前に比べると素軽さが出て、加速がつきやすくなっています。後半もしっかりと伸びており走りに安定感が出てきました。
○ 2004/3/20
午前中、諸々の雑用を片付ける。
13:00、K+Oクライアント打ち合わせ。空間構成、構造、スケジュールなどを打ち合わせる。
17:00、日生劇場。「新・近松心中物語-それは恋-」秋元松代・作、蜷川幸雄・演出。
25年前に初演された、息の長い作品。8年前くらいに一度見ている。今回は、若いキャスティングで、蜷川さんが台本と新たに向き合い、新しい演出をつけたもの。確かに、この本の持つ若い登場人物達の気持が良く伝わってくる芝居になっていたが、その部分がはっきりすればする程、セットや照明の豪華さが浮いてみえてくる。だから、以前のセットにあった、屋根の上に狂い咲いている彼岸花が、なくなっていたりするのだろうが。個人的に言えば、絢爛豪華だった以前の作品のほうが、好きだ。
○ 2004/3/21
11:00、TERクライアント打ち合わせ。実施アップ前の最終打ち合わせ。
構造の進展があり、良い建物にまとまりそうだ。
昼過ぎ、大和町に戻る。「空間の行間」やっと読み終わる。全く新しい時代に、建築はどう対応していくか。文学はそれを、その内部で完結する事ができるが、建築は物理的に直接状況と関わり持つことが必要になる。その時、テクノロジーによる新たな構築を構想されたものを、歴史的に見返している。そして、そのような改革が起った後、それらがそれ以前のシステムを全て変革してしまう事なく、旨く取り込みながら、ずるずる変容していくのが、日本の特質で、それを「和様化」と呼んでいる。
磯崎 新と福田 和也の博識さに、いささか あきれながらも、骨太な筋が浮かび上がる対談だった。
○ 2004/3/22
9:00ハ、KAKの構造・設備の実施図、宅急便で届く。
朝、土日の打ち合わせ事項を、スタッフに伝える。
11:00過ぎ、坂下がKAK意匠実施図を持って来所。必要部数鵜、コピーをとる。
午後は、明日、吉祥寺の小劇場候補の打合せに消防署に行くので、その準備。
夕方、建設会社2社に、KAKの実施図を渡す。
ちょっと、一段落。
夜、黒沢明の「どん底」を参考に見る。ずいぶん前に一度見たが、映画としてはあまり感心しなかった。今回見直して、「どん底」はやはり、映画向きというよりも芝居向きだと思った。そう思ってみると、黒沢の「どん底」の俳優達の個性は、とてつもない密度があり、どん底をどん底なら示している。これは、大変な芝居だ。若手の多い梁山泊。それぞれが、どこまで個性を発揮するかに、梁山泊版「どん底・桜貝篇」の成功がかかっている。
○ 2004/3/23
朝、事務所。最近は、夜早く寝て、朝早く起き、8:00前から事務所にいるパターンが定着した。
食住接近と歳をとった、ってことか。
10:00、武蔵野消防。吉祥寺の小劇場候補の事前相談。設備の酒巻さんと。
その後、バスで吉祥寺に出て、喫茶店で打ち合わせ。
12:00前に事務所に戻る。
午後、図書館と銀行にちょっと出る。図書館から借りてきた資料で、断熱の資料を読む。が、漠然としていて、あまり良くわからない。
19:00、新宿まで打合せに出る。
○ 2004/3/24
14:00、高田馬場、翔設計。
TERの床暖房のメーカーと打ち合わせ。
17:00前に事務所に戻るが、すぐ出かける。
18:00、東中野。中央線デザインクラブのミーティング。12、3人集まる。24:00近くに解散。
昨日から、「<私>という演算」保坂和志(中公文庫)を読みはじめる。「わかる」や「ある」と言う事に対する、考察。
○ 2004/3/25
14:00、ミリメーター来所。
LEV新事務所計画の打ち合わせ。ミリメーター、面白いアイデアを出してくれる。
その前後で、梁山泊の「どん底・桜貝篇」の3幕・道具帳を書いて、夕方、梁山泊へメール。
夜、テレビで「男はつらいよ・寅次郎紅の花」を見る。寅さんシリーズの最後の作品。放映前に山田洋次監督が、この撮影の時、渥美清さんはとても辛そうにしていて、関係者一同これが最後になる覚悟をして撮っていた、とインタビューに答えていた。
1995年の作品。阪神・淡路大震災とオームのサリン事件があった年だ。映画の中にも、長田が出てくる。この年に、寅さんが終わるのも、不思議な感じがする。
いくつか感じた事があった。久々に、とらやに寅がリリーさん(浅丘ルリ子)と満男と一緒に帰ってくる。とらや一同が出迎え、歓迎しているシーン。画面手前左手に寅さんの肩から帽子のつばまでの後ろ姿が大きく映り、右手に一同がほぼ全身映っている。その大きさの比率が、あまりにも唐突で、一同にピントがあい、寅の後ろ姿のボケ方が尋常ではない。なんだか、寅さんの後ろ姿だけ、後から合成したように感じられるくらいだ。寅さんがすでに違うところから、皆を見守っているように感じた。
もうひとつ。色々あって、奄美大島に暮らすリリーさんの家に、寅さん・満男が居候する。まるでひとつの家族のように。奄美大島の開放的な家が、新しい家族像を受け入れる、奥深さを持っているような、至福の時間が画面の中にあった。
○ 2004/3/26
朝、事務所。
10:00、昨年7月に完成した、千代田区のKOB。「マンスリーM」という雑誌の取材に立ち会う。楽しそうに、きれいに使っていただいている。ありがたい。
帰りに南洋堂で、「集合住宅物語」植田実(みすず書房)と「行動主義/レム・コールハウスドキュメント」瀧口範子(TOTO出版)。
植田さんの「集合住宅物語」には、阿佐ヶ谷に事務所を移し、自転車で行動している最中に見つけた、阿佐ヶ谷住宅も出ている。先日の中央線デザインクラブのミーティングで阿佐ヶ谷住宅の話になり、前川国男が関わっている事を知った。パラパラ見たら、もちろんその記述もあった。写真は、「や・ちまた」「PERSONA」の鬼海弘雄。
16:00、TERクライアント来所。先日お渡しした図面の、変更希望部分の打ち合わせ。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。もっさり感がありましたが、気合いの乗りが良くなり、馬体に芯も入りつつあるようで動きがきびきびしてきました。ゲートの出もなかなかの速さです。
○ 2004/3/27
吉祥寺の小劇場候補スペースの、申請用図面をまとめFAX。
時間なくて見ていなかった雑誌などのチェック。
16:00、梁山泊の稽古場へ自転車で出かける。
「どん底・桜貝篇」セットの打ち合わせ。
○ 2004/3/28
午前中、金守珍監督の第2作目のシナリオを読み直す。
午後一杯で、ロケハンの為に、シナリオに出てくるガラス工場をイメージするための写真をピックアップ。
○ 2004/3/29
10:00、KARの本見積を建設会社が持ってきてくれる。概算とほぼ同額にまとまり、一安心。
見積のチェック。クライアントに説明するための、サンプル、カタログのコピー。
午後、同時進行中のプロジェクトの、指示、打合せ。ファックスのやり取りやスタッフとの打ち合わせ。
16:00。朝出てきた見積をkARクライアントに届けに行く。小1時間打ち合わせ。来月中頃には着工したい。
月曜日は、パラパラといろんな連絡が入り、落ち着かない時間が過ぎていく事が、ここのところ多い。
○ 2004/3/30
朝、事務所。新しい映画の、ロケハン用スケッチを始める。
10:30、高円寺の喫茶店でKAKクライアント打ち合わせ。見積に出している実施設計図をみての要望の打ち合わせ。
12:00、事務所に戻る。
14:00、中目黒。LEV新事務所計画の打合せに、ミリメーターと現事務所を訪ねる。
その後、中目黒からバスにのり、目黒区美術館まで。「建築家・村野籐吾のディテール/旧千代田生命本社ビル写真図面展」。この展覧会の写真は、竣工写真を撮ってもらっている、新さんが撮影。
先日「新・近松心中物語」を日生劇場に見に行った。日生劇場も村野籐吾の設計。久々に訪れた日生劇場は、特に階段が続くロビーが、芝居を見ると言う高揚感を、もり立ててくれる贅沢さを随所に持った建築だと言う事を、改めて感じた。ディテールの積み重ねが、コントロールされて空間を構成している。旧千代田生命ビル(現目黒区総合庁舎)も同様。そのディテールも、その当時の最新技術との共同作業でもある。けして、職人技に頼った、旦那芸のみではない。技術と職人を村野が統合している。カーンのイェ?ルアートギャラリーとブリティシュミュージアムを見た時、同じような事を思った。
年表を見ると、日生劇場は村野72才の作品。千代田は75才だ。恐ろしい。
18:00、事務所。
スタッフと打ち合わ。
ロケハン用スケッチ仕上一歩手前。
○ 2004/3/31
あっという間に3月末が来た。いろいろあり、密度の高い3月だったが、過ぎてみればあっという間だ。
早朝一度目がさめた時、TERで今判断に迷っている部分について、ひとつの案が浮かんだ。いろいろ考え過ぎて、へんな方向に行っていたのだ。シンプルに戻す事を思い付いた。思い込みとは恐いものである。何のためにそうしたのか、初めの条件を忘れ、どんどん本筋からずれていく。
朝、構造の吉田さんに電話して、検討をお願いする。これで大丈夫になると、シンプルな計画にまとまる。
昼前後を使い、ロケハン用スケッチを仕上げ、資料をまとめる。
梁山泊の原から、セットの打合せの電話。演出がずいぶん変わったようだ。明日から通し稽古で、それは見に行く予定なので、そこで打ち合わせる事にする。
吉祥寺の小劇場候補の申請図まとめ、郵送。
その他、いろいろな電話連絡。
K+O見直し。
19:00、阿佐ヶ谷・吐夢。映画のプロデュースをしている、村松さんと秋元さんにロケハン用資料を渡す。
○ 2004/4/1
午前、吉祥寺の小劇場候補の概算見積用図面まとめ、建設会社にファックス。
その他、様々な連絡事項。
14:00からの梁山泊「どん底・桜貝篇」の通し稽古に立ち会うため、自転車で東中野の芝居砦・満天星へ。早稲田通りをずっと行くのだが、その途中に研究室の先輩の宮坂さんの事務所があるはずで、注意しながら何度か行き来しているのだが、今まで見つからなかった。今日は、地図で再確認してそのあたりをゆっくり走っていたら、なんと早稲田通りに宮坂さんが。通りに面したガラスの工事中で、表に立っていたのだ。本当に久しぶりだった。少し立ち話。13:30、稽古場に着く。
18:00、事務所に戻る。
TERスタッフと打ち合わせ。
○ 2004/4/2
1日事務所。
午前中、TERの照明計画等を高橋と打ち合わせ。
午後から夜は、K+OとBABを考えていく上で、今後重要になってくるであろう、構造と壁・サッシの納まりをいろいろ考える。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで休養中。放牧されています。順調に乗り込まれ動きもある程度の水準に達してきました。気分転換の意味もあり一息入れています。
○ 2004/4/3
午前中、事務所で雑務を片付ける。
13:00、高田馬場の設備事務所・翔設計へ。TER実施の最終打ち合わせ。
14:00終了。新宿に用事が合ったので、高田馬場から歩く。良い天気。大学が新大久保と高田馬場の中間にあったので、大学の頃は良く新宿・高田馬場間を歩いたものだ。途中戸山公園は桜満開。大久保通りから職安通りの間は、まるで韓国。まるでソウルの裏通りを歩いているようだ。
15:00、事務所に戻る。
今日は大和町に、今は御主人の海外協力隊のシニアボランティアに同行し、チェニジァに暮らしている、チェ・ミキが教えている日本語学校の元同僚の先生夫妻と現同僚の先生がみえる。
16:00前に大和町に戻る。今年初の、屋上七輪。
○ 2004/4/4
今日はまるで冬に戻ったかのように寒い。
こんな日は一日家にいるに限る。
昨日の片づけとたまっていた新聞を読む。
午後、先週借りてきていたが、見ていなかった、アキ・カウリスマキの「マッチ工場の少女」を見る。映画が始まってから15分位経て、初めての台詞が出てくる。極端に台詞が少なく、映像とバックに流れるフィンランド歌謡によって、話は進んでいく。敗者三部作シリーズの最後の作品。アキ・カウリスマキの映画はまだ3本しか見ておらず、すべて敗者三部作シリーズ。
「マッチ工場の少女」はストーリーを書いてしまうと、それだけの話になってしまうし、あまりにもどん底すぎる。でも、なんだかお腹の中をキューとひねられるような感覚が残った。たぶん見る人の状況や環境によって、いろんな感じ方があるのでは、と思う。
今日のように、春だったのが急に冬に戻り、冬を本当の冬の時期より、より意識できる状況で見たので、なんだかはまりすぎてしまったようだ。
夕方、ビデオの返却と買い物に高円寺駅まで行くが、人通りが少なく、町は淋しそうだった。
○ 2004/4/5
午前中、スタッフとTERの打ち合わせや、明日見積が出てくるKAKの見直し。
昨日、眼鏡の柄を曲げてしまったので、昼から新宿の眼鏡店へ。結局取り替える事にするが、店内を見ていたら、遠近両用眼鏡の文字が。最近、というか随分前から、小さい文字が読みにくく、眼鏡を外さないと読めない時もある。説明を聞いてみると、やはりそのような状態には遠近両用が良いとのことなので、試してみることに。確かに、小さい文字も読み易くなる。作り替えることを考えてみよう。「皆さん、40代になると、同じですよ。」と言われるが、歳である。
KAR、工事契約の準備。その他連絡事項。
梁山泊から「どん底・桜貝篇」のスケジュールのファックスが届く。明日の19:00、ゲネプロの予定。
○ 2004/4/6
BAB、K+Oのスケッチ。
15:00と17:00、KAKの見積が建設会社から出てくる。
19:00、新宿梁山泊・芝居砦満天星へ。衣装、メイクありのゲネプロ。30分押しで19:30開始。 今日まで、稽古や作業で皆あまり寝ていないそうだ。24:00、満天星を出る。その後も皆の準備は続いている。良い初日が迎えられるとよいのだが。
明日は、夕方打合せがあるので、夜事務所で仕事をしていようと思っていたが、その打合せが18:00過ぎ頃に終われたら、初日に参加することにしよう。
○ 2004/4/7
朝、TERの陶芸釜のメーカーの方から電話。換気についての話の中で、設置場所の話に。クライアントに電話してもらい、設置場所を変更することに。自分達が経験したことがないことや、特別な技術やノウハウがないと、判断に間違いが起きることが多々ある。今は、実施設計の最終段階。この時点で確認できたのは、とても良かった。直行でEMOの基礎の配筋検査に行き、戻ってきた高橋と打ち合わせ。
K+O、この2、3日作業している、内容をつめていく前の斜線詳細検討を続ける。
15:30、坂下とKAK見積りチェックと比較表作成。
18:00過ぎにチェック終わらせ、いくつかメールして、慌ただしく自転車で、梁山泊・芝居砦・満天星に。
10分程、押していたが、21:50初日終演。どうにか初日開いた。昨日のゲネを見た時、とても心配で、初日を見よう、と決めた。3幕途中までは、昨日の時点でも芝居になっていたが、その後は全く芝居になっていなかった。初日を見ている途中も、1、2幕は安心して見ていた。そして、3、4幕。全てが昨日より格段にレベルアップしており、通して芝居になっていた。
台詞のなかに、もうすぐ読み終わる、保坂和志の「『私』という演算」に書かれている、<私が今ここにいることとは>と言うことと繋がる部分がいくつかある。<他者>の存在を考えさせられる芝居だ。 終演後、満天星の名付け親、小田島雄志さんの音頭で初日乾杯。しかし、この芝居これからも毎日変わっていくことだろう。また、楽日近くに見に行く時間を作ろう。
○ 2004/4/8
朝、新聞には、アメリカ軍がバグダットのモスクを空爆という記事。これが戦争でなくなんなのだろう。メディアのなかの戦争。もっと想像力を働かせなくては。
10:30、KAKの見積について、クライアント打ち合わせ。
14:00、目黒。LEVの新事務所の工事打ち合わせ、ミリメーターと。中央線の人身事故で、打合せのスタートが30分遅れたため、15:30、目黒はミリメーターにお願いして、新橋へ。
16:00、BABのクライアントの会社の近くのカフェで、BAB打ち合わせ。18:00終了。
しかし、新橋・汐留サイドは、良くわからない街だ。立ち並ぶ高層ビルと、中途半端な足元。1987年汐留がまだJRの操車線跡地だった頃、ここで新宿梁山泊の「カルメン夜想曲」の公演が行われた事を、今思い出した。
帰りに、いためた眼鏡の柄を交換するため、新宿へ。
電車のなかで他の人が読んでいた新聞の一面に、「自衛隊宿営地周辺に砲撃。テロか。」と。モスクの空爆はテロでなく、これはテロ。どこが違うのだろう。
○ 2004/4/9
昨日はほぼ一日外出していたので、朝からKAKの減額案を考える。
昨日打ち合わせてきた、BABのスケッチ。
スタッフとTERの実施設計の打ち合わせ。
K+Oの斜線検討スケッチ。
夕方、KAKの見積をしてくれた、建設会社に来てもらい、減額案の打ち合わせ。時間が無いので、急いでまとめていく必要がある。
<マイネミレーの02 ……父スペシャルウィーク/母マイネミレー ・……>
真歌トレーニングパークで休養中。放牧されています。青草を探し、あちこち放牧地を歩き回る毎日です。もうしばらく一息入れ、いったん馬体をゆるめてから造り直すことになります。
馬名が決まりました。
マイネポリーヌ:Pauline/画家ミレーの最初の妻の名
○ 2004/4/10
今年初めに竣工したNISのクライアントが、御礼の会を開いてくれた。
12:00、設計や工事の関係者、20人程がお邪魔する。天気もよく、中庭に面した開口を全面的に開け放し、気持が良い。世田谷にある、とても美味しいお鮨屋さんが出張してきて、握ってくれた。
18:00近くまで、沢山飲み、美味しく食べ、楽しませて頂いた。
夜、梁山泊を通じてもう長いおつき合いの、飛騨国府の弓削さんが泊まりに来る。お茶の水の画廊で、奥さんと二人展を開催しており、梁山泊の「どん底・桜貝篇」を見てから、大和町に来るのだが、あまり遅くならないように、とお願いしておいたが、来たのは24:00過ぎ。私はその前に、一度寝てしまった。2:00過ぎくらいまで、また飲む。
○ 2004/4/11
朝、弓削さんが起きた気配が合ったので、しばらくして起きる。弓削さんが飲んでるもの、お茶かと思ったら、ウイスキー。ついついおつき合い。
弓削さん、11:00前くらいにまた寝てしまう。12:30、チェ・ミキが梁山泊に行くので、弓削さんを起こし、一緒に駅まで連れってもらう。
夕方まで、新聞や雑誌、本の整理。
18:00、梁山泊、芝居砦・満天星を出た、チェ・ミキから電話。彼女の友達と、私が設計した家のクライアント、Mさん夫妻も、今日梁山泊を見ることになっていたので、夜一緒に飲もうと言うことになっていた。Mさん夫妻の知合いの方も一緒に、高円寺の成都へ。22:00、近くまで。会話が弾んだ。 しかし、昨日から今日まで、飲み続けの二日間。いささか疲れたが、楽しい時間が過ごせた。
保坂和志「『私』という演算」了読。「映画の文法-日本映画のショット分析」今泉容子(彩流社)を読みはじめる。
○ 2004/4/12
午前中、吉祥寺・小劇場候補、図面整備。メール、雑務等。
13:00、渋谷のアートン。金守珍監督、第2作目の打ち合わせ。
予定より早く終わったので、青山でやっている、六平直政さんの「三人の彫刻展」に立ち寄る。
16:00、事務所。夕方、TERの実施設計図を長野の建設会社に宅急便。
引き続き、BAB、K+Oスケッチ。
今週も慌ただしい週になりそうだ。
○ 2004/4/13
今日は一日事務所。
朝、高橋・木村とKARの現場用図面についての打ち合わせ。
EMOに続いて、KARも工事に入る。
突然、吉祥寺の小劇場候補の申請を、明日提出するのに必要な図面の連絡。昼を挟んで、ファックス。 K+Oの輪郭確認スケッチを午後、一段落させる。明日、もう少しの作業が必要か。
その後、BABの新しい断面のスケッチ。
17:00、坂下来所。KAKの変更部分と模型作成の打ち合わせ。
明日からは、打合せが入ったり、来客があったり、外出したりでまとまった作業が出来ないので、今日一日いろいろできたのは、ありがたい。
常にそうだが、気を抜いて消極的だと、思わぬことが押し寄せる。集中して、積極的に考えていくと、なぜだか諸々の問題も整理され、旨い具合に物事が運んでいくようになるような気がする。しばらくは、自分のケツを叩くしかないか。
○ 2004/4/14
朝から、打合せの合間を縫って、BAB断面検討。
11:00、KAKの減額調整見積を、建設会社が持ってきてくれる。どうにか目標内に納まっている。一安心。
14:00、ザ・ハウス来社。
16:30、LEV新オフィス打合せに、ミリメーター来所。
17:00過ぎ、スタッフは梁山泊、芝居砦・満天星へ「どん底・桜貝篇」を見に出かける。
ミリメーターとの打合せ中に、何本も大事な電話がかかってくる。(ミリメーターのお二人、ごめんなさい。)18:00、打ち合わせ終了。
19:00過ぎ、BABの断面検討、一段落。
その後、いくつかのスケッチ、雑用。
一日事務所だったが、あっという間に過ぎた一日だった。
○ 2004/4/15
朝から、BABの断面検討の図面を書く。昨日ひと通り終わったが、明け方目がさめた時に、新たな検討の必要性を思いつく。
最近、明け方に目がさめ、いろいろ思い付くことがよくある。良い思いつきも有れば、気になっていたのだが、忘れていたことをふと思い出すこともある。そのまま寝てしまうと忘れてしますので、起き出してメモをとる。またベットに戻ると、新たに思い付きメモを取りに行く。そんなことを3、4回繰り返すこともある。
9:45、KAR建設会社と敷地、地縄確認。
BABの図面をまとめ、スタッフに郵送を頼み、14:00過ぎ自転車で梁山泊・芝居砦・満天星へ。
打合せの後、事務所に戻って出かけると、芝居にまいなわないので、満天星のあるマンションに自転車を止め、中目黒へ。ミリメーターとLEV新事務所打ち合わせへ。17:00、終了。
18:30、満天星。初日に続き、2回目。昨日から公演の後半が始まったのだが、昨日は130人(満天星は100人入ったら超満員)とのこと。今日も超満員。嬉しいことだ。日曜の夜に追加公演を決めたそうだ。
役者達が粒だってきて、いきいきして良い芝居になりつつある。
○ 2004/4/16
午前中、木村とKARの打ち合わせ。数日前におりた、KAKの確認申請一部訂正があるとの事で、坂下が確認申請書取りに来る。
K+Oの断面検討。
14:30、以前大塚アトリエに在籍していた松尾さんが、昨年暮に誕生した優ちゃんをつれて来所。しっかりお母さんになっていた。設計の仕事も再開するそうだ。ゆっくり続けていって欲しい。
18:00、TERのクライアント来所。実施設計アップ直前にあった、変更について確認。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで休養中。放牧されています。馬体が緩んできたように感じられますが、体型は崩れていません。精神面でのリフレッシュ効果も感じられ、とてもリラックスしています。なお、競走馬名はマイネポリーヌで登録されています。
○ 2004/4/17
14:00、K+Oクライアント来所。キッチン・収納などの要望の打ち合わせ。
前回の打合せの時、雑談していた時に話題に上がった、武満徹の「夢の引用」をOさんが貸してくれた。武満徹が映画について書いた本で、他の知合いからも面白い本だと、書名は聞いていた。だが、絶版になっていてネット検索しても、なかなか見つからなかった。
17:00、何年か前、住宅の計画の件で大和町にいらしたSさん御家族、来所。聞けば、大和町においでになったのは3年くらい前で、その時まだ懐妊していなかったお子さんが、今2才になるとのこと。時間はあっという間に経っていく。
○ 2004/4/18
一日大和町。
午前中、収納の整理。お隣との目隠になっているカロライン・ジャスミンの手入れ。黄色い花が咲き誇っているが、ほっておくと蔦がのび、お隣の屋根に根付いてしまうので剪定する。咲いた花が散って、御近所の入口廻りに飛び散っているので、掃除。
途中、廃品回収の車が来たので、処分しようと玄関に置いてあった、洗濯機の乾燥機を持っていってもらう。結構な費用がかかるので、テープ部分がだめになった古いミニコンポとセットで、安くしてもらう。
廃品回収のおじさん、家のなかを見渡して、新しいアンプやスピーカーや、コピー・ファックス機を物色して、あれらは、と聞いてくる。とんでもない。置いていったチラシを見ると、オーディオ類は他の国で喜んで使われてます、とある。
借りてきたDVDで、「トーク・トゥ?・ハ?」を見る。映画館で見て、2度目だが、やはり良く出来てる。赤を基調にし、その補色の緑を組み合わせた色彩計画が独特だ。4人の主人公達の構図も練られている。それらによって、あまりにも濃い登場人物の関係性が、リアリティーを得ている。
先日近所で、映画のロケに使えそうなアパートを見つけたので、買物がてらデジカメで撮影に。
15:40、皐月賞。我々の共同馬主の母体である、ラフィアンの代表・岡田さんが5頭を送り込むが、最高順位2着。残念、初クラシック制覇はまたのびた。
昨日借りた、武満徹の「夢の引用」をパラパラめくる。出だしから面白い。途中から一文書き写す。
「映画は夢だ。それこそ悪夢や滑稽な夢、いっさいの人間の欲望が紡ぎ織りなす夢だ。映画のなかでは、人間(ひと)は、夢でさえ見なかったできごとや情景を見ることができる。」
梁山泊「どん底・桜貝篇」の楽日。夜、追加公演になり、その後打上げとのことだが、遠慮させてもらう。(すみません。おつかれさまでした。)
○ 2004/4/19
一日事務所。
KAR、KAK、K+Oなどを色々。
ザ・ハウスの展示会の資料確認。
いつも月曜日は漫然と過ぎていくことが多い。
○ 2004/4/20
10:00、KAKの工事開始前の、近隣挨拶について、建設会社に来てもらい打ち合わせ。
ここ2、3日、K+Oの外壁の構成を検討している。構造は鉄骨で考えており、熱・音環境を満足し、コストパフォーマンスが良い構成を検討しているが、限られたスペースなので、構造体を顕わすかどうかをスケッチしている。
16:30、構造の山崎さんの事務所。K+Oをメインに、KAR、BABの打合せも。
山崎さんの事務所に行く途中に、映画のロケに良さそうなアパートがあったので、デジカメにおさめる。
帰りに新宿にでて、眼鏡の調子が悪いのを直してもらう。
タワーレコードで、アキ・カウリスマキの「過去のない男」のサウンドトラックを購入。「マッチ工場の少女」のサウンドトラックが欲しいのだが、日本ではでていないようで、その代わり。「過去のない男」はまだ見てないのだが、ホームページで見ると、「マッチ工場の少女」のバックにも流れていた、イスケルマというフィンランドで絶大な人気のムード歌謡が、やはり流れているという。いずれ映画も見よう。
青山ブックセンターで、「中二階のある家」アントン・チェーホフ/工藤正広訳。チェーホフ没後100周年記念出版とある。チェーホフの短編小説の翻訳と解説だが、何故か建築のコーナーに平積みになっていた。題名が「中二階のある家」で、建築関係の本だと思われたのか。まあどちらにしても、面白そうなので入手する。
○ 2004/4/21
朝、事務所。
10:30、自由が丘で打ち合わせ。
帰りに、昨年まで多摩川園で事務所をシェア?していた、鈴木基紀の事務所・空間設計社が自由が丘に有るので寄る。
ものつくり大学の片根君が、インターシップで来ていた。空間設計社の入っている建物が、なかなか雰囲気有るので、デジカメに収める。
昼、渋谷駅脇のガードをロケハン。
13:00、事務所に戻る。
16:00、KARの工事契約。
その前後、スタッフと色々な打ち合わせ。
夜、ロケハンの写真が少しまとまったので、クルージンへメール。
K+Oの昨日の山崎さんとの打ち合わせたこと、改めて考えてみたいと思っていたが、今日は落ち着く暇なく、断念。
○ 2004/4/22
朝、事務所。
10:00、池ノ上。EMOの外壁の色を決める、クライアント打ち合わせ。連休明けにいよいよ建て方。 引き続き打合せを高橋にまかせ、帰る途中に吉祥寺下車し、俗に言うハーモニカ横丁をロケハン。良い雰囲気だ。学生の頃、ここにあった飲み屋で良く飲んだ。
11:30、事務所に戻ると、居るはずの木村がいない。留守録になっている電話に、自転車で出勤途中に車と接触し転倒して、車を運転してた方が、病院に連れていってくれ、事故扱いになるため、警察に行ったりしていて遅れている、とのこと。昼前に電話があって、たいしたことなくすんだらしい。
13:00前に事務所に来る。
13:30、KARの現場。地盤改良工事終了の確認。
午後、14:00-18:00、高橋がEMOプレカット最終打ち合わせ。その間、KARの簡単な工事打ち合わせ。
17:00、ネクストコーポレーション来所。
人口密度の高い午後だった。
○ 2004/4/23
朝、事務所。ザ・ハウス展示会データの整理。
11:00、KAK地鎮祭。その後喫茶店で工事契約。
夜、横浜国大の唐十郎研究室のメンバーで構成された、唐ゼミの公演を見に、みなとみらいへ。新しいテントでのこけら落とし公演。海に近い、吹きさらしの公園にテントを張ると言うことだったので心配だったが、梁山泊の水ウエイトを使って、どうにか大丈夫そうだった。
演目は「ジョン・シルバー」。1965年の芝居。観念的な言葉が肉体的に使われ、何かを待ち続けているという、60年代的な芝居だが、1990年代以降30-40年経って、また現在の時代状況にはまっているように思えた。唐ゼミの公演は、きちんと芝居として、それらが伝わってきた。
しかし、この間行った汐留めもそうだが、みなとみらいも何だかわからない開発だ。中央線の沿線に広がる街と、これらの街のもつ質の違いを考えてみるのも面白い。
行帰りの電車の中で読んでいた「夢の引用」武満徹から気になる言葉『根源的(ラジカル)なアクチュアリティ』
○ 2004/4/24
土曜日は本当に静かで良い。
午後一で、新しいノートを物色しに行き、帰りに銀星舎へ。
「ダ・ヴィンチ特別編集5・中央線/カルチャー魔境の歩き方」ついこの間新刊で書店に並んでたもの。
「カフカ傑作短編集」フランツ・カフカ/長谷川四郎訳(福武文庫)。カフカはいつかまとめて読んでみたい作家のひとり。
16:00、BBHのクライアント打ち合わせ。打合せしている内に、空間構成は大きく変わらないのだが、個室の使用用途が入れ代わり、新たなイメージが共有された。
ザ・ハウスに写真データ発送。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。むだな肉のつかないタイプのようで、休ませた割にはすっきりした体つきです。なかなかスピードに乗り切れずにもたついていますが、乗り込んでくれば解消してくるはずです。
○ 2004/4/25
午前、吉祥寺の小劇場候補の資料作成検討。
午後久々に、牛筋入手。高円寺北口の純情商店会を入ってすぐ、左手にある肉屋さんの牛筋の質が良い。ここ何回か売り切れていた。800gと少し少ないが、贅沢は言えない。
下ごしらえをし、今日は生姜の千切りをのせ、醤油をたらし、牛筋の水煮。牛筋料理の中でも、下ごしらえ後すぐの、水煮が一番おいしい。
夜、昨晩ビデオにとっておいた、「センセイの鞄」を見る。川上弘美の小説はいくつか読んだことが有り、その不思議さが好きだ。「センセイの鞄」はまだ読んでないが、映像はそんな、あるかないかはっきりしない、むこうが透けてみえそうな世界をよくあらわしていた。ただ、最後が。文章ではどうなってるのか、確かめてみたい、と思った。
○ 2004/4/26
10:00、KAKの建設会社、来所。現場の担当者と顔合せと打ち合わせ。これで、三つの現場が同時に進行することになる。
14:00、東京土建、来所。事務手続きについて、打ち合わせ。
合間を縫って、BBH。土曜日に打合せしたことのスケッチ。
19:00、チューブ。吉祥寺、KISSCAFEにて。
○ 2004/4/27
一日事務所。
BBHの模型を作るための図面を仕上げる。
TRT床暖房についての連絡。KRHの柱梁の位置の詳細検討の打ち合わせ。
午後、高橋MSHの一年点検。
今日は凄い風だ。4月では、観測史上ニ番目の風速だそうだ。
夜、10CH「報道ステイション」秋吉敏子出演。ビッグバンドの活動を終わらせ、ピアニストに戻るそうだ。「TEN・TEN」という曲を演奏。日本の「テンテン手まり」をアレンジしたもの。でも、日本の曲のアレンジと言うより、ジャズそのもの。(じゃあ、ジャズとはといわれると、困るが。)短い演奏だったが、テレビを通しても、ダイレクトに伝わってきた。
○ 2004/4/28
14:30、LEV新オフィス打ち合わせの事前打ち合わせ、ミリメーターと。
15:00、LEV新オフィスクライアント打ち合わせ。
打合せ後、事務所ないの備品などを、実測。
近くのカフェで、ミリメーターと打ち合わせ。
○ 2004/4/29
午前中、途中だった「映画の文法・日本映画のショット分析」今泉容子(彩流社)読み終わる。映画の基本的な技法を、日本の映画のショットを具体例にあげながら、説明した本。知っているつもりの事が、きちんと整理されていて、眼から鱗。
午後、映画の打合せと見学で、調布のほうまで出かける。よい天気だ。電車の中で「夢の引用」武満徹、読み続ける。
『私は、(映画について、考えたり、書いたりする場合でさえ)個々の映画の物語性というものには、さして関心ををもてない。私にとって、映画は、夢の引用であり、そして、夢と映画は、相互に可逆的な関係にあり、映画によって夢はまたその領域を拡大しつづける。・・・夢が現実の隠れた深部を暴くように、映画において映像(イメージ)は、この現実に何か余分なものを付け加えたりするものではない。映像(イメージ)は、現実にあって、私たちが見過ごしているものなのである。』
帰りに紀伊国屋で「新版・歴史のための弁明-歴史家の仕事-」マルク・ブロック/村松剛訳(岩波書店)、「ザビット一家、家を建てる」長倉洋海。偶然、紀伊国屋画廊で「ザビット一家、家を建てる」の写真展が行われていた。コソボの連続取材の最新。仮設の家にすんでいる、コソボの家族が家を建てる記録だ。とても元気の出る写真集だ。家を建てることが、生きることと繋がっている。
○ 2004/4/30
今日で四月も終わり。ラジオでは、連休のあい間で、曜日がわからなくなってしまっているひともいるでしょうが、と言っている。確かに。
でも、考えると、今日が終わると、世間的には、休みがあけるともう木曜日。五月もすぐ10日になってしまう。
午後、根切りが始まったKRHの様子を自転車で見に行く。その足でコラムを書かなければならない、ハローアーキテクトというHPのための写真を撮りに、阿佐ヶ谷住宅へ。途中、気になっている場所をデジカメ。映画に使えそうな場所もある。阿佐ヶ谷住宅、何度来てもほのぼのして、居心地のよい空間だ。 事務所に戻り、KRH、KOH、スケッチ。
○ 2004/5/1
午前、連休中に来客があるので、片付け。
13:30、KRHの現場で簡単な打ち合わせ。
その後、来客に備え、職安通りの南大門市場まで買物に。キンパブ(韓国のり巻き)用、ソーセージ、沢庵、海苔。うまそうなチャンジャとぶたの耳の茹でたのがあったので、買う。
「夢の引用」武満徹、読了。
『こうして(ひとつの)映画について(私が)いかに書き綴っても、あの、薄明のなかに溶けているように消えていった、オレンジ色の電車の映像-イメージ-の鮮烈さを写しとることは不可能であり、また、それがもたらす無限定なまでの意味の多様さに比べて、私の行為はあまりにも力及ばぬものであることを覚らないではいられない。だが、それが映画の夢というものであり、それはまた、(私たちが)映画に託すことが可能な夢でもある。』
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。徐々にスタートのもっさり感は解消してきました。道中の走りも素軽さが出て、反応もまずまずです。
○ 2004/5/2
チェ・ミキの従兄弟の結婚式で、名古屋往復。
○ 2004/5/3
午前、映画のシナリオ再読。メモを撮りながら半分まで。
昼前から準備を始め、13:30、梁山泊関係3人来宅。
時々、霧雨みたいな状態だったが、屋上七輪決行。夕方には、晴れ間も出てきた。
昨日、今日飲み続けで、さすがに疲れてきた。
○ 2004/5/4
10:00、連休を使ってディズニーランドに来ていた、チェ・ミキの妹家族が、大和町に来た。
10:30、事務所。昼前後を挟んで、ハローアーキテクトの原稿仕上げる。
映画のシナリオ、残り半分再読。
○ 2004/5/5
朝起きたら、咳がひどく、関節もいたく、熱っぽいので計ってみたら、熱がある。
3、4日前から、少しのどが痛かったが、完璧な風邪。
午後予定していた、KKHのクライアント打ち合わせ土曜に延期してもらう。
一日寝ていた。よく眠れるものだ。良い休養になった。
○ 2004/5/6
天気予報では晴れて暖かくなる、と言うことだったが、一向に晴れず肌寒い。昨日あれだけ安静にしていたが、風邪がスッキリしない。
10:00、KKHの建設会社来所。契約図面の打ち合わせ。明日、地縄立ち会いにする。
午前中、ハローアーキテクトの原稿と写真データメールするが、上手く相手に届かない。なんやかやしている内に、午前中は過ぎる。
14:00、渋谷で新しい映画の打ち合わせ。夕方まで。
事務所に戻り、ハローアーキテクトのデータのやりとり。映画打合せでもらってきた資料読む。
夜、久々に「8月のクリスマス」ホ・ジノ監督(1998)を見る。見る度に、この映画の素晴らしさがみえてくる。大好きな映画だ。
○ 2004/5/7
午前中KKHの施工図チェック。
12:20、KKHの現場。地縄確認。
16:00、KRHの打ち合わせ、事務所で、建設会社と。
夕方から夜にかけて、明日のKKHクライアント打合せの準備。
その間、吉祥寺の小劇場候補の連絡いろいろ入る。二転三転。
なかなかしつこい風邪で、長く話していると、のどがヒリヒリしてきて、咳き込んでしまう。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。気持ちが前向きになり、以前に比べると行きたがるようになってきました。スピードにのってからの動きは上々です。
○ 2004/5/8
10:00、KKHクライアント打ち合わせ。昼過ぎまで。
一度大和町に戻り、今年初めに竣工したNSHへ。今日は朝から、新(あたらし)さんに写真を撮ってもらっている。坂下が朝から手伝っている。19:30、撮影完了。
NSHのクライアント御家族に、我々3人夕食の御招待頂く。渋谷のベトナム料理のお店に連れてっていただく。とてもおいしかった。
楽しく暮らしていただいているそうだ。天気も心配だったが、よい天気で、写真の仕上りが楽しみだ。
○ 2004/5/9
新しい映画の参考にと、2本ビデオを借りてきて見た。両方ともよく出来ているのだが、(多くの人に対して)良質のプログラムピクチャーというのかな。「人は何故、映画を撮るのか?」という、素朴な疑問が残った。莫大な制作費をかけて(ここが結構大きいなあ)、何の為に。もちろんいろんな答えがあるだろう。
夜、3chの「トップランナー」で、庵野秀明監督が新作「キューティー・ハニー」について、「現場の熱気がダイレクトに見ている人に伝わるような映画をつくりたかった」というようなことを言っていた。
分かりやすい、ひとつの表明だ、と思った。
○ 2004/5/10
朝8:00、ミリメーターからファックス。彼らも早いな。
KKHの施工図訂正、ファックス。土曜日に届いた、KOHの構造案の検討。LEV新オフィスの見積チェック。などなど。
16:30、KRHの基礎配筋検査。山崎さんと。
検査後、高円寺駅そばのミスタードーナツで打ち合わせ。KOHの構造が俄然面白くなってきた。いよいよまとめて行けそうだ。途中まで作った、BBHの模型も面白くなってきたし、この2つはそろそろ収斂していく段階になった。
19:00、事務所。映画の資料読む。
○ 2004/5/11
朝、事務所。
昨日の映画の資料の続き。
10:30、EMH の現場。8日(土)に建て方だったが、打合せと写真撮影があったので、高橋に任せていた。
現場でいくつか気付くことがあった。木造だが屋上付きで、上がってみると最高の眺めだった。
今日は夏のような天気で、現場にいるだけで、日に焼ける。
12:30、中目黒でミリメーターとLEV新オフィスの下打合せ。
13:30、LEV新オフィス、クライアント打ち合わせ。
帰りに、青山ブックセンターで「映画技法完全レファレンス」(フィルムアート社)。
17:30、事務所。
○ 2004/5/12
朝、事務所。昨日のLEV新オフィスについて、電話連絡など。
10:30、KRHのクライアント打ち合わせ。外構について。クライアントが紹介してくれた、門扉・フェンスなど、外構全てを手掛ける深沢さん、西荻の方だと聞いてはいたが、話してみたらなんと、荻窪中学の一年先輩。その他にも、西荻関係で共通の知合いがたくさんいた。お互いびっくり。
深沢さん達に、大和町の家をさっと見てもらって、昼前事務所。
午後は、KOHの構造スケッチ。
「夜を賭けて」のメイキング、「ヨルカケ」の監督・毛利さんから相談の電話あり。
18:00、武蔵境のミリメーターの事務所で、LEV新オフィスの打ち合わせ。
○ 2004/5/13
8:00前、事務所。
10:00、構造の吉田さんとKKH現場。床づけのローム層確認。いくつかの打ち合わせ。
11:00、事務所に戻り、すぐ渋谷まで。
新しい映画の打ち合わせ。ロケハンに向け、シーンにそって、撮影場所やセットのイメージの打ち合わせ。
15:30、修了。16:30、事務所に戻る。
木村と明日のKRHのプレカットの打ち合せ用図面のチェック。
その間にいくつもの電話。落ち着かないこと、この上ない。
18:30、坂下来所。KKHの打ち合わせ。
○ 2004/5/14
8:00、事務所。メールチェックや現場への連絡。
今日から「新版・歴史のための弁明・歴史家の仕事」マルク・ブロック/村松剛訳(岩波書店)を読みはじめる。ここのところ、映画の参考になるような、技術的なことを書いた本を、続けて読んでいたので、まとまったものがとても読みたくなった。
午前、TRH明日のクライアント打合せのための準備。
昼に事務所を出て、KKHクライアント宅へ。打ち合わせ。
15:00、事務所に戻り、KRHの防音工事、プレカットの打ち合わせ。
慌ただしく、一日が過ぎていく。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。休養前に芯を入れたためか良化が早く、さっそく手応えがきつくなってきました。トモの甘さは相変わらずで、蹄の先端を引きずるように歩きます。
○ 2004/5/15
TRHの見積についての打合せの準備。
11:00、歯科医院へ。連休前に、詰めていたものが取れてしまったので、その治療に。1時間半くらいかかる。何度か通わなければならないそうだ。
13:30、TRHクライアント打ち合わせ。
打合せの後、自転車で上石神井の荒木さんのオープンハウスへ。帰りに、西荻方面を廻る。今月は、西荻北口を中心にアートイベントをやっているので、どんな様子か見がてら、先日、KRHのクライアントに紹介していただいた、鍛冶屋さんで中学の先輩のアトリエ・ベガを訪ねる。アトリエ・ベルもこのイベントに参加していて、夜やる薪能の準備で御留守だった。
夕方、西荻の実家にちょっと寄る。
○ 2004/5/16
午前中、たまった新聞を読む。
美術家の中村政人さんが、湯島の築50年の民家を改修しながら、暮らし、事務所にもなっている「湯島もみじ」が紹介されていた。注目している面白いプロジェクトだ。その記事の中で中村さんが「自分の体より大きいものを作る喜びが、ずっと続いている。変化する家と街から情報を読みとり、体から考える。それがコミュニティーの形成にもつながる。これは本来の意味で『建築』的。東京全体も同じように考えれば、六本木や汐留めのような開発にはならなかったと思います。」語っている。
以前感じた、みなとみらいや汐留と中央線沿線の街との差異も、この言葉にあるような身体性の観点から考えてみると、全く同じことが考えられる。
13:00、過ぎ。三鷹台の小高さんの家を訪ねる。小高さんが今すんでいる家は、生田勉設計の「牟礼の家」(1960年頃竣工)。緑を見ながらの飲み会。夕方お暇する。
17:30、大和町。ミリメーターとLEV新オフィスの見積の電話連絡。
夜、昨日とっておいた、ETV特集「“フォーク”であること〜高田渡と高石ともや」と借りて来ていた「ラブ&ポップ」庵野秀明(1998)を見る。
○ 2004/5/17
8:00、事務所。KRHのプレカット工場から、何度か電話あり。
新しい映画の件で、野辺さんに電話してお願いごと。
午後に打ち合わせのLEV新事務所の見積りを見る。ミリメーターと電話で打ち合わせ。
TRHの土曜日の打合せ事項をまとめ、白州の建設会社にファックス。
KOHのスケッチ、木村に説明。
14:30、LEV新事務所の打ち合わせ。クライアントとビルの指定業者。予定より出てきた見積り高かったが、この打合せで調整、クライアントにも了解頂き、明日からさっそく工事の段取りに入ることになり、一安心。
18:00前、事務所に戻る。TRHの建設会社に電話して、今週の金曜日に現地に行って、打合せすることにする。
○ 2004/5/18
8:00、事務所。LEV新オフィスの件で、いくつか電話連絡。
KOHの構造スケッチ。午後一で木村に作図指示。
今日は、EMHの上棟式なので、14:30に事務所を出て、お祝いのお酒を買って、現場に向かう。
16:00、EMH上棟式。簡略のお清めの後、合板で作った仮テーブルを囲み、二時間程クライアントと職人さん達と飲んだ。やはり、上棟の骨組みの下で飲むのは楽しい。
その後、建設会社の方と、下北沢と新宿で飲む。
上棟式から、日本酒を飲んだので、けっこう酔ってしまった。
○ 2004/5/19
昨日の酒が残っていて、9:30に事務所に来たが、集中力無し。
KKHの工事担当者来所。
12:00、事務所を出て、仙川へ向かう。先日電話があった「ヨルカケ」の監督・毛利さんの敷地候補地を見るため。駅で待ち合わせ、候補地をみて、すぐ近くの現在お住いの家で話をする。仙川の駅は調布市で、敷地候補は世田谷区。住宅地図を見ると、行政境を挟んで、調布市の整理された街区と世田谷区の昔のままの未整理の街区の、極端な違い驚く。毛利さんが今住まわれている家も、細い路地にそって家が並ぶ一画で、居心地のよいところだった。先日日報に書いた、街の出来かたと身体性の関わりをここでも如実に感じた。
16:30、事務所に戻る。
KOHのスケッチ。
○ 2004/5/20
8:00、事務所。
朝からKOHの作業。
10:30、キッチン・洗面化粧台の打合せに、KKHのクライアントと建設会社の担当者、来所。
木村、高橋、二人で KOHとBBHの模型づくり。
今晩は台風だそうだ。
○ 2004/5/21
台風一過しつつある朝。
8:00、事務所。
昼から、TRHの見積り調整に、山梨県の白州まで行くので、準備。
木村にKOHの模型、追加指示。
12:00のあずさに乗って、構造の吉田さんと小淵沢まで。
昨夜の雨で、空気がきれいだ。新緑も爽やかで、遠くの山並もはっきりみえる。
現地を確認した後、建設会社と見積の打ち合わせ。
夕方になると、少し寒いくらいだ。
20:00、新宿に戻る。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。掛かるほどではありませんが、もう少し気持ちに余裕があっても良さそうです。抵抗力が落ちているようで軽い皮膚病を発症しています。
○ 2004/5/22
午前中、昨日のTRHのまとめと連絡。午後の打合せの為に出来上がった模型を見て、打合せ事項の確認。
14:00、KOHクライアント打ち合わせ。構造をがらっと変えたので、その説明。気に入ってもらえた。ほぼ、固まってきたので、詳細の設計に入れるようになった。
16:30、BBHクライアント打ち合わせ。こちらも、これから詳細を詰めていくことになる。
チェ・ミキが今年の春から行っている大学院の同級生・ヤスエチャンチェ・ミキと大将で飲む。
○ 2004/5/23
11:00に毛利さん一家が大和町においでになるので、片付け。
いまや盛りと延び放題延びている、キャロライナジャスミンと定家葛を剪定。多少は整理できるが、秋になって葉が少なくなってから、本格的に剪定しよう。とりあえず、お隣の樋などに絡み付かないようにした。
11:00過ぎ、毛利さん一家、来宅。拙宅を見てもらい、二時間弱いろんな話をした。
午後は高円寺周辺に買物に行き、あとはたまった新聞等を読む。
寒い日曜日。この時期、ある程度の暖かさに体がなれているので、急に寒くなると、よりエネルギーが必要になる。思い付いて、夜はキムチ鍋にする。
○ 2004/5/24
8;00、事務所。日報を書込む。
TRHの工事届を作成し、建設会社へファックス。
木村とKRHのプレカットの打ち合わせ。
午前から午後にかけて、KKHの躯体図チェック。
16:00、歯医者。先日の治療の続き。
18:00、KKHの建設会社担当者来所。簡単な打ち合わせ。
18:45、坂下来所。打ち合わせ。
○ 2004/5/25
8:00、事務所。
今日は気持のよい天気だ。朝9:00、空に雲ひとつない。
午前中、KKHの躯体図チェック終了。
その間、吉祥寺の小劇場候補の連絡、いくつか。
午後一番、構造・吉田さんから来た指示図を、高橋とチェック。
木村とKRHの電気について打ち合わせ。
吉祥寺の小劇場候補について、武蔵野市役所に連絡。
KRHの現場、間があいてしまっているので、確認に自転車で。
同時にKKHの現場に、図面を届けに行く。
自転車、気持よい。こんなぶらぶらした生活もいいな、と、フと思う。
夕方が気持の良い時間帯になってきた。
途中、高円寺文庫センターで、日曜日の新聞の書評で見た「水鏡綺譚」近藤ようこ(青林工芸舎)を見つけたので、入手。
事務所に戻り、映画の案を考えたり、色々なスケッチ。
夜テレビを見ていると、キヨシロウがコマーシャルで、「幸せになりたい、でも頑張りたくなーい。」というような歌を唄っていた。なんだか、わかる。
○ 2004/5/26
8:00、事務所。今日も良い天気になりそうだ。
午前中、木村とKRHのサッシの打ち合わせ。
昼前に事務所を出て、13:00LEV新オフィス、クライアント打ち合わせ。ミリメーターと一緒に。
打合せは続いていたが、15:00に途中退席。
16:00前に事務所に戻り、すぐに自転車で高円寺駅へ。構造の吉田さんをピックアップして、KKHの現場へ。地中梁と耐圧盤の配筋検査。17:00、終了。
18:00、事務所でKKHの1階躯体図の打ち合わせ。坂下と建設会社の担当者。
その後、KRHのプレカットの打ち合わせ。
なんだか、打ち合わせ報告見たくなってきたな。
○ 2004/5/27
朝、事務所。
KRHの担当者から電話があり、29日建て方の連絡が入る。
いくつかの連絡の後、吉祥寺の小劇場候補の件で武蔵野市役所へ。
帰りは、丁度来た吉祥寺行きのバスに乗り、吉祥寺経由で事務所へ。
途中、吉祥寺の書店で「InterCommunication49/5つの対話・終わりと始まりのあいだで」(面白そうな対話メンバーだったので。)、「芸術新潮6月号/磯崎新・日本建築史を読みかえる6章」。
10:30に事務所に戻ると、KRHのクライアントから上棟式の日取りの連絡が入っていた。同時にKRHの金物のファックスが構造の山崎さんから来ていたので、担当者に連絡。ちょうど、現場に向かっていると言うことだったので、こちらも向かう。自転車で行ける現場は、身軽で良い。風が気持よく、爽やかだ。現地で話をし、11:40事務所に戻る。
2.、3日前から、映画のセットをのスケッチを、思い付いてはしている。夜、BSで白黒の時代劇を毎日やっており、たらたら見ていると面白い画面が時にあり、アイデアをメモし、昼間スケッチしたりしている。
14:30、写真家の新さん来所。先日撮影したNSHのポジを持ってきてくれた。素敵なカットが沢山だ。新さんが参加した、北京での展覧会の話などを聞く。
16:00過ぎ、映画セットのための資料探しに図書館へ。あまり収穫無し。
KOH、BBH、映画のセットのスケッチ。
○ 2004/5/28
朝、事務所。
職住接近と早めの出社をするようになってから、直行と言うことが少なくなった。
すなわち、「朝、事務所」が多い。
午前、茅野の建設会社からTRHの修正見積りがファックスで届く。
すぐチェックする。先日現地まで行って、打合せしてきた事が反映され、どうにか予算に近付いた。
14:00前、KRHの担当者来所。サッシュなどの打ち合わせ。今日から土台引き、材木搬入。明日建て方だ。
15:30、TRHのクライアント来所。修正見積を説明し、了解頂く。すぐ、建設会社に連絡し、契約、地鎮祭の段取り。
これで、4つ目の現場が動き出すことになる。分かっていたことだが、気を引き締めていこう。
17:00、銀座のINAXで明日から行われる、ザ・ハウスの作品展(http://www.thehouse.co.jp/event.html)のオープニングパーティーに出席するため、事務所を出る。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。センスがあり、先日のスピード調教でも伸びのあるしっかりした動きを見せました。ただ、少しトモが寂しくなってきたため、ペースを落として乗っています。
○ 2004/5/29
今日からKRHの建て方。朝現場にちょっと寄って、渋谷へ。
11:00の映画の打ち合わせまで、スターバックスでBBHのスケッチ。歩いている内にアイデア思い付いたので。
11:00映画の打ち合わせ。14:00終了。
16:00に国立で、映画のロケハンの為に萩原さんと待ち合わせしているが、時間があるので、吉祥寺まで行く。久々に、ジャズ喫茶のメグに行ってみる。十年以上来てないかもしれない。大音量で聞くジャズはやはり気持良い。
「新版:歴史のための弁明-歴史家の仕事-」を読み続けると、現代に思いがいく。例えば、拉致に関する政府の発表ひとつにしても、それらによって作られる歴史がどれだけ真実なのだろうか、と考える。歴史における、「証拠」「批判」等に対する、著者マルク・ブロックの考えを読んで行くと、けして現在生きていることが、現在の歴史にとって有利であるわけでない、という言説が何となくリアルに感じられてくる。
この本は「レジスタンス運動に参加してドイツ軍に銃殺された」著者により、危機の時代に考え、書かれている。すぐれた理性は、そのような状況のなかで、歴史を元に、警笛を鳴らす。そう思うと、現代の理性の無さは、実に危険だ。
16:30から、2ケ所萩原さんに案内してもらう。2ケ所とも、非常に魅力的な所だ。
国立、独特の雰囲気のある、良い町だ。
○ 2004/5/30
昨日から、暑い。まるで夏のようだ。
午前、新聞を読んだり、定家葛の剪定。
午後、買物に出かけ、ダービーをみる。コスモパルク残念。
自分でバリカン。
○ 2004/5/31
朝、事務所。今日は朝から蒸し蒸しする。
日報のアップ。ロケハンのデジカメ写真、メールで写真屋にプリント依頼。便利になったものだ。
高橋とTRHの契約図面の打ち合わせ。
今日も朝からKRHの建て方が行われている。レッカーが入らないので、時間がかかる。風も強いし大変だ。
KOH、BBH、KKHのスケッチ。
○ 2004/6/1
気がつけば、もう6月。
朝、事務所。BBH、KOHスケッチ。
昼に俳優の六平さんから電話がある。六平さんは新宿梁山泊時代からの知人で、1年ほど前、家を設計させてもらい完成した。今日はゆみさんと一緒に、ラピュタ阿佐ヶ谷に試写会にきたので、帰りに事務所に寄りたい、という電話だった。
今日は夕方からKRHの上棟式なので、午後一番でお祝いのお酒を買いに行く。
15:30、六平さんたちが来所。
16:30まで、今工事しているものや、設計しているものの模型などを見ながら話をする。
六平さんたちも、新宿で約束があるとのことで、一緒に事務所を出る。
17:00、KRHの上棟式。
18:30終了。その後、建設会社の担当者と高円寺で飲む。
○ 2004/6/2
昨晩少々飲み過ぎ。9:30事務所。
KKHの明日の打合せの準備。
13:00、歯医者。そのままBBHの敷地へ。新たに分割された10区画程のまとまりのひとつだが、周りがかなり建ってきたということで、再度行ってみた。屋上を計画しているので、隣の工事中の足場に上がらせてもらい、眺望を確認。
17:00過ぎ、事務所に戻る。
引き続き、KKHの準備。
○ 2004/6/3
今日も昨日に続き、サラッとして気持良い。
朝、事務所。昨日、一昨日のデジカメ写真を写真屋にメール。
朝ちょっとした連絡があり、KRHの現場へ。
午前中はKKHの打合せ準備。
昼を食べながら、写真ピックアップ。
14:00、KKHの設備を中心にした打合せ。16:00終了。
17:00過ぎ、再びKRHの現場へ。
今晩は、TRHのクライアントに、工事契約にいたり一段落、という事で食事に招待していただいており、18:30過ぎ、全員で事務所を出る。
西荻窪北口の「仁(リェン)」という、TRHのクライアントの大学時代の同級生がオーナーシェフの、中華を主体にしたおいしい料理のお店だった。
帰り道に「アケタの店」により、ずっと探していたが見つからなかった「AKETA・2つのオカリーナ祭りから・大工哲弘と西都古墳」を入手。さすがに、制作者「アケタの店」には置いてあった。
「アケタの店」25年以上前、良く通っていた西荻のジャズライブハウスだ。この日は板橋文夫オーケストラのライブ。ナツカシー、と思ってスケジュール表を手にとると、5月7日〜7月8日が開店30周年記念のスペシャル・ライブ月間で、出演者に懐かしい名前が並んでいる。久々にライブ聴きにこようか。 手に入れたCDは秀逸。http://www.aketa.org/cdnew.html
夜、途中からTVでやっていた「レオン」を見る。アップの使い方が素晴らしい。
最近、TVで映画を途中から見るが、物語に捕われないで見ることができるので、面白い映像だと続けて見れるが、つまらない映像だとすぐ止めてしまう。けっこう面白い。
○ 2004/6/4
今朝も晴天。乾燥していて清清しい。朝、事務所。
午後の構造・山崎さんとの打合せの準備。毛利さんから連絡あり、土地決めたとのこと。来週打ち合わせをすることにする。吉祥寺の小劇場候補の連絡あり。
昼一、高橋とEMHの電気設備打合せ。途中、KRHのクライアントから連絡あり、サッシ、ガラスの変更について、来週現場で打ち合わせることに。
14:00、山崎さん来所。KOHとBBHの構造打ち合わせ。
15:00終了。引き続き高橋と打合せ。
その後、木村とKRHの納まりの打合せ。
明日の白州行きの準備と吉祥寺の小劇場候補について、主催者に自分のスケジュールの連絡。
時計の電池が切れたので、入れ替えに出たついでに、KKHの現場のぞく。
KKHの施工図チェック。
打合せの続く一日だった。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。肉づきを良くするために引き続き攻め過ぎないようにしています。調子落ちもなく、動きは平行線です。
○ 2004/6/5
朝から山梨・白州へ。
9:00、三鷹でクライアントにピックアップしてもらう。構造・吉田さんも同行。途中、中央高速で事故渋滞。予定より一時間かかり、12:30、現場着。建設会社が地縄とレベルを出しておいてくれる。
まず、全員で簡易な地鎮祭。塩、米、酒で四方お浄め。地縄の確認。その後地盤を確認するために、ユンボで2ケ所地面を掘り返してもらう。根切り底を決め、レベルの確認をする。
現場での確認事項終わったので、隣の別荘の庭先を借り、工事契約書に調印。14:30全て終了。
昼を食べてなかったので、クライアントに旧街道にある古い造り酒屋「七賢」(http://www.sake-shichiken.co.jp/)がやっているお店「臺 眠」に連れていっていただき、麦とろ定食を御馳走になる。出てくる水は「七賢」の仕込み水。白州は水がおいしいので有名だそうだ。良い天気においしい水と空気、ほっとする。
食事の後、「七賢」の酒と、近所に金精軒(http://www.kinseiken.co.jp/)の野沢菜まんじゅう(以前いただいて、とてもおいしかった)を買い、帰途につく。
17:30、三鷹着。帰りはスムーズだったので、2時間しかかからなかった。
短い旅だったが、良い気分転換になった。
○ 2004/6/6
昨日とは打って変わって、雨。いよいよ梅雨入りか。
「歴史からの弁明-歴史家の仕事」読み終わる。博学な歴史学者による、たくさんの具体例から考察された、歴史とは何かの記述。当たり前だが、学問とは厳しいものだ。常に批判を持ち、判断していくことの大変さ。
坂下にKKHの連絡。
昨日買ってきた、七賢・劉伶を飲む。
○ 2004/6/7
今日は変な天気だった。
事務所に来た8:00頃は、けっこう雨が降っていたが、すぐに止んだ。その後も、晴れたと思ったら暗くなってきて雨が強くなったり。湿度も高い。
10:00、MRHのクライアント来所。要望をヒア?リング。
14:00、14日からインターシップで事務所研修の甲木(かつき)君来所。住まいは高円寺北。すぐ側で、小学校から高校までこの近所だったそうだ。
KKHの施工図チェックを集中的にやる。
○ 2004/6/8
KKHの施工図用図面作成。
10:00前、KKHの担当者来所。図面等をもらう。
昼前、KRHの担当者来所。内装のサンプル類を持ってきてくれる。
13:00、KRHの現場へ。クライアントと屋根、窓、外壁についての打合せ。
18:00、渋谷。新しい映画の打合せ。プレロケハンも大詰め。
昼間は蒸し蒸ししたが、夜になったら湿度が下がったのか、涼しくなってきた。
○ 2004/6/9
KKHの施工図用図面作業。
午後一、木村とKOHとKRHの打合せ。
17:00、坂下来所。KKHの施工図チェック打合せ。
○ 2004/6/10
8月にクランクイン予定の映画のロケハン。
7:30新宿出発。上尾、群馬県中之条町、高崎をまわる。
20:30高円寺着。
成果が上がった、内容の濃いロケハンだった。
○ 2004/6/11
午前中、昨日のロケハンの写真の整理とプリントメール。連絡事項であっという間に過ぎる。
13:00、KKHの担当者来所。施工図チェックバック。
TRHの基礎施工図がファックスできたので、チェックバック。
ロケセット候補地の実測の図面、途中まで。
16:45KKH1階壁・2階スラブ配筋検査。構造の吉田さんと。
前回の配筋検査の時、次のとき高円寺を案内することにしていたので、吉田さんと沖縄料理・抱瓶(だちびん)へ。19:00過ぎ、吉田さんの奥さんとチェ・ミキ参加。
その後、大将へ。深夜まで飲んでしまう。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。ウォーキングマシンによる運動をしています。左前の球節の辺りが腫れており痛みがあるようです。単なる捻挫であればすぐに症状が治まるはずですが、長引くようであれば詳しい検査を行います。
心配だ。
○ 2004/6/12
昼前事務所。
ロケハンの写真ピックアップと唐組へのお祝いのお酒を買いに行く。
昨日の続きのロケセット候補地の実測の図面を完成し、メール。
MRHの敷地図。その他進行中の諸々のチェック。
17:00、新宿花園神社の唐組・赤テントへ向かう。
19:00、唐組「津波」。津波にさらわれ、思い出となってしまった場所を、懸命に守ろうとする女性陶器職工の物語り。モノとシステム対決。
○ 2004/6/13
朝、たまった新聞を読む。
10:00、ミリメーターの笠置さんと目黒で待ち合わせ。
LEV新オフィス、建築関係の工事がほとんど終わったので、一緒に現場へ。
帰りに新宿下車し、青山ブックセンターへ。「映画覚書vol.1」阿部和重(文芸春秋)、「国際シンポジウム小津安二郎生誕100年記念[OZU2003]の記録」(朝日選書)、「きわめてよいふうけい」ホンマタカシ(リトルモア)。
昼、大和町に戻る。
新聞の続き、KOH、TRHのチェック。
夕暮れ、室内は暗いが、外は明るい。CDプレイヤーから流れる、古謝美佐子の「家路」(ドヴォルザーク)。しみみじみした、日曜の夕方。
夜、借りてきたビデオ「月の砂漠」青山真治監督を見る。自然さと不自然さが絡み合った映画。それが映画なのかもしれない。
○ 2004/6/14
抜けた日射しに、ひやっとした風。気持の良い朝だ。
朝、事務所。9:00前、TRHの長野の建設会社の担当者から電話。いよいよ工事が始まった。
10:00、今日からものつくり大学から、インターンシップで甲木君研修スタート。
13:30、KRHの現場打ち合わせ。屋根は葺き終え、外部の合板を張っている。
15:00、事務所。
16:30、歯医者。歯医者から戻り、木村と明日のKRHのクライアント打合せの準備。
KKH、BBHの検討。
○ 2004/6/15
新聞の天気予報を見ると、今日は30度になるそうだが、朝は空気が乾燥していて、気持が良い。
11:00、KRHクライアント打合せ。
15:00、事務所に戻る。
16:00前事務所を出て、中野区松ヶ丘の住宅展示場に向かう。
西武新宿線の新井薬師前から歩いて5分の所にある。自転車で行けば、20分くらいの所だが、そこに行った後馬主会があるので、バスと電車を乗り継いで行ったら、一時間弱かかった。自転車はある範囲内では、便利なものだ。
夜、馬主会。
○ 2004/6/16
今日も良い天気だ。
朝、事務所。
10:30、昨日のKRHのクライアント打合せの結果を木村に指示。
昼を挟んで、BBHの矩形図スケッチ。
17:30、坂下来所。KKHの打合せ。
今週は、週末まで打合せが詰ってしまった。
慌ただしいが、これらをひとつひとつクリアーして行くことで、物事が先に進んでいくのだ。
でも、そんな状況だからこそ、何か見落としていないか、クールダウンして見直すことが大切だと、肝に命じる。
○ 2004/6/17
今日もまだ梅雨の中休みか。
朝、事務所。
10:00、松庵のKKHのクライアント宅へ、自転車で。打合せ、12:00過ぎ終了。西荻でラーメンを食べ、事務所への帰り道。次の打合せまで時間があったので、自転車でゆっくり走っていたら、通りすがりの店でシャツが目につき、物色、購入。気がつけば、13:00、過ぎ。慌てて事務所へ。
14:00過ぎに、目黒。(これは電車。)LEV新オフィスのクライアント・事務所検査。ミリメーターと。
16:00、事務所に戻る。
高橋、木村とそれぞれ打合せ。
18:30、KKHの現場担当者来所。躯体図チェックバックと今朝の打合せ事項伝達。
あっという間に、一日が過ぎてゆく。
明日も、同じような一日になりそうだ。
○ 2004/6/18
朝、事務所。昨日、BBHのクライアントから、要望の見直しの連絡があり、その検討。
10:15、自転車で新宿梁山泊・満天星へ自転車で向かう。満天星裏の土地の空家をロケセットに使えるかの検討。主だったスタッフが集まる。その後、セットを組む稽古場を見てもらい、スタッフ打合せ。14:30終了。15:00、事務所。
いくつかの連絡、スタッフとの打合せ後、16:00、KRH電気・内装仕上げ打合せ。19:00、終了。 再び、BBHスケッチ。
今日も一日、あっという間に過ぎてゆく。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。左前脚球節の腫れは、捻挫が原因だったようですぐに回復しました。もう痛みはありません。ただし、今は少し精神的にカリカリしているため、落ち着かせながら乗っています。
一安心。
○ 2004/6/19
9:00、事務所。BBHスケッチ。
11:00、事務所を出て目黒のLEV新オフィスへ。今日は引越なので、様子を見に行く。
14:00、事務所に戻る。引き続きBBHのスケッチ。
17:00、一段楽したので、大和町に戻り、花組のスキャナーを使い、先日見に行った満天星裏の、映画のロケセット候補地の図面作成。
○ 2004/6/20
午前中、昨日に引き続き、満天星裏のロケセットのプラン作成。作成後、ファックス。
一日、映画の準備のためのスケッチ。
今日は夏真っ盛り、と言える天気。
夜になっても蒸し暑い。
○ 2004/6/21
朝、事務所。図面作業を少しして、8:45KRH現場へ自転車で。
9:00、構造・山崎さん、軸組、金物検査。その場で、BBHの変更についての打合せ。
10:00過ぎ、事務所に戻る。
昨日作成した、ロケセットプランの図面を梁山泊・三浦さんピックアップに来る。
進行中のプロジェクトについて、スタッフとそれぞれ打合せ。明日の打合せの準備。
15:00頃から、台風で雨風が強くなる。
16:30、一度大和町に戻り、着替えて国分寺の葬祭場へ。
妹の嫁ぎ先のお父さんが亡くなり、お通夜。受付のテントが風であおられている。
読経を聴いているうちに、この3年位の間に、若くして亡くなった二人の友人のことを強く思い出した。
ことあるごとに、思い出すが、葬儀と言う状況に、二人の不在を強く感じた。
○ 2004/6/22
台風一過。晴天。朝、事務所。
映画セットの図面を書きはじめる。
11:30前、以前事務所にバイトに来てくれていた風間さんより、仕事で近くまで来ている電話がある。しばらくして来所。住宅関係の会社で働いていて、忙しくやっているようだ。変わらず元気だ。
14:00、KKHの打合せ。設備の酒巻さん、現場担当者、設備電気業者さん。16:00終了。
17:00、TRHのキッチンについてクライアント打合せ。
連絡事項、スタッフとの打合せが、頻繁に入る。
映画のひとつのセットのスケッチが一段楽し、さらにエスキスを続ける。
明後日から、ロケハンが山場になりそうだ。
○ 2004/6/23
今日から、朝7:00から事務所に来ることにした。
映画で時間使うことも多くなるので、事務所にいる時、なるべく沢山仕事ができるように。撮影が始まると、朝早く現場に行くことも多くなるだろうから、丁度良い。サマータイムだ。
木村に指示しておいた、KOHの図面チェックとスケッチ。
KKHの現場用図面を訂正し、施工図用に電気業者さんにメール。TRH の基礎と1階スラブの施工図がファックスで来たので、高橋と一緒にチェックバック。
16:00、歯医者へ。最後の型取りと仮歯入れ。2時間近くかかる。
終了後、慌てて事務所に戻り、18:30、KRHクライアント宅へ。工事の増減を含め、予算の再確認。
事務所に戻り、打ち合わせ事項、指示。
午前中5時間仕事ができると、やはり色々なことができる。
○ 2004/6/24
今日から、梁山泊の座長・金監督の2作目「ガラスの使徒(つかい)」のメインロケハンが始まる。
8:00、渋谷出発。滋賀県竜王町に向かう。
今回の映画は、レンズ磨き職人の話し。滋賀で天体望遠鏡の研摩をされている苗村さんを、映画のスタッフ総勢11人で訪ねた。
往路、4時間くらい走ったところで、ロケバスの左前輪がバースト。突然の衝撃。幸い、分離帯の所で止まり、事故にはならなかった。タイヤ交換して次のサービスエリアで昼休憩と、ロケバスのチェック。しかしロケバスのエンジンがかからなくなる。バーストした時の衝撃で、電気系統がいかれてしまったらしい。しかたがないので、修理工とレンタカーのバスが手配され、予定大幅に遅れ16:00過ぎ、苗村さんの住宅兼作業場に到着。苗村さんにレンズや磨き方、作業場や機械の説明、テストの仕方などいろいろ伺う。良くわからなかったことが、次第に明らかになっていくが、解れば解る程それらをどう映画にするか、悩みは膨らんでいく。しかし、苗村さんにお話を伺えたことは大収穫。帰りの時間を考え、18:30、まだまだ伺いたいことあったが、皆後ろ髪を引かれながらもお暇する。
この間に、ロケバスの修理はすんでいたが、途中のサービスエリアでピックアップしたり、安全運転のため、結局東京着は深夜1:00前。梁山泊の車や、制作の車に分散し帰路に着く。
ながーい一日だった。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。相変わらずテンションが上がりやすく、前掻きをしたりすることがあります。それでも坂路での動きは上々で、特にスピードにのってからは全身を使った伸びやかな走りです。
○ 2004/6/25
昨日遅かったので、9:00事務所。
10:00から、スタッフや甲木くんと打合せし、11:00前事務所を出る。今日は、都内のロケハン。 国立、白金台、六本木、東麻布、板橋、最後に茅場町の豊海橋をまわる。20:30終了、解散。
その後、京橋へ。チェ・ミキの友人たちと飲み会。2、3年振りである。大阪から来ているハマちゃん、大和町に宿泊。
○ 2004/6/26
10:30、事務所。
昨日、一昨日とほとんど事務所にいなかったので、日報をアップ。
ロケハンのデジカメ写真の整理。いくつかの連絡事項。
午後、写真のプリントをメールで依頼。KOHのスケッチ。映画セットのスケッチ。
「夜を賭けて」の時や芝居の時もそうだが、映画や芝居のことから、建築に切り替えるのにちょっと時間がかかる。同じことをやっているようでいて、やはりずいぶん違うのだろう。
○ 2004/6/27
8:30まで、ゆっくり寝る。
たまった新聞を読み、「ガラスの使徒」のシナリオを再度読み、メモとスケッチ。昼前、キャリライナジャスミンを剪定。この時期、あっという間にのびる。
午後、買物に行き、BBH、KOHのエスキス。
夜、借りてきたビデオ「汚れた血」レオス・カラックス(1986)を見る。予想以上に面白い映画だった。主演のドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュどちらも良かった。ラストでジュリエット・ビノシュが滑走路を両手を広げ走るシーンのフィルム処理が最高だった。もう一度見てみたい。もちろん他の映画も。
○ 2004/6/28
朝、事務所。
進行中のプロジェクトの作業。
17:00、KKHの2階スラブの配筋検査。構造・吉田さんと。終了後、他の現場の打合せ、マックにて。 18:30、事務所に戻る。吉田さんとの打合せ事項、高橋と打合せ。
、と書いている今は30日。大きなことは思い出せるが、細かい具体的なことは思い出せない。たかが、一昨日のことだが、恐ろしい。
○ 2004/6/29
映画のロケハン、9:00新宿出発なので、KOHの図面を取りに、一度事務所へ。
大和町でエスキスをしばらくして、8:15大和町を出る。
ロケハンは群馬県・中之条町を中心に、高崎まで。監督、演出部、撮影、照明のスタッフとあらかじめロケハンしてあった場所を周りながら、カメラアングルや撮影方法、ロヶ地での飾り等を打合せして行く。今日のロケハンは、水に絡む撮影の場所が中心なので、現地での打合せが予想外に長くなり、高崎で夕方終了の予定が、21:00になってしまう。23:00帰京。
途中で坊主をゲット。
○ 2004/6/30
昨日はさすがに疲れて、7:30前起きる。
大和町で、昨日の写真を取り込んだりして、9:00前、事務所。
夕立ちのような雨が降っている。
午前中、KKHとTRHの図面チェック。甲木君と映画セット模型の打合せ。
13:30、KKH現場担当者来所。打合せ。
その後、木村とKOHの打合せ。
明日の映画打合せの資料を探しに、図書館へ。模型に使おうと思って、宗教画の画集を借りてくるが、模型につけてみて、予想していた雰囲気と違うので、却下。やはり模型は一発で判断できる。
夕方、甲木君と模型、あれやこれやいじくりまわして、どうにかある段階へ。
TRHの建設会社と、電話連絡。
夜、再び木村とKOHの打合せ。
もう、6月も終わり。半年が過ぎた。今までで一番ヒートアップしそうな、7・8月がやってくる。
○ 2004/7/1
朝、事務所。
9:15自転車で満天星へ向かう。10:00から映画の打合せ。
満天星裏のロケセット候補地を下見した後、11:00前打合せ開始。
21:00終了。
○ 2004/7/2
朝、事務所。
セットの図面手直し。
木村とKOHの打合せ。
甲木君とBBHの模型の打合せ。
14:00、満天星で映画打ち合わせ、昨日の続き。
○ 2004/7/3
8:30、事務所。
KOHのチェック。いくつかの連絡事項。
10:00、事務所を出て、自転車でKKHの現場の前を通り、高円寺に自転車を置き仙川へ。11:00、MRHのクライアントと敷地へ。今建っている建物の中に入れてもらい、環境のチェック。
12:00前、仙川を出て、明大前で乗り換え池ノ上へ。EMHの現場。光の感じがなかなか良い。明るすぎず、暗すぎず。光がまわって来るよう考えたところに、ほんのりと明かりがまわり込む。2階、太陽光が強すぎないか心配だったが、開口をしぼったので、今日の日射しでも丁度良い明るさになっている。
下北沢まで歩き、食事し、高円寺に戻る。自転車をピックアップし、KRHの現場へ。こちらも随分進んだ。
事務所に戻り、KOHの構造の連絡等。
夕方、映画の制作担当の大谷さんから電話があり、僕が紹介した映画のロケセット候補の場所が、持ち主さんの了解を得られたとの連絡があり、ホッとする。(寺林さん、ありがとうございます。)
セットの図面も少し進んだ。
明日から、ロケハン3連チャンだ。
○ 2004/7/4
映画のロケハン。8:30、新宿出発。秩父へ。
秩父では、カメラのレンズを作っている工場を見学。
秩父市内には行かなかったが、秩父の山中工務店に鳥越さんの家をやってもらった時、何度か秩父を訪れたことを思い出した。
その後、東京に戻りお台場当りをロケハン。
16:30、満天星に戻る。
満天星に作るセットの打合せ。
○ 2004/7/5
今日も映画のロケハン。8:00新宿出発。
11:00、福島県の滝根町着。滝根町・星の村天文台をロケハン。12:30終了。
帰りに大宮をロケハンして、18:00前満天星に戻る。
○ 2004/7/6
朝、事務所。
いくつかの連絡事項とスタッフ打合せ。
10:45事務所を出て、成城学園に向かう。11:45ロケハンスタート。
先ずは、成城東宝撮影所。撮影に使う予定のプールを下見。水深4メーター位か。内側が青く塗られたプールの水の色が美しい。
次に吹上の、ものつくり大学に向かう。ものつくり大学の作業所をセットのスタジオとして使えないかの下見。岩下先生との打合せ。
19:00前、高円寺に戻る。TRHの現場からファックスが来ており、連絡。
明日からしばらくは、事務所で仕事ができる。が、明日は予定が一杯なので、木・金・土は集中したい。
InterCommunicationNO49「特集:5つの対話-終わりと始まりのあいだで」の「大澤真幸×北田暁大:リベラリズムと現代社会 —自由・責任・正義」は非常に興味深い対話だった。もう一度読みかえしてみたい。
「カフカ短編集」池内紀編訳(岩波文庫)を読みはじめる。
○ 2004/7/7
朝7:00、事務所。
続いたロケハン写真の整理。午後打ち合わせ予定のKKHの施工図チェック。
8:45、事務所を出てEMHの現場へ。内装仕上げのクライアント打合せ。今日は暑い。
11:30打合せ終了。高橋を置いて先に戻る。
13:00、歯医者。取れた詰め物の処置がやっと終了。まだやるところはあるが、忙しいので予約を確定することが出来ないので、映画の終わる9月から処置再開にする。
木村とKOHの打合せ。セットの件で、梁山泊と電話でいくつかの打合せ。セットで使うクロス見本を、梁山泊が持ってきてくれたので、決める。
15:00、KKH定例打ち合わせ。
終了後、TRHの設備連絡事項ファックス。セットの道具帳一枚仕上げファックス。
17:30、彩の国さいたま芸術劇場へ。
17:00、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団「天地」。昨年の公演の際に日本に2ヵ月程滞在し、その経験、印象をもとに作り上げた作品。ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団はこのような共同制作を世界各地で行っている。
目の前にあるイメージがどんどん変わっていく。時にイメージは重層する。最後、激しいリズムとダンスのめくるめく交叉。最高になった時、本当にゆっくりのフェイドアウト。網膜からイメージが消えていく。
休憩20分を含め、3時間の大作だが、あっという間に終わってしまった。
この忙しい時期、今だったら券を買って見に来なかっただろうが、チケットを買ったのが3ヵ月前。見れて良かった。良い刺激になった。
東京の最高気温35度。暑く、密度の高い一日だった。
○ 2004/7/8
朝、事務所。
KOH申請に向けての疑問点、ここ何日か悩んでいたところを役所にききに行く準備。何ケ所かに問い合わせ。
セット図面、作図。
10:00、木村が来たので、KOHの図面指示しチェック完了するのを待って、11:00区役所へ。こちらの解釈が通る見通しがついた。すぐ事務所に戻り、木村に打合せ事項報告。
午後一番、セット図面上げファックス。梁山泊と電話で打ち合わせ。
甲木君、BBHの検討用模型、完成。明日からセット作成作業の手伝いをしてもらおう、と思っている。その打ち合わせをしてもらうために夕方から、梁山泊・満天星に行ってもらう。
17:00、坂下来所。KKHのスイッチ、照明等の配置の打合せ、及び最終サッシュ図のチェック。
今日も暑い。なんだかこの間見た「汚れた血」のようなシチュエーションみたいだ。「汚れた血」はハレー彗星の接近のため、夜が暑いという近未来が舞台設定になっている。
○ 2004/7/9
7:00前、事務所。朝から暑い。今日も35度になるようだ。
朝から、満天星裏に作るロケセットの図面。
メールで、今後の作業に必要そうな写真のプリント依頼。
午後一番、KKHの担当者来所。昨日のサッシ図のチェックバック。
高橋と来週現場に行く、TRHの打合せ。
木村とKOHのサッシ周りの打合せ。
ロケハンの写真を整理し、引き続き、ロケセットの作業。18:30、図面完成したので、梁山泊へメール。
BBHの模型、エスキス。
<マイネポリーヌ> 真歌トレーニングパークで休養中。昼夜放牧されています。1日20時間程度放牧地で過ごしており、運動量は十分です。昼夜放牧の間に体質強化が望まれます。
○ 2004/7/10
朝8:00、事務所。今日で7月に入って、十日が過ぎてしまった。あっという間だ。
今度の撮影は8月一ヵ月となっている。いつもの芝居の時もそうだが、建築のタイムスパンに比べ圧倒的に短く、通常の仕事の締切り感と全然違う。だから時間の進むスピードも違い、あっという間に過ぎていく。
この密度は、建築の仕事にも良い影響を与えているが、スピード感で建築の長いスパンをやり通すことは難しいだろう。やはり映画の短いタイムスパンの中でのことだろう。
9:30、事務所を出て満天星へ。
セット、良い感じに出来上がりつつある。いくつか打合せして、昼事務所に戻る。
ロケセット図面の手直し、メール。
13日の白州行きの切符の手配と写真ピックアップ。
別のセットのエスキス。
○ 2004/7/11
9:30、事務所。
10:00から、梁山泊の梶村とセット装飾の打合せ。
13:00終了。昼食を食べに行く。その後事務所に戻り、セットのエスキスをする準備をして、大和町に戻る。
投票と買物に行き、その後セットとロケセットのエスキス。
今日の午後は、晴れてはいるが落雷があり雨の降る、変な天気だった。
投票に行く時、そういえば前の選挙の時、高円寺在住の新宿・ナジャの安保さんご夫婦にあったな、と思って自転車で商店街を行ったら、今回もまた安保さんたちに出会ってしまった。不思議だ。
○ 2004/7/12
朝、事務所。ここ何日かの猛暑に比べ、ずいぶんすごし易い。
今日は1日かけて、昨日のセットの打合せとエスキスをまとめてしまう。
その間、いくつかの連絡事項。
夕方には頭を切り替えて、進行中のプロジェクトのエスキス。
○ 2004/7/13
朝、事務所。新聞を見ると最高気温37度となっているが、朝はすごし易い。
いくつかのプロジェクトのエスキスをして、9:45事務所を出る。
10:30新宿発のあずさで小淵沢へ。白州のTRHの基礎配筋検査と、木造部分の打合せ。構造・吉田さんと高橋。
13:30現場到着。基礎の型枠が組まれ、建物の輪郭がわかる。まだ組まれていない2階が特に気持よくなりそうだ。2:30現場を離れ、茅野にある建設会社に向かう。これから刻みにはいる木軸部分の詳細打合せ。
17:00過ぎに終了し、車で茅野駅まで送ってもらい、17:48のあずさで新宿へ。
車中、話の流れで肉マンの話になり、皆で肉マンの旨い新宿の玉蘭に行って、飲むことになる。吉田さんの奥さんとチェ・ミキも参加。
帰りに、映画の参考にならないかと、久々にゴールデン街をひとまわりしてみる。
新宿駅に向かう途中に、アクセサリー売りの露店商がいたので、写真を取らしてもらう。
○ 2004/7/14
朝、事務所。今日も暑くなりそうだ。
昨日の写真の整理とプリント依頼等、雑務いくつか。
9:00、事務所を出て駒場東大前へ。10:00打合せ。事務所だった建物を、住宅に変える計画。
13:00前。事務所に戻る。
昨日、木村が扁桃腺を腫らしたようで熱が下がらず、今日も事務所に来たが調子悪く、午前中で早退した。昨日吉田さんも、風邪から扁桃腺を腫らし、高熱がでたといっていた。これだけ暑くなり、冷房のきいたところとの温度差が激しくなると、体調管理も大変である。
昨日のTRHの現場写真をクライアントにメール。
ハローアーキテクトの原稿チェックバック。
図書館に予約しておいた本が準備できたので、自転車で取りに行く。
今晩の映画の打合せの資料整理。
17:00、KKHの最後の配筋検査。
18:00過ぎ事務所に戻り、いくつか連絡事項、スケッチ。
19:00、事務所を出て満天星に向かう。20:00から映画のセットの打合せ。
○ 2004/7/15
朝、事務所。
9:00過ぎ、事務所を出て満天星へ。
今日から、満天星裏のロケセットの作業が始まるので、立ち会い。
とにかく暑い。茫々に生えていた草刈りから始まった。草の中で暮らしていた虫たちは大騒ぎ。
昼まで、作業内容の確認。ものつくり大学の甲木君ももくもくと作業していた。
満天星では、カメラテストや本読みなど、いろんなことが行われていた。
一度大和町に戻り、着替えて、14:00事務所へ。
事務所に行ったら、今度は高橋が高熱を出して休んでいた。今年の夏風邪の特徴のようだ。
セットの打合せ事項のまとめと、進行中のプロジェクトのスケッチをするが、炎天下で作業したせいか、体がかったるい。
夜は少し早めにあがる。
○ 2004/7/16
最高気温は34度になるが、事務所に来る朝7:00頃は、外は結構過しやすい。
セットの図面作業。
KOH、木村の図面のチェック。
9:00過ぎ、木村から電話が有り、また熱が上がってしまった、とのこと。火曜までゆっくり休むように言う。今日は、高橋も熱が下がらず、休み。
引き続き、KOHとBBHのスケッチ。
午後から、セットの図面。夜までに2場面分の図面アップ。
久々に一日事務所で、ひとりなので、集中して仕事ができる。
18:30、KKHの現場担当者来所。19日のクライアント打合せの確認。
<マイネポリーヌ> 真歌トレーニングパークで休養中。昼夜放牧されています。先週に比べて涼しかったため、中間はのびのび気持ちよさそうに過ごしていました。7月下旬より乗り運動を再開する予定です。
○ 2004/7/17
7:30、新宿出発。群馬ロケハン。
高崎、中之条、天文台。最後の天文台は、磯崎新さんの設計だった。
22:30、高円寺着。
○ 2004/7/18
8:00に起き、昨日もらったシナリオの改訂版を読んだり、洗濯したり。
11:00、渋谷、焼き鳥屋のロケハン。
12:00終了。
14:00から新宿で打合せ。
18:00チェ・ミキと大将へ。久しぶり。19:00には満杯になっていた。
帰りに、黒沼さんにばったり会う。
○ 2004/7/19
朝、7:30事務所。日報アップ。ロケハン写真整理。雑務。BBHスケッチ。
9:30、事務所を出て西荻窪へ。10:00、建設会社と一緒にKKHクライアント打合せ。その後、クリオネの高杉さんにも来てもらい、AV関係の打合せ。
13:00過ぎ、事務所に一度戻り、14:00過ぎ、国立へ向かう。「ガラスの使徒」確認ロケハン。その後、小金井に移動。骨董屋さんをロケハン。そこで坊主を見つけ、入手。
18:00過ぎ、事務所に戻り、BBHのスケッチなど。
今日で、ほとんどのロケハンが終了した。クランクインも近い。しかしこの暑さと、建築の仕事との頭の切り替えと休み無しで、疲れがかなりたまってきている。
○ 2004/7/20
朝、事務所。写真の整理やメール返信。雑務いくつか。
もうしばらくで、セット作りの現場から戻ってくる甲木君に、開口検討模型を作ってもらうために、BBHのスケッチ。
10:00前、木村のお姉さんから電話が有り、先週からの熱が連休中も下がらず、発疹も出てきたので昨日救急病院に運ばれ、そこでの診断で「はしか」だと判明したとのこと。はしかのワクチン摂取はしていたので、街の病院では風邪と扁桃腺と判断されていたらしい。ひとに移さないように、4、5日入院になったそうだ。
やはり、週末に熱を出していた高橋は出社してきた。はしかではないようだ。
引き続きBBHのスケッチ。その後、最後のセット道具帳に手を付ける。
満天星裏のロケセットがあらかた完成したというので、15:30頃でて、確認にいこうと思っていたら、ロケセットの写真データが送られてきた。見たら図面と違うところがあるので、15:00過ぎ満天星に自転車で向かう。
いくつか手直しの打合せ。全体的には良い感じで出来ている。甲木君も「かっちゃん」と呼ばれ、力になっているようだ。
17:00、満天星を出て、東中野の地下駐輪場に自転車を留め、五反田イマジカへ。テスト撮影の試写。水中シーンや昼間に撮影した夜のシーンのテスト試写だが、よく撮れている。だんだんクランクインに向けて、実感が湧いてくる。19:00過ぎ終了。
○ 2004/7/21
昨日は最高気温39度以上。観測史上最高だったそうだ。今朝も風があるが、7:00でもう日射しが強い。
朝、事務所。メール、ファックスのチェックと返信。
最後のセット図面。
9:30、KRHの現場。7割出来上がりと言うところか。
10:30、事務所に戻る。
引き続きセット図面。17:00過ぎ出来上がったので、梁山泊にメール。
写真ピックアップに行ったついでに、書店に。
「en-taxi」06/SNMMER2004、特集「いま、激しく唐十郎の海を泳ぐこと」。唐組の役者さんたちが紹介されている。「美術手帖」8月号、特集「芸術家・赤瀬川原平」。
ついでに銀星舎へ。リュミエール叢書13「レオス・カラックス/映画の21世紀へ向けて」鈴木布美子(筑摩書房)。「映画美術/擬景・借景・嘘百景」木村威夫(ワイズ出版)。
途中で、セットの計画、変更を思い付き、手直ししメール。
これで、とりあえず図面化しなくてはならないものアップしたので、しばらくは建築に集中できそうだ。その間にセットの装飾のアイデアを出していこう。
○ 2004/7/22
朝7:00、事務所。曇り空で、どんよりしている。
セットの飾りのことを、少し考える。
BBH、クライアントからのメールの懸案事項、検討。検討事項まとめて、クライアントへファックス。 KOHのスケッチ。
今週は事務所にいる時間が多く、建築に集中できる時間も多く、体が設計計画のモードに戻って来た。 14:20、自転車で事務所を出て、満天星へ。
セット作製の打ち合わせと、満天星裏ロケセットの確認。ロケセットは飾り付けも進んでおり、雰囲気出てきた。大道具部は明日から東村山の作業所に移り、2組のセットを叩くとのこと。良いタイミングだった。
17:30、事務所に戻る。
今日は夕方になったら、少し温度が下がり、過しやすい。18:30過ぎにはエアコンを止めて、窓を開けた。
○ 2004/7/23
今朝も過しやすい。過しやすいと言うより、2・3日前の暑さに慣れてしまったから、楽なのだろう。
朝、事務所。事務所に来て先ずやるのが、メールチェックと返事、日報アップ、そしてこのところはデジカメ写真の整理。これらが結構時間がかかる。しかし、今サマータイムで早くから事務所に来ているので、のんびりできる。
朝から、KOHのまとめ。明日構造の山崎さんに情報を送り、最終設計してもらう。
9;30、木村から電話が有り、今日の午後退院できるとのこと。来週から、KOHに復帰してもらい、実施をまとめていこう。
ものつくり大学の甲木君は、今日からまた事務所で模型づくり。秋にあるOZONEの展覧会の為に、軽井沢のゲストハウスの模型を作り始めてもらう。
MRHも少し考えはじめる。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。久々の坂路ですが、ふわふわすることもなくしっかりとハミを取って走っています。休養明けにしては重々しさも感じられず、素軽い走りです。
○ 2004/7/24
8:00過ぎ、起床。久しぶりにゆっくり起きた。
9:00、事務所。いつもは7:00頃自転車で来るが、7:00と9:00、この2時間で空気や日射しが全然違っている。サマータイム、良い習慣かもしれない。
KOH追加図面を付けて、山崎さんにファックス。
MRH、TKHの現調写真をメールでプリント注文。
映画のロケハンの実測、図面化。小道具の図面作製。
明日、打合せがあるので、決定稿を再読。
16:30、KRHの担当者来所。外壁の色見本を持ってきてくれる。クライアントに電話して、月曜日に見てもらうことにする。
MRHのスケッチ。
○ 2004/7/25
9:00、満天星。決定稿打ち合わせ。13:00過ぎまで。
その後、満天星のセット、満天星裏のロケセットで現地打ち合わせ。リハーサルで出た、セットの改良点などを打ち合わせ。16:00過ぎ終了。
今日も暑い。
自転車で、高円寺と東中野間を往復したが、行きは日曜の朝8:00台だからひとが少ないのは当たり前だとしても、夕方も何だかひとが少ないように思えた。これも暑いからか。
○ 2004/7/26
7:00、事務所。
7:30頃から雷。7:40には暗くなり、強い雨が降り始めた。ひとしきり降って10:00前には上がった。この雨で外は少し涼しくなった。
KOHのスケッチ。
10:00、木村今週より復帰。KRH、KOHの打ち合わせ、指示。
11:15、KRHの現場へ。外壁職といくつかの打ち合わせ、クライアントと。
さっきまで雨で涼しかったが、その後の日射しで蒸し蒸ししてきた。
午後一で、EMHの現場へ。ちょっとした変更が有り、高橋と現場確認。現場で変更案を決め、大工さんと打ち合わせ。クライアントからの要望の部分的な変更だが、使う側からしか思い付かない変更で、全体が一歩動いた感じだ。一緒に作ることの楽しさ。
写真をピックアップして、16:00事務所に戻る。
KOH、セットのことでいくつかの電話連絡。
OZONE面談資料を読む。KKHのスイッチ・照明などのプロット図のチェック。坂下へファックス。
ピックアップしてきた写真の整理。
○ 2004/7/27
今日も事務所に来る7:00頃は、風が有り、空気も乾燥していて過しやすい。
KKHのプロット図の修正。
木村とKOHの打合せ。11:00前、クリオネの高杉さんから連絡有り、KKHのAVシステムのクライアント打合せをしてきた、とのことで、帰りがてら事務所に寄ってもらうことに。
11:00過ぎ、高杉さん来所。AVシステムと建築の納まり打合せ。
13:30、事務所を出て神田のKBHへ。14:30、KBHを施工した建設会社の方が、KBHとほぼ同じような規模の住宅の建設を予定している方と、KBHを見学したいということなので、紹介してもらいながら案内をする。
帰りに、お茶の水の丸善で、「いまこそ読みたい哲学の名著・自分を変える思索の楽しみ」長谷川宏(光文社)、「宮本常一の写真に読む失われた昭和」佐野眞一(平凡社)、AERAMook「建築学がわかる。」を購入。
新宿のルミネにあった青山ブックセンターが好きで、時々途中下車して店内をぶらつくと、面白そうな本が見つかり楽しみだった。青山ブックセンターなきいま、またそんな書店を探せるだろうか。
17:00、阿佐ヶ谷。写真のピックアップをして事務所へ。
駅に着く度に開く電車の扉から流れ込んでくる空気が、お茶の水や新宿では生暖かったが、阿佐ヶ谷ではそうでもない。ヒートアイランド現象か。
○ 2004/7/28
今日も朝から良い天気。
KKHのAVシステムまわりの図面。坂下からメールで来た、プロット展開図のチェック。
映画用の資料整理。
BBHのエスキス。自分の中での方針がまとまる。クライアントに、今週末に打合せの時間をとってもらうよう連絡。
映画のセットに、大和町と事務所で使っている家具を使う予定だ。今度の日曜に飾り付けの確認を行うために、梁山泊のメンバーが、夜ピックアップに来た。
○ 2004/7/29
今日は台風。朝から時々強い雨が降る。
KKHのプロット展開図のプリント及びチェック。
OZONEの明日の面談の資料、再読。持参する事務所の作品の写真の整理。
KOHのエスキス。KKHのAVコーナーの打合せを、ファックスと電話で、クリオネの高杉さんと。図面化してファックス。
15:00、KRHの現場。納まりがうまく行ってないところを、担当者と打合せ。
昼過ぎから、晴れてきたと思ったら、急に激しい雨が降る。その繰り返しが何度も。まるで自然にからかわれているようである。
夕方、木村とKOHの打合せ。いろんなものがひとつの方向に向かって収斂していく感じが出てきた。
○ 2004/7/30
今日はまだ台風の影響か、晴れてはいるが雲が多い。
KKHの打合せ資料準備。KOHエスキス。
10:00、KKH現場打ち合わせ。主に設備の確認。11:30、終了。
14:30、事務所を出て新宿のOZONEに向かう。15:45からOZONE家づくりサポートの面談。その前に、資料コーナーにある雑誌を見るために、少し早く出る。
面談、17:15終了。
タワーレコード、「トランスフォーメーション」村治佳織。先週の土曜日J-WAVEで紹介していたもの。武満徹のギター曲が収録されている、最新のCD。
紀伊国屋書店、甲木君のインターンシップ終了記念品を入手のため。建築新刊のコーナーに、「0円ハウス」坂口恭平(リトル・モア)を見つけ、購入。
やはり、ルミネの青山ブックセンターがなくなったのは、淋しい。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。休ませたことによってトモを持ち上げる筋力が低下しているようです。以前よりも蹄の先端を引きずって歩いていますが、走っている最中は気になりません。調教の動きは上向いています。
○ 2004/7/31
8:00までゆっくり眠る。ここ何日か、小屋裏に寝ている。窓を開けておくと、気持の良い風がはいってきて、安眠できる。ここのところ、タイトなスケジュールが続くので、夏風邪はひきたくないので、空調に頼らず、安眠できるのはありがたい。
しかし、小屋裏は昼間一番暑くなるので、夜こんなに居心地良いとは思わなかった。さすがに、日射しが強くなる、8:00頃からは温度が上がってくるが、いつも起きてる6:00頃はほんとに、気持良い。 今日は、明け方また間欠的な驟雨があった。夏っぽい夏なのか。
9:00、事務所。日報アップ。KOHの図面作業。
10:00過ぎ、今日は木村も出てきて、KOHの図面作業。
15:00、BBHのクライアント来所、打合せ。何転かしたが、今日で最終方針が決まる。
18:00、大和町に戻り、KOHとMRHのエスキス。
○ 2004/8/1
10:00、東村山。東村山の倉庫で、「ガラスの使徒」のセット作りが進められており、今日は仮組み立てと飾りの確認。
13:00、演出部、撮影・照明部が現地に。
今回は、二組のセットを作る。東村山で作製して、ものつくり大学の実習室を借りて、建てて撮影する。まだ途中であるが、なかなか良い感じで出来上がりつつある。
炎天下で、風も強く大変な作業だったが、確認できて一安心だ。
全ての作業、17:30終了。
梁山泊と唐組のメンバー、それに手伝いの人達で叩いているが、劇団員はもちろん映画には役者として出ている。そのうちの何人かは、この後満天星でダンスの稽古があるらしい。大変だ。
こちらはばてばて。19:00前、高円寺着。チェ・ミキを呼び出し、大将へ。生ビールがうまい。
○ 2004/8/2
気が着けば、八月。
さすがに疲れて、7:00起床。今週も暑い日が続くらしい。
映画はいよいよ、あと一週間でクランクイン。
セット仮組写真、メールでプリント依頼。
構造の山崎さんから、KOHの伏図・軸組図のファックスがある。午後チェックバック。
KOHの仕上げ、設備関係の検討。
映画の美術の連絡事項、いくつか。
午後遅くからは集中できたが、なんだか落ち着かない一日だった。
○ 2004/8/3
今日は、朝過しやすい気温だ。
朝からKOHの実施設計の詰めの検討。
木村、高橋と打合せ。
映画のセットの電話連絡、検討。スケッチ作製。
ものつくり大学の甲木君、今週でインターシップが終わる。今週後半は、クランクインに向けて忙しくなりそうなので、18:30からお疲れ会。阿佐ヶ谷の東京コケコッコ本舗。
○ 2004/8/4
朝から蒸し暑い。
KOHの設備の検討、準備。
昨日演出部から出た変更点の対応検討。
10:00、KOH高橋と木村と打合せ。
10:30過ぎ、事務所を出て、自転車で満天星へ。
満天星裏のロケセットの手直しの打合せ。監督とセットの打合せ。
13:00過ぎ満天星を出る。
途中、中野法務局、区の出張所に寄り、KRHの現場にちょっと立ち寄る。
今日は暑い。
14:00事務所に戻る。
BBHの作業を少し進める。
17:00過ぎ、今計画中の建物の予算について、建設会社に来てもらいヒア−リング。
○ 2004/8/5
朝、風があり、過しやすい。
KOHの図面チェック。
8:00、事務所を出て新宿へ。
9:00から、花園神社にて「ガラスの使徒」のオールスタッフ。映画に関わるスタッフが集合し、顔合せ、脚本、撮影場所等の確認を行う。11:30終了。
11:30より、プロデューサーの郭さん、脚本・出演の唐さん、その他キャストも加わり紹介。
12:00より、花園神社の宮司さんによる、成功・安全祈願のお払い。12:30終了。
全てのスケジュール終了後、映画で使うレンズをアクリルで作製していただいた、株式会社北辰光器の北本さんに、研摩作業所のについて、この間の仮組セットの写真を見ながら、喫茶店で話を伺う。
14:30事務所に戻る。
TRHのサッシ納まり図、現場からファックスで来ていたもの、高橋とチェック。
KOHの実施図、チェック。木村と打合せ。
BBHのスケッチ。
○ 2004/8/6
ここのところ、朝はいつも同じような天気だ。
昨日木村がプリントアウトしておいてくれたKOHの図面チェック。
午後のKKHの打合せ準備。
10:00木村とKOHの打合せ。
映画で追加になった、装置の図面作製、メール。
今日から、大道具・装飾部はものつくり大学でセットの建て込みにはいっている。現地合わせの、いくつかの変更連絡あり。
13:00、事務所でKKHの家具・内装打合せ。
15:00終了。そのまま現場へ。現場で打合せ。16:30終了。
阿佐ヶ谷駅で、9日に草津の現調の指定券を購入。現調後、夜中之条の撮影隊に合流する予定。御盆に入るので、緑の窓口も混んでいる。指定のとれた列車も、指定残りわずかとのこと。しかし、これがゆっくり湯治だったら良いのだが。そんな時間もないかもしれないが、せっかく行くのだから、一風呂浴びたいところだ。
17:00、事務所。KKHの連絡。BBHスケッチ。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。余分な脂肪が取れて、筋肉質の好馬体です。ハミにもたれるようなところもなく、重心の低いスマートな走りです。
・・・何だか、良い感じだ。
○ 2004/8/7
ここのところ疲れがたまってるので、少しゆっくり寝ようと思うが、7:00前に目がさめてしまう。 7:30から一時間、延びに延びた定家葛を剪定する。西側の生活通路にはり出し、通行の邪魔になっている部分を苅る。蔦の奥のほうで、はちが巣を作っていた。横を通ったおばあさん二人から、「この木の香りが気持よいのよ。」と同じことを言われた。通行の邪魔になりながらも、少しは楽しんでもらってるんだなと思い、棄てたもんじゃないな、と安心。
一時間の剪定で、ギブアップ。もっと苅らなくてはならないところがあるが、通路を片付けたので、終了。
シャワーを浴び、9:00事務所。
KKHクライアントへ、電話連絡。
KOHの実施設計図のチェック。
昼に大和町に戻り、MRHのスケッチ。明日クランクインする映画の、スケジュール確認。明日の準備。
○ 2004/8/8
「ガラスの使徒」いよいよクランクイン。
6:30新宿出発。秩父のレンズ工場へ。
8:30前着。さっそく準備。撮影が始まる。
この工場の撮影のあと、東京に戻って、上高田で夜の撮影があるので、先発隊として昼前秩父を出て上高田へ向かう。14:00前、上高田着。
ロケセットに植えかえた木が枯れたりしていたのを、しまちゅうまで買いに行き植え変えたり、京都から送ってもらったレンズ研摩関係の物を飾ったり、準備。しかし、暑い。
秩父の撮影隊は関越の事故渋滞に巻き込まれ、予定よりだいぶ遅れている。
18:00過ぎ、撮影隊上高田に到着。夕食後、19:00から準備開始。
その前に、レンズの装飾の打合せを行う。
20:30本番開始。このシーンは人物は登場しない。主役は蛙。蛙の名演技でスムーズに撮影終了。21:00過ぎ、撤収。
10:00過ぎ、大和町に戻る。ながーい一日だった。くたくたである。
このような膨大なエネルギーを使いながら、今日撮った分は本編中の何分になるのだろう。映画。まさに夢を紡ぎ出す作業と言えよう。しかしこれを産業とすることは、非常に難しいのでは。このような作業を通して出来上がってくるものが、どう社会に受けいられるかは、まさしくその社会がどう言う社会かによるだろう。そして、その社会とどのような関係性を持つかを考えたものでないと、存在の意味のあるものは出来上がってこないだろう。そういう意味では、建築とも似ている部分もある。
○ 2004/8/9
6:30、起床。
明日は早朝から群馬で撮影。そのため、今日は中之条前泊。準備と昨日の写真取り込み、7:30、事務所。
KOHの実施図の打合せを木村と。BBHのスケッチ。
11:30過ぎ、事務所を出て上野へ。13:00上野発の草津5号で長野原草津口へ。撮影隊に合流する前に、OZONEでプレゼン予定の、草津の敷地の現調。山の天気は変わりやすい。霧が深くなったと思ったら、雨が降り始める。17:00前、バスで草津の山を降り、吾妻線で中之条へ。
18:00過ぎ、少し前に到着していた撮影隊に合流。脚本・出演の唐さんやキャスト・スタッフの食事会に参加。中之条・美野原カントリー倶楽部に宿泊。
○ 2004/8/10
5:45、美野原カントリー倶楽部出発。群馬県立天文台へ。
石橋蓮司さん演じる、天文学者のシーンの撮影。
エキストラで参加。石橋蓮司さんと絡むうえに、急に台詞ができ、それも英語だったため、焦ってしまう。久々の役者で、冷や汗もの。
撮影は16:00、テンポよく終了。撤収後帰京。途中小さな渋滞があり、20:00過ぎ新宿着。
一度事務所に立ち寄り、21:00大和町。
チェ・ミキが土曜から浜松に行っていたが、浜松から姪の伽耶を連れて帰ってきていた。明日から、映画の撮影が満天星裏であるので、一度見てみたいということで来京。映画や芝居も見たいそうだ。
西荻から、母が入院したとの連絡あり。
○ 2004/8/11
8:00、満天星裏上高田のロケセット。
9:00、撮影開始。
午前中は薄曇りで、凌ぎやすい。少し押しながら撮影は進む。昼食後、太陽が必要な撮影の時には、ピーカン。いまのところ、天候を初めとして、うまくこちらの都合どおり進んでいる。
16:00前、事務所に戻るために、上高田を出る。
途中、KRHの現場にちょっと寄って、16:30事務所。
夜にかけて、KOHの見積図面を建設会社2社に渡し、見積り依頼。
○ 2004/8/12
今日から16日まで、事務所もお盆休み。
少し、エネルギー切れなので、日報も御盆休み。
今日からスタッフは盆休み。
7:30、上高田ロケセット撮影。
9:30、チェ・ミキと伽耶、浩美が撮影現場の見学に来る。
14:00過ぎ、上高田を出て事務所に。途中、写真ピックアップ。
日報のアップ。KOHの実施図コピーなどをして、資料を持って大和町へ。
奥村君に電話をして、ハローワークの求人について教えてもらう。宮沢さん、建築をやめて好きなことをやってくことにした、とのこと。うらやましい。
18:30伽耶と一緒にニ楽亭でホルモン。
○ 2004/8/13
7:00起床。
映画の劇車両の件で気になることがあり、梶村に電話をしたら、昨日は押して12:00過ぎまで撮影だったそうだ。今日のスタートは一時間遅らして、8:30に変更とのこと。
皆ヘロヘロだろう。
8:00事務所。
KOHの実施図を見直す。
昼、大和町に戻り、MRHのスケッチ。方向がみえてきた。
シーン変わりに、セットの確認(解体シーン)に行くことにしており、梶村からの連絡を待っていたが、昨日の撮影の遅れの影響か、結局明日になる。
夜、西荻から連絡あり、母の状態あまりよくないとのこと。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。裸足のままで鍛えていきたいと考えていますが、蹄の先端がすり減って今後の調教に支障をきたす恐れもあるため蹄鉄を装着しました。動きは至って良好です。
○ 2004/8/14
7:30、上高田撮影開始。
午前の撮影の最後に、シーン変わりの飾り変えを確認。
上高田を出て、途中大和町でシャワーを浴び、事務所へ。
14:00、KOHの実施図の説明。16:00終了。
すぐ上高田へ戻る。解体シーンの前で撮影終了。
19:30から金監督、阿部助監督と東中野のむらさきで生ビール。
○ 2004/8/15
朝から雨。7:30、撮影開始の判断。雨の中の解体シーン。
12:00前、解体後の飾り替えの確認をして、大和町に戻る。
15:00、吉祥寺で父と待ち合わせ、野村病院へ。
原因がわからず、あまり良い状態ではないと聞いていたが、元気そうで少し安心する。週明け早々、杏林病院に移って検査を改めてするそうだ。回復を祈るだけだ。
16:00、吉祥寺に戻り、父とチェ・ミキと李朝園へ。父にもからだ気を付けてもらわねば。
○ 2004/8/16
8:00事務所。
撮影現場のデジカメデータの整理。裏日報。
今日から木村は出社。
KOH打合せ。BBH の図面作製指示。
KKHの施工図チェック。
借りっ放しの本を返しに、図書館へ。
午後引き続きKKHのチェック、及び連絡。
15:30、事務所を出て満天星へ。明日から満天星内のセットで撮影が始まるので、その確認。しかし、上高田の撮影が押し、着いた時はまだ上高田の片付け中。
17:00過ぎ、満天星を出て五反田イマジカへ。18:30、今までのラッシュ。19:30過ぎ終了。 随所に唐ワールドの片鱗があるが、これがどう仕上るかは見当もつかない。
20:30満天星に戻る。セットの飾り付け、出来るとこまでやって、21:30満天星を出る。
○ 2004/8/17
7:30、満天星。
今日から満天星に作ったセットでの撮影。
9:00、撮影開始なので皆準備で忙しく動いている。
セットは照明が入り、ぐっとムードが出てきた。
21:00前、今日の分の撮影全て終了。
○ 2004/8/18
8:00、事務所。
満天星での撮影は続いているが、セットとしては昨日と同じ状況なので、今日は事務所。
デジカメデータの整理。木村とKRHの確認事項。
KKHの施工図のチェック。
16:00、KRHの現場。もうすぐ引き渡しなので、現場担当者と状況確認。
MRHのスケッチ。
撮影の状況連絡、明日の打合せ。
○ 2004/8/19
7:30事務所。
夕方打合せがあるKKHのチェック。
木村とKOHの確認申請図面打合せ。
昨日メールでプリントアウト依頼しておいた、映画の撮影現場の写真をピックアップ。
13:30に事務所を出て、満天星へ。来週高崎で行うロケで使う道具の確認。満天星内のセットでの撮影が、押しながらも進んでいる。皆疲れぎみの様子。
15:30に満天星を出てKKHの現場へ。
16:00KKH現場打合せ。
18:00終了。
しかし、昨日と今日はまた暑い。蒸し蒸しする。陽が落ちるのも早くなってきた。これが残暑で、9月に入ったら涼しくなると良いが。
○ 2004/8/20
7:00事務所。
KKHクライアント打合せの準備。
9:30KKHの現場へ向かう。10:00クライアント打合せ、現場で。内外の仕上げの決定。
11:00前終了。
KOHの確認申請のため、木村がいくつかの民間機関に、判断しかねている部分の問い合わせをしたが、それぞれ答えが違う。建築基準法はあまりにも煩雑になり過ぎているのではないか。
MRHのスケッチ及び作業。展開しすぎたので、一度このあたりでまとめてみることにする。
15:00事務所を出る。HMHのクライアントに紹介していただいた、クライアント候補を訪ねる。
その後、EMHの現場に行くが、進捗状況が聞いていたのと随分違うので、高橋に連絡して担当者に連絡とるように指示。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。順調に18秒前後のキャンターを消化しており、今のところテンションが上がりすぎる心配もなさそうです。フットワークには伸びがあり、センスを感じさせる走りです。
○ 2004/8/20
その後、ユーロスペースに「子猫をお願い」を見に行く。チェ・ミキも一緒に。
とても暗い話だが、それを感じさせない。貧困、生涯、国籍、性差、家族など広い視点を持った映画だった。全編等して、丁寧に作られており、どう言う映画にしたいかを、監督が良く分かっている映画で、監督が映画を良く知っている。インチョン(仁川)の風景も良かった。
○ 2004/8/21
朝、明日からのロケの準備の連絡を梁山泊の梶村ととる。
銀行によったり、買い物して、9:30事務所。
昨日ファックスで依頼しておいたKKHのオーデュオの配線図が、クリオネの高杉さんからファックスバックされていた。すぐに現場担当者に電話連絡したら、たまたまこちらに向かってるとのことなので手渡す。
明日の天気を確認。「夜を賭けて」の撮影の時、僕が韓国のロケセット入りすると大雨や霧になり、嵐を呼ぶ男と言うことになっていた。今回の「ガラスの使徒」の撮影でも、上高田のロケセットでの終盤、僕が現場に行くと強い風が吹いてきたり、解体シーンでは雨になり、現場を離れたら雨が上がったりしている。
明日は高崎市役所前で早朝撮影のスケジュール。この日しかないというスケジュール。美術的にはあまりすることないので、夕方からの高崎の別の場所でのロケの準備に、昼頃到着する段取りにした。
2、3日前の天気予報では、曇り一時雨だったが、さっき天気予報見ると、曇り。どうにか持って欲しい。
MRH、NKHの作業。
13:00、チェ・ミキと母親の入院している病院へ見舞い。
KRHの足場ばらしだったので現場に行くが、まだシートが取れたところだった。
クライアントと決めた色が、良い感じで仕上った。
○ 2004/8/22
10:25、上野発の高崎線、高崎行き乗車。
12:00、高崎着。ロケセット現場の高崎電気館ビルへ。
高崎市役所前では撮影が行われているが、大道具・装飾のメンバーの何人かが先乗りして準備中。
夕方、照明部も入り、準備ほぼ完成。
明かりが入り、独特な空間が出来上がった。
18:30、スタート。
2時間くらいかけて、監督が演技をつける。それをもとにカット割りを確認し撮影開始。
スタート直前から、ぽつりぽつりと雨。やはり僕が呼んだ雨か。しかし、それ程強くない。
今日のシーンは雨降らしのシーンなので、あまり影響ない。
ワンシーンずつ、撮影が進む。まわりには、出演者の中島みゆきさんや唐十郎さんを見ようと、見学者がたくさん集まっている。皆口々に、映画の撮影ってこんなに大変なんだ、とか、この建物がこんなにきれいになるんだ、とか話している。そうです、大変なんです。
明日の夕方からもこの場所で撮影が続くが、飾りの変化がなく、明日は打合せがはいっているので、22:30の新幹線に乗って帰京。
○ 2004/8/23
朝、事務所。
撮影現場の写真整理、銀行、日報アップなどの雑用。
午後、TRHの詳細打ち合わせ、高橋と。TRHは30、31日の建て方が決まった。その週末に現場に同行願えないかの連絡メール。楽しみだ。
MRHのスケッチ。
16:00、ホッブスの山根さん来所。BBHのキッチンについて打合せ。クライアントへ連絡の依頼。
夕方、高崎のロケ現場の梶村に連絡。昨日は3:00終了だったそうだ。今日も雨が少し降っているとのこと。今日の撮影は17:00からなので、少しは休めたのか、元気そうな声だった。
○ 2004/8/24
8:00、事務所。
メールチェックや諸々の連絡。
10:00木村が朝KRHの現場に寄ったら、遅れていた階段が入ったと聞いたので、心配な部分もあり現場担当者に連絡。当初の打合せと違う部分が出てきているようなので、10:30前現場へ向かう。
今日は渋谷で13:00からロケなので、11:30には渋谷のロケ現場に行っていよう、と思っていたのだが。
KRHの現場で階段の確認と打合せ。11:00過ぎ、渋谷のロケ地へ向かう。
12:00前、渋谷のロケ地に到着。高崎の現場から今朝5:00に帰京したとのことで、皆ヘロヘロ状態だ。
準備して、13:00過ぎテスト開始。
撮影が始まったので、14:00過ぎ渋谷を離れ、26日に撮影予定の都立豊島病院へ。
別部隊が医療器機メーカーから借りてきたものをセットしている現場の確認。16:00終了。
東中野まで車で送ってもらい、KRHの現場に寄って階段確認し、事務所にもどる。
明日の現場で、病院の様子を確認してもらうために、デジカメプリント依頼。
いくつかの連絡事項と打合せ。
久しぶりに暑く、慌ただしい一日だった。
○ 2004/8/25
8:00、国立。
今日は国立の学園通りに面した、テラバヤシさんの事務所の前で撮影。
朝は雲行き怪しく、雨が降ってきたが、すぐ上がり薄曇りの天気が続き、過しやすかった。早朝のシーンを技術的な処理で撮影しているので、曇りでよかった。
15:00には、国立での撮影終了。
その後、東小金井に移動。骨董店での撮影。20:00終了。
一日撮影に立ち会う。
○ 2004/8/26
朝7:30、都立豊島病院。
今日は病院のロケ。24日に仕込んでおいたところに、今日持ち込んだものを飾り、9:00過ぎ撮影開始。
狭くて、ガラスの多い場所で、手持ちカメラのワンカットなので、その段取りだけでも大変。
最初のカットがOKになったのは。12:00過ぎ。
14:00過ぎ、病院を出てKRHの現場へ。一部荷物が運び込まれたので、確認に。
16:30、事務所。
今週、外に出ていることが多いので、連絡事項や雑務で過ぎてしまう。
○ 2004/8/27
7:00事務所。
メールや雑務。
KKHの施工図チェック。打合せ資料整理。
MRHのスケッチ。少しづつ進めている。
最近この日報、気付いた時にその時間までの部分を書き留めるようにしている。そうしないと、次の日に何をしたか思い出せないことがある。いろんなことを同時にやってるから、って事もあるが、もちろん肉体的なこともある。
いろんな計画のスピードが落ちているようにも思う。判断が遅くなってるようだ。良いことなのか、良くないことなのか。(もちろん効率で言えば、良くないのだが。)
NZHのエスキスも少しづつ進める。
14:00前、事務所を出て西麻布のマンションへ。
9月1日のロケの場所だが、部屋が変わったので確認。
16:30、五反田イマジカ。ラッシュ。
18:30、終了。演出、撮影、照明、記録の方達と五反田で少し飲む。
21:30前、高円寺。今日は阿波踊り。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。相変わらずトモを引きずって歩くため、2週間に1回の早いペースで蹄鉄を履き替える必要があります。ただ、今のところ蹄に関するトラブルはありません。気合いの乗りが良く、単走でもすいすい走ります。
○ 2004/8/28
8:00、事務所。
プリント依頼、メール、連絡など。
10:00からのKRHの事務所・施主検査の後、大和町で作業をするための資料整え、9:00過ぎ、事務所を出て大和町へ。
10:00、KRH。クライアント、事務所検査。いくつかの残工事があるが、その日程も確認し、11:00終了。
外構は、クライアントのお知り合いで、西荻窪で鉄加工のアトリエを開いている、深沢さんが担当する。深沢さんは偶然だが、なんと僕の荻窪中学の一年先輩。楽しみだ。
大和町で、NKHのエスキス。2つの基本線がでる。
1日のロケに飾る物を、大和町で物色していたら、いくつか使えそうなものがあったので、梶村に連絡。夕方、車で取りに来る。
入手したままの本や、新聞の整理。
○ 2004/8/29
朝から雨。少しゆっくり寝て、8:30起床。
NKHのエスキス続き。
北海道マラソンを見ながら、引き続き、本や新聞の整理。
14:15、チェ・ミキと大和町を出て、吉祥寺へ。
15:00、吉祥寺で父と落ち合い、母の入院している杏林病院へ。
先週始め、病院を移って、ずいぶんと元気になった。少し安心した。
帰りのバス、井の頭公園口から吉祥寺駅まで、雨のせいか混んでいて20分位かかるとアナウンスがあったので、井の頭公園口で降りる。食事しようと話していたところ、駅までの途中に「いせや」があることを思い出し、父の希望で「いせや」へ。本当に久しぶりだった。
○ 2004/8/30
8:30、事務所。
メールでプリント依頼してあった写真のピックアップ。
いくつかの連絡事項、日報アップ。
KKHのバルコニー施工図、坂下からのメールで送られてきた図面と合せてチェック。
木村とKOHの質疑、BBHの打合せ。
今日明日が、山梨の白州のTRHの建て方だったが、現場に確認してみたら、台風の影響で1、2日に延期したとのこと。
昼過ぎ、1日のロケで使おうと思っている、洋雑誌を高円寺と阿佐ヶ谷の古書店に探しに行くが、収穫無し。ヴォ−グとかエルを探したが、地域性が違うのか、一切無かった。
途中、KKHの現場に寄る。上から、間仕切の下地が施工されつつあった。ユニットバスも納まっていた。
16:00、KKHの現場担当者、来所。バルコニーの図面打合せ。
MRH図面作業にかかる。
○ 2004/8/31
7:00事務所。
台風一過、というより、過ぎ去りつつある。
8月も今日で終わり。映画撮影も今週と来週が最後の山だ。いろんなことが、ぐっと動く9月の前半になりそうだ。
MRHの図面作業。フリーハンドでエスキスしていたものを、きちんとした線に置き換えていくと、またみえてくるものがある。
9:15事務所を出て、満天星へ。今週初めから、いろんなところでロケが続くので、美術部は人手が足りない。タイアップでお借りするガラス作品を、ピックアップする手が無いので、唐組の辻さんと僕が行くことになった。
10:00過ぎ、満天星を出て西新宿のテセラ・アートというガラス工房へ。いろんな作品を見せていただき、今回のセットにあいそうなオブジェを何点かお借りする。仕事の写真を見せてもらう。いろんな仕事をされている、まさにブリコラージュ的工房だった。どうしても工芸的なデザインの仕事が多いので考えてしまうが、こういう工房的な仕事と、自分の仕事のつながりをどう考えていくか、と言うことも面白そうだ。
12:00過ぎ、満天星に搬入して、渋谷に向かう。
食事をして、渋谷の古書店でセットの飾りに使う、洋雑誌を購入。
渋谷から池ノ上のEMHの現場へ。午前中現場担当者と打合せだった高橋が現場におり、現場で何点か打合せ。もう一息なのだが、ここにきて段取りがうまくなく、工程が遅れている。
14:30現場を出る。
15:30事務所。
KKHの階段図チェック。
○ 2004/9/1
朝6:00、東麻布の高級レンタルマンション。
今日はこのマンションの一室を飾り変えて撮影。
7:00撮影開始。20:00前撮影終了。
明日からは群馬県中之条で撮影が始まる。
○ 2004/9/2
6:15新宿スバルビル前出発。
群馬県中之条町の四万ダムに、9:00過ぎ到着。
あいにくの雨。ダムでの撮影は明日に延期し、古い廃校を改装した伊参スタジオ(「眠る男」がここで撮影された)で車の留め置き撮影。
その後、吾妻線・小野上駅でロケ。雨はやまない。
同じく廃校になった、旧五反田小学校で、水中シーンの合成実写部分の撮影。
昔の教室に置いてある、机や楽器、農機具を並べ替えて、飾りつける。
22:30終了。
○ 2004/9/3
宿舎を7:00に出て、四万ダムへ。
今日は良い天気。ダム湖に浮かぶ、ゴミの撤去に手こずりながらも、順調に撮影は進む。
13:40に中之条駅に到着する役者の出迎えの車に乗せてもらい駅へ。
13:42発の吾妻線に乗り、東京へ向かう。
17:00前。東京駅着。事務所へ電話すると、色々な問題が起こっている。
電話連絡をいくつかして、今日は事務所に行かずに大和町に戻る。
○ 2004/9/4
8:00事務所。
問題点の処理、連絡など。
9:30事務所を出て、三鷹へ。
駅でTRHのクライアントにピックアップしてもらい、山梨県・白州へ。
1、2日に建て方の終わったTRHの現場へ。
12:00白州に到着。美味しいおそばをご馳走になる。このあたりは、南アルプスの天然水が湧き出ており、サントリーの醸造所もあるくらいで、その水で煎れたコーヒーも美味しい。
13:00現場へ。車から降りたとたん、眼にはいった屋根に感激。
ワクワクして現場を回る。上棟時にこんなにワクワクしたのは久しぶりだ。
屋根の色を決め、簡単な上棟式を行い、14:30過ぎ帰路に付く。
上棟時のこの感覚を最後までなくさないように、と心を引き締める。
18:00前、事務所に戻り、いくつかの連絡事項。
○ 2004/9/5
7:30起床。
連日のデジカメで撮影したデータの整理。
来週から入る、ものつくり大学に建て込んであるセットに飾るために、中之条で撮ってきた写真をピックアップ。
それだけだと足りないので、いくつかの写真を撮る。
TTHとMRHのエスキス。たまった新聞等の整理。
14:30チェ・ミキと大和町を出て、三鷹の杏林病院へ。母の見舞い。
杏林病院に移ってから、どんどん良くなっている。少し安心した。
帰りに西荻に寄り、父の手伝いをして、一緒に食事をする。
阿佐ヶ谷に戻り、神明宮のお祭りの夜店をひやかす。金魚2ひき。
○ 2004/9/6
8:00、事務所。
メールのチェックや電話連絡。
9:30、KRHの現場へ。土曜日家具が入ったので、その確認。いくつかの残工事の確認。
10:00、事務所に戻る。
木村とBBHの打ち合わせ。
午後一で打合せの、KKHの階段施工図の訂正。
高橋に、EMHの状況確認と、TRHの現場状況の説明。
13:00、KKH。クライアントと仕上の打ち合わせ。その後、現場担当者と細かい打合せ。
15:00、事務所に戻る。
15:30、KOHの見積りが先ず1社から出てくる。
17:00、もう1社から見積りが出てくる。
木村に見積チェックと比較表作成を指示。
17:45、事務所を出て五反田のイマジカへ。
19:00からラッシュ。
○ 2004/9/7
9:00新宿スバルビル出発。埼玉のものつくり大学へ。
明日からいよいよ撮影の大詰め。ものつくり大学に建て込んだセットでの撮影。
今日は明日からの準備作業と段取り・コンテ確認。
20:00終了。大道具と装飾・小道具を担当している梁山泊のメンバーと、準備で足りないものの買物に出掛け、近くの健康ランドで風呂に入り、食事をして23:00にものつくり大学の宿舎に戻る。
○ 2004/9/8
8:00前東京から本隊が到着。さっそく撮影準備。
ものつくり大学のフィニッシュ研修棟を借りているのだが、作業棟なので空調が入ってなく、すべて締めきり、暗幕を張っているのでとても暑い。セットの中は照明が入り、さらに暑い。役者も大変だ。
押しながらも撮影が進み、22:00撮影終了。
22:30から、今までの荒つなぎのラッシュ。
24:00前、終了。
ものつくり大学、宿泊。
○ 2004/9/9
8:00撮影開始。
昨日より涼しく、少し助かる。
16:30まで、撮影に立ち会い、ものつくり大学を出て事務所に向かう。
18:00事務所。
メールチェック。スタッフとの打合せ。明日の打合せ準備。週末の打合せの連絡など。
○ 2004/9/10
8;00事務所。
撮影時にとった写真の整理。
木村とKOHの見積査定の打合せ。
今日午後一の打合せのTTHの昨日の準備の続き。
12:00事務所を出て、駒場東大前。13:00TTHの打合せ。
14:30終了。池ノ上のEMHの現場へ。
足場も取れ、外観が確認できる。選んだ鋼板の色も良い。内部も大工工事は終了し、塗装工事にはいっている。空間のつながりが独特で、おもしろいスペースが出来上がっている。
現場の帰りに、吉祥寺の駅ビルの書店に寄ったら、村上春樹の新刊が平積みされていた。阿佐ヶ谷で買おうと、阿佐ヶ谷駅側の書店に行ったら、無い。聞いたら、すぐ売り切れてしまったとのこと。
吉祥寺では一杯あったのに、阿佐ヶ谷あたりでは、少ししか入ってこないのか。そう言えば、「少年カフカ」のメールのやり取りで、地方では発売直後は入手しにくい、というのがあったが、とほほである。
17:00前、事務所に戻り、EMHで気になったこと高橋に伝える。
木村とKOHの見積り査定の再打合せと、クライアントからの要望事項の整理。
外から帰ったら、ファックスでクランクアップまでのスケジュールが届いていた。もう少しだ。
たまっている日報、アップ。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。気のいいタイプなので、攻めすぎには注意しています。脂肪がつきにくい体質で、すっきりした好馬体です。
○ 2004/9/11
8:30、事務所。
今日の打合せの準備や雑用、買物などであっという間に時間が過ぎる。
14:00、KOHのクライアント打合せ。先週出てきた見積の説明及び、実施設計図に対する要望と確認。
建設会社を決め、地鎮祭の日程なども打ち合わせる。
17:00終了。資料を整えて、KKHの現場へ。
いくつかの確認事項。間仕切の下地も終わり、ボードが張られ始めている。
○ 2004/9/12
午前中、NKHのスケッチ。概様まとまりつつある。
13:30大和町を出て、モノレール・大井競馬場前の倉庫の中にある、「湾岸音響」というレコーディングスタジオに向かう。
クライアントが今日ここでレコーディングを行っており、手作りのスタジオで雰囲気が良いということで、参考に拝見する。
ツーバイフォー材を使ったライト風の設えで、手稲に作ってありながらも、素人の手による納まりの緩さが、居心地の良さを醸し出している。こういう工事をプロにやらせるのが、一番難しいが、好きな雰囲気なので何か考えてみよう。
夕方、大和町に戻り、ケン・ローチ監督の「Sweet・Sixteen」をビデオで借りてきて見る。
「ガラスの使徒」のスクリプターの石川さんのお薦めの映画。
ビターだけれど、タイトルはスイート。映画の中で、家が象徴的に扱われており、考えさせられる。今読んでいる天童荒太さんの「家族狩り」にも、家が重要なキーワードで、興味深い。
○ 2004/9/13
6:00前、大和町を出て、高崎線の吹上のものつくり大学、8:00前着。
8日から続いている、ものつくり大学に建て込んだセットでの撮影に。
イメージシーンに使われる強化ガラスの搬入が今日の予定。急に強化ガラスになったので、色々なところにあたって、納期ぎりぎりだったので、確認の為に立ち会い。スケジュールでは、その撮影が今日の予定に変わったので、何時に着くか心配だったが、電話で確認したより早く、13:30過ぎに搬入され一安心。
今日の撮影は、すでに撮影終了しているラストシーンのひとつ前のシーンで、複数の俳優が入る芝居の最後のシーン。血のりや弾着のシーンもあり、押してガラスの撮影は明日になった。
20:00過ぎ、撮影の続くものつくり大学を出る。
イメージ・物の撮りや、中之条で雨のため撮れなかった風景の撮りなど、撮影は後二日あるが、僕の立ち会いは今日が最後。無事のクランクアップを祈る。
ありきたりの表現だが、まさしく、長かったようで終わってみればあっという間。
明日からは、建築に集中。
○ 2004/9/14
8:00、事務所。
メールチェックや連絡事項。
高橋とTRHの電気設備の打ち合わせ。上棟後、順調に工事は進んでおり、電気配線などが進んでいる様子。
午後、KRHの現場担当者が増減の見積を持って来所。その場で査定し、改訂を依頼。
16:30、KKHの現場へ。坂下と。バルコニーの鉄骨がつき、内部のボード張りも進み、着実に完成に近付いている。
夕方事務所に戻ると、映画撮影の明日分の最後のスケジュールがファックスで届いていた。いよいよ明日クランクアップ。
○ 2004/9/15
8:00、事務所。
進行中のいろいろなプロジェクトの打合せと、スケッチ。
昨日からプリンターの調子がおかしい。うまく紙が送られず、途中で止まってしまう。
普段当たり前に使っているものが、突然使えなくなると、とたんに不便を感じる。
健康な時に健康のありがたさを感じないのと一緒だ。
木村がタクシーで新宿の修理センターまで持っていくが、部品交換が必要で21日までプリンターなしだ。
プリンター無しで、どれだけ困るか。楽しみだ。
○ 2004/9/16
朝9:00に調布で構造の吉田さんにピックアップしてもらい、吉田さんの車で白州へ。
11:30、白州の現場着。
4日に来た時より、もちろん進んでおり、壁の構造用合板も張られ、より良い感じになってきている。
吉田さんも特に大きな指摘も無かった。60度に振れた建物なので、軸組難しかったかと思うが、大工さんが丁寧にきれいに立ち上げてくれた。
こういう現場をみると、やはり大工さんの良し悪しに大きく左右されるのが実感される。
昼に、甲州ほうとうを御馳走になり、15:00打ち合わせ終了。
今回車で来たのは、なにか建築を見て帰ろう、と考えて。昼食の間、現地に詳しい現場担当者にインターネットで調べてきたいくつかの建物の行きかた、時間などを聞いたが、東京に戻らなくてはならない時間もあり、近郊のものを見ることにする。
TRHを施工する会社が以前施工して雑誌に載ったもの、とその近所で施行中のある設計事務所が設計したものを外から見て、八ヶ岳美術館へ。村野籐吾設計、1979年完成。
町立の美術館で予算が無かったのか、仕上はあっさりしている。しかし、その平面計画は独特で、とても90才のひとが考えたものとは思えない。
19:00過ぎ、東京に戻る。
○ 2004/9/17
8:00、事務所。
一昨日壊れたプリンター、修理センターでは不具合の症状出ず、クリーニングのみで終わった。
あまり不自由を感じずに終わってしまった。
9:00過ぎ、事務所を出てEMHの現場へ。
本当は今日事務所検査のだが、まだ終わって無い工事も多く、残工事の確認に終止。
11:00過ぎ、クライアントも来て、今後のスケジュールの確認。
12:00過ぎに現場を出て、高橋とクライアントは購入する家具の確認に。
僕は新宿に。桂花で桂花。
その後歌舞伎町のハローワークへ。
職安通りは、完璧に韓国のソウルの裏町のようだ。空気がそうだ。
ハローワークで求人表を申し込む。
スタッフをひとり探しています。最低一軒は、設計監理の担当をしたことがあるひとで、うちの事務所に興味があるひとは、連絡下さい。
今週は映画も終わり、その緊張も抜けたことと、その影響で滞っていたいろんなことをこなしてきたので、バッテリーが切れぎみになってきた。(「スイート・シックスティーン」の台詞)
気分転換に、ラピュタ阿佐ヶ谷に映画を見に行くことにして、19:00事務所を出る。
19:20、「関の弥太ッペ」山下耕作監督・1963年。全体に凄くオーソドックスに作られ、入り込みやすいが、大事なところではさり気ない仕掛けがある。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。厩舎の周りを歩かせる程度の運動をしています。今週中の入厩を予定していましたが、洗い場で暴れて左トモ飛節に外傷を負ったため延期することとなりました。圧迫包帯で処置していますが、坂路調教再開まで時間はかからない見込みです。
○ 2004/9/18
8:00まで熟睡。9:00事務所。
日報のアップ。現場からの質問事項のファックスの返答。11:00からの打合せの準備。
11:00、TRHのクライアント打ち合わせ。一昨日現場に行った時、外壁や造作材の切れ端をもらってきたので、その確認や設備の確認、いくつか。
昼過ぎ、大和町に戻り、NKH、TTHのスケッチ。
夕方、買物に。純情通り商店街の肉屋に、久しぶりに牛筋が500gあった。
○ 2004/9/19
久々に、今日は仕事を一切しないと決める。
朝刊を讀んでから、夏の間に延び切った定価葛とカロライナジャスミンの剪定。とにかく凄い繁殖力だ。一時間かけてざっと刈り取るが、もう少し秋が深まったら本格的に刈り取ることにする。
シャワーを浴びて、ビール。
ビールを飲みながら、天童荒太さんの「家族狩り」の最後をゆっくり讀む。読みごたえのある小説だった。色々なことを改めて考えさせられた。一言では言えないが、考え方が少し変わったように思える程の、影響を受けた。
昼に、一昨日新宿の玉蘭で買ってきた肉まん。久しぶりに食べたら、やはりうまい。
テレビを見ていたら、少し寝てしまう。
少し寝て、目がさめたところで、クランクイン前に見て感動した「汚れた血」レオス・カラックス監督を見る。
何度見ても、わからない部分がありながらも、次々と変わっていく画像に引込まれてしまう。暗いシーンが多く、映画館できちんと見たい。「ガラスの使徒」の助監督の阿部さんも「汚れた血」が好きで、ブラウン菅でみると色彩がきついが、スクリーンで見るともっとしっとりとしてる、と話していた。 しかし、ラストのカットは何度見ても、唸ってしまう。
夕方、牛筋を煮る。
チェ・ミキが火曜から金曜まで韓国に行っていて、松茸を買ってきたので、小さな七輪を買ってきて、炭火で焼いて食べる。
○ 2004/9/20
深夜から、急に下痢になり、何度か目がさめる。
腹の調子がまだ少し変なので、気になり7:00に起きてしまう。
7:30過ぎ事務所。
留守録にはいっていた伝言の連絡。日報アップ。メール返信。
現場の写真をメールでプリント依頼。
EMH本来なら明日引き渡しだったが、まだ搬入されてない物があったリ残工事もあるので、17日に残工事の打ち合わせをしたが、それ以降現場の動きが改善されておらず、なんだかなし崩しに工事が延びて行っていることを、監理不足だとクライアントからお叱りを受ける。
たしかに、ここまできてきちんとした日程も決まらず、毎日現場に状況を確認すべきところを、現場任せにしすぎていた。自分の甘さが情けなくなる。
気を取り直し、建設会社と担当者に連絡。休日だが連絡とれ、現場の状況と明日の作業の確認の打合せを段取る。
進行中のプロジェクトの作業をして、16:00事務所を出る。
17:00現場着。建設会社の担当者とひとつひとつ未搬入、残工事の工程を確認。18:30、クライアントにも来ていただき、明日以降の作業の確認をする。
○ 2004/9/21
8:00、事務所。
TRHの現場との連絡。KKHの確認事項。
昨日のEMHの確認事項について高橋と打ち合わせ。
いろんな電話がかかってきて、なかなか打合せが進まない。
TRHの打合せを含め、午前中いっぱいかかる。
昼過ぎからは、木村とBBH、KOHの打ち合わせ。
その後、NKHのスケッチ。
17:00過ぎ、事務所を出て、EMHの現場へ向かう。
昨日の打ち合わせ通り出来ているかの確認。何点か問題があったが、どうにか予定通り行っているようだ。
それにしても、昨日のクライアントからの一喝は、良いタイミングだったかもしれない。
何もないところから計画を立ち上げていくことには何の苦もないのだが、最近歳のせいもあるのか、設計や現場での細かい詰めが面倒に感じていた。自分でも良くないとは思いながら、その煩雑さから距離をとっていた。
でも、ものつくりの楽しさは、それらの煩雑なことをひとつひとつクリアーして行くことでしか実感できず、達成感も得られないことは良く分かっているつもりだったが。
それらの面倒からの逃避が、最近の基本設計の思い切りの無さにも、微妙に影響を与えているようにも感じる。ある種の充実感の無さもそれが原因かもしれない。
昨日の一件で、随分迷いが吹き飛んだ。
バッテリーがオーバーホールされたようだ。
○ 2004/9/22
7:30、事務所。
昨晩来ていたTRHの現場からの質疑の連絡。
KKHの打ち合わせ図面の準備。EMH気付いたところを現場指示。
9:00、事務所を出てKKHの現場へ。外部足場も外れ、順調に進んでいる。
10:00過ぎ事務所に戻る。
高橋と昨日のEMHの状況とTRHの打ち合わせ。
木村と午後一打ち合わせのBBH、KOHの確認。
13:00構造の山崎さん来所。BBH、KOHの構造打ち合わせ。
14:30終了。予約してあった本が準備できた、との連絡が図書館からあったので、取りに行く。
TTHのスケッチ。
16:00、事務所を出てEMHの現場へ向かう。
現場、しゃきっとするには今一歩、生みの苦しみというところ。
○ 2004/9/23
朝、写真をピックアップして、8:30事務所。
メールや雑事。10:00過ぎ事務所を出て、KOHの地鎮祭へ自転車で向かう。
11:00KOH地鎮祭。今日は暑くなく、過しやすく良かった。
12:00前終了。
夕方の打合せの準備。
14:30モダンリビングの野間さん来所。
16:00前事務所を出て、構造の吉田さんの事務所へ。
NKH、MRHの打ち合わせ。面白い案が出て、内容の濃い打合せだった。
18:30終了。六本木からバスで渋谷に向かう。
19:30「ガラスの使徒」の打ち上げ。
主だったキャストとほとんどのスタッフが集まった。みんな笑顔だった。
21:30終了。監督、唐さん、佐藤めぐみさん、唐組、梁山泊のメンバーで二次会。
○ 2004/9/24
昨日遅かったので、8:30事務所。
NKHの図面作業開始。
昨日EMHの現場を見てきた高橋と打ち合わせ。またもや問題点発生。
EMOカーテン取付の為に、高橋が現場に行くので、担当者と良く打ち合わせるように指示。
13:00過ぎ、坂下来所。KKHの現場に行って、スイッチ、コンセントの確認の指示。
EMHの現場の高橋から電話があり、またもや問題点が見つかる。結局、担当者が図面をよく見ていない事が、原因だ。僕も高橋も呆れて、空いた口が塞がらない。
15:30過ぎ、KKHの現場に行き坂下に合流し、現場打ち合わせ。
夕方、振込みなどを忘れていたので、銀行へ。
高橋に予定変更して、今日は事務所に戻らなくても良いので。現場できちんと担当者と詰めてくるように指示。
今日は一日、NKHの作業。
今週は休みが多く、自分は仕事に集中できたが、何だかあっという間に一週間が過ぎた、という感じだ。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。左トモの外傷はほとんど問題なく、すぐに乗り出すことができました。10月上旬の入厩を考えています。
いよいよ入厩。
○ 2004/9/25
9:00、KKHの現場。クライアントとスケジュール確認といくつかの打ち合わせ。
10:00終了。いくつかの連絡事項があり、すぐ昼になってしまった。
14:00、BBHのクライアント打ち合わせ。実施にはいる前の最終打ち合わせ。
17:00終了。NKHの作業を続ける。
○ 2004/9/26
朝から大和町でNKHのスケッチと作業。
14:00に大和町を出て、EMHの現場へ。明日が延びに延びた引き渡しで、今日キッチンがはいるので、その確認。
昨日のBBHの打合せで、EMHと同じ仕上材の提案をしたので、EMHのクライアントにお願いして、BBHのクライアントに現場を見せてもらう。
EMH細かい部分はまだ残っているが、明日どうにか引き渡しはできそうだ。
16:00過ぎ終了。
16:30吉祥寺でチェ・ミキと待ち合わせ、杏林病院へ。
入院中の母は、ずいぶん良くなっているが、この一ヵ月以上歩いてないので、ベットへの出たりはいったりはできるようになったが、自由に歩いて自分のスペースから出ることができない。
それがもどかしいらしく、いらいらしていた。
身内のそういう状態を見ていると、急に、道をゆっくりつえをつきながら歩いている老人が目にはいってくるようになる。自分勝手なものだ。
<石山修武の日記0920>
父と暮らせばのシナリオを読んで色々と考えた。世の中は、健常者そして生きている人間ばかりで成り立っているわけではない。体や気持ちに傷を負った人と混在しながら世界は成立している。この現実を的確に把握した社会論が必要な気がしてならない。それをベースにした論の成立も急務であろう。と、偉そうな事言う前に、これは私がやらなければならない。モダニズム・デザインへの本能的な距離感は、そのデザインの枠組みが抽象的思考、あるいは趣向を成立させ得る知識人、教養人をベースにし、又、それを対象としている事なのだ。
○ 2004/9/27
朝8:00事務所。雨が振っていて肌寒い。
NKHの作業。朝、高橋と木村が出社して来たところで、打ち合わせ。
OZONEのプレゼンが30日に迫ってきているので、明日から全員でかかることにする。
14:00過ぎ、事務所を出てEMHの現場に向かう。やっと、今日引き渡し。細かいところはいくつか手直し、未施工はあるが、暮すにはどうにか問題ないところまで行った。
増減、工事が遅れたことのけじめは、改めて打ち合わせることにして、鍵が渡され、取扱い説明。
17:00前、高橋に任せ、現場を出て事務所に向かう。
電車の中で、今「センセイの鞄」川上弘美を読んでいる。センセイと教え子が居酒屋で出会い、その付き合いが季節を追って書かれている。
「太陽」に、一月毎に連載されたものだそうで、きっとその号に合わせて季節が変わっていったのだろう。
ちょうど秋から冬にかけての部分を読んでおり、二人が行く居酒屋で、鍋や熱燗、湯豆腐のはなしがでてきて、今日のような日には、熱燗で鍋も良いなとしみじみ思ってしまう。
「蛇を踏む」も良かったが、川上弘美、小説読みの書いた小説、いいね。
○ 2004/9/28
8:00事務所。
私も高橋も木村も終日NKH。
そうはいってもなんだかの連絡事項等ある。
EMHは第一陣のお母さんの引っ越し、どうにか無事終わったようだ。天気も良くて、良かった。
15:00、KKHの現場で外構の打ち合わせ。
戻って引き続きNKhの作業。
夜、梁山泊のメンバーが、映画のセットに貸し出してあったテーブルを返却に来てくれた。
○ 2004/9/29
8:00事務所。
昨日と同じような一日。
高橋と木村はプレゼン用の模型作り。
○ 2004/9/30
台風一過。本当に今年は台風上陸が多い。少し蒸し蒸しする。
8:00過ぎ、事務所。
メールチェック等の雑用。
今日のプレゼンの準備。
10:00、高橋と木村に模型の手直し指示。
11:00前、今日から阿佐ヶ谷の地域区民センターで、父親が参加している、絵を描く趣味のグループの「しいの実会絵画展」が始まるので、お祝いの花を買って訪ねる。
まだ、絵を飾ったりの準備中をしているところだった。
改めて見に来る事を約束する。
早飯をして、12:00事務所を出る。
13:00から、OZONEでNKHのプレゼンテイション。始まる前に、今OZONEの企画で展示してある軽井沢のゲストハウスの模型を、確認する。
プレゼンは、尾関さんと駒田さん御夫妻の3者。
このプレゼン、いつもそう思うのだが、計画してる時は多分こんな案のバリエーションが皆から出てくるのだろうな、と思っているのだが、実際見てみると三者全く違っている。
これがとても刺激になる。今自分が考えていることを客観的に見直す良い機会になっている。
今回も、とても面白かった。
今日で9月も終わり。
8月、いや6月のロケハンから始まり、9月中に終了した映画と同時進行で、今日のプレゼンが決っていた、OZONEのNKHの提案も終わった。
同時進行とは言え、映画撮影終了後ダッシュをかけたが、他の進行中の現場もあり思うように進まず、プレッシャーになっていた9月末を無事終了。
6月から続いた、肩の力がやっと抜けた。
長く、ハードな夏が終わった。
○ 2004/10/1
朝8:00事務所。
昨日で一区切ついたせいか、昨日の夜から風邪ぎみで、鼻が出てこまる。
今朝も、鼻は止まらず、風邪の症状がある。
ちょっと緊張が切れただけでこの様。なんて安直な体だろう。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。いつでも入厩できる状態です。先日の併せ馬ではテンに行けなかったものの、中盤あたりからは長く良い脚を使っていました。再度、蹄鉄を履き替えています。
○ 2004/10/2
風邪がまだ続いている。
事務所でメールやら雑用。
打合せを1件。午後には大和町に戻って、休養することにした。
昨日、打ち合わせに出た後、集中力がなかったので、事務所に戻らず、「誰も知らない」を渋谷で見た。
14才の男の子が、カンヌで最年少で日本人初の主演男優賞をとって話題になった映画だ。
監督は是枝裕和さん。「ワンダフルライフ」を見て、気になっている監督。
「誰も知らない」は父親の違う4人の兄弟(12才を筆頭に男の子二人、女の子二人)が、母親に置き去りにされ、誰にも知られずに生きていく話だ。
88年に実際にあった事件から発想されている。
置き去りにされることに対する恐怖は、けして子供だけにあるのではなく、大人の中にも確実にある事を、改めて感じた。
そのなかでどう生きていくか。演出を極力排して撮影されているため、(行き当たりばったりというのでなく、周到な準備の上撮影されているが)4人の子供達に感情を寄せ過ぎるとあまりにも悲しく、画面を見ていられない。その中で、映画らしい部分が挟まれると、少し余裕が出る。
88年に事件がおきてから、実際に映画にするまで15年の時間が必要だった、とパンフレットにあった。
それを読んで、「ああ」と思った。映画を見終わってから、ずっと考えていたことは、「何故、この事件を映画にしなければならなかったのか」と言うことだった。
パンフレットの監督の言葉等を読むと、少しづつその気持が分かってくるが、正直いまだ何故と思っている。
撮るのに15年かかっているのだ。そんなに簡単に、答えは見つからないだろう。
でも、何かを表現すると言うことの、ひとつの意味をここから得られそうな気がする。
○ 2004/10/3
昨日ゆっくり寝たので、少しは風邪が良くなっている。
11:00お茶の水。KBHの一年点検。お子さんたちもすっかり大きくなった。
14:00前、大和町に戻る。
雨が良く降る。
お茶の水の行き帰りに「センセイの鞄」の最終章を読み終わる。
「家族狩り」「アフターザダーク」「センセイの鞄」と読み続けてきて、再び中上健次を無性に読みたくなってきた。
夕方まで、大和町で休養。
夕方から、高円寺・ニ楽亭で父親と食事。
○ 2004/10/4
風邪もだいぶ良くなったが、まだ少しのどがいがらっぽいし、腹の調子もいまいちだ。
雨は降り続いている。
事務所のファックスに、金久美子(キム・クミジャ)さんの通夜・告別式のお知らせがはいっていた。
土曜の夕刊にも記事が出ていた。
久美子さんを初めて見たのは、黒テントの芝居で、すぐファンになってしまった。もう20年以上前か。面識もなく、ただ芝居を見ているファンだったが、新宿梁山泊に参加したことで知り合うことが出来た。
まだ45才。ここ何年かで僕のまわりでも、癌で二人の友人がなくなったが、久美子さんも癌だった。 あまりにも早すぎる。
午後一で、もうすぐ工事が始まるところの近隣の説明。
先週たまっていた、現場からの質疑を返したり、連絡事項を中心に段取りをいくつか。
夕方事務所を出て、大和町で礼服に着替え、久美子さんの通夜へ。
懐かしい顔が沢山だった。
○ 2004/10/5
本当に良く続く雨だ。
昨日の夜、母が今日の午前中に退院することになった、と父から電話があった。
約60日入院をしていたことになる。
雨で大変だろうが、久しぶりの家で嬉しいのではないか。
10月にはいって、やっと建築のペースが完全復調した。
午後、西荻に電話をしてみたら、無事退院し家にもでって来ていた。
今週末から来週にかけて、ばんばん予定が入り始めた。
新国立劇場の小劇場をさらに小さく区切って、舞台の息吹が客席に伝わるような空間での芝居の試みが行われている、と夕刊にあった。TheLoftと銘打たれている。
何日か前に、新国立の小劇場の「胎内」三好十郎の広告を切り抜いてあった。
それがTheLoftでの芝居だった。
三好十郎の芝居を一度見てみたかった。前回新国立の「浮標(ブイ)」は見のがしてしまった。
さっそく明日予約しよう。
○ 2004/10/6
雨あがった。
沢山の雨に洗い流され、空気が澄んでいる。
いつのまにか青空は、映画のクランクインした頃の濃い青から、爽やかな秋の青に変わっていた。
竣工間近で内部仕上に珪藻土を薄く吹き付けているKKH、昨日までの雨で珪藻土が流れてしまうらしい。
引越が迫っているので、そんななかでも塗装続けざるを得ない。
午後、現場に行ってみる。
とりあえず引っ越しには間に合いそうだが、今週末の天気がまた雨。水道の引き込み等があるので気になる。
MRHの1次案まとめに入る。
○ 2004/10/7
今日も良い天気が続いている。
「ガラスの使徒」の撮影現場日記もクランクアップまで行った。(高橋さん、お疲れ様でした。)
こうやって終わってみると、懐かしく思い出し、あっという間だった出来事が、随分昔の事のように思えてくる。
それくらい、日々を過すことに終止してしまっているのだろう。
けれどそれが現実で、これからもそうした日々が続くのだろう。
だから、こんなメモのような日報も、自分の中では少しは意味のあることになるのかもしれない。
夜、飲み会。
坊主をもらう。
○ 2004/10/8
良い天気も昨日まで。大きな台風が来ているようだ。
唐組はいま新宿でテントを張っている。明日の夜行くのだが、天気予報図を見ると一番関東に近付く時だ。大丈夫だろうか。
朝、ふと大和町の隣の空き地を見たら、背の高い植物が群生し黄色い花を咲かしている。せいたかあわだちそうだ。この空き地、原っぱ原っぱしていてよいのだが、昔だったらこんな原っぱあったら、子供達の格好の遊び場になってた。いまは誰も遊んでいない。
昼前、事務所を出て調布の東京現像所へ。ラッシュを見る。
17:00、KRHクライアント宅へ。
夜、今日も飲み会。
雨が激しくなってきた。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。左トモの外傷はかさぶたになってかわいており、問題はありません。テンションが上がりすぎることもなく、入厩まで今の状態を維持するだけです。
○ 2004/10/9
台風が、午後から夜にかけて関東接近、もしくは上陸の予報。
秋になって雨が良く降る。
午後予定していたKOH打合せ、クライアントから連絡あり、台風の影響を考え11日に延期する。懸命な判断。
それに引き換え、夜予定している唐組行きは、予定通りに行くつもり。どんな状況になるのか。
そして、17:00大和町を出る。
歩き始めて最初は、ちょっと強い雨だな、と思うくらいだったが、途中から凄い風。
高円寺駅につく頃は、びっしょり。駅のアナウンスでは、早めの帰宅を呼び掛けている。
この時点で、後悔しつつも、もしテントが風で飛ばされた時の覚悟をし、わくわくも少し。
新宿でお祝いの酒を買い、地下道を通って西口公園先のテントへ向かう。
雨はさっきより小降りになっている。西口公園脇の道路は、樹木に守られて風も少ない。
テントにつくまで、時に突風を受けながら到着。
テントのまわりの劇団員の動きも慌ただしく、受付の女優陣も緊張感のある顔をしている。
開場までしばし、トラックの中で雨宿り。
ところがなんと、18:45開場の為に番号順に並ぶ頃には、雨も風も止みかけてきた。空の上の雲の動きは、コマ落しの映像を見ているように早いが、雲も切れ切れで星も見える。
この天候ながら、お客さんは200人位いる。
19:00を少し押して、「眠りオルゴール」初日開演。
テント内も、外も、シーンとして真空状態の中にいるような感じだ。
2時間半の2幕の芝居。あっという間に終わってしまう。久々の大スペクタクル。入り乱れる時空。
終演後テントでの飲み会で、鳥山さんが「昨日の夜12:00に唐さんが、自転車を漕げばつく電燈を2つ探してこい。」との指示をだした、との話をした。どんな状況でも芝居を続けることを考えるテント魂がそこにあった。
エキサイティングな一夜だった。
○ 2004/10/10
台風一過したが、スッキリしない天気。
風で飛ばされた葉っぱで汚れた玄関先を掃除したり、KKHの現場にちょっと寄って買物に行ったり。
午後は大和町でスケッチ。
台風で、隣の空き地のせいたかあわだちそうどうなってるか見てみたら、傾きなながらも健在だった。
○ 2004/10/11
朝起きたら、今日も曇り。
事務所に向かおうと大和町を出たら、雨が降っている。
最近東京の天候は、急に暑くなり、暑さが終わったと思ったら、急に肌寒くなる。
過しやすい、爽やかな春や秋が本当に短い、極端な天候になっている。
13:00、KOHのクライアント打ち合わせ。
15:00、KKHの現場。
18:20、中野光座(廃館になった映画館が時々、芝居等に使われている)で、鳥越さんと待ち合わせ。
トリさんの知り合いのお子さんが、黒テントの「ピランデッロ」という芝居に出ている、とのことで一緒に見に行くことになった。
本当に久しぶりの黒テント。
完全な台詞劇で、台詞の量も多い。多分普通にやったら3時間近くなるのではないかと思う芝居を、斉藤晴彦さんの超人的な台詞術で、正味2時間の芝居にしている。
次々とくり出される台詞に、脳か覚醒状態になってしまう芝居だった。
その後、トリさんとトリさんと一緒にいらした山口さんとチェ・ミキと中野で少し飲んで話す。
○ 2004/10/12
今朝も、変な天気だった。
朝9:00頃までは雨が降っていたが、だんだん晴れてきた。
天気予報では雨、と言っている。
雨は午後になってやっと降ってきた。
15:00過ぎ事務所を出て、EMHへ。細かい残工事の確認。まだ少し残っている。
引越が終わって、まだ片付け途中だが、お母さんの部屋はまるで引越の前にいらした部屋を、きれいにリフォームしたかのように、ゆったりと落ち着いていた。
○ 2004/10/13
朝から、白州。TRHの現場。
東京は雨だったが、小淵沢ははじめ曇っていたが、午後には晴れてきた。
現場は順調に進んでいる。
電気、設備、内装工事の細かい打ち合わせ。
陽が暮れるととたんに寒くなった。職人さんたちも口々に、寒いと言っている。
夕方のあずさに乗って、帰京。
○ 2004/10/14
朝、事務所でメールや連絡事項、いろいろ。
10:00、KKH。昨日荷物の引っ越しだったのでその確認。
昨日のTRHの写真整理と打ち合わせ事項の整理。
午後もメールや連絡事項が沢山。
16:30、EMHの現場担当者来所。残工事、増減の打ち合わせ。
などなどをやっていると、一日があっという間に過ぎてしまう。
特に今日は、ちょっとした連絡や来客が多かった。
昨日は現場で一日、内容の濃い打ち合わせが出来ただけに、今日はなんだか上滑りの一日になってしまった。
○ 2004/10/15
今日は久しぶりに気持の良い天気。
朝、KKHの引き渡しの準備。
9:30、KKH引き渡し。
午後、高橋とTRHの現場報告、打ち合わせ。
TTHのスケッチ。
建築は構想を考えたり、スケッチをしていれば良いのなら楽しいのだが、実際には様々な問題が持ち上がる。
時々それらが煩わしくなり、テンションが落ちてゆく時もあるが、今はどうにかそれらに対峙してゆくことからエネルギーをもらっているような状況にある。
あまり良い事ではないが、悪くもないな。
<マイネポリーヌ>
15日(金)美浦の高橋裕厩舎に入厩しました。左トモ飛節の外傷で厩舎へ送り出すのが1ヶ月遅れてしまいましたが、状態は当時と同じく良好です。他馬がいなくなると寂しがる幼い性格でもあるので、しばらくは僚馬を付けて乗り込みを進めていくことになります。
いよいよ入厩。
○ 2004/10/16
朝、KKHのクライアント及び事務所検査。
11:00前事務所。
14:00、TKHのクライアント打ち合わせ。
一週間があっという間に過ぎていく。
○ 2004/10/17
午前中、BBHの図面チェック。
12:00に大和町を出て初台の新国立劇場へ。
新国立の小劇場を半分に仕切った空間「ロフト」で、「胎内」三好十郎作(1949年作)・栗山民也演出を見る。
三好十郎は昔、NHKかどこかでその評伝の番組を見てから、一度芝居を見てみたいと思っていた作家だ。
休憩無しの2時間の舞台は充実していた。
出演者3人で美術も抽象化された、芝居らしい芝居のひとつの典型だった。照明が素晴らしかった。
帰ってきてから、何日か前の朝日新聞の扇田昭彦さんの劇評を読む。
「題名の『胎内』とは、3人を閉じ込める暗く湿った壕のことだろう。この『胎内』は社会的存在としての人間を消去し、生命存在としての人間を掘り起こす。皮肉なことに、彼らがそれを自覚した時、死はもう目前に迫っている。この設定は普遍的だ。」
帰りに新宿に寄り、プリンターを買って、高野4階のコニカミノルタプラザの鈴木豊写真展「ガウディ時空の神話」http://konicaminolta.jp/about/plaza/schedule/october/gallery_bc.html#1へ。
鈴木さんの独特な撮影方法によるガウディの建築空間の写真。その空間に佇んでいるような気持になる。
グエル公園が世界遺産の登録され、清掃されきれいになり過ぎたり、サグラダ・ファミリヤの工事の進み方が急ピッチになり、観光客も凄い人数が押し寄せるようになっていて、写真を撮る気持を高めるのに苦労した、と話していた。
写真から、空間の存在感が充分伝わってきた。
○ 2004/10/18
朝晩、めっきり寒くなってきた。
この間まで、半袖でも暑かったのに。
朝、いくつかの連絡事項やメール、日報アップ。
木村とBBHとKOHの打ち合わせ。
15:00、日活調布撮影所で「ガラスの使徒」のフィルムラッシュ。
ビデオ編集で1時間51分にしたものを、現像してフィルムにしたもの。
やはり映画は、暗い中フィルムで見るに限る。
18:00過ぎ事務所に戻り、いくつかの連絡事項等。
○ 2004/10/19
今日からまた雨が降るようだ。
大形の台風も本州上陸の可能性があると言う。
9:00過ぎ、坂下来所。いくつかの打ち合わせ。
11:00前、阿佐ヶ谷の皮膚科へ。顔に炎症ができ、町の薬局で買ってきた軟こうを塗っていたら、よけいにひどくなってきた。医者にそれを見せたら、炎症がひどくなるほうの薬だ、といわれた。
14:00過ぎ事務所を出て、15:00、OKBの打ち合わせ。
○ 2004/10/20
昨日からの雨が降り続き、鬱陶しい。朝、布団から出るのに、決心がいる。
雨は雨でもちろん良いこともあるが、これだけ雨が多いと陽の光が恋しくなる。
人間も植物と同じで、太陽光から元気をもらうのだな、と感じる。
10:00、現場担当者とKOHの現場へ。
事務所に戻って、確認申請と図面を渡す。
TRHの気になっている部分のチェックとメール。
15:30、MRHのクライアント打ち合わせ。
夜になって、雨や風が激しくなってきた。
○ 2004/10/21
台風一過だがすっきりしない。
午後、青葉台に。
6年前に設計した住宅の屋根が雨漏りしたので、工務店と訪ねる。
6年前はまだ空き地だらけだったが、今はまわりに住宅が建て込んでいる。
すっかり変わっていて、びっくりしてしまった。
○ 2004/10/22
朝からいくつかの連絡事項。
9:00荻窪の会計士事務所に、決算の伝票を持っていく。
銀行に寄ったりし、10:00前事務所に戻る。
振込みをしていたら、同じ支店の口座に振り込むのに、手数料が取られている。振り込み手数料の表を見たら、10月1日からの表が小さく張ってあり、同支店でもかかるように変更されている。
後ろめたさが、もろに感じられた。世知がない世の中だ。
昨日の新聞でも「環境税」という、なんだかわからない税金の記事が出ていたが、計画経済にすることで現在の社会は成り立っているというが、計画してこれでは、トホホじゃなのかな。
10:30、ザ・ハウスの干場さん来所。
新しく入社したので、各事務所をまわっている、その一環。
12:00に事務所を出て、EMHへ。
増減の説明を建設会社と一緒にクライアントに。
15:30事務所に戻り、KOHの現場に。ついでに近くのリフォーム候補地をのぞいてみる。
その行帰りに、KKHに寄り、外構の工事の確認。
夕方事務所に戻り、連絡事項諸々。
今日は、落ち着かない一日だった。
ただ、やっぱり、陽の光は気持ちが良い。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。環境の変化に動じることもなく、素直に指示に従っています。僚馬と併せ馬でのキャンターを消化しており、ゲート練習も無難に消化中です。
○ 2004/10/23
今日も秋晴れ。心地よい。
朝、雑務やスケッチ。
12:00前、求人の面談。
13:00事務所を出て、EMHへ。KOHのクライアントと同行。仕上の材料の施工例として見せていただく。
見学の後、近くの喫茶店で打ち合わせ。
16:30三鷹市民ギャラリー「牛腸茂雄展-自己と他者-」。
牛腸の写真は、雑誌や写真展では理解されず、何度も何度も見てもらうことで、良さがわかる写真なので、写真集でないとだめだ、と本人が言うように、派手さのない、硬い尖った鉛筆で描かれたスケッチのような写真だった。
だから、淡々と一枚づつ歩みを進めていくしかない。
展示の最後に「SELF AND OTHERS」という映画がビデオ上映されており、それを見ることによって、少し牛腸の写真に近付いた感じになった。
この映画がとても良くて、誰が監督か販売しているビデオのクレジットを見たら、「阿賀にいきる」の佐藤真だった。撮影も素晴らしかったので確認したら、田村正毅。
地下でこのビデオを見ていたのだが、その最中に地盤がグニュグニュねじれるような動きの地震。
後で、新潟の大きい地震だったことが分かった。
○ 2004/10/24
散らかったテーブルまわりを片付ける。
菊花賞、コスモバルク4着。地方馬のクラシック初制覇ならず。
「たそがれ清兵衛」のDVDを借りてくる。
いま「山田洋次の<世界>-幻風景を追って-」切通理作著(ちくま新書)を読んでいるので。
昔、ぼくも寅さん論を書いたら面白い、と思っていた。
まだ途中だが、この本、切通理作の言いたいことを山田洋次の映画を利用して書いているようにも思えなくもないが、そんな物か。
映画のエンドクレジットに、装飾:島村篤史とあり懐かしかった。「夜を賭けて」では、島村さんにお世話になった。
「『しきり』の文化論」柏木博著(講談社現代新書)を読み終わる。期待して読み始めただけに、拍子抜け。
○ 2004/10/25
薄曇り。
朝、メールや日報のアップ。
今日は朝からEMHの賃貸部分の写真撮影。高橋が立ち会っている。だんだん晴れてきた。
木村と打合せしたり、KKHの現場にちょっと行ったり、進行中のプロジェクトの確認をしたり連絡が入ったり。
月曜日はなんだか、いつも落ち着かないことが多い。
○ 2004/10/26
今日は朝から雨。どんよりしている。
台風24号は低気圧に変わりそうである。
大きな災害の後には、冷たい雨が降るような気がする。
9:30事務所を出て、新宿のハローワークまで。
10:30事務所に戻り、BBHの仕様を考えはじめる。
13:00過ぎ、クレディースイスの小林さん来所。
15:00頃から終日、集中してBBHの仕様検討と図面チェック。
雨の日はのってくると、集中しやすい。
○ 2004/10/27
ほぼ終日事務所でスケッチと打ち合わせ。
午前中に明日の白州行きの回数券を購入に。
13:00坂下来所。木村も含めBBHの打ち合わせ。
16:00MRHのクライアント来所。先日のプレゼンに対する要望のヒア−リング。
進行中のプロジェクトの連絡事項が結構頻繁に入る。
夜、木村にKOHの検討事項指示。
梁山泊がもうすぐ公演なのだが、稽古を見に行くタイミングが合わない。
「唐版・風の又三郎・2004」で、去年の再演なので、セットはそのままだそうだが、構成や演出が随分変わったらしく、一度は稽古見ておきたいと思っていたが、無理のようだ。
お客さんになったつもりで、東京初日を楽しみにするか。
皆さんも是非見に来て下さい。
詳しくは、下記の新宿梁山泊のホームページを御覧下さい。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~s-ryo/
○ 2004/10/28
8:00、新宿発のあずさに乗ってTRHの現場へ。
高い山の上は、すでに雪で少し白くなっている。下のほうでは、木々が少しづつ紅葉を始めている。 朝晩は本当に寒くなってきたそうだ。でも日中、陽が射すと暖かいので、朝股引をはきたいくらい寒くても、まだ我慢してるそうだ。
現場はガラスも入り、仕上の木工事も進み、とても良い感じになってきた。丁寧な仕事をしてもらっている。
夜BSで、十何年か前劇場で見た「刑事ジョン・ブック/目撃者」をやっていので、途中から見た。ストーリーは至極単純なので、飲みながら見ていた。
アーミッシュが集まって納屋の建て方をやるシーンがあり、地面で組んだひとつの通りのフレームを、何人もが手や棒で押しながら、反対からロープで引っ張り上げて建てていた。そのやり方が梁山泊のテントを建てる方法とまるっきり同じなので、笑ってしまった。立ち上げたフレームを、何人もがたかって、つないでいるところも、同じような風景だった。
○ 2004/10/29
朝事務所。
メールチェックと昨日の現場写真の整理とプリント依頼。
9:30、図書館に寄って、荻窪の岩崎公認会計士事務所。決算が出来たので取りに行く。
昨日一日いなかったので、なにかと慌ただしい。
坂下が区役所で、BBHの法的な確認事項を打ち合わせしてきてくれたので、それをもとに最終チェック。
高橋が今月一杯で退所。すなわち今日で終わりなので、ひとりでまるで引越のように整理を進めている。
17:00、事務所を出てEMHへ。
20:00新宿のタイ料理屋で高橋の送別会。吉田さんも参加してくれた。
吉田さんと2:00頃まで飲み続ける。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。手綱からもしっかりとした感触が伝わってくるように、前向きな気持ちで調教に臨んでいます。ゲートの上達も早く、間もなく試験の目処がたつ見込みです。
○ 2004/10/30
さすがに二日酔いぎみ。
10:30、KOHの現場でレベル・地縄の確認。
今日明日、阿佐ヶ谷は「ジャズ・ストリート」というイベントなのだが、雨で寒く可哀想だ。
明日は近くの第9朝鮮学校でも、コリア・フェスティバルがあると、電柱にチラシが張ってあるが、天気予報は雨。こちらも可哀想だ。
○ 2004/10/31
天気予報がはずれ、時々陽も射す天気。
午前中に買物がてら、第9朝鮮学校のコリア・フェスティバルに行ってみた。時間早かったようでまだ始まっていなかったが、2、30人のひとが並んでまっていた。
「山田洋次の<世界>-幻風景を追って-」切通理作著(ちくま新書)を読み終わる。
ある時代までの、ある階層の日本人が生きていた世界を、山田洋次は映画で描いており、それを切通理作を「原」風景とは言わず、「幻」風景と言っている。
確かに、向田邦子にもそのような「幻」風景があり、それは非常に魅力的だ。
川上弘美の「センセイの鞄」にもあてはまるかもしれない。
何故だか、久しぶりに「夜を賭けて」をとても見たくなり、DVDを見た。
○ 2004/11/1
今日から11月。
10月で退社した高橋の席は空いたままだが、しばらくこの体制でやっていくしかない。
雨の予報だったが、どうにか降らずにすんでいる。
決算の振込みや、雑用。いつものように、月曜日は連絡事項が多い。
進行中のプロジェクトのスケッチを進めながら、木村と坂下がBBHの実施設計のまとめの作業にはいっている。
○ 2004/11/2
朝は霧が出ていたが、9:00を過ぎて晴れてきた。
10:00、KKHへ。外構の打ち合わせ。
BBHの設計と積算依頼の準備。
午後ちょっと出て、知合いからファックスで送られてきた、近くの敷地候補を見に行きながら、近くの古書店・銀星舎に梁山泊の「唐版・風の又三郎2004」のポスターとチラシを持っていって置いてもらう。
明日のザ・ハウスの面談準備をしたり、なかなかまとまった仕事ができない。
夜帰ったら、小樽のビレッジ・バンガードの柴田君から、注文していた本が沢山届いていた。
○ 2004/11/3
秋晴れ、ちょっと手前、といった天気。
10:30、ザ・ハウス新宿店で面談。
昼頃になり、まさに秋晴れ。暑いくらいだ。
14:00、KOHのクライアント打ち合わせ。
16:00、求人面接。
夕方、KKHの現場へ。
夜、新聞を読んでいたら、「チルチンびと」と言う雑誌の、住宅の成分表示と言うような特集の広告が出ていた。
先日読み終わった、「山田洋次の世界」に、生産者名の入った野菜が出てきた時、山田洋次がそんな状況を嘆いた、というような文章があった。
変な方向に進んでいるのだな。日本と言うシステムが、信じられなくなって来ているのだな、と感じた。そして、それがまた商売になるのだな、とちょっと考え込んでしまった。
○ 2004/11/4
今日も良い天気だ。
朝から、BBHの実施設計、見積り準備。
午後、一段楽してTRHの内装仕上のサンプルの確認と手配。
MRHのスケッチ。
KKHの外構の様子を確認に行く。
成すがままにしておいたら、自分の席のまわりが、足の踏み場もなくなってきたので、少しづつ整理しているが、いらなくなった資料の山で、少し整理したらあっという間に広々した。
無駄なものを溜め込み過ぎているので、もっとこまめに整理すれば良い、と言うことは分かっているのだが、なかなか。
○ 2004/11/5
秋晴れが続きそうだ。
気持ちが良い。
10:30、HMHへ。
午後、TRHの電気器具と仕上の打合せの準備。
MRHのスケッチ。
<マイネポリーヌ> 美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。スタートダッシュが速くなり、先日、ゲート試験に合格しました。まだまだ時計が詰まりそうな手応えで、加速してからの動きには見どころがあります。
○ 2004/11/6
11:00、TRHのクライアント打ち合わせ。
13:30、坂下、木村とBBHの実施設計アップ、まとめ。
夜、「ほえる犬は噛まない」のDVDを借りてきて見る。
国民性を徹底的に皮肉りながら、憎めない世界が描かれていた。韓国映画のパワーを感じた。
主演女優は、「子猫をお願い」でとてもよかったペ・ドゥナ。チェ・ミキの「猫の前は犬なんだ。」という感想が笑えた。
○ 2004/11/7
とにかく、定価葛とキャロラインジャスミンの繁殖力は凄い。
またお隣の屋根壁にくっ付きそうになっていたので、剪定。
しかし、これも限度がある。そろそろ笹隈さんにお願いするか。
牛腸茂雄展のカタログを見ていたら、三鷹の前に8/6〜9/5の間、出身地の新潟でも開催されていた。
そしてその後の地震。その時、三鷹の牛腸茂雄展で、牛腸のドキュメンタリーを見ていた、ということが改めて、結びついた。
読みかけだった、「山田宏一の映画教室vol.1 フランソワ・トリュフォーの映画誌」(平凡社)を読み終わる。
トリュフォーの映画に現われる、いくつかのキーワードについて書かれた本。山田宏一の池袋のコミュニティー・カレッジでのレクチャーをまとめたもの。この短いレクチャーの後に、そのシーンを見ると言う構成だったようだ。受けてみたいレクチャーだ。
映画好きの監督が、その映画の中で映画のマイスターに敬意をはらい撮影したシーンを、映画好きの山田宏一が嬉しそうに披露するという、純粋な楽しみに溢れた本。
「レオス・カラックス-映画の二十一世紀へ向けて」鈴木布美子著(筑摩書房/リュミエール叢書13)を読む前に、見ておこうと夕方、「汚れた血」のレオス・カラックスの「ボンヌフの恋人」を見る。
「汚れた血」のほうが格段に良かった。
良くわからないことが、この本を読めば謎ときされるか。
○ 2004/11/8
朝、薄曇り。
メールチェックに日報のアップ。
BBHの図面の最終チェック。構造との照合。
午後、建設会社に見積用図面を渡す。
夜、木村とKOHの打ち合わせ。
寝る前に少し、昔昔に拾い読みした「映画術・ヒッチコック/トリュフォー」山田宏一・蓮実重彦訳(晶文社)を少し再読。
トリュフォーが50時間かけて、ヒッチコックにインタビューしたものだが、序文から面白い。
○ 2004/11/9
秋晴れは続いている。
10:00、建築、設備、電気の担当者と、KOHの打ち合わせ。
午後、MRHのスケッチとKOHの木村との打ち合わせ。
14:00過ぎ、KKHへ。外構工事がほとんど完了して、良い感じになっている。細かい修正部分とオーディオ部分の確認。
帰りに銀行に寄り、普段あまり寄らない阿佐ヶ谷南口の「ふるほんや」という古書店に寄ったら、「ルル・オン・ザ・ブリッジ」ポール・オースター(新潮文庫)が見つかった。
この本、「ガラスの使徒」のスタッフの高橋さんが、自分のホームページの日記の中で先日、面白かったと書いていた本だ。
ポール・オースターが監督・脚本をやった映画のシナリオとスタッフのインタビューがまとまった本だ。面白そうだったので、インターネットで検索したら、絶版。古書のネット検索にも引っ掛かってこなかった。
こんなにすぐに見つかるとは。
○ 2004/11/10
朝、KOHの現場。今日から鋼管杭の施工。構造の山崎さんと、1本目の施工を確認して終了。
午後一、高橋が事務整理、データの受け継ぎで来所。
15:00、EMH。細かい手直しの最終確認。
17:00、OKBの打ち合わせ。構造の吉田さん、設備の酒巻さんと一緒にクライアントを訪ねる。
帰りに、渋谷で酒巻さんと少し飲む。
酒巻さんとの付き合いももう20年くらいになるが、昔の話になって懐かしかった。
今度、昔やった吉祥寺の「かっぱ」を訪ねてみよう、ということになった。
○ 2004/11/11
昨晩、酒巻さんと飲んだ時に、日本酒を少し飲んだら、今朝辛かった。
何故だか、日本酒だけが少しでも残るようになってしまった。
いつもより少し遅くまで寝て、9:00事務所。
今日は朝からやけに電話連絡が多い。
懐かしい電話も多かった。
進行中の現場やプロジェクトの作業。
○ 2004/11/12
夕べからの雨は、朝も降り続いていた。
午前中は様々な雑用。
午後、木村とKOHの打ち合わせ。
TRHの現場行き準備。
1週間はあっという間に過ぎていく。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。ペースアップして息遣いを整えながら、少しずつ気合いを乗せているところです。トモの踏ん張りは甘めですが、動きそのものは素軽くなってきました。28日(日)東京の新馬戦・芝1800mに、C・ルメール騎手でデビュー予定です。
なんだかぱっとしない今日この頃に、嬉しい知らせ。ギリギリ府中に間に合うか。
○ 2004/11/13
10:00、KOHの現場。お隣を訪ね、境界確認をし、地縄再確認。
杭工事の後が、もぐらの穴のように空いていた。
事務所に戻って、工務店と簡単な打ち合わせ。
自転車での行き来、風が強い。
14:00、BBHのクライアント打ち合わせ。
先週アップし、見積中の実施設計図の説明。
夕方、大和町に戻り、たまっている本等の整理。
○ 2004/11/14
昼に大和町を出て、チェ・ミキと新宿に「血と骨」崔洋一監督を見に行く。
原作が「夜を賭けて」の梁石日さんで、時代的にもだぶってる部分もあり、重なって見れるところもいくつかあった。
映画を見た後、花園神社のニの酉に行く。今年は参の酉まである年だ。
今年が最後といつも言っている見せ物小屋、今年も健在。
以前から気になっていた、高円寺の高架下にある、立ち飲み串揚げ屋さんに行ってみる。なかなか良かった。
「血と骨」を見たせいか、マッコリが飲みたくなり、串揚げ屋さんを早々に切り上げ、同じく高円寺の韓国食堂「コチュカル」に移動して、マッコリとキムチ。
○ 2004/11/15
朝8:00のあずさに乗って、小淵沢へ。
TRHの現場。階段脇の棚も出来て、また空間がはっきりしてきた。
まわりの木はずいぶん葉っぱが落ち、見通しを期待していた東側の視界が開けた。
期待どおり林の向うに、山並が見えるようになり、テラスからは八ヶ岳が望める。
夏の間は、これらが全て隠れてしまう程葉が繁る。これだけ木に囲まれていると、四季の景色の違いがはっきりする。
○ 2004/11/16
日報アップ。メールチェック。昨日の写真整理。
BBHの質疑が昨日出ているので、まとめる。
MRHの図面を坂下にチェックバック。
オーディオ部分の棚を直し、クリオネの高杉さんが再セッティングしているので、KKHに。
先日、日報に切通理作さんの『山田洋次の<世界>』について書いたら、御本人からトークショーのメールを頂く。切通さんも阿佐ヶ谷在住とのこと。
先週末、鳥越さんから西荻の街つくりのシンポジュウムの案内をもらったり、鳥越さんと僕が参加する吉祥寺のイベント・トークショーがあったり(http://kichijoji.info/debeso/)、中央線つながりがにわかに活発になってきた。
○ 2004/11/17
2、3日前から、朝ずいぶん寒くなってきた。
朝、メールチェックしたら、共同馬主を一緒にやっている桐山から、ラフィアンのHPとは別のHPにマイネポリーヌの情報があった、と連絡が入っていた。
マイネポリーヌ(牝 高橋裕厩舎 父スペシャルウィーク母マイネミレー)
ルメール騎手で予定 推定馬体重460kg
高橋裕師「牧場でも乗り込んできたが、気性が素直でいいね。稽古では牡馬と併せても見劣らない。初戦からやれそうだが、大きいところを狙える器だよ」
ワクワク。
昨日の夜、一昨日の月曜日の夜ビデオに録画しておいたテレビ東京 ザ・ヒューマンD「『バカの壁』養老孟司の頭の中」(10:00〜11:00)を見た。
MRHのクライアントが演出した養老孟司さんのドキュメンタリー。
ずいぶん前に「唯脳論」を読んだことがあるが、最近話題の養老先生。
凄い数の依頼が有る講演会に同行し、途中のインタビューや講演の一部の映像に映し出される養老節、『バカの壁』が売れるのもわかるような気がする。
進行中のプロジェクトの検討。
その合間に、高円寺の駅の方まで行くようがあったので、高円寺文庫センターに寄って買い物したら、レジのところに、あの人間風車のプロレスラー、ビル・ロビンソンの本が置いてあり、サインの色紙まであった。
お店のひとに聞いたら、なんとこのあたりに住んでいるとのこと。
恐るべし、高円寺。
○ 2004/11/18
今日は1日図面書き。
年のせいかここ1、2年、細かい字が読み取れない。
CADがあるので、どうにか図面作業できるが、鉛筆と三角スケールだったら、きっととんでもない図面になってしまうであろう。
じっと、パソコンに向かっていたので、腰がいたくなった。地味な作業だが、これがないと先に進まないことも確かだ。
○ 2004/11/19
今日も朝から、図面書き。
雨が降り続き、一日中空が暗い。
17:00過ぎ、タイミング合わず、渡しそびれていた引き渡し書類を渡しに、建設会社とKRHへ。
その後、いくつかの現場が終わったので、打上げで飲む。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。初めて併せ馬で一杯に追われましたが、上々の反応が見られ先着しました。まだまだ奥の深さがある馬で、デビューまでにさらに良化の可能性が感じられます。
○ 2004/11/20
午後に来客があるので、午前中大和町片付け。
今日は良い天気だ。
13:00、大和町でクライアント候補、面談。
NSHのクライアントから食事にお招き頂いており、15:00過ぎに大和町を出る。
NSHのクライアントを御紹介頂いた、MYHのクライアント御家族、NSHのクライアントの会社の同期のHGさん、等10名。
今日、私とチェ・ミキのことを知っている人と引き合わせるから、と言われていたが、それがHGさん。NSH
に伺って、話を聞いてどなたか初めてわかる。
HGさんは、寺林さん設計の家のクライアント。以前映画の個人的なロケハンで、萩原さんに初めて寺林さんの事務所に連れていってもらった時に、偶然事務所に見えて話をしたことがあった。
HGさんの奥さんがやっているバンドを通じ、チェ・ミキの音楽仲間ともつながり、びっくり。
懐かしい顔や、新しいつながりに、おいしいお酒。すっかり遅くまでお邪魔してしまった。
○ 2004/11/21
昨日、一昨日の連日の酒に、少し飲み疲れ。
こんなことは昔はなかったのだが。自重を体が求めるようになったのか。
昨日と言うか、今朝3時ころ寝たので、起きたのは昼前。
ここのところ、昼頃まで寝ていたくても、目がさめてしまう様になっていたので、久々。
スミレアオイハウスの5周年のオープンハウスがあるので、出掛けるつもりでいたが、疲れがとれず断念。
それでもだらだらしてると、もったいない陽気だったので、気分転換に、中野富士見町のギャラリーHORIまで、自転車で散歩。
何日か前、新聞の情報欄に「細江英公人間写真展『おかあさんのばか』」の情報があり、行ってみる。
40年前の写真だったが、細江英公さんらしい、力強い写真だった。写真も奥が深い。
戻ってきて、さらに気分転換に、近くの銭湯へ。
○ 2004/11/22
朝、日報のアップやメールや連絡事項、諸々。
KOHのサッシュ図のチェック。
午後一で、サッシュ図木村と打ち合わせ。
夕方までに、BBHの見積りが出てくる。
夕方、クライアントに報告のファックス。
OKBの図面作業。
MRHの図面チェック。
18:00過ぎ、KOHの建設会社来所。躯体、サッシュの打ち合わせ。
○ 2004/11/23
昨晩、「レオス・カラックス/映画の二十一世紀へ向けて」鈴木布美子著(筑摩書房・リュミエール叢書13)を読み終わる。
1992年に出版され、その時点で撮られていた、「ボーイ・ミーツ・ガール」、「汚れた血」、「ボンヌフの恋人」について書かれた本だ。カラックスへのインタビューと、伝説的とも言ってよい「ボンヌフの恋人」のオープンセットのドキュメント、そして3本の映画の作品論で構成されている。
それぞれ興味深いものだったが、その中の「汚れた血」の作品論の最後の一説は、「汚れた血」を見た感動が、そのまま文章になっていた。
「言葉に対する身振りの優位。恐らくこれがカラックスの映画における基本的主題である。このことが、彼の豊富なサイレント映画体験と深く関わっているのは間違いない。パリのシネマテークで浴びるように見たサイレント期の作品が、彼の映画作家としての自己形成に大きな影響を及ぼしたという事実は、彼自身の口からたびたび語られている。もちろんそれは、カラックスがサイレント映画の持ち味を現在に蘇らせようとする楽天的な復古主義者であることを意味しない。確かにこの映画については映画史的な”引用”の多さがよく指摘される。けれども私たちに真に必要なのは、”引用”についての仔細な注釈を付け加えることではなく、映画史の始源から体得された映像への倫理的感受性に素直に感動することであろう。
死を間近に感じたアレックス(主人公:大塚註)は、両眼を閉じ、腹話術でリーズに語りかける。見つめあうことを放棄した者の悲痛な独白と、それに続くアンナの言葉なき疾走(このシーンを見るだけでも、この映画を見る価値がある:大塚註)に感じ入ることができる者にのみ、私たちの未来は開かれているのだ。」
今日も朝から、良い天気。
メールや連絡事項。
TRHの検討、図面作業。
途中、自転車で図書館へ。
○ 2004/11/24
今日も天気がよい。
昨日梁山泊は旅から戻り、今日朝から池袋の旧時習小学校の校庭でテント設営作業。
午前中、OKBの図面作業。
途中、銀行へ行き振込み等を済ませる。
午後一、坂下来所。
MRHの打ち合わせ。
BBHの見積り比較表作成。
マイネポリーヌが28日、東京競馬場4Rでデビューしそうだ。(抽選で除外の可能性もあるが。)
一口を共同で持っている桐山から電話。
28日、府中での待ち合せを決める。いよいよだ。
今日、再びマイネポリーヌの情報がネットに。
マイネポリーヌ(牝 高橋裕厩舎 父スペシャルウィーク母マイネミレー)
ルメール騎手で予定 推定馬体重460kg台
谷代助手「けいこに乗っていて背中の柔らかい馬。追い出してからの瞬発力はなかなかのもの」
高橋裕師「牧場で乗っていたし、気性も素直。先々も楽しめる馬だとみている」
○ 2004/11/25
9:30、MRHの第2回目のプレゼン。
こちらも面白い提案ができたがクライアントも喜んでくれた。
午前中、木村とKOHの打ち合わせ。
午後から、模型作りのバイトの福岡さんが来所。
14:00、事務所を出て池袋の旧時習小学校に建った、梁山泊のテントへ。
皆、長い旅が終わってホッとしたようだった。
帰りに、新宿の書店に寄ったら、「出現フォトモ」糸崎公朗著が眼に入る。
街等を撮った写真を立体的に組み立て作る模型をフォトモと称して、その作品を集めた本だ。
前からこの本を知ってはいたが、今回中を見てみたら、フォトモの実例に何故か中央線沿線の作品が多い。なかには、「中央線快速高尾行」というのもある。
早速、購入。
マイネポリーヌがデビュー決定。28日、東京4R。
○ 2004/11/26
朝9:00に三鷹でクライアントにピックアップしてもらい、白州TRHの現場。
設備の酒巻さんにも同行してもらう。
現場は標高高いが、良い天気で風もなく、暖かかった。
<マイネポリーヌ>
28日(日)東京4Rの新馬戦・芝1800mでデビューします。鋭いスタートダッシュから一気にハナを奪うようなスピード馬には見えないので、比較的ゆったり行ける方がレースはしやすいものと思われます。極端なスローとなったときに対応できるかどうかですが、調教では追えばしっかり伸びる馬です。
○ 2004/11/27
朝、BBHの各社の減額・合理化案をチェック。
クライアントに連絡。
TRHの検討図面作成。
夜、新宿梁山泊「唐版・風の又三郎2004」東京初日。
昨年の「唐版・風の又三郎」より30分短くなり、よりドラマティクな舞台になっていた。
ギリシャ神話のオルフェウスの話を下敷きに、芝居の神話見事に作り上げている。
今、ユリイカ11月号「特集・藤森照信-建築快楽主義」を読んでいるが、その中で盛んに藤森さんの原人性が語られているが、唐さんも同様に原人なのではないか、と感じた。
○ 2004/11/28
9:00前に大和町を出て、府中の東京競馬場へ向かう。
今日は今年の東京最終開催・ジャパンカップなので、1レースから観客が多い。
競馬場の待ち合せ場所で、桐山と落ち合う。
10:45、パドックに4レースの競走馬が入ってくる。
12番、マイネポリーヌを初めて直に見る。鹿毛の馬体が、冬の光線に光っている。
パドックの周回を終わり、各馬が本馬場に向かっていく。我々も移動。
本馬場には早くも、先導馬が姿を表わしている。
普通ここで各馬返し馬(ウォームアップにスタート地点まで走っていく)なのだが、新馬の集団は先導馬の後ろに固まって、のんびりしている。微笑ましい光景があった。
騎手に促され、やっと返し馬を初めても、集団で走り、まるで牧場に放牧されているようだ。
11:05、スタート。結果は7着。結果は残念だったが、無事走り終えて良かった。
駅前の食堂で桐山と一杯やりながらレースを振り返る。
良いレースをしたし、今後の調教での変わり身が期待できる、と。
17:00、西荻で母親の退院祝い。妹家族とチェ・ミキ、総勢8人。
沢山食べて飲んだ。
○ 2004/11/29
朝、メールチェックと日報アップ。
TRHの打合せ事項の整理。
KOHの現場より連絡あり、午後現場で打ち合わせすることに。
13:00前、自転車でKOHの現場。
小一時間で打ち合わせは終わり、同じく自転車で荻窪の公認会計士の岩崎さんのところへ。
これまでいつも、一年溜めた伝票を決算時に持って行っていたが、今期からこまめに収支を報告するようにしたので、9、10月分を持って行く。
16:00前、KOHのRC施工図打ち合わせ。
その他、進行中のプロジェクトの整理と検討。
○ 2004/11/30
今日で11月も終わり。早くも12月。
暑い中で、映画撮影をしていたのが、ついこの間のようだ。
TRHの図面をまとめ、建設会社へファックス。
昼前、先日「ピランデッロ」の公演で紹介してもらった黒テントの宗重さんから電話があり、稽古場の件で相談したいことがある、とのことで、午後一に阿佐ヶ谷の喫茶店で話をする。
その際、平野甲賀さんも御一緒で、初めてお目にかかる。
昔から、平野さんの作品のファンなので、お目にかかれて嬉しかった。
夕方、BBHの合理化案の打ち合わせ。
TRHの図面訂正作業。
○ 2004/12/1
12月に入り、昨日の夜から寒くなり出した。
BBHの見積を再度見直す。
午後一、KOHの現場で設備配管チェック。
進行中のプロジェクトの検討。あっちに行ったり、こっちに行ったり。
○ 2004/12/2
MRHのクライアントから、先日提案した案に対する要望がファックスで届いたので、検討する。
BBH打合せ準備。
13:00過ぎに事務所を出て、汐留に向かう。
喫茶店でBBHのクライアントと見積の打合せ。
「ユリイカ11月号・特集・藤森照信」の自著年譜が面白い。特に子供時代の年譜が秀逸だ。
恐るべし記憶力。記憶力というより、体に刻まれた感情なのか。
○ 2004/12/3
朝、KOHの連絡事項。
9:30、MRHのクライアント来所。
昨日頂いた要望について打ち合わせ。
午後、昨日打ち合わせたBBHの見積り減額案を作成。
午前中の打合せのまとめ等をして、16:30事務所を出る。
夕方から、ザ・ハウスの忘年会。
<マイネポリーヌ>
28日(日)東京でデビューし7着でした。手応え良く追走し勝負どころでは余力を残して進出しましたが、追われてからが案外でした。調教の動きを考えるともっと走れるはずです。次走は11日(土)中山の牝馬限定・芝1800mの予定です。
○ 2004/12/4
土曜日なのに、今日は朝から電話が多い。
巷を見ると、週休二日が完全に定着しているが、建築業界だけは週休二日どこ吹く風だ。
スタッフ面接をしたり、KOHの配筋検査に行ったり。
17:00過ぎ、事務所を出て、池袋の新宿梁山泊へ。
冬の台風が到来するらしく、夕方から雨が降り出した。
○ 2004/12/5
昨日の新宿梁山泊「唐版・風の又三郎・2004」は素晴らしい舞台だった。
3幕、休憩を含め3時間の舞台だが、幕ごとに変容して行く主人公の織部とエリカ。
台詞にあるように、「変装の街のオルフェウスとエウリディヶ」の再生の物語が、くっきり浮かび上がっていた。
この二人を取り囲む、闇の世界の住人たちの魑魅魍魎も非常にリアルだった。
このような闇の悪意が、我々の周りを静かに取り囲んでいるのだろう、と実感できた。
素晴らしい戯曲は古びることなく、その時代時代で蘇ることができる。改めて、確認できた。
昨晩の台風一過で、なんと最高気温25度。生暖かい風が吹いている。
吉祥寺の通称「近鉄裏」に忽然と姿をあらわした、DEBESO(http://kichijoji.info/debeso/)のイベントに参加。
○ 2004/12/6
今日も朝から風が強い。
どうやら、風の又三郎が芝居から飛び出し、街に降り立ったようだ。
メールチェックに日報アップ。
KOHの打ち合わせ。KOHは今日耐圧のコンクリート打設。
TRHの図面まとめ作業。
夜、クライアント候補再面談。
○ 2004/12/7
一昨日の暖かさがあったので、昨日今日の寒さに冬を感じる。
TRHの図面作業。
KOHの電気業者さん来所。打ち合わせ。
MRHの要望事項、ファックスで来たのでスケッチ。
KNHの事前調査。
その合間に、皮膚科の病院と銀行。
その帰りに、阿佐ヶ谷の旧中杉通りの酒屋で、芋焼酎「あさひ」購入。
焼酎のロックを少しづつ飲むのが、今はぴったり自分の体調に合っているようだ。
○ 2004/12/8
朝、自転車に乗ると、寒さで頭がキーンとなる。
良い天気だが、だんだん冷え込んできたのを感じる。
TRHの外構計画。
KOHのスタッフ打ち合わせ。
マイネポリーヌが11日(土)中山4Rに出走予定の案内が、ラフィアンのホームページの掲示された。
チェ・ミキの従兄弟が、夕方から大和町に遊びに来ているので、早めに事務所を出る。
○ 2004/12/9
昨晩、従兄弟たちは20:00前に帰ったのだが、僕とチェ・ミキは調子に乗って遅くまで飲み続けたので、少し胃が重い。
以前設計したMTHのクライアントとの打ち合わせのため、9:30過ぎ事務所を出て、三鷹にある仕事場に向かう。
昨日の続きの、TRHの外構計画。
夕方、BBHの減額案を建設会社が持ってきてくれる。もう一息か。
何だか寒気がする。まさか風邪では。
マイネポリーヌの出走確定を確認したら、「次の馬は、出走を予定していましたが、取りやめとなりました。
・・・ポリーヌ(右前脚球節部分の腫れのため。レントゲンの結果は異常なし。来週以降)・・・」となっていた。
桐山と中山競馬場行きを約束していたが、行く必要はなくなった。
慌ただしげな週末が、一転。
気持ちは中山競馬場だったので、ポッカリ空白の時間のように感じる。
やることは幾らでもあるのだが。
○ 2004/12/10
昨日から、天気は曇りで、鬱陶しい。
昨日の寒気は、今朝はないが、のどがいがらっぽい。用心するに越したことはない。
OKBの現調のために、9:00過ぎ事務所を出る。
帰りに新宿で途中下車して、元青山ブックセンターのブックファーストへ。
雰囲気は少し変わったが、品揃え的には踏襲しているようなので、見やすい。
SD(鹿島出版会)と「藤森照信の特選美術館三昧」(TOTO出版)購入。
藤森さんの「昭和住宅物語」(新建築社)から始まる一連の探訪記は、独創的な解釈で歴史のパースペクティブの味付けも効いて、面白い。この間読了した鈴木布美子さんのレオス・カラックスのインタビュー等をまとめた本を読んだ時の、ワクワク感が有る。映画と同じように、建築も面白いことを、再確認できる。
事務所に戻る昼頃には、陽が射してきた。
14:00、スタッフ面談。
16:00、KOHの設備打ち合わせ。
連絡事項多数。
MRHのスケッチ。
TRHのキッチン図チェック。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。厩舎の周りを歩かせる程度の運動を行っています。追い切り翌日に右前脚球節が腫れるアクシデントに見舞われました。レントゲン検査で異常はなく、捻挫が原因だと思われます。湿布を貼って処置しており、次走については、今後の回復具合次第となります。
○ 2004/12/11
少しゆっくり事務所に来て、連絡事項と昨日の現場調査の写真の整理。
12:00過ぎに事務所を出て、早稲田へ向かう。
来年の早稲田建築合同クラス会の幹事年が我々S54年卒で、山地さんの呼びかけで、忘年会兼懇親会が企画された。
集まったのは10名だったが、20年振りの顔も有り、懐かしかった。
○ 2004/12/12
11:00、小雨の中を自転車で、KNHの既存建物へ。今日は本当に寒い。
一時間弱建物内を見せてもらいながら、クライアントから希望を伺う。
大和町に戻り、いくつかの雑誌の記事等読んだ後、昨日買ってきた「犬猫-36歳・女性・映画監督が出来るまで」井口奈己著(フリースタイル)を読む。
ある日、映画を撮ろう、と思った井口さんが、8ミリで撮った映画「犬猫」を35ミリでリメイクするまでの、メイキングエッセイ。
映画作りの楽しさ、辛さ、嬉しさ、大変さがあますところなく綴られている。
昔読んだ「光の教会-安藤忠雄の現場」平松剛著にも、同じ興奮があった。
詰るところ、もの作りは面白い、と言うことだが、常にその新鮮さをキープしていることは難しい。
そりゃ、現実にはいろんなことがあって、そちらに振り回される事の方が多く、ついつい後ろ向きになってしまう。
だから、時々こんな本に出会うと、やっぱりもの作りの楽しさを追い求めよう、と前向きになる。
○ 2004/12/13
冬なのに又、キャロラインジャスミンが黄色い花を付け始めた。
今日は良い天気だ。
朝。事務所でメールチェックと日報のアップ。
MRHのスケッチ。
12:00に事務所を出て、13:00からKOHの配筋検査。
13:30から、役所の中間検査。
14:30前、KOHの現場を出て黒テントの新しい稽古場へ。
建設会社と一緒に、古いが味の有る建物の最低限の整備事項を確認。
事務所に夕方戻る。
引き続きMRHの作業。
○ 2004/12/14
13:00過ぎ、白州のTRHの現場。
もうほぼ完成。良い感じで仕上ってきている。
クライアントも含め、外構の打合せをして、引き渡しの日程を決める。
今「現代思想のパフォーマンス」難波江和英・内田樹著(光文社新書)を読んでいる。
ソシュール、バルト、フーコー、ラカン、サイードの思想をそれぞれ、案内編・解説編・実践編に分けて書かれた本だ
白州行きの電車の中で、バルトの案内編と解説編を読みつつ、実践編は映画を取り上げるしかないな、と思っていたら、「エイリアン」を取り上げていた。その実践事態はいまいちだったが、全体的にはめっぽう面白い本だ。
○ 2004/12/15
師走というが、忘年会等があり、なんとなく慌ただしく、時間があっという間に過ぎて行ってしまう。
MRHのスケッチと図面作業。変更案をファックスで送る。
BBHの減額見積が昨日事務所に届いていたので、査定してクライアントにファックスし、電話で説明。
KNHのスケッチ。
○ 2004/12/16
10:00自由が丘で打合せがあったので、帰りに久しぶりに、以前事務所をシェア−していた鈴木基紀の事務所を訪ねる。
元気そうで何よりだった。
11:30に自由が丘を出て、建築会館の『2004吉阪隆正展「頭と手」』へ。http://www.taka2004.com/
八王子の大学セミナーハウスの大きな粘土模型が圧巻だ。
吉阪先生は「有形学」を提唱された。意味より形、そんな事を思った。
15:00事務所に戻り、いくつかの連絡事項。
MRHのスケッチ。
18:30新宿。
マイネポリーヌの一口をシェア−している旭化成の同期の桐山、以前事務所で模型作りを手伝ってくれ、今偶然派遣で旭化成に行っている高玉さんと、忘年会。
高玉さんに会うのは本当に久しぶりで、楽しい会だった。
○ 2004/12/17
昨日の夕方から吹き始めた北風が、今朝もぴゅーぴゅー吹いている。
MRHのスケッチを続ける。
夜、韓国の友人、柳さんと奥さんのヒャンスクとチェ・ミキと高円寺の成都に。
柳さんたちに会うのは一年ぶりくらいか。
11:30頃、マッコルリを飲みにコチュカルに移動。
2:00近くまで飲む。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。右前の球節の腫れは繋靱帯の疲れが原因でしたが、すっかり治まりキャンターを再開しています。これからピッチを上げ、1月9日、中山の牝馬限定・芝1600mを使いたいと考えています。
○ 2004/12/18
事務所に来たら、渡邊保忠先生の「日本建築生産組織に関する研究・1959」が届いていた。
先日、吉阪先生の展覧会に行って、吉阪先生と保忠先生の本を読み直してみようと、取出していたところだった。
17:00、設計させていただいた、唐十郎さんのアトリエ・稽古場のお披露目。
沢山の人が集まり、遅くまで賑やかだった。
○ 2004/12/19
木、金、土曜日と三連チャンで、さすがに疲れぎみ。
一日大和町。
午前中は溜まっていた新聞を読む。
午後夕食の買物に行った時、高円寺の東通り商店街で魅力的な品揃えの古書店を見つけ、2冊購入。
確か、「アジアンドック」という名前だった。
初めて気がついたので、訪ねたら、去年開店したそうだ。
夕方、鳥の集会をチェ・ミキが発見。
うちのすぐ側の電線に、沢山の鳥が集まっていた。
しばらく席の入れ代わりを繰り返し、いくつかのグループに分かれ、飛び去って行った。
夜、日曜洋画劇場でジョン・ウー監督の「フェイス/オフ」を見始めたら、止められなくなって最後まで見てしまった。
最後の抱擁シーンは流石だ。
○ 2004/12/20
カバーコラム
富士ヶ嶺観音堂 1
あらゆる写真は現実ではない。あらゆる事物は三次元、または四次元に属しているが、写真はそれを二次元の平面に移し変える。当然そこには異常な無理が働いている。あらゆる写真はそれ故に非現実世界を表現している。
この写真は富士山麓上九一色村に建てた観音堂の夜景である。ステンレス製の墓の丸い小シェルターに点々と光が写し込まれているのが撮られている。この写真をとった人はその風景に特別な意味を見ようとして、この写真を撮った。撮ってみて、現像してみたら、更に不思議なモノが写っていた。観音堂のほぼ中心に変な丸い大きな光がハッキリと写し出されている。
ただし、蛍の光のようなステンレスの反射光は人間の肉眼が視た現実だが、この観音堂の中心の丸い光は写真機が写したとったものである。人間の肉眼(身体)はそれを観てはいない。つまり、ここに写されている丸い光はカメラという機械が拾ったものだ。発光体にレンズを向けた時に良くレンズが起こす現象であるかも知れぬ。弱い逆光を写そうとして出現してしまったモノの可能性が高い。
しかし、それでは人間の側の問題は考える事ができぬ。この写真には先ず第一に写真をとった人の身体の偶然が引き起こしたカメラのレンズの誤作動があったかも知れない。第二に、その誤作動の結果、印画紙上に出現した丸い光を、観音玉光だと直観した人間の想像力がある。それを前近代だとか、妄想、迷信の類いだと捨てきれない。例え、機械の犯した誤りであるにせよ、その誤りのお蔭で何人もの人間が有難い事だと想う事の方が大事なのではなかろうか。
病気、障害も又、それぞれの人間に個別な尊厳である。それぞれの人間にとっては不可避な事件であると考えるよりも、それぞれの人体器官が主体的に引きおこした誤作動の結果だと考えた方が、その宿命のようなものを受け入れて、対応しやすくなるだろう。誤りも又、一つの個別性を持った現実なのである。
異常な現象は世に満ち満ちている。考えてみれば日々の生活の繰り返し性、退屈さだって異常と言えばそうなのだ。健康というものだって生命の維持運動のディテールを想像すれば異常の連続によって引き起こされているのだろう。病気、障害も又、厳然たる人間の個性だと考えると、少しばかり世界が別の様相を帯びてくる。
石山修武
○ 2004/12/20
午前中は日報アップ、年末調整の資料作り、忘れていたOZONEの登録更新の書類作り。
MRH、KOHのスケッチ。
16:30、KOHの工務店打ち合わせ。
夜、阿佐ヶ谷で新宿梁山泊の忘年会。
先週から飲み会続きで、年末らしくなってきた。
○ 2004/12/21
昨日は遅くまで飲んでいたので、朝が辛い。
10:00前、MRHのクライアント来所。
午後一、自転車で荻窪の岩崎会計士事務所まで、昨日まとめた年末調整と11月の帳簿を届ける。
木村とKOHの打ち合わせ。
MRHのスケッチ。
16:30、建設会社来所。BBHの減額打ち合わせ。
今日は冬至。
「冬来たりなば、春遠からじ」とは良く言ったものだ。
そう言う考え方は、なかなか魅力的だ。
夜、柚湯。
○ 2004/12/22
冬至の次の日だけあって、陽が登るのが遅い。
8:00過ぎになってやっと空に陽が射してくる。
10:00、以前設計させていただいたHMHへ。
一部内装やリ替えの打ち合わせ。
MRH、KNHのスケッチ。
○ 2004/12/23
午前中事務所。
KOH、BBH等の連絡事項。
昼に大和町に戻り、諸雑用と片付け。
今週末チェ・ミキの福井の友人家族が、大和町に泊まりに来るので。
夜、ずっと昔中野中央に住んでいた頃、よく行っていた「まこと」の忘年会に参加。
一年ぶりに懐かしい顔に会う。
○ 2004/12/24
午前中、KOHの検討。
午後、KNHのスケッチ。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。その後、調教を続けても繋靱帯に悪化は見られません。水曜日にはハロン15秒ペースのキャンターでさっと流しました。馬体がゆるんだ感じはないので、年明けには良い状態に整う見込みです。
○ 2004/12/25
朝9:00、調布で構造の吉田さんにピックアップしてもらい、TRHの現場へ。
総勢7人。今日はTRHの引き渡し。
高速が空いていたので、現場行きの前に茅野まで行き、藤森照信さん設計の「神長官守矢資料館」を訪ねる。
「神長官守矢資料館」に着いて建物に近付くと、二人の女性が建物を見ている。
何と、「室内」の編集部の佐野さんと遊佐さん。近くにある藤森さんの新作「高過庵」の写真撮影が終わったところで、写真家の藤塚さんが、藤森さんを茅野の駅まで送って行っているとのこと。
しばらくすると、藤塚さんが戻ってきた。
なんと、寄寓な。
しばらく話した後、お別れして「神長官守矢資料館」と「高過庵」を見学。
藤塚さんたちに「高過庵」の場所を教えていただいたので、すぐ見つかる。
「高過庵」の前で、皆唖然。僕は写真で見ていたが、初めて眼に飛び込んできた時には、とんでもないものを見てしまった、という驚き。
物を作る事の楽しさが、溢れた建築だ。でも僕達が建築と思い込んでいる概念からは、大きくシフトしている。そこが、見ていて気持ちをワクワクさせてくれる。
上に上がってみたいものだ。
12:30過ぎ、TRHの現場。
まだ残工事はあるが、きちんと仕上っていた。
床暖房の効果も確認できた。
クライアントと僕と設備の酒巻さんは現場で、いくつかの打ち合わせ。
吉田さんと残りの5人は、先に現場を出て、他の建築を見に行った。
帰りはクライアントの車に同乗させてもらい、三鷹に17:30過ぎ到着。
今日は大和町に、チェ・ミキの友人・沢田さん一家がいらしていて、大和町の留守電で確認したら、高円寺の「抱瓶」にいるとのことで、向かう。
○ 2004/12/26
昨日は沢田さんたちと、沢山飲み、話をし楽しかった。
今日は浅草とお台場に行き、銀座の保養所に泊まるという沢田さんたちは、9:00に大和町を出発。元気だ。
片づけをしたり、近所の店に買物に行ったりで一日を過す。
○ 2004/12/27
朝、事務所。
日報のアップ。25日の写真の整理・プリント依頼。
BBHの契約の準備。
KOHの打合せの準備。
13:30、KOH。クライアントに1階のコンクリート部分を見ていただく。
その後事務所に移り、打ち合わせ。
今夜、渋谷で設計事務所仲間の忘年会がある。
時間が調度よかったので、その前に塚本晋也監督の「ヴィタール」を見ようと、アミューズCONへ。
とんでもなくエレベーターの位置の分りにくいビルで、呆れた。
「ヴィタール」はピナ・バウシュのタンツテアターがダンスを主体にした表現になっているように、映画というより映像を主体にした表現と言えるものだった。
観客の肉体に直接訴えかけてくる音。水が重要なモチーフになり、その音が常に観客を包む。
まるで映画自体が肉体のようだ。
それだけに、主人公(浅野忠信)の死んだ恋人(柄本奈美)が突然ダンスを踊り出すシーンは、ちょっと興醒めだった。彼女はプロのバレリーナで、踊らなくてもその立ち振る舞いは肉体表現になっていたのだから。
でもとにかく、映画館で見なければ、その良さは1/10になってしまう映画だった。
19:00から、渋谷のダイニングバーで忘年会。
一年ぶりの顔もたくさんあった。
○ 2004/12/28
事務所は今日で仕事納め。
だからと言うわけではないだろうが、慌ただしい。
KOHのプレカット軸組図チェックを木村と打ち合わせ。
MRH の立面検討。
電話連絡が頻繁に入る。
13:30、KOHの建設会社来所。打ち合わせ。
その後、KNHの改修前の建物に同行してもらい、風にやられた屋上の一部を応急処置をしてもらう。
そのまま、内部の再確認と現状写真を撮る。
日報も1月11日まで、ちょっと一休み。