○ 2005/1/11
朝、事務所。
メールチェックに連絡事項。
事務所模様替え計画とMRHの打ち合わせ。
KNHのスケッチと図面作業。
KOHの詳細打ち合わせ。
と、新しい年になっても同じように時間は過ぎて行く。
今年になってから、事務所には何日か来ていたが、やはり周りが休みモードだと、こちらも休みモードになってしまう。
そんな日々が長く続くと、朝から夜まで仕事をするのが嫌になってしまいそうになる。
そんな気持ちに、最近はなり易い。
昨日の夜まで、はたしてきちんと事務所に来れるのか、いささか心配であったが、とりあえず杞憂だった。
○ 2005/1/12
朝、事務所。
9:30過ぎ事務所を出て、BBHの現場へ向かう。
10:30過ぎから近隣挨拶をして、11:30、BBHの地鎮祭。
新年の新しい現場。身が引き締まる。
15:00、KOHの板金、鉄骨階段の打ち合わせ。明日から建て方。
事務所も阿佐ヶ谷に移ってもうすぐ2年。更新の時期なのに管理会社は何も言ってこないので、気になって電話したら、なんと建て替えの計画があるとのこと。詳細ははっきりしていないが、ここを移らなくてはならくなりそうだ。
せっかくパソコンの環境も変え、模様替えまで考えていたのに。ショックである。
そんなこんなで、夕方はバタバタ。
17:30、ミリメーターの笠置さんと宮口さんが、宮口さんの実家に帰った時に買ってきてくれた、新潟のお酒を持ってきてくれる。地震の被害はなかったそうだ。
少し事務所で飲んで、アルポランに移動。
23:00過ぎまで、飲む。
○ 2005/1/13
年が明けてから、朝随分冷え込むようになった。
朝、いくつかの雑用。
10:00、星とMRHの打ち合わせ。
朝から、KOHの建て方が始まっている。
KNHの図面作業をして、14:00KOHの現場へ向かう。
重機が使えず、大きな梁と特殊な接合金物で、建て方は大変だが、着実に組み上がって行っている。
帰り道、事務所のすぐ近くにきれいな住宅が出来上がりつつあった。
今まで足場がかかっていたのでわからなかった。
たまたま設計事務所の方がいらしたので、話をさせていただく。来週末にオープンハウスがあるとのことで、その時見せていただくことにする。
17:30、高橋来所。長崎土産を持ってきてくれた。
引き続き、KNHのスケッチ。
○ 2005/1/14
朝、事務所。
日報のアップといくつかの連絡。
KNHのスケッチと図面作業。
15:00、KOHの現場。建て方はほほ完了していた。
外形はシンプルだが、稜線と接合部が複雑で、重機も使えない現場なので、もっと時間がかかるかと思っていたら、見事に二日で完了した。
プレカットの建材会社が凄い能力を発揮した。
構造の山崎さんのチェックも入り、明日の天気予報の雪に備えた養生を始めたところで、事務所に戻る。
引き続き、KNH。
<マイネポリーヌ>
13日(木)美浦からビッグレッドファーム明和に移動しました。パドックで放牧されています。左トモに疲れが感じられ、飛節を気にする仕草も見せることから一息入れることになりました。立て直して、芝のレースが増えてくる頃に帰厩させたいと考えています。
○ 2005/1/15
天気予報は雪だったが、朝から冷たい雨。
今日はいくつかの予定が重なって入っていて、どうしようか思案中だったのだが、昨日までにすべてがキャンセルになってしまった、という変な日だ。
事務所で、進行中のプロジェクトの検討と確認。
昼過ぎに、事務所を出てヨドバシカメラにアイマックの注文に行くことにした。
ふと気がつき、原一男監督「またの日の知華」の時間を調べたら、丁度良かったので見に行く事にした。
「またの日の知華」は、金久美子さんの遺作となった映画だ。
14:00前に映画館に着くと、今日が初日で舞台挨拶があった。
監督や出演者と一緒に久美子さんの遺影写真も舞台上にあった。
久美子さんの登場シーンのラストは、微笑んだ顔のアップだった。
スタッフの追悼の思いが、ひしひしと伝わってきて、胸が熱くなった。
スクリーンで見れて、良かった。
○ 2005/1/16
一日雨。一日大和町。
午前中、KNHの図面作業。
午後、MRHのスケッチ。
「犬猫」と「またの日の知華」のパンフレットを読む。
○ 2005/1/17
今日は良い天気になった。
昨日チェックしたMRHの断面の指示を星に出す。
日報のアップと、連絡事項。
BBHの基礎の確認。
11:30、KKHの現場担当者が竣工図を取に来てくれる。
KNHのスケッチを続ける。
14:00、KOHの現場。ホームコネクターという接合金物の樹脂注入の説明に立会う。
○ 2005/118
朝、事務所。
星とMRHの打ち合わせ。
BBHの基礎施工図チェックと構造事務所との電話連絡。
昼に事務所を出て、以前設計したIMHに伺う。
17:00に事務所に戻り、BBHの基礎についての打合せ事項を坂下に連絡。
MRHの打ち合わせ。
アルバイトの福岡さんに作ってもらっていたBBHの模型、ほぼ完成。
17:00、高円寺の成都で、木村、星、福岡さん、チェ・ミキと新年会。
○ 2005/119
昨日少し飲み過ぎて、9:00事務所。
頭がうまく回らない。
危うく、オレオレ詐欺まがいに引っ掛かりそうになる。
消費者センターに問い合わせたら、親切にいろいろ教えてくれた。
ボーとしていたからだろう。
梁山泊の三浦さんから、1998年にスズナリでやった「楽屋」のデータを送って欲しい、との依頼があったが、探しても見つからない。
こういう時、整理の悪さに、我ながら嫌になる。
事務所になければ、家のパソコンにあるのか。
今日の夕方のKOHの打合せの準備を、木村と打ち合わせ。
明日のBBHの現場打合せの準備。
昼に、注文したパソコン等が届く。
KNHの図面作業。
夜、KOHの現場担当者来所、打ち合わせ。
○ 2005/1/20
10:00、MRHのクライアント打ち合わせ。
11:00にMRHの現場にBBHの現場担当者に来てもらい、レベル実測。
12:00過ぎ、BBHの現場担当者の車に乗せてもらい、BBHの現場へ。
やり方、レベル確認。基礎の打ち合わせ。
その足で、EMHに向かう。
16:00、EMHでいくつかの細かい手直し作業の確認を、現場担当者と。
EMHは暮し始めて4ヵ月。居住まいが決まってきて、良い感じになっていた。
18:00前、事務所に戻り、KNHの模型作成準備し、星に指示。
今日は、移動の一日だった。
○ 2005/1/21
朝9:00に、三鷹でクライアントにピックアップしてもらい、白州のTRHに。
昨年末の引渡し時の残工事と手直工事の確認。
白州の村の方は、たんぼや路肩に先週末の雪が残っているだけだが、山にちょっと入っただけで一面雪景色。
白い世界に佇む建物がきれいだ。
向うには、八ヶ岳の山並が見え、気に囲まれたTRHは、本当にのんびりできる空間になっていた。
<マイネポリーヌ>
ビッグレッドファーム明和で調整中。坂路でキャンター1100m1本の運動をしています。歩様をチェックして問題ないことから乗り運動を始めました。到着時はかなりピリピリした雰囲気でしたが、今は随分落ち着いています。
○ 2005/1/22
朝、事務所。
メールチェックやいくつかの連絡事項。
10:30、事務所のすぐ近くの現場のオープンハウスにお邪魔する。仕上工事の真っ盛りであった。
11:30、借りっ放しになっていた図書館の本を返しに、自転車で図書館へ。
BBHの基礎施工図のチェックや軸組の検討。
15:00、KOHの現場で、クライアント打ち合わせ。
建て方が終わった現場を案内し、外壁の鋼板を決める。
新潟の地震で、鋼板の在庫に限りがある、とのこと。
白州でも、車庫の外壁に使うポリカーボネイトの波板が、新潟の地震で3月まで在庫がなかった。
○ 2005/1/23
朝、6:30に中野サンプラザ前から、大型バスで梁山泊のメンバーと関係者で日光へ出発。
今日11:00から、日光ニ荒山神社http://www.futarasan.jp/cgi-bin/imgsys/image.cgi?39:4140:0:0で、梁山泊の近藤優花さんと元劇団員の島野雅夫さんの結婚式がある。
途中、島野さんの実家の栃木で、親族の方々をピックアップして、10:00過ぎニ荒山神社に到着。
さすがに寒い。雪も沢山残っている。
東京から唐十郎さんも駆付けてくれた。
11:00から、神殿内で神前結婚式。
足先がぴりぴりするくらい寒いが、厳かだ。
式後、境内で集合記念撮影。
バスで日光東観荘へ移動、お祝いの披露宴。
最初は緊張ぎみだった宴も、お酒が入り、カラオケも飛び出し、気がつけばあっという間に終わってしまった。
今日も日光に宿泊する、新郎新婦と御両親に御挨拶し、15:00日光を出発。
途中、栃木に寄り、18:00に中野着。
手作りの、思いで深い結婚式だった。
島野さん、優花ちゃん、お幸せに。お招き頂き、ありがとう。
○ 2005/1/24
朝、事務所。
溜まっていた日報のアップ。
BBHの基礎施工図チェック。
星とMRHの打ち合わせ。
そのあと、MRHとKNHのスケッチ。
合間に銀行に行って、振込み等。
16:30過ぎに事務所を出て、昨年竣工したEMHへ。
今日は、クライアントが職人さん、建設会社、我々へのお疲れ会を催してくれた。
遅くまで、沢山御馳走になる。
○ 2005/1/25
昨晩は、楽しかったのでついつい遅くまでお邪魔してしまい、帰ってきたのが遅かったので、少しゆっくり事務所。
BBHの打ち合わせ。
11:00、KOHの現場。構造の山崎さんにも来てもらい、ホームコネクターの確認と、外壁屋根の構造材の張り方の確認。
KNHの検討。
15:30、クレディースイスの小林さん来所。
老後の生活設計について、レクチャーしてもらう。なかなか厳しい。
引き続き、KNHの作業。
○ 2005/1/26
朝、資源ゴミを出しに行った時には、みぞれ混じりの雨だったのが、事務所に来る頃には、雪混じりの雨状態になっていた。
昨日は暖かだったが、今日は寒い。
今日の夜、打合せのKNHの最終チェック。
10:30、アルフレックス来所。
11:00過ぎ、MRHの所内打合せ。
14:00、事務所を自転車で出て、年末調整の書類を受け取りに、荻窪の岩崎公認会計士事務所へ。
帰り道にある2軒の古書店で「『A』撮影日誌」森達也(現代書館)と「泥人魚」唐十郎(新潮社)。
BBHのプレカット図のチェックを始める。
18:30、KNHのクライアント来所。
1回目のプレゼンテイション。
○ 2005/1/27
午前中はKOHやMRHのスタッフ打合せ。
13:30、準防火地域にも使える木外壁のメーカーに来てもらい、話を聞く。
KOHの現場から、トップライトの位置を確認したいとの連絡が入り、現場へ。
不整形な屋根なので、現場で原寸で当るのが一番。
BBHの軸組図チェックしながら、いくつかの連絡事項。
KKHへ竣工図を届けに行きながら、昨日古書店で見つけた、「季刊リュミエール」全14册(筑摩書房)を購入しに行く。
夕方からスタッフは、新しく届いたiMacのセッティング。
iMacに変えたら、デスクの上がすっきり。
今までの、デスクトップとモニターが占めていたスペースにびっくり。
夜、何気なく見始めたTVの「ダイヤルM」、つい最後まで見てしまう。
ヒッチコック監督の「ダイヤルMを廻せ」のリメイクだが、今20:00からBS2でやっている、ヒッチコックの作品と比べてしまうと、なんだか切れが無いように感じる。
だだのひいきめか。
○ 2005/1/28
朝来て、iMacが置かれたスタッフのデスクを見て、スッキリした事にあらためて驚く。
メール等のセッティングがあるので、自分のデスクだけiMacに変えてないので、ここだけ一時代前のようだ。
19:00に新宿で、塗装見本の受け渡しがあるので、16:30に事務所を出て、初台のオペラシティーアートギャラリーの「森山新宿荒木展」http://www.operacity.jp/ag/に行く。
この間、「またの日の知華」を歌舞伎町の昔の噴水前にある、シネマスクエアートウキュウに見に行った時、歌舞伎町の風俗店が軒並み閉店状態だった。
話には聞いていたが、これほどとは。
新宿には、新宿がなくなってしまっていた。
しかし、新宿の周縁の初台の、居座りの悪いオペラシティーに、まさに新宿がお邪魔していた。
森山・荒木の二人の写真は、新宿と言う街を写しているのでなく、まさに「新宿」としか呼べないものを写し取っていた。
<マイネポリーヌ>
ビッグレッドファーム明和で調整中。坂路でキャンター1100m1本の運動をしています。今週は軽めに乗って脚さばきの感触を確かめてきました。トモの踏み込みが甘い気もしますが、以前からのもので休ませるほどの疲れは感じられません。近々、真歌トレーニングパークへ移動する予定です。
○ 2005/1/29
午前中、事務所に来て、TRHの増減をチェックして、クライアントへファックス。
その他、いくつかの連絡事項とパソコンを変えるための、データバックアップ。
11:30に大和町に戻り、昼を取り、12:15大和町を出て横浜国大へ。
「唐十郎教授最終講義」。
14:30に開場した大教室は超満員。
15:00、室井尚教授の司会で最終講義が幕開け。
伝説の初講義の映像の後、第1部:唐教授と扇田昭彦氏による対談。
唐教授の7年に及ぶ大学での様々な経緯を、大学内外の事象と結び付けながらの対話。
密度の濃い、時に唐さん独特の誤読が混じった対談だった。
あっという間に、1時間が過ぎた。
第2部:唐ゼミによるパフォーマンス。
唐教授のもとに、唐戯曲を上演する学生達で構成された劇団「唐ゼミ」。
2001年の第1回公演から8回公演までのダイジェスト公演。
懐かしい台詞が一杯あった。
そして、最後に唐教授が「少女仮面」の名曲を唄い、教室の向うへ去って行った。
昨日の「森山新宿荒木展」といい、今日の「唐十郎教授最終講義」にしても、その存在感は過去のものではなく、逆に、今でもより以上に現在に働きかけてくる。
以前、吉祥寺シアターの公開コンペの際、審査員たちが「いまだに、唐やピナなのか・・・」といっていたが、今こそ唐十郎であり、ピナ・バウシェでもあるのではないか。
それ程、この30、40年の生み出したものは、拡散しているのではないだろうか。
唐教授を国立大学に招いた、室井教授の荒技は、見事に大学に風穴を開けていたことを実感できた、元気の出る会だった。
○ 2005/1/30
一日、大和町。
先週、日光のニ荒山神社で頂いてきた、「招きだいこく」を額に入れ、飾る。
0131
月並みだが、今日で早くも一月が終わった。
朝、事務所。
日報のアップ。
今日、僕のパソコンもiMacG5に変えた。
土曜日にパソコンに詳しい人に、準備しておいてもらったのだが、
LAN、メールなどがなかなか調子良くいかない。
どうにかなったのは、夕方で、一日バタバタ。
OSもいきなりの大バージョンアップなので、どう使ってよいのか分からなかったり、いろんなパスワードとかの調整が、これからもしばらく続きそうだ。
○ 2005/2/1
そして、今日から2月。
大寒波だが、東京は寒いがよい天気だ。
朝、インターネットやメールの整備。
BBHの施工図チェック。
13:30、KOHの現場打ち合わせ。
木造部分はサッシュがつき、外壁屋根の下地もあらかた終わって、かなり良い感じだ。
塞がれ、開口が決まったことで、柱梁の軸組ダケだった時より、倍ぐらいの気積に感じる。
2階と3階のつながりがダイナミックだ。
16:00過ぎ終了。さすがに3時間弱現場で打ち合わせすると、身体の芯から冷えきる。大工さんたちは大変だ。
帰りに、iMacの活用本を買ってきて、いろいろ試して、ずいぶん機能が分かってきた。
○ 2005/2/2
今日も寒い。
午前中、BBHの施工図チェックといくつかの検討、およびOKBの図面作業。
パソコンやプリンター、LANの環境が変わり、とても使い勝手が良くなった。
午後、ちょっと用事があり新宿まで行ったついでに、デジカメとパソコンの接続コードを購入。
今までのパソコンは、USBポートが無かったので、大和町で取り込み、MOで持ってきていたので、面倒だった。
しかも、iPhotoという機能があらかじめインストールされていて、デジカメのドライバーをインストールしなくても、データ取り込みや編集が出来るようになっている。
何年もバージョンアップしないと、浦島太郎のようになってしまう。
出先から戻り、面倒な文章書き。
○ 2005/2/3
確実に寒気に覆われている。芯から冷え込んでいる。
またパソコンだが、環境は良くなったが、使い方が変わったので、例えば写真をプリント依頼しようとしても、うまく行かない。
そんなことで、時間がかかる。
四苦八苦してやっとできたが、これは絶対正しいやり方ではない。
午前中、KOHの電気関係のスタッフ打ち合わせをしていたら、現場から電話。
荒配線を始めたが、収まらないところがあるとの電話。
午後現場に行くことにして、14:30、KOHの現場。
打ち合わせをして、配線のルートを確保。
帰りに、プリント依頼した写真を受け取りにいったら、ちゃんと出来ていた。
送信の仕方を聞くが、どうもはっきりしない。
BBHのプレカット図をチェックして、ファックスで建設会社にバック。
今日の昼休みに、この部屋の貸し主の代理人が、解約の申入書を届けにきた。
先日、管理会社からなんとなく聞いていたが、動き始めた。
○ 2005/2/4
今日も西高東低の冬型の気圧配置だ。
朝、寒い。
MRHの計画チェックとスタッフ打ち合わせ。
またまたパソコンだが、こうやってパソコンの環境が整っていくと、すべてのことがパソコンでできるように思えてくるのではないか。
でもそうなると、パソコンを使っているように思っているが、パソコンに使われてしまっているのではないか。
パソコンに浮かんでくる情報を、なんのチェックも無く信じてしまう。
それが正しい情報か、間違っている情報かのチェックを言っているのではなく、それをそこにある真実のように思ってしまう。
それは、自分を通過して出てきたもののではなく、はじめからそこにあるものだと思ってしまう。
外との関係もかなりのことが出来てしまうように思い込む。
携帯を持ってないので分からないが、携帯はもっとそんな感じがするのではないか。
KOHの明日のクライアント打ち合わせの準備打ち合わせ。
BBHのプレカット図チェック。
大学院の先輩の河津さんから電話がある。
今年、新しいことが始まりそうだ。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。歩様はそれほど気になりませんが、中間念のためトモに笹針治療を行いました。乗り運動を再開していますが、跨った感触は問題ありません。
○ 2005/2/5
朝、事務所。
パソコンのアプリケーションの問い合わせ。
徐々に使いこなせるようになってきてはいる。
いくつかの連絡事項。
今日は16:00から、KOHの上棟式。
上棟式の前にクライアント打ち合わせを行うため、14:00前現場に。
クライアントに現場を確認してもらい、ガラスの種類を決めた後、近くのカフェに移り、打ち合わせ。
16:00前、現場に戻り、ご近所に上棟の挨拶をして、上棟式開始。
お清めをした後、お酒とごちそうを頂く。
17:30前に終了。寒かったが、楽しい上棟式だった。
○ 2005/2/6
今日大和町に新しいテレビがきた。
今までのテレビは、かれこれ15年以上使った。
映画を見たいのだが、今までのブラウン管のテレビだと移り込みがひどく、見るのが嫌になってしまっていた。
今度のテレビは、液晶画面。
いくつかのDVDを試してみたが、移り込みも無く、解像度も高く、今までのテレビで見れなかった、映画のディテールも映るようになった。
17:00、高円寺の成都で、西荻の両親そして妹家族と、新年会。
たくさん食べた。
○ 2005/2/7
今朝も寒い。雲が多く日差しも遮られぎみで、より寒い。
朝、いつも読んでいる「絶対毎日スエイ日記」http://www.sundial.co.jp/cgi-bin/byakuya/suei/read.cgiを読んだら、2月6日の日記に、阿佐ヶ谷とiMacG5が出てきたので、嬉しくなった。
本の方は、毎日大和町のトイレで少しずつ読んでいる。
10:00、事務所を出て自由が丘へ。
11:00から自由が丘で坂下とBBHの事前打ち合わせ。
12:00過ぎBBHの現場へ。BBH配筋検査と軸組や鉄骨階段の打ち合わせ。
13:30に現場を出て、五反田のイマジカヘ。
「ガラスの使途(つかい)」の零号試写。
とっても濃い映画に仕上がっていた。
18:30事務所に戻り、連絡事項あれこれ。
○ 2005/2/8
朝から冷たい雨が降っている。
昨日のBBHの打ち合わせの確認。
机周りの整理で、午前中が終わる。
13:30、来客。
16:00、立ち退き交渉の代理人が来所。
その間、MRHのスケッチ。
○ 2005/2/9
天気予報では今日は暖かくなるとのこと。
朝資源ゴミを出しにいっても、寒くはない。
朝、事務所でメール返信や連絡事項。
MRHのスケッチおよびKOHのスタッフ打ち合わせ。
13:30事務所を出て、原宿の空間設計社・奥村君を訪ね、パソコンソフトを貸してもらう。
15:00BBHの現場。ホールダウン金物の確認。
17:00五反田イマジカ。「ガラスの使途」の初号試写。
終了後、イマジカ地下の食堂で、完成お疲れの乾杯。
20:30近くの居酒屋で、二次会。22:30終了。
阿佐ヶ谷に唐組や梁山泊のメンバー何人かと戻ってきて、吐夢で三次会。
気がつけば、4:00近く。
○ 2005/2/10
午前中は完全にダウン。
今日は大和町にチェ・ミキのおばさんと友人が来るので、午後も大和町の片付け。
その間、16:00KOHの現場へ行って、打ち合わせ。
夕方、おばさん。19:00に友達くるが、昨日の疲れから、21:00過ぎダウン。
○ 2005/2/11
昨日ゆっくり寝たので、今日は快調。
先日借りてきたソフトをインストール。
そのアプリケーションを使って、書類作りをするが、初めてで時間がかかる。
昼過ぎにやっと完成。
日報アップ。
進行中のプロジェクト確認。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。笹針を打って休ませたり馬場状態が悪化して乗れない日もありましたが、安定した走りで手応えも上々です。今のところトモの状態も気になりません。
○ 2005/2/12
昨日の夜、たまった新聞を読んでいたら、「折々のうた」に正岡子規の「冬ごもり病の床のガラス戸の曇りぬぐえば足袋干せる見ゆ」があった。
大岡信の解説に「現代人が読めば何という変哲もない歌だが、子規はこの歌を作った明治三十三年冬、病室の何面の、それまでは紙障子だった戸をガラス戸に替えることができ、その暖かさに上機嫌になる、ガラスを拭いたりして喜んでいる。」とある。
病牀六尺、自分の身体を通して外の世界を感じ取る人がいる。
バリアーフリーの(段差がないという意味ではなく、性能が上がり過ぎたという意味で)建築は、そんな身体を置き去りにしていないのだろうか。
朝、事務所で連絡事項。
BBHのプレカット図のチェック。
MRHの検討。
その間、13:00KOHの現場で、先日指示したトップライトの位置の確認。
○ 2005/2/13
午前中、大和町でMRHとKNHのスケッチ。
昼から、東京国際マラソンをTVで見る。
しかし、最近のテレビのスポーツ番組は、格闘技から陸上まで皆同じ調子だ。
マラソンならマラソンにあった中継ができると思うのだが。
ただのマラソン通を称するキャスターみたいなのが、中継車に乗って取り仕切っているのは何なのだろう。
まあ、NHKのラグビーの中継騒動にもあきれるが。
トヨタ対早稲田、結局実況中継を見損ねてしまった。
今日は一日大和町から出ないようにしようかと思っていたが、あまりの天気のよさに、夕方自転車で整理して出た本を、古書店に売り行ったつでに、近所の自転車店で、ブレーキの調整とサドルを取り替えてもらう。
ブレーキのちょっとした調整で、レバーの感じが変わった。
ほんの少しのことだが、新鮮だ。
新しいサドルは、赤茶色。なかなかいいぞ。
○ 2005/2/14
朝から事務所。
MRHのスケッチ。
KOHのスタッフ打ち合わせ。
昼過ぎ、夜のクライアント打ち合わせに向け、確認事項ありKNHの既存建物へ。
行きに、新しくインストールしたアプリケーションのマニュアルブックを探し、購入。
帰ってきて、そのマニュアルを見ながら、書類作成。
なんのアプリケーションかは、あまりにも初歩的なものなので、ここには恥ずかしくて書けないが、時間かかったが、便利だ。
その間、来客。
18:30事務所で、KNHのクライアント打ち合わせ。
一回目の提案についての、フィードバックの確認。
○ 2005/2/15
朝、事務所。
書き出してみたら、細かい雑務が結構ある。
しかし、こまめに片付けておくことが必要なものばかりだ。
KOHの仕上げ見本について、スタッフ打ち合わせ。
KNH昨日の打ち合わせのまとめ。
BBHの模型の写真撮影とプリント。
昨日使えるようになったアプリケーションのより充実化を昼過ぎまで。
その後、種々雑多の雑用で一日が過ぎる。
○ 2005/2/16
朝から久々の雨。
そういえば明け方、大きな地震があった。
ネットのニュースで見たら、4:46茨城南部が震源で東京は震度4。
昨日の続きの雑用を片付ける。
KOHの家具のスタッフ打ち合わせ。
KNH、先日のクライアント打ち合わせ内容の検討、図面化。メールにて送信。
BBHのスケッチ。
朝、熱があると言っていたチェ・ミキが、インフルエンザB型と判明。
少し早く事務所を出る。
星君、無断欠勤。
よる電話が大和町にあり、行かなくては、と思っても行けなかった、とのこと。
2時間半かけて『場所に聞く、世界の中の記憶』(鈴木博之:著 王国社 2005)を一気に読み通す。世界中の24の都市の記憶について綴ったエッセイだが、僕はそのうちの半分しか行ったことがない。リヨンのオペラ座に関する話題の中に、僕と佐々木睦朗さんが出てきたのにはびっくりした。読んでいてイギリスのダラム、シチリア島、ハンガリーのブタペストには行ってみたいと思った。
「建築は空間の芸術だと言われるが、むしろそれは時間の芸術ではないか。」
とは歴史家らしい名言である。次の言はアドルノやベンヤミンが言ってもおかしくないだろう。
「われわれはあたかも建築家が自由な発想のもとに建築を構想するかのように考える。しかし人間のあらゆる営為は政治的であり、社会的であり、それゆえ歴史的なのだ。その全体に気づかないかのようにして建築を語るならば、単なる専門バカということになろうか。」
あるいはもう少し詩的な発言もある。
「あらゆる場所に歴史は降り積もり、やがて醗酵して文化になる。場所こそが文化を蓄積させる器なのだ。「場所に聞く」とは、場所の中に封じ込められているあらゆる歴史と文化を再び解き放つ試みなのだ。」
青本往来記05.02.16
○ 2005/2/17
インフルエンザ、とりあえずまだ症状は出ていないので、うつってないのか。
午前中、連絡事項および雑務。
13:30、KOHの現場打ち合わせ。
サッシュや障子が入り、一部ボードも張られ、一段と仕上がってきた。
16:00前終了。今日はそれほど寒くないので助かる。
帰えり道、いくつか打ち合わせと変えた方が良いことを考えつき、指示を出したり、スタッフと打ち合わせをしたり。
星君、朝話し、試用期間ここでおしまいにする。
○ 2005/2/18
朝から、一日事務所。
KOHのスタッフ打ち合わせ。
BBHの施工図のチェックと坂下との電話打ち合わせ。
MRHの図面作業。
夜、テレビで日本アカデミー賞を見る。
助演女優賞、「血と骨」の田畑智子さん、とても良かったのに最優秀とれずに、残念。
田畑さんと寺島さんの演技は、すごかった。
崔洋一監督、最優秀監督賞おめでとうございます。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。洗い場で何度も前掻きをするなど、気性的にきつくなってきました。トモの蹄の先端を引きずって歩きますが、走りっぷりはぐんぐん良くなっています。
○ 2005/2/19
起きたら、雪景色。
小雪が降ったりやんだり。
MRHの図面作業。
BBHのクライアント打ち合わせの準備をして、12:00前事務所を出る。
13:00、BBHのクライアント打ち合わせ。上棟日や工程の説明と細かい部分の打ち合わせ。
15:00終了。
帰りに、世田谷美術館「瀧口修造:夢の漂流物 同時代・前衛美術家たちの贈物 1950s〜1970s」(http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html)
16:00前に着いたら、偶然16:00から「瀧口修造の詩から生まれ、またその死に捧げられた音楽」というミニライブがあった。
ピアニストの高橋悠治さんの演奏で武満徹「遮られない休息」・「閉じた瞳」・「バッハ/マタイ受難曲」の3曲。
展示作品は、瀧口さんのところに集まってきたものだけに、シュルレアリズム(超現実主義)の系統のものが多いが、改まってそれらのものを見ると、観念的でなくとても身体的なものが多いのに驚いた。
貴重なものも多いので、展示の仕方には限度があるのだろうが、これらの漂流物が展示品になってしまっていて、写真で見る瀧口さんの部屋に並んでいる時の魅了が薄れてしまっていたのが、残念だった。
○ 2005/2/20
朝からすっきりしない天気。
午前中新聞を読んだり、MRHのスケッチをしたり。
午後も小雨が降ったりやんだり。
高円寺の古書に先週お願いしてあった、「夜の果てへの旅」ルイ・フェルディナン・セリ−ヌ/生田耕作訳をピックアップに行き、「悪い男」キム・ギドク監督(http://www.kimki-duk.jp/badguy/index2.html)のDVDを借りてくる。
夜、「悪い男」を見る。
見ている者を引き込んで行く、力のある映画だ。
フェリーニの「道」をかなり意識しているように感じた。でもそれが見えてくると、ジュリエッタ・マシーナとアンソニー・クインがいかにすごい役者だったかが分かってくる。
チラシで見た色彩が、どう画面に表現されているのか、楽しみだったか、色彩はあまり濃くなかった。
○ 2005/2/21
今日からは、晴れそうだ。
朝、メールのチェックや返信、日報のアップ。
KOHのスタッフ打ち合わせや連絡事項等で、午前中が過ぎる。
13:00、坂下来所。
BBHのクライアント打ち合わせの伝達と、MRHの打ち合わせ。
午後、用事で外に出たついでに書店で「中央線の詩(うた)・上」朝日新聞社東京総局(出窓社)を入手。
今、朝日の朝刊の東京版で連載中の「中央線の詩・西荻窪」は突込み処がよく、ずっと切り抜いていた。
ふと、高円寺の書店で手に取ってみたら、その連載の以前の文をまとめた本だった。
なかなか興味深そう。吉祥寺から八王子までの8駅が目次にある。
まえがきによれば、2005年1月からの連載では、「西荻窪から中野にいたるまでの」「いわば『中央線のコア地帯』とも呼べるところ」を取り上げるそうだ。
楽しみだ。
MRHの図面作業を続ける。
○ 2005/2/22
朝からよい天気だ。
メールチェックや連絡事項。
MRHの図面作業。
13:00過ぎ、KOHの現場。
昨日、螺旋階段がついたので、空間の確認に。
今日から、外壁・屋根の板金工事が始まっていた。
○ 2005/2/23
昨日の夜は寒かったが、今日は暖かい。
天気予報によると、今日、春一番が吹くかもしれないそうだ。
ついこの間年が変わったと思っていたら、もう春が近づいてきている。
朝、メールチェックと返信。
MRHの図面チェックを坂下に返信。
11:00前に事務所を出て、一年前に竣工したNSHに向かう。
モダンリビングの写真撮影の立ち会い。天気がよくてよかった。
夕方までかかって、無事撮影終了。
18:00事務所に戻り、いくつかの連絡事項。
○ 2005/2/24
朝、ロールカーテンを開けると、キャロライナジャスミンが新たに延びだしたのが眼に入ってきた。
冬の間はじっとしていたのに。昨日の春一番に合わせるように、延びだしたのか。
自然はよく出来ている。
12月と1月の経理関係のデータのまとめと昨日の写真のプリント依頼。
10:00過ぎ事務所を出て、KOHの現場に向かう。
月曜日のクライアント打ち合わせの為に、塗装見本の作成打ち合わせ。
昼前に事務所に戻り、MRHの図面を、坂下にチェックバック。
15:00前、自転車で荻窪の公認会計士事務所へ。
経理関係の資料渡し。
帰りに図書館と銀行と写真のピックアップ。
その後、MRHの図面作業を続ける。
<マイネポリーヌ>
18日(金)美浦の高橋裕厩舎に入厩し調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。調教師が直前に馬の状態を確認のうえ、真歌トレーニングパークを送り出しています。入厩後もトモの歩様はスムーズで様子を見ながら追い切りをかけていく予定です。
○ 2005/2/25
昨日の夜、うっすら積っていた雪。
朝起きたら一面の雪になっていた。
雪の轍に気をつけながら、自転車で事務所に来た。
登校中の子供たちは、嬉しそうだ。
時々、電線の上に積った雪が溶けて落ちてくる。
ほぼ一日MRHの図面作業。
一日パソコンで図面を書いていると、首筋が痛くなってくる。年かな。
○ 2005/2/26
朝、事務所。今日はさわやかな天気だ。
MRH、KNHの今日の打ち合わせの準備。
10:00、BBHのクライアント来所。11:30過ぎ打ち合わせ終了。
12:00に事務所を出て、川口に向かう。
13:30、KNHのクライアント打ち合わせ。現在お住まいのところに伺い、新居に持って行く家具等を拝見しながら打ち合わせ。
15:00過ぎ、川口を出て、上野毛へ。
BBH のクライアントと現場へ。ちょっとした打ち合わせ。18:00終了。
ずいぶん日が長くなった。18:00前でもまだ明るい。
しかし今日は寒かった。
○ 2005/2/27
「OASIS(オアシス)(」http://www.cqn.co.jp/oasis/)のDVDを借りてきて見る。
監督は「ペパーミント・キャンディー」のイ・チャンドン。
素敵な映画だった。難しいテーマだが、とても良く伝わってくる。
映像も、決して派手ではないが、随所に魅力的なカメラワークがある。
何といっても、主人公ふたりの演技が素晴らしい。きちんと映画の中に存在していた。
イ・チャンドンの視線は、アルモドバルの「トーク・トゥ・ハー」や「オール・アバウト・マイマザー」に通じるところがある。
デビュー作の「グリーンフィッシュ」をぜひ見てみたくなった。
○ 2005/2/28
朝からよい天気だ。
朝、メールチェックと日報のアップ。
土曜日の打ち合わせの、まとめ。
14:00、KOHの現場でクライアント打ち合わせ。
先週作った塗装見本で仕上げの打ち合わせと竣工までの工程確認。
クライアント打ち合わせは、一時間で終わり、その後現場で建設会社と打ち合わせ。
17:00前打ち合わせ終了。現場はガラスも入り、外壁で囲まれているし、気温も少しずつ上がってきていて、以前に比べれば、打ち合わせしていてもずいぶん楽だ。
○ 2005/3/1
3月の始まりは、とても冷たい風の吹く日になった。
今日の午後の打ち合わせの準備。
9:00過ぎに事務所を出て、三鷹へ。
11:00過ぎに事務所に戻る。
午後は、午前中の打ち合わせの内容のまとめ。
17:00過ぎからのOKB の打ち合わせのついでに、渋谷の文化村ル・シネマにより、「オアシス」のプログラムを入手。
上映中の「大統領の理髪師」が満員ですごい人気、と思ったら、今日は映画サービスデーで入場料が1000だった。
午後は風がやんで、そんなに寒くなくなってきた。
17:30、OKBの打ち合わせ。
帰りに、新宿のタワーレコードでジェフ・ペックのCDを2枚衝動買い。
ここのところ、なにがきっかけだったか思い出せないが、昔のロックをすごく聴きたくなっていた。
○ 2005/3/2
午前中、BBHの検討。
午後KNHの実測に自転車で向かうが、現地について鍵を忘れたことに気づく。しまった。
外回りだけ見てくる。
帰りにKOHの現場による。
仕上がりが楽しみになってきた。
BBHの現場指示図作成を終日。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。6日(日)中山の牝馬限定・芝2000mにて復帰する予定です。先週の追い切りは、併走相手が馬なりだったとはいえ、追走して好反応で同入する内容には好感が持てました。新馬戦は単調なレースでしたが、稽古の感触から本来はもっと味のある競馬ができると見ています。
○ 2005/3/3
朝、メールをチェックしたら、「すまいと」(http://www.sumaito.com/)の岩谷さんから、「サイトシーングバスカメラ」(http://www.geocities.jp/buscamera/)という、とても興味深い催しのお誘いが届いていた。
早速、申し込む。
この催しを計画をしている写真家・美術家の佐藤時啓さんの写真集「光ー呼吸」を以前書店で偶然手にし、入手していた。
面白い結びつきだ。
午前中、MRHの図面作業。
午後BBHの現場指示図面の作業とKOHのスタッフ打ち合わせ。
合間、杉並中央図書館にリクエストしていた本を取りに自転車で行くが、休館日。
昨日といい、今日といい、どうも今週は間が悪く、気持ちもすきっとしない。
身体のリズムが狂っているような感じだ。
明日はBBHの建て方だが、天気予報は今夜から雪。心配していたが、夕方現場担当者に連絡をとったら、急遽今朝からに変更したとのこと。付きっきりで、連絡忘れていたそうだ。今日中に屋根の合板をのせ、シートで養生するとこまで行くと言う工程を聞き、一安心。
マイネポリーヌが6日・中山の5レースに出走決定。
○ 2005/3/4
この前の日曜日に見た、「オアシス」(http://www.cqn.co.jp/oasis/)でヒロイン役のムン・ソリが歌う「私がもし」という歌が、耳から離れない。
気づくと、ついハミングしている。
今朝も雪の降る中、あまりにもその景色と歌の印象がぴったりだったので、雪を踏みしめながら心の中でハミングしながら事務所に来た。
ハングンマルで覚えようか。
雪の中を歩いてくると、脚の裏がキンキンに冷たくなった。
ずっとBBHの図面作業。
○ 2005/3/5
14:00、BBHの現場。
一昨日建て方で、今日はクライアントと現場確認。坂下、チェ・ミキも同行。
現段階でかなり中と外との関係が確認でき、窓のガラスの仕様等を決める。
伸びやかな、気持ちのよい空間になりそうだ。
15:00過ぎに現場を出て、ゆっくり歩いて、NSHへ。
16:00から一年点検。
建設会社の方達と指摘事項を見て回る。
その後、クライアントに夕食のご招待を頂く。
こじんまりした創作料理のお店で、大人数でお邪魔した我々で貸し切り。
下ごしらえのしっかりできた、優しい味の料理を頂く。
ごちそうさまでした。
○ 2005/3/6
11:00過ぎ、新宿の場外馬券売り場へ向かう。
中山5レースにマイネポリーヌ出走。
単勝と複勝の馬券を購入後、モニターでレースを見る。
6着に終わる。
「トリコロール/青の愛」クシシュトフ・キェシロフスキ監督のDVDを借りてくる。
「汚れた血」のジュリエット・ピノシュが出ているので、前から見ようと思っていたもの。
ヨーロッパの成熟した映画。
ヒッチコックが言っているような意味で、上質のミステリーである。だから、次から次へと引き込まれて行く。
「身を切るような孤独を知っている者だけが、人生の美しさを真に享受することができる。」〜クシシュトフ・キェシロフスキ〜
う〜ん、と唸ってしまう。
ヨーロッパとアジアの気質的な違いを、先週見た「オアシス」との比較で感じた。
○ 2005/3/7
朝、メールチェックと日報アップ。
午前中は事務所の雑務で終わる。
午後、KOHのスタッフ打ち合わせ。
合間を見て、図書館へ。
その後、BBHの施工指示図面作成。
○ 2005/3/8
午後の打ち合わせの準備をして、BBHの施工指示図の作業。
10:20事務所を出る。
KKHでAVシステムの説明に立ち会うが、うまくシステム組めてなく、仕切り直し。
11:30事務所に戻り、準備をしてMRHのクライアント打ち合わせに向かう。
13:00から打ち合わせ、15:00終了。
帰りに新宿で私用をすませ、17:30事務所に戻る。
MRHのかわいらしい模型が出来つつある。
BBHの上棟式の参加者を確認し、クライアントに連絡。
今日は、桜が咲いていてもおかしくないくらい、暖かだった。
ラフィアンのポリーヌ情報を見て、悲しむ。
<マイネポリーヌ>
6日(日)中山で出走し、6着でした。3コーナーから仕掛けて4コーナーでは先行集団と差のないところまで進出しましたが、坂にさしかかると甘くなってしまいました。レース後、右ヒザを剥離骨折していることが判明し全治6ヶ月の診断が出る見込みです。未勝利戦に間に合ったとしても出走できる機会は少ないため引退の方向で検討中です。
○ 2005/3/9
今日も暖かい。
先週は、なんだかカリカリして、あまり良いリズムではなかった。
今週は、いろんなことがあるが、結構素直にそれらのことを受け入れられる。
けして前向きという訳ではないのだが。
こんな繰り返しを、気がつけばしている。
朝、BBHの施工指示図作成。今週は出かけることが多く、とぎれとぎれにやっているので、なかなか進まない。
10:00過ぎに事務所を出て、HMHの補修工事の立ち会い。
13:00前に事務所に戻ったら、連絡事項が沢山あり、午後予定していたことを早めに片付ける為に、急いで食事し、KOHの現場へ。
昨日、現場の様子を見に行こう、と思っていたが行けなかったので、現場確認。
かなり出来上がってきた。
その後、KNHの建物へ行って、実測。
その後、ケーブルテレビに寄り、15:30事務所。
いくつかの連絡事項をすませ、16:30KKHへ。
ちょっとした点検。
すぐ事務所に戻り、また連絡事項。
ほんとにいろんなことが起こる。
それらをひとつひとつ解決して行くのが、建築の仕事のかなりの部分を占めている。
その後は、BBHの現場指示図の作業。
スタミナをつけに、夜、チェ・ミキと二楽亭にホルモンを食べに行く。
○ 2005/3/10
昨日までの春らしさは、どこかへ行ってしまた。
午後の現場打ち合わせに向け、BBHの現場指示図の作成。
13:00前、事務所を出てBBHの現場へ。
14:00、構造の山崎さんの軸組チェックから。
いくつかの問題点を検討。
その後、サッシや納まり等の打ち合わせを現場担当者と大工さんと行う。
2階のワンルームになっている空間が、気持ちよい。
16:30、打ち合わせ終了。その後と近くの喫茶店で坂下とMRHの打ち合わせ、17:30まで。
現場と駅の途中にある魚屋さんに、セイコカニが置いてあり、購入。
18:30過ぎ事務所に戻る。
KOHの現場に行ってきた木村と打ち合わせ。
○ 2005/3/11
朝事務所で、連絡事項や雑務。
10:00に事務所を出て、KOHの現場へ。
塗装の確認。
いよいよ追い込みだ。
事務所に戻り、出来上がったMRHのキュートな模型をデジカメ。
昼からは、昨日のBBHの打ち合わせのまとめと、キッチン周りの検討。
KNHの実測の図面化とスケッチ。
○ 2005/3/12
朝事務所行きの前に、図書館へ。
雨上がりの清々しい朝で、自転車に乗るのが気持ちよい。
14:30事務所を出て、KOHの現場へ。
清々しい天気はどこかへ行ってしまい、部分的に真っ黒な雲がかかり、風が強い。
今日はキッチンの工事。
外壁の板金工事も終わっていて、大工さんが道路に面したシートをとって見せてくれた。
チョコレート色の板金が町にとけ込んでいる。
15:30現場を出て、東京駅に向かう。
「サイトシーングバスカメラ」(http://www.geocities.jp/buscamera/)の17:00の回を申し込んであるが、少し早いので八重洲ブックセンターへ。
16:45バス発着場所へ。チェ・ミキと落ち合う。
「すまいと」(http://www.sumaito.com/)の岩谷さんに挨拶をして、バスに乗り込む。
バスの中央に前から後ろまで、白いスクリーンがある。その両脇の座席に腰掛ける。
佐藤時啓さんの説明があり、バスは走り出す。
バスの両サイドに取り付けられたレンズを透し、外の風景がスクリーンに映る。
スクリーンに映る映像はバスと一緒に先に先に進むので、我々も動いているのだが、視覚的には置いて行かれているように感じる。
高層ビルのエレベーターでフワッとなるのを、横方向で体験しているようだ。
東京駅から有楽町駅をぐるっと回るコース。
暮れなずんだ東京の景色が、まるでフランス映画のようにきれいだった。
18:00からの回は、ネオンとかがより浮き立ち、きれいだろうなと、思った。
希有な体験をした。
18:00、銀座の三平酒寮・舟甚に入る。チェ・ミキの友達の上利も来て、美味しい地酒をたらふく飲む。
○ 2005/3/13
10:30、KKHのAVシステムの説明、調整の立ち会い。
12:00終了。野菜や肉の買い物をして、大和町に戻る。
部屋を片付けていたら、14:30ユーさんとヒャンスク夫婦来宅。
迎え酒とビールを飲み、しばらく話をして、夕方からヒャンスクがチヂミを作ってくれる。
とても美味しい。
途中で眠くなり、失礼して横になる。
22:00ふたりが帰るので、起きる。シャワーを浴びビールを一口飲み、また寝る。
○ 2005/3/14
朝、事務所。日報のアップや連絡事項。
午前中は雑務。
午後、KNHのスケッチとBBHの照明確認。
KOHの現場担当者から電話があり、リノリウムの張り方の確認をしに現場に行く。
2、3日前から、寒いところから暖かいところへ行くと、鼻がむずむずしてくしゃみが出る。
花粉ではないと思うが、今日は少し熱っぽい。
風邪でなければ良いが。
KOHのオープンハウスを4月2日に決め、案内状の準備に入る。
○ 2005/3/15
朝、今日の午後見に行く、リフォームを前提で購入を考えている方の相談の準備に、リフォーム関連の資料をあたる。
午前中、明日のBBHの定例打ち合わせの準備。
今日も少し熱っぽく、のどがいがらっぽい。
13:00過ぎ事務所を出て、自転車で荻窪へ。
中央線仲間のデザイナーKZさんと落ち合い、物件を見に行く。
拝見した後、喫茶店で話すが、購入は見合わせた方が良い、という結論に達する。
住宅建設について、しばらく雑談。
帰りに、事務所の近くの医院へ。
風邪の診察してもらうが、時節柄花粉症のアレルギー血液調査を進められ、採血。
4日後に結果分かると言う。
薬局に寄って、薬をもらい事務所に戻る。
BBHのクライアントと電話とファックスで打ち合わせ。
KNHのスケッチ。
<マイネポリーヌ>
前走で右ヒザの剥離骨折が判明しました。休養させての造り直しも可能ですが、復帰できたとしても1戦しか未勝利戦を使えないことも大いに考えられるため、残念ですが引退させることになりました。長い間、ご声援をいただきありがとうございました。
なんとも残念だが、しょうがない。
ポリーヌ、楽しませてくれてありがとう。
お疲れさま。
○ 2005/3/16
朝から、オープンハウスのお知らせの件で、いろいろ試行錯誤。
パソコンの環境ががらっと変わったので、メールで一括で送れたり、便利になったが、すべて初めてなので時間がかかる。
その合間に、BBHの打ち合わせ準備。
13:00前に事務所を出て、BBHの現場へ。
14:00から定例打ち合わせ。
今日は天気がよく暖かい。屋上の防水工事をしており、屋上に上がったら気持ちのよい風が吹抜けていた。
16:30過ぎ、打ち合わせ終了。
18:00前に事務所に戻る。
木村に帰り道で考えたKOHの指示事項を伝達したり、BBHのクライアントに打ち合わせの質疑を連絡したり。
○ 2005/3/17
今日は朝から連絡事項が多く、文章を書いたり、オープンハウスのお知らせをしたりで、一日パソコンに向かっていていささか疲れた。
その間に、KOHの現場に行ってきた木村と打ち合わせ。
キーボードは今日はもういい、といったところだ。
○ 2005/3/18
キャロライナジャスミンが黄色いつぼみを付け始めた。
昨晩の雨上がりの風は、春の風だった。
今日はよい天気だ。
朝、事務所でメールや連絡事項。
メールでオープンハウスのお知らせをしたら、早速何人かの方々から返事を頂いた。
興味を持ってもらって、ありがたいことだ。
10:00過ぎ、KOHの現場に向かう。
家具が取り付き、空間が様変わりし始め、楽しくなってきた。
今日は本当に自転車日和だ。このままどこかまで乗って行ってしまいたくなる。
午後BBHの現場指示図作成とKNHのスケッチ。
あんなによい天気だったのに、変な天気になってきた。
夜は風が強く、寒くなった。
夜、セブンイレブンのネットショッピングで今日入手したDVD「オアシス」を見るも、途中で撃沈。
また新しい発見があり、楽しい。
○ 2005/3/19
風はやみ、よい天気。
大和町の小屋裏で、モダンリビングのための顔写真をスナップ。
以前藤塚光政さんに撮っていただいた顔写真がお手本だが、カメラマンがチェ・ミキで不本意に終わる。
まあモデルがモデルだけに、致し方ないか。
しかし、藤塚さんの写真、流石である。
このホームページのトップの顔写真がそれである。
事務所に来て、プロフィールと顔写真をモダンリビングにメール。
大和町の蔦類、このまま夏に向けて育って行くと、お隣や通路を通る人の邪魔になる。もう素人の手に負えない状態なので、笹隈さんに連絡して、見てもらうことにした。
今日はスタッフは休みなので、気まぐれに事務所にあったCD「Blossom Dearie」をかけてみたら、天気のよい土曜の午前中になかなかぴったりだ。
昼に大和町に戻り、進行中のプロジェクトのスケッチ等。
16:00、KOHの現場で、建設会社と最終の工程と未決部分の打ち合わせ。
○ 2005/3/20
午前中、大和町のCATVの切り替え工事に、シティテレビ中野の方が来る。
長年使ってきたTVとビデオを、液晶とDVDレコーダーに変えたので、CATVもアナログからデジタル切り替え。
その後、いろいろ試してみるが、事務所のパソコンを変えた時のように、何かやるにも取説と首っ引きなので時間がかかる。
足りないコードとか買いに出た以外、取り扱いの理解に時間をつかってしまった。それでもまだ、基本的なことだけ。
試しに録画の予約をしてみた。(これは結局、とれていなかった。)
九州の地震、何人か友人もいるので、気になる。
15:30過ぎ、大和町を出て阿佐ヶ谷駅でユーさんと落ち合い、アルポランへ。
朴 保(パッポ)さんのライブ。朴 保さんは、梁山泊の舞台にもたったことがある、「夜を賭けて」の音楽を担当したミュージシャン。
18:30から20:00過ぎまで。
朴 保さんオリジナルから、「アリラン」やニール・ヤングの「オアシス」、「スタンド・バイ・ミー」まで、普段やらない朴 保さんの歌が聴けて、
楽しかった。
12:00頃まで、朴 保さんやライブに来ていた梁山泊のメンバーと、アルポランで飲むが、明日朝現場行きなので、先に失礼する。
だじゃれに混じりながら、途中、朴 保さんは、日本の入国管理事務所の処遇に抗議する集会に参加した話をした。
入国管理事務所の強制送還の仕方(猿ぐつわのような物をかませ、手足を縛られ、毛布に巻かれて強制送還されるらしい)の話には、その人権無視の処遇に、驚きと寒気と憤りを感じた。
大和町の玄関先の、小密林と化した植木たちの、頂いた蘭が枯れてしまった鉢から、何もしてないのに新しい怪しい花が咲き始めた。
○ 2005/3/21
朝9:00、KOHの現場へ。
現場で機器取り付けの確認。
一度大和町に戻り、10:30事務所へ。
パソコンのネットワークがおかしい。メールもネットも繋がらない。
アップルサポートへ連絡して、指示された作業をして、無事復旧。
日報アップ。
メール連絡。九州の友人の様子を確認のため、メール送る。
午後、KNHのスケッチ。
15:00から、一件打ち合わせ。
今朝のネットワークトラブルにしても、昨日のTV環境のアナログからデジタルへの変換にしても、我々を取り囲む便利さは実は便利になればなるだけ、自分たちの手から遠ざかって行く。
この程度でそう感じるのは、不勉強で笑止千万かもしれないが、老人予備軍でこの有様だから、沢山のお年寄りはやはり大変だろう。
だが、一方自分の手から、ダイレクトになにも作り出せなくなりつつ有る。
昨晩の朴 保さんのライブは、自由だった。競演のお兄さんと二本のギターで場を作って行く。
後から加わった、ベースもクラリネットも直にそこに入り込める。
音楽の一番良いめんかもしれないが、やはりリリーストされている。
その間に挟まって、さて何を考える。
○ 2005/3/22
天気の良かった連休明けは今にも降り出しそうな様子で、なんだか気が晴れない。
朝事務所に来てメールチェック。
九州の友人たちは、たいしたことなかったようで、良かった。
朝からBBHの現場指示図作成。
14:00、この間採血した医院に行って、花粉アレルギーの結果をきく。なんと、杉・檜とも反応が出てる。170以内が許容範囲の数値が1400だった。本人の症状は鼻がぐずるくらいなのだが。
とにかく、なるべく外に出ず、帰ってきたらアレルギー源を良く払い、気をつけるように指示される。しかし、現場が有るので、外にでない訳にはいかない。
15:00、事務所を出て、OKBの打ち合わせに。
帰りに、資料集めに新宿の紀伊国屋へ。その後まだ行ったことがなかったので、向かいの三越内のジュンク堂へ。すごい品揃え。端から見て行きたかったが、興味の有るとこだけを廻るが、それでも時間がかかる。改めて来ることにして、必要な物だけ購入して事務所に帰る。
行き帰りの電車で、「明け方の猫」保坂和志(中公文庫)を読み出す。
その中に、昨日感じたこのヒントのような文章があった。
「コンピューターは計算とか記憶とかという人間の能力の一部を抜き出して純化しただけで、聴覚とか臭覚の機能上の広がりとか原生動物から人間にいたる時間的な奥行きとかをいっさい無視して作っているわけで、」
○ 2005/3/23
朝、事務所。
朝刊の一面に丹下健三氏の訃報があった。
「高度経済成長時代(消費社会)のモダニズム」(だれかが言っていたように思うが)の源泉の終焉。
9:00、KOHの現場で細かい打ち合わせ。
10:00に事務所に戻り、連絡事項。
BBHの現場指示図面作成。
13:00前に事務所を出てBBHの現場へ。途中から雨が本格的になってきた。
14:00BBHの定例打ち合わせ。構造の山崎さんが、金物のチェックと、建て方時の指摘事項の是正の確認。キッチン施工会社打ち合わせ等で、16:00前終了。
17:00事務所に戻る。
今日の定例打ち合わせの整理。
○ 2005/3/24
朝起きがけに思いついたことがあり、少し早くに事務所に。
図面確認、現場担当者に今日の現場予定確認。
10:00頃、KOHの現場に行くことにする。
それまで、BBHの現場指示図の作成。
10:00にKOHの現場で、道路際につくスクリーンの下地フレームの取り付け位置確認。朝思いついた件も合わせて打ち合わせ。かなり良くなった。足場ばらしも始まり、工事はピッチが上がって、どんどん様変わりしていている。
11:30事務所に戻る。
その後ずっと、BBHの現場指示図作成。
今晩、新宿のライブハウスでチェ・ミキがメンバーの「居待月」http://www5.ocn.ne.jp/~ms-c/imachi_duki/
のライブがあり、紫水夫妻が大和町に泊まりにきた。
先に寝ていたが、3:00前眼が覚めみんなの会話に加わる。久々に会ったが、転居先の那須で活躍している様子が聞けてよかった。4:00過ぎまで話し、再び寝る。
○ 2005/3/25
朝起きて、トーストを食べていたら、紫水夫妻も起きてきた。午後までに那須に戻らないといけないとのこと。
お先に大和町を出て、事務所へ。
KNHの打ち合わせの準備やBBHのスチールドアのチェックをしたり。
KOHの現場が竣工に向けて急ピッチで進んでおり、朝現場に寄って来た木村の報告を聞くも、自分で確認したくなり16:00前事務所を出て、現場に向かいいくつかのチェックをして、17:00過ぎ、事務所に戻る。
今日はよい天気だが、風が強く冷たい。
自転車で現場に行く途中に、元新宿梁山泊の団員だった中島にばったり出くわす。元気そうだった。
18:30。KNHのクライアント打ち合わせ。基本方針がまとまってきた。
○ 2005/3/26
少しゆっくり起きて、9:00、事務所に。
いくつかの連絡事項。
午後のBBHの打ち合わせの準備。
11:00、事務所で一件打ち合わせして、12:00過ぎ事務所を出る。
13:00過ぎ、小西恵さん設計の小さなオフィスの見学会へ。本当は14:00からだが、次の打ち合わせに間に合わないので、少し早く見せてもらう。敷地面積(15坪)も建築面積(9坪)も2日にオープンハウスをする中野の家と同じ。オフィスと住宅という用途の違いはあるが、小西さんのは将来住宅としての使用を想定しているそうだし、中野は研究者の夫人の仕事場も含んでいるので、使い勝手としてはすごく近い。2階建て(小西さんの)と3階建て(中野)の違いは大きいが、同じ面積で同じような用途だけに、作り方の違いがずいぶんと違う印象を与えることを確認できた良い経験だった。
14:30、BBHの現場でクライアント打ち合わせ。
引き続き、16:00から上棟式。
四方柱をお清めし、現場で料理とお酒を頂き、17:30前終了。
その後、坂下と建設会社の方と場所を移してもう一杯。
○ 2005/3/27
よい天気。
一日大和町。
午後、買い物に高円寺駅近くまで行く。春の陽気に商店街に沢山の人が出ていた。
○ 2005/3/28
朝から雨が降っている。
事務所で、日報のアップ、メールチェック、雑務。
土曜日のクライアント打ち合わせのまとめを夕方まで。
途中、木村とKOHの進行状況と細々したことの打ち合わせ。
その後、MRHが実施設計のまとめの段階に入っているので、今週はそれに集中する。
○ 2005/3/29
朝事務所でメールチェクと連絡事項。
MRHの打ち合わせ準備。
BBHの現場指示図作成。
15:00前KOHの現場。ものつくり大学から、6月にインターンシップで来る学生との顔合わせ。那須先生と一緒に谷田貝君。鈴木基紀のところに顔合わせに行ってきた学生ふたりも一緒。現場を見てもらいながら、お互いの紹介。
15:30、現場にMRHのクライアント夫妻。2日のオープンハウスはご主人がアメリカに出張なので、先行して見てもらう。現場はワサワサ状態。そんな中で、MRHでも使おうと思っている仕上等を確認してもらう。場所を近くのカフェに移して、打ち合わせ。その中で、事務所に有る資料も見てもらった方が良くなり、事務所にご足労頂く。
18:00、MRHのクライアントと入れ替わるように、KOHの建設会社来所。増減についての一回目の打ち合わせ。19:00過ぎまで。
その後、いくつかの連絡事項。
○ 2005/3/30
朝事務所。
今日のBBHの定例の準備。
その間にオープンハウスを控えたKOHの現場に、浴槽とグレーチングが間に合わない、という連絡が建設会社から入る。ずいぶん前に決めていたのに、手配ミスだと言う。1日には写真撮影も段取り済みなので、とにかく間に合うようにぎりぎりまで折衝するように指示。
同時にインターネットで、グレーチングを扱っている会社を探し、木村に連絡を取らせる。
昼前ぎりぎりに、在庫あるところが一社見つかる。すぐ建設会社の担当者に連絡させるが、1日の午後になるという。これでは撮影にならいので、つめるように指示を出す。
13:00前事務所を出て、BBHの現場へ。
途中、何度か事務所に連絡を入れ、木村に指示。
14:00から定例打ち合わせ。16:30終了。
行き帰りに、保坂和志「明け方の猫」を読み終わる。確定できるものはなんなのか、確定できないものをあらわすことは出来るのか。引き続き、村上春樹「シドニー」を読み始める。
18:00前、事務所に戻ったら、グレーチングは明日夕方、現場に入ることになったという。やれば出来るじゃないか。最初からメーカーの言いなりになって、何の手だても尽くさないとは、なんだかなー。要は愛情か。
事務所に戻ってからは、いくつかの連絡事項。
慌ただしかったが、なんだか充実した一日だった。多少見苦しくても、やはり、積極的にして行けば、何らかの結果が出るし、あきらめもつくということだ。
○ 2005/3/31
今日で3月も終わり。
KOHもいよいよ完成だ。
朝事務所で昨日の打ち合わせのまとめと連絡事項を完了させ、10:00過ぎには昨日現場を確認していないKOHの様子を見に行こう、と
思っていたら、木村がこない。10:30前、おかしいので自宅へ電話してみたら、寝坊したとのこと。
電話を留守録にして、事務所を出る。
KOHで建設会社の担当者に、未施工箇所の確認。最終的的には明日の撮影に浴槽は間に合わない公算が大きいが、その他は大丈夫そうなので、安心。担当者の顔も、晴れやかだ。
昼前に事務所に戻り、木村に指示。
午後はMRHのスケッチ。実施図面作成を手伝ってもらっている坂下が、昨日から熱を出し、どうもインフルエンザのようだ。
15:00前に事務所を出て、外苑前へ。16:00から青山の某ジムを見学。
明日はいよいよKOHの写真撮影だ。明日は天気が良さそうだ。明後日もどうにか天気持ちそうだ。
○ 2005/4/1
朝事務所でメールチェックと連絡事項。
8:30過ぎに事務所を出て、KOHの現場へ。昨日ガラスの入ったルーバースクリーンと初対面。外観ががらっと変わった。思っていた通りだ。
撮影をしてもらう新良太さんはもう到着していた。全体を見てもらい、設計主旨を話し、新さんの印象を伺ったりして、撮影開始。現場では同時に細かい作業が続いている。木村とスクリーンの一部に絡み付かせるハゴロモジャスミンを植える。建設会社に手直しの指示を出し、木村を撮影の助手に残し、10:30過ぎ事務所に戻る。
事務所に戻り、雑務の後MRHの作業。
夕方の様子も見たいので、15:30過ぎに事務所を出て、現場へ。木村と入れ替わり、撮影の助手。夕暮れになり、新さんの指示でガラスルーバーを操作。空いているところと閉じているところを変えるたびに様相が変わって、とてもきれいだ。3階のトップライトは、クラインブルーのように真っ青で、ジェームス・タレルの作品のようだと、一人悦に入る。
19:00、撮影無事終了。
○ 2005/4/2
オープンハウスが楽しみで、なぜか早く眼が覚めてしまう。まるで遠足の前の子供のように。
ここ二三日で、いろいろな方から参加の連絡をもらった。久々に会える人もいる。天気は曇りだが、雨よりどんなに良いか。
朝事務所で、メールチェックと昨日の撮影の時、デジカメで押さえたスナップの整理。オープンハウスの後の引き渡しについての連絡。MRHのスケッチ。
10:00、事務所を出てKOHの現場へ。
準備をして、11:00からオープンハウス。スタートから沢山の人がおいでになる。天気も薄日が差す穏やかな天気になった。終了近くには、一度に二十人くらいの方が現場にいたのではないか。盛会のうちに終了。来ていただいた皆様、ありがとうございました。オープンハウスを開催させていただいた、クライアントにも感謝。
17:00前、クライアントがおいでになり、引き続き、引き渡し。引き渡し終了後、取り扱い説明だが、オープンハウスに懐かしい仲間があつまり、近所の居酒屋で待っているので、取説は木村にまかせ、先に失礼する。
駅近くの居酒屋で、小西恵さん、鈴木利美さん、朝倉・梶村夫妻とチェ・ミキで飲み会。久々に会ったメンバーで、話しが盛り上がる。
その後、帰り道チェ・ミキと高円寺の大将に寄る。帰り際にお店の人が4日で店を閉め、建て替えになると言われる。大好きな空間だったので、びっくり。建て変わっても大将のオーナーのビルなので、多分また店は再開するだろうとのこと。ただ、今の店は、ビルとビルの間に巣食った、平屋の海の家みたいな空間だから大好きだったので、きっとその風情はなくなってしまうだろう。
酔った勢いで、もう計画は出来ているだろうけれど、この感じを残すために計画させてくれないか、と話してくれるようお店のひとに名刺を渡す。面倒な酔っぱらいだ。
○ 2005/4/3
朝、ゆっくり起きる。さすがに昨日は密度の濃い一日で、疲れた。
天気がよい。天気予報は、悪い方へ外れると、花見を考えている人から苦情が出るのを恐れて、悪めの天気予報を出したのではないか、と疑いたくなるくらい、気持ちのよい天気だ。
午後、、
大和町近くの馬橋公園へ花見に行くことにする。
ワインとつまみを物色に駅近くまで行く途中に、馬橋公園の桜のようすを確認。まだ、三分咲きくらいだが、花見客が出ている。
帰って、準備をしてチェ・ミキと花見。
花が少ない、と思ったら、幾本かの桜の先端が、剪定されて枝が少なくなっていた。老桜なので、区が整備したのだろうか。
二時間弱、のんびりする。今日は陽が陰っても寒くはならない。
○ 2005/4/4
朝、事務所でメールチェックや連絡事項。
土曜日のオープンハウスのお礼のメール等がちらほら。
今日から試用期間のスタッフ候補が事務所に来る。
木村が事務所の諸々ガイダンス。その後すぐ打ち合わせで作業を始めてもらう。
いくつかの連絡事項。4月になってなんだか動きがある。
MRHの詳細納まりの検討やスケッチ。
14:00前、坂下来所。風邪がまだ完全でなく、つらそうだ。MRHの細かい打ち合わせ。
引き続き、MRHのスケッチ。
夜、HDDに録画した「キッズ・リターン」北野武監督の録画確認をするために見始めたら、止まらなくなった。前にビデオで見て、佳作だなと思った映画。やはり面白い。前半の間の取り方や、同じ場所が繰り返し出てくるところや、自転車の使い方がとてもうまい。後半のテンポ良く畳込むシーンのつなぎも魅了だが、あまりのテンポの良さに、物足りなさを感じてしまうのは、無い物ねだりだろうか。この映画の金子賢、最高だ。
○ 2005/4/5
朝からよい天気だ。
事務所でメールチェックや日報のアップ。いくつかの雑務。
明日のBBHの定例打合せの準備。
昼からMRHの照明と設備の打合せを木村と。
進行中のプロジェクトのスケッチ。
ゆっくり見直してみると、いろいろなことが少しずつ見えてくる。
○ 2005/4/6
朝から暖かい。
午前中は午後の定例の準備や雑務・連絡事項。
その合間にMRHのスケッチ。
13:00前に事務所を出て、BBHの現場へ。14:00からBBHの定例打合せ。サッシもほとんど入り、外壁工事の準備に入っている。17:30終了。
帰り道に新宿で途中下車し、書店へ。日曜の新聞を見て購入しようと思ていた本があったのだが、中を見ると読まないで終わりそうだ。せっかく来たので、書棚をひと通り見ていたら「脳と創造性-『この私』というクオリアへ」茂木健一郎著(PHP)が眼に入る。この間考えていた、コンピューターと人間/脳の関係についての著作らしく、興味があったので購入する。さっそく読み始めよう。
○ 2005/4/7
今日も暖かい。急に温度が上がったから、暖かいと言うより暑いと感じる。昨日の現場の行き帰りの電車は、冷房が入っていた。窓を開ければすみそうなことだと思うが。
大和町のキャロライナジャスミンがどんどん花開いている。
今日はなんだか、連絡事項や雑務が多く、慌ただしい。
そんな中、MRHとKNHのスタッフ打合せと同時にスケッチ。
○ 2005/4/8
朝9:00、成城学園前、現調。成城で設計させていただいたSTHは、振り返ればもう10年前だ。
成城の有名な桜は、満開。
12:00前に事務所に戻る。暖かくて、なんだかやる気にならない。
行き帰りに「脳と創造性-『この私』というクオリアへ」茂木健一郎著(PHP)を読み続ける。「例えば数学的な能力は、人間だけに備わっている特別な能力であるように思われる。しかし実際には、宇宙の森羅万象は、数学的な法則に従って生々流転している。それとは知らずに、高度な数学的な秩序に従っているのだ。天体の運行は美しい数学的な秩序に従っている。天体は、人間のように数学的秩序をメタ認知することができないだけのことである。」「人間の創造性の基礎が、自然の中の生命の営みに象徴される組織化原理にあるということを見据えれば、一つはっきりとしてくることがある。すなわち、コンピュータに新しいものを生み出す能力がないのは、端的に言えば、それが『生きて』はいないからだということである。」
午後一番で、メールチェックや日報アップ。連絡事項いくつか。
13:00KNHのスタッフ打合せ。
MRHの図面チェック。
○ 2005/4/9
朝事務所でメールチェックやBBHの連絡事項。
昨晩木村が作成したMRHの仕様をチェックしまとめ、坂下にメール。
MRHの図面チェック。
12:00過ぎに自転車で事務所を出て、高円寺駅を通るついでに、大将がどうなっているか見に寄ったら、解体工事が始まっていた。大好きだった大将の単管構造があらわになっていた。驚くことに、本当に単管だけで屋根ができていたのが分かった。結構なスパンが飛んでいたが、あの軽やかさはこの構造によるところ大だったのだ。まさに仮設建築である。
13:00前、KOHに行き、写真撮影時には入ってなかった浴槽周りの撮影に立ち会う。今日はピーカンなので、新んさんが再度外観を撮影してくれた。そこまで立ち会い、浴室周りは木村にまかせ、事務所に戻る。
15:00、打合せ一件。
17:00、事務所を出て自転車で中野へ。KOHのクライアントから食事に招いていただいた。少し時間があるので、高円寺の古書店と中野の書店に寄る。
18:00中野駅に集合して、歩いてすぐの地中海料理「カルタゴ」へ。エクレアの塩田さん、木村、チェ・ミキ。沢山の料理とお酒を頂き、話しが弾み、気がつけば24:00前。駅で解散する。ごちそうさまでした。
調子に乗り、帰りにチェ・ミキと大将3号店の追悼、などとかこつけ大将駅前店でビール一杯。
○ 2005/4/10
暖かい日曜日。風邪が強いが、お花見日和だ。
一日大和町で、新聞や本を読んだり、洗濯や買い物したり、スパゲティーや空豆を茹でたり。
8日の新聞に清家清さんの訃報があった。
0411
朝、事務所へ行く準備をしていたら、地震。東京は震度3とのこと。
事務所でメールチェックや日報のアップ。
KNHのスタッフ打合せと、MRHの図面指示。
12:00前に事務所を出て、三鷹からバスに乗り武蔵野大学へ。武蔵野大学の教授で建築史研究室の先輩の河津さんの紹介で、住環境の課題の非常勤講師を今年度から勤めるようになった。今日は武蔵野大学の方々との顔合わせと打合せ。授業は早速、来週から始まる。緊張しつつ、いろいろ考え、わくわく。果たしてこの先どのような展開が待っているのか。
夕方、事務所に戻り、いくつかの連絡事項。
KNHとMRHのチェック。
その後も、バタバタと連絡事項が続く。
○ 2005/4/12
昨日の夜から、気温が低い。暖かい陽気に慣れてしまったので、とても寒く感じる。
朝事務所で、メールチェックと日報アップ。雑務がたまってる。机の上がその状況を良くあらわしていて、雑然としている。今日はそれらを整理してしまいたい。
と思っていたが、雑務や連絡事項が多い。
11:30、BBHの建設会社が来所。簡単な打合せ。
14:00、KNHの計画のためにキッチンの製作会社に来所いただき、ヒアーリング。いろいろ参考になった。
MRHの図面作業が最終段階に入った。
午前中のBBHの打合せのまとめをして、建設会社にファックス。
OKBのスケッチや武蔵野大学の授業の準備も少しづつ始める。
その準備にパソコンで初めての作業をしようとしているので、時間がかかるが、パソコン良いタイミングで変えたのかもしれない。
○ 2005/4/13
今日も寒い。
朝事務所でメールチェックとメール送信。BBHの建設会社との連絡事項、いくつか。そして日報のアップをしていると、だいたい9:00を過ぎてしまう。
KNHとOKBのスケッチ。
MRHも最終段階。午後一で坂下から送られてきた図面チェックをして、電話打合せ。
今日、少し関わった黒テントの新しい劇場と稽古場開きがある、お邪魔することになっているので、お祝いのワインを買いに行く。引き続き、OKBのスケッチ。
17:00事務所を出て、高田馬場の翔設計へ。酒巻さんにMRHの弱電についてヒアーリング。最近の弱電はクライアントによって要望が違い、複雑でなかなか難しい。
その後、19:00からの神楽坂の劇団黒テント、シアター・イワトのお披露目の会へ。
○ 2005/4/14
春らしい陽気が戻ってきた。午前中は私用があり、午後一から事務所。
メールの調子が悪くなり、いろいろ調べて復旧。
MRHの見積りの段取りを進める。
昨日の酒巻さんとの弱電の打合せを木村に伝え、図面化指示。その他の図面もまとまってきた。
17:00、この建物の立ち退きの代理人をやっている会社が来所。話し合い。
良い環境だからここに決め、引っ越してきたのだから、同じような環境のところを見つけるのは難しいだろう。その辺の所を話す。
周りの入居者も、ここのところ引っ越しをする方がちらほら。
月曜日の武蔵野大学での授業のプレゼンテイションの資料を、パワーポイントで作成。
○ 2005/4/15
朝、事務所でメールチェックや連絡事項。
今日も一軒引っ越しをしている。ふと外を見たらボーリング調査が始まりそうな感じだ。ゼネレーターの音がうるさい。窓を開けると真下に置いてある。下におりて、移動してもらうように言う。
工事中はこのように迷惑をかけているのだろうな、と思う。
10:00、MRHの見積りをお願いする、初めておつきあいをする建設会社来所。
BBHの明日のクライアント打合せの準備チェック。武蔵野大学の授業のズケッチを少し。連絡事項いくつか。
13:00、MRHのクライアント来所。実施設計図の説明と、日程等の確認。
15:00、武蔵野大学の授業のために、杉並中央図書館にリクエストしていた雑誌の準備が確認できたので、自転車で取りに行く。ポカポカ陽気。桜吹雪もいよいよ最後だな。
16:00、事務所を出て、オペラシティーアートギャラリー「谷口吉生のミュージアム」http://www.operacity.jp/ag/へ。授業の美術館の課題の参考に、ということもあるが、実は谷口建築のファンなのだ。あそこまでできないのなら、モダンで端正なデザインはやるまい、と豊田市美術館http://www.museum.toyota.aichi.jp/を見て思った。MoMAのコーナーは充実していた。以前梁山泊のニューヨーク公演に美術と役者で同行し、公演の合間に何度かMoMAを訪れた。ニューヨークの街は、東京に比べ格段に成熟しており、緊張感があって、喧噪が好きな僕にはとても楽しい街だった。そんなニューヨーカーが選んだ結果が谷口MoMAだと思うと、流石だと言わざるを得ない。空間のつなげ方がとても魅力的だ。それは、建物内だけで終わらず、街へと繋がって行く。やはり、モダンで端正なデザインはやるまい、と改めて思ったが、この空間のつなげ方は勉強しよう。
18:30、新宿で旭化成の同期の桐山と待ち合わせ。馬主会、反省会。
○ 2005/4/16
朝ゆっくり事務所。
メール連絡と日報のアップでいっぱい。
早飯をして、12:00事務所を出る。
13:00、BBHの現場でクライアント打合せ。衛生機器の色の確認や、仕上材の色等の打合せ。大工さんが一人でやってるので、ゆっくりだが確実に出来上がって行っている。14:30過ぎにクライアント打合せは終了。引き続き、板金や造作の打合せを17:00過ぎまで。
18:00過ぎ、大和町に戻り、たまっている新聞等を読む。
16日の夕刊に、高田渡さんの訃報があった見逃していた「タカダワタル的」が今月末から、バウスシアターで凱旋レイトショウ(http://www.baustheater.com/takadawataru.htm)があるので、楽しみにしていた。「自転車に乗って」も良いが、作詞:山之口漠 作曲:高田渡の「生活の柄」がなんだか好きで、自分はそんな自由にはなれないのだが、そんな自由に憧れている。
○ 2005/4/17
朝から洗濯したり、本棚の整理をしたりで午前中過ぎてしまう。
「絶対毎日スエイ日記」末井昭(アートン)を読み終わる。毎日トイレで少しずつ読むのにちょうど良い、文体と分量だった。三年間の日記だが、一度も飽きないで読み通せた。今はネット上で毎日読むのがたのしみです、末井さん。(面識は無いが。http://www.sundial.co.jp/cgi-bin/byakuya/suei/read.cgi)
午後、KNHのスケッチ。
14:30頃、妹家族がDVDプレイヤーを取りにくる。少しの時間話す。
15:30、皐月賞。ディープインパクトは桁違いに強い。これはもしかすると久々の3冠馬が誕生か。
その後、高円寺の商店街に自転車で買い物。
夕方OKBのスケッチ。面白い考えが浮かんできた。
GAHOUSE・PROJECT2005をパラパラめくる。住宅のプロジェクトが沢山並んでいるのだが、日本の計画と海外の計画の規模に違いに、何とも言えない不思議な感覚になった。こればけ規模が違うと、一口に住宅では括れなくなっているが、そのレンジの広さが、住宅/ひとが暮らす空間の一種の自由さをあらわしているようにも思える。
○ 2005/4/18
朝メールチェックと日報アップ。
9:00になったので、大和町を持ち主だった高円寺の不動産会社(いろいろ情報交換をして懇意にしてもらている)から来ていた、ファックスの確認連絡事項。
午後の武蔵野大学の授業の準備の確認と来月担当になる、集合住宅についての資料確認。
MRHについてスタッフに、細かい部分の指示をだす。
11:30、事務所を出て、武蔵野大学へ向かう。12:15過ぎ着。早速講師の水谷先生、住環境・研究室スタッフの鈴木さんと今日の授業の進め方等打合せ。こちらで作って送っておいたパワーポイントも、問題なく立ち上がることを確認。授業をサポートしてくれる、スチューデントアシスタントの方たちと顔合わせ後、教室へ。13:00授業開始。50人ほどのが学生がこの授業を取っている。水谷先生とお互いのプロフィールを学生にパワーポイントで紹介し、第一課題の説明。今日から約一ヶ月半で提出の美術館の課題は、水谷先生が主担任で、今日はただその課題に関する説明やレクチャーを聞いているだけ。6月からの集合住宅の課題の参考になる。
16:00過ぎ、無事初授業終了。とはいえ今日はお客さんのような役。水谷先生お疲れさまでした。
その後、製図室の控え室に移って、アシスタントの方たちと、少し話しをする。住環境の研究室のある実習棟に移り、河津先生と風袋先生と少し話しをして、17:30過ぎ大学を出る。
久々の課題で、こちらもわくわくしてくる。面白設計が出来上がると良いが。
18:00過ぎ事務所に戻り、雑務や連絡事項いくつか。
○ 2005/4/19
春らしい穏やかな天気。朝事務所で、メールチェックと日報アップ。
昨晩、チェ・ミキから17日日曜日の日報の、「朝から洗濯したり、本棚の整理をしたり」についてのクレームがあった。この書き方だと、まるで家のこと全てやっているように思える。実際には自分の本棚しか整理しないし、洗濯も自分のものを中心にしかしないのに、とのこと。確かにそうです。誤解無きよう。
KNHのスタッフ打合せ。MRHの見積要項作りと図渡しの段取り。昨日メモした武蔵野大学の集合住宅の課題の整理。
14:00過ぎ、自転車で事務所を出て、KNHの仮囲いの確認。途中、KOHの家の前を横切り、ハゴロモジャスミンの様子を、チラッと見る。それほどの変化は無かったが、枯れてはいなかったので、ホッとする。自転車で小一時間走ると、暑くなってくる陽気だ。Tシャツ一枚でちょうど良いくらいだ。
事務所に戻り、KNHの現地で確認してきたことを、スケッチ。KNHのスタッフ打合せ。
OKBのスケッチ。
○ 2005/4/20
今朝は曇り。自転車で事務所に来るまでの庭先の花が、一斉に咲き始め、総天然色の世界になっている。
午前中、BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトと武蔵野大学の設計課題のスケッチ。始めたら、設計課題のスケッチ、乗ってしまいかなり集中する。面白い展開になってきた。
途中、MRHのスタッフ打合せ。
午後は、KNHとMRHの雑務。OKBのスケッチ。
○ 2005/4/21
朝は怪しい雰囲気だったが、8:30前には気持ちのよい日が射してきた。
ホームページのカウンター気がつけば、ヒット数が10000を超えていた。興味を持っていただいてありがたい。日々の記録だけでなく、もっと面白いブログにしたいのだが、自由気侭なようで意外と淡々とした日々なので、まあ仕方がない。
KNHの図面をチェックし、スタッフに指示。OKBのスケッチと図面作業。
今日はMRHの見積り用図面渡しの日。11:00過ぎ、1社目が来所。午後に2社来所。いつも通りの3週間の見積期間を見ているが、今月末からの連休が今年は長く、3週間では厳しそうだ。調整が必要かもしれない。
図面渡しを挟んで、OKBの作業を進める。
18:30、 KNHのクライアント来所。もう一息。今後の進め方等の確認。前回の打合せの際、「仁義なき戦い」の本(「『仁義なき戦い』をつくった男たち 深作欣二と笠原和夫」山根貞男 著米原尚志 著NHK出版)の話しをしたら覚えていてくれ、クライアントの手元にあった、「仁義なき戦い」のDVDを頂けることになり、今日持ってきていただいた。「仁義なき戦い」1〜5と「新・仁義なき戦い」。深作つながりで「バトル・ロワイアル」。久々に「ダダダダダダダダ、ダッダダ、タリラ、ダッダダ、ダッダダ、ダダダダ」が聞ける。
○ 2005/4/22
朝、事務所でメールチェック。日報を書き始めるが、タイムアップ。8:45事務所をでて、6年前に竣工したIMHへ。屋根の改修工事の立ち会い。よい天気だったのが、途中で暗くなり、現地につくと、晴れてるのに雨が降ってきた。狐の嫁入り。
昼、事務所に戻ると、S区役所にMRHの確認申請を出しにいった木村が、確認出せなかったという。これは単純な手続き上の問題でなのだが。もう一つ曖昧な部分があった。天井高さが1m40cm以下で、上もしくは下の階の床面積の半分以下の収納は延床面積の対象外になる。この収納に同じレベルから横に入れるようにして、役所に持って行った。役所では、上もしくは下の階から使うようでないと、だめだと言うらしい。ミサワホームの広告で、同レベルから使うことを大々的にうたったものがああったので、それを持って行かしていた。それを見せたら、ミサワホームは大臣認定を取っているから特例で、大臣認定を取ってもらえれば、問題ない、と慣れたようにいわれたとのこと。きっと、我々と同じ質問があるのだろう。いったい、同じレベルで使おうが、下から使おうがどのような問題が発生するというのだろう。しかも、特例があることを知っていてだ。そのぐらいの判断を個人に任せられず、ルールだからという。あまりにも情けないことが、まかり通っている。
『素晴らしい「直観」を与えられている人間が、ルールを杓子定規に遵守する出来損ないの人工知能のように振る舞うことは愚かなことである。せっかく天から与えられた素晴らしい判断能力を使うことなく、ルールがこうだからと融通が利かないのは、自分の脳の潜在的可能性を発揮しない愚かな行為だと言えるだろう。だからこそ、官僚機構というシステム自体に対しては批判という「北風」を吹かせたとしても、官僚一人一人に対しては、むしろその自然な脳の潜在力を引き出すべく、エールという「太陽」の光を送るべきなのである。』(「脳と創造性」茂木健一郎著)
なるほど。
木村は、結局、出張所経由で再度区役所へ。
木村から電話があり、出張所でも、道路脇の塀について、ルールをいわれる。けして建設的な縛りではない、ルールを。
「太陽」を送りたいのだが、言われること一つ一つがあまりに、官僚的なのだな。
昨日MRHの図面を受け取りに来れなかった建設会社が1社来所。
給与、経費の支払いに銀行に。
OKBの作業。
昨夜から今日にかけて『家族と住まない家:血縁から〈暮らし縁〉へ』(島村八重子+寺田和代:著 春秋社 2004)を拾い読みする。鎌倉でこれから計画するグループホームの参考のためである。家族とは異なる形で共同生活をしている人たちへの個別的なインタビュー調査の間に、篠原聡子さんや上野千鶴子さんのインタビューが挟まれている。一般論よりも具体的なケーススタディに注目している点が説得的である。社会の「個人化」にともなってライフスタイルはますます多様化している。それに対して篠原さんは、個別的な対応をし過ぎた住まいではなく、多様なライフスタイルに対応できるフレキシブルな空間を設計すべきだと主張しているのが印象的だった
○ 2005/4/23
朝、ゆっくり事務所に。気持ちのよい天気だ。
11:00、新宿で打つ合わせ。
昼は、桂花でラーメン。その後三越の上に有る、ジュンク堂へ。この間、初めて来てその品揃えに驚いた。今日も目的の本が手に入る。その他、面白そうな本を物色。その後、無印へ。
事務所にちょっとより、大和町に戻りる。
17:30過ぎ、チェ・ミキと大和町をでて、途中、荻窪で買い物をして、鳥越さんのお宅へ。
久しぶりの鳥越邸は、より落ち着いた風情を醸し出していた。
今晩は、萩原さんと佐野さんもみえて、鳥越邸に関する本作りについての一回目の打合せ兼飲み会。鳥越邸が出来上がるまでの経緯や、鳥越邸にまつわるいろんな方の思いを回想。どのような本にまとめて行くかの確認を行う。話しが楽しく、お酒も入り、最後は少し暴走気味。気がつけば、0:00前。名残惜しいが、おいとまする。
○ 2005/4/24
今日もよい天気。
キャロライナジャスミンが今を盛りと咲いている。蜂が忙しそうに飛び回り、蜜を集めている。
午前中は、たまった新聞を読んだり、買ってきた本を整理したり。何曜日かの朝日の生活欄の「読者へ」という欄の、唐十郎さんの文書が、とてつもなく面白かった。ここにまとめてみたいが、これは全文読まなければ、伝わらない。ごく簡単に書けば、「緑のおばさん」と「つばおとこ」についてのエッセイだが、充分、一本の芝居くらいの内容がある。
午後、高円寺駅そばまで買い物に行ったついでに、事務所の建物の立ち退きの交渉の代理人になっている会社から送られてきた、代願物件を外から見に行く。どちらもぱっとしないものだった。
『脳と創造性-「この私」というクオリアへ』茂木健一郎(PHP)を読み終わる。
「生物は、新しいものを生み出し続けなければ生き延びられなかった。また脳は、創造的でなければ存在し得なかった臓器であった。」という認識から始まる。「世界について知識を得て、他者に対しては成熟した寛容を示しつつも、私は生まれたばかりの赤ん坊のようにぎこちなくあり続けたい。そうすることが、『創造しつづける脳』を活かし、この有限の生をまっとうする唯一の方法であることを私は知っている。」と終わる。その間に、われわれの日常の行いに対する、優れた考察があった。
○ 2005/4/25
朝は霧雨だったが、9:30頃から薄日が射してきた。
事務所でメールチェックと日報のアップ。
朝、木村にOKBの図面作成指示。午後の授業の準備。
11:30事務所を出て、武蔵野大学へ。授業前に、原広司さん設計のグリーンホールの食堂で、昼食。ハヤシ・オムライスが380円。まあ味はそれなり。
12:30過ぎ準備室に行き、今日の打合せ。13:00から授業。講師の水谷先生から、先週の補足のレクチャー。その後、製図室に場所を変え、質問等を受け付けるが、質問が一つ二つだったので、みんなに今回の課題に対する感想や、好きな美術館等を一人一人話してもらう。話してもらったら、結構積極的な意見やスタンスがみえたので、安心した。こうやってだんだん垣根がとれて行くのだろう。授業終了時間を超えて、16:30頃まで。
準備室で水谷先生と少し話しをして、大学を後にする。
18:00前、事務所に戻る。
○ 2005/4/26
雨上がりの朝。雨上がりも気持ちのよいものだ。
いつものように、メールチェックと連絡事項。
9:40事務所を出て、KOHへ。工事でお世話になったご近所の方へ、建設会社とご挨拶に伺う。ハゴロモジャスミンは白い花を咲かしていた。これから、根が伸びれば、急激に大きくなって行くだろう。
10:45事務所に戻る。
木村とMRHの確認申請の訂正の打合せ。先日新さんが持ってきてくれた、EMHとKOHの写真の再確認をして、プリントに出す準備をする。
OKBの図面作業の合間に、プリントの依頼に出かけ、依頼し終わって外に出たら、空は真っ黒で急に雨が降り始めた。
自転車だったのでしばらくは動けず、写真やの庇の下で雨宿り。落雷を伴った集中豪雨が続く。しばらくたってすこし小降りになったので、商店街のアーケードまで自転車を飛ばす。銀行により、近くの地下に有る古書店に入り、雨をやり過ごす。しばらく経って、外に出たらほとんど雨が上がっていた。立ち退きの代理人から送られてきた物件を見に行く。全く候補にならないような物件。そうこうするうちにまた、雨が降り始める。振込のために郵便局によるが、振込の機械が壊れている。なんてこった。雨の中、事務所に戻る。でも、古書店でいままで目にしたことの無い「ワンダフルライフ」のメイキング本を巡り会えたので良しとしよう。とても大事に作られた、撮影現場の記録の本だ。
戻って、OKBの作業の続き。
17:00前、クレディスイスの小林さん来所。老後の生活についてのレクチャー。
引き続き、OKBの作業。
○ 2005/4/27
今日は気持ちのよい天気。
午後からBBHの現場に行くので準備。
KNHのスタッフ打合せ。OKBの図面チェックをし、図面修正指示。
11:30、KNHの打合せに建設会社来所。施工体制を整えてもらい、連休明けに現地調査を行うことにする。
13:00前、事務所を出てBBHの現場へ。外部のスパンドレル張りも始まり、ゆったりとした良い空間になりそうだ。
帰り道に、新宿で下車し、今週の土曜日に見に行くことにした、三百人劇場の「吉村公三郎/女性映画革命」の前売りチケットを安売りチケット店で購入。ちょうど土曜日の2、3回の上映が、「暖流」「安城家の舞踏会」と続く。
今日はMRHの見積の質疑があがって来る日。17:00までにファックスで送られて来ることになっていた。事務所に17:00過ぎ戻ってみたら、一社からあまり重要でない質問が一つだけ。拍子抜けする。それほど整った図面だった、と思ってよいのか。そんなわけないよな。
○ 2005/4/28
今日は25度まで気温が上がると言う。極端だ。
今朝もう一件、MRHの質疑がファックスで入っていた。メールチェックや日報アップ。
10:00前に事務所を出て、品川の原美術館へ向かう。武蔵野大学の前期の前半の課題が美術館で、原美術館とその敷地がサイトになっている。11:00からカフェの奥のホールで、学芸員の方からレクチャーを頂く。その後質問をする。いろいろ知らないことが分かって面白かった。12:00前終了、解散。その後各自で美術館内部と現在開催中の「タピエス-スペインの巨人 熱き絵画の挑戦」を見学。
タピエスの作品は、シザの建築を思い出させるような、静謐さと緊張感がある。その合間に原美術館の特色の、チャンバーを利用した常設作品がある。その中のほとんどは、いままで他の展覧会で見ていたが、昨年の奈良美智展の際に常設された「MyDrawingRoom」(http://www.haramuseum.or.jp/jp/common/doorToArt/index.html)がとても良かった。タピエスと対照的な感覚があるので、特に印象的だったのかもしれない。一言で言えば、統一されたユルユル感。いままで写真等で奈良さんの作品を目にしていたが、あまり興味が無かった。それはもしかすると一点一点だったからかもしれない。この「My Drawing Room」くらいまとまったときの、統一されたユルユル感は、居心地の良い友達の部屋に遊びにきたみたいな感覚だ。ほんの数秒ではまってしまった。今日から奈良作品ファンです。
こんな感覚を持った住宅(こんな形や内装という意味ではなく)が、自分が作りたいと思っているが、それがどんなものなのか分からなかったものの、確実に、一つであることことを確信した。
原美術館に来る電車で読んでいた「武満徹 その音楽地図」小沼純一(PHP新書)の中に引用されていた、武満徹の文章。
「地上には異なる人種があり、各自の言語や、考えかた、感じかたというものをもっている。このことは世界を貧しくはしていない。むしろ、日常の生活の世界を動かすことに役立っている。
それから、私はまた多くの言葉を書きとめて云った。言葉と交渉をもつと、私のなかに他者があらわれ、私の考えは緩やかにだがひとつの方向性をもった運動として収斂されて行く。
私は、この作品に《November Steps》というタイトルをつけることにした。」
この文章の印象が強度を増した。
事務所に戻り、MRHの質疑の回答や、連休前のスタッフ打合せ。
17:00阿佐ヶ谷駅で、大学の「スイング&ジャズクラブ」の時からの友人、牧夫妻と待ち合わせ。チェ・ミキと4人でアルポランへ。近くにいながら久々。「散歩の達人Presents中央線ソングズ」 (http://www.kotsu.co.jp/magazine/sanpo/osusume/index.html)の16番目に彼らのバンド「吾妻光良&SwingingBoppers」が参加していて、このCD探していたら、頂けるというので飲むことになった。懐かしい話しで盛り上がり、もう一軒ということで、近くの店に。12:00過ぎ、その店にやはり大学の時からの友人、吾妻夫妻が飲み会帰りに来て、ひとしきり話し、1:00前くらい(多分電車はまだ動いていたので)に駅で分かれる。昔は遅くまで飲んでいたが、皆歳を取り、この時間はもうオネムの時間をとうに過ぎている。
○ 2005/4/29
6時間も飲んでいると、さすがに次の日は、細胞が全て活動を休止しているような状態になり、ゆっくり寝たが、本調子ではない。
11:30事務所。
武蔵野大学の前期の後半の第2課題の文案作り。
唸りながらもどうにか形になってきた。
いろいろな資料を持って、夕方大和町へ移動。
○ 2005/4/30
午前中は、大和町で持ち帰った資料を見たり、雑務。
12:00前に大和町を出て、千石の300人劇場に。 「三百人劇場映画講座VOL.17 吉村公三郎 女性映画革命 」の「暖流」と「安城家の舞踏会」を見る。両方とも、以前読んだ映画のショット分析についての本に、頻繁に取り上げられていた映画で、一度見てみたいと思っていた。両方とも、しっかり考えられた構図とショットの素晴らしい映画だった。
しかし、原節子も高峰三枝子も実に可憐で、台詞の日本語もおっとりしていて、たかだか60年でずいぶん変わってしまったことがわかる。佐分利信も滝沢修も森雅之も魅力的なスターである。
○ 2005/5/1
一日大和町で、いろいろ。
夕方17:00、高円寺の二楽亭で焼き肉。西荻の父と妹家族3人とチェ・ミキの6人。
父にごちそうになる。
父が話し足りなそうだったので、妹と甥っ子のふたりを先に返し、父と妹の旦那とチェ・ミキの4人で近くの焼き鳥屋へ。
18:00過ぎから雨が降ってきたが、連休でどの焼き鳥屋も若い子たちで一杯。大将の3号店が無くなったのは痛い。
○ 2005/5/2
朝、事務所でメールチェックと午後の授業と後半の課題の準備。
10:00三鷹で打合せ一件。11:30前三鷹からバスに乗って武蔵野大学へ。
13:00から「空間造形3」の授業。美術館の課題のエスキスを一通り見る。まだ木曜日に見に行った原美術館の感想のようなものしか出てきていない学生が多い。一通り見終わったら17:30前。その後、前期後半の課題のたたき台について、河津、風袋、水谷先生と打合せ、学校を出る。
19:00に事務所に戻り、明日から3連休に入るスタッフの担当作業の引き継ぎ。
この間大和町地下で、CDを聞きながら寝てしまった。2階は暖かだったが、地下は寒かったので、どうやら風邪を引いてしまったようだ。はなが出て止まらない。
○ 2005/5/3
やはり、風邪のようだ。喉も少し痛くなってきた。まあこれは、昨日3時間ほどエスキスでしゃべりっぱなしだったからかもしれない。
少しゆっくり起きて、8:30前事務所。メールチェックとたまっていた日報のアップ。
BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトのエスキス。色ん素材を机に出してみる。昨日の武蔵野大学のエスキスチェックの整理。
12:00過ぎに事務所を出て、梅が丘の荒木毅さんの住宅のオープンハウスへ。三角形の敷地で、2階のLDKの道路に接する長い一辺の開放感が気持ちよく、天気も良かったので2階全てがテラスのように感じられた。外部空間を一緒に考えているというお隣も、拝見。
その後歩いて、豪徳寺の豪徳寺へ。大和町のオープンハウスをしたとき、内木さんご夫婦がお祝いにくれた招き猫を、僕の不注意で壊してしまい、申し訳なく思っていた。機会があったら豪徳寺に行って、再入手をしよう、と思って随分経つ。ついに念願かなって招き猫を、大和町にお招きすることができた。
帰りは宮の坂から世田谷線に乗り、下高井戸、吉祥寺経由で16:00、事務所に戻る。久しぶりに乗った世田谷線は、随分きれいになっていた。
吉祥寺の書店で、「東京人・6月号/建築を見に、美術館へ。」武蔵野大学の課題に、ぴったしの参考書。原美術館の歴史も少し載っている。さて、みんな気がついているかな。「映画日本国憲法読本」(FOIL)。『映画 日本国憲法』はジャン・ユンカーマン監督が『チュムスキー9・11』の続編として撮った映画で、その採録シナリオや日本国憲法全文やインタビューがまとめられた本。先日中野ゼロホールで映画公開のイベントがあったのだが、予定があって行けなかった。今日5月3日にこの本を手にするのも、何かの巡り合わせだろう。「ミヤザワケンジ・グレーテストヒット」高橋源一郎(集英社)。宮沢賢治の作品のタイトルで書かれた作品群。賢治さんだし、装幀が良いのでつい買ってしまった。
再び、BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトのエスキス。EMHとKOHの写真のプリントができたので、整理。
○ 2005/5/4
風邪を直すため昨日は早めに寝たのだが、朝起きると熱は無いのだが、咳が出て喉とはながひどくなっていた。
午後のKOHの打合せをキャンセルさせてもらい、一日大和町。
進行中のプロジェクトのエスキスとBOOK BAR『ホンコン』プロジェクトの作業。
今晩も早めに床に入る。
○ 2005/5/5
昨日が峠だったのか、随分体調が良くなってきた。
8:30事務所に来て、メールチェックや雑用。9:30になったのでKOHのクライアントに電話をして、昨日できなかった打合せを午後に行うことにする。
久々にOZONEから、面談の意思確認の問い合わせFAXが入っていた。もちろん、対応の意思あり。OZONEのコンペはクライアントには大変な部分もあるだろうが(もちろん良い部分もあるだろう)、他の設計案を体験できて、自分の考えかたへの刺激になり、結構楽しんでいる。
午前中、BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトに使おうと思っている資料探しと整理。午後の打合せの準備。
昼過ぎ事務所を出て、KOHへ。引っ越しの荷物もあらかた片付いていた。しばらく暮らしていただき、様子を見た上でのブラインドや家具の要望とそれに対するアドバイス。15:00、おいとまして事務所へ。いくつかの雑務をすまし、大和町へ戻る。大和町でMRHの図面チェックと雑誌等を見たり。
完全に休んでいる訳ではないが(完全に休むことのできない、思い切りのなさが情けないが)、それでもこの何日かゆったりと時間を過ごしている。少しずつ、たまっていたことが片付いてきた。年末年始やお盆休みとは違う、こんな時間が秋にも一度くらいあれば良いのに、と思う。
○ 2005/5/6
朝8:00事務所。たまっていた日報のアップ。BOOK BAR『ホンコン』プロジェクト用にポジや資料を見直したが、忘れていたものも沢山あり、その整理。
BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトのフォトショップの作業の、スタッフ打合せ。及び文章やプロフィールの作成。
唐組を明日見行くことにして、予約の電話をかける。
午後はBBHの現場指示図の作成やMRHの構造図の確認。
昨日までの天候に比べ、今日は寒い。気をつけないと風邪をぶり返してしまいそうだ。
○ 2005/5/7
今朝も寒い。
朝事務所でメールチェックと日報アップ。
雑務の文章書き。その後、BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトの昨日までの成果を見直す。あるところまでできて、改めて見直してみると、方向性がぶれていることが分かる。修正のエスキス。明後日スタッフに指示する準備。自分の位置を見直すのに、とても良い機会になっている。昼過ぎから晴れてきた。
17:00過ぎ、チェ・ミキと自転車で大和町を出発し、西新宿の通称「原っぱ」の唐組「鉛の兵隊」を見に行く。自転車でゆっくり走って30分強、思ったより早かった。この「原っぱ」、ザ・ハウスの新宿店のすぐそば。開場まで時間があったので、チェ・ミキを案内がてら訪ねる。
「鉛の兵隊」では、指紋とアジアの砂丘の波紋と北海道・アイヌの谷が繋がって行く、密な唐ワールドが繰り広げられていた。唐十郎というたぐいまれなる詩人の、弱音の東アジア通底音(全く政治的ではないところが素晴らしい)。改めて、この詩人の台詞と同時代に触れられる喜びを噛みしめた、といっても過言ではない芝居だった。唐組全体のアンサンブルの構図にも変化があり、この動きがどうなって行くのかも、楽しみだ。
○ 2005/5/8
昨晩は寒かったので、風邪がぶり返しそうだったので、終演後はテントに残らず帰ってきたが、それでも咳がひどくなっていた。
一日、大和町で資料や本を読んだり。
○ 2005/5/9
朝事務所でメールチェクや日報のアップ。
9:00、事務所で打合せ一件。
スタッフにBOOK BAR『ホンコン』プロジェクトの修正の指示を出し、11:00前事務所を出る。
13:00からの武蔵野大学の授業の前に、前期後半の課題の敷地候補を下見。先週先生方に教えてもらった、学校近くの敷地候補を見て歩く。グリーンパーク遊歩道沿いに目星をつけ、学校へ。13:00から空間造形3の中間発表。ほとんどが考えることで目一杯になっており、手が動いていない。一通り発表が終わった後、希望する学生に個別のエスキスチェック。18:00まで。その後、水谷先生と授業の前に下見した課題の敷地候補を見に行く。ほぼここで良いのでは、ということになる。
19:00過ぎ、事務所に戻り、スタッフに指示と連絡事項いくつか。
○ 2005/5/10
すっきりしない天気だったが、8:30頃から晴れてくる。
朝から事務所で、メールチェックや日報のアップ。BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトの最終修正の打合せ。いくつかのパターンを出しては、修正で、結局一日かかる。
武蔵野大学の空間造形3の前期後半の課題の準備や、KOH、OKB、KNHについて連休中にまとめておいたことをスタッフと打合せ、指示。
途中、立ち退きの代理人の会社から送られて来ていた、移転候補物件を見に行く。間取りがNGだが、一応確認しておこうと思って。場所はまあまあだった。
なんやかんやで、一日事務所にいたが、落ち着かない一日だった。天候も晴れたり曇ったり。
○ 2005/5/11
朝から曇りで、ポツリポツリと雨が落ちてくる。午前中、郵便局に用事があって外に出たら、寒いくらいだった。
13:00前に事務所を出て、BBHの現場へ。外壁の板金工事が随分出来上がってきたので、確認。内部木工事の打合せ。
17:30事務所に戻る。いろいろな連絡事項があり。
18:30KNHのクライアント来所、打合せ。
○ 2005/5/12
朝9:00、KNHの現場へ。建設会社、設備、電気担当会社と工事の概要の打合せ。10:30過ぎ終了。
11:00前事務所に戻る。連絡事項が一杯で、スタッフに指示を出したり、午前中はバタバタ。
午後一番で昨晩のKNHの打合せで変更になったことと、今日の現調の確認のスタッフ打合せ。
今日は本当に、連絡や確認事項が多い。
15:00、武蔵野大学の学生が来所。エスキス模型のイメージがつかめないというので、事務所で作った模型で説明する。少しはイメージが膨らんだようだった。
その後も雑務に追われる。
大和町のiMacG5が調子が悪く、チェ・ミキがアップルのケアセンターに連絡をして修理依頼をしているが、その対応の悪さに、あきれている。箱詰めして修理に出したが、あまりに早く戻ってきたので、何事かと思ったら、受け付けた人がシリアルナンバーの一部の「N」を「M」と聞き間違えていて、ナンバーが違うから送り返してきたらしい。長いシリアルナンバーのほんの一文字が違うだけの偶然がそうそうあると思っているのだろうか。確認の連絡くらいあっても良さそうだが。その件問い合わせたら、いずれにしてもその部品在庫なく、2〜3週間先でないと工場に入らないと言う。修理に出す前にはそんなこと一言も言われていないらしい。その後も、期限を切って修理の要望を出したが、アップルはそういうお客様の要望に沿う努力をしない会社だ、と電話窓口が言うらしい。いまだに何も解決されていない。
○ 2005/5/13
朝から曇り。天気予報を見ると、明日関東は曇りになっているが白州の天気は晴れのち曇り。日曜日より良さそうだし、TRHの撮影、予定通り行ってみよう。
朝、日報のアップとメールチェック。
9:00過ぎたので、アップル本社へクレーム。
KNHの電気設備の検討。午後一番にそのスケッチをスタッフ打合せ。
その後、立ち退きの代理人会社から来ている物件を見に、高円寺まで自転車で。ろくな物件でなかった。帰り道に、2、3不動産会社によって、事情を話し物件情報の依頼をする。
EMHとKOHのポジ機械焼きで出していたプリントをピックアップ。同時に、ポジからスキャナーでデーター化したものをプリントに出していたのだが、なんだかこちらの方がきれな気がする。便利なもんだ。
BBHとOKBの作業。チェ・ミキから電話があって、アップルは結局、2〜3週間かかる対応しかしてくれないそうだ。何を言ってものれんに腕押し。企業の自己防衛が強くなり、ルールばっかり作って、社員はそれを守るのに精一杯。消費者が一番弱く、不利益を被る世の中になってきていることを、最近感じる。JRの事故もその一つのような気がする。
夜になり天気予報、山梨は曇り昼過ぎには雨が降り出すとのことで、撮影延期。
○ 2005/5/14
朝9:00事務所。なんだか東京は雲の合間に青空がみえる。事務所のパソコンで山梨の天気を見ると、晴れ時々曇りになっている。まあしょうがないか。急に空いた一日、有効に使おう。
武蔵野大学の空間造形3の前期後半の課題の準備。だいぶ固まってきた。明日読む資料の準備。
KNHのエスキス。来週中過ぎには概算用としてまとめ、建設会社へ概算見積を依頼したい。
○ 2005/5/15
変な天気だ。
朝曇っていたと思ったら、晴間が見え、午後買い物に出かけると、風邪が強く、急に暗くなってきたと思ったら、ほんの一瞬にわか雨。夕方、激しい雷雨の後、快晴になった。
一日、武蔵野大学のレクチャーの準備の資料読み。
一念発起で、レシピを見ないで作れる料理のレパートリーを増やすことにする。まずは、揚げずに作る、酢豚。十何年前、料理を始めた時と同じように、「クロアッサン」(最新号)のお世話になる。マズマズの出来。何度か繰り返すうちに、レシピなしで自分流にアレンジしたものになって行くだろう。
○ 2005/5/16
朝から晴天。だが気温は上がっていない。風邪が少し冷たい。
メールチェックに日報のアップ。
土日でエスキスしたことをスタッフに指示。いくつかの連絡事項をすませ、11:30事務所を出て武蔵野大学へ。
13:00から空間造形3のエスキス。2年の課題は半期に一つだったとのことで、みんな前期の半分で一つの課題を仕上げたことが無く、スケジュール的にみて、どう見ても苦しい。あと二週間、どこまでレベルアップするか。17:30終了。
その後、準備室で前期後半の課題の資料探し。
18:30に講師の水谷先生と学校を出て、吉祥寺の「いせや」へ。一杯やりながら、色んな話しをする。「いせや」は22:00に閉店なので、もう一軒、ということで、十何年ぶりに「のろ」を目指す。場所を覚えているか定かではなかったが、あっさり見つかる。24:00過ぎまで。
○ 2005/5/17
少し飲み過ぎて、朝少しゆっくり事務所。
メールチェックと連絡事項。
10:30区役所にMRHの確認申請、設備の訂正に行っている木村から電話がある。ガスカランがついている部屋に、24時間換気で吸気口がついているにも関わらず、吸気口を追加の指導があったと言う。暖房のためにガスカランつけるのに、冷気が入ってきてしまう、とい言っても、だめだというらしい。燃焼器具の有る部屋で死んでしまったらこまる、とのことらしい。それくらい住む人の意思に任せればよいのに。本当にルールが好きな国である。
土曜日のOZONEの面談の資料を読む。
12:00に事務所を出て、OZONE面談の敷地を見に行く。帰りに久々に旗の台で乗り換える。大井町線と池上線をつなぐ階段がとてもドラマチックで大好きだった。5年前住まいを長原から引っ越す前に写真を撮っておこう、と思っていたのだが忘れてしまっていた。その後駅の工事が始まったことを聞き、もう変わってないかと思っていたら、まだこの部分手つかずだった。シンメトリーに配された、ストロークの長い階段とトップ、サイドライトとトラス。どれがかけてもいけない、魅惑の空間だ。
原宿で山手線人身事故に巻き込まれ、立ち往生。振替輸送で千代田線と小田急線で新宿までたどり着いたら、山手線も復旧していた。
15:30事務所に戻る。
16:00過ぎ、ザ・ハウスの研修中の新人の竹内さん来所。一時間ほど面談。
現調の整理とBBHの現場指示図作成。
「空港にて」村上龍(文春文庫)を電車のなかで読み始める。短編集で、『コンビニにて/居酒屋にて/公園にて/カラオケルームにて/結婚披露宴にて/クリスマス/駅前にて/空港にて』、の8編で構成されている。場所が各短編の題名になっているので、興味を持ったが。脳や感覚を記述する試みというか、私ってこんな感じっていうか。同時に様々な情報が飛込んできて、色んな行為を同時にしている。けして一つのルールだけに従っているのでなく、ズルズルと連続的に判断をしたり、判断を回避したりしている。その連続なのだ。『クリスマス』の途中だが、『コンビニにて』は秀逸だ。「明け方の猫」保坂和志や「脳と創造性」茂木健一郎とも通じるところがある。
明日からチェ・ミキは名古屋のおばさんのご招待で中国旅行。うらやましい。敦煌まで行って、月の砂漠でらくだに乗るらしい。朝早く名古屋の空港から出発なので、今晩おばさんの家に泊めてもらうため、出発した。
○ 2005/5/18
今朝は気持ちのよい天気だ。事務所の窓を開け、部屋の中を吹抜けて行く風が、気持ちよい。
BBHの現場とクライアントに連絡事項。金曜日に足場ばらしの予定。
BBH、KNHの図面作成。
午後、MRHの見積が1時間おきに、4社から出てくる。やはり予算に対して厳しい見積が出てきた。
1時間ごとの来所なので、合間合間に武蔵野大学のレクチャーの準備をする。
いくつかの建物の竣工年を確認しようと、資料を探していたら「現代建築の軌跡・1925-1995『新建築』に見る建築と日本の近代」(新建築1995・12月臨時増刊)が出てきた。パラパラめくるととても面白い。70年間の間に豊穣な様相を持った建築群や活動があったのが良くわかる。しばらくそんなことを忘れていた自分が恥ずかしく、自分の建築に対する考えをそれらの豊穣と比べた時の小ささに唖然とした。そして同時にそんな歴史を持つ建築の末端にいて、仕事ができることを嬉しく思った。
全て出そろったところで、クライアントに報告し、チェックと比較表の作成を始める。
○ 2005/5/19
今朝も昨日と同じような、気持ちのよい天気だ。
やっと暖かくなってきたので、小さい虫が沢山飛び回っている。
朝から昨日の続きのMRHの見積チェックと比較表の作成。
10:30、一区切りついたところで、不動産屋さんから来た高円寺の事務所用物件を見に行く。簡単には良いものあるわけないな。
事務所に戻って、連絡事項いくつか。
午後一で武蔵野大学の学生がふたり、エスキスに来所。みんな戸惑い、悩んでいる様子。しかし、時間も無くなってきている。
次回の課題のレクチャー用の画像の取り込みを、スタッフに指示。なんだかバタバタしている。
昨晩ニュースを見ていたら、少女監禁事件で保護観察所のファックスミスで、容疑者の保護観察に2ヶ月の空白期間が生じていた、という。ファックスででも報告を出すと言うルールを作る。それに従っていれば、良しとする。人間だからミスも有る。しかし、ルールには従っていたので、申し訳ない。そのようなことのためにルールばかり出来て行く。
ミスをするかもしれないから、その件の重要さによって方法を判断し、相手に伝わっているかを確認するのが、コミュニケーションで、そのために機械がそれらの行為を行うのでなく、人間が行っているのではないだろうか。
NHKのニュースのホームページを見ると、「法務省は、このミスを重くみて、全国に50ある保護観察所に対して緊急の通達を出しました。それによりますと、特に保護観察を受けている者が転居や旅行をする際に保護観察に空白が生じやすいとしたうえで、▽ファックスで転居などを照会する際は、送信先の保護観察所に確実に届いたことを確認するほか、・・・」とある。こうやって人間は創造力を失って行くのか。
○ 2005/5/20
昨日に比べ少し肌寒いが、よい天気だ。
一月くらい前に読んだ、「武満徹—その音楽地図 」小沼純一(PHP新書)で知り、入手した小室等の「武満徹ソングブック」、最近良く聞いている。数ある「武満徹ソングブック」の中で、一番好きな作品だ。昨晩も少し酔っぱらいながら聞いていた。他の人が歌っていない「ぽつねん」は心にしみる。癌で亡くなった友人のYを思い出した。彼は亡くなる前、お見舞いに持って行った鈴木大介演奏の武満徹のギター曲をとても気に入っていた。「ぽつねん」聞かせたかったな。
MRHの減額案検討。明日のOZONEの面談の資料確認と準備。武蔵野大学の空間造形3の前期後半の課題のレクチャーの準備。ほぼ完了に近づいた。
一日事務所だった。
○ 2005/5/21
朝9:30、OZONEで面談。
面談の終わり頃、面談ご一家の9才のお嬢ちゃんが僕の絵をホワイトボードに書いてくれたことに気づく。カワイイ(もちろん僕がではなく、絵が)ので、デジカメで撮らしてもらう。
その後、昨日足場がばれたBBHへ。すっと立ち上がっていた。現場でいくつか気がついた点があり、大工さんと話す。
平日だとゆっくり寄れない、書店やタワーレコードへ。特に収穫なし。
夕方事務所に戻り、天気予報見るも、明日の山梨・北杜市は曇り。新さんに連絡し、明日の撮影は延期。白州に滞在中のクライアントにも連絡し、他の日の撮影をお願いする。どうも天気との相性が悪い。
18:00大和町へ戻る。暮れなずむ時間、家の中を吹抜ける風に定家葛の香りが。武満徹のソングズを流しビールを飲み始め、少し酔い始める。ゴーヤチャンプル(CookDoに頼ってしまった)を作る。(次からはCookDoに頼らないように、料理本で勉強。何だ簡単だ。)
「インターネット持仏堂1・いきなりはじめる浄土真宗」内田樹・釈徹宗(本願寺出版)が面白い。内田樹さんのホームページ内のコーナーを本にしたもの。内田樹さんのブログはとても興味深く、こまめにチェックしている。レヴィナスへの興味から、内田樹さんを知った。この本にも、沢山のレヴィナスへの言及がある。
日本テレビ「瑠璃の島」。つい見てしまう。みんなが「ごめん」という島。
○ 2005/5/22
朝、ベット中で「空港にて」村上龍を読み終わる。あとがきに「希望」を描きたかった、と。なるほど。この小説の中に、ひょんなことから使い切るのに困ってしまうほどの収入を得てしまう人間が何人か出てくる。確かに現代はそんな時代だ。起きてたまった新聞を読んでいたら、自分の周りの出来事を一週間に一度連載してるコーナーがあり、今月は菊池成孔という人だった。この人も、生きて行くのに困らない程度の親の遺産がある、と書いてあった。内容はトンガッタ文章で、なぜだか印象に残った。
昼前、のび放題の蔦類の剪定。長い柄のついた鋏で上を見たり下を見たり剪定するのだが、終わると手だけでなく脚までも震えている。何と筋力の無い身体になったのだろう。
中国のチェ・ミキと名古屋のおばさんから電話有り。今お別れ昼食会の最中とのこと。今日中には東京に戻れる、とのこと。
午後高円寺文庫センターにある本を探しに行って、レジに持って行ったら、レジのところに「菊池成孔」のサイン色紙が立ててある。(ここには以前、人間風車のビル・ロビンソンの色紙が立っていたこともある。)そこに「東京大学のアルバート・アイラー」という本の情報があった。面白そうなので、店員さんに訪ねると、何冊かの本がまとまってコーナーになっていた。どれも面白そうなものだったので迷ったが、「東京大学のアルバート・アイラー/東大ジャズ講義録・歴史編」菊池成孔+大谷能生(メディア総合研究所)を購入。(サイン本)店員さんはかなり入れ込んでいるみたいで、いろいろ教えてくれる。
夕方、資料整理と録画したDVDの整理。
夜は、残り物の野菜を使い、ポトフもどき。「さかな、さかな、さかなー、魚を食べると」という歌がいつも流れているので、「さかな、さかな」と呼んでいる近所の魚屋の自家製サバの干物を焼く。焼き魚、煮魚も手中に収めたい。
○ 2005/5/23
昨日夜遅くチェ・ミキが帰ってきた様子。朝起きたら坊主がテーブルに並んでいた。
朝、事務所。メールチェックと日報を書く。
BBHのクライアントから連絡の電話。土曜日足場がばれた様子を見に行って、良い家が出来そうだ、と喜んだとのこと。こちらも嬉しい。
11:30事務所を出て、武蔵野大学へ。13:00空間造形3前期前半の課題の最後のエスキス。やっとみんな尻に火がついてきたようだ。まとまりつつあるもの、いまだに暗中模索のもの、様々だ。エスキスは19:30まで続いた。終わってから、製図室の準備室で水谷先生と鈴木さんと一休みの雑談。いささか疲れた。20:00過ぎ武蔵野大学を出る。
○ 2005/5/24
朝事務所でメールチェックとたまっていた日報のアップ。
BBHの現場指示図の作成。もうしばらくで現場指示作業も終了する。
武蔵野大学の空間造形3の前期第2課題の準備も今日で一段落した。
月末のいくつかの雑務。
OKHの図面作業。
以前設計させてもらった、鳥越けい子さんの自宅「風聴亭」(http://www.keitori.net/)の本の出版を計画している。「風聴亭」について鳥越さんが書いた「古いトランクのある家」を半分まで読み返す。
○ 2005/5/25
昨日の新聞に、杏里とリー・リトナーの婚約、という僕らの世代のニュースがあった。
今朝は清々しい天気だ。だが今日も夕方から天気が崩れる、とニュースの天気予報。季節の変わり目を感じる、中間のよい気候だ。連休の頃は急に暑くなって、すぐ夏が来る異常気象かと思ったが、やはり四季はこうでなくては。
朝事務所でメールチェックと日報アップと連絡事項。
MRHの見積見直しとOKBの図面作業。
11:00過ぎ、KOHとKNHの件で建設会社来所。
引き続きOKBの作業。
鳥越さんから連絡があって、先日鳥越さんが見に行ってとてもよかったという、「ポタライブ」という「散歩をしながら楽しむライブ」のお誘いを受ける。今回は西荻なので、ぜひ見るべきだとのこと。明日が本番なのだが、定員が少ないので既に一杯で、今晩のリハーサルを見せていただくことになった。
19:50西荻窪の改札に集る。19:00ポタライブ・吉祥寺編「斜」開演。案内人について西荻窪駅を出発し、西に向かう。途中何度か立ち止まって案内人の説明を聞いていると、その説明の中に出てくる人物と思われる人がどこからとも無く登場する。さらに進むと、説明の中の思いが我々の前に顕われる。そして・・・。
いろんなことを考えさせられた。確か「脳と創造性」茂木健一郎にあったのだと思うが、古代ギリシャ(?)の「逍遥哲学」といって、歩きながら考えると集中できる。「哲学の道」もそうで、歩き慣れた安全な道を歩いて考えると、他のことから身体が自由になり、集中して考えられる。歩いていたり、自転車に乗っていると、時にはっと思いつくことがある。
ポタライブは案内人に誘導されている、という安心感からか、周りの街がよく見えてきていろいろな考えが浮かんでくる。
一度体験する価値のあるものだ、と思った。
ポタライブ(http://kurumin.dyndns.org/potalive/index.htm)
終演後、西荻の戎で打ち上げ。これも楽しかった。
○ 2005/5/26
今日も気持ちのよい朝だ。
朝、メールチェックと日報のアップ。
いくつかの調べごと。インンターネットは本当に便利だ。
なかなか天気と撮影のタイミングが合わないので、TRHの鍵をクライアントからお借りすることにした。昼過ぎ受けとりに出かける。
その後も資料を見たり、調べものしたり。
夕方から、KTHを少しずつ考え始める。
○ 2005/5/27
いつも朝8:00前くらいに自転車で大和町から事務所に来る。その途中にお母さんと一緒に(時にはお父さんも一緒に)登校している、小学校低学年と思われる男の子とすれ違う。少しばかり障害があるようで、お母さんが同行しているようだ。少し前から、その子は僕を見つけると笑いかけてくれるようになっていた。こちらも頭をチョコッと下げる。ここのところしばらくすれ違わなかったが、今朝、遠くから僕を見つけると手を振ってくれた。すれ違うとき、お母さんも「お早うございます」と。こちらは慌ててしまい「こんにちは」などと言ってしまう。すれ違うまで手を振って振り返ってくれる。今度あったら「お早うございます」と挨拶しよう。
いつも通りの朝。
午後のMRHの見積についてのクライアント打合せがあるので、確認を含めスタッフ打合せ。
13:00、MRHのクライアント来所。見積のチェックと比較表、こちらで準備した減額案の説明。一週間いただき、減額案に沿った見積を建設会社に依頼することになる。
打合せの内容をスタッフとまとめ、減額案の修正を指示。
武蔵野大学の課題用に借りっ放しになっていた雑誌を、自転車で図書館に返却しに行く。
帰ってきて、各建設会社に断りを入れたり、減額見積の依頼をしたり。
KTHのエスキスを進める。
○ 2005/5/28
土曜日はいつもより少しゆっくりで、9:00事務所。
メールチェックと日報のアップ。
BBHの現場打合せ準備。
KTHのエスキス。
11:30事務所を出てBBHの現場へ。13:00クライアント打合せ。内部の塗装の色等、ほぼ最終の打合せ。大工さん一人で、着実に進んでいる。15:00前終了。
16:00過ぎ阿佐ヶ谷で電車を降りたら、新宿梁山泊にいた石井ひとみに呼び止められる。久しぶりだ。30日・月曜の13:00からTBSで始まる「コスメの魔法2」の収録の帰りだ、とのこと。この番組、新宿梁山泊の三浦伸子と梶村ともみがレギュラーで出演しており、今日も一緒で、今日が収録の最終日だそうだ。事務所の帰り道の途中まで懐かしい話しをしながら歩く。
事務所に戻り、明日の白州の天気調べるも曇り。新さんに電話して、水曜日が良さそうなので、水曜に仮決定。その他いくつかの連絡事項。
一度大和町に戻り、荷物を置いて高円寺へ。17:00「抱瓶」で中島早苗さんとチェ・ミキで飲み会。飲み会の前に、浜松のONHについての簡単なインタビュー。「エデュー」と言う雑誌の取材で先日ONHまで行っていただいた。そのとき同行できなかったので、補足的な話しをする。中島さんは以前、モダンリビングの編集部にいて、もう10年以上のおつきあいになる。「ガラスの使途」のロケに使えないかと、中島さんの部屋をロケハンさせていただいた、去年の初夏依頼なので一年ぶり。
「抱瓶」の次に「タイフーン」へ。
○ 2005/5/29
金曜日に届いたスピーカー、TIMEDOMAINmini(http://www.timedomain.co.jp/)をセット。確かに小さい音でもクリアーに聞こえるような気がする。
ダービー、ディープインパクトは強い。皐月賞の時もそう思ったが、改めて。今年の3歳馬の中では、ずば抜けているのではないか。久々の三冠馬か。
「いきなりはじめる浄土真宗 (インターネット持仏堂 1)」内田樹・釈徹宗(本願寺出版社)を読み終わる。朝時々すれ違う子の笑顔、布施を頂いてるのだな。この本の「おかげさま」でなんとなくわかります。
夜。「さかなさかな」で買った、さわらの酒塩焼き。高円寺の八百屋に行ったら眼についた空芯菜の炒め物。クロワッサンから、いんげんとアスパラガスの干し海老炒め。
○ 2005/5/30
季節が一つ戻ってしまったような天気だ。
今日は武蔵野大学の課題提出日だが、雨でみな苦労するな。
事務所でメールチェックと日報のアップ。連絡事項いくつか。
スタッフにいくつかの指示を出し、10:30事務所を出て武蔵野大学へ向かう。
提出図面は10:00から受け付けているので、どのような様子か気になるので、いつもより早く出る。どのような図面が出てくるか、楽しみで落ち着かない。
11:30、武蔵野大学の製図室。何人か既に提出済み。
12:00のタイムアップ前後に皆慌ただしく提出しに来る。13:00まで、先生方とアシスタントの方々が気になったものに付箋を貼る。
13:30から講評開始。今回は一回目ということで、全員発表の講評会になっている。一人持ち時間は5分。それに簡単なコメントをつけて行く。約50人の学生の発表だが、合格点をあげられるものは正直言って一割ほど。どうにか図面らしきものにした、という学生がほとんど。短大から4年生に変わっての初めての3年生なので、先輩の参考例がないので手探りなのだろうが、他の学校の作品集やアイデアコンペの結果等に興味を持ってもらいたい。
全員終了は21:00過ぎ。その後次回の課題を渡し終了。準備室で雑談のあと、河津先生、水谷先生と武蔵小金井の焼き鳥屋でお疲れ。0:00前大和町に戻るも、疲れているが、頭はさえ1:00まで本を読んだり、講評会や今後の課題について思いを巡らしたり。
○ 2005/5/31
昨日、さすがに疲れ、9:00事務所。
雨が良く降る。メールチェックと連絡事項いくつか。
11:00高円寺の移転候補の物件を見に行く。こちら独自のルートで声がかかった物件は、条件的にもほほ満足したが、間取りがどうしても一点譲れないところがあり、後ろ髪を引かれながらも断念。それに比べ、立ち退きの代理人の会社から送られてくる物件のひどさにあきれる。建物を確認に行くと、サラ金の入ったビルだったり、1階がスナックだったり。
BBHのクライアント打合せのまとめ。BBHの木製建具等の施工図チェック。MRHの減額案項目指示等。
午後になり、天気が回復してくる。白州の明日の天気は予想通り、晴れ。明日は撮影大丈夫そうだ。
○ 2005/6/1
朝6:30、新さんに大和町でピックアップしてもらう。
9:00過ぎ、白州到着。雲が少しあるが、陽が射すよい天気だ。早速撮影開始。
外から撮り始めて、内部に移ったのが12:00。山の中なので、いつまで陽が射しているか予想がつかないので、昼も取らず撮影を続ける。新さんの助手をしながら、デジカメで自分もスナップを撮る。外部を撮影のときには、カメラを構えた新さんの指示で、照明や開口の操作をするために、内部に走って各部屋を移動する。午前中それをしていたので、撮影終了する頃にはバテバテ。撮影は楽しいが、大変なのです。
17:30撮影終了。片付け、戸締まりをして帰路につく。
20:00、大和町到着。エネルギー切れで、言葉も出ない。体力ないな。
行き帰りの車中、写真や建築等について、新さんとした話しは、自分が今考えていることの確認にもなり、楽しかった。
○ 2005/6/2
なんだか、脚が少し筋肉痛。情けない。
いつも通り8:00に事務所。
昨日は事務所にこなかったので、メールや連絡事項が溜まっている。
昨日のデジカメ写真の整理をして、日報のアップ。
スタッフといくつかの打合せ。
14:00過ぎ、事務所を出て武蔵野大学へ。水谷先生と15:00から、空間造形3の第1課題の採点。採点の後第1課題を振り返り、次の課題やその進行方法について反省と相談。17:00終了。
今晩は水谷先生のゼミの飲み会があり、空間造形3を履修している学生たちなので、参加させてもらうことにする。一足先に大学を出て、
新宿に。買い物をして、18:00水谷先生と待ち合わせて、ふたりで先に一杯。19:00過ぎ学生の何人かが加わる。19:45に新宿駅で残りの学生たちと合流し、末広亭近くの店に行く。学生がセッティングしたので、チェーン店の居酒屋だろうと思っていたら、なかなか良い店。学生たちも、授業の時とはだいぶテンションが違い(当たり前だが、エスキスのテンションもこの位あげて欲しい)楽しい会になった。もう一軒ということで、水谷先生と何人かの学生と一緒に、花園神社を通りゴールデン街の「クラクラ」へ。久々に沢山飲んだ。
○ 2005/6/3
朝私用があって、11:00過ぎ事務所。。
さすがに昨晩飲み過ぎで、二日酔い気味。何をするにも集中できず、時間がかる。
BBHの施工図チェックバック。スタッフとの打合せいくつか。
大阪からチェ・ミキの友達のハマちゃんが出張で来京。大和町に泊まるので、19:00高円寺の「成都」で飲むことに。「成都」の後、大和町で二次会。さすがに疲れて、ふたりはまだ話していたが、先に休む。
○ 2005/6/4
9:00前事務所。メールチェックに日報のアップ。
今週は講評会や撮影、飲み会と密度の濃い一週間だった。さすがに疲れた。この土日は久々に打合せがないので、デスクワークと休養にあてよう。
図書館にリクエストした本を自転車で取り入った以外は、一日事務所で作業。
夕方から、真っ暗になり雷雨。
○ 2005/6/5
チェ・ミキは今日が学会の発表とやらで、昨晩は徹夜し朝出かけて行った。
一日大和町。溜まった新聞、雑誌を整理したり。
夜は、ビタミンを取ろうと、ゴーヤチャンプル。今回はDookDoに頼らず、オリジナルの味付け。こちらの方があっさりして美味しく出来た。キャベツとコンビーフの炒め煮。これは昔よく作っていたもの。忘れていたのを、冷蔵庫あさりをしていた見つけたキャベツで思い出した。
先週の疲れを、リセット出来たか。
○ 2005/6/6
朝いつも通り8:00前に事務所。
メールチェックと日報アップと連絡事項いくつか。
今日の武蔵野大学でのレクチャーのパワーポイントの確認。スタッフへの指示をいくつか出し、11:30事務所を出て、武蔵野大学へ。
13:00から、空間造形3の前期後半の課題説明。その後、常勤の先生にショートレクチャーをお願いし、課題関連事例のパワーポイントを使ったレクチャーを16:00過ぎまで。16:10に授業終了。その後、水谷先生と、先週の課題提出ビハインドの学生の提出課題の説明を聞く。
武蔵野大学はこの3年生が、4年生に変わった後の初代の学生で、前回の課題では初めてのことが多く、皆戸惑っていたようだ。二つ目の課題、どのようになって行くかな。
17:00過ぎ、大学を出て、18:00過ぎ事務所に戻る。
図面チェック作業と連絡事項。
○ 2005/6/7
朝いつものように事務所で、メールチェックに日報のアップ。
今読んでいる「東京大学のアルバート・アイラー/東大ジャズ講義録・歴史編」菊池成孔+大谷能生(メディア総合研究所)が面白い。12音平均律、バークリー・メッソド、MIDI(これについては何か分からない)の3つを、今までの音楽の歴史の中で、音楽を記号的にとらえる体系を作り上げた単語と考え、それに沿ってモダンジャズ史を講義している。ジャズの譜面には、テーマのメロディーとコードしか記されていない。その前のダンスミュージックの譜面には、各パートのアレンジが全て記されていた。その違いは考えてみれば、かなり大きい。そんなところから、様々な方向に話しは向かう。
確かに、「ジャズは難しい/分からない」と良く言われる。現代音楽もしかり。確かにポップスと違って、ある約束事を理解していないと何がなんだか、分かりにくい。最近、武満徹を聞いているが、入り込みやすい曲と入り込みにくい曲がある。この間、N響アワーで「バイオリン協奏曲 第1番 二長調 作品19」プロコフィエフ作曲(バイオリン)ヒラリー・ハーンを聞いたら、当たり前だが武満徹の音楽に通じるところを感じた。そうなると自分なりに、武満徹の入り込みにくい楽曲にも少しだが、とっかかりを持てたような気がしてくる。ある程度体系的に聞いて行けば、理解も少しずつ深まって行くのだろう。
そういえば、昔、高校時代にジャズを聴き始めた頃は、随分沢山の時間、ジャズを聴いていた。植草甚一さんにも、ジャズを聴き始めた時は300時間聴いた、というエッセイがあった。
同時に、「東京大学のアルバート・アイラー」のような、歴史を読み直すようなテキストがあると、より理解が進むのだろう。歴史を読み解くと言うことは、菊池さんが言うように「歴史は捏造だ」としてもスリリングだ、と言うことを、最近痛切に感じる。
KNHのスタッフ打合せ。BBHの施工図チェック。MRHの減額調整。KTHのエスキス。
14:30、事務所の立ち退きの代理人が見つけてきた阿佐ヶ谷の物件を内見しに行く。ちょっと期待していたが、だめだった。見れば見るほど、今の事務所の環境の良さが分かってくる。
○ 2005/6/8
今週も三日過ぎ、どうやらリセットできたような感じだ。
今朝も事務所。
KTHのエスキス。午前中にMRHの減額案を持って建設会社来所。同時にKNHの見積も出てくる。両方とも確認の上、訂正や打合せの準備をお願いする。午後のOKBの打合せ準備。
15:00前、事務所を出てOKBへ。16:00、OKBクライアント打合せ。改装計画が非常にゆっくりだが確実に進みつつある。
18:30事務所にて、KNHの見積打合せ。建設会社も同席。なかなか厳しい見積。我々にとっても、クライアントにとっても頑張りどころ。
夜、偶然見てしまった、NHKの「その時、歴史が動いた /エンタツ・アチャコの漫才革命〜あんじょうわろうてや!」。昭和初期、エンタツ・アチャコが歌踊りの入った「万歳」を、しゃべくりだけの「漫才」に変革した話し。これが、今読んでいる「東京大学のアルバート・アイラー」のビ・バップ=モダン・ジャズの歴史と見事にシンクロしている。早い話しが、構成がきっちり固められたバンド音楽が、少人数の自由なやり取りの音楽に変革されて行く。そのバックには、ラジオやレコードの発達があった。「万歳」は歌踊りの間に、しゃべりを挟み込んでいたのが、(ビックバンドのアレンジされた演奏の間に短いソロが挟み込まれる)ふたりの喋りだけになり、その喋りも毎回変わって進化して行く。
エンタツ・アチャコの漫才が全国的にブレイクするのは、ラジオの放送開始により、彼らのしゃべくりだけの漫才が放送された事による。
彼らのコンビは4年で終わる。その後それぞれの活動がNHKの番組で行われたことや、ブレイクのもとにはNHKラジオがある事等、あまりおしゃれとは言えない番組のまとめで終わるのだが、その後の漫才の歴史(特に80年代の漫才ブームまで)をたどってみたら面白いかもしれない。
漫才は日本のジャズだった。
○ 2005/6/9
朝から曇り空。蒸し暑い。そろそろ梅雨が始まるのか。
朝事務所に来る途中に、時々すれ違う男の子とお母さんとすれ違う。今朝は「お早う」と言えた。男の子は手を振ってくれ、お母さんも微笑んでくれた。
いつものようにメールチェクと日報のアップと連絡事項。
MRH減額案の詰めについてスタッフ打合せ。建設会社に連絡入れさせる。KNHの設備機器の減額案のスタッフ打合せ。KTHのエスキス。第一案がかなりまとまってきた。
午後一で新さんが、先日のTRHのポジを持ってきてくれる。今週から梅雨に入りそうなので、先週に撮影出来てよかった。天候の良さが、写真に出ている。新さんの最近の作品も拝見させてもらう。いろいろ考えているな。
KTHの第一案を、明日スタッッフに指示出来るところまでまとめ、時間切れ。18:00前事務所を出る。立ち退きの代理人から送られてきた物件、阿佐ヶ谷と高円寺の、を外から見て連絡を入れる。そのまま高円寺に自転車を置いて、麻布十番へ。
1年半前に竣工したNSHのクライアントの後輩の方が、土地購入と新築を考えているとの事で連絡を頂き、家作りの諸々を話しに行く。最近にわかに現実的に考えるようになったそうで、そのワクワク感とエネルギーが直に伝わってきた。クライアントに初めて会う時、ほとんどの方がこのようなエネルギーを発しており、それによって僕らは鼓舞され、日々の雑務の疲労をリペアーされているのかも知れない。
○ 2005/6/10
今朝も、男の子とお母さんとすれ違い、「お早う」。
天気が悪い。台風が来ている。いよいよ梅雨入りか。
朝はいつも通り事務所で、諸々。
9:00過ぎ事務所を出てBBHの現場へ。10:00過ぎから塗装塗り分け外部配管、外構等の細かい確認。現場はボード張りも終了し後は仕上を待つのみ。今月末には予定より早く、竣工し出来そうだ。
12:00前に打ち合わせ終了。今月末までやっている写真展「ウナセラ・ディ・トーキョー ANOHI ANOTOKIO −残像の東京物語 1935-1992 Afterimages of Tokyo−1935-1992」を見ておこうと、バスに乗って世田谷美術館へ。美術館に近づくと、全然違う展覧会の掲示が。受付で聞いたら、写真展は先月末までで終了との事。トホホ、と雨の中またバス停へ。その後事務所に戻るまで、間の悪い事が続く。今日は厄日か。
15:00事務所に戻り、KTH、MRH、KNHのスタッフ打合せ。BBHの現場からもらってきた施工図の最後のチェック。BBHクライアントへの連絡事項など。慌ただしい一日だった。
○ 2005/6/11
ムシムシする朝。9:00前事務所。メールチェックと日報のアップ。
MRHの減額案の最新集計、昨日スタッフがまとめておいたものを確認。クライアントと建設会社にメール。後一息、といったところ。
同時にKNHの見積も再度、見直しにかかる。
10;00に高円寺に行って、立ち退き仲介業者の紹介物件を見に行く。ちょっと期待していたが、やはりNG。そうそう簡単に見つかるものではないよな。
再び事務所に戻って仕事。
13:00に事務所を出て、高円寺でチェ・ミキと待ち合わせして、吉祥寺シアターへ。
設計コンペに参加させていただいた(残念ながら勝てなかった)吉祥寺シアターのこけら落とし。「カラフト伯父さん」鄭義信作・演出。武蔵野大学の水谷先生のご夫婦と一緒。鄭義信さんは新宿梁山泊の旗揚げメンバーでもあり、梁山泊の昔のメンバーも、何人か来ていた。
14:00開演。「忘れない事」をとても丁寧に描いた、素敵な芝居だった。吉祥寺シアターもシンプルに出来上がっていた。
芝居の後、高円寺に移動して、水谷夫妻とチェ・ミキと「抱瓶」へ。相変わらず一杯だ。その後「大将」へ。気がつけば終電間近。よく飲んで話した。
○ 2005/6/12
昨日、いささか飲み過ぎた。二日酔い気味。
11:00、再度立ち退き仲介業者の紹介物件を見に行く。今日は阿佐ヶ谷だが、やはりNG。
戻ってきて、昼を取り、洗濯物を干し、少し横になる。
14:00過ぎに、買い物に行くが、調子悪い。帰ってきて、また横になりラグビー「日本VSアイルランド」を見ていたら、急に回復。
KTHのエスキスをやったり、溜まっていた新聞を読んだり、バリカンで髪を切ったり。
夜は、煎り豆腐とサラダ。調子の悪い時に考えたので、このメニュー。
夜盛んに、大学でエスキスしている夢を見る。
○ 2005/6/13
朝いつも通り、事務所。メールチェックと日報のアップ。
今日から、ものつくり大学のインターンシップで、谷田貝君が8月まで事務所に来る。9:45谷田貝君来所。栃木の小山の自宅からなので、7:30に家を出てきたそうだ。頑張れ。
スタッフに紹介して、早速、MRHの軸組模型の製作に入ってもらう。
11:30事務所を出て、武蔵野大学へ。空間造形3の前期後半の課題。エスキスに参加したのは、半分受け持ってる学生25人の内、5人。前半の課題の経験は活かせているのだろうか。しかし、この5人はそれぞれ面白い事を考えていた。頑張れ。
18:30前、事務所に戻る。
谷田貝君は18:00までなので、帰宅。スタッフといくつかの、打合せ。
○ 2005/6/14
8:00前、事務所。竣工間近のBBHのスケジュールや細かいところの連絡を、クライアントと建設会社に。
MRHとKNHの見積について、建設会社より連絡。メールチェックと日報アップ。
9:00、KTHのエスキスとスタッフに指示を出し、図面化作業。
MRHの構造確認の打合せのための、スタッフ打合せ。
16:30、構造の吉田さんと飯田さん、坂下が来所。MRHの構造打合せ。複雑なスキップの建物なので、工事にかかる前の確認打合せ。
19:00終了。ビールを飲みながら、少しの時間雑談。
○ 2005/6/15
8:00、事務所に来る頃には、雨が降り出していた。
9:00、建設会社来所。MRHの見積の打合せ。最終段階に入った。同時に、KNHの減額見積の催促をする。
BBHの引き渡しの段取りを、クライアントにメールで連絡。
OZONEコンペのKTHのエスキスを続ける。一日集中してやったら、随分展開して、一つのピークがみえてきた。スケッチ模型の作成をスタッフに指示し、さらにエスキスを進める。夜には別案に展開する。今週中に、スケッチ模型を両方とも作り、次の段階へ進む事にする。
久々に、外出や打合せが無く、エスキスに集中出来たので、良い意味でアッという間に時間が経ってしまった。
○ 2005/6/16
朝から曇りで肌寒い。8:00前事務所。KTHのボリューム模型が出来ている。やはり、形になるといろいろ考える事のとっかかりが増える。
メールチェックに日報のアップ。
模型をもとに、別案のエスキスを進める。
10:00になってスタッフが来たので、二つ目のボリューム模型の説明を始めるが、検討不十分のところが見つかる。練り直して、再度指示を出す。
区の出張所へ、証明書を取りに。雨が降らないうちにと思っていたが、外に出たら、もうかなりの雨が降っている。
MRHの工事契約書の段取り。
午後は、KNHの減額案のチェック。まだまだ厳しい。その他、雑務を処理しながら、KTHのエスキス。
17:30事務所を出て、新宿へ。新宿文化センター、ピナ・バウシュ「ネフェス」の前に、書店に寄るため、少し早く出る。
BOOK1stで、この間ハマちゃんにプレゼントした「いきなりはじめる浄土真宗」をはじめ、内田樹の本を3冊入手。
19:00、TanztheaterWuppertal PinaBausch「ネフェス」(呼気)。
プログラムの製作ノートに次のようにある。「簡素な舞台。舞台中央から水が湧き出ては涸れ、また湧き出る。15m上空より瀑布が落下。床面はフローリングで素足で踊りやすい。」まさに、この通りの舞台。シンプルだが、効果的で美しい舞台。休憩(20分)をはさんで、3時間弱の作品だが、雲が自由に形を変えてくように、様々なパフォーマンスがこの構成しか無い、と思えるように揺るぎなく繰り広げられる。2003年にトルコに取材して作成された作品。
プログラムの予定を見ると、韓国初演の「新作2005」をソウルで6月21日に公演、とある。まさに成熟した集団なのだなあ、と驚く。
○ 2005/6/17
今日は、雨上がりで気持ちのよい朝だ。
いつものように事務所でメールチェックや日報のアップ。
KNH の見積を再度、見直す。KTHのエスキス。MRHの工事契約の段取り。BBHの引き渡しの段取り。ものつくり大学の谷田貝君の模型作りもペースがつかめてきたので、来週からは、OKBの既存躯体模型にかかってもらう事にした。
いろいろなプロジェクトのフェーズが同時に変わりつつある。気を抜くと、何かが飛んでしまいそうなので、今月末までは特に集中が必要だな。
遠州浜のSKHの雑誌掲載の校正。
○ 2005/6/18
9:00前事務所。建設会社の担当とメールと電話にてKNHの見積減額案の連絡と再確認。日報のアップ。
10:00KNHのクライアント来所。減額案の確認をし、さらに減額を考える部分ともとに戻す部分等を打合せ。12:00過ぎ終了。
午後から、午前中の打合せをまとめ、クライアントと建設会社の担当者にメール。
その後、KTHのエスキス。電話で、構造の吉田さんに地盤の相談。やはり、改良が必要そうで、それらを組み込んだ予算から、床面積をもう少し削減しておいたほうが良さそうなので、再エスキス。
○ 2005/6/19
午前中、KTHの資料を取りに、事務所へ。その帰りに立ち退き代理会社からの阿佐ヶ谷の物件を外から見るが、NG。
大和町でKTHのエスキス。
夕方、高円寺に買い物へ。純情通り商店会の揚げ物屋さんがずっと店を閉めている。しかも今日は、美味しい豆腐屋さんも肉屋さんも臨時休業。何かあったのだろうか。
「東京大学のアルバート・アイラー/東大ジャズ講義録・歴史編」菊池成孔+大谷能生(メディア総合研究所)を読み終わる。面白かった。
蒸し蒸し、暑いので、暑さには熱さで対抗、夜はキムチ鍋にする。サイドメニューは大根サラダと枝豆。
○ 2005/6/20
朝、いつもの通り事務所。新聞の天気予報で、最高気温が29度になっていたので半袖で出てきたら、曇りで気温も低かったが、9:00頃から蒸し暑くなってくる。
KNHの減額案について、電話連絡。
9:30スタッフが来たので、KTHの変更の指示。
11:30事務所を出て、武蔵野大学へ。空間造形3の授業。今日は中間発表の日。半数強が発表したが、前半の課題より、若干ではあるが進歩したようだ。発表の後、希望者にエスキス。面白く展開しそうなのもあるが、これからどう仕上げて行くかが正念場。みんな頑張ってほしい。
エスキスの後、製図室の準備室で水谷先生から、11日に吉祥寺シアターに芝居を見に行った後飲んだときの写真を頂く。しかし、この写真を撮った事を、水谷夫妻も僕も全く覚えていない。多分、チェ・ミキも覚えていないだろう。なんという集団か、と皆で大笑い。
その後、水谷先生と鈴木さんと、後半の課題の講評会と後期の課題について打合せ。
19:00前、事務所に戻る。いくつかの雑務。
夜、大和町に戻って、チェ・ミキに確認するも、案の定、写真撮った事は覚えていなかった。
○ 2005/6/21
朝、いつも通り事務所。メールチェクと日報のアップ。今日もなんだか、蒸す。
KTHのエスキス。平面と立面を詰める。
10:00前、MRHのクライアント来所。今日は MRHの工事請負契約。時間があるので、見積り調整中に作成した内部まで作り込んだ模型の説明。10:00、建設会社来所。契約と近隣挨拶の段取り、解体地鎮祭の工程等を打合せ、10:30過ぎ終了。
11:00過ぎまで、KTHのエスキスをして、事務所を出る。
クライアント候補が入手しようとしている岡本の土地を見に用賀へ。日差しが強く、蒸してまるで夏のようだ。岡本は、東名から少し入るだけで、静かな住宅地に変わる。敷地は多摩川に下って行く丘陵の坂道の高台にあり、道を曲がったら、急に視界が開けた。
しばらく写真を撮ったり、現地調査したり。
13:00前、岡本を後にして、BBHの現場へ。今日はキッチン工事が入っている。塗装もあらかた終わり、キッチン工事が済み、明日から木建てと家具が入り、塗装仕上が終わると、残すはクリーニングとなる状況。
もうすぐ引き渡しだ。今回は、OZENEのコンペや、武蔵野大学の前期後半の課題提出と講評など、いろいろあるので写真撮影だけにして、オープンハウスは開催しない事にした。
暑い中、良く歩いて、15:00過ぎ事務所に戻る。
KTHの構造の確認を、ファックスと電話で構造の吉田さんにヒアリング。いよいよ詰まってきたので、明日からはプレゼンテイションの作業に入る。
○ 2005/6/22
今朝は、雨。結構激しく降っている。
8:00前事務所に傘をさして、自転車で来る時、時々すれ違う男の子とお母さんとすれ違う。今日はレインコートを着て、手を振ってくれた。こちらは傘を上下して答える。
9:00頃になったら、雨は小降りに。メールチェックと日報のアップ。
今日は一日、土曜日のOZONEのコンペ・KTHのエスキスと作業。
馬主会の桐山から、当歳馬のカタログが届く。今年はDVD付き。
○ 2005/6/23
今日も雨。梅雨らしいと言えば、そうだが、鬱陶しい。でも週間天気予報を見ると、明日明後日くらいから来週はまるで夏。極端な天気だ。やはり、四季の気持ちのよいシーズンが短くなって、季節の移り変わりが極端になってきているように感じる。
朝、事務所でメールチェックと日報のアップ。
引き続き、KTHの図面チェック。
10:00にスタッフが来たので、修正の指示。引き続き文章等をまとめる。
午後からは、建設会社から送られてきたKNHの減額案のチェック。疑問点等を電話にて打合せして、修正を依頼。打合せの連絡を、クライアントにメール。明日は24日の金曜日なので、込むので諸々の振込をしに、途中銀行と郵便局へ。
夕方から、メールや電話で怒濤のように様々な連絡事項。
○ 2005/6/24
いつもより早く眼がさめてしまい、7:00過ぎに事務所へ。
一時間違うだけで、随分町の様子が違う。音や空気が微妙に違う。去年、一人サマータイムをしていた時を思い出した。登校する子供たちは、まだ外にはおらず、犬の散歩をするお年寄りや、寝間着姿でゴミ出しをしている人が多い。
昨晩寝る前に読んでいた、「ぼくんち・全」西原理恵子(小学館)http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_search_ez?jan=&pat=b2&text=%82%DA%82%AD%82%F1%82%BFを読み終わる。愛すべき登場人物が繰り広げる、恐るべきコミック。もう一度読んでみよう。これを阪本順治監督はどのように映画化したのだろう。
メールチェックと日報のアップ。
明日のプレゼンの図面が上がってくるたびに、チェック。
BBHの植栽についての連絡を、笹隈さんとクライアントと取る。
14:00、平面図と計画書をOZONEにファックス。
KNHの現地で確認したい事があるので、自転車で出る。昨日、KOHの家具等の追加工事の施工があったので、寄って確認しようと連絡するもお留守のようなので、外から我々が植えたジャスミンの様子を見に寄る。緑濃く、しっかりワイヤーメッシュに絡み付いていた。一安心。KNHの現地で実測と確認事項。事務所に戻って、建設会社にKNHの指示を連絡。
それにしても、今日の湿度は高い。吹抜けて行く風も、ベタベタしている。
明日のプレゼンの準備、スタッフには今日の18:00が完成リミットで、それに向けて作業するように随分前から言って来たが、やはりその時間までに終わらない。それ程高いハードルではないリミットなのだが。今晩あり得たかもしれない、18:30からの打合せを想定して決めたのだが。打合せが無くなったからからよかったものの、武蔵野大学(MU)の学生に、課題作成のスケジュールの大切さを盛んに言うのだが、自分のところがこれでは、困ったものである。単に早く終わらせたいからではなく、出来上がったものを見て、明日のプレゼンの想定をゆっくりしておきたいがためのリミットなのだが。作業が終われば終了と思っているから、そんな思いが想像出来ないのだな、これが。資料を完成させるのが目的ではなく、プレゼンをするのが目的だという事は自覚されていない。現場指示に置いても、ここが重要なのだが。いやはや。
不快指数と都議会選挙の戦略をまるっきり感じられない宣伝カーの音に、さらにいらだちは深まる。やれやれ。
○ 2005/6/25
今日も暑くなりそうなので、朝バリカンで髪を短くして、大和町を出る。
9:00前事務所。今日のプレゼンの模型と図面が完成している。なかなか良く出来ている。お疲れさまでした、スタッフ。
コピーをとったり、デジカメで模型写真を押さえたり、図面と模型を再確認して、プレゼンの準備。
早く着いて涼もうと、早めの11:30に事務所を出て、OZONEへ。暑い。もう夏だ。地下のカフェで先日読み始めた「レイアウトの法則-アートとアフォーダンス」佐々木正人(春秋社)を読む。2003年発行の本だが、偶然書店で手に取り、畠山直哉、塚本由晴、鈴木一誌という常に興味を持っている方達とそれぞれ行っている対談が収められているので、入手したもの。これが刺激的で面白い。「肌理(キメ)/ジェームス・ギブソン」についての本。自分の知識のなさや、浅薄さをかき乱してくれるこのような本は(「東京大学のアルバート・アイラー」もそうだった)面白い。
13:00KTHのプレゼン。いつもながら、同じ条件でも解決法は3者全く違う。クライアント候補は、これからどなたかを選べるのか、想像がつかない、とおっしゃっていたが、しかり。僕は他の提案を見て、自分の案との違いに、いろいろ考える事が出来て楽しいのだが。案を選ぶのではなく、どのような提案をする設計者とならやって行けるか、を選ぶコンペだとはいうが、やはりここまではっきり違う案が出てくると、案を選ぶしかなくなってくる。すなわち三つの提案と言う選択肢は広がっているのだが、この段階で具体的になり過ぎて、一つ一つの提案の設計の幅と言うか自由度が短時間に狭くなってしまっているのではないか、と思う。
16:00過ぎ事務所の戻り、17:00前、KNHのクライアント来所。減額見積の確認と、来週火曜日の建設会社も交えた最終打合せの確認。
18:00前大和町に戻る。今日はチェ・ミキの学校の友達のヤスエちゃんと韓国からの留学生キョンちゃんが、屋上七輪に来ている。19:00前、馬主会の桐山も参加。
しばらく飲んで食べた後、当歳馬のの選定会議を行うも、すでに酔っていて、なんだか気が大きくなり、なんと3頭を選定。(ある金額以下のものに限定し)まあ、一度こういうパターンもやってみよう。とにかく一勝をもぎ取りたい。
22:30前、キョンちゃんの寮の門限(今時まだあるか)がるので、慌てて皆帰る。
○ 2005/6/26
昨日というか、先週は疲れた。暑かった事もあるが、いろいろあった。
今日も暑い。
今日は何もしない。夕方まで大和町で新聞を読んだり、宝塚記念を見たり。8chの「スーパー競馬」の井崎の法則、快心の出来。井崎脩五郎の展開予想が微塵の狂いもなく的中。本人のあたふたした様子が、リアルで面白かった。
16:00に大和町を出て、西荻の実家へ。ビデオを買い替えたら、見る事が出来ないとの事。テレビ入力の切り替えが、分からなかったようだ。最近のテレビ関係は、デジタルがあったり、入力がいくつもあり、便利なようで分かりにくい。まるで「8月のクリスマス」の一場面のようだった。
その後、西荻の居酒屋で両親とチェ・ミキと食事。
帰りに西荻の駅で、大学時代の「スイング&ジャズクラブ」の同期の吉田に偶然会う。バンドの練習の帰りだとの事。
楽しんでる様子だった。
帰って、「新日曜美術館」とバレーボール行ったり来たり。「新日曜美術館」の印象派についての小林康夫さんの解説が、「レイアウトの法則-アートとアフォーダンス」の中の松浦寿夫・高島直之との鼎談とぴったりの内容。やはり定説化された考えかたなのだろう。
この年になって、自分の不勉強を後悔する事の多い、今日この頃。
○ 2005/6/27
昨日一日休んだので、随分楽になっている。
8:00前事務所に来るときは、まだ清々しいが、だんだん暑くなり、風も通りにくくなったので。事務所は空調を入れる。
朝から連絡事項いくつか。メールチェックと日報のアップ。
スタッフが来たので、土曜日のプレゼンの他の方の資料を渡したり、今週の予定を指示したり。
11:30過ぎ、事務所を出てMUへ。空間造形3前期後半の課題も、提出まで後2週間。どうにかなりそうな学生は1割いるか。コンセプトメイクから、実際のかたちに移行して行くところで手が止まってしまう学生が多い。という事はある意味設計がまだ始まっていない、と言う事になる。確かにコンセプトメイクは面白いし、楽しい。それを具体化して行くと、思っても見ない問題が次々出てくる。それらにどこまで対応し、どこまで守るかをエスキスする必要があるのだが、始めに決めたルールから柔軟に抜け出せない学生が多い。
結局18:30近くまでエスキス。製図室の準備室で講師陣で少し雑談をして、疲れを取り、17:30前MUを出る。
夜になっても、暑さは衰えなし。
夜、馬主会の桐山から電話があり、当歳馬やはり2頭に押さえる。当たり前か。
○ 2005/6/28
今日は朝から暑い。事務所でメールチェックをした後、8:45に事務所を出て、BBHの現場へ。
人身事故で山手線が遅れている。ただでさえ暑いのに、超満員。毎日の電車通勤がない事は、ありがたい事だ。
10:00BBHの現場。クライアント夫人と簡単な打合せ。クライアント候補のKTHのご夫婦が、参考にBBHの現場を見学にみえる。
その後、建設会社の担当者といくつかの打合せ。12:00前現場を出る。なんだこの暑さは。
渋谷で、ある書籍を探し、3軒目のブック・ファーストで購入。昼を取り、14:00前事務所に戻る。
冷たいお茶を何杯でも飲める。ちょうど1年前、この頃から「ガラスの使途」のロケハンが盛んになってきたのを、思い出す。去年も暑かった。
暑くて、バテバテだが、いくつかの連絡事項。今日の現場のまとめ。日報のアップ。
今日の最高気温が36度を超したと言う。
18:30過ぎ、KNHのクライアントと建設会社が来所。予算厳しい部分もあるが、土曜日に契約をして、工事に入る事になった。
○ 2005/6/29
梅雨の天気に戻る。湿度は高いが、昨日の気温が異常だったので、すごしやすく熟睡でき、朝起きるのが少しつらい。
8:00前事務所に来る道で、いつもの男の子とお母さんとすれ違う。そういえば、すれ違う日は雨の日が多い。
メールチェックと連絡事項に日報のアップ。
この2、3週間、工事契約やコンペのまとめが多く、決めごとが多かったが、もう少しで一段落。MRHとKNHの工事が軌道に乗り、BBHが竣工すれば、一区切り着く。
昨晩打ち合わせた、KNHの減額決定見積り内容に図面訂正のスタッフ打合せ。
源泉や契約書作りの雑務。
午後一で、OKBの図面打合せを、ものつくり大学の谷田貝君と。
BBHの竣工写真を引越し前までに撮影したいが、今週から来週は天気が悪い。新さんから電話いただくも、スケジュール組めず。
立ち退きの代理の会社から、物件が送られてくる。良いものないが、15:30に高円寺で待ち合わせ、2軒内見する事になり、15:20事務所を出る。
3軒ほど内見するも、ピンと来るものなし。「少しは、妥協してくれなくては」と言われるが、ファックスで見て今一と思う物件だが、見に来ているのだから、すでに妥協しているのに、さらに妥協しなくてはならないいわれはない、と思うのだが。
一時間半も費やし、事務所に戻ってたまっている帳簿の整理や写真の整理をする。
○ 2005/6/30
明け方、雨が激しく降っていたが、事務所に来るときは、ほとんど降っていなかった。
朝、メールチェック。雑務をいくつか。
MRHの現場用図面のスタッフ打合せ。
気温は低いのだが、湿度が高い。午後には晴れて来た。
進行中のプロジェクトの確認等。
○ 2005/7/1
気がつけば、もう7月。6月はあっという間だった。
今朝も薄曇りだが、湿度が高い。
朝事務所で、メールチェックと日報のアップ。
明日のKNHとBBHの契約や検査の準備とスタッフ打合せ。MRHの現場に入る前の設計確認。諸々の作業。
慌ただしかった6月に比べ、7月は穏やかに始まった。
夜、HDDに録画してある「8月のメリークリスマス」のメイキングを見た。この映画は、ハン・ソッキョ演じる主人公の感情を描くのではなく、周りにいる人との関係によって、感情を表現しているところが、良いところなのだな、と改めて感じた。しかし、ラストの雪のシーンが夏の撮影だとは。メイキングのナレーションにもあったが、「映画は気違いだ。」。(こんなナレーション、入れられるのだろうか。酔っぱらっていたかな。)
○ 2005/7/2
9:00事務所。メールチェックと日報のアップ。
今日検査のBBHの連絡事項。
10:00KNHのクライアントと建設会社来所。工事契約。そのまま、クライアントと建設会社の担当者は、近隣挨拶へ。
事務所で雑務の後、11:30過ぎ事務所を出て、BBHの現場へ。14:00から施主、事務所検査だが、少し事前に建設会社の担当者と打合せ。きれいに出来上がっている。今週から来週にかけては梅雨の天気が続くので、竣工写真の撮影は無理そうだ。引越し後の撮影をお願いするしかない。
検査とアクセサリー類の取付け位置決めを行い、15:30過ぎ終了。クライアントも嬉しそうで、男の子が家中を走り回っていた。
15:45にBBHの現場を出て、吉祥寺のバウスシアターへ。前から見たかった、「バッド・エデュケーション」ペトロ・アルモドバル監督を見に行く。変わらずの、濃密な映画だ。昨日の日報に書いた「8月のメリークリスマス」の感情表現とは正反対の、個人の自我の表現が、これ以上付け加えたらキッチュになってしまいそうな、セットと色彩設計の中で繰り広げられる。アルモドバルらしさが随所にあふれ、アッという間の105分だった。
夜、「オアシス」イ・チャンドン監督が見たくなり、DVDで見始めるが、途中で眠ってしまう。
○ 2005/7/3
午前中は溜まった新聞を読み、投票に。その後、ひげを整理し、シャワーを浴びて昼の準備。
少し早めに昼を取り、12:30大和町を出る。
13:30、聖心女子大。鳥越さんの本の打合せ。萩原さん、佐野さん、鳥越さん。方針の変更の確認。
15:00、広尾駅1番出口に移動して、ポタライブ・広尾編「鯨より大きい」。案内人に従い、10数名が広尾界隈を散策。途中、唄があったりパフォーマンスがあったり。(こう書くとすごく劇的になってしまうが、休日の広尾から少しはみでるだけ。)有栖川宮や広尾に関わる、宮家の出来事と、宮家に親しむ庶民の出来事を、散歩しながら案内人から話してもらう。広尾の商店街裏の路地に入り込んだら、江戸から明治、戦前に続く時間にスリップしてまったように、かすかな時間感じる。(このかすかさが、ポタライブの醍醐味のように感じる。)聖心の構内を抜け、日赤側(聖心女子大の正門側)で17:00前、ポタライブは終了。
そこで分かれ、萩原さんとバスに乗り、渋谷まで。渋谷で萩原さんと分かれ、大和町へ。
夜、都知事選の開票速報を見る。各政党の代表者は相変わらず、よくわけのわからない精神論を主張し、政策を話す政党はほんの少し。有権者の半分が投票に行かない選挙は、立候補者や政党の責任でもあるのだから、50%こえるまで(この50%もなんの根拠もないが。組織票で勢力が決まってしまうのを防げる投票率を割り出せるような気もするが。)投票を続ける、というのも一考に値するのではないか、等とつい本気で考えてしまう。
その後、昨日の続きの「オアシス」を見る。圧倒的なストーリーで登場人物がぶつかり合う「バッド・エデュケーション」も、主人公たちを包み込むように組み立てて行く「オアシス」も、方法は全く違うが、全ての部分での完成度の高さが、見るものの心を打つ。
○ 2005/7/4
朝から雨。事務所でメールチェックと日報のアップ。
11:00過ぎ、事務所を出てMUへ。後一週間で課題の提出なので、学生の学校での夜の作業につきあう水谷先生に差し入れを購入。
13:00空間造形3前期後半の課題、最終エスキス。経過を見せにくる学生の半分くらいは、前半の課題より進化してフィニッシュしそうだが、エスキスに参加しない学生が心配だ。
18:00過ぎ、エスキス終了。その後実習棟に移って、後期の課題について、先生方と打合せ。打合せ終了後、水谷先生の研究室で少し雑談し、一緒に学校を出て、吉祥寺で一杯。
○ 2005/7/5
朝、雲の間から陽が射している。
天気予報をチェックすると、木曜日は一時晴れ。BBHの竣工写真、新さんにアポを確認するも、NG。やはり、引越し後となる。
10:30、立ち退きの引越し物件候補を内見しに、阿佐ヶ谷の南口のマンションへ。やっとどうにか引越しを検討したいものが出てくる。しかし、予算より少し高い。代理人の会社の担当者に、その辺りの補償の交渉もお願いする前提のもとに、予約申し込みを入れる事にした。
13:30、KNH の現地で、建設会社との確認打合せ。この現場は、改修工事だが、いろいろ壊してみなければみえない部分もあり工事開始からしばらくの間の現場での打合せが、重要になってくる。
15:30、事務所に戻り、引越し候補地の実測して来た平面に、レイアウトしてみる。新しいところをどう使うか考えるのは楽しいのだが、これからやらなければならない手続き、雑務を考えると、うんざりする。
いくつか連絡事項があり、事務所の件を含め、今日はいろいろな事が動き始めた。
○ 2005/7/6
今日もはっきりしない天気だ。
昨日、引越し候補が一応決まったので、それに伴うスケジュール調整で、メールで連絡をいくつか入れる。
KNHのスタッフ打合せ。ものつくり大学の谷田貝君打合せ。谷田貝君はOKBの図面作業が、軌道に乗ってきた。
MUの講評会の概要を作って、水谷先生にメール。今回は二人で話して、盛り上げようといくつかの仕掛けをしてみる。
移転にかかる、負担をピクアップし始める。これも面倒な作業だ。
○ 2005/7/7
今日は七夕。天気は晴れ間も見えるが、雲も多く蒸し暑い。
雑務をいくつか。10:00MRHのスタッフ打合せ。
12:00に事務所を出て、BBHへ。今日は引き渡しと取り扱い説明。クライアント夫人に立ち会って頂く。15:00過ぎ、あらかた終了。明日が引越し。打合せを始めしばらくして、クライアント夫人のおなかに宿った赤ちゃんが、今は畳の部屋で、寝返りを打っている。一軒の家が出来上がるには、長い時間がかかる事を改めて確認した。
久しぶりに、自由が丘の鈴木基紀の事務所に立ち寄る。蒸し暑かったのと夕方だったので、ビールを持参。少し早いがビールを飲みながら、雑談。事務所となりのピクルス屋の話しから、近くの「パテ屋」の話しになり、スタッフにパテとワインを買ってきてもらい、結局20:00まで話し込む。昔田園調布でルームシェアーをしていた時は、良く「多摩川園(今は多摩川)駅」近くの飲み屋に寄り、話しをしていた事を思い出す。久々に楽しい時間だった。
大和町に帰ってきたら、入り口に猫がいる。自転車で近寄るとやっと道を譲ってくれた、と思ったら、ギャーギャーとうるさくまとわりついてくる。腹が減っているのかと、チェ・ミキを呼び牛乳と煮干を持て来てもらうと、懸命に飲んでいた。外で見ていたチェ・ミキに聞くと、その後近くで見ていた雌猫がそばを通って移動したら、すごい勢いで追っかけて行ったそうだ。どうやら発情していたようだ。そういえば、凄い眼をしていた。
○ 2005/7/8
昨日BBHの現場が終わったからか、引越し先がほぼ決まったからか、なんだか気が抜けてしまったようで、身体がだるい。
そうもしていられないと、MRHとKNHの指示をスタッフに出し、工程等の確認をする。
昨日BBHで取ったスナップの整理や、源泉の振込の件で荻窪の会計士事務所へ自転車で出かけたりで、落ち着かない。
MUの講評会の段取り連絡、講師陣はだんだん盛り上がってきたが、はたして学生は。
しかし、ここのところ、老眼が進んだのかますます字が見えずらくなってきた。スタッフと打合せをしていても、図面の数字や文字が読みずらく、それだけでイライラしてしまう。遠近両用眼鏡に変えてみるか。
○ 2005/7/9
今日は半袖では寒いくらいだ。自転車に乗っていても、長袖の人も多い。
昨日、会計士事務所に行って、溜まっている帳簿付けをなるべく早くするように指示されたので、3ヶ月分をつける。
その他雑務と雑誌を見たり。
15:50前、事務所を出て吉祥寺のバウスシアターへ「マラソン」を見に行く。今週末は知っている劇団がいくつか公演をしていて、案内をもらっているが、芝居を見に行くエネルギーが出ない。皆さん、申し訳ありません。
「マラソン」は、自閉症の男の子が母親に支えられ19歳のの時に、フルマラソンを走りきった、という韓国の実話が原作。韓国で大ヒットした、話題の作品だ。その実話をなぞるだけで涙が出る。しかし、実話と映画の違いはなんなのだろう。実話では喚起されない、別の感情を喚起する作品にごくたまに出会う。それらの作品は、そこから情報をではなく、考える事のきっかっけを与えてくれる。
何を言いたいのか、まとまりがないが、そんな事を感じてしまった。
○ 2005/7/10
暑い。
昼にビールを美味しく頂こうと、延び放題の蔦類剪定する。始めは30分くらいのつもりだったが、1時間弱かかる。少しさっぱりした。
汗が出て、アッという間の一時間だ。
シャワーを浴び、飲むビールがうまい。
少しは身体を動かさないないと、と反省。
新聞を読んだり、「レイアウトの法則ーアートとアフォーダンス」佐々木正人著(春秋社)を読み終えたり。レイアウトの概念、とても面白いのだが、昨日見た「マラソン」に感じた事を、再び感じる。知覚のについての認識としては、とても刺激的だが、そこから何が創造できるか、もう少し考えないと良くわからない。ある事を認識するための概念としての有効性は、だいぶわかった。
まあ、大雑把に言えば、他の現代思想と大筋において同じということか。
だるい身体を休めるため、早めに寝る。
○ 2005/7/11
今日も暑くなるらしい。熟睡ではないが、ゆっくり身体を横たえたので、身体が少し軽くなった。これが週末に向けて、だんだんだるくなって行くのだろう。
朝、いつもの男の子とお母さんとすれ違う。手を振って挨拶。
メールチェックと日報のアップ。7月7日分の日報、あれでは何を言っているか伝わらない、というチェ・ミキの添削が入ったので、訂正。
MUの14日の講評会に向けCDなどを準備し、確認。
13:00からMUの課題提出開始。5、6人の学生がもう持ってきている。その後しばらく間が空いたが、14:30過ぎ頃から、三々五々学生が提出に来る。締め切りの15:30を過ぎても、まだ15人くらい残っている。コンピューター室でプリントアウトしているようだが、時間がかかっている様子。17:00前、ビハインド含め、ほとんどの学生が提出終了。前半の課題に比べ、全体的にレベルアップしている。しかし、そうなると、さらに上を望んでしまう。とにかく、皆頑張った。お疲れさまでした。14日の講評会は盛り上がってほしい。
その後、講師陣で全体を見て回り、それぞれ優秀作に付箋を貼る。
講評会の段取りを、水谷先生と鈴木さんとして、18:30終了。
水谷先生と吉祥寺で、お疲れで一杯。
今後の仕掛けを、飲みながら話し合う。
○ 2005/7/12
今朝は涼しい。しかし、こう暑かったり、涼しくなったりすると、体もついてゆくのが大変だ。
連絡事項いくつか。
14:00過ぎに事務所を出て、中央線で高尾まで。今週末にOZONEで面談予定の敷地を見に行く。
中央線も八王子、高尾まで行くと丘陵地帯になり、雰囲気は少し山梨っぽくなってくる。今日は風が吹き、湿度も低く、気持ちよい。
帰りは、京王高尾駅から京王線に乗り、MRHの敷地へ寄る。
解体も終わり、更地になっている。いつもの事だが、更地になると、とても小さく見える。でも、工事が進んで行くと、敷地の大きさを再確認できるようになってくる。全体をいっぺんに確認できる時と、部分部分の集合で全体を確認するという事の違いが、そこに顕われるのか。そうだとしたら、その感覚を建物内部の計画にも取り入れられる、ということだ。意識してみても面白いかもしれない。
その後新宿まで出て、保坂和志の新刊「小説の自由」(新潮社)を購入。
○ 2005/7/13
今朝も涼しい。5月の気温だそうだ。
いつもすれ違う男の子とお母さん。今日はお父さんも一緒。
KNHのスタッフ打合せ。13:00前に事務所を出てKNHの現場へ。今日から内部の解体撤去工事が始まっている。
壁や床の断熱や下地を、部分的に壊してみて確認し、解体方法を指示。スタッフを残して、事務所に戻る。
15:30、立退きの代理会社来所。今日は最後の詰め。条件闘争である。あらかじめ準備をしておいたこちらの条件を説明。しばらく沈黙が続く。お互いに落としどころを見つけるために、少しずつ話しを進めるも、最後は韓国南大門市場のような条件交渉。決着がつき、一応引越しを7月30日(土)に決める。
これからの作業は大変だが、とりあえず一段落したので、気持ちを入れ替えてさっさと移転を完了させようと、早速出来る事から始める。
早速、雑務雑務の時間が始まる。
○ 2005/7/14
朝8:00、MU到着。水谷先生と研究室で今日の空間造形3の講評会の段取り確認。
8:30過ぎ製図室に移って、CDや映像の準備。
別の教室に集合させている学生、スタート時間の9:00になっても半分ぐらいしか来ていない。信じられない事だ。開始時間を15分遅らせて、スタート。初めは、段取り悪くスムーズに進まなかったが、2、3人過ぎたたりから少しずつペースに乗ってくる。しかし皆、プレゼン/人前で喋る事がへただ。
スタートが遅れたため、休憩も短く、発表は14:30終了。先生方から一言頂く。
あまり人の事は言えないが、皆視野が狭い。自分の興味がある事、自分が思った事をそのまま表現しているだけだ。なぜその事に興味があるのか、そう考えるのかを、再度考察して表現して行かなければ、ただのわがままになってしまう。自分や他者を、そとから見つめ直す姿勢を少し訓練すると良いのだが。
15:00過ぎ終了。皆飽和状態のようだった。ともかくお疲れさまでした。
その後、実習棟に移って、水谷先生と採点。全体的には、第1課題よりレベルアップしているが、そうなってくると平準化が気になってくる。
16:30過ぎ、製図室で行われている2年生の講評会を少しのぞき、17:00過ぎにお先にお邪魔させていただき、水谷先生と吉祥寺に向かう。
吉祥寺で学生たち6人と、大反省会。その後4人が加わる。普段、ゆっくり話した事がない学生たちの話しが聞けて、面白かった。
しかし、長くハードな一日で、本当に疲れた。
○ 2005/7/15
昨日の疲れが抜けきらない。
昨日一日事務所にいなかったので、連絡事項も多く、今日の午後、いよいよ移転先の契約と立退きの合意の調印なので、慌ただしい。
KNHのスタッフ打合せ。
午後一で、MRHのスタッフ打合せ。
16:00、阿佐ヶ谷の不動産会社で、新しく借りる部屋の契約。その場で、立退きの合意の調印。大変だったし、引越しも大変だが、まあ、面白い体験をした。立退きなんて、滅多にない事だろう。
事務所に戻って、明日のOZONEの打合せの準備と確認。
18:30、KNHのクライアントが来所。解体の状況を説明し、変更部分の打合せ。
○ 2005/7/16
朝、事務所によりメールチェック。
10:00、OZONEでKTHの打合せ。
13:30、同じくOZONEで面談。
16:30、事務所に戻り、やっと13、14、15日の日報のアップ。
17:30、INHの打合せ。
この一週間は、息つく暇もなく、本当に疲れた。
明日は、一日だらだらしよう。
○ 2005/7/17
昨晩は熱帯夜か。
あまりの湿度と暑さに、地下に避難。地下のソファの上はヒンヤリして気持ちがよい。
CATVで録画しておいたものから何か見ようと思案。結局、「めし」成瀬巳喜男監督(1951年)を選択。今年成瀬監督生誕100年記念で、連続放映されているのを録画しているのだが。いやー、面白かった。
終戦後6年。新たな近代に入りつつある時代が背景で、個人と家族、資本主義の台頭と市井の営み。そう書いてしまうとあまりにステレオタイプに聞こえるが、とにかく、そういう時代の変化の中で、夫婦の葛藤が描かれている。(林芙美子の原作に川端康成の監修に納得してしまう。)その夫婦を演じる、上原謙と原節子のアップが、二人の葛藤を静かに映し出している。こういう微妙な感情をアップであらわしている映画は、最近見ない。凄く繊細なライティングで、かすかな表情の変化を映像に収めている。
しかし、「東京物語」が1953年。原節子がアパートで、戦死したご主人の両親に、思わず心情を吐露するときの繊細な表情も、忘れられないが。
イタリア・ネオリアリズムの日本版とも思える、「めし」(なぜ「めし」かは、映画の最後にきちんと、際立たせている。)を撮った、成瀬巳喜男の映画、まだまだ録画したのがあるので楽しみだ。
○ 2005/7/18
昨晩も暑かった。また、地下へ避難。
9:00過ぎ、事務所。メールチェックと日報のアップ。
進行中のプロジェクトの資料整理。
引越しに向けて、少しずつ周りの片付けを始める。
○ 2005/7/19
暑いので、寝しなにタイマーでエアコンをかけて寝たのが良くないのか、なんだかだるく頭も重い。
OKBの図面チェックして、ものつくり大学の谷田貝君に指示。
ものを考え始めると、少しピリッとしてくる。
宿題になっている文章を書いたり、武蔵野大学の資料整理。
午後、KTHのエスキス。
引越しの業者さんが内見に来る。梱包を含めると、一日では終わらないので、前日から詰め込みを始めたいと言う。仕方がないので、前日午後から、梱包を始めてもらうようにする。
17:30事務所を出て、KNHの現場へ。あらかた解体が終了して、階段の墨が出たので確認。あらわしになった配管等の確認を、建設会社の担当者と行う。暮れなずんでの現場打合せは、蚊の猛襲に合い、アッという間に何カ所も刺されてしまう。
結構マメにチェックするブログが2つある。内田樹さんのブログと室井尚さんのブログだ。横浜国大の室井先生は、唐十郎さんの横浜国大招聘の仕掛けの首謀者で、唐組や梁山泊の芝居でお会いして、はなしをさせてもらったりする。内田先生は以前にも日報にも書いたように、レヴィナスに対する興味から、その著書を読んでいる。まったく別のルートから、お二人を知った訳だが(内田先生はこちらが一方的に知っているだけだが)、このお二人は、お知り合いだと言う。
まあそれは良いとして、室井先生の7月14日の短信に特に興味を持った。横浜国大の一年生の「基礎演習」という授業について書かれている。その中の、「せんべいチーム」の話しが面白い。今年から非常勤講師、しかも演習的な設計製図の授業の非常勤講師をしてみると、なにかもっと違う方法があり得ないか、と考えてしまう。この「せんべいチーム」の話しを読んでいると、いろんな意味で刺激的な演習になっているのが分かる。考えるヒントを頂いた。(業務報告。水谷先生、読んでみて下さい。)
しかし、これ、先生に一番エネルギーが必要な方法では。http://tanshin.cocolog-nifty.com/
○ 2005/7/20
今朝はいささかしのぎやすい。昨日の現場報告やいくつかのメール連絡。MRHの地盤調査の結果に対して、構造事務所からのファックスが入っている。今日は地鎮祭なので、早速クライアントに報告と対策を打合せする準備。
10:00に事務所を出て、MRHの現場へ。
11:30から、MRHの地鎮祭。日差しも弱く、涼しいのでありがたい。つつがなく、12:00終了。
帰りに、原宿の友人の設計事務所に寄り、アプリケーションを借りる。しばらく雑談。
15:00過ぎ、事務所に戻り、再び16:00前に事務所を出て、荻窪の会計士事務所へ。また、事務所へ戻り、18:00前再び事務所を出て、自転車で梁山泊の稽古場へ。
7月22日から9月10日まで、新宿梁山泊は「唐版・風の又三郎」をもって、韓国7都市公演のツアーに旅立つ。稽古大詰め、通し稽古を見に行く。梁山泊の稽古場に来るのは、本当に久しぶりだ。
19:30から通し稽古スタート。3時間の芝居なので、22:30過ぎ終了。その後、演出の駄目だし。24:00前稽古場を出る。
この芝居2003年から、3年かけて作ってきているが、やはり素晴らしい芝居だ。1974年の作品。空と地底の間をトルネード状に物語が行き来する。最近作でも、唐さんの作品には地底が登場する。主人公たちは地上の虚構をあざ笑うかのような魑魅魍魎が跋扈する地下へ向け、再生の旅を始める。そこには下谷万年町にうまれ、路地裏を軸に都市を描写する、唐さん独特の都市論になっている。いまや、行き場を失ったかのような、都市計画的都市論にない、魅力がある。
今読んでいる「アースダイバー」中沢新一(講談社)が、地理学的に東京を読み取っている筋と、重なる部分もあり、今夜の芝居は稽古であっても、よりイマジナブルに読み取れた。
稽古を通して、終幕熱狂的に韓国の観客に受け入れられている様子ががリアルに想像できた。スケジュールを見ると、相当ハードだが、体調に気をつけて、無事帰ってく事を、東京から祈ってます。
○ 2005/7/21
朝から、連絡事項多い。
いくつかのスタッフ打合せ。
移転先、この間の内見時は修繕中だったので、再度見に行く。図面上でまとめたレイアウトで特に問題なさそうだ。しかし、かなり良いところを選んだ事を確認した。楽しみだ。
今日は、夏らしい暑い日だが、湿度が低いのか、外を自転車で走ってもそれほどつらくない。夏休みに入って、子供たちが街にちらほらして、より夏っぽさを増した。
16:00、MRHの建設会社、来所。地下と1階のコンクリートの施工図打合せ。スタッフを叱責しながらの打合せ。情けない。1時間で終わらせなければならない内容の打合せに2時間以上かかる。
○ 2005/7/22
大和町の生活通路を挟んだ隣。大和町の土地を入手した頃は、古い銭湯だった。しかもその銭湯、天然温泉(鉱泉)だった。
大和町の家が完成したら、ゆっくりつかろうと思っていたら、工事中に休業してしまった。どうやら、銭湯をやっている家族の釜炊きをしていた方が、病気になってしまった、とのこと。
結局、再開されず、建物も取り壊され、土地の持ち主はさっさとアパートを建て、借地の権利を持っていた、銭湯を営んでいた方の持ち分は、原っぱのように残り、良い風情をかもし出していた。
その土地を、駐車場として整備すると、施工業者の方が挨拶に来たそうだ。きっとアスファルトになってしまうのだろう。外気温が上がりそうだ。
一日事務所。午後、銀行に行って振込等。梁山泊は今日韓国に出発した。
今日は涼しい。夕方から冷房を切って外気を入れる。
○ 2005/7/23
今朝も涼しい。時折強い雨が降る。
大和町の隣の土地、朝から重機が入り、土地の点圧の準備を始めた。
9:00前、事務所。メールチェックに日報のアップ。
今日も事務所の建物、1軒引越しの様子。引越し業者のトラックが入ってきた。
9:45、事務所を出て、KTHの打合せに出かける。
建て替える、現在お住まいの住宅に伺う。一通り拝見させていただき、雑談。嬉しい事に、ビールを勧められる。もちろん頂く。お昼もお子さんたちと一緒に頂く。パスタや野菜、オリーブ、ワインまで。とても美味しい。最後には杏とスモモのかき氷。話しも弾み、ついつい長居をしてしまう。次の予定があるので、14:30おいとまする。ごちそうさまでした。
最速で事務所に戻り、15:30過ぎ、面談。少々お酒を頂いている事を、まずお話しする。
16:30頃、大きな地震。ラジオの情報では、東京23区は震度4。
いろいろ動いている。
荒木さんのオープンハウスに伺えたら、と思っていたが、残念。
大和町に戻ると、背の高さくらいの下駄箱の上に置いてあった、絵が入った額が倒れ、その前に置いてあった二代目の豪徳寺の招き猫(焼き物)が玄関の土間に落ちていた。額のガラスも招き猫も無傷。奇跡的だ。一体どのように落ちたのだろう。ありがたい。
夜、「ペパーミントキャンディ」イ・チャンドン監督、ソル・ギョング、ムン・ソリの「オアシス」チームの作品、を見る。随分前にビデオに撮って見て、そのときも凄い映画だと思ったが、今回DVDで入手し、再度見て、やはり密度の高い映画だった。原題は「ハッカ飴」。ラストシーンのソル・ギョングのアップ、フェイドアウトしながら流れる一筋の涙が、印象的だ。20年の歳月を遡って行くストーリーなのだが、特典のインタビューで、完成作品とおり20年遡るように順撮りして行ったと言っていた。難しい撮り方だろうが、その効果は確実に出ているように思える。いろんなディテールが渾然一体となり、因果関係が見にくくなっている分、深みがある。
でも、映画としては、「オアシス」の方が、格上かな。それにしても、イ・チャンドン監督、第1作の「グリーンフィッシュ」もDVD注文してあるが、楽しみだ。
○ 2005/7/24
朝、8:00には眼が覚めてしまう。
「アースダイバー」中沢新一(講談社)を読み終わる。今の東京に古代の地図を重ね、昔陸だったところと海だったところの境界点に注目し、地理学的に想像力を働かせ東京を読み取っている本だ。
なぜか、途中、村上春樹の「海辺のカフカ」を思い浮かべてしまった。今も神社あるに、地底とのつながりを人々に想像させる「要石」という石の話しや、森の持つ象徴的な役割等の指摘は、そのまま「カフカ」に重なる部分も多い。地霊の顕われるところや、行き来。
さらに言えば、システムと魑魅魍魎のせめぎ合いという意味では、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」思い浮かべてしまう。
そして、「世界」がモダン(現代的)な表現だとすると、「カフカ」はプリミティブ(野生)な表現になっており、そういう意味で2つの小説は、一つになっているように思えてきた。
「アースダイバー」より、
「もしも天皇制が、グローバリズムに対抗するアジールとして、自分の存在をはっきりと意識すると、この国は変われるかもしれない。そのとき天皇は、この列島に生きる人間の抱いていたグローバリズムにたいする否定の気持ちを表現する、真実の「国民の象徴」となるのではないだろうか。」
午後、買物に出て、高円寺文庫センターによる。「戦後日本のジャズ文化」マイク・モラスキー(青土社)が平積みされている。これだから、この書店は嬉しくなる。マイクは20年くらい前、西荻や吉祥寺でいろいろやっていた、懐かしい名前だ。早速入手。
その後、「山の音」成瀬巳喜男をDVDで見る。ヤルセナキオ、と言われるのが何となく分かる。しかし、50年くらい前には、まだ人はかなり深い闇を抱えていられたのだな。こういう映画を見ると、いまは全て均一な明かりの下に出てしまっているように思えてくる。
何種類もの木漏れ日が、効果的だ。
○ 2005/7/25
台風が北上している。朝から曇りだが、湿度が高い。
7:40事務所でメールチェックや日報のアップ。
移転が今週末なので、そのための雑務をいくつか。
進行中のプロジェクトの確認やエスキス。
○ 2005/7/26
いよいよ台風上陸か。
朝から風雨。今日は自転車はやめて、歩いて事務所に。
10:00、KNHの建設会社の担当者来所。打合せ、確認事項。11:30前終了。
ファックスでMRHの地盤改良の資料が届き、スタッフにいくつかの指示。
午後は文章を書いたり、雑務。ものつくり大学の那須先生からの依頼原稿(「夜を賭けて」のセットつくりについて)にも手を付ける。
台風はそれて行ってしまったようだ。
○ 2005/7/27
台風一過。ちぎれ雲の向こうに、真っ青な空が見えている。
朝から、那須先生からの依頼原稿の続き。11:00前に仕上、メールする。
ものつくり大学のインターンシップの谷田貝君に、OKBの模型作成の指示。
KTHのエスキス。
引越し前の明日明後日に打合せがいくつか有るので、今日から自分の周りの整理を始める。
16:00大和町に建設会社の担当者に来てもらい、いくつか相談事。5年くらい経ってみると、いくつかこう出来れば、と思うような事も出てきて、どれくらいの費用で出来きるかを出してもらうようにした。
ラジオでは最高気温35度と言っており、外は晴天で暑いが、夕方の風が気持ちよい。
那須先生に、「夜を賭けて」のセットの写真をデータにして送る。
○ 2005/7/28
日差しは、夏の日差しだが、朝8:00だと空気はまだ爽やかで、風が気持ちよい。
メールチェックと日報アップし、机周りの大事なものの梱包を少しずつ始める。
KTHとKMHのエスキス。
移転の案内と引越しの日取りをとりあえず、メール。
明日からの引越しの段取りをスタッフに指示。
14:00過ぎ事務所を出て、銀行によってからKNH の現場へ。途中で自転車が変だ、と思ったら、パンク。後輪のタイヤがすり減っていたのを忘れて乗り続けていた。降りて、八百屋で近くに自転車屋さんはないか聞いたら、ラッキーな事に10m先にあった。とりあえずパンクを直してもらい、破れたタイヤは応急処置で現場に。
15:00から建設会社の担当者と打合せ。日差しは強いが、現場内は風が通って気持ちよい。16:00構造の吉田さんが現場に。補強の必要性の確認や、いくつかの指示をしてもらう。
その後、吉田さんと中野ゼロホールのレストランまで行き、KTH の構造打合せを行う。
帰りに、大和町近くのいつもの自転車屋さんに寄り、タイヤの交換をしてもらう。逆さにして、後輪をシャフトから外し、タイヤ交換。そのおじさんの手際のよさと、自転車の構造に感心する。
事務所に戻りクライアントへいくつか連絡事項。
また、地震があった。
○ 2005/7/29
いよいよ今日明日でこの事務所もおしまい。自転車ルートが変わるので、いつもすれ違う男の子には合えなくなるな。今は夏休みだから、さよならも言えないか。
事務所でメールチェックや日報のアップをして、9:00前新しい事務所へ。10:00までの間にNTTが来て工事なので、立ち会い。その後、不動産屋さんに寄って、契約書と全ての鍵を受け取る。
13:00、運送業者の女性スタッフが前日の箱詰めにくる。
簡単な指示をして、14:00前に武蔵野大学へ。
後期の空間造形の打合せ。後期は高橋先生と尾辻先生が加わり、4人でスタジオ形式で行う事になる。スケジュールや課題の選択の仕方等の打合せ。その後、製図室で、学生たちの提出図面と模型を見てもらい、レベルを確認してもらう。近くのファミリーレストランに移って、先生方6人で軽くビールを飲む。19:00過ぎ解散。事務所に戻ると、スタッフはまだ模型等を箱詰めしていた。
○ 2005/7/30
引越し。蒸し暑いが、日差しはない。
8:30前に事務所に行き、自分の周りの物を箱詰め。
9:00に運送業者が到着。総勢5人。昨日梱包してある荷物が、どんどん運び出されて行く。その間に、一人の人は残りの箱詰め。一度の休憩を入れ、作業は予想以上に早い。13:00に来るように指示していたスタッフに、30分早く来るように連絡。11:00過ぎには大凡のものが積み込まれた。積み残しは無いか確認して、新しいところに、12:40の約束をする。
2年半と言う短い間だった。粗方片付いたところを写真に収める。一度大和町に戻り、スタッフと12:30に旧事務所の段取りなので、少し前に行くが、誰も来ず、新事務所を開けなければならないので、急いで新事務所へ。
段取りとおり、棚や机のセッティングから始まる。ここに一番人がいてほしいのに、スタッフはおらず、13:00過ぎのこのこやってくる。急に時間を早くしたのだが、来れないなら来れないと言ってくれれば良いものを、ハイの返事で来ないとは。
そんなこんなで、荷運びは15:00前に終了。運送業者は若い人間5人だったが、水を浴びたように汗をかき、陽が射さなかったので助かったのでどうにか持った、と言っていた。お疲れさまでした。
その後、荷解きやセッティング。ネットやLANのセッティングにスタッフの知り合いの詳しい人に来てもらう。ADSLの切り替えが8月3日までかかり、それまでダイヤルアップ回線を使うのだが、多分、彼が来てくれなかったら、とんでもない時間が必要だっただろう。どうにか、メールも繋がる。4日まではファクスといちいちモジュラーケーブルを差し込み直しをしなければならないが、繋がらないよりはどんなに良いか。しかし、メールが無いとどうしようもない事になっている。それなのに、切り替えに3週間もかかるのは、サービスとは言えないのではないか。
17:30過ぎに作業を終了し、近くの串揚げ屋でお疲れ。本当にへとへとだった。
○ 2005/7/31
暑い、日曜日。
疲れているのに熟睡できず、疲れが取れないし、腰が重い。
午前中買物にでたら、少し身体がしゃきっとした。
しかし、どうしようもなく、一日だらだら。
夜になっても、疲れが取れず、早く休む。
○ 2005/8/1
昨夜は早くやすむが、やはり眠りが浅い。でも、長い時間横になったからか、結構爽快な朝を迎える。
8:00前、昨日スタッフに任せた、旧事務所の清掃を確認のため、旧事務所により新事務所に。
環境が変わるので、少し緊張してしまう。
全員で片付けながら、環境整備。ガスコンロを買いに行ったり、挨拶のお菓子をウサギ屋に買いに行ったり。
同じ建物に設計事務所が入っているので、ご挨拶。連絡事項いくつか。
18:00前くらいには、どうにか仕事ができる状況に。KTHのスタッフ打合せ。
しかしまた、腰が重くなってきた。
○ 2005/8/2
8月に入っても、カラッとした天気にはならず、空調をドライにしても室内は少し寒くなるが、切ると蒸し蒸しする。
事務所の整理はどうにか落ち着き先が見えてきたが、もうしばらく時間が必要だ。昔の仕事のファイル等を整理する。
13:00、立退きの代理人の会社の担当者に、幾ばくかの立退き費用と引き換えに旧事務所の鍵を渡し、明け渡しの書面に署名捺印。これでやっと立退き完了。
その脚で、原宿の知り合いの設計事務所に行き、借り物。つい話し込んでしまい、気がつけば夕方。新宿のヨドバシカメラに行き、事務所に必要な備品や、パソンコン環境の整備のためのものを購入。
夜になっても蒸し蒸しは納まらない。
○ 2005/8/3
最後の荷物整理を午前中に片付ける。これで、とりあえず梱包を解くものは終了したので、箱を回収に来てもらう連絡をする。
後は環境整備だ。
KTHのスタッフ打合せ。
雑務いくつか。
15:00に事務所を出て、KNHの現場へ。クライアントに現場を見てもらい、打合せ。
帰りに島忠に寄り、ベニヤの作業台に塗るクリアーを購入。KNHのアルミドアに塗る塗装についても確認。
事務所に戻るのに、中央線の高架下を自転車で通ってくるのだが、赤提灯では客がそぞろ、ビール等を嗜み始めている。喉の乾きも限界と、事務所近くのコンビニでビールを買って、事務所に帰る。
ADSLは今日切り替え工事が終わるとの事。配線を切り替えてみたら、無事繋がる。
いちいち切り替える必要もなく、やっぱり楽だ。
○ 2005/8/4
昨晩から、事務所ー大和町の新しい自転車ルートを確認中。
今朝も、昨晩と同じ道を通ってみるが、何度か道を間違う。このあたりはまっすぐな道が少なく、曲がりくねった道が多い。昔畦道だった名残のようだ。地図で今の中杉通りと旧中杉通り+パールセンター商店街を比べてみると、一目瞭然だ。
メールチェックと日報のアップ。ネット環境が整ったので楽だ。
10:00過ぎ、MRHのクライアントと建設会社及び各業者が来所。主に弱電関係の打合せ。最近は、LANやデジタル放送等で弱電の仕様が様々で、確認になることが多い。
午後、OKBの図面チェックをし、ものつくり大学の谷田貝君に指示。彼も残すところ三日。作業の終着地点を指示する。
今日から日曜まで三日間、浜松からチェ・ミキの妹の子供たち二人が、大和町に遊びにくる。
18:00前、チェ・ミキとヒロキとハナが事務所に来た。阿佐ヶ谷のパールセンター商店街は今晩、阿佐ヶ谷七夕祭りの前夜祭なので、ブラブラする。その後、大和町に戻って、子供たち二人と風呂に入り、夕食。
しばらくにぎやかになる。
○ 2005/8/5
今朝も新しいルートに挑戦するも、二度ほど道を間違える。なかなか難しい。
メールチェックと日報のアップ。
honkonプロジェクトの校正用のファイルが届いていたので、確認。メール返信。
KTHの図面チェックをして、スタッフへ指示。
KNHのスタッフ打合せ。
今日はヒロキとハナ、馬橋公園で遊んで、吉祥寺で芝居を見て、プールへ行って、という密度の高い一日。夜は高円寺で焼き肉。19:00前チェ・ミキから電話が有り、事務所を出る。
阿佐ヶ谷駅前は、七夕祭りで大にぎわい。
○ 2005/8/6
朝事務所でメールチェクをして、9:00過ぎ事務所を出る。
阿佐ヶ谷駅のホームで、高尾山登山に行く、妹とチェ・ミキとヒロキとハナに出くわす。
今日は暑い。電車に乗っていても頭がボーとしている。
10:30KTHの打合せ。12:00、前においとまし、東京駅に向かう。
ホームに上がったら、ちょうど中央特快の高尾行きが出発間際だったので、それに乗る。
中央線の始発から終点まで、ちょうど一時間の旅。
15:00前、高尾でKMHのクライアント打合せ。暑いので、マクドナルドでいろいろ話しを伺い、敷地へ。夏休みやお祭りの渋滞で」、高尾までとても時間がかかってしまったようで、後で気がつけば、昼も取ってなかったのでは。
17:00前にお別れし、また中央特快にのり、三鷹で乗り換え、西荻へ。うまい電車に乗れたので、待ち合わせの17:30ちょっと前に西荻に着く。
高尾登山一行と、西荻の両親と居酒屋で一杯。
浜松の子供たちが訪ねてくれたので、嬉しそうだった。
西荻から阿佐ヶ谷へ帰る電車に乗ったら、梁山泊の振り付けをしている大川さんにばったり。大川さんは今回の韓国公演、はじめの公演地・ミリャンに同行して、戻ってきていた。ミリャン公園は大変だったが、ラストシーンで片翼の飛行機が飛ぶシーンは、今までのなかで最高の出来だった、と話していた。大邸が楽しみだ。
○ 2005/8/7
今日も暑い。
ヒロキとハナはプールへ。チェ・ミキは付き添い。
昼に戻ってきて、浜松に帰る前にビリヤードがしたいという。僕は呆れて付き合わず、チェ・ミキは渋々付き合い。(偉い)
ビリヤード場の前まで一緒に行き、そこでお別れ。
買物をして、大和町に戻る。
新聞を読んだり、バリカンで髪の毛を刈ったり。
夕方、東京駅で子供らを新幹線に乗せた、チェ・ミキが戻ってくる。
チェ・ミキにとっては、密度の濃い四日間だったろう。お疲れさまでした。
○ 2005/8/8
朝、やっと事務所に道を間違わずに到着。
メールチェックと連絡事項。
9:00前に事務所を出て、MRHの現場へ。明日から柱状改良(地盤改良の一種で、良い地盤まで杭のように柱状に直径60cmの穴を掘り、その土をセメントで固めて、基礎を支持する)なので、今日遣り方(建物の位置を糸を張って出し、レベルの確認もする)。
10:00現場で遣り方を始める。途中近くにお住まいのクライアントも顔を出してくれる。レベルが心配だったが、確認できたので、スタッフを残し現地を出る。
新宿により、今日でインターンシップ終了の谷田貝君へのお疲れの本を買いに行く。一冊は既に阿佐ヶ谷の書店で入手済みの「建築家たちの20代」東京大学建築学科安藤忠雄研究室編(TOTO出版)。これは毎年の定番。今年のもう一冊は「現代思想のパフォーマンス」難波江和英・内田樹(光文社新書)。こちらはとても良い本なのに、なかなか書店に置いてない。やっと、新宿で入手。
ヨドバシカメラで、先日購入しメモリーアップ済みのi-bookをピックアップ。
13:00前に事務所に戻り、13:00過ぎ自転車でKNHの現場へ。事務所を出たら、にわか雨。それ程降らず、雷が少々。
13:30から、現場打合せ。木工事と階段の打合せが主。15:30前にスタッフを残し、現場を出る。この暑さの中、現場を2つ廻ると、さすがにこたえる。現場の職人さんたちはそんな事言ってられないのは分かっているが。
溜まっていた日報をアップして、いくつかのメールのやり取り。
19:00、ものつくり大学の谷田貝君、予定の作業を終了。彼がお礼にと買ってきてくれたビールでお疲れ。記念の本を渡す。
19:30事務所を出て、高円寺の成都へ。チェ・ミキの大学時代の同級生が名古屋から来ているので、もう一人の横浜在住の友人も交え、一杯。10:30頃、先に失礼する。名古屋の友人は大和町泊。
大和町に帰って、酔っぱらいながらニュースを見るが、各政党の幹事長等のインタビューを聞いていても、民主党が出来たときのような改変(といえるのだろうか)しか起こりえない、と確信する。
○ 2005/8/9
トタン屋根の上の猫が、いつも同じところで寝ている。暑くないのだろうか。
今朝は日差しがなく、涼しく感じる。
事務所で日報のアップとメールチェック。
先週の打合せの整理や雑務、連絡事項。
KTHの変更案をスタッフに指示し、クライアントへファックス。
KNHのスタッフ打合せ。その間確認事項等をメールしたり。
銀行に行くついでに、図書館に久々に自転車で。
移転案内のために住所録の整備。
バタバタと落ち着かない一日だった。
政界は早くも改変等おこりそうもない、流れに成ってきている様子。
○ 2005/8/10
曇りで暑くはないが、湿度が高いように感じる。
自転車で走ると、風を感じて気持ちよいが、信号で止まると、むっとする。
KTHのエスキスを進める。KNHの連絡事項いくつか。KMHの役所へ電話して、条件の確認。だいたい確認できたので、少し計画が進んでから、実際に役所に出向くのが良さそうだ。
午後、スタッフにKTHの図面指示を出し、KMHのエスキスをスタートする。
途中、MRHのスタッフ打合せ。
ずっとKMHのエスキスを続ける。
○ 2005/8/11
今日から、今週末までは天気が悪く、少し涼しいらしい。
窓を開けると、風が通る。
KMHの役所確認とエスキスを進める。
10:30、以前のスタッフ、高橋が来所。少し手伝ってもらう事になり、昼前まで打合せ。
13:00過ぎ事務所を出て、構造の山崎さんの事務所へ。KMHの相談。
今日は少し涼しいからか、JRの駅にはスタンプラリーの親子連れが沢山。
帰りに新宿の東急ハンズにより、新しく作った作業テーブル用の脚を買ってくる。
戻って、KNHのスタッフ打合せ。
明日から、16日までスタッフは夏休み。
こちらは、19日から22日まで、韓国に行くのでずらして休む。
明日からはしばらく、一人でのびのびと仕事ができる。(予定)
○ 2005/8/12
久しぶりの雨。わずかな雨でも、随分涼しい。
KNHの施工図を作成。昼過ぎ、事務所を出てKNHの現場へ。細かい打合せを、建設会社の担当者と行う。
夕方事務所に戻り、一人なので、ビールを飲みながら、進行中のプロジェクトの確認や連絡事項。
○ 2005/8/13
昨晩は涼しく、湿度も低く過ごしやすかった。
今朝も雨上がりで、涼しかったので、事務所の窓を開け風を通す。いつものところで、猫が気持ち良さそうに寝ている。しかし、10:00過ぎ位から陽が射して来て蒸し蒸しして来た。
今NHK-BSで寅さんのシリーズを、毎晩気が狂ったように放映している。その解説を映画評論家みたいな人と山本晋也監督がやっている。山本監督は、寅さんシリーズの監督を誉め讃える。それはそれで良い。でも、山本監督と言えば、寅さんにも劣らぬシリーズが有るではないか。そう、「未亡人下宿」シリーズ。たこ八郎や久保新二が毎回出て来たナンセンス喜劇が。場末の映画館の3本立てで、一本目に痴漢で出て来たたこ八郎が、二本目で警察官になっていたり、おおいに楽しませてもらった。
NHKに度量が有れば、これらも、気が狂ったように放映してもらいたいものだ。でも、成人映画(懐かしい響き)だから、無理か。
等と、連日の寅さんを流し見ながら考え、やっぱり寅さんは、盆と正月の二回くらいが、腹八分目でちょうど良いな、ととても思った。
パソコン周辺環境の整備をしてしまおう、といろいろ始める。先日購入したibookの立ち上げをしたことで、ネットワークがおかしくなり、サポートセンターとのやり取りで、2時間以上かかってやっともとの状態に。やれやれである。
夕方、一瞬の凄い雷雨。
○ 2005/8/14
久々に、新聞の懸賞で当たった歌舞伎を、見に行く。
銀座で天ムスとビールを買って歌舞伎座へ。11:00から歌舞伎座・八月納涼歌舞伎。いつもの3階席。八月はこの月だけの三部制。人気の若い役者が出ているからか、ほぼ満員。早速席につき、ビールを飲みながら筋書きを読んでいたら、最初の出し物「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)金閣寺」は、以前見た事を思い出す。
休憩を30分はさんで、獅堂・七之助の「橋弁慶(はしべんけい)」。人気者二人の舞台で、女性客(ほとんどが女性客だが)は身を乗り出して見ているが、どうもピリッとせず頂けない。
最後は勘太郎の「雨乞狐(あまごいぎつね)野狐の五変化」。題名とおり、野狐役の勘太郎が五変化するのだが、演目としてよく出来ている。勘太郎も良くこなしているように思うが、勘三郎の「雨乞狐」も見てみたい。この演目、勘太郎が引き続きやりつづけるだろうから、機会があったらまた見てみたい。
14:00、終了。外には第二部を待つお客さんが一杯。
外は暑い。広いアスファルト道路の照り返しがきつい。
そそくさと、大和町に戻り、シャワーを浴び、再びビールで一息つく。
夕方になって、風が出て来て、日が落ちると涼しくなる。あまりの暑さに入れていた、冷房を消し、窓を開けると気持ちがよい。
○ 2005/8/15
朝いつもより少し遅く起きて、8:30事務所。
メールチェックや日報のアップ。
今日明日もスタッフは夏休み。現場も夏休み(といっても作業している現場も有ろうが)。
横浜国大の室井先生(何度か日報にも登場いただいた、唐十郎さんを横浜国大に招聘した首謀者)が、14日のブログに梁山泊の韓国7都市ツアーのソウルバージョンの様子を書いている。http://tanshin.cocolog-nifty.com/
僕も出発前の通し稽古を見て、その出来の良さに、韓国の観客たちに熱狂的に迎え入れられている姿を想像できたので、現実になっているのだな、とワクワクする。
僕とチェ・ミキも19日に大邸に向かい、「唐版・風の又三郎」を韓国で体験するので、楽しみだ。
梁山泊は日本を発ってほぼ一ヶ月。室井先生のブログを読むと、皆疲れがたまって来ている様子が、少し心配だ。
とどこうっていた、メールで案内を差し上げられなかった方への、移転案内の作業と、OZONEの展示のスケッチ。
午後、郵便局に行ったり、外で雑用をしていたら、急に雲行きが怪しくなって来たので、事務所に戻ったらすぐ雨が降って来た。
OKBのスタッフへの指示をまとめ、KMHのエスキスに移る。
世間一般も夏休みで、電話等がなくいろいろな事が片付いて行く。
雨上がりのトタン屋根の上で、猫は気持ち良さそうに熟睡中のようだ。
夜、凄い雷雨が一時間弱続く。
○ 2005/8/16
昨日は8月15日。
昨晩、NHKが「 “予定調和なし”“NHKらしくない討論”として話題を呼んでいる(NHKホームページより)」という番組、『日本の、これから
「戦後60年 じっくり話そう アジアの中の日本」 』を途中から見る。
教科書問題や靖国参拝問題等が、話し合われていた。例えば、靖国になぜ参拝するのか、という質問に対して町村外相は、1.亡くなられた方への慰霊。2.今の反映の感謝。3.反戦への誓い、という。これでは、なぜ靖国神社でなければならないのか、という問いに何も答えていない。これでは、賛成も反対も判断保留になってしまう。
問題が紆余曲折して、なんだかうまい具合に問題の確信に近づきそうな場面になると、意図してか、意図せずか、NHKの司会進行の三宅さんは「この問題は後でゆっくり」と話題を移してしまう。
携帯電話を使ったアンケートを行い、3、4択のアンケートをとり、パーセンテージ表示で発表するも、一体何件のアクセスがあったのかも発表されない。そのパーセントからまた、解釈をはじめ、インターラクティブな試みだとでも言いたいようである。
深まらない話し合いに、イライラするので途中で見るのをやめる。これなら、本当に少なくなって来た、戦争に行かれた方々の話しをライブで沢山伺うとか、渋谷にいる女の子たちをスタジオに集め、話しを聞いた方がまだ予定調和なしの番組が作れるのではないか、と思った。
朝から雨で、気温は少し低いが蒸し暑い。
KNHの作業。KMHのエスキス。
昼前、結構大きな地震。時間も長い。このところ非常に地震が多いが、それに対してなにも準備していない自分を認識するが、過ぎてしまうとまた何もしない。
15:00、KNHの建設会社の担当者来所。簡単な打合せ。
夕方になって、晴れて来た。
○ 2005/8/17
今朝も、昨晩同様、過ごしやすい天候だ。空は青いが、空気が乾燥している。
スタッフの夏休みも終わり、今日から出社。
早速、スタッフの休み中にまとめておいた事項を指示。19〜22日の休みの間の分も指示する。
KMHのエスキス。傾斜地に有るため、平均地盤面によっては3階が厳しくなりそうなので、地盤面の算定をしてみた上で、エスキスを進める。
夕方になって、エアコンを切って窓を開ける。
過ごしやすい一日だ。
○ 2005/8/18
今朝もそれほど暑くない。夏ももう終わりかと思わせるが、そんなこともないだろう。
KMHの昨日のエスキスを見直してから、KNHのクライアント打合せの準備のスタッフ打合せ。
KTHのクライアントからの要望ふまえて、エスキス。
13:30、KNHのクライアント来所。最終的な工事項目の見直しと、仕上材の下打合せ。
引き続、KTHとKMHのエスキスを進める。
明日から22日まで夏休みを取って、梁山泊のテグ公演を見て、アンドンやプサンを廻る予定。日報もその間、夏休み。
○ 2005/8/23
昨日までの韓国行きは、アッという間に終わってしまった。
テグの新宿梁山泊「唐版・風の又三郎」は素晴らしい舞台だった。
今までの公演の中で、一番役者が少ない(多分)バージョンだったが、唐十郎のロマンの原型が浮き彫りにされ、その中でそれぞれの役者たちが存在感を充分に発揮して、シンプルな中にとても幅広い振幅を作り出していた。3幕の芝居だが、各幕がそれぞれ際立ちながら、最後まで太い流れが渦巻いている。シンプルになったということは、けして分かりやすくなったということではなく、芝居を見ている観客それぞれの読み取りに充分答えられる存在感を持ったという事だ。
金さんから、ソウル公演を御覧になった(そして幕開きに登場もしたという)唐さんが、「全く違う『風の又三郎』になった。」とおっしゃっていたと伝え聞いたが、本当にそう感じた。オリジナルの魑魅魍魎跋扈する、暗黒のロマンから少しずつ変化して来て、ここに至った。
見に行ってよかった。皆の体調を心配していたが、皆とても充実した顔をしていた。
役者をやる前に、スタッフワークを全員がやらなければならない梁山泊なので、メンバーが少なく大変なのでは、と思っていたが、現地のボランティアの学生たちが、本当に良く手伝ってくれているようで、テグでもボランティアの学生たちは、みな元気よかった。
テグ公演は本当に町外れの川岸にテントが建ち、あいにくの雨で客足はどうかと心配したが、広いテントに9分の入り。客の反応はとても良く、時々交えるハングルの台詞と簡単な字幕という構成の中、3幕3時間ずっと熱気は下がらなかった。
最後まで、怪我なく公演を終えて、無事の帰国を祈ってます。
朝からメールチェックと連絡事項。
留守の間の諸々、スタッフ打合せ。
雑務や4日間の日報書き。
明日から、通常業務に戻るための段取りを考える。
旅行で疲れているはずが、やはり気分転換になっているのか、とても調子が良いことに気づく。
各日付に戻って、簡単に4日間の記録。
19日
12:30成田発のプサン行きのチェックインのため、カウンターに行くと、「プサン天候不良のため、福岡着もしくは成田に戻る可能性があり、ご承知下さい。」とある。承知できないが、乗るしかない。
何の事はない、プサンは晴れ。プサン駅に移動して、KTX(韓国の最新高速列車)で、東テグへ。途中から雨に変わる。
テントのそばにあるという、パークホテルへ。ホテルのロビーからテントを確認するも、川向こうでかなり遠い。
18:00過ぎ、梁山泊のテントに到着。19:30からテグ公演の初日を見る。なんと、岩波書店の樋口さんご夫婦もいた。「夜を賭けて」の撮影のとき、群山でお世話になったハンギョル(オールウェイズ・ハン)さんも来ている。懐かしかった。
終演後、地元主催の打ち上げに、参加させてもらう。2:00前ホテルに戻る。
20日
今日も雨。9:00過ぎ、ホテルを出てテグの西門市場、薬令市をぶらぶら。
昼にビールを飲もうと店を探すも、入る店入る店ビールはなく、表から各店を見ても酒を飲んでいる様子がない。ビールを飲むのに、こんなに苦労したのは始めてで、この地域一体どうなっているのだろう、と首をひねる。へとへとでもうあきらめて、電車の中でと思いテグ駅に向かうと、なんと駅手前のポジャンマチャ(屋台の店)にビールが。簡単な揚げ物とビールで一息つく。
15:00テグ発のセマウル号でプサンに。ナンポドンのホテルフェニックスに飛び込み、安かったのでそこに決める。
夜は、ヤンコプチャン。牛のコプチャン(小腸)やヤン(ミノ)の練炭火焼き。日本で言えばホルモン焼き。これはうまかった。近所にほしい店だ。
21日
天気予報は雨。だが、雨でも狐の嫁入り。日も射している。朝飯にソルロンタンを食べているうちに、晴れて来た。
地下鉄で、トンネ(東莱)温泉へ。ナンポドンから30分強。プサンの人なら皆知っていると言う、ホシムチョン(虚心庁)に。巨大な温泉施設。日本の健康ランドを信じられないくらい大きくして、風呂やサウナのバリーエーションを多くしたもの。昔の船橋ヘルスセンターか。
遅い昼は、「韓国の『昭和』を歩く」鄭銀淑(祥伝社)で知った、クムガン・コンウォン(金剛公園)楼門前のシクタン(食堂)へ。ここで、パジョン(お好み焼き)とマッコルリ(どぶろく)が楽しめる、とかの本にありホムシチョンに行く前に訪ねてみたら、その通りだった。ここのマッコルリはこの上の山、金井山の水と麹でつくられ、ここでしか飲めないもだと言う。確かにうまかった。
その後、プサン市立博物館へ。ここにはプサンの古代から朝鮮通信使や日本統治時代の資料が展示されている。これらの展示をみていると、統治下の近代化に対して一部の人が言うように、日本の功績があったのだろうが、冷静に考えれば、統治している本人のためにやっている事だから、それで統治が悪い事ではなかった、という理屈は成り立たないな、と思う。それよりその後の朝鮮戦争まで歴史を見ると、とても長い間悲惨な状態にあった半島である事に、改めて考えが行った。
22日
天気は昨日に続き晴れ。帰りの準備をして、ホテルに荷物を預け、チャガルチ市場へ。ここでも「韓国の『昭和』を歩く」の案内により、「友へ・チング」のロケにも使われたと言う、チャガルチ乾燥物卸売り市場の統治時代の日本家屋へ。さらに、ヨンドテギョ(影島大橋)周辺へ。橋のたもとにはチョラックァン(哲学館)といい、古い占い屋が残っていると言う。
「朝鮮戦争時代、影島大橋は多くの避難民たちの再開の場所となっていた。この橋を行ったり来たりしているうちに、偶然故郷の人々に会えて、別れた家族の話しが聞けたりしたことがあったという。避難民たちは『親戚に会えるかも』『親戚の情報が聞けるかも』『故郷に帰れるかも』という期待を胸にこの橋に集るようになった。/そんなとき、先の見えない彼らの身の上話を聞いてくれたのが占い師たち。自然発生的に橋のたもとに占い屋が栄えるようになったらしいのだ。」とある。果たして、その通りにチョラックァンはあった。
「最近、影島大橋を撤去すべきか保存すべきかという論争があった。釜山市民たちと苦楽をともにしてきた象徴的な橋という点が考慮され、やはり保存されることになった。」ともある。
大事なことだなと思い、プサンの人たちの意識をとても感じられることだが、その横では、風情のあるチャガルチ市場が、近代的に建て替えられようとしているし、ロッテが高層の建物を計画しているという。
チャガルチ市場で、さきいかと明太子のお土産を入手、1階の市場でアワビとケッチム(ケジャンの蟹)とシマダイを買い、2階の食堂に行って、アワビは刺身、ケッチャムは蒸して、シマダイは刺身とあらをスープにしてもらい、ビールを頂く。マシイッソヨ。
15:30釜山発の飛行機で成田へ。20:00大和町着。
○ 2005/8/24
今日から、武蔵野大学の鈴木さんと小笠原さんが、オープンデスクで事務所に来る。約2週間の予定。
10:00前事務所に来た二人に、早速模型作りを始めてもらう。
OZONEの展覧会(http://www.ozone.co.jp/WebX?13@203.f7rEaAXC5zi.1@.338c8f0c)に出す模型の手直しと、OKBの模型作り。ものつくり大学の谷田貝君の作業を引き継いでもらう。
OZONEの出展パネル作りのスタッフ打合せ。
同時にOKBの図面作業。
9月の中頃まで、いろいろなものが同時進行しており、今週末までの進捗状況が今後の流れの一つの目安になりそうだ。
昨日も感じたが、韓国行きは、本当に良い気分転換になったようで、集中して仕事ができる。
○ 2005/8/25
今晩から明日にかけて、台風11号が東京に近づく予報。
設計の仕事をしていると、やはり台風来たり地震があると、竣工した建物は何もなかっただろうか、とても心配になる。
相米監督の「台風クラブ」ではないが、子供の頃は台風が来ると何かが起こりそうで、ワクワクしたものだが。
OKBの図面作業の続き。
10:00事務所を出て、KNHの現場へ。今日は雨なので、自転車ではなく地下鉄で。新しい事務所になって、丸ノ内線の南阿佐ヶ谷が近くなり、移動には選択肢が増え、より便利になった。クライアント夫人と簡単な打合せ。
夕方、武蔵野大学の学生に簡単なレクチャー。
台風が近づいて来ているが、それ程雨は激しくない。
○ 2005/8/26
台風一過しつつあるところ。7:00には雨も上がっている。東京上陸はせず接近で終わったようだ。
ところでこの間の韓国旅行中、韓国のテレビでやっていた映画の宣伝の中に、ぺ・ヨンジュンの新作映画の宣伝もあった。ヨン様の相手役の女優がどう見ても「夜を賭けて」の韓国の制作会社サイダスのオーディションに参加していた女優にそっくり。
日本でも「たかの友梨」の後援で上映するらしく新聞にチラシが入っており、その女優ソン・イェジンという名前だったので、オーディションの時の資料確認したら、やっぱりそうでびっくり。「四月の雪」という映画。監督は「八月のクリスマス」のホ・ジノ。見に行ってみるか。
(その後チェ・ミキが以前見た「ラブストーリー」の主演だったことを思い出し、調べたら結構韓国で期待されている女優だことが分かった。)
新宿梁山泊の三浦伸子さんからメールが来て、流石全州は食べ物がうまいらしい。映画撮影のロケハンの時も、昼飯が美味だった。どうやら皆引き続き元気でやってそうだ。ソウルに続き、全州公演に行っている室井先生のレポートが楽しみだ。http://tanshin.cocolog-nifty.com/
今日は一日中、KMHのエスキス。
久々に夏が戻って来た。
○ 2005/8/27
今日も暑い。残暑。
メールチェックや日報をアップして、OZONE展示パネルのチェックとKMHのエスキス。
10:30自転車でKNHの現場へ向かう。
台風に備え、外部のシートを外したので、外部の確認をしに行く。グッドタイミングで、大工さんと階段の最後の部分の打合せが出来た。床のフローリングも張り出していた。
現場に向かうのに高円寺を通るのだが、阿波踊り、昨晩が前夜祭で、今晩と明晩が本番。今年は土日に当たった。阿波踊りは各地であるので、その土地の開催日は日にちで決まっていて、週末に開催になるとは限らない。台風もうまい具合に通り過ぎ、きっと人出が凄いだろう。昼前なのに、大将ではもう焼き鳥を焼き始めていた。
現場からの帰りに、ある店先に吊るしてあったシャツが眼にとまり、1995円と安いので買ってしまった。
KMHの敷地模型の準備と役所確認事項の整理をして、引き続きエスキス。
OKBの図面作業。
○ 2005/8/28
涼しくて過ごしやす。
旅行の間に溜まっていた新聞を読む。
先週、釜山に行ったので、釜山が舞台の「チング・友へ」を昨日借りて来たので見る。途中で以前1度借りて来て見ていたことを思い出すも、半分以上覚えておらず、始めて見るのと同じ状況だった。良く出来ていて、ヒットするのも分かる。
買物に出たついでに、「チング・友よ」を返し、ソン・イェジンが主演の「ラブストーリー(原題『ザ・クラッシック』)」を借りてくる。こちらも軽快なタッチで良く出来ているし、ヒットするのもうなずける。2本とも、それだけ答えのはっきりした分かりやすいストーリーだと言うことだ。
やっぱり、「オアシス」や「ペパーミントキャンディー」のイ・チャンドンがマイ・フェイバリットだな。
しかし、「ラブストーリー」は、先週行ったプサン市立博物館で改めて感じた、日本統治時代から朝鮮戦争までの、とても長い間半島の悲惨な状態に続いて、ベトナム戦争という事実があったことを思い出させてくれた。
こうしてパク政権下の時代を舞台にした映画を見ていると、まだまだ韓国内にはその時代の面影を残した場所があり、ロケも可能だな(「夜を賭けて」でも、韓国の地方都市の建物は、戦後の日本の雰囲気を残した場所があり、そこで撮影をしたが、当然それは日本統治時代に作られたもだったりする。)と思う反面、もうそういう場所もなくなリつつあるように先週の旅行で感じた。ソウルはもうどうしようもないが、釜山はあの雰囲気を残してほしいが、それも旅行者の感傷か。
○ 2005/8/29
晴れだが、もう盛夏はとうに過ぎた様子。
メールチェックと日報をアップ。
OKBの図面作業を続け、切りの良いところでスタッフ打合せをして引き継ぐ。
明日、KMHのいくつかの確認をしに役所に行くので、その準備。あわせて、武蔵野大学の学生にやってもらっているOKBの模型も一段落したので、一人にKMHの敷地模型を作ってもらう打合せ。
KNHの玄関廻りの打ち合わせ図の作成とスタッフ打合せ。
武蔵野大学の後期の空間造形の課題、だいたいエスキスしてあったものを検討し直す。
○ 2005/8/30
本当に朝晩は過ごしやすくなった。
新宿梁山泊の韓国7都市公演ツアーは、全州で最高潮を迎えたようだ。梁山泊の三浦伸子さんからのメールにも、楽日の打ち上げの感動的だったことがかかれていた。ソウルに続き再度韓国を訪れた室井先生のブログにも、その様子が詳しくレポートされている。(http://tanshin.cocolog-nifty.com/)その中から、全州大学演劇学科のホームページに行くと、梁山泊の動画が見ることができる。凄い時代になったものだ。
思い起こせば、16年前の「千年の孤独」のソウル公演の時も現地に赴き、旅に出る梁山泊をソウルで見送った。そうか、あれからもう16年か。
ともかく梁山泊の持続力が、今回のハードなツアーを可能にし、関わった人たちとともに大きな感動を作り上げたのだろう。まだ2カ所の公演は残っているが、ツアーの成功おめでとう、と言いたい。
9:00に事務所を出て、KMHの設計にあたっての法規の確認に役所に向かう。
いろいろな部署を廻り、12:00前終了。
阿佐ケ谷に戻りそのまま自転車に乗り、KNHの現場へ。建設会社の担当者や大工さんと打合せ。16:00過ぎ終了。
事務所に戻り、連絡事項や武蔵野大学の学生に作ってもらっている模型のチェック。
KMHの今日の役所での確認事項のまとめと、それをもとに明日からボリューム模型を作ってもらう準備。
明日には、武蔵野大学に課題のメールを送らなくてはならない。
少し慌ただしくなって来た。明日は一日事務所にいられるので、集中したい。
朝事務所を出る時に、いつもの場所(南の家の物置のトタン屋根の上)に寝ていた猫が、夕方も同じところに寝ている。過ごしやすくなって、一日そのままだったのだろうか。そうだとしたら、たいしたものだ。
○ 2005/8/31
早速、選挙カーがいつも通りの芸のない名前の連呼で、廻りの迷惑顧みず、我が物顔で走り回っている。
涼しくなり、やっと窓を開け風通し良くして、過ごせるようになったのに。やれやれ。
内田樹さんのブログの8月9日「政治家のことを考えると頭痛が」(http://blog.tatsuru.com/archives/001163.php)。こんなセンスの良い日報が書けたら、どんなに良いだろう、とさらに思う昨日今日だ。
武蔵野大学の小笠原さんに、KMHのボリューム模型作製の指示。
KNHの階段廻りのエスキスをしてスタッフに図面作成指示。
武蔵野大学の空間造形4の課題の作成。その合間にOKBの展開図チェック。15:00過ぎに課題が完成したので、水谷先生へメール。
KMHの図面作成作業へ入る。
20:00高円寺駅で学生時代の仲間(サークル関係)の牧、吾妻、山本と待ち合わせ。
○ 2005/9/1
昨晩は久々に遅かったので、今朝は一時間遅く9:00に事務所に。
晴れて、日差しの元は暑いが、木陰に入ると自転車で切る風が気持ち良い。今日から9月。
朝からKMHのエスキスと図面作業。
ほぼ一日集中してやる。
16:00、KNHの現場から、塗装の色見本の確認をしてほしい、との連絡があったので、自転車で現場に。
階段回りが随分仕上がって来た。着実に工事は進んでいる。
再び事務所に戻り、KMHの断面チェック。
○ 2005/9/2
朝、大和町に飛騨国府の弓削さんから電話がある。
梁山泊の韓国公演、テグでいっしょになれれば、と話していたが急なご不幸があって、残念だった。どうにか最後の公演の束草に行けないか、と考えているらしい。
朝から、KMHの作業。
明日のKNHの現場でのクライアント打合せの準備。合せて、KTHの打合せの準備。
武蔵野大学の二人は、夕方にOKBの模型をほぼ決められたところまで完成。
○ 2005/9/3
ここ二三日暑さがぶり返している。今日も暑い。
9:30KNHの現場。クライアント打合せの準備。今日は和紙やクロスや塗装の最終確認をするので、それらの大きいサンプルを建設会社の担当者と壁にはったり。10:00過ぎ、クライアントと打合せを始める。その他、細かいこともいろいろ確認する。
11:30過ぎ終了。現場を先に出させていただき、自転車で高円寺まで戻り、駐輪場に自転車を置き、いつも仕事を手伝ってくれる坂下の、改修工事の現場が完成したというので、見に行く。なかなか良く出来ていた。
13:00過ぎに坂下の現場を出て、KTH のクライアント打合せに向かう。
14:00KTHのクライアント打合せ。建て替え予定の今お住まいの住宅にて。二世帯なので、まずご両親のスペースの打合せを行い、場所を移して二階で子世帯の打合せ。途中からビールを勧められ、もちろん喜んでいただく。今日は暑い中を動きっぱなしだったので、とても嬉しい。ワインまで頂く。いろいろお話しているうちに、18:00近くになってしまったのでおいとまする。
高円寺に戻り、駐輪場に自転車をとりに行こうと、中通り商店街を歩いていたら、朴保(パッポ)さんと行き会う。今晩は「抱瓶」が駅の近くに作ったビルの地下のライブハウスでに出演とのこと。誘ってくれたが、こちらは暑いなかの二件の現場巡りと打合せで、エネルギーを使い果たしていて、遠慮した。大和町に戻っても、へろへろ状態。体力ないな。
○ 2005/9/4
大和町で朝からKMHのエスキスの詰め。夕方までにおおよそまとまる。明日から、スタフに指示しプレゼン資料と模型の作製に入れるところまで出来上がる。
少し、テーブル廻りを片付け、バリカンで散髪。
夜、激しく雨が降る。
○ 2005/9/5
まだ、雨はときどき降るが、たいしたことはない。やはり昨晩の雨は相当の量だったみたいで、杉並・中野で善福寺川や妙法寺川があふれ、浸水した家もあるという記事が、新聞の一面に。
事務所に来る途中も、下水があふれたのか、縁石がずれているところがあったり、商店街では土嚢を排水口の廻りに積んでいるところもあった。
メールチェクと日報のアップをして、9:00に事務所を出て、MRHの現場へ向かう。しかし、2日メールチェックをしないだけで、70件弱のメールで、90%以上が、関係のない迷惑なメールばっかりで、呆れる。
10:00、MRHの地下耐圧盤と壁の配筋検査。検査中が一番雨が激しかった。午後にコンクリート打設予定だったが、雨がやみそうもないので、延期にする。
昼前に事務所に戻る。
KMHのスタッッフ打合せをして、図面と模型の作製の指示。
引き続き、KMHの図面作業。OKBの図面チェック。
梁山泊は今、38度線近くの東海岸沿いの都市ソクチョにいる。久々にメールが来た。想像していたいた通り、この前の公演場所のアサンは、ネット環境が悪かったようだ。
韓国では台風14号が「ナヴィ」と呼ばれ、半島に上陸しそうで大変そうだ。公演は6,7日。上陸前に撤収となれば良いが。
今日で武蔵野大学の二人はオープンデスク終了。非常に助かった。記念の本を渡し、近くのノスタルジックな変わった店で少し飲む。
○ 2005/9/6
台風は、韓国への上陸はありそうもないが、九州・日本海を進みそうなので、梁山泊のテントに影響はあるかもしれない。
KMHの立面の図面作業。
13:00過ぎに事務所を出て、KMHの構造の打合せに山崎さんの事務所まで。
雨はほとんど降っていない。15:00過ぎに事務所に戻ると、16:00頃には陽が射して来た。
OKBの打合せ準備。KMHの図面作業。
○ 2005/9/7
台風は日本海上を北上するらしい。九州では記録的な雨量で災害が発生している。
天気予報で台風の様子のを確認すると、アジア名で「ナービー」とある。梁山泊の大貫のブログで、韓国では「ナヴィ」と呼ばれている、とあったが、韓国だけの名前ではないのだ。
KMHの図面作業を続ける。
12:00過ぎに事務所を出て、OKBの打合せに。晴れていたが、13:00頃打合せ場所に着くと、少し雨が降って来た。
打合せ後、雑誌のバックナンバーを探しに、渋谷のブックファーストに入ったら、とたんに強い雨が降って来た。
雨宿りに、各階を物色していたら、地下で蓮實 重彦さんをお見かけする。相変わらず、ダンディだがマフィアのボスのようだった。
渋谷から阿佐ケ谷へ行くバスが、事務所の近くの杉並区役所を通ることがわかったので、試しに乗ってみる。バス停で待っていると時は曇りだったが、乗って発車したら激しい雨が降って来た。しかし、阿佐ケ谷に近づく頃には、又晴れて来た。一時間弱かかり、気分転換したい時には良いかもしれない。
戻って、KMHのプレゼン用図面のエスキス。OKBの打合せ事項の整理。
○ 2005/9/8
やっと台風一過だ。
ポタライブ(http://kurumin.dyndns.org/potalive/index.htm/サイトリニューアル中)へのコメントを書いて、メール。
KMHのプレゼン図面の、最終エスキス。
KTHのスタッフ打合せ。
15:30過ぎ、KNHの現場へ。階段、3階ともほぼ木工事は終了間近。階段も棚がつき、良い感じに仕上がってきた。
帰りに、現場近くのバーンによる。バーンは15、6年前学生の頃からの友人の阿部さんと田中さんの住まいの脇に、半自力建設で作り上げた東屋だ。この1年半くらい、近くに現場があったので今度寄るといいながら、なかなか機会がなかった。今日は突然よって見た。田中さんはお留守だったが、阿部さんがおりコーヒーをごちそうになる。阿部さんと会うのも何年ぶりか。近くにいるのに間があいてしまった。その間共通の友人にもいろいろあったことを教えてもらう。50前のこの何年かは、体調を崩す人も多く、しばらく合わないと随分いろんなことがある。少しはゆとりを待って暮らすように心がけなければいけないのかもしれない。
しかし、久しぶりのバーンは緑に良くなじみ、阿部さんと田中さんがよく手入れをしてくれているのが伝わってくる。我ながら、傑作だと思った。
夕方事務所に戻り、KNHの指示図面を書く。
○ 2005/9/9
朝、KNHの現場へ。板金業者さんが入ってくると聞いたので、確認事項を打合せしようと出掛けたが、10:00過ぎに現場に来るとのことなので、9:00一度事務所に戻る。
10:00に事務所を出て、再びKNHの現場へ。
打合せを終え、昼前に事務所に。打合せ事項をまとめる。
八月が決算なので、帳簿付けをまとめる。今年はじめからエクセルでつけるようにしたので楽だ。
OKBとKNHのエスキス。KMHのプレゼン用図面と模型が出来上がりつつある。
明日10日は、梁山泊の帰国日。皆久しぶりの日本で、自分の部屋に帰れる。お帰りなさい、おつかれさま。今晩は最後のソウルの夜を楽しんでいるかな。
大和町は明日、大勢のお客さんを迎える。
○ 2005/9/10
今日は午後、武蔵野大学の3年生に大和町をオープンハウスする。せっかくなので、先生方やKTHのクライアントのご家族、チェ・ミキの韓国から留学して来ている親戚や友人、その家族と、計画性のない集まりにしてしまった。
朝から片付け。来客があると片付けなくてはならないのが良い。昼前から買い出しや、簡単な食べ物の準備。そうこうしているうちに、14:00過ぎに最初の来客。15:00頃にどんどん人が増え、天気も良く、冷房を入れても負荷が大きすぎてあまり効かない。扇風機が活躍。
一番人が多い時は、30人以上になっただろうか。
図々しくも、クライアントの夫人に食べ物の準備をお願いしてあったのだが、これがなければどのようになっていたか。本当に美味しいお料理、助かりました。
三々五々に帰って行って、最後に、一番最初に来た、韓国からの親戚とその友人が片付けを手伝ってくれ、23:00頃帰って行った。
久々に大勢が集った、楽しい一日だった。
○ 2005/9/11
昨日のオープンハウスの疲れで、一日だらだら。
二人で、口を開けると、「凄かったな」となる。結構用意したつもりの食べ物が、気持ちよく全てはけた。まあ、この狭い家に良く入ったし、皆結構楽しんでいたようで、良かったなと。
もっといろんな人とゆっくり話しが出来れば良かったが、致し方ない。
子供たちも4人いたが、学生たちがよく遊んでくれた。
14:00過ぎ、買物ついでに投票へ。買物をしていたら、にわかに風が吹き始め、あたりは暗くなって来たので、慌てて大和町へ帰る。
戻って、競馬中継をつけたら、中山は凄い天気。映像は届いているが、音声は無し。
風呂を入れて、ゆっくりつかる。
○ 2005/9/12
選挙は自民党の大勝利に終わる。特に東京の小選挙区での結果がその凄さをあらわしている。
選挙はじめから、「劇場型選挙」などいう言葉語られて、とても分かりやすい選挙になってしまった。政治的争点としては、年金や増税、憲法改正やイラク派遣、東アジア問題など重要な問題が沢山あるのに、とても簡単に小泉首相を支持するかしないかの単純なものにされてしまった。
投票率が延びたのも、分かりやすい選挙になったからではないか。だから、普段は投票に行かない人も、自民党というより、小泉首相に一票を入れに出向いたのだろう。
普段政治に関心がなくても、指示する指示しないの選択だったら分かりやすい。しかも、郵政民営化という直接自分たちに影響が少なそうな(都心部の有権者で若年層は特に)問題が判断基準だ。それだったらせっかくある投票権、投票に行くのも悪くないのでは。政治家で始めて名前を覚えた「小泉さん」に投票すれば、明日の話題にもついて行けるし。等と妄想してしまう。でも実際、投票率が伸びたということは、選挙への関心が高まったということだから、そういう意味では、画期的な選挙だったのだろう。今から思うと、選挙公示後に小泉首相が靖国参拝を行わなかったことや、投票日が9・11であることは、良く出来過ぎている。
しかし、本当にそんな分かりやすくてよいのだろうか。この結果にとても不気味な感じを受けた。なんだか見たくないものの本質を見てしまったような。この分かりやすさをどうしようも出来なかった野党や、その尻馬に乗る自民党の政治家たちに、なんだか同じ国の人とは思えない、奇怪さを感じる。この選挙結果がなにか変じゃないかと思うのは、その分かりやすさを受け入れてしまう今の状況に、不気味さを感じるからではないか。
リバウンドがあるな、これは。
9:00に事務所を出て、MRHの現場へ。二度目の配筋検査。11:00前終了。
新宿のタワーレコードで、予約しておいた「ズビグ・リプチンスキー・コレクション」3巻をピックアップ。ついでに、雑誌で知った奄美大島の島唄のCDもゲット。
昼に事務所に戻り、明日のOZONEのプレゼンの図面をファックス。13:30過ぎ事務所を出て、KNHの現場へ。電気と細かい部分の打合せ。だいぶ完成に近づいて来た。15:30過ぎ現場を出て、事務所へ戻る。
今日は結構暑い。が、この暑さの中を現場に出ていて夜飲むビールと、一日事務所にいて飲むビールは、格段の差がある。今晩が楽しみだ。
戻って、明日のプレゼンの最終チェックと準備。
溜まった日報を書き上げる。
夏休み明けから、明日のプレゼンまでが、一つの山。明日無事終わると一息つける。
○ 2005/9/13
朝から事務所で、メールチェクや連絡事項。
9:45事務所を出て、OZONEに向かう。今日も残暑が厳しい。10:00過ぎで既に29度。
10:45から、KMHのプレゼン開始。12:30前終了。OZONE に展示してある、TRHの模型とパネルやその廻りの展示を早足で見て、渋谷へ。以前から見たかったペ・ドゥナが出ている「リンダリンダリンダ」山下敦弘監督を見に行く。「子猫をお願い」を思い出させるような映画だが、ペ・ドゥナがダントツに良かった。
その後、D-秋葉原テンポラリーの「ジャン・プルーヴェ展」へ。鎌倉の時見に行けなかったので良かった。6m角の組み立て住宅の展示は刺激的だったし、曲げ鋼板の作品はいくつも実物が見れて、写真を見て頭の中に描いていたものと全く違ったので、びっくりした。
今日の午前中のプレゼンで、この一ヶ月間の沢山の課題が一段落したので、見たかったものをいろいろ見て回り、事務所には戻らなかった。
○ 2005/9/14
今日も残暑が厳しい。
KNHの担当者や現場と連絡やクライアントへの確認事項、いくつか。
先週末から一昨日まであまり事務所にいなかったので、いつも読むいくつかのブログをチェックする。
14:00に事務所を出て、HMHへ。屋上のサッシ回りのメンテナンス工事に立ち会う。16:30頃に終了。
帰りに書店に立ち寄ったら、村上春樹の新しい短編集が出ていたので入手。
この3日で「ワーニャ伯父さん」アントン・チェーホフ/小田島雄志訳を読み、今日から、「吉阪隆正とル・コルビュジェ」倉方俊輔を読み始めたので、しばらく置いておこう。とりとめのない選択だが、気の向くままに。
事務所に戻り、KNHの図面作業とOKBのエスキス。
○ 2005/9/15
進行中のプロジェクトの確認と整理。設備、構造事務所との打合せの計画。
13:30、今年の春に完成したKOHへ。いくつかの追加工事の打合せを建設会社と。
その脚でKNHの現場へ。15:30事務所に戻りる。16:00頃、KOHのプレカットを担当して、これからMRHのプレカットを担当する建材会社の担当者の内田さんが来所。
17:00過ぎに新宿に出て、資料探し。横浜国大の室井先生の「巨大バッタの奇蹟」(アートン)http://www.artone.co.jp/feature/index.htmlがあったので入手。
18:30から桐山と馬主会議。今年は当歳馬2頭の共同馬主の一口を二人で持った。ここまでの、馬たちの様子。写真はシャギーボブの04……父オース。
2005/06
募集番号17 シャギーボブの04……父オース/母シャギーボブ 厩舎未定……
ビッグレッドファーム明和に滞在中。4月頃から成長ペースが急に早くなっています。背が高くなり、肉量も増えて、がっちりした馬体に変わってきました。そのわりに、きりりとした雰囲気は失われていません。昼夜放牧に慣れ、体力に余裕が出てきたためか、最近はわがままな面を見せています。
募集番号20 デモンリーの04……父フォーティナイナー/母デモンリー 厩舎未定……
ビッグレッドファーム明和に滞在中。筋肉が柔らかで、地面にへばりつくような重心の低いフットワークを、ついつい想像してしまう期待馬です。スピードとパワーの違いで押し切る競馬を得意とするのではないでしょうか。歩く姿も悠然としていて大物感たっぷり。背丈もある方です。
2005/07
募集番号17 シャギーボブの04……父オース/母シャギーボブ 厩舎未定……
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。愛嬌のある雰囲気でしたが、ここ1、2ヶ月の間に、えらく大人びてきた感じです。馬体重の数字以上にどっしりしてきました。それでも、放牧地での動きは俊敏。岡田は「運動神経に優れているからね」と述べ、普通の父の産駒とは違うとでもいいたげでした。
募集番号20 デモンリーの04……父フォーティナイナー/母デモンリー 厩舎未定……
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。筋肉がぎっしり詰まった猛々しい馬体。この1ヶ月で、さらにボリュームアップしました。有酸素運動は苦手かもしれません。その分、スピードには優れているでしょう。ふとしたときに急にびっくりする臆病な面はあるものの、人に対しては素直です。
2005/08
募集番号 17 シャギーボブの04 ……父 オース /母シャギーボブ厩舎未定……
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。ただ単に馬体が大きくなっているだけではありません。すばらしい成長を遂げ、筋肉の張りもめざましく発育しています。自らの意志を持って行動する姿も、頼もしい限り。母父のゼティテイヴをどう捉えていいのか分かりませんが、日本では珍しい産駒、セトノゼディタブは2戦目のマイルで未勝利を脱出していました。
募集番号 20 デモンリーの04 ……父 フォーティナイナー/母デモンリー厩舎未定……
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。見かけるたびに大きくなっているような気がします。体高体重とも1ヶ月前の数字を上回っているのは、ほぼ間違いないでしょう。さすがと思わせるパワーが魅力。坂路の傾斜であろうと、深い砂の上であろうと、人を乗せてすいすい駆け抜ける姿が容易に想像できます。
2005/09
募集番号17 シャギーボブの04……父オース/母シャギーボブ 厩舎未定……
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。他馬に惑わされない、悠然とした態度が目に付きます。先月あたりからは頑固な面も薄らいできました。馬体の内部からぎゅっと押し出されるような張りがあり、体調もすこぶる良好。将来は、持続力のあるスピードを武器に、跳びの大きなギャロップで活躍するのではないかと見ています。
募集番号20 デモンリーの04……父フォーティナイナー/母デモンリー 厩舎未定……
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。手がかからない一頭で、これまで扱いに困ったことがありません。放牧地では、単独行動が多く、群れから離れて青草を食んでいます。脂肪が付いても、筋肉のラインがくっきり表れた好馬体のまま。460キロ台で走っていた兄のフィールドアスカより、がっちりした競走馬になるでしょう。
○ 2005/9/16
朝少しゆっくり、9:00に事務所。
メールチェックと日報のアップ。
10:00に事務所を出て、KNHの現場へ。タイルや床の合板の並べ方の打合せ。
午後、来週の月曜日の武蔵野大学の授業用のデータを揃え始めたら、結構時間がかかってしまった。
大和町でもデータを入力しなくてはならないものがあり、少し早めに事務所を出る。
明日はこれらを、パワーポイントにまとめないといけない。
○ 2005/9/17
昨日の夜、DVDに録画してあった「ジョゼと虎と魚たち」犬童一心監督を見た。「リンダリンダリンダ」を見た時に、「子猫をよろしく」を思い出したように、「オアシス」を思い出しが、やはり全然違う。登場人物が皆振れが少なく、分かりやすいので平板な感じがする。とくに「ジョゼ」は映像的にも普通で分かりやすい。けして複雑なのが良い、と言っている訳ではないが、人の中にはもっと分からない感情や関係が絡み合っているのではないか。その点、「子猫をよろしく」や「オアシス」は登場人物の感情や行動を理解できない部分があり、それらが映画の一つの魅力になっている。はたして、原作の田辺聖子さんの小説はどうなのだろう。読んでみよう。
KTHの図面作業をして、10:30過ぎ構造の吉田さんとKTHの打ち合せ。お昼まで。
13:15事務所を出て、KNHの現場へ。クライアントご夫妻とほとんど最終の確認。塗装業者さんも入っており、2階の床を自分たちで仕上げるクライアントと一緒にアドバイスを受ける。
15:30事務所に戻り、KTHの図面を手直しし、吉田さんにメール。
日報のアップをして、武蔵野大学のパワーポイントでスライドショウの準備。
今日の写真はもう1頭、デモンリーの04……父フォーティナイナー/母デモンリー。
○ 2005/9/18
午前中にバリカンを当てる。
夕方来客があるので、高円寺まで買物に行ったついでに、高円寺文庫センターで「ジョゼと虎と魚たち」田辺聖子(角川文庫)を入手。
大和町に戻って早速読んでみる。「ジョゼと虎と魚たち」は短編集で、表題作はその中の一編。30ページほどの短い小説。これが素晴らしい。映画と全然別物。映画の中でジョゼが動物園で虎を見てつぶやく台詞があり、とても印象的な言葉なのだが、それはそのまま小説からの引用だった。昨日の日報に書いた、不充足さが小説にはない。あり得ないことをリアルに描き出すのが映画の一つの醍醐味だとすれば、映画の「ジョゼと虎と魚たち」には、あまりにも貧弱なリアルさしか描き出されていない、と思った。それが感動作ということになってしまう現状は、やはりなんかおかしいように感じる。
15:00過ぎ、韓国の友人、ユーさんとヒャンスク夫婦が大和町に来る。子どもが産まれることになり、アメリカに移住することを決めたので、引越し前のお別れ会。屋上で七輪。
日本には何年いたか。そして突然のアメリカ移住。行動力があるなあ。ちょうど15夜の月。暗くなって東の空にまんまるの月が、ゆっくり上がって来た。
遅くなったので、二人に泊まってもらう。
○ 2005/9/19
朝、ユーさんとヒャンスクに別れを告げ、事務所に。
構造の吉田さんから、早速一昨日の打合せの仮定断面がファックスで届いていた。
今日のスライドショウの確認。
11:30に事務所を出て、13:00から武蔵野大学の後期の空間造形4の授業開始。後期は高橋先生と尾辻先生が加わり、4人でスタジオ形式の進行になる。初めての先生の紹介スライドから始まり、各先生方が課題を説明。学生たちが参加したいスタジオを選択して、スタジオごとに分かれ、簡単な確認事項を行い解散。16:30終了。製図準備室に戻り、少し雑談をして17:00前に武蔵野大学を出る。
バスで吉祥寺に出て、行きのバスの中に吊り広告があった、「亀倉雄策ポスター展」武蔵野市立吉祥寺美術館に立ち寄る。図案のポスターももちろん素晴らしいが、東京オリンピックに代表される、写真を使ったポスターに改めて感動する。特に、3人のスキーヤーのぶれた写真を重ね合わせたポスターは、映画の一シーンを見ているようで大好きになった。(入場料100円です。)
一度立ち寄ってみたかった吉祥寺の「竹田製麺所」であげ麺とあんかけスープの素を買って、事務所に戻る。
事務所に戻ったら、スタッフが一人、事務所で施工図の確認をしていた。
○ 2005/9/20
カレンダーを見て、先週末から来週にかけて、週末に連休が続き、今週は平日が3日しかないことに気づく。
メールチェクと日報のアップをして、週末から昨日までの資料の整理。
進行中のプロジェクトのエスキスを進める。
18:00前事務所を出て、早稲田へ。今年で卒業25年。10月2日に開催される「早稲田建築合同クラス会2005」の幹事年で、同級生が以前から企画を立てている。当日の計画の最終確認と役割分担の確認の幹事会に出席。
終わった後、近くの飲み屋で尾崎と遊佐の3人で少し飲む。
○ 2005/9/21
涼しくはなっているのだが、少し蒸し蒸しする。
MRHのプレカットについてスタッフ打合せ。
KTHの図面チェックとOKBのエスキス。
15:30KNHの現場へ向かう。17:00過ぎまで現場で担当者と打合せ。今月一杯が契約工期だが、どうにか最後までのめどがついて来た。
18:00前事務所に戻り、連絡事項いくつか。
引き続きOKBのエスキス。
○ 2005/9/22
今朝は二匹並んでいつもの猫がいつものところで寝ている。
MRHの外部納まりのスタッフ打合せ。
KNBのエスキス。
14:00、MRHの工務店とプレカット業者が来所。プレカット図の最終打合せ。16:00までかかり、スタッフの手際の悪さにイライラする。10月一週目で建て方をフィックス。
その後銀行へ行き、引き続きOKBのエスキス。
「全身での身の任せきり-丹下健三の日本」磯崎新(新建築2005年7月号)を読む。丹下健三の戦中から戦後にかけての仕事についての論考だが、磯崎新の丹下健三への本当に最後のお別れの文になっている。偶然これを読む前に、GA ARCHITECT6 ARATA ISOZAKI1をつらつら眺めていた。そしてしばらくしてこの文章に行き当たって、読んだ。そこには、大阪万博後の師との決別の個人史が、戦後の歴史の流れの中で(多分初めて)語られていた。スリリングで読み応えがあった。
昨日偶然読んだ、「丹下健三と日本の前衛-あるいは聖なる軸線」鈴木博之(新建築2005年6月号)も、歴史家らしい、骨太な論考だった。
○ 2005/9/23
朝事務所。電話でKNHの確認事項を連絡。今日はいつもの猫が、違う場所に。
10:30に事務所を出て、3年前に竣工したMBHへ。お子さんが生まれたので、階段の手摺にネットを取付けることになり、建設会社も一緒に。
事務所に戻ったら、「99人の デザイナーとつくる未来 の本」(ラトルズ)がポストに入っていた。99人の中の一人として、見開き1ページを作った。(ぜひ多くの人に見てもらえれば、と思います。)
いくつかの連絡事項とOKB、KTHのエスキス。
天気予報は曇りだったが、空は晴れている。気持ちのよい天気だ。少し早めに上がる。
大和町に建築の雑誌を持ち帰り、ビールを飲みながらページをめくる。
夜、DVDに録画しておいた「キューティーハニー」庵野秀明監督を見る。これがなかなか良かった。「ラブ&ポップ」は映画は今イチだったが、ラストシーンが良かった。「キューティーハニー」はサイボーグの少女の孤独感がセンチメンタルにならず描かれ、庵野監督は独特のメンタリティーを持っている監督なのかもしれない、と感じた。
○ 2005/9/24
台風が関東沖を通過中。朝から降ったりやんだり。
夕方予定していたMRHの配筋検査は延期の連絡。
13:00、草月会館ホールで梁山泊も関わっているダンス「美女と野獣」を見る。
草月会館は一昨日、追悼の文章を改めて読んだ、丹下健三の作品。イサムノグチの枯山水を改めて楽しみにしていたが、入れず、下から眺めるだけだった。
その後、原宿の知り合いの事務所に、CDを返しに立ち寄る。地下鉄の表参道駅から歩く。同潤会は少しずつ姿を現していた。一番端に、昔の建物の再現と思われる部分があったが、まだピカピカだった。エイジングは施されるのだろうか、それとも自然のエイジングに任せるのだろうか。難しいところだ。
この何年かでケヤキ並木に沿って、建物が出来上がっているが、そとから歩きながら見た感じでは、伊東豊雄さんのトッズが一番並木道にあっているように感じた。雑誌の写真で見るより、樹木をメタファーにした構造が軽快で、全体がとても軽やかにみえた。「商業建築はファサード建築になりがちですが、そうでないものを作りたいと考えました。」(PLOT03伊東豊雄:建築のプロセス)のインタビューで語っているが、その通りに出来ていて、他の建築と一線を画していた。
そのまま、高円寺で買物をして、大和町に戻る。
○ 2005/9/25
一日大和町で、新聞や雑誌や本を読む。
このところ、特にこの一年くらい、元々の近視・乱視に加え、老眼になり近くの文字に焦点が合わない。眼鏡を外して文字を近づければ読みやすくなるのだが、疲れる。
そんな状態なので、単行本は無理しても距離を調整しながらどうにか読んでいるが、雑誌の文は読むのがおっくうで、特に写真のキャプションは小さすぎて読む気にもならない。
でも、このところ改めて、雑誌の文章を読んでみると、面白いものも多く、やっぱり時に即した記事や論考にぶつかり、いろいろ考えられる。今読んでいる「吉阪隆正とル・コルビュジェ」倉方俊輔(王国社)も、先日読んだ丹下健三の2つの追悼の論考と合せてみると、断然面白くなる。戦中から戦後にかけての、吉阪と丹下の共通点と違いが興味深い。二人とも建築を通して国家を考えているのだが、その先に、丹下は様式を、吉阪は生活を見据えてる。丹下が1949年にコンペで広島ピースセンターを設計し、吉阪は50年からのパリ留学帰国後、1955年に大久保の吉阪自邸を建てている。学生の頃訪れてみた、吉阪自邸のたたずまいは、今でも印象に残っている。現在住宅の設計をしていて、改めてその有り様に考えさせられることが多い。
ともかく、眼鏡の環境を改善し、もっと文章を読もう。
気持ちのよいディープインパクトとの強さを見せつけられ、夕方から、ベルリンマラソンを見る。
昔のスポーツ中継は、もっとそのものをじっくり見せてくれていたが、今の中継は何が何でもイベント化しなくてはならない、というようになっている。しかもそのイベント化が、いつでも同じで陳腐だ。マラソンは、2時間強の中に、とても微妙な駆け引きがあって、それを見続けるのが醍醐味なのだが、ぶつぶつにされてしまう。もっとゆっくり見たいものだ。
○ 2005/9/26
朝、メールチェックと日報のアップ。2、3日分だと、結構時間がかる。
11:15過ぎに事務所を出て、武蔵野大学へ。空間造形4のエスキス。第1課題は3週間と短いのだが、皆あまり実感がないのか、この1週間で芳しい進捗はない。頑張ってほしい。
17:30に事務所に戻り、雑務をいくつか。
○ 2005/9/27
8:30過ぎに事務所を出て、KNHの現場へ。現場でちょとした問題が出たので、建設会社の担当者と打合せ。今回仕上に和紙を使っており、3階の天井が仕上がっていた。なかなか良い感じだ。
10:30に事務所に戻り、OKBの打合せを、業者さんと。
13:00過ぎに事務所を出て、両国の国技館前に。来月末国技館で行われるイベントの会場構成の手伝いの打合せ。現地を見て、喫茶店で概要を決める。
16:00過ぎに事務所に戻り、メールチェックと日報のアップ。スタッフにいくつかの指示。
雑務をいくつか片付ける。
昨日、武蔵野大学からの帰りに吉祥寺の書店で見つけた、荒川洋治さんの最新刊「世に出ないことば 」(みすず書房)に「オアシス」に
ついての美しいエッセイがあった。
○ 2005/9/28
今週は昨日一昨日と外に出ることが多く、集中して仕事ができなかったが、今日からは事務所で作業が出来る。
何日か前『「99人のデザイナーとつくる未来の本」に参加していただいたみなさんの仕事のファイルを10月1日から10日までの「セントラルイースト東京」の期間中に、展示したいと思います。http://www.centraleasttokyo.com/』という連絡が、萩原さんから入っていたので、そのデータをピックアップして大和町へ。花組:チェ・ミキにファイル作りを依頼。
KTHのエスキスに集中する。
コンテスト応募案の作業をスタッフに指示し、大和町に戻って、ファイル作成のチェック。
○ 2005/9/29
昨夜、ファイルのプリントがきれいに出なかった。そこで、朝早く来て事務所のプリンターで試してみることにしていたので、6:00に起きたら、昨晩のうちにきれいにでなかった原因が分かったとのことで、全てプリントアウトされていた。
再度チェックしたら、チェクミスがあり手直ししてもらい、7:00過ぎに事務所に。
最後のチェックと手直しで、完成。締め切りが今日なので、現場の検査の後、スタッフに届けてもらうことにして、地図等の準備。
その後。KTHのエスキス。
9:00に事務所を出て、MRHの現場へ。
基礎コンクリートの最後の配筋検査。地下1階から2階まで、様々なレベルの床で構成されている住宅なので、基礎も複雑な形をしている。今日の午後コンクリートを打って、いよいよ来週建て方。昼前に事務所の戻る。
国技館前のイベントの図面を書き上げ、コンテスト応募の準備。
15:30、KTHのスタッフ打合せ。
16:30に事務所を出て、杉並区阿佐ケ谷地域区民センターへ。今日からここで父が入っている会の絵画展が始まり、見に行く。チェ・ミキも来て、終了後高円寺の二楽亭で食事をする。
○ 2005/9/30
8:30に事務所を出て、KNHの現場へ。明日が施主・事務所検査なので、進捗状況の確認。いくつかの指示を出し、明日の段取りの打合せをして事務所に戻る。和紙を貼った3階は、改修前の障子が納まり、とても居心地が良くなった。
コンテストの応募資料のチェックをしてスタッフに指示。
国技館のイベントの図面作成。
明日の準備。
今週は、いろいろな締め切り等があり、明日もミーティングと引き渡し検査、明後日は早稲田建築の合同クラス会の幹事の手伝い、と盛りだくさんな一週間だったが、どうにか後2日となる。
○ 2005/10/1
はや10月。
10:30、OZONEにてKMHの打合せ。
12:30終了。KNHの現場へ移動。
13:00過ぎから、建設会社の担当者と今日の検査と引き渡しについての打合せ。
14:00クライアントご夫妻と一緒に、取り扱い説明と検査。15:30過ぎ終了。その後、スナップを押さえたり大工さんに追加で作ってもらうものの図面を書きながら、大工さんに説明。
改修工事だったが、全て出来上がってみると、各階のバランスが良く、以前の建物からガラッと変化し、とても暮らしやすそうな場所がいくつもある住宅になった。
16:00過ぎ事務所に戻る。ビールを飲みながら、メールチェックと日報のアップ。少し疲れた。
○ 2005/10/2
今日は、早稲田大学建築学科の合同クラス会。
今年我々の学年が卒業25年で、幹事年になっている。本番の懇親会は17:00からだが、その前に新校舎の工事現場見学と講演会があり、幹事の手伝いで12:30に大隈講堂前へ。
暑いくらいのよい天気。見学会と講演会は無事終了し、17:00から大隈ガーデンハウスで懇親会。約120人の方に参加いただき、19:00終了。
建築学科だけでも1学年200人近くいたので、懐かしい顔もあれば、ほとんど初めて話す人もいる。
懇親会終了後、会場の片隅で2次会。その後残った人間で、近くの店に移り3次会。
いろんな意味で、良い刺激を受け、楽しい会だった。
○ 2005/10/3
昨日一昨日とさすがに少しつかれ、今朝はゆっくりで、9:00前に事務所。
今日で49歳になる。昨日の会では、一浪している同級生の中にはすでに50歳になっている人もいる。いやはや、といったところ。
メールチェクと日報のアップ。
昨日出掛ける前に考えた、武蔵野大学の第2課題のスケジュールをまとめる。
11:30前事務所を出て、武蔵野大学へ。
13:00から空間造形4。第1課題は3週間で提出の課題なので、今日が最後のエスキス。このスピードに戸惑っている様子の学生が少なからず。来週の提出が少し心配だ。
18:00過ぎに事務所に戻る。
○ 2005/10/4
久々に雨。
KNHの写真を新さんに撮ってもらおうと思っているが、天気がいまいち。今週末が引越しなので、天気予報を見ると金曜日に期待するしかなさそうだ。
MRHのサッシについて、スタッフと打合せ。国技館前のイベントの図面に手を加える。OKBのエスキス。KTHの図面チェック。
16:30に事務所を出て、西新宿のジョウナサンへ。国技館前のイベントの打合せ。
その後、新国立劇場・唐ゼミ★公演「盲導犬」唐十郎作・中野敦行之演出。
怪しげな飾り付けがされたロビー前で、室井先生にお会いする。
日報で、「巨大バッタの奇蹟」室井尚著(アートン)を入手したことを読んでくれたようで、新しい本「教室を路地に!-横浜国大vs紅テント2739日」唐十郎・室井尚著(岩波書店)を頂く。(内表紙の見開きでは、「岩波書店」の文字が歌舞いている。)入手したことは書いてあるが、感想がないのは、まだ読んでないからですか、と鋭い質問。もう少しで「吉阪隆生とル・コルビュジェ」倉方俊輔著(王国社)を読み終わるので、早速読み始めます。
「盲導犬」は1973年の作品。新宿梁山泊も1997年に、ソウルと東京・大阪で公演した。その時セットをやったので、興味津々。ロビーから続く、劇団員自身によて作られたセットには、ブリコラージュの可能性を新たに感じさせてくれる何かがあった。
終演後には、なんと新国のロビーにゴザを広げ、乾杯。なかなか得難い体験だが、それを含めいろいろ劇場側との闘いがあったという。頷ける。
大和町に戻って、さらに少し飲みながら、「巨大バッタの奇蹟」と「教室を路地に!」をパラパラめくる。実は今読んでいる「吉阪隆生とル・コルビュジェ」には、吉阪先生が提唱していた「有形学」や「不連続統一体」という概念を、再考させられるところが多く、室井先生の著作に書かれていることとは、とても通じる部分があるのではと思うのだ。大きくくれば、吉阪先生はまちつくり、室井先生はことつくりではあるが、現場での手法というか手練手管は、観念的な計画(作戦)も必要だが、現場で実行(戦闘)することはさらに大事であり、その行き来が何かをつくって行くというような(うーんうまく言えてない)、共通する部分があり、今とてもポテンシャルを持った方法のように予測する。果たしてその予測はいかようか、本を読み続けてみよう。
○ 2005/10/5
今日も雨。
9:30に事務所を出て、KNHの現場へ。検査時の手直しや、追加工事が行われている。
10:00過ぎ、MRHのクライアントご夫妻がみえる。仕上材が同じ部分があるので、見ておいていただく。その後いくつか確認事項の打合せ。終了後、KNHの現場担当者と、打合せ。
帰りに南阿佐ヶ谷の書店で、「シアターガイド・2005・11」に「唐十郎大特集・やっぱり唐十郎なのだ。」を見つけ、購入。これから来年初めまで、唐さんの本の芝居や映画が目白押し。昼前に事務所に戻る。
午後一で日報のアップ。KTH、OKBのエスキスを続ける。連絡事項いくつか。
○ 2005/10/6
雨が続く。明日も天気がイマイチのようだが、とりあえず新さんと朝現場でということにする。
午前中は図面チェック等で終わってしまう。
昼過ぎに事務所を出て、国技館前へ。イベントの実測。
電車に乗っている途中で、陽が射してくる。撮影、マズッタかなと思うが、仕方ない。
銀行や郵便局に寄って、17:00前に事務所に戻る。
17:30前、武蔵野大学の学生二人が来所。エスキスを見る。この二人がある意味で一番心配だったが、どうにかまとまりそうなところまでいく。後は二人の頑張りに賭けるしかない。19:00前終了。
19:00過ぎ、新宿梁山泊の三浦さんが、いま金さんが映画学校の学生の授業でつくっている芝居の台本と、梁山泊の年末の公演「風のほこり」作:唐十郎・演出:金盾進(http://www5a.biglobe.ne.jp/~s-ryo/)の台本を持て来てくれた。
日曜日にでも、読み始めよう。
○ 2005/10/7
朝、雲は多いが時々陽が射す。
メールチェクと日報をアップして、9:15事務所を出てKNHの現場へ。
撮影の準備をしつつ、新さんを待つ。
10:00前に新さんが来て、一通り内部を説明して、撮影開始。
ラッキーな事に天気も良く、13:30撮影は順調に終了。
NTTやCATVの立ち会いにクライアントのご主人もみえ、撮影終了後、2階の床に最後の柿渋とワックス掛けを始めていた。
いよいよ明後日引越し。
事務所に戻り、遅い昼をとり、いくつかの連絡事項や進行中のプロジェクトの整理。
18:00前事務所を出て、新国立劇場へ。
唐ゼミ★「黒いチューリップ」作:唐十郎・演出:中野敦之。3幕、2回の休憩を挟んでの3時間以上の芝居だが、面白い。まさに、ブリコラージュの花が咲き誇ったような芝居。1983年のパルコ劇場で公演(蜷川幸雄演出)を見ているはずなのだが、どんな芝居だったか全く記憶にない。これほど面白い芝居だったとは。まさか、見たと思い込んでいるだけでは、と不安になり、帰って探してみたらパンフレットがやはり有った。たぶん、今回の唐ゼミ★の公演に有った求心力が、全くなかったのではないか。それにしても、唐十郎の作品のもつ台詞や言葉の力を、改めて認識させられた、二公演だった。
○ 2005/10/8
午前中、事務所で面接。
昼に事務所を出て、KMHのクライアント宅へ。
今お住まいのところを拝見し、いろんな話しを伺う。ソーセージとビールをごちそうになり、17:00過ぎにおいとまする。
今週も、終わってみれば、外に出る事が多くいろんな事が有った一週間だった。
○ 2005/10/9
11:00頃大和町を出て、馬喰町の「セントラルイースト東京2005/ロジカルトーキョー」へ。
この会場で「99人のデザイナーとつくる未来の本」の出版を記念して、「BOOK BAR99」が今日一日だけオープンされるので、会場を訪ねる。
始めて浅草橋から馬喰町を歩いたが、問屋街で独特な雰囲気が有る。今日は日曜なので、ほとんど閉まっているが、それでもちょっと違う。
会場に行くと、夜のトークショウの準備を萩原さんがやっていた。「BOOK BAR99」でビールとソーセージを食べながら、すこしおしゃべりをして、近くの関連の催しを少し見て、14:00過ぎに大和町に戻る。
昼を食べておらず、少しおなかが物足りないので、先日買った「うちごはん日記」(主婦と生活社)の中に有った、「竹輪の肉詰め」を試しにつくり、またビールを飲む。この本、なかなか魅力的な品々が載っていて、しかも作り方の記述がアバウトでとても良い。
ビールを飲みながら、「巨大バッタの奇蹟」室井尚著(アートン)を読み終わる。簡単すぎる感想だが、面白かった。関係をつくって行く。しかも自分のプログラムからはずれた、思わぬ関係をさらに取り込み、形にして行く。「吉阪隆生とル・コルビュジェ」倉方俊輔著(王国社)のなかの記述の、『吉阪のリーダーシップは何よりも、「目的」を明確にすることだった。その上で、「手段」はさまざまな方法をとった。例えば、漫画も漢語も、コミュニケーションの手段として使った。内容だけでなく、漫画は「面白いぞ」、漢語は「難しいぞ」というメッセージを伝達する。あるいは意味が分からなくても、自分の知らない領域が存在するという違和感を与える。アテネ・フランセの壁面のようなものだ。吉阪は、コミュニケーションのコンスタンティブ(事実確認的)な面だけでなく、パフォーマンティブ(行為遂行的)な側面にも意識的だった。そして、「目的」が揺らがなければ、「手段」は自分の手が生み出したものにこだわらなかった。共同設計のあり方を思えば、これもまた吉阪の建築に通じる。』に重なる。
引き続き「教室を路地に!-横浜国大vs紅テント2739日」唐十郎・室井尚著(岩波書店)を少し読み始めるも、梁山泊の金さんから届けられた台本「エビ大王」も読まねばならず、そちらに手をつける。
○ 2005/10/10
朝事務所で「エビ大王」を読み続けようとしたが、立ち上げたパソコンの調子が悪く、その復旧で時間が無くなってしまった。
11:00過ぎに事務所を出て、武蔵野大学へ。
今日は後期第1課題の提出と講評会。
あいにくの雨だが、皆大きな模型をつくって来ている。
13:30から講評会を開始し、約45人の学生全員のプレゼン。それぞれに先生方の講評が加わる。
途中2回の休憩を含め、全ての発表が終わったのが21:30。8時間。お疲れさまでした。
水谷先生、尾辻先生、田口さんと吉祥寺に出て、軽く打ち上げ。12:00前お開きにする。
○ 2005/10/11
朝から事務所でメールチェック。
いくつかのスタッフ打合せや、溜まっていた日報のアップ。
午後、自転車で図書館へ。借りっ放しだった本を返却。
16:00過ぎ、MRHのサッシ業者と工務店の担当者が来所。18:00前まで打ち合わせ。
その他雑務、いろいろ。
e+の「唐十郎祭」というサイトで、「ガラスの使途(つかい)」の予告編が見れることを、室井先生のブログで知った。
http://eee.eplus.co.jp/s/kara/index.html
これから来年早々まで、様々な唐ワールドが繰り広げられる。
○ 2005/10/12
久々に天気。気持ちがよい。
KNHの増減がメールで届いたので、チェック。
10:00、測量会社が来所。KMHの境界確定と測量の見積り依頼。
武蔵野大学の一昨日の講評会の整理。
KTHの図面チェックと直しの作業。
17:00過ぎ、2年半前まで田園調布で事務所シェアーしていた鈴木基紀がCD-ROMの件で来所。
しばらく立退きの顛末等を話し、阿佐ケ谷の焼きトン屋へ移動して、久々に飲む。
○ 2005/10/13
今朝も気持ちのよい天気だ。
こまごまとした雑務や打ち合わせを挟みながら、決算資料の準備。エクセルで毎月帳簿付けをするようになったので、楽になった。以前は、この決算時期は憂鬱だったが。
昨日に続き、KTHの図面作業。
14:00前、自転車で荻窪の会計士事務所へ。
帰りに古書店に寄り、本を3冊購入。
戻って、アプリケーションのインストールや引き続きKTHの図面作業。
合間に簡単な打ち合わせや指示。
なんやかんやで、慌ただしい一日だった。
○ 2005/10/14
天気予報ははずれ、朝はよい天気。
事務所でメールチェックと日報のアップ。
温度や空気の変化の時期だからか、2、3日前から鼻がむずむずし、くしゃみが頻繁に出て、鼻水も止まらない。
9:00に事務所を出て、MRHの現場へ。先週末建て方で、今日は構造事務所の金物チェック。沢山の床レベルを持つ住宅で、敷地に合せ少し屈折しているので、複雑な木造躯体が立ち上がっている。1階と2階の空間の違いが確認でき、仕上の検討に反映できそうだ。
同時にキッチンや浴槽、その他をクライアント打ち合わせ。現場をクライアントご夫妻に見ていただいた後、近所のクライアント宅で打ち合わせ。12:00終了。
スタッフを現場に残し、大江戸線新御徒町にある、台東デザイナーズビレッジへ。http://www.designers-village.com/index.html
今度の月曜日の武蔵野大学の空間造形4の課題の参考例として、昨日電話で見学のお願いをした。
13:30、台東デザイナーズビレッジに着き、事務の方に内部を案内してもらう。
台東デザイナーズビレッジは、台東区が旧小島小学校をリノベーションして、「デザイナーに創造の場を提供して、デザイン分野の人材と機能の集積を図り、創造的なモノを生み出す拠点とするため、デザイナーの創業支援施設(インキュベーション施設)として」設置されたものだ。
台東区の地場産業の、靴、鞄、アクセサリー等のファッション雑貨関連の若いデザイナーたちの事務所や共用の展示室、制作室、図書室、交流サロン等が設けられている。
入居者は一つの教室の半分から2/3位を使っている。現在19の事務所が入っている。その中には、ファッション雑貨関連以外に、映画衣装のスタイリストやフィギア作成の事務所もある。3階には東京芸大、2階の一部に早大も入っている。
学校の幅広い廊下が、ちょうど良い緩衝地帯のようになっており、一体感が有りながら、プライバシーが保たれている感じがした。
都心の小学校特有の小さな校庭は、コインパーキングになり、事務の方の説明では、その収入がこの施設の運営資金の大きな部分をになっている、とのことだった。
非常に興味深い施設で、とても刺激を受けた。
新宿で資料探しをして、16:00前事務所に戻る。
17:00、OKBの内部検討の3Dを手伝ってもらう予定の、アルバイトの学生が面接に来所。
どのように進めて行ったら良いか相談。今使っているアプリケーションとその学生が使いこなすアプリケーションの互換性をいくつか試してみる。
○ 2005/10/15
今日のKTHの打ち合わせの準備。
図面をプリントアウトし、コピーをとったり、エスキス模型をデジカメに収める。
模型に手を加えようとしていたところに、土曜日なので事務所は休みだが、MRHの指示図面作成にスタッフが来たので、これ幸いと模型の修正を頼む。
12:00過ぎ事務所を出て、KTHのクライアント打ち合わせに。
13:30、KTHの打ち合わせ。いつものように、ビールとワインをごちそうになり、17:00、おいとまする。
夜、DVDに録画しておいた、TVドラマ「いくつかの夜」山田太一を見る。ホームページにあるディレクターの「このドラマの主人公、初老の男・恒平は、他人とかかわったことで、それまでにない優しい気持ちを持つことになります。老いを受け入れることが出来たのです。もし、そのままだったら彼は孤独な老人のまま死ななければならなかったかもしれません。」http://www.tbs.co.jp/program/cbc_ikutsukanoyoru.htmlの言葉とおり、年をとっても変わって行けるということが、しみじみと伝わってくる緒形拳の演技と山田太一の脚本に、ドラマの最後、つい涙してしまう。
○ 2005/10/16
11:00事務所で面談。
その後用事を済ませ、大和町に戻る。
来週の菊花賞。ディープインパクトの3冠挑戦も楽しみだが、秋華賞、見応えのあるレースだった。
夕方、地震。急にゆれた。
○ 2005/10/17
朝から雨。
事務所に行こうと外に出るとやんでいたので、いつも通り自転車で。
メールチェクと日報のアップ。
10月14日から、「ガラスの使途」のホームページがリニューアルされているのに気がつく。ここで予告編が見れます。
http://www.garasunotukai.com/index.html
11:30前、事務所を出て武蔵野大学へ。
13:00から空間造形4の授業。第2課題の説明と、早速のレポート0の発表。第2課題は学生を煽っていこうと決めたので、第1課題についての講評をしながら、皆の士気を高めようとするがどれだけ通じただろう。
16:00前、終了し、吉祥寺の書店により、17:00事務所に戻る。
雑務いろいろ。
○ 2005/10/18
良く降る雨だ。
OKBのスタッフ打ち合わせ。
KTHのエスキス。
調子の悪いプリンターの環境を変えようと、コピーリースの担当者に見積りを持って来てもらう。いろいろ聞き、再度テストプリントと提案をもらうことにする。
18:00頃、新さんがKNHの竣工写真のポジを持って来てくれる。
今まで撮ってもらったものや、これから出来る予定の住宅の模型を見ながらしばらく話しをする。
○ 2005/10/19
今朝は天気はどうにかもっている。
詳しいことは書かないが、以前設計させていただいたクライアントから2月位前に、知り合いの方の住宅設計の相談をいただき、昨日から今日にかけて、設計させていただいたクライアントからその件の結果報告のメールが届き、とてもありがたい内容で、こちらも感謝して返信したりした。住宅の設計に限らないが、他の人に対しどのような関係を作って行けるかがとても大切であることを、改めて教わった。心を引き締めて、頑張ろう。
OKBのスタッフ打ち合わせ。その後KTHとKMHのエスキス。
11:00頃になり、久々に陽が射し始めた。
猫たちも、気持ち良さそうにひなたぼっこしている。
このマンションの隣の、エントランスのアプローチが気になっていた、「ジュエリー煌翔(こうしょう)」http://www.kohsho.co.jp/の看板がかかっているところに、先日から、「宮迫千鶴展」開催の告知がでていた。郵便局に行くために外に出た時、立ち寄ってみた。このスペースを運営しされている、呉さんとユンさんと少し話しが出来た。お二人は在日2世で、偶然共通の知り合いもおり、今後も時々立ち寄らしてもらうことにする。木造住宅をギャラリースペースとジュエリーの工房としてお使いで、年に5回ほど展覧会を企画開催しているそうだ。
住宅街のこじんまりとしたスペースでゆっくり拝見できるので、当事務所にお出での際は、展覧会開催中だったらぜひ寄ってみて下さい。
近所に、新しい関係が出来、嬉しい展開だ。
夕方、OKBのスタッフ打ち合わせ。
17:00過ぎに、アルバイトの柴谷君が来て、OKBの3Dの打ち合わせ。
18:00前に、新さんが交換のポジをもって来てくれる。その際、新さんの現在の作品を見せてもらいながら話しをして、前から気になっていた阿蘇山の3連作を、一つの作品にしてもらい、譲っていただくことにする。楽しみだ。
○ 2005/10/20
今朝はさわやかな天気だ。
今日はいろいろなメールで、朝一時間くらいかかってしまった。
MRHの電気設備のプロット図のチェックをして、スタッフ打ち合わせ。
KTHの図面作業をして、MRH上棟祝いのお酒を買いに出る。スパークリングワインを買い、つい自分用に安いチリワインも買ってしまった。
戻って、日報のアップ。
昨日の夕刊に、「8月のクリスマス」のヒロイン役のシム・ウナさんの結婚のニュースがあった。ハン・ソッキョとシム・ウナの演技はとても素晴らしかった。しかし、以前では考えられないことだが、変わったのだな。
14:00事務所を出てMRHの現場へ。
今日は上棟式。その前に、いくつかの打ち合わせをクライアントを交えて行う。
16:00からお清めを始め、その後なおらい。
18:00頃まで、お酒や料理を頂く。
中締めをして、解散。
建設会社の営業担当者が大学の先輩で、その会社に大学の卒論で民家調査を一緒にやった同級生が転職した。この間の同窓会でそれがわかり、彼も呼んで新宿で2次会。
明日はいくつか外で打ち合わせがあるので、自重して日本酒には手を出さず。
遅く阿佐ケ谷に戻ったが、今晩阿佐ケ谷の焼き肉屋で新宿梁山泊が韓国ツアーの内輪のお疲れをやると言う連絡を受けていたので、自転車での帰り道に店をのぞいてみたが、さすがにもう誰もいなかった。
○ 2005/10/21
昨晩大和町に戻ったのが遅かったので、少しゆっくり寝て、9:00過ぎに事務所。。
昨晩自重したのが良かった、長い時間飲んでいたが、体調に影響無し。
メールや連絡事項を済ませ、自転車で荻窪の会計士事務所へ。決算が終わったので、その書類をピックアップに。帰りに図書館により、リクエストしておいた雑誌をピックアップ。
戻って日報のアップ。
14:00、先日面談したクライアント候補の方の三鷹のお宅へ。近所にある気に入っている住宅を案内していただいたり、ご要望を伺ったりで16:00おいとまする。
すぐ近くにある、山本有三記念館をのぞいてみる。立派な石積みのマントルピースがいくつもある洋館。昭和初期の武蔵野の面影を想像した。
帰りに吉祥寺まで歩き、IDC大塚家具センターで、KTHの参考資料にしようと思う家具を探す。
17:00過ぎ、事務所に戻る。OKBの3Dの途中経過を見せに柴谷君が来ている。いくつかの打ち合わせ。
KTHの検討図をまとめ、メール。
○ 2005/10/22
薄曇りで雨がパラパラ。
9:00に事務所に来て、メールチェックと連絡事項いくつか。
11:00KNHのクライアントと建設会社の担当者来所。最終増減の説明。引越しの荷物はまだ片付かないが、気持ちよく暮らしていただいているようで、嬉しかった。
KTHの図面作業。
17:00前に事務所を出て、目白へ。武蔵野大学の水谷先生と、雑司ヶ谷・鬼子母神の唐組「カーテン」作・演出:唐十郎を見に。(業務連絡:武蔵野大学の中島さんと宮内さん、これを見ていたら、ごめんなさい。)差し入れのお酒を買い、駅で待ち合わせ、鬼子母神へ向かう。
鬼子母神での唐組は初めてだ。赤いテントが張られた境内は、とても風情が良い。19:00芝居が始まる。途中休憩を2回挟んで3時間の芝居だが、唐さんの乱反射して行くような台詞のやり取りを追っていくと、アッという間に時間が過ぎていってしまう。今回の芝居は、唐組の役者たち全てが入れ替わり立ち替わり、舞台を引っ張って行く。その様子を、唐さんが見守っているような、舞台自体がメタシアターのようになっていて、充実した芝居だった。
初めて見た水谷先生も、大喜び。新宿に出て一杯やり、学校に帰らなければならない水谷先生と、阿佐ケ谷で別れる。
大和町に戻っても、なんだか興奮して、本当に久しぶりに3:00近くまで夜更かしをする。最近は、夜早く眠くなってしまうので、夜更かししたくても出来ないが、たまには夜更かしも良いものだ。
○ 2005/10/23
チェ・ミキは、従兄弟の結婚式に出席するため、早朝三重の長島温泉にでかけていった。
昨晩は夜更かししたが、なぜか眼が覚めてしまい、8:30に起きる。
12月の新宿梁山泊の公演「風のほこり」唐十郎作の台本を読む。「カーテン」とは又違った、唐さんの世界が展開されている。乞うご期待なので、あまり書けないが、これがまた素晴らしい。それに引きずられるように、昔のビデオを取り出して来て、夜、1985年の状況劇場公演「ジャガーの眼」作・演出:唐十郎の一部と、1990年の新宿梁山泊公演「人魚伝説」作:鄭義信・演出金盾進を全編見る。
結局、昨晩から3本の芝居を体験してしまった。密度の高い24時間だった。
ディープインパクト、無敗の3冠達成。強かった。レース後のインタビューで、武豊でさえも言葉が詰まり気味だったのが印象的だった。
○ 2005/10/24
昨日に続き、気持ちのよい秋晴れ。
朝、事務所でメールチェックと日報のアップ、連絡事項いくつか。
銀行に行って、振込など。
11:30に事務所を出て、武蔵野大学へ。空間造形4の授業、13:00から16:00過ぎまで。
事務所に戻って雑務をいくつか。
○ 2005/10/25
よい天気がしばらく続きそうだ。
今朝朝日新聞の一面をちょっと見たら、今回の選挙についてのアンケートを行ったという記事があった。その質問の一つがあきれかえる質問で、「今回の選挙はおもしろかったですか。」という質問だ。選挙に対するメディアの影響を計るのが目的の一つのようだが、「おもしろい/おもしろくない」が、判断基準の質問を平気でする朝日新聞というメディアが、現在の日本のメディアやそれに対する人々の状況を十全に体現しているところに笑ってしまい、恐ろしくなった。アンケートなど必要ないじゃないか。
KTHの概算用図面のチェックと作業。
13:00過ぎ事務所を出て、KMHのクライアントの事務所へ。仕事で使うものを自宅の仕事場にも運んだりする時があるので、車庫と仕事場の導線を考慮しなければならないのだが、お話だけではどのようなものを運ばなければならないか、こちらが理解できなかったので、一度拝見することにした。事務所を見せていただいて、納得。百聞は一見にしかず、の典型。
16:00前、事務所に戻り、KTHの作業をスタッフに指示。
MRHのスタフ打ち合わせなど。
17:00過ぎ、3Dの作業を続けてもらっている、柴谷君が来て、OKBの打ち合わせ。
その後、KTHの図面作業を続ける。
○ 2005/10/26
今日は薄くもり。
先日、琉球大学の修士の学生から、木造住宅の研究の対象として、遠州浜の住宅を取り上げたいので、図面を見れないでしょうかとのメールがあった。データ変換をした図面を、メールする。
時々、学校の課題で我々が設計した住宅を取り上げたいので、という連絡を学生からもらうが、興味を持ってもらえてとても嬉しいし、出来る限りの協力はしたいと思う。
KTHの設備仕様の概要を書きながら、MRHのスタッフ打ち合わせ。
昼に事務所を出て、MRHの現場へ。13:30から定例打ち合わせ。サッシも入り間仕切りの下地もあらかた設置され、設備電気の配線が佳境。配管、配線経路の打ち合わせに時間がかかる。一通り設備の打ち合わせを済ませた後、建築の納まりの打ち合わせ。途中から結構な雨が降ってくる。17:00過ぎにだいたいの打ち合わせが終わったので、スタッフを残し現場を出る。
18:00前事務所に戻る。
電話連絡いくつか。
スタッフに手直ししてもらったKTH の仕上表を自分のパソコンに戻してもらい、図面を置き換えプリントアウトしようとしたところで、設備の概要を昼間時間をかけて置き換えてしまった図面に書いたことを思い出す。まいった。既に手遅れ。あきらめて、他の図面をプリントアウト。明朝の概算のための図渡し、とりあえず設備概要は後で渡すことにする。疲れ果てて、事務所を出る。
○ 2005/10/27
雨は降り続いている。
気分を入れ替え、朝一番で思い出しながら、昨日無くなってしまったKTHの設備概要を書く。一時間ほどで完成させ、図面に入れ込む。
9:00、建設会社来所。図面を渡し、見積りをお願いする。
引き続きKTHの図面作業。KMHとNWHのエスキス。
昼になって陽が射して来た。変化が気持ち良い。
決算月なので、振込に銀行に。
OKBとMRHのスタッフ打ち合わせ。
19:00から、下北沢のタウンセンター。「ミン・ヨンチ ファーストコンサート」。演出に金守珍さんが関わり、新宿梁山泊から誘っていただいた。ミン・ヨンチさんは、大阪生まれの在日3世。なんと15歳の時に韓国の伝統音楽「国楽」を学ぶために、単身韓国に渡り、ソウル大学の国楽科を出てチャンゴ(両面使いの太鼓)奏者として、韓国の第一線で活動していたが、32歳で日本に戻り、SANTA「散打」というグループを作って活動している。そのチャンゴは本当に素晴らしく、多分五線譜のリズムでは表せない複雑なリズムを奏でる。そのリズムに身体をゆだねていると気持ち良くなって来る。
なん分のなん拍子というような、機械的なリズムではなく身体的なリズムだから、とても心地よいのではないか、と思う。
ゲストに、パンソリのイ・ジャラムさん。パンソリは昔からの物語をリズムに乗って語る、これも伝統的なものだ。「風の丘を越えて(原題:西便制・ソッピョンジェ)」 イム・グォンテク監督を韓国で見て、パンソリにその場ではまってしまって以来、大好きだ。
イ・ジャラムさんは、ソウル大学の大学院に在籍中と若く、パンソリ完唱最年少ギネス保有者だそうだ。その声の音域は一体どのくらいあるのだろう。しかも裏にならずに地声で低い音からとても高い音まで自在に行き来する。こちらもリズムは複雑だ。伝統的なパンソリの「沈清歌」の一部と、SANTAにジョイントして歌を歌ったが、どちらも素晴らしい存在感だった。
○ 2005/10/28
少し寒いが、気持ちのよい朝だ。
机の周辺を少し整理して、NWHのエスキス。
先日、以前住宅を設計させていただいたクライアントから、別件で土地を見てほしい、との連絡があったので、昼に事務所を出て池ノ上に向かう。クライアントと一緒に駒場裏から下北沢の土地を見て歩く。その後少し話しをして、土地の条件を調べにタウンホールへ。昨日に続き、2日連続で来てしまった。
16:00頃事務所に戻る。
17:00前、柴谷君来所。OKBの3Dの打ち合わせ。
MRHの現場に行って来たスタッフとの打ち合わせ。
引き続き、NWHとKMHのエスキス。
○ 2005/10/29
このところ週末は天気が悪い。唐組は今月、週末に4回テントを張っているのだが、天気が悪く生憎だ。
9:00過ぎ事務所に来て、メールチェックや日報のアップ。
KMH、NWHのエスキス。
昨日見に行った下北沢の土地の件を含めいくつかの連絡事項。
14:00前に大和町に戻り、片付け。
今日は16:00からチェ・ミキの大学院の仲間が集り、ワインのテイスティング飲み会をやることになっている。その前に、15:00僕の来客が一件有り、16:00前から人が集り始める。総勢15、6人か。少しワインを飲ませてもらい、17:00過ぎ大和町を出て事務所に戻る。
今晩は2年ぶりの荻窪中学の同窓会が西荻である。19:00からだが、それまで大和町で飲んでいると、とんでもないことになるので、少し事務所で小休止。
今日明日は阿佐ケ谷は、ジャズストリートというお祭りで、至る所で演奏が行われている。残念な雨だ。
18:30過ぎ事務所を出て、西荻に。
19:00から、貸し切りのレストランで、同窓会。懐かしい顔が沢山。誰だったか思い出せない人もいる。40〜50人くらい集ったか。細かい文字を見るのに、眼鏡を取ったり遠くにかざしたり、皆同じ仕草をするのが面白い。来年でもう50だからね。
いろんな人と話しをして、アッという間に1次会は終了。近くの居酒屋に移り2次会。ここから参加の人もいる。0:00を超したころ、2次会終了。今度は駅前のカラオケボックスへ移動。20人ほど残る。歌う歌は、やはりわれわれ世代の曲。最後に肩を組んで、「また会う日まで」を皆で歌って解散。4:30。
楽しかった。うまく言えないが、もう向こう側に向けていっぽ歩みを進めているのだな。そんな仲間との会は、理屈無しで底抜けに楽しい。
既に走り始めている中央線に乗り、大和町に戻る。
○ 2005/10/30
昨日は楽しかったが、さすがにつかれた。
12:00過ぎに起きる。
大和町のワインテイスティング飲み会も盛況だったようだ。お隣の若いご夫婦も参加してくれた、とのこと。
先日、部屋に賊が入ったヤスエチャンが、夜遅く帰るのが気持ち悪いので、泊まっていった。
少し話しをするも、喋り過ぎと歌い過ぎで、喉がかれて、疲れてしまっていたので、横にならしてもらう。
13:00過ぎ、ヤスエチャンは帰宅。
こちらは一日ゴロゴロと過ごす。
○ 2005/10/31
今日で10月も終わり。今年も後二月になってしまう。この間まで夏だったのに。月の変わり目に、時は確実に過ぎて行くことを、確認する。
喉がかれたのは、同窓会での喋り過ぎ、歌い過ぎもあるが、どうやら風邪を引いたようだ。鼻が詰まったり垂れて来たり、のどもいがらっぽい。
NWHのスタッフ打ち合わせやKMHのエスキス。
コピーのシステムを変えようと思ってるので、その段取りで連絡など。
なんだかざわざわしていた。
○ 2005/11/1
今日から11月。
風邪のせいか、夜何度も眼が覚めてしまう。でも、とぎれとぎれで熟睡でき、朝起きたら汗をかいていて、喉も少し楽になったような気がする。このまま回復してくれると良いが。
なぜだかわからないが、これからふたつき、年末まで集中してやっていこう、という気持ちになる。草野球で言えば、「しまっていこうぜ!」という感じだ。
終日、KMHのエスキス。
18:00、武蔵野大学の水谷先生が友人の佐野さんと来所。
佐野さんが今設計している住宅を担当してくれる構造事務所についての相談。事務所で小一時間話し、飲みにでる。阿佐ヶ谷の北の焼き鳥屋と満塁ホームラン軒という、レトロ風居酒屋で12:00近くまで。日々の業務のことや、学校の課題の話しなどで盛り上がる。
○ 2005/11/2
めっきり寒くなったが、秋晴れの気持ちのよい朝。
最近の経験から、外で少し遅くまで飲んでも、日本酒を飲まなければ、次の日に残ることがないのがわかる。あくまでも、限度内だが。
MRHのスタッフ打ち合わせ。
KMHのエスキス。
14:00前に事務所を出て、MRHの定例打ち合わせに。外部の板金の打ち合わせをメインに。
スタフを残し、17:00過ぎ現場を出て、新宿へ。同窓つながりの飲み会。
俳優の六平直政さんと建設会社K社とZ社の方、総勢4人。六平さんは新宿梁山泊の旗揚げメンバー。梁山泊の前に芝居をしていた、状況劇場の頃からのファンで、梁山泊で親しくなった。その六平さんの家造りに関わったのが、今日のメンバー。六平さんとK社の方が、中学高校の同級生で、その紹介で現場を担当したZ社の方とK社の方は大学の同級生で、僕はその二人の方の早稲田の建築学科の後輩。4人が顔を合せるのは、2年ぶりくらいで、建設時のこと、映画や芝居の話しなどで楽しかった。
2次会、3次会で0:00過ぎ解散。今日も日本酒は飲まなかった。
○ 2005/11/3
やはり日本酒を飲まないと、次の日は全く影響ない。だが、遅かったし休日なので、ゆっくり寝て、10:00前事務所。
武蔵野大学の非常勤講師の件で、チェ・ミキが昔着付け教室で知り合った、赤松さんに電話連絡。
メールチェックや日報アップ、連絡事項。
今日のKTHの打ち合わせ準備。
13:00過ぎ事務所を出て、KTHのクライアント打ち合わせにOZONEへ。
16:00過ぎ終了。館内で開催中の「ポーエ・モーエンセン回顧展」を見る。モーエンセンの家具が置かれており、自由に座れる。大和町にもいくつかモーエンセンの家具があるが、とても座り心地が良く親しみやすいデザインだ。いくつも並んだモーエンセンの家具を眺めると、その人柄が伝わってくるようだ。
しかし、休日のOZONEは、沢山のひとに利用されているな。
その後、タワーレコードでCDを物色。18:00過ぎに事務所に戻ったらスタッフが来て、仕事をしていた。
○ 2005/11/4
秋晴れ。
メールで連絡事項いくつか。日報のアップ。
突然だが、先月末の新内閣、ウチダブログ流に言えば、官房長官と外相の人事は、アメリカが東アジア外交に介入するのに、とても便利なスイッチをもったことになるのだろう。これでまた、東アジアの世界から、日本は一歩退くことになったわけだ。
OKBのスタッフ打ち合わせと、昨日のKTH の打ち合わせで決まった検討事項を指示。
KMHのエスキス。
昼に梁山泊の金さんから電話があり、今金さんが日本映画学校の俳優科で演出している「エビ大王」の稽古を見に来て、セットのアイデアをもらえないかとのこと。来週末が公演なので、来週早々にでも新百合ケ丘の日本映画学校に来れないかと。来週はじめは、武蔵野大学やアポイントが決まっているし、今週末は演出の入った稽古は無いというので、今日しかない。
14:00過ぎに事務所を出て、日本映画学校へ。
15:00から17:00過ぎまで稽古を見ながら話しをして、考えたことを伝える。その線で、簡単な道具帳を書いてメールすることに。
稽古を見ながら、集中して考えていると、イメージがガラガラ変わってくる。それを短時間でつかむ事が出来ないといけないし、ゆっくり時間をかけてまとめあげていくことも大事だ。この辺りは建築とまるっきり一緒だ。
18:00事務所に戻る。
新さん(http://tenplusone.inax.co.jp/archives/fieldwork/kosei/index.html)が事務所に、この間お願いした作品を持って来てくれる。
阿蘇山の風景を定点から撮ったものを、3点組み合わせたもだが、誰も何もいない風景の次に、牛たちの放牧の風景、次に修学旅行の生徒たちが散らばる風景。題名は「放牧」。初めてプリントを見せてもらった時から、気に入っていたものだ。
コンパクトだが、インパクトのある仕上がりになっていた。
○ 2005/11/5
今日も秋晴れ。気持ちがよい。9:00に事務所。
メールチェックと日報のアップ。
午前中に「エビ大王」のパネル図を書いて、梁山泊へメール。
午後は、進行中のプロジェクトの整理やエスキス。
それにしても、夜NHKのニュースで偶然見た、松田科学技術相の新閣僚インタビューはお粗末だった。何をきかれても「フロンティア、最新、最先端、世界に誇る、何々(例えば人材)が必要云々・・・」という答えしか帰ってこない。まるで、くだをまく酔っぱらいのオヤジの様だった。やれやれ。自分が投票した議員じゃないのが、せめてもの慰めだ。
○ 2005/11/6
すっきりしない天気。
一日大和町。
TKAやKMHのエスキスを進める。
GA JAPAN(建築の雑誌)77号の「高円寺会館」(高円寺駅を中野方向にしばらく戻った環七近くに計画中の、小劇場複合施設で、コンペで伊東さんが設計者に選ばれたもの)についての伊東豊雄さんへのインタビューの中で、伊東さんは下記のように話していた。
「モダニズム建築が持ってしまった本質的な矛盾、すなわち『建築家の間で通じる論理だけが存在していて、それがエクスクルーシブに働いている』事と、大きく関わっていると思います。(中略)
安心して美しいと思えるものから逸脱していくのは、やはり不安です。『アイランドシティ中央公園中核施設 ぐりんぐりん』では、無防備に溶かし過ぎた感じもあって、『ここまでやっていいのだろうか?』という危惧もあるのです。今回はシンプルな箱形からスタートしているので、慎重に見極めながら、既成の美学を少しずつ溶かす作業を進めてます。」
「アイランドシティ中央公園中核施設 ぐりんぐりん」を見て、建築家はここまで自分の自我から離れられるものか、と感動していた。なるほど、もちろんこういう葛藤があったのだ。
高円寺会館、いろんな意味で楽しみだ。
○ 2005/11/7
雨上がりの、爽やかな空気。
スタッフがまとめた、OKBの打ち合わせ資料をチェック。
朝、スタッフ出社とともに打ち合わせ。引き続き、MRHのスタッフ打ち合わせ。
11:30過ぎに事務所を出て、武蔵野大学へ。
先週は学祭の片付けで、休日だったので2週間ぶりの空間造形4のエスキス。
間の時間が長かったひさびさのエスキスだが、うちのスタジオは学生の集まりが悪い。
ともかく、エスキスを始める。二時限めになってパラパラ集り始める。16:30過ぎに終了するが、果たして他の学生はどこまで進んでいるのだろう。
18:00、事務所に戻る。
○ 2005/11/8
今日も秋晴れ。
このところ朝トイレで、西原理恵子の「ものがたり・3部作」を読んでいる。今は『営業ものかたり』。今朝その中の、「うつくしいのはら」を読んだ。本の帯に「サイバラ、生涯の最高傑作」とあるように、素晴らしい作品だった。西原さんの他の作品にも顕著な、とてもリアルにものを見るのだが優しさのある視点と、独特の文字と絵が、一つの世界を作り上げている。「ものがたり・3部作」の中で『営業ものかたり』が一番えげつない表現なので(多分。まだ『女の子ものがたり』は読んでないが。)、その中にポンと「うつくしいのはら」が飛び込んでくる編集が、心地よい。もちろん、その他の「えげつなさ」がまた、リアルで愛おしいのだが。「うつくしいのはら」おすすめです。
OKBの打ち合わせ資料の最終チェックと、MRHのスタッフ打ち合わせ。
TKAの法規調べとエスキス。単純だけど複雑なもの、を目指す。
昼に新宿梁山泊の金さんから電話があり、12月の公演「風のほこり」作:唐十郎(http://www5a.biglobe.ne.jp/~s-ryo/)の稽古を本格的に始めるので、ラフでもセットプランを10日の顔合わせに話し合えれば、とのこと。
13:00前に事務所を出て、以前設計したNSHへ。中庭の芝生の打ち合わせを、建設会社と造園の笹隈さんと。
15:00終了。すぐ移動して、15:45からOKBの打ち合わせ。16:30終了。17:30過ぎ事務所に戻る。
OKBの打ち合わせ事項をスタッフに伝える。
「風のほこり」を読み直しながら、以前書いたスケッチに手を加えていく。
○ 2005/11/9
秋晴れが続く。
朝、メールにて連絡事項いくつか。武蔵野大学の学生から、課題についての相談メールが来ていたので、返信する。
昨日の続きで、「風のほこり」の本読みと、セットのスケッチ。
午後一で、MRHのスタッフ打ち合わせ。
その後、銀行と郵便局に行くが、郵便局の窓口が全く進まないので、事務所に戻る。
入れ替わりに、スタッフたちがMRHの現場に。
引き続き、「風のほこり」のスケッチ。
○ 2005/11/10
ちょっと弱々しい、秋晴れ。中杉通りのケヤキの色が、日一日と変わって行き、風に落ち葉が舞う。
昨日の武蔵野大学の学生から、返信のメールが届く。結構深みにはまって悩んでいる様子。再度アドバイスを返信。
「風のほこり」、今朝未明、眠りながら出て来たアイデアをスケッチに加え、完成させる。
TKAの図面作成作業に移る。
18:00前事務所を出て、上高田の梁山泊の稽古場に自転車で向かう。
「風のほこり」の自主稽古は既に始まっているが、今日が本格的な稽古初め。
演出の金さんからキャストが発表され、19:15から本読みが始まる。21:00前終了し、たたき台で描いていったスケッチをもとに、簡単な打ち合わせ。セットのイメージをより具体的にするために、その後幕開きなどの部分的な立ち稽古が始まる。
まだまだ始まったばかりだが、唐さんの本は役者が動き始めると、読んでいた時とガラッと様相が変わる。そして、経験から言うと、役のキャラクターが立ち上がったとき、とんでもないパワーを発揮する。そのキャラクターをリアルにして行く作業がこれから始まる。
22:30稽古終了。
○ 2005/11/11
秋晴れも昨日まで。陽が射さないと寒い季節になってきた。
いつも通りに8:00に事務所。メールチェックと日報のアップ。
一日、TKAの図面作業。
午後、NWHのスタッフ打ち合わせ。
「風のほこり」のセットデザインのための情報収集にいくつかの連絡事項。
一日CADで図面を描いていたので、腕や肩が痛い。
○ 2005/11/12
朝7:00頃は雨が降っていたが、事務所に来た9:00頃には、西の方から青空が顔を出して来た。
天気予報通りだ。
メールと日報をアップして、TKAの図面作業。
11:00過ぎスタッフが来たので、MRHの打ち合わせ。昼食後スタッフは現場へ出掛けた。
引き続きTKAの図面作業を続け、15:00前出来上がった図面を建設会社に郵送しに、阿佐ヶ谷郵便局まで。
15:30過ぎ、事務所を出て成増まで。
「室内」の佐野さんと、特殊メイクの中田さんの工房を訪ねる。「室内」の連載の「現場の眼」の取材。
中田さんは、「ガラスの使途」でレンズに入ったひびの加工や、レンズを通した光で手の平が焼けて、血が出るとシーンの特殊メイクを担当した。
映画の撮影の際には、簡単な打ち合わせしか出来ず、どのような事をやっているのか知らずに終わった。
今回中田さんの工房を訪ね、いろいろ話しを伺ってとても楽しかった。中田さんは現在31才と若いが、その仕事は多岐にわたる。なぜこの仕事を始めたか、から作業工程や仕事に対する考えかたの話しを伺い、この仕事がとても好きだという情熱が伝わって来て、その人柄も含め感心してしまった。
沢山の人と一緒にものを作るという意味で、建築とも通じる部分があり、アッという間に時間が過ぎた。
詳しくは佐野さんが、今月末書店に並ぶ「室内」の12月号に書いてくれるだろうから、読んで下さい。きっと面白いですよ。
写真は、工房に並ぶライフマスク。(ライフマスクって・・・・。)
大和町に21:00過ぎに戻る。朝新聞で見てみたいと思っていた、KHKスペシャル「ユリあばちゃんの岬」http://www.nhk.or.jp/special/を途中から見る。
知床半島の「番屋」と呼ばれる作業小屋に春から秋にかけて一人暮らすおばあさんの暮らし。ユリばあさんが、「ここの自然が好きだ」という。単なる自然ではなく、ここの自然が、と。
それを見ていて、中田さんが特殊メイクを好きだという姿が重なってきた。同時に「教室を路地に!」唐十郎・室井尚著(岩波書店)の中の、唐ゼミの軌跡も重なる。本当に自分にとって大事なものを見つけ、大好きになる、それを「才能」というのだろう。てな事を思った。
○ 2005/11/13
秋晴れのよい天気。
12:00過ぎに大和町を出て、下北沢の駅前劇場へ日本映画学校の俳優科の公演「エビ大王」を見に行く。
早く着き過ぎてしまったので、気持ちのよい天気の中、下北沢をブラブラ。
下北沢をゆっくり歩くのは何年ぶりだろう。
思えば、十何年前、ここで暮らしていて、旗揚げ直前の新宿梁山泊と知り合ったのだ。
長い付き合いになった。
芝居には、大久保鷹さんや唐組の鳥山さんも来ていた。梁山泊の最高顧問、小松さんも元気な姿を見せていた。終演後、小松さんをホームまで送り、大和町に戻る。
○ 2005/11/14
昨日とはうって変わって、寒い。薄曇り。
日報をアップして、連絡事項いくつか。
MRHの土曜日の現場打ち合わせ状況をスタッフから報告を受ける。
11:45、事務所を出て武蔵野大学へ。
空間造形4の授業。学生たちは未だ、手が動かず。時間だけが確実に過ぎて行く。
18:00事務所に戻る。
○ 2005/11/15
今日も寒い朝だ。
スタッフが検討したKTHとNWHのスケッチチェック。
今、事務所のコピー・プリンター環境を変えようとしており、いくつかの事務機会社から見積りとヒアリングをしている。その打合せ。
チェックしたNWHのスケッチについて、スタッフ打ち合わせ。
13:30、KTHの概算見積りを持って建設会社来所。いくつかの打ち合わせ。
14:00過ぎ、アルバイトの柴谷君が青山製図学校の石井先生と来所。学校の状況を伺ったり、これから柴谷君にどれくらい手伝ってもらえるかなどの話しをする。
NWHのエスキスをまとめ、スタッフにまとめとボリューム模型作成の指示。
MRHのスタッフ打ち合わせとKTHのエスキスと連絡事項いくつか。
慌ただしい一日だが、なんだか物事が少し進んだ気がする。
気のせいでないと良いのだが。
気が着かずにいたが、11日にラフィアンのレポートが新しくなっていた。
募集番号17 シャギーボブの04……父オース/母シャギーボブ
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。外傷を負った傷口が塞がり、再び1100mの坂路に入っています。自らという気持ちが芽生え、鞍上に促されなくても前へ進むように。物覚えが良く、あっという間にすべての課題をマスターしました。もう少し体高が欲しいもの。現在は、放牧地でゆっくりさせています。
募集番号20 デモンリーの04……父フォーティナイナー/母デモンリー
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。弾むようなフットワークが見られ、さすが高額馬と思わせる乗り味。能力が高いと判断するには早すぎるものの、他馬とは何かが違う感触です。すくすく成長し、馬体重が500キロの大台に乗りました。坂路での馴致を終え、昼夜放牧のみの生活に切り替えています。
○ 2005/11/16
寒いが、陽が射し少し明るい気持ちになる。
メールチェックと日報をアップし、8:30に事務所を出てMRHの現場へ向かう。
9:30現場着。間仕切りもだいぶ出来上がって、部屋の大きさが良くわかる。10:00過ぎから、クライアントと仕上の決定。11:30過ぎ終了。12:00過ぎ現場を出る。
途中、書店などにより買物をして、14:00頃事務所に戻る。
NWHのスタッフ打ち合わせ。KTHの図面作業とKMH のエスキス。
シアターワークショッップの小林さんから、先日「風のほこり」の資料について尋ねた事の返答を頂く。
今年も残すところ二月を切って、なんだか街が慌ただしく感じられるのは気のせいか。
○ 2005/11/17
時々拝見する、趙海光さんのホームページの今週のコラムを読んだら、趙さんの青森高校時代の同級生のことが書かれていた。(http://www003.upp.so-net.ne.jp/umihiko/column.html)
趙さんの同級生にエイメイという人がいて、「小湊の天才的短歌詠み」と言われていたという。ある日趙さんが寺山修司の映画を見ていたら、そのエイメイが白塗りでスクリーンに現れ驚いた、とある。
そう、そのエイメイさんこそ、佐々木英明さんでその映画は「書を捨て街に出よう」だ。
僕も大昔、映画館で「書を捨て街に出よう」を見て、スクリーンの中から、「そんなくらい客席に腰掛けていたって何も始まらないよ・・・」と訛りの残る台詞回しでこちらに語りかけてくるシーンに戦慄した時をいまだに忘れない。
あの映画の青年は僕の中ではいつまでもあの年齢のままなので、趙さんの同級生だったという事を読んだ時、すごく長い時間がサーッと動いた気がした。まさに演劇的な体験だ。コラムには続きがあると書いてあり、その続きがとっても待ちどうしくなり、趙さんにメールしてしまった。
続きが楽しみだ。
午前中KMHのエスキスをまとめ、午後一でスタッフに指示。
その後銀行に行ったついでに、昨日シアターワークショップの小林さんから教えてもらった、「風のほこり」の参考資料となりそうな「東京人」1998年8月号をブックギルドで探したが、置いてなかった。変わりに「東京人」2004年7月号の「特集:東京笑いの系譜」に、カジノ・フォーリーや水族館劇場についての記事があったので入手。店員さんにどこか入手できるところはないか聞いてみたら、中野のブロードウェーのトリオという古書店には、大概そろっている、と教えてくれた。
ブックギルドの柱に貼ってある、デジカメプリントされた保坂和志さんの写真が、以前から気なっていたので店員さんに尋ねた。答えは「ただのファンで。」ということで、「僕も同じです。」で会話は終わってしまった。
戻って、中野のブロードウェーのトリオに電話してみたら、言われた通り「東京人」1998年8月号が置いてあった。取り置きをお願いした。
KTHの図面作業をしながら、新たな案が浮かんで来てエスキスし、図面化をスタッフに指示する。
毎年やっている事務所仲間の忘年会の案内がメールで来たので、夜、鈴木基紀のところに電話してみる。久々なので長話。ちょっとしんどそうな状況だった。そう言う時もあるよな、この仕事。
○ 2005/11/18
気持ちのよい秋晴れ。朝8:00頃、阿佐ヶ谷駅を過ぎて中杉通りを自転車で北上してくると、最近丁度この時間、東からまぶしいくらいの日が、ケヤキの葉を通して差してくる。この季節はなんだか、いろいろな事を考えさせられる季節だ。
KTHの図面作業とMRHのエスキス。
午後一で、新宿梁山泊の三浦さんが「風のほこり」&「楽屋」のポスターとチラシを持ってきてくれる。早速配り始める。
15:00、チェ・ミキが以前無料着物の着付け教室で知り合い、偶然仕事が建築設計だった赤松さんが来所。仕事を手伝ってもらうための打ち合わせ。
内容を説明し、データを焼いたりして、16:00過ぎ終了。
明日のKTHの打ち合わせの準備。
17:30過ぎ事務所を出て、シアターコクーンへ。カラコンプレックス「調教師」を見に行く。
唐さんの密実なる言葉の世界が展開された、美しい戯曲だった。残念だったのは、席のせいか、劇場の構造か、役者たちの台詞が聞き取りずらく、そちらに神経を集中しなければならなっかった。願わくば、もう少し小さい小屋で、薄汚れた焼き鳥屋が中国大陸に変わって行く様を、体験してみたい。「風のほこり」のセットもそうなならないよう、他山の石としよう。
しかし、見た後は、何かわからぬ高揚が、身体の中に残る。これが唐さんの言葉の力なのだろう。
馬主会の桐山から、ラフィアンからの便りがメールで送られて来た。
○ 2005/11/19
木枯らしが吹く朝、自転車で事務所に。
メールチェックと日報のアップ。
KTHの打ち合わせ準備をまとめ、「風のほこり」のセット案を描いて、梁山泊へファックス。
11:30過ぎ事務所を出て、7月に完成したBBHへ。引越し前に写真撮影が出来なかったので、引越し後の様子を拝見させて頂くのと、いくつかの細かい事の打ち合わせに。
13:30過ぎBBHをおいとまし、KTHのクライアント打ち合わせに。
17:00過ぎにKTHの打ち合わせ終了。その後3年前まで田園調布で事務所シェアーをしていた、鈴木基紀の自由が丘の事務所を尋ねる。事務所で少し話し、近くの居酒屋へ。今話題になっている、データの改竄をした構造事務所の話しから、設計の仕事の話しなど、日々の仕事等。自分たちが設計を始めた頃と現在では、設計という仕事を取り巻く周辺状況が随分と変わって来ている、という実感がある。それらの事を充分意識する必要があるという話し。と同時に、吉阪先生や今井兼二先生の建築についての話しをし、どのように設計をしていくかが、これから後10何年か設計を続けていくのなら大事だな、という事などを話す。
○ 2005/11/20
午前中、大和町でNWHとKMHのエスキス。
昼から、東京国際女子マラソンをテレビで見る。マラソンで優勝する日本の選手は多々あるが、高橋尚子は皆に感動を与える人だな。
その後。自転車で中野ブロードウエーへ。取り置きしておいてもらった「東京人1998・8月号/特集:浅草は、笑いの王国だ。」を取りに。
話しには聞いていたが、ブロードウエーはとんでもない事になっている。(特に3階は。)雑誌や漫画、フィギャーやコスプレ、サブカルチャーの小売りデパートのような状態で、人が沢山集っている。つい、漫画とCDをいくつか買ってしまう。
帰りに高円寺駅近くに買物により、大和町に戻る。
「東京人」はとても参考になった。
○ 2005/11/21
薄くもり。良く寝たのでエネルギーが満ちている。
NWHのスタッフが進めた図面のチェック。
スタッフの出社とともに、NWHの打ち合わせ。少しづつ収斂しつつある。
「風のほこり」のセットエスキス。
11:45事務所を出て、武蔵野大学へ。
空間造形4の課題の中間発表。ごく限られた学生しか手が動いておらず、とても厳しい状況だ。「24時間はみんなに平等にある。」という、高橋尚子の昨日の言葉を伝え、楽しんで課題を進めるよう話す。
その後、水谷先生と2人で、吉祥寺の「カッパ」に行って少しの飲みながら話す。
「カッパ」は20年くらい前、設計事務所に転職して初めて先輩から引き継いで完成させた建物だ。もつ焼屋さんだが、相変わらずお客さんがいっぱいだった。
○ 2005/11/22
日一日と寒くなってくように感じるが、同時にその寒さに身体も少しづつ慣れ親しんでくる。
メールチェックと日報のアップ。
NWHのエスキスを進める。
午後一、昨日MRHの現場に行って来たスタッフと打ち合わせ。
NWHのスタッフ打ち合わせと「風のほこり」の資料チェックと、スタッフが作成したKMHの図面チェック。
16:30、建設会社にOKBの改修工事の内容を説明し、想定作業すケージュール作成を依頼する。
18:00前事務所を出て、東中野へ。水谷先生と待ち合わせ、新宿梁山泊のアトリエ「芝居砦・満点星」へ向かう。
19:00から行われる「映画『ガラスの使途』公開成功祈念会」に参加。唐組・新宿梁山泊をいつも応援してくれる方々に完成と公開の報告を兼ね、応援してもらおうと言う会。
予告編や15分ほどのメイキングの上映があり、映画の主演の唐組の稲荷さんの歌や、「夜を賭けて」の音楽を担当した朴保さんの歌、最後には「少女仮面」の名曲「時はゆくゆく・・・」を唐さんが歌い、大いに盛り上がる。
ただただ、唐さんの芝居が好きで「状況劇場」を見ていたのが25年前。25年後にこんな事になっているとは、夢にも思ってなかった。そんな状況は、なんだか今再読している村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を読みつつ考えることと、シンクロする。その他でも「ねじまき鳥クロニクル」とシンクロする事の多い今日この頃だ。
10:30過ぎに中締めで解散。梁山泊の事務所で「風のほこり」の資料をコピーしてもらい、水谷先生と満点星を後にする。
東中野の居酒屋に入り、もう少し飲む。1:00、大和町に戻る。
○ 2005/11/23
今日は休日。少しゆっくり起きて、9:00に事務所に。
スタッフが作成したKMHの図面チェックとNWHのエスキス。
13:00前、スタッフが来たので、NWHのエスキス内容を説明する。
15:00前、事務所を出て国立の岡部版画出版のギャラリー「korino」へ。横尾忠則さんの新しい版画が展示されているのを見に行く。
2002年の東京都現代美術館で行われた「横尾忠則・森羅万象展」(http://www.japandesign.ne.jp/HTM/JDNREPORT/020925/yokoo/index4.htmlの「19.Y字路ふたたび」の下の段雄の写真の一番右側にある絵)の一番最後に展示されていた「シー・ユー・アゲイン」という絵がとても好きで、その絵がリトグラフの新作になっているというので。このY字路シリーズは、はじめは写実的な作品から始まり、どんどん展開して行き、ひとつ毛色の違う「シー・ユー・アゲイン」が展覧会の最後にあり、その展開のダイナミックさに驚き、この作品を見て気持ちが高揚し、沢山のエネルギーをもらったような感じになったのを思い出す。
16:30前国立をたち、吉祥寺へ。
西荻の両親と妹家族と居酒屋で忘年会。
○ 2005/11/24
なんやかんやと、3連ちゃんで飲んでいるので、少し疲れて来たが、まあいつも通りに事務所へ。
KMHの図面のチェックをスタッフに指示。
「風のほこり」の資料を読む。昭和5年の話しだが、この時代の浅草は活気に満ちて面白いな。ほんとに凄い。
資料を読み、「東京人」の写真や桑原甲子雄の「東京1934〜1993」を見直す事で、漠然としていたものが具体的に立ち上がって来た。大きな枠組みは出来上がりつつある。これからはその枠組みをどのように彩っていくかだ。そこはもう、芝居の世界だ。
○ 2005/11/25
金曜日の朝刊には必ず、沢山の豪華な分譲マンションの広告が挟まっていたが、さすがに今日の朝刊には、一枚しかなかった。
今話題の構造計算書偽造事件の影響だろう。
この問題は、建築に関わるものとして、よく考えなければならない問題なので、軽卒にはコメントできない。しかし、昔からずっとおかしいと思っていたのは、一級建築士の資格の意味と確認申請という許認可制度のことだ。最終的に責任の所在がはっきりしない、これらの制度にどのような意味があるのか、いつも疑問だった。許認可の意味を調べると、「 行政行為の一。行政機関が国民生活の保全などを目的として、国民の行動を適法なものとするために行う規制行為。許可・認可・検査・認証など。「〜権」」(大辞林)とある。
建築確認の制度は本来的には国民生活の保全を目的としているだろう。しかし、現在ではその本質からそれているのでは、と思う事も多々ある。たとえば、以前日報にも書いた、階や面積の緩和対象の収納の扱いに、認定を受けた住宅は同じレベルから入れる(その時はミサワホームだった。それを広告で大々的にうたっている。)のに、個別の申請ではだめだったということ。個別の申請物件は、上もしくは下の階から入る場合しか認めないという。
今回の話しに全く出てこないが、型式適合認(大臣認定)という制度があり、構造といえどもこの認定を取得していれば、建築基準法外の構造形式を用いる事が出来る。先の同レベルからの収納の緩和ができる住宅は、型式適合認定の際にそれに関わる認定も一緒に取っているので、そうしたいなら認定を取って来てくれ、と役所はいうのだ。確かに構造は何度も実験をして、実績を積み上げて認定を取るので、この認定を取るのは、時間的にも費用的にも大変だ。しかし収納の緩和は、全く違うフェーズにあるのではないだろうか。
各人の責任で考えるよりも、だれかに決めてもらい、決められたものに対しては皆平等だと思う。そこから外れたものには自己責任とやらを問い、しかし、それを決めた責任者ははっきりせず、何かあっても何も責任を取らない。どこかで聞いたような話しが、確認申請という制度の中にもある様に感じる。そんな中で一級建築士という資格は、どのような意味があるのだろう。
「国民生活の保全」よりも、先に引いた辞書にもあったが、「〜権」すなわち「許認可権」が意味を持つようになり、その利権をめぐる様々な綱引きの結果が、今回の問題を引き起こすひとつの要因になっているように思えるのだが、いかがなものだろう。
そして、その辺りの事は何も報道されずに過ぎて行く。
KMHのスタッフ打ち合わせとMRHの内装の再確認、及び連絡事項いくつか。
TKOの概算見積りを建設会社が持って来てくれる。こんなにかかるのか。
「風のほこり」のエスキス。昨日資料を読んでいて、川端康成の「浅草紅団」を読んでおいた方が良さそうに思った。良く行く阿佐ヶ谷の古書店「銀星舎」にはありそうに思い、行ってみたら、ズバリ、棚に収まっていた。早速購入。なんだかこういうときは嬉しくなる。
今日、コピー機を入れ替え、パソコンプリントの周辺環境がグレードアップした。
○ 2005/11/26
8:30に事務所。メールチェックや日報のアップをして、スタッフが打ち合わせテーブルに置いて帰った、KMHの図面と模型のチェック。
11:00過ぎ、スタッフとその友人が事務所に来てくれて、パソコンのLANの調整確認をしてくれる。
14:30前事務所を出て、新宿のTOTOのショウルームへ。KTHのクライアントとショウルームにて水回りのものを見て回る。18:00終了。
事務所に戻り、明日の打ち合わせの資料を整える。
「室内・12月号」が郵便受けに入っていた。先日佐野さんと特殊メイクの中田さんを尋ねた時の話しが、連載の「現場の眼」no12にまとめられている。面白いので、どこかで読んでみて下さい。
横浜国大の室井先生のブログを見たら(http://tanshin.cocolog-nifty.com/)、唐さんが紫綬褒章を辞退していた、という記事について書かれていて、その記事の唐さんのインタビューを読んで、拍手喝采。
○ 2005/11/27
午前中、大和町の片付け。
13:30KMHのクライアントが大和町にいらっしゃる。
家の中を一通り見て頂き、打ち合わせをする。
夕方までいくつかのプランを説明し、要望を具体的にして行く。
暖かく、過ごしやすい日だった。
○ 2005/11/28
いつも通りの月曜が始まる。
昨日まとめた、コンテストに応募するための資料を再確認し、事務所にある資料も再度見直す。
NWHのエスキスチェック。
10:00にスタッフが来たので、その2つを指示。
11:30過ぎに事務所を出て武蔵野大学へ。課題提出が迫って来ているが、エスキスチェックには半分以下の学生しか来ない。果たして大丈夫なのだろうか。17:00大学を出る。
事務所に戻り、スタッフが準備してくれたコンテスト資料のたたき台をチェックして、手直しの指示を出す。
今日、「ねじまき鳥クロニクル」の再読終了。以前読んだときはあまり印象に残こらなかったのだが、今回は全く違う。とても深い物語が胸を打つ。はじめに読んだのは出版ばっかりの平成6年、11年前だ。30代の最後に近い。40を越えて、随分肉体的にも変化があり、廻りで起こったいくつかの出来事に精神的に影響を受け、考え方も変わって来たのだということを思い起こさせてくれた。
○ 2005/11/29
天気予報どおり早朝に雨が降ったのか、湿度が高い。自転車で走る角々のコーナーミラーが一様に結露している。
コンテストの応募資料が出来上がっていたので最終確認。
ザ・ハウスのコラムを書き始めるが途中でひとまずやめ、KTH の1階キッチンのエスキス。検討事項をまとめてスタッフに指示。
「風のほこり」の資料をまとめ、12:00前事務所を出る。枯れ葉舞う中杉街道を、自転車で鷺宮駅まで。西武新宿線に乗り花小金井へ。
13:00に花小金井で梁山泊のメンバーと落ち合い、ANAPの青田さんと待ち合わせ。
ANAPの青田さんは、TRHの時に螺旋階段を作ってもらった時からのおつきあい。今回の芝居に螺旋階段が出てくる。はじめは木で作ろうかと思っていたが、いろいろ当たっていったら青田さんのところにあるものを貸して頂けそうなので、皆で見いく。
ちょうど良い大きさで、皆も満足。きれいなデザインなのだが、資料を当たると、この芝居の時代設定の昭和5年前後は、分離派や創宇社の時代。こんなデザインがあっても全くおかしくない。貸して頂く事にする。その後ANAPの作業所を見せて頂く。自分たちで作ったとい半屋外の作業所は、コンテナをうまく使った魅力的なスペースだった。
その後、車で移動し街道沿いのマックに入り、セットや仕掛けについて2時間くらいミィーティング。やっと少しずつだが、もやもやしたものがはっきりし始めた。
鷺宮まで送ってもらい、自転車で事務所に戻り、慌てて資料を整え、OKBの打ち合わせに出る。
18:00OKBの打ち合わせを終え、19:00前事務所に戻る。
スタッフとNWHの簡単な打ち合わせ。慌ただしい一日だった。ふー。
○ 2005/11/30
スタッフが昨晩打ち合わせテーブルの上に置いていったNWHの図面のチェック。
NWH、MRHのスタッフ打ち合わせ。
13:00過ぎに事務所を出て、以前完成したEMHへ。簡単な打ち合わせのあと、NWHのお宅へ。来週プレゼンだが、事前に方位を見てもらうための平面図を持参する。
帰りに吉祥寺の駅ビルの書店で立ち読みしていたら、大学のジャズ研・スイング&ジャズの同級生の牧に声をかけられる。牧も中央線沿線に会社と自宅があるので、時々会ったりしているが、2ヶ月ぶりくらい。立ち話もなんなので、ちょっと飲もうということになり「みすず」へ。吉祥寺中通りにある「みすず」は学生時代中央線沿線に住んでいた仲間が、練習が終わるとだらだらと連なり、しょっちゅう飲みに来ていた店だ。牧は三鷹の吉祥寺よりに住んでおり、時々顔を出している事を聞いていた。一度行こうと言われながら、なかなかその機会がなかった。だから本当に何年ぶりになるのだろう。おじさんもおばさんも変わりなかった。好物の軟骨は相変わらずうまかった。
19:30前事務所に戻るが、飲んでしまったのですぐ帰る。
○ 2005/12/1
いよいよ今年も残すところ、一月。12月初日は、とても寒い朝だ。
メールチェックと日報のアップ。まずい、風邪をひいたかもしれない。
様々なスタッフ打ち合わせで時間が過ぎて行く。
15:00過ぎ、武蔵野大学の学生2人がスケッチを見せにくる。
17:00前事務所を出て、船堀のTNHへ向かう。5年前に竣工したTNHは、1階が駄菓子屋+もんじゃ焼き+イタリア料理のお店で、2、3階が3世代のお住まいになっている。今日は16:00前から「室内」の峯田さんが取材に入っている。夜の部の撮影にお邪魔する。
久しぶりに会ったクライアントご家族は全然変わっていなかったが、大きくなったお子さんを見て、時間の経過を感じた。
カウンターに座らしてもらい、ビールを飲みながら撮影に加わる。全て終了して、小上がりで峯田さんと写真家の瀬戸山さんと鉄板を囲み、もんじゃとお好み焼きを頂く。いろんな工夫がされていて美味しかった。
今回初めてご一緒した瀬戸山さんの写真は時々雑誌で拝見していたが、なんと「教室を路地に!」唐十郎・室井尚(岩波書店)の表紙などに使われている、唐さんの原稿の撮影をした方だった。
瀬戸山さんは飛騨国府で梁山泊の芝居を見ていたり、荒木経惟さんの弟子で「写真時代」の話しが出たり、とても楽しい時間だった。21:30頃おいとまする。
○ 2005/12/2
今日も朝は寒い。12月に入って急に冬模様だ。
朝は事務所で連絡事項や日報を書いていたが、途中で出掛ける時間になる。
9:30過ぎ、MRHの現場へ。内部階段も出来上がり、外壁も半分くらい完了し、確実に進んでいる。
11:30過ぎスタッフを残し現場を出る。渋谷のパルコのロゴスギャラリーの、寺山修司生誕70年 寺山修司+森山大道『あゝ、荒野』展(http://www.parco-art.com/web/logos/terayama/)に立ち寄る。
14:00前事務所に戻り、KTHの打ち合わせ準備とNWHのスタッフ打ち合わせ。
その後、「風のほこり」のセットスケッチ。
19:00、ザ・ハウス忘年会。一年ぶりの方たちがいっぱいだ。
○ 2005/12/3
朝事務所にちょっと立ち寄って、NMHへ。10:30からNMHのクライアントにお願いして、KTHのクライアントご家族と一緒に中を拝見させていただく。
11:30においとまし、立ち話で検討図面の説明を簡単にして、終了。
その脚で「ドイツ写真の現在」を見るため、東京国立近代美術館に向かう。竹橋でおり、何か食べようとパレスサイドビルに入ってみる。外は何度も眺めているが、中に入ったのは随分昔のような気がする。ステンレスメッシュで編まれた階段や丸いコアは有名だが、急に視界に入ったメインエントランスは、低い天井と大きな階段からなる広々とした空間で、気持ちがよい。今日は土曜日なので人が少ないが、平日は沢山の人の動きが、より空間に魅力を増すのではないか、と思われた。日生劇場のホワイエの階段も同じ魅力があるが、あちらが劇場というハレの世界なら、こちらはケの世界の確実さがある。
「ドイツ写真の現在」はとても刺激的な展覧会だった。写真を撮る事、見る事の意味を考えようと、迫られる展示だった。同時に開催されていた、「アウグスト・サンダー展」が、それをより深めてくれる。
そして、もうひとつの同時開催の「所蔵作品展 近代日本の美術」の特集:岸田劉生の展示のひとつ<道路と土手と塀(切通之写生)>1915年 油彩・キャンバスには驚いてしまった。写真などで見て良く知っている絵だが、現物は初めて。岸田劉生の「写実」へ向かう気持ちの強度が直に伝わってくる。その真摯さに、感動した。
16:00前事務所に戻り、懐かしい連絡等有り、夕方から「風のほこり」のセットの検討作業。
○ 2005/12/4
一日大和町。本格的な冬の天気になった一日。
「風のほこり」のスケッチと図面作業。
○ 2005/12/5
空は晴れているが、風は北風。ピューピュー吹抜けて、銀杏やケヤキの葉っぱが舞っている。
日報のアップとメールチェック。
「風のほこり」の道具帳を作成し、その他の図面と梁山泊へメール。
MRHのスタッフ打ち合わせ。
11:45事務所を出て、武蔵野大学へ。空間造形4のプレ提出1週間前のエスキス。3分の2の学生が見せにくるも、果たしてまとまるのか心配な学生もちらほら。だんだん余裕が無くなってきて、今が一番厳しい状況なのだろう。客観的に自分のやっている事を全く見れなくなってしまっている学生もいる。まあ、これは自分たちの仕事にもそういう時がたまにあるが、学生たちはその状況からの自己修復の経験が少ないので、心配だ。
19:00過ぎ事務所に戻り、MRHのスタッフ打ち合わせ。
夜テレビで「ウメ子」を見る。新聞を見て面白そうなので見始めた。監督は結構好きな映画「桜の園」の中原俊さん。テレビドラマっぽくない映像で、最後まで楽しく見てしまった。最後のクレジットロールに、「ガラスの使途」の撮影監督だった猪本雅三さんの名前を見つける。登場人物を優しく包み込むカメラは猪本さんだったのだ。
○ 2005/12/6
9:00、MRHの現場。最終のクライアント打ち合わせ。内部造作ももう一息。仕上がりが楽しみになって来た。25日にオープンハウスをさせて頂く事に、クライアントから了解いただくも、もう少し進行状況を見て最終決定をしよう。スタッフを置いて、先に現場を出る。
昼に事務所に戻る。
メールチェックにスタッフ打ち合わせ、身の回りの簡単な整理、日報のアップ。
18:00過ぎ、自転車で東中野の新宿梁山泊の稽古場に向かう。
メールしておいたセットの図面を説明し、19:30過ぎから頭からの稽古を見る。無理矢理ながら結局最後まで通す。
ひとりで黙読していると難しい芝居だが、やはり役者が台詞のやりとりを始めると、とたんに台詞が立ってくる。わかりやすくないのだ。そこが唐さんの戯曲の魅了で、懐が深い。
台詞一行の言い方で、全体のトーンががらりと変わる。建築の設計も同じだな、と感じる。いくつかの大事なニュアンスを見逃さず、きつんと詰めて行くことに依って、思っている空間を手に入れていくような。
23:00前、終了。
○ 2005/12/7
昨日は大和町に戻り寝たのが遅かったので、少しゆっくり置き、9:00に事務所に。
スタッフが置いて帰った図面や模型を見直す。
KTHのスタッフ打ち合わせ。特殊メイクの中田さんに電話。梁山泊の梶村が芝居の件で、中田さんの作業場にお邪魔させて頂きたい事をお願いし、快諾いただく。すぐに、梁山泊の梶村に連絡。
NWHのスタッフ打ち合わせのあと、お隣のアートスペース煌翔を訪ねる。11月19日から12月9日まで「秋田小吉展」が行われている。(詳しくはhttp://www.kohsho.co.jp/)いつも出掛けるとき、入り口の案内を見て、気になっていたのだが、やっと見に行く事ができた。
「ガラスの使途」と「風のほこり」のチラシを持っていく。そのチラシからまた新たな共通の知り合いが見つかる。11日に行われる、かわなかのぶひろさんのフィルム上映会に誘って頂く。
用事を足しに阿佐ヶ谷駅前まで出掛けたので、なんとなく南口前の古書店をのぞくと、平積みしてある「朝日クロニクル・週間20世紀」が眼に入る。一番上にはエノケンのアップ。1929年・昭和4年の号だ。「風のほこり」の時代設定の昭和5年はないかと下をみると、なんとあるではないか。チラリとめくれば、「特集2:エロ・グロ・ナンセンスーそれは、やけくその空騒ぎだった」とあり、2号連続でカジノ・フォーリーについて書いてある。6年は、と探すがさすがになく、20冊くらい積まれていた中に、昭和初期はこの2冊だけ。こんな偶然嬉しくなる。一冊200円。即購入。
レジに行こうとふとまた眼を向けると、本棚の下の陰に面白そうな本が。前の本をずらし苦労して取り出してみると、「毎日グラフ別冊・寺山修司/反逆から様式へ」と言う本。あまり見かけない本で、1975年の阿佐ヶ谷を中心に展開された、「市街劇・ノック」の公演レポートもたっぷりだ。先日ロゴスギャラリーで寺山修司生誕70年 寺山修司+森山大道『あゝ、荒野』展を見て来たので、この本に引き寄せられたように思い、安かったので入手。
そんな事が、時たまある。
事務所に戻り、郵便受けをから郵便を取り出す。喪中の葉書が2通。今年は喪中の葉書が多い。両親が亡くなる年齢にさしかかっている事を改めて感じる。
OKBのスケッチ。その他細かい打ち合わせ。
○ 2005/12/8
朝いつも通りに事務所に来るが、なんだか疲れが溜まって来たような感じだ。乱れに乱れたデスクトップ上を少し整理する。
10:00、NWHのクライアント来所。第1回目のプレゼンテイション。ご主人には初めてお目にかかったが、とても楽しい方で、2時間があっという間に過ぎていった。
「室内」の峯田さんから来ていた、先日取材したTNHについての質問を返したり、ザ・ハウスのコラムを書いたり、借りっ放しの本を図書館に返しにいったり、細々としたスタッフ打ち合わせをしたりで一日が過ぎて行く。
昨日の朝日の夕刊に、「ガラスの使途」の広告が大きく掲載され、唐さんのインタビューがのっていた。
この映画は、唐さん扮する天才レンズ磨き職人が主人公だ。そしてインタビューで、『誰でも仕事や作業をしながら、「いいものを創りたい」「こういうものを創りたい」と、創るものと対話をしているのだと思います。創っているものから「俺の使いをしっかりつとめろよ」、という声を聞いている。現代社会に生きる一人ひとりに、自身が抱えているものからの指令、その深い言葉を聞いてもらいたい。この映画がその一つの媒体になればと思っています。」と話している。
この言葉、内田樹さんの12月7日のブログ(http://blog.tatsuru.com/)にもリンクする。何年か前からものを創る人にこだわって来た唐さんは、今日日のいたたまれない状況を察知し警告を発していたのでは、と思えてならないのだが。
○ 2005/12/9
朝起きたら鼻が出て、喉もむずかゆい。風邪かな。昨日感じた疲れは、これか。
ついにスタッフたちが使っているiMacG5を修理に出す事にした。購入したのが今年のはじめ。2、3ヶ月前、突然2台が同じ時期に、立ち上げると凄いファンの音がしたり、ファインダーが乱れたりし始めた。いろいろやってみたが、調子は悪くなるばかり。Macユーザーの梁山泊の大貫に聞いてみたら、そうなったらどうしようもないから、すぐ修理に出した方が良いとの事。これも昨日の日報に書いた、内田樹さんのブログにあった「初期不良」の小田島さんのコメントと同じだ。困ったもんだ。
16:00、下北沢のスズナリを舞台監督の村松さんと梁山泊の三浦さんと訪ね、打ち合わせ。
その脚で、武蔵野大学へ向かう。「環境デザイン論レクチャーシリーズ2005」という講座が毎週金曜日に行われている。今日は写真家の長倉洋海さん。長倉さんの「ザビット一家、家を建てる」という写真集を持っていて、長倉さんという方にとても興味があり、ぜひこの回は参加したい、と思っていた。
18:00にレクチャーが始まり、最初の一時間でザビット一家の写真を中心にしたスライドをいろいろ拝見する。その後、長倉さんがザビット家との関わりからなにを感じたか、世界を回ってなにを考えたかの話しが続いた。
切られれば血が出るような関係から、いろんな事を感じとって来られている長倉さんの話しは、とても説得力がありリアルだ。
講演終了後、実習棟に移っての懇親会にも参加させてもらい、近くで少し飲みながら話しが出来たのも楽しかった。
長倉さんの話しから考えたのは、写真に対して解釈をしない、感じる事が大切で、感じた事から考えをスタートすれば良い、という事だった。
○ 2005/12/10
朝事務所に来て、昨日武蔵野大学に行った時、課題の作業をしていて相談を受けた、空館造形4の学生に、昨晩考えたことをメール。
連絡事項いくつか。
11:00、OKBの想定工程表を建設会社が持って来てくれ、説明を受ける。
ザ・ハウスのコラムを書き上げ、送信する。
デスクトップだけでなく、散らかしっぱなしのデスクも少し整理する。
気がついたら11月25日にラフィアンのレポートが更新されていた。
20051125
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和で調整中。坂路でキャンター1100m1本の運動をしています。乗り出した頃に比べ、楽に走っている感じ。手応えがぐっと良くなりました。物怖じしやすい一面があり、些細なことに反応するものの、鞍上を信頼しているため、意思の疎通はスムーズです。
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和で調整中。坂路でキャンター1100m1本の運動を再開しています。早速、トモの筋肉が張り出してきました。さすが父の産駒といった馬っぷりです。すっと加速する脚があり、踏み込みも力強く、先々のスピード調教が楽しみでなりません。いまのところ折り合いもぴたり。
○ 2005/12/11
午後、10年前に完成したSTHを訪ねる。何日か前に連絡を頂き、地続きの土地が分譲されることになり、そこを入手しお母様のお住まいを検討し始めた、とのこと。ただしその土地はハウスメーカーの建築条件がついており、土地を入手するためにはその条件は外せそうにないが、地続きをうまく活かすようにしたいので相談したい、という電話だった。
伺って話しを伺うと、本当に巡り合わせというものはあるのだな、と感じる土地の分割のされ方で、ハウスメーカーからの計画や見積りについて、できる限りのアドバイスをする事にして、2、3時間お話をする。
このお宅が、完全に独立して、一人で住宅の設計をした初めてのお宅。10年経ったと思えないほど、丁寧に住んで頂いている。僕もまだかろうじて30代だった。いろんな空間に、一生懸命にやった事を思い出させてくれる部分があり、初心を思い出させてもらう良い体験だった。
18:00大和町に戻り、18:30過ぎ再び出掛ける。自転車で事務所の隣のアートスペース煌翔へ。先日伺った時に誘われた、映像作家の、かわなか のぶひろさんのフィルム上映会。到着するとすでに、かわなかさんや幾人かの方がビールを飲んでおり、早速紹介いただきビールを頂く。19:00過ぎから上映しようと言っていたが、話しが盛り上がって来て、皆んで車座に座り飲み会が始まる。イメージフォーラムのかわなかさんの講座の学生さんも何人か参加している。
しばらく話し込んだあと、30分くらいのフィルム二本(かわなかさんは「日記」と「アジアの元気」と言っていらしたが、フィルムの最初には別の題があった)が上映された。お名前は存じていたが、初めてかわなかさんのフィルムを見た。とても素敵なフィルムだった。かわなかさんの心象スケッチのような映像なのだが、当たり前だが、映像のもつ特性がとてもさりげなく考えられた掌編だった。写真でも、個人フィルムでも、このようなさりげなく完成度の高い作品は、素人に自分でも撮影して作品を作ってみたい、と思わせる。まさしくそう思った。でも、そんな簡単ではないのだよな、しばらく経って冷静になった。しかし、それくらい見た人に沢山の事を感じさせてくれる映像だった。
23:00、飲みながらの歓談はまだ続いていたが、おいとまする。かわなかさんや先日までここで作品展を開催していた吉野辰海さん達皆さんは、60代なかばという事だったが、お元気だ。
○ 2005/12/12
朝日報をアップし、土曜日に現場に行って来たスタッフと打ち合わせ。
13:00、武蔵野大学、空間造形4。提出一週間前の最後のエスキス。ばらつきがあるが、とりあえず講評会の発表者を決める。その後もエスキスを続ける。帰りに、水谷先生と吉祥寺で軽く飲む。
23:00、大和町に梁山泊から電話があり、明日稽古場に行く事にする。何となく気になって、午前中電話していたのだが留守で、午後から夜はずっと学校だったので、連絡つかなかった。にわかに慌ただしくなって来た。
○ 2005/12/13
昨晩帰って来てから空間造形4のエスキスで気になったこといくつかあったので、朝事務所で学生にメールする。
KMHとOKBのスタッフ打ち合わせ。
昼に自転車で事務所を出て、新宿梁山泊の稽古場・満点星へ。13:00から、セットの細かい打ち合わせ。いくつかの図面を書いて、15:30満点星を出る。帰りに中野ブロードウェーの3階に寄って、雑誌のバックナンンバーを探す。どこにもなかったものがここにはある。
16:00過ぎ事務所に戻り、進行中のプロジェクトのスケッチなど。
○ 2005/12/14
先週末から、本当に寒くなって来た。やはり、最高気温が10度を切ると違うな。
「風のほこり」セット、思いついた事があったので、梁山泊へファックス。映画「ガラスの使途」は今週間末17日に封切り。芝居「風のほこり」も19日から仕込み。22日初日、と大詰めだ。
9:00に事務所を出て、MRHの現場へ。今日はキッチンの設置が行われている。内部造作ももう一息。最後の工事を慌てないでやってもらうために、25日に開こうかと思っていたオープンハウスを、来年の9日に延期する事にした。もうしばらくで足場がとれる、楽しみだ。
スタッフを残し、11:00過ぎに現場を出る。
昼に事務所に戻り、連絡事項いくつか。昨日梁山泊で書いて来た手書きの図面を、CAD化する。アクリルミラーを加工してもらうのにCADデータがあると早くできる、との連絡があった。アクリルだから、レーザーで切り抜くのだろう。図面が機械へインプットするデータになるという、CADの利点が発揮されるわけだ。
「吉阪隆正とル・コルビュジエ」の著者、倉方 俊輔さんのブログ(http://kntkyk.blog24.fc2.com/)を見たら、「大学セミナー・ハウス(東京都八王子市、吉阪隆正+U研究室設計)の 宿泊ユニットのほとんどを2006年3月までに取り壊すという計画が、 (財)大学セミナーハウス(理事長:中島嶺男、館長:荻上紘一) によって進められています(以下、敬称略)。 」(中略)「宿泊ユニットのほとんどが近日中に取り壊されるという計画の詳細が、 いま、知れ渡っているとは言えません。 少なくとも、これを知らせることは大事だろうと思います。
もし、関心を持たれましたら、他の関心があるであろう方に、 できるだけ広くお伝えいただければ幸いです。 」とあった。
昨年建築会館で行われた、「吉阪隆正展」に迫力ある粘土模型が出展されており、その形の豊かさに改めて気づかされた。そして、なんといっても建築学科に入学し、初めてのオリエンテーションがこの大学セミナーハウスであり、起伏に富む大地に配置された建築群を体験したのが、建築へのイニシエーションだった事を思い出す。
確かに、性能的には現在当然とされるスペックからだいぶ外れてしまっている事は伝え聞いいていたが、やはり100棟あっての宿泊ユニット群である事には変わらないだろう。その100棟が、自然と朽ち果てていく姿を想像できる、まさに生きている建築・集落としての魅力を有した、希有な建築作品だと思うのだが。どうにかならないものか。
夕方、遅くiMacが修理を終えて戻って来た。どうやら、直って来たようだ。
○ 2005/12/15
この2、3日、鼻をかむと鼻血が出る。以前も、左側の鼻の中の血管が切れ、鼻血が止まらなくなった事があった。その時の医者が言うには、鼻の中の骨が元々左側に膨らんでいて、(慢性的に蓄膿気味なのはそのせいで)負担がかかり、鼻をかんだりする時に切れやすいそうだ。今回も同じ左側だ。寒くなって、血管が収縮して、切れやすくなっているのだろうか。
早く医者にいた方が良さそうなので、いくつかキャンセルして近所の耳鼻科を探すも、木曜休診のところばかり。明日朝行く事にする。
そうこうしているうちに、10:00になり、設備事務所などが予定とおり来所、OKBの打合せ。
昼前に終了。朝キャンセルした方に連絡するも、もう今日は無理なので、来週ということに。
相談を受けている、建築条件付きの住宅の、僕なりの平面を作り上げファックス。その後、進行中のプロジェクトのエスキスを続ける。
夕方から夜にかけて、梁山泊より連絡がある。稽古場にパネルを立て込んでみたら、不都合な部分が生じたとのことで、変更の相談。いよいよ押し迫ってきた。
○ 2005/12/16
昨晩大和町に帰ると、私道が取り付く公道が全て土になっていた。ここ2週間くらい、舗装のし直し工事が進んでいた。L型側溝も新しくなり、アスファルト舗装前の状態なのだろう。
自然の中や田舎に行けば、もちろん土の道はある。でも、街の中に突然現れた土の面は、とても存在感がある。
今朝、事務所に来る時にその道を通ると、新しくて白いL型側溝に縁取られた、細く長く続く土の道は、そこだけ突然タイムスリップしたみたいに見えた。残念ながらカメラを持っておらず、残せなかった。きっと今日でまた、アスファルトに戻ってしまうのだろう。
まあたらしいL型側溝に縁どられし土の道。一瞬の昭和。
メールチェックと日報をアップして、9:00前近所の耳鼻科へ。
僕のような症状の人間は、今年のように急に乾燥状態になると、鼻の中が乾燥して粘膜が弱くなり、鼻血が出やすくなるのだそうだ。そういう人は、結構いるらしい。鼻の中が乾燥しないように塗り薬をもらい、マスクをして鼻が冷えず乾燥しないように注意するように、と言われた。ついでに鼻血が出た時の止め方も教わる。
事務所に戻って、エスキスや作業。午後、スタッフ打合せ。MRHの引き渡しの段取り連絡。
17:00から六本木の構造の吉田さんの事務所で打合せがあるので、15:30に事務所を出て、打合せ前に乃木坂のギャラリー間に「日本の現代住宅1985-2005」を見に寄る。123軒の住宅の模型が展示されていた。
印象的だったのは、伊東豊雄さんの「シルバーハット」から始まっている事。なるほど「都市住宅」が1986年に休刊。俗に名作住宅と呼ばれる住宅の時代から、草の根住宅・都市住宅の時代を経て、住宅の新しい世界を開いたのが、「シルバーハット」といっても良いだろう。
一番驚いた模型は、妹島和世さんの「梅林の家」。100分の1の模型を覗き込むと、窓から5mmくらい向こうに壁がある。平面でわかっていているが、模型として目の当たりにすると、今までにない空間がリアルに立ち上がってくる。
一番建築としてリアルに感じたのが、安藤忠雄さんの「4m×4mの家」。そこに広がるであろう空間が、密接に想像できた。この感覚は、安藤さんの他のプロジェクト展で見た模型にも体験した事のある感覚だ。
KTHの構造打合せを18:00過ぎに終え、皆んで事務所を出て、築地市場厚生会館1F「魚四季」で忘年会。
とっても良い店で、でっかいブリのカマやマグロのあご、新鮮な魚介類を味わい尽くす。
帰りに、地下鉄銀座の入り口階段脇に、「ガラスの使途」のポスターを見つける。いよいよ明日、封切りだ。
○ 2005/12/17
今朝、大和町を出て、私道を自転車を押していたら、変な声が聞こえる。低く唸るような声の後に、クルクルクルーというような声がこける。それが同じ間隔で何度も続いている。どこから聞こえるのだろうと思いながら公道まで出ると、斜め左前の家の塀に猫が、30cmもはなれていない門扉の上にカラスがいて、見合いながら声を上げている。「手術台の上でのミシンと蝙蝠傘の出会い」ほどではないが、シュールな光景だった。はたして猫とカラスは会話をしていたのか。争っているようには見えなかったのだが。「海辺のカフカ」ではないが、流石中野区、これくらいの事があっても不思議でないのかもしれない。
しばらく呆然と眺め、ハッとデジカメを取り出したが、時すでに遅く、カラスは飛び立ってしまっていた。
事務所で雑務をいくつか片付け、11:30に恵比寿の写真美術館へ向かう。今日、「ガラスの使途」が封切りで、13:10の回の最後に初日の舞台挨拶がある。写真美術館ホールはほぼ満員。上映終了後、唐さん、佐藤めぐみさん、稲荷さん、金さんが舞台に上がり、初日の挨拶。最後には唐さんのお嬢さんでこの映画でデビューした、美仁音ちゃんも舞台に上がりマスコミの取材。
久しぶりに見た「ガラスの使途」、大好きなレオス カッラクスと比べるにはおこがましいかもしれないが、ひいき目に見ればそんな片鱗があるのではないか、(と言ってしまうと、贔屓の引き倒しか。失礼。)と思った。御覧になった方、感想を聞かせて下さい。
帰りに、新宿の書店に寄り、夕方遅く事務所に戻る。
○ 2005/12/18
今週から来週末は、オープンハウスが多い。今日も案内を頂いているのだが、ちょっと疲れてしまったので、一日大和町にいる事にする。
溜まった新聞を読んだり、書籍を整理したり、進行中のプロジェクトのスケッチを行う。夕方バリカンをあてる。
新聞を読んでいたら、朝日新聞の物故者の記事に、コメディアンのショパン猪狩さんの記事があった。何度見ても、ネタが分かっていても面白かった「東京コッミックショウ」。子供の頃、「大正テレビ寄席」に「東京コッミックショウ」が出てくると、日曜の午後がとても幸せな時間になった事を思い出す人も多いのではないだろうか。
○ 2005/12/19
本格的に寒くなって来た。大寒波が日本列島を覆っているようだ。
昨日、一日休んだので、だいぶエネルギーが溜まった。
今朝から、新宿梁山泊は下北沢ザ・スズナリで仕込みだが、武蔵野大学の最後の授業の講評会で、今日は現場に行けない。まだ一度も仮組した事がないセットなので少し気がかりだ。朝、螺旋階段の件で梁山泊の三浦さんから連絡がある。
11:00前に武蔵野大学へ向かう。
12:00から、提出された図面や模型をチェックして、講評会の発表者の確認をするが、うちのスタジオは半分の学生しか提出されていない。もう、腹をくくるしかない。先週5人を指名していたが、3人しか発表できない状態だ。残りの半分は、まだ別の場所で作業中。
13:00過ぎから実習棟で講評会が始まる。4スタジオ、14人の発表が終わり、指名されなかったが発表したい、という意欲的な学生4人の発表を含め、20:30全ての講評会が終了。一年間の空間造形の授業が無事終わった。
水谷先生の研究室で、採点を確認し、21:00から同じく実習棟でお疲れの反省会。学科で用意してくれた、食事や飲物で歓談する。22:30終了。学生達もホッとしたのか、皆よい顔をしていた。
この一年間の経験や反省を、ぜひ自分の糧にしてもらいたい。というのも自分の学生時代の反省からそう切実に思う。お疲れさまでした。
水谷先生と、SAの田口さんと浅川君をねぎらうために、吉祥寺に出て屋台のおでん屋で一杯。
24:00前の電車で一緒に帰る。
○ 2005/12/20
9:00、下北沢のザ・スズナリ。セットはほとんど組み上がっていた。螺旋階段とセットの取り合いが心配だったのだが、大きな問題はなく組み上がっていた。一安心。
細かい問題点や手直し部分を打合せ。
13:00から場当たり。場当たりとは、役者がシーンごとに舞台上に立ち、照明や音楽のきっかけを確認して行く作業だ。15:30まで場当たりに立会い、セットはおおよそ問題なく進み始めたので、小屋を出て事務所に戻る。
昨日の昼前から今日夕方まで事務所にいなかったので、連絡事項いくつか。スタッフ打ち合わせ。
明日も現場で、夜はゲネプロ(衣装やメイクもして、本番と同じに行う通し稽古)。明後日は初日と今週はめまぐるしい。
昨日で、武蔵野大学の非常勤の一年目が全て修了したが、振り返ってみると、学生達とあれこれ課題を試行して行く作業は、僕にとってもとても刺激的な作業だった。唐さんが横浜国大に出向こうと決めた時、「いまだ会ったことのない若者の餓えたる魂はドラキュラであり、何百人というドラキュラが待っていて、こちらの血が吸われてはいけない。逆にこちらが吸い返してやろう。どういう血が吸えるのかなというところで、教壇に立ってみよう。」(「教室を路地に!」岩波書店)と考えたという。そこまではスリリングではないが、5月からの8ヶ月で随分自分の考え方も変わった。格好良く言えば、他者との関係の取り方により積極的になって行こう、より柔軟にしていこう、と言う気持ちに以前より素直になれるようになった、ということだ。
○ 2005/12/21
事務所を9:00に出てMRHの現場へ。南面の足場を残し、その他は全て足場がばれている。少し曲がった外観が、ツイストしてるようだ。早く軒天の木が張られ、手摺が付かないかな。
10:00からカーテンや照明のクライアント打合せ。クライアントも出来上がりが楽しみな様子で嬉しい。
11:30に現場を出て、昼過ぎ事務所に戻る。
どうも鼻の調子が良くない。鼻が出るのだが、鼻血が気になり鼻がかめない。無理して啜ると、少し鼻血が出て来たりする。スーと垂れてくる感覚が、水ばななのか鼻血なのか区別がつかず、やっかいだ。(汚い話しで済みません。)
スタッフ打合せや日報アップをして、16:30再び事務所を出て下北沢のザ・スズナリへ向かう。今日のゲネプロを、新さんに撮影してもらうので。
18:00過ぎゲネプロ開始。唐さんもいらしている。細かい問題はあったが、2時間で無事終了。
自分でもデジカメでスナップしていたので、舞台に集中できなかったが、ラストは初めて台本を読んだ時の感動が、舞台の上で再現されていた。明日の初日が楽しみだ。
○ 2005/12/22
昨日まで出ていることが多く、今日は初日で夕方にはまた出なければならない。この年末に明日からは3連休なので、年末調整、銀行、会計士事務所など、雑務雑務雑務。合間を見てスケッチ。明日からはゆっくり仕事ができそうだ。
荻窪の会計士事務所に自転車で行った帰りに古書店「ささま書店」に立ち寄ったら、なんとずっと探していた「夢の引用」武満徹(岩波書店)が棚に。以前クライアントから借りて読んだ、希有な美しさを持った本だ。映画についてのテクストを集めたものだが、そのテクストには武満徹の映画への愛情があふれている。装幀も美しい。はかない本だ。
17:30過ぎに事務所を出て、下北沢のザ・スズナリへ。19:00、満員で「風のほこり」初日開演。
休憩を挟み2時間の芝居。アッという間に終わってしまう。昨日のゲネの何倍も仕上がった。関係者の感想ということを割りびいても、とても成功したのではないだろうか。
短いが難しい芝居だが、丁寧に作って行ったことが芝居を成功させた、と初日を見たうるさ方が皆いっていた。本当にそうだ。
初日と、明日明後日のソワレの3回のみ、コビヤマ洋一がスケジュールの都合でNGで、金守珍がダブルキャストで演じている。唐十郎の台詞を久々に演じる金守珍を見て、1980年の状況劇場の公演「鉛の心臓」の双子のサンドイッチマンの芝居を思い出した。
終演後「眠亭」の2階で初日乾杯。大勢の人が集った。お疲れさまでした。
○ 2005/12/23
午前中、メールや連絡事項、スケッチをして、昼過ぎスタッフ打合せ。
今日も宴会。事務所を設立した頃住んでいた中野坂上の定食居酒屋「まこと」の忘年会。一年に一度、この忘年会に顔を出すだけになってしまったが、いつも声をかけてくれる。
懐かしい顔にあって、楽しい忘年会だった。
気がつけば、12月9日、ラフィアンが更新されていた。
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和で休養中。繋にケイクンが見られ、皮膚があかぎれのような状態になっています。治療の効果で回復に向かっているものの、たびたび患部を気にすることから、坂路調教を休止して普通放牧に切り替えました。毎日、静かに過ごしています。スタッフを煩わせることがありません。
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和で調整中。坂路でキャンター1100m1本の運動をしています。一瞬の動きが俊敏。軽く仕掛けただけで、すっと脚を伸ばします。騎乗者は「最近は、余計なことに反応を示す。もう少し気性が成長してくれれば」と今後の課題を挙げていました。
○ 2005/12/24
昨晩も風呂に入ったら、鼻血が出て来て止まりにくかったので、朝耳鼻科に立ち寄る。温度差が激しいと出やすいので、風呂などは一番出やすい環境だ、ということ。とにかくマスクをかけて乾燥させないように心がけることだそうだ。厄介だな。
事務所で日報のアップ、メールチェック、スケッチ。
進行中のプロジェクトを整理する。少しはすっきりした。
2、3日前に届いた「吉阪隆正の迷宮」2004年吉阪隆正展実行委員会編(TOTO出版)を開封する。貴重な写真も沢山あり、密度の高い本になっている。今読んでいる「カーテン-7部構成の小説論」ミラン・クンデラ/西永良成訳(集英社)を読み終わったら、早速読んでみよう。(この本、結構読み進むのが大変なのだが。)
○ 2005/12/25
一日大和町。
文章を書いたり、スケッチしたり。
ディープインパクトは飛ばなかった。
○ 2005/12/26
今年も残すところあと一週間。月並みだが、時間が経つのが早い。
スタッフ打合せと連絡事項、明日の打合せの準備などをしていると、アッという間に時間が過ぎていってしまう。
工作社の峯田さんから「室内」2006年1月号が送られて来た。
この間取材に行った、船堀の「田中や」さんの様子が掲載されている。何と24ページから30ページまで。7ページの大盤振る舞い。(http://www.shitsunai.jp/)
楽しそうで美味しそうな(本当に楽しくて美味しいのです。)様子が伝わってくる。時間とともに変わっていく「田中や」さんが良く現れていた。(江東区とあるが、江戸川区です。)ご近所の方はぜひ一度立ち寄ってみて下さい。
○ 2005/12/27
11:00KTHのクライアント打合せ。基本設計の最終確認。
14:30過ぎ終了。私用を済ませ、渋谷へ。
今晩は昔代々木・参宮橋に事務所をシェアーしていたグループが中心となって、毎年行われている、設計事務所仲間の忘年会。
まだ、時間があったので、ブックファーストへ。
19:00から、忘年会。40人くらい集る。ここでも、一年にいっぺんの顔が沢山だ。21:00過ぎに終了。
何人かで二次会の場所を探すも、どこも一杯。今日明日が忘年会や納会のピークか。渋谷も人だらけ。
二次会グループから別れ、奥村君と2人で近くの居酒屋に入る。
0:00近くまで飲んで、駅に向かうと、中央線で接触事故があったとのことで、電車は遅れ超満員。やれやれ。
○ 2005/12/28
朝、昨日スタッフ打合せ。
メールリストを整理して、オープンハウスのお知らせをメール。
14:00、3年前に竣工したKBHへ。洗濯機の排水が詰まってあふれ、水がまわってしまった部分を点検しに、建設会社お邪魔する。
竣工した時に誕生したお嬢ちゃんが、大きくなっていてびっくり。3年経ったのだから当たり前だが。ここでも時間の経過を痛感した。
帰りに神保町の源喜堂で探していた「現代日本建築家全集15吉阪隆正・芦原義信」(三一書房・1971年)を見つける。1600円。南洋堂やその先の古書店を見て回ろうとしていたのに、あっさり見つかってしまった。
夕方事務所に戻り、スタッフ打合せ。
今晩はチェ・ミキの福井の友人一家が大和町に泊まりに来ているので、18:00過ぎに事務所を出て、大和町に戻る。
○ 2005/12/29
朝から、年賀状用のメールアドレスの整理と大掃除ならぬ、小掃除。合間を見てスタッフ打合せ。掃除途中で事務所を出て、MRHの現場へ。
結局年内には完成しなかったが、クライアントと一通り現場を見て、年明けのスケジュールの確認をする。
足場が完全にばれて、南側の木の外壁と手摺が付いた外観に、クライアントは満足そうだった。良かった。
今日は、スタッフもこの現場に後から来て、そのまま納会に移ろうかと思っていたが、まだ現場作業の真っ最中なので、来ているスタッフ電話させ、事務所待機にする。
われわれも夕方事務所に一度戻る。18:00過ぎまで、掃除や作業の整理をして、近くの「たんどたん」という店に行って、納会。北口の「あるぽらん」に移って二次会。
23:30過ぎ終了。
○ 2005/12/30
この年末は、映画の封切りや芝居の初日があったりして、なんだか慌ただしく過ぎって行っている。
昨日机廻りの整理が終わらなかったので、朝遅めに事務所。細々とした整理とメールアドレスの整理をする。
午後、スタッフが事務所に来て、図面のまとめをしている。
年明けも、事務所は9日のオープンハウスからだが、4日と7日に現場打合せが入り、5、6日は下北沢のスズナリで、「風のほこり」から「楽屋」へ飾り変えの作業があり、早々から慌ただしそうだ。
夕方に事務所を出て、大和町用の松飾りなど買って帰る。
今日から2006年1月9日まで、事務所は正月休みなので、日報もちょっと休憩。
よいお年をお迎え下さい。
来年もよろしくお願いします。
○ 2005/12/31
一日大和町。
CDと書籍の整理。
朝、事務所。
メールチェックに連絡事項。
事務所模様替え計画とMRHの打ち合わせ。
KNHのスケッチと図面作業。
KOHの詳細打ち合わせ。
と、新しい年になっても同じように時間は過ぎて行く。
今年になってから、事務所には何日か来ていたが、やはり周りが休みモードだと、こちらも休みモードになってしまう。
そんな日々が長く続くと、朝から夜まで仕事をするのが嫌になってしまいそうになる。
そんな気持ちに、最近はなり易い。
昨日の夜まで、はたしてきちんと事務所に来れるのか、いささか心配であったが、とりあえず杞憂だった。
○ 2005/1/12
朝、事務所。
9:30過ぎ事務所を出て、BBHの現場へ向かう。
10:30過ぎから近隣挨拶をして、11:30、BBHの地鎮祭。
新年の新しい現場。身が引き締まる。
15:00、KOHの板金、鉄骨階段の打ち合わせ。明日から建て方。
事務所も阿佐ヶ谷に移ってもうすぐ2年。更新の時期なのに管理会社は何も言ってこないので、気になって電話したら、なんと建て替えの計画があるとのこと。詳細ははっきりしていないが、ここを移らなくてはならくなりそうだ。
せっかくパソコンの環境も変え、模様替えまで考えていたのに。ショックである。
そんなこんなで、夕方はバタバタ。
17:30、ミリメーターの笠置さんと宮口さんが、宮口さんの実家に帰った時に買ってきてくれた、新潟のお酒を持ってきてくれる。地震の被害はなかったそうだ。
少し事務所で飲んで、アルポランに移動。
23:00過ぎまで、飲む。
○ 2005/1/13
年が明けてから、朝随分冷え込むようになった。
朝、いくつかの雑用。
10:00、星とMRHの打ち合わせ。
朝から、KOHの建て方が始まっている。
KNHの図面作業をして、14:00KOHの現場へ向かう。
重機が使えず、大きな梁と特殊な接合金物で、建て方は大変だが、着実に組み上がって行っている。
帰り道、事務所のすぐ近くにきれいな住宅が出来上がりつつあった。
今まで足場がかかっていたのでわからなかった。
たまたま設計事務所の方がいらしたので、話をさせていただく。来週末にオープンハウスがあるとのことで、その時見せていただくことにする。
17:30、高橋来所。長崎土産を持ってきてくれた。
引き続き、KNHのスケッチ。
○ 2005/1/14
朝、事務所。
日報のアップといくつかの連絡。
KNHのスケッチと図面作業。
15:00、KOHの現場。建て方はほほ完了していた。
外形はシンプルだが、稜線と接合部が複雑で、重機も使えない現場なので、もっと時間がかかるかと思っていたら、見事に二日で完了した。
プレカットの建材会社が凄い能力を発揮した。
構造の山崎さんのチェックも入り、明日の天気予報の雪に備えた養生を始めたところで、事務所に戻る。
引き続き、KNH。
<マイネポリーヌ>
13日(木)美浦からビッグレッドファーム明和に移動しました。パドックで放牧されています。左トモに疲れが感じられ、飛節を気にする仕草も見せることから一息入れることになりました。立て直して、芝のレースが増えてくる頃に帰厩させたいと考えています。
○ 2005/1/15
天気予報は雪だったが、朝から冷たい雨。
今日はいくつかの予定が重なって入っていて、どうしようか思案中だったのだが、昨日までにすべてがキャンセルになってしまった、という変な日だ。
事務所で、進行中のプロジェクトの検討と確認。
昼過ぎに、事務所を出てヨドバシカメラにアイマックの注文に行くことにした。
ふと気がつき、原一男監督「またの日の知華」の時間を調べたら、丁度良かったので見に行く事にした。
「またの日の知華」は、金久美子さんの遺作となった映画だ。
14:00前に映画館に着くと、今日が初日で舞台挨拶があった。
監督や出演者と一緒に久美子さんの遺影写真も舞台上にあった。
久美子さんの登場シーンのラストは、微笑んだ顔のアップだった。
スタッフの追悼の思いが、ひしひしと伝わってきて、胸が熱くなった。
スクリーンで見れて、良かった。
○ 2005/1/16
一日雨。一日大和町。
午前中、KNHの図面作業。
午後、MRHのスケッチ。
「犬猫」と「またの日の知華」のパンフレットを読む。
○ 2005/1/17
今日は良い天気になった。
昨日チェックしたMRHの断面の指示を星に出す。
日報のアップと、連絡事項。
BBHの基礎の確認。
11:30、KKHの現場担当者が竣工図を取に来てくれる。
KNHのスケッチを続ける。
14:00、KOHの現場。ホームコネクターという接合金物の樹脂注入の説明に立会う。
○ 2005/118
朝、事務所。
星とMRHの打ち合わせ。
BBHの基礎施工図チェックと構造事務所との電話連絡。
昼に事務所を出て、以前設計したIMHに伺う。
17:00に事務所に戻り、BBHの基礎についての打合せ事項を坂下に連絡。
MRHの打ち合わせ。
アルバイトの福岡さんに作ってもらっていたBBHの模型、ほぼ完成。
17:00、高円寺の成都で、木村、星、福岡さん、チェ・ミキと新年会。
○ 2005/119
昨日少し飲み過ぎて、9:00事務所。
頭がうまく回らない。
危うく、オレオレ詐欺まがいに引っ掛かりそうになる。
消費者センターに問い合わせたら、親切にいろいろ教えてくれた。
ボーとしていたからだろう。
梁山泊の三浦さんから、1998年にスズナリでやった「楽屋」のデータを送って欲しい、との依頼があったが、探しても見つからない。
こういう時、整理の悪さに、我ながら嫌になる。
事務所になければ、家のパソコンにあるのか。
今日の夕方のKOHの打合せの準備を、木村と打ち合わせ。
明日のBBHの現場打合せの準備。
昼に、注文したパソコン等が届く。
KNHの図面作業。
夜、KOHの現場担当者来所、打ち合わせ。
○ 2005/1/20
10:00、MRHのクライアント打ち合わせ。
11:00にMRHの現場にBBHの現場担当者に来てもらい、レベル実測。
12:00過ぎ、BBHの現場担当者の車に乗せてもらい、BBHの現場へ。
やり方、レベル確認。基礎の打ち合わせ。
その足で、EMHに向かう。
16:00、EMHでいくつかの細かい手直し作業の確認を、現場担当者と。
EMHは暮し始めて4ヵ月。居住まいが決まってきて、良い感じになっていた。
18:00前、事務所に戻り、KNHの模型作成準備し、星に指示。
今日は、移動の一日だった。
○ 2005/1/21
朝9:00に、三鷹でクライアントにピックアップしてもらい、白州のTRHに。
昨年末の引渡し時の残工事と手直工事の確認。
白州の村の方は、たんぼや路肩に先週末の雪が残っているだけだが、山にちょっと入っただけで一面雪景色。
白い世界に佇む建物がきれいだ。
向うには、八ヶ岳の山並が見え、気に囲まれたTRHは、本当にのんびりできる空間になっていた。
<マイネポリーヌ>
ビッグレッドファーム明和で調整中。坂路でキャンター1100m1本の運動をしています。歩様をチェックして問題ないことから乗り運動を始めました。到着時はかなりピリピリした雰囲気でしたが、今は随分落ち着いています。
○ 2005/1/22
朝、事務所。
メールチェックやいくつかの連絡事項。
10:30、事務所のすぐ近くの現場のオープンハウスにお邪魔する。仕上工事の真っ盛りであった。
11:30、借りっ放しになっていた図書館の本を返しに、自転車で図書館へ。
BBHの基礎施工図のチェックや軸組の検討。
15:00、KOHの現場で、クライアント打ち合わせ。
建て方が終わった現場を案内し、外壁の鋼板を決める。
新潟の地震で、鋼板の在庫に限りがある、とのこと。
白州でも、車庫の外壁に使うポリカーボネイトの波板が、新潟の地震で3月まで在庫がなかった。
○ 2005/1/23
朝、6:30に中野サンプラザ前から、大型バスで梁山泊のメンバーと関係者で日光へ出発。
今日11:00から、日光ニ荒山神社http://www.futarasan.jp/cgi-bin/imgsys/image.cgi?39:4140:0:0で、梁山泊の近藤優花さんと元劇団員の島野雅夫さんの結婚式がある。
途中、島野さんの実家の栃木で、親族の方々をピックアップして、10:00過ぎニ荒山神社に到着。
さすがに寒い。雪も沢山残っている。
東京から唐十郎さんも駆付けてくれた。
11:00から、神殿内で神前結婚式。
足先がぴりぴりするくらい寒いが、厳かだ。
式後、境内で集合記念撮影。
バスで日光東観荘へ移動、お祝いの披露宴。
最初は緊張ぎみだった宴も、お酒が入り、カラオケも飛び出し、気がつけばあっという間に終わってしまった。
今日も日光に宿泊する、新郎新婦と御両親に御挨拶し、15:00日光を出発。
途中、栃木に寄り、18:00に中野着。
手作りの、思いで深い結婚式だった。
島野さん、優花ちゃん、お幸せに。お招き頂き、ありがとう。
○ 2005/1/24
朝、事務所。
溜まっていた日報のアップ。
BBHの基礎施工図チェック。
星とMRHの打ち合わせ。
そのあと、MRHとKNHのスケッチ。
合間に銀行に行って、振込み等。
16:30過ぎに事務所を出て、昨年竣工したEMHへ。
今日は、クライアントが職人さん、建設会社、我々へのお疲れ会を催してくれた。
遅くまで、沢山御馳走になる。
○ 2005/1/25
昨晩は、楽しかったのでついつい遅くまでお邪魔してしまい、帰ってきたのが遅かったので、少しゆっくり事務所。
BBHの打ち合わせ。
11:00、KOHの現場。構造の山崎さんにも来てもらい、ホームコネクターの確認と、外壁屋根の構造材の張り方の確認。
KNHの検討。
15:30、クレディースイスの小林さん来所。
老後の生活設計について、レクチャーしてもらう。なかなか厳しい。
引き続き、KNHの作業。
○ 2005/1/26
朝、資源ゴミを出しに行った時には、みぞれ混じりの雨だったのが、事務所に来る頃には、雪混じりの雨状態になっていた。
昨日は暖かだったが、今日は寒い。
今日の夜、打合せのKNHの最終チェック。
10:30、アルフレックス来所。
11:00過ぎ、MRHの所内打合せ。
14:00、事務所を自転車で出て、年末調整の書類を受け取りに、荻窪の岩崎公認会計士事務所へ。
帰り道にある2軒の古書店で「『A』撮影日誌」森達也(現代書館)と「泥人魚」唐十郎(新潮社)。
BBHのプレカット図のチェックを始める。
18:30、KNHのクライアント来所。
1回目のプレゼンテイション。
○ 2005/1/27
午前中はKOHやMRHのスタッフ打合せ。
13:30、準防火地域にも使える木外壁のメーカーに来てもらい、話を聞く。
KOHの現場から、トップライトの位置を確認したいとの連絡が入り、現場へ。
不整形な屋根なので、現場で原寸で当るのが一番。
BBHの軸組図チェックしながら、いくつかの連絡事項。
KKHへ竣工図を届けに行きながら、昨日古書店で見つけた、「季刊リュミエール」全14册(筑摩書房)を購入しに行く。
夕方からスタッフは、新しく届いたiMacのセッティング。
iMacに変えたら、デスクの上がすっきり。
今までの、デスクトップとモニターが占めていたスペースにびっくり。
夜、何気なく見始めたTVの「ダイヤルM」、つい最後まで見てしまう。
ヒッチコック監督の「ダイヤルMを廻せ」のリメイクだが、今20:00からBS2でやっている、ヒッチコックの作品と比べてしまうと、なんだか切れが無いように感じる。
だだのひいきめか。
○ 2005/1/28
朝来て、iMacが置かれたスタッフのデスクを見て、スッキリした事にあらためて驚く。
メール等のセッティングがあるので、自分のデスクだけiMacに変えてないので、ここだけ一時代前のようだ。
19:00に新宿で、塗装見本の受け渡しがあるので、16:30に事務所を出て、初台のオペラシティーアートギャラリーの「森山新宿荒木展」http://www.operacity.jp/ag/に行く。
この間、「またの日の知華」を歌舞伎町の昔の噴水前にある、シネマスクエアートウキュウに見に行った時、歌舞伎町の風俗店が軒並み閉店状態だった。
話には聞いていたが、これほどとは。
新宿には、新宿がなくなってしまっていた。
しかし、新宿の周縁の初台の、居座りの悪いオペラシティーに、まさに新宿がお邪魔していた。
森山・荒木の二人の写真は、新宿と言う街を写しているのでなく、まさに「新宿」としか呼べないものを写し取っていた。
<マイネポリーヌ>
ビッグレッドファーム明和で調整中。坂路でキャンター1100m1本の運動をしています。今週は軽めに乗って脚さばきの感触を確かめてきました。トモの踏み込みが甘い気もしますが、以前からのもので休ませるほどの疲れは感じられません。近々、真歌トレーニングパークへ移動する予定です。
○ 2005/1/29
午前中、事務所に来て、TRHの増減をチェックして、クライアントへファックス。
その他、いくつかの連絡事項とパソコンを変えるための、データバックアップ。
11:30に大和町に戻り、昼を取り、12:15大和町を出て横浜国大へ。
「唐十郎教授最終講義」。
14:30に開場した大教室は超満員。
15:00、室井尚教授の司会で最終講義が幕開け。
伝説の初講義の映像の後、第1部:唐教授と扇田昭彦氏による対談。
唐教授の7年に及ぶ大学での様々な経緯を、大学内外の事象と結び付けながらの対話。
密度の濃い、時に唐さん独特の誤読が混じった対談だった。
あっという間に、1時間が過ぎた。
第2部:唐ゼミによるパフォーマンス。
唐教授のもとに、唐戯曲を上演する学生達で構成された劇団「唐ゼミ」。
2001年の第1回公演から8回公演までのダイジェスト公演。
懐かしい台詞が一杯あった。
そして、最後に唐教授が「少女仮面」の名曲を唄い、教室の向うへ去って行った。
昨日の「森山新宿荒木展」といい、今日の「唐十郎教授最終講義」にしても、その存在感は過去のものではなく、逆に、今でもより以上に現在に働きかけてくる。
以前、吉祥寺シアターの公開コンペの際、審査員たちが「いまだに、唐やピナなのか・・・」といっていたが、今こそ唐十郎であり、ピナ・バウシェでもあるのではないか。
それ程、この30、40年の生み出したものは、拡散しているのではないだろうか。
唐教授を国立大学に招いた、室井教授の荒技は、見事に大学に風穴を開けていたことを実感できた、元気の出る会だった。
○ 2005/1/30
一日、大和町。
先週、日光のニ荒山神社で頂いてきた、「招きだいこく」を額に入れ、飾る。
0131
月並みだが、今日で早くも一月が終わった。
朝、事務所。
日報のアップ。
今日、僕のパソコンもiMacG5に変えた。
土曜日にパソコンに詳しい人に、準備しておいてもらったのだが、
LAN、メールなどがなかなか調子良くいかない。
どうにかなったのは、夕方で、一日バタバタ。
OSもいきなりの大バージョンアップなので、どう使ってよいのか分からなかったり、いろんなパスワードとかの調整が、これからもしばらく続きそうだ。
○ 2005/2/1
そして、今日から2月。
大寒波だが、東京は寒いがよい天気だ。
朝、インターネットやメールの整備。
BBHの施工図チェック。
13:30、KOHの現場打ち合わせ。
木造部分はサッシュがつき、外壁屋根の下地もあらかた終わって、かなり良い感じだ。
塞がれ、開口が決まったことで、柱梁の軸組ダケだった時より、倍ぐらいの気積に感じる。
2階と3階のつながりがダイナミックだ。
16:00過ぎ終了。さすがに3時間弱現場で打ち合わせすると、身体の芯から冷えきる。大工さんたちは大変だ。
帰りに、iMacの活用本を買ってきて、いろいろ試して、ずいぶん機能が分かってきた。
○ 2005/2/2
今日も寒い。
午前中、BBHの施工図チェックといくつかの検討、およびOKBの図面作業。
パソコンやプリンター、LANの環境が変わり、とても使い勝手が良くなった。
午後、ちょっと用事があり新宿まで行ったついでに、デジカメとパソコンの接続コードを購入。
今までのパソコンは、USBポートが無かったので、大和町で取り込み、MOで持ってきていたので、面倒だった。
しかも、iPhotoという機能があらかじめインストールされていて、デジカメのドライバーをインストールしなくても、データ取り込みや編集が出来るようになっている。
何年もバージョンアップしないと、浦島太郎のようになってしまう。
出先から戻り、面倒な文章書き。
○ 2005/2/3
確実に寒気に覆われている。芯から冷え込んでいる。
またパソコンだが、環境は良くなったが、使い方が変わったので、例えば写真をプリント依頼しようとしても、うまく行かない。
そんなことで、時間がかかる。
四苦八苦してやっとできたが、これは絶対正しいやり方ではない。
午前中、KOHの電気関係のスタッフ打ち合わせをしていたら、現場から電話。
荒配線を始めたが、収まらないところがあるとの電話。
午後現場に行くことにして、14:30、KOHの現場。
打ち合わせをして、配線のルートを確保。
帰りに、プリント依頼した写真を受け取りにいったら、ちゃんと出来ていた。
送信の仕方を聞くが、どうもはっきりしない。
BBHのプレカット図をチェックして、ファックスで建設会社にバック。
今日の昼休みに、この部屋の貸し主の代理人が、解約の申入書を届けにきた。
先日、管理会社からなんとなく聞いていたが、動き始めた。
○ 2005/2/4
今日も西高東低の冬型の気圧配置だ。
朝、寒い。
MRHの計画チェックとスタッフ打ち合わせ。
またまたパソコンだが、こうやってパソコンの環境が整っていくと、すべてのことがパソコンでできるように思えてくるのではないか。
でもそうなると、パソコンを使っているように思っているが、パソコンに使われてしまっているのではないか。
パソコンに浮かんでくる情報を、なんのチェックも無く信じてしまう。
それが正しい情報か、間違っている情報かのチェックを言っているのではなく、それをそこにある真実のように思ってしまう。
それは、自分を通過して出てきたもののではなく、はじめからそこにあるものだと思ってしまう。
外との関係もかなりのことが出来てしまうように思い込む。
携帯を持ってないので分からないが、携帯はもっとそんな感じがするのではないか。
KOHの明日のクライアント打ち合わせの準備打ち合わせ。
BBHのプレカット図チェック。
大学院の先輩の河津さんから電話がある。
今年、新しいことが始まりそうだ。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。歩様はそれほど気になりませんが、中間念のためトモに笹針治療を行いました。乗り運動を再開していますが、跨った感触は問題ありません。
○ 2005/2/5
朝、事務所。
パソコンのアプリケーションの問い合わせ。
徐々に使いこなせるようになってきてはいる。
いくつかの連絡事項。
今日は16:00から、KOHの上棟式。
上棟式の前にクライアント打ち合わせを行うため、14:00前現場に。
クライアントに現場を確認してもらい、ガラスの種類を決めた後、近くのカフェに移り、打ち合わせ。
16:00前、現場に戻り、ご近所に上棟の挨拶をして、上棟式開始。
お清めをした後、お酒とごちそうを頂く。
17:30前に終了。寒かったが、楽しい上棟式だった。
○ 2005/2/6
今日大和町に新しいテレビがきた。
今までのテレビは、かれこれ15年以上使った。
映画を見たいのだが、今までのブラウン管のテレビだと移り込みがひどく、見るのが嫌になってしまっていた。
今度のテレビは、液晶画面。
いくつかのDVDを試してみたが、移り込みも無く、解像度も高く、今までのテレビで見れなかった、映画のディテールも映るようになった。
17:00、高円寺の成都で、西荻の両親そして妹家族と、新年会。
たくさん食べた。
○ 2005/2/7
今朝も寒い。雲が多く日差しも遮られぎみで、より寒い。
朝、いつも読んでいる「絶対毎日スエイ日記」http://www.sundial.co.jp/cgi-bin/byakuya/suei/read.cgiを読んだら、2月6日の日記に、阿佐ヶ谷とiMacG5が出てきたので、嬉しくなった。
本の方は、毎日大和町のトイレで少しずつ読んでいる。
10:00、事務所を出て自由が丘へ。
11:00から自由が丘で坂下とBBHの事前打ち合わせ。
12:00過ぎBBHの現場へ。BBH配筋検査と軸組や鉄骨階段の打ち合わせ。
13:30に現場を出て、五反田のイマジカヘ。
「ガラスの使途(つかい)」の零号試写。
とっても濃い映画に仕上がっていた。
18:30事務所に戻り、連絡事項あれこれ。
○ 2005/2/8
朝から冷たい雨が降っている。
昨日のBBHの打ち合わせの確認。
机周りの整理で、午前中が終わる。
13:30、来客。
16:00、立ち退き交渉の代理人が来所。
その間、MRHのスケッチ。
○ 2005/2/9
天気予報では今日は暖かくなるとのこと。
朝資源ゴミを出しにいっても、寒くはない。
朝、事務所でメール返信や連絡事項。
MRHのスケッチおよびKOHのスタッフ打ち合わせ。
13:30事務所を出て、原宿の空間設計社・奥村君を訪ね、パソコンソフトを貸してもらう。
15:00BBHの現場。ホールダウン金物の確認。
17:00五反田イマジカ。「ガラスの使途」の初号試写。
終了後、イマジカ地下の食堂で、完成お疲れの乾杯。
20:30近くの居酒屋で、二次会。22:30終了。
阿佐ヶ谷に唐組や梁山泊のメンバー何人かと戻ってきて、吐夢で三次会。
気がつけば、4:00近く。
○ 2005/2/10
午前中は完全にダウン。
今日は大和町にチェ・ミキのおばさんと友人が来るので、午後も大和町の片付け。
その間、16:00KOHの現場へ行って、打ち合わせ。
夕方、おばさん。19:00に友達くるが、昨日の疲れから、21:00過ぎダウン。
○ 2005/2/11
昨日ゆっくり寝たので、今日は快調。
先日借りてきたソフトをインストール。
そのアプリケーションを使って、書類作りをするが、初めてで時間がかかる。
昼過ぎにやっと完成。
日報アップ。
進行中のプロジェクト確認。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。笹針を打って休ませたり馬場状態が悪化して乗れない日もありましたが、安定した走りで手応えも上々です。今のところトモの状態も気になりません。
○ 2005/2/12
昨日の夜、たまった新聞を読んでいたら、「折々のうた」に正岡子規の「冬ごもり病の床のガラス戸の曇りぬぐえば足袋干せる見ゆ」があった。
大岡信の解説に「現代人が読めば何という変哲もない歌だが、子規はこの歌を作った明治三十三年冬、病室の何面の、それまでは紙障子だった戸をガラス戸に替えることができ、その暖かさに上機嫌になる、ガラスを拭いたりして喜んでいる。」とある。
病牀六尺、自分の身体を通して外の世界を感じ取る人がいる。
バリアーフリーの(段差がないという意味ではなく、性能が上がり過ぎたという意味で)建築は、そんな身体を置き去りにしていないのだろうか。
朝、事務所で連絡事項。
BBHのプレカット図のチェック。
MRHの検討。
その間、13:00KOHの現場で、先日指示したトップライトの位置の確認。
○ 2005/2/13
午前中、大和町でMRHとKNHのスケッチ。
昼から、東京国際マラソンをTVで見る。
しかし、最近のテレビのスポーツ番組は、格闘技から陸上まで皆同じ調子だ。
マラソンならマラソンにあった中継ができると思うのだが。
ただのマラソン通を称するキャスターみたいなのが、中継車に乗って取り仕切っているのは何なのだろう。
まあ、NHKのラグビーの中継騒動にもあきれるが。
トヨタ対早稲田、結局実況中継を見損ねてしまった。
今日は一日大和町から出ないようにしようかと思っていたが、あまりの天気のよさに、夕方自転車で整理して出た本を、古書店に売り行ったつでに、近所の自転車店で、ブレーキの調整とサドルを取り替えてもらう。
ブレーキのちょっとした調整で、レバーの感じが変わった。
ほんの少しのことだが、新鮮だ。
新しいサドルは、赤茶色。なかなかいいぞ。
○ 2005/2/14
朝から事務所。
MRHのスケッチ。
KOHのスタッフ打ち合わせ。
昼過ぎ、夜のクライアント打ち合わせに向け、確認事項ありKNHの既存建物へ。
行きに、新しくインストールしたアプリケーションのマニュアルブックを探し、購入。
帰ってきて、そのマニュアルを見ながら、書類作成。
なんのアプリケーションかは、あまりにも初歩的なものなので、ここには恥ずかしくて書けないが、時間かかったが、便利だ。
その間、来客。
18:30事務所で、KNHのクライアント打ち合わせ。
一回目の提案についての、フィードバックの確認。
○ 2005/2/15
朝、事務所。
書き出してみたら、細かい雑務が結構ある。
しかし、こまめに片付けておくことが必要なものばかりだ。
KOHの仕上げ見本について、スタッフ打ち合わせ。
KNH昨日の打ち合わせのまとめ。
BBHの模型の写真撮影とプリント。
昨日使えるようになったアプリケーションのより充実化を昼過ぎまで。
その後、種々雑多の雑用で一日が過ぎる。
○ 2005/2/16
朝から久々の雨。
そういえば明け方、大きな地震があった。
ネットのニュースで見たら、4:46茨城南部が震源で東京は震度4。
昨日の続きの雑用を片付ける。
KOHの家具のスタッフ打ち合わせ。
KNH、先日のクライアント打ち合わせ内容の検討、図面化。メールにて送信。
BBHのスケッチ。
朝、熱があると言っていたチェ・ミキが、インフルエンザB型と判明。
少し早く事務所を出る。
星君、無断欠勤。
よる電話が大和町にあり、行かなくては、と思っても行けなかった、とのこと。
2時間半かけて『場所に聞く、世界の中の記憶』(鈴木博之:著 王国社 2005)を一気に読み通す。世界中の24の都市の記憶について綴ったエッセイだが、僕はそのうちの半分しか行ったことがない。リヨンのオペラ座に関する話題の中に、僕と佐々木睦朗さんが出てきたのにはびっくりした。読んでいてイギリスのダラム、シチリア島、ハンガリーのブタペストには行ってみたいと思った。
「建築は空間の芸術だと言われるが、むしろそれは時間の芸術ではないか。」
とは歴史家らしい名言である。次の言はアドルノやベンヤミンが言ってもおかしくないだろう。
「われわれはあたかも建築家が自由な発想のもとに建築を構想するかのように考える。しかし人間のあらゆる営為は政治的であり、社会的であり、それゆえ歴史的なのだ。その全体に気づかないかのようにして建築を語るならば、単なる専門バカということになろうか。」
あるいはもう少し詩的な発言もある。
「あらゆる場所に歴史は降り積もり、やがて醗酵して文化になる。場所こそが文化を蓄積させる器なのだ。「場所に聞く」とは、場所の中に封じ込められているあらゆる歴史と文化を再び解き放つ試みなのだ。」
青本往来記05.02.16
○ 2005/2/17
インフルエンザ、とりあえずまだ症状は出ていないので、うつってないのか。
午前中、連絡事項および雑務。
13:30、KOHの現場打ち合わせ。
サッシュや障子が入り、一部ボードも張られ、一段と仕上がってきた。
16:00前終了。今日はそれほど寒くないので助かる。
帰えり道、いくつか打ち合わせと変えた方が良いことを考えつき、指示を出したり、スタッフと打ち合わせをしたり。
星君、朝話し、試用期間ここでおしまいにする。
○ 2005/2/18
朝から、一日事務所。
KOHのスタッフ打ち合わせ。
BBHの施工図のチェックと坂下との電話打ち合わせ。
MRHの図面作業。
夜、テレビで日本アカデミー賞を見る。
助演女優賞、「血と骨」の田畑智子さん、とても良かったのに最優秀とれずに、残念。
田畑さんと寺島さんの演技は、すごかった。
崔洋一監督、最優秀監督賞おめでとうございます。
<マイネポリーヌ>
真歌トレーニングパークで調整中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。洗い場で何度も前掻きをするなど、気性的にきつくなってきました。トモの蹄の先端を引きずって歩きますが、走りっぷりはぐんぐん良くなっています。
○ 2005/2/19
起きたら、雪景色。
小雪が降ったりやんだり。
MRHの図面作業。
BBHのクライアント打ち合わせの準備をして、12:00前事務所を出る。
13:00、BBHのクライアント打ち合わせ。上棟日や工程の説明と細かい部分の打ち合わせ。
15:00終了。
帰りに、世田谷美術館「瀧口修造:夢の漂流物 同時代・前衛美術家たちの贈物 1950s〜1970s」(http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html)
16:00前に着いたら、偶然16:00から「瀧口修造の詩から生まれ、またその死に捧げられた音楽」というミニライブがあった。
ピアニストの高橋悠治さんの演奏で武満徹「遮られない休息」・「閉じた瞳」・「バッハ/マタイ受難曲」の3曲。
展示作品は、瀧口さんのところに集まってきたものだけに、シュルレアリズム(超現実主義)の系統のものが多いが、改まってそれらのものを見ると、観念的でなくとても身体的なものが多いのに驚いた。
貴重なものも多いので、展示の仕方には限度があるのだろうが、これらの漂流物が展示品になってしまっていて、写真で見る瀧口さんの部屋に並んでいる時の魅了が薄れてしまっていたのが、残念だった。
○ 2005/2/20
朝からすっきりしない天気。
午前中新聞を読んだり、MRHのスケッチをしたり。
午後も小雨が降ったりやんだり。
高円寺の古書に先週お願いしてあった、「夜の果てへの旅」ルイ・フェルディナン・セリ−ヌ/生田耕作訳をピックアップに行き、「悪い男」キム・ギドク監督(http://www.kimki-duk.jp/badguy/index2.html)のDVDを借りてくる。
夜、「悪い男」を見る。
見ている者を引き込んで行く、力のある映画だ。
フェリーニの「道」をかなり意識しているように感じた。でもそれが見えてくると、ジュリエッタ・マシーナとアンソニー・クインがいかにすごい役者だったかが分かってくる。
チラシで見た色彩が、どう画面に表現されているのか、楽しみだったか、色彩はあまり濃くなかった。
○ 2005/2/21
今日からは、晴れそうだ。
朝、メールのチェックや返信、日報のアップ。
KOHのスタッフ打ち合わせや連絡事項等で、午前中が過ぎる。
13:00、坂下来所。
BBHのクライアント打ち合わせの伝達と、MRHの打ち合わせ。
午後、用事で外に出たついでに書店で「中央線の詩(うた)・上」朝日新聞社東京総局(出窓社)を入手。
今、朝日の朝刊の東京版で連載中の「中央線の詩・西荻窪」は突込み処がよく、ずっと切り抜いていた。
ふと、高円寺の書店で手に取ってみたら、その連載の以前の文をまとめた本だった。
なかなか興味深そう。吉祥寺から八王子までの8駅が目次にある。
まえがきによれば、2005年1月からの連載では、「西荻窪から中野にいたるまでの」「いわば『中央線のコア地帯』とも呼べるところ」を取り上げるそうだ。
楽しみだ。
MRHの図面作業を続ける。
○ 2005/2/22
朝からよい天気だ。
メールチェックや連絡事項。
MRHの図面作業。
13:00過ぎ、KOHの現場。
昨日、螺旋階段がついたので、空間の確認に。
今日から、外壁・屋根の板金工事が始まっていた。
○ 2005/2/23
昨日の夜は寒かったが、今日は暖かい。
天気予報によると、今日、春一番が吹くかもしれないそうだ。
ついこの間年が変わったと思っていたら、もう春が近づいてきている。
朝、メールチェックと返信。
MRHの図面チェックを坂下に返信。
11:00前に事務所を出て、一年前に竣工したNSHに向かう。
モダンリビングの写真撮影の立ち会い。天気がよくてよかった。
夕方までかかって、無事撮影終了。
18:00事務所に戻り、いくつかの連絡事項。
○ 2005/2/24
朝、ロールカーテンを開けると、キャロライナジャスミンが新たに延びだしたのが眼に入ってきた。
冬の間はじっとしていたのに。昨日の春一番に合わせるように、延びだしたのか。
自然はよく出来ている。
12月と1月の経理関係のデータのまとめと昨日の写真のプリント依頼。
10:00過ぎ事務所を出て、KOHの現場に向かう。
月曜日のクライアント打ち合わせの為に、塗装見本の作成打ち合わせ。
昼前に事務所に戻り、MRHの図面を、坂下にチェックバック。
15:00前、自転車で荻窪の公認会計士事務所へ。
経理関係の資料渡し。
帰りに図書館と銀行と写真のピックアップ。
その後、MRHの図面作業を続ける。
<マイネポリーヌ>
18日(金)美浦の高橋裕厩舎に入厩し調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。調教師が直前に馬の状態を確認のうえ、真歌トレーニングパークを送り出しています。入厩後もトモの歩様はスムーズで様子を見ながら追い切りをかけていく予定です。
○ 2005/2/25
昨日の夜、うっすら積っていた雪。
朝起きたら一面の雪になっていた。
雪の轍に気をつけながら、自転車で事務所に来た。
登校中の子供たちは、嬉しそうだ。
時々、電線の上に積った雪が溶けて落ちてくる。
ほぼ一日MRHの図面作業。
一日パソコンで図面を書いていると、首筋が痛くなってくる。年かな。
○ 2005/2/26
朝、事務所。今日はさわやかな天気だ。
MRH、KNHの今日の打ち合わせの準備。
10:00、BBHのクライアント来所。11:30過ぎ打ち合わせ終了。
12:00に事務所を出て、川口に向かう。
13:30、KNHのクライアント打ち合わせ。現在お住まいのところに伺い、新居に持って行く家具等を拝見しながら打ち合わせ。
15:00過ぎ、川口を出て、上野毛へ。
BBH のクライアントと現場へ。ちょっとした打ち合わせ。18:00終了。
ずいぶん日が長くなった。18:00前でもまだ明るい。
しかし今日は寒かった。
○ 2005/2/27
「OASIS(オアシス)(」http://www.cqn.co.jp/oasis/)のDVDを借りてきて見る。
監督は「ペパーミント・キャンディー」のイ・チャンドン。
素敵な映画だった。難しいテーマだが、とても良く伝わってくる。
映像も、決して派手ではないが、随所に魅力的なカメラワークがある。
何といっても、主人公ふたりの演技が素晴らしい。きちんと映画の中に存在していた。
イ・チャンドンの視線は、アルモドバルの「トーク・トゥ・ハー」や「オール・アバウト・マイマザー」に通じるところがある。
デビュー作の「グリーンフィッシュ」をぜひ見てみたくなった。
○ 2005/2/28
朝からよい天気だ。
朝、メールチェックと日報のアップ。
土曜日の打ち合わせの、まとめ。
14:00、KOHの現場でクライアント打ち合わせ。
先週作った塗装見本で仕上げの打ち合わせと竣工までの工程確認。
クライアント打ち合わせは、一時間で終わり、その後現場で建設会社と打ち合わせ。
17:00前打ち合わせ終了。現場はガラスも入り、外壁で囲まれているし、気温も少しずつ上がってきていて、以前に比べれば、打ち合わせしていてもずいぶん楽だ。
○ 2005/3/1
3月の始まりは、とても冷たい風の吹く日になった。
今日の午後の打ち合わせの準備。
9:00過ぎに事務所を出て、三鷹へ。
11:00過ぎに事務所に戻る。
午後は、午前中の打ち合わせの内容のまとめ。
17:00過ぎからのOKB の打ち合わせのついでに、渋谷の文化村ル・シネマにより、「オアシス」のプログラムを入手。
上映中の「大統領の理髪師」が満員ですごい人気、と思ったら、今日は映画サービスデーで入場料が1000だった。
午後は風がやんで、そんなに寒くなくなってきた。
17:30、OKBの打ち合わせ。
帰りに、新宿のタワーレコードでジェフ・ペックのCDを2枚衝動買い。
ここのところ、なにがきっかけだったか思い出せないが、昔のロックをすごく聴きたくなっていた。
○ 2005/3/2
午前中、BBHの検討。
午後KNHの実測に自転車で向かうが、現地について鍵を忘れたことに気づく。しまった。
外回りだけ見てくる。
帰りにKOHの現場による。
仕上がりが楽しみになってきた。
BBHの現場指示図作成を終日。
<マイネポリーヌ>
美浦で調整中。坂路とウッドコースで乗り込まれています。6日(日)中山の牝馬限定・芝2000mにて復帰する予定です。先週の追い切りは、併走相手が馬なりだったとはいえ、追走して好反応で同入する内容には好感が持てました。新馬戦は単調なレースでしたが、稽古の感触から本来はもっと味のある競馬ができると見ています。
○ 2005/3/3
朝、メールをチェックしたら、「すまいと」(http://www.sumaito.com/)の岩谷さんから、「サイトシーングバスカメラ」(http://www.geocities.jp/buscamera/)という、とても興味深い催しのお誘いが届いていた。
早速、申し込む。
この催しを計画をしている写真家・美術家の佐藤時啓さんの写真集「光ー呼吸」を以前書店で偶然手にし、入手していた。
面白い結びつきだ。
午前中、MRHの図面作業。
午後BBHの現場指示図面の作業とKOHのスタッフ打ち合わせ。
合間、杉並中央図書館にリクエストしていた本を取りに自転車で行くが、休館日。
昨日といい、今日といい、どうも今週は間が悪く、気持ちもすきっとしない。
身体のリズムが狂っているような感じだ。
明日はBBHの建て方だが、天気予報は今夜から雪。心配していたが、夕方現場担当者に連絡をとったら、急遽今朝からに変更したとのこと。付きっきりで、連絡忘れていたそうだ。今日中に屋根の合板をのせ、シートで養生するとこまで行くと言う工程を聞き、一安心。
マイネポリーヌが6日・中山の5レースに出走決定。
○ 2005/3/4
この前の日曜日に見た、「オアシス」(http://www.cqn.co.jp/oasis/)でヒロイン役のムン・ソリが歌う「私がもし」という歌が、耳から離れない。
気づくと、ついハミングしている。
今朝も雪の降る中、あまりにもその景色と歌の印象がぴったりだったので、雪を踏みしめながら心の中でハミングしながら事務所に来た。
ハングンマルで覚えようか。
雪の中を歩いてくると、脚の裏がキンキンに冷たくなった。
ずっとBBHの図面作業。
○ 2005/3/5
14:00、BBHの現場。
一昨日建て方で、今日はクライアントと現場確認。坂下、チェ・ミキも同行。
現段階でかなり中と外との関係が確認でき、窓のガラスの仕様等を決める。
伸びやかな、気持ちのよい空間になりそうだ。
15:00過ぎに現場を出て、ゆっくり歩いて、NSHへ。
16:00から一年点検。
建設会社の方達と指摘事項を見て回る。
その後、クライアントに夕食のご招待を頂く。
こじんまりした創作料理のお店で、大人数でお邪魔した我々で貸し切り。
下ごしらえのしっかりできた、優しい味の料理を頂く。
ごちそうさまでした。
○ 2005/3/6
11:00過ぎ、新宿の場外馬券売り場へ向かう。
中山5レースにマイネポリーヌ出走。
単勝と複勝の馬券を購入後、モニターでレースを見る。
6着に終わる。
「トリコロール/青の愛」クシシュトフ・キェシロフスキ監督のDVDを借りてくる。
「汚れた血」のジュリエット・ピノシュが出ているので、前から見ようと思っていたもの。
ヨーロッパの成熟した映画。
ヒッチコックが言っているような意味で、上質のミステリーである。だから、次から次へと引き込まれて行く。
「身を切るような孤独を知っている者だけが、人生の美しさを真に享受することができる。」〜クシシュトフ・キェシロフスキ〜
う〜ん、と唸ってしまう。
ヨーロッパとアジアの気質的な違いを、先週見た「オアシス」との比較で感じた。
○ 2005/3/7
朝、メールチェックと日報アップ。
午前中は事務所の雑務で終わる。
午後、KOHのスタッフ打ち合わせ。
合間を見て、図書館へ。
その後、BBHの施工指示図面作成。
○ 2005/3/8
午後の打ち合わせの準備をして、BBHの施工指示図の作業。
10:20事務所を出る。
KKHでAVシステムの説明に立ち会うが、うまくシステム組めてなく、仕切り直し。
11:30事務所に戻り、準備をしてMRHのクライアント打ち合わせに向かう。
13:00から打ち合わせ、15:00終了。
帰りに新宿で私用をすませ、17:30事務所に戻る。
MRHのかわいらしい模型が出来つつある。
BBHの上棟式の参加者を確認し、クライアントに連絡。
今日は、桜が咲いていてもおかしくないくらい、暖かだった。
ラフィアンのポリーヌ情報を見て、悲しむ。
<マイネポリーヌ>
6日(日)中山で出走し、6着でした。3コーナーから仕掛けて4コーナーでは先行集団と差のないところまで進出しましたが、坂にさしかかると甘くなってしまいました。レース後、右ヒザを剥離骨折していることが判明し全治6ヶ月の診断が出る見込みです。未勝利戦に間に合ったとしても出走できる機会は少ないため引退の方向で検討中です。
○ 2005/3/9
今日も暖かい。
先週は、なんだかカリカリして、あまり良いリズムではなかった。
今週は、いろんなことがあるが、結構素直にそれらのことを受け入れられる。
けして前向きという訳ではないのだが。
こんな繰り返しを、気がつけばしている。
朝、BBHの施工指示図作成。今週は出かけることが多く、とぎれとぎれにやっているので、なかなか進まない。
10:00過ぎに事務所を出て、HMHの補修工事の立ち会い。
13:00前に事務所に戻ったら、連絡事項が沢山あり、午後予定していたことを早めに片付ける為に、急いで食事し、KOHの現場へ。
昨日、現場の様子を見に行こう、と思っていたが行けなかったので、現場確認。
かなり出来上がってきた。
その後、KNHの建物へ行って、実測。
その後、ケーブルテレビに寄り、15:30事務所。
いくつかの連絡事項をすませ、16:30KKHへ。
ちょっとした点検。
すぐ事務所に戻り、また連絡事項。
ほんとにいろんなことが起こる。
それらをひとつひとつ解決して行くのが、建築の仕事のかなりの部分を占めている。
その後は、BBHの現場指示図の作業。
スタミナをつけに、夜、チェ・ミキと二楽亭にホルモンを食べに行く。
○ 2005/3/10
昨日までの春らしさは、どこかへ行ってしまた。
午後の現場打ち合わせに向け、BBHの現場指示図の作成。
13:00前、事務所を出てBBHの現場へ。
14:00、構造の山崎さんの軸組チェックから。
いくつかの問題点を検討。
その後、サッシや納まり等の打ち合わせを現場担当者と大工さんと行う。
2階のワンルームになっている空間が、気持ちよい。
16:30、打ち合わせ終了。その後と近くの喫茶店で坂下とMRHの打ち合わせ、17:30まで。
現場と駅の途中にある魚屋さんに、セイコカニが置いてあり、購入。
18:30過ぎ事務所に戻る。
KOHの現場に行ってきた木村と打ち合わせ。
○ 2005/3/11
朝事務所で、連絡事項や雑務。
10:00に事務所を出て、KOHの現場へ。
塗装の確認。
いよいよ追い込みだ。
事務所に戻り、出来上がったMRHのキュートな模型をデジカメ。
昼からは、昨日のBBHの打ち合わせのまとめと、キッチン周りの検討。
KNHの実測の図面化とスケッチ。
○ 2005/3/12
朝事務所行きの前に、図書館へ。
雨上がりの清々しい朝で、自転車に乗るのが気持ちよい。
14:30事務所を出て、KOHの現場へ。
清々しい天気はどこかへ行ってしまい、部分的に真っ黒な雲がかかり、風が強い。
今日はキッチンの工事。
外壁の板金工事も終わっていて、大工さんが道路に面したシートをとって見せてくれた。
チョコレート色の板金が町にとけ込んでいる。
15:30現場を出て、東京駅に向かう。
「サイトシーングバスカメラ」(http://www.geocities.jp/buscamera/)の17:00の回を申し込んであるが、少し早いので八重洲ブックセンターへ。
16:45バス発着場所へ。チェ・ミキと落ち合う。
「すまいと」(http://www.sumaito.com/)の岩谷さんに挨拶をして、バスに乗り込む。
バスの中央に前から後ろまで、白いスクリーンがある。その両脇の座席に腰掛ける。
佐藤時啓さんの説明があり、バスは走り出す。
バスの両サイドに取り付けられたレンズを透し、外の風景がスクリーンに映る。
スクリーンに映る映像はバスと一緒に先に先に進むので、我々も動いているのだが、視覚的には置いて行かれているように感じる。
高層ビルのエレベーターでフワッとなるのを、横方向で体験しているようだ。
東京駅から有楽町駅をぐるっと回るコース。
暮れなずんだ東京の景色が、まるでフランス映画のようにきれいだった。
18:00からの回は、ネオンとかがより浮き立ち、きれいだろうなと、思った。
希有な体験をした。
18:00、銀座の三平酒寮・舟甚に入る。チェ・ミキの友達の上利も来て、美味しい地酒をたらふく飲む。
○ 2005/3/13
10:30、KKHのAVシステムの説明、調整の立ち会い。
12:00終了。野菜や肉の買い物をして、大和町に戻る。
部屋を片付けていたら、14:30ユーさんとヒャンスク夫婦来宅。
迎え酒とビールを飲み、しばらく話をして、夕方からヒャンスクがチヂミを作ってくれる。
とても美味しい。
途中で眠くなり、失礼して横になる。
22:00ふたりが帰るので、起きる。シャワーを浴びビールを一口飲み、また寝る。
○ 2005/3/14
朝、事務所。日報のアップや連絡事項。
午前中は雑務。
午後、KNHのスケッチとBBHの照明確認。
KOHの現場担当者から電話があり、リノリウムの張り方の確認をしに現場に行く。
2、3日前から、寒いところから暖かいところへ行くと、鼻がむずむずしてくしゃみが出る。
花粉ではないと思うが、今日は少し熱っぽい。
風邪でなければ良いが。
KOHのオープンハウスを4月2日に決め、案内状の準備に入る。
○ 2005/3/15
朝、今日の午後見に行く、リフォームを前提で購入を考えている方の相談の準備に、リフォーム関連の資料をあたる。
午前中、明日のBBHの定例打ち合わせの準備。
今日も少し熱っぽく、のどがいがらっぽい。
13:00過ぎ事務所を出て、自転車で荻窪へ。
中央線仲間のデザイナーKZさんと落ち合い、物件を見に行く。
拝見した後、喫茶店で話すが、購入は見合わせた方が良い、という結論に達する。
住宅建設について、しばらく雑談。
帰りに、事務所の近くの医院へ。
風邪の診察してもらうが、時節柄花粉症のアレルギー血液調査を進められ、採血。
4日後に結果分かると言う。
薬局に寄って、薬をもらい事務所に戻る。
BBHのクライアントと電話とファックスで打ち合わせ。
KNHのスケッチ。
<マイネポリーヌ>
前走で右ヒザの剥離骨折が判明しました。休養させての造り直しも可能ですが、復帰できたとしても1戦しか未勝利戦を使えないことも大いに考えられるため、残念ですが引退させることになりました。長い間、ご声援をいただきありがとうございました。
なんとも残念だが、しょうがない。
ポリーヌ、楽しませてくれてありがとう。
お疲れさま。
○ 2005/3/16
朝から、オープンハウスのお知らせの件で、いろいろ試行錯誤。
パソコンの環境ががらっと変わったので、メールで一括で送れたり、便利になったが、すべて初めてなので時間がかかる。
その合間に、BBHの打ち合わせ準備。
13:00前に事務所を出て、BBHの現場へ。
14:00から定例打ち合わせ。
今日は天気がよく暖かい。屋上の防水工事をしており、屋上に上がったら気持ちのよい風が吹抜けていた。
16:30過ぎ、打ち合わせ終了。
18:00前に事務所に戻る。
木村に帰り道で考えたKOHの指示事項を伝達したり、BBHのクライアントに打ち合わせの質疑を連絡したり。
○ 2005/3/17
今日は朝から連絡事項が多く、文章を書いたり、オープンハウスのお知らせをしたりで、一日パソコンに向かっていていささか疲れた。
その間に、KOHの現場に行ってきた木村と打ち合わせ。
キーボードは今日はもういい、といったところだ。
○ 2005/3/18
キャロライナジャスミンが黄色いつぼみを付け始めた。
昨晩の雨上がりの風は、春の風だった。
今日はよい天気だ。
朝、事務所でメールや連絡事項。
メールでオープンハウスのお知らせをしたら、早速何人かの方々から返事を頂いた。
興味を持ってもらって、ありがたいことだ。
10:00過ぎ、KOHの現場に向かう。
家具が取り付き、空間が様変わりし始め、楽しくなってきた。
今日は本当に自転車日和だ。このままどこかまで乗って行ってしまいたくなる。
午後BBHの現場指示図作成とKNHのスケッチ。
あんなによい天気だったのに、変な天気になってきた。
夜は風が強く、寒くなった。
夜、セブンイレブンのネットショッピングで今日入手したDVD「オアシス」を見るも、途中で撃沈。
また新しい発見があり、楽しい。
○ 2005/3/19
風はやみ、よい天気。
大和町の小屋裏で、モダンリビングのための顔写真をスナップ。
以前藤塚光政さんに撮っていただいた顔写真がお手本だが、カメラマンがチェ・ミキで不本意に終わる。
まあモデルがモデルだけに、致し方ないか。
しかし、藤塚さんの写真、流石である。
このホームページのトップの顔写真がそれである。
事務所に来て、プロフィールと顔写真をモダンリビングにメール。
大和町の蔦類、このまま夏に向けて育って行くと、お隣や通路を通る人の邪魔になる。もう素人の手に負えない状態なので、笹隈さんに連絡して、見てもらうことにした。
今日はスタッフは休みなので、気まぐれに事務所にあったCD「Blossom Dearie」をかけてみたら、天気のよい土曜の午前中になかなかぴったりだ。
昼に大和町に戻り、進行中のプロジェクトのスケッチ等。
16:00、KOHの現場で、建設会社と最終の工程と未決部分の打ち合わせ。
○ 2005/3/20
午前中、大和町のCATVの切り替え工事に、シティテレビ中野の方が来る。
長年使ってきたTVとビデオを、液晶とDVDレコーダーに変えたので、CATVもアナログからデジタル切り替え。
その後、いろいろ試してみるが、事務所のパソコンを変えた時のように、何かやるにも取説と首っ引きなので時間がかかる。
足りないコードとか買いに出た以外、取り扱いの理解に時間をつかってしまった。それでもまだ、基本的なことだけ。
試しに録画の予約をしてみた。(これは結局、とれていなかった。)
九州の地震、何人か友人もいるので、気になる。
15:30過ぎ、大和町を出て阿佐ヶ谷駅でユーさんと落ち合い、アルポランへ。
朴 保(パッポ)さんのライブ。朴 保さんは、梁山泊の舞台にもたったことがある、「夜を賭けて」の音楽を担当したミュージシャン。
18:30から20:00過ぎまで。
朴 保さんオリジナルから、「アリラン」やニール・ヤングの「オアシス」、「スタンド・バイ・ミー」まで、普段やらない朴 保さんの歌が聴けて、
楽しかった。
12:00頃まで、朴 保さんやライブに来ていた梁山泊のメンバーと、アルポランで飲むが、明日朝現場行きなので、先に失礼する。
だじゃれに混じりながら、途中、朴 保さんは、日本の入国管理事務所の処遇に抗議する集会に参加した話をした。
入国管理事務所の強制送還の仕方(猿ぐつわのような物をかませ、手足を縛られ、毛布に巻かれて強制送還されるらしい)の話には、その人権無視の処遇に、驚きと寒気と憤りを感じた。
大和町の玄関先の、小密林と化した植木たちの、頂いた蘭が枯れてしまった鉢から、何もしてないのに新しい怪しい花が咲き始めた。
○ 2005/3/21
朝9:00、KOHの現場へ。
現場で機器取り付けの確認。
一度大和町に戻り、10:30事務所へ。
パソコンのネットワークがおかしい。メールもネットも繋がらない。
アップルサポートへ連絡して、指示された作業をして、無事復旧。
日報アップ。
メール連絡。九州の友人の様子を確認のため、メール送る。
午後、KNHのスケッチ。
15:00から、一件打ち合わせ。
今朝のネットワークトラブルにしても、昨日のTV環境のアナログからデジタルへの変換にしても、我々を取り囲む便利さは実は便利になればなるだけ、自分たちの手から遠ざかって行く。
この程度でそう感じるのは、不勉強で笑止千万かもしれないが、老人予備軍でこの有様だから、沢山のお年寄りはやはり大変だろう。
だが、一方自分の手から、ダイレクトになにも作り出せなくなりつつ有る。
昨晩の朴 保さんのライブは、自由だった。競演のお兄さんと二本のギターで場を作って行く。
後から加わった、ベースもクラリネットも直にそこに入り込める。
音楽の一番良いめんかもしれないが、やはりリリーストされている。
その間に挟まって、さて何を考える。
○ 2005/3/22
天気の良かった連休明けは今にも降り出しそうな様子で、なんだか気が晴れない。
朝事務所に来てメールチェック。
九州の友人たちは、たいしたことなかったようで、良かった。
朝からBBHの現場指示図作成。
14:00、この間採血した医院に行って、花粉アレルギーの結果をきく。なんと、杉・檜とも反応が出てる。170以内が許容範囲の数値が1400だった。本人の症状は鼻がぐずるくらいなのだが。
とにかく、なるべく外に出ず、帰ってきたらアレルギー源を良く払い、気をつけるように指示される。しかし、現場が有るので、外にでない訳にはいかない。
15:00、事務所を出て、OKBの打ち合わせに。
帰りに、資料集めに新宿の紀伊国屋へ。その後まだ行ったことがなかったので、向かいの三越内のジュンク堂へ。すごい品揃え。端から見て行きたかったが、興味の有るとこだけを廻るが、それでも時間がかかる。改めて来ることにして、必要な物だけ購入して事務所に帰る。
行き帰りの電車で、「明け方の猫」保坂和志(中公文庫)を読み出す。
その中に、昨日感じたこのヒントのような文章があった。
「コンピューターは計算とか記憶とかという人間の能力の一部を抜き出して純化しただけで、聴覚とか臭覚の機能上の広がりとか原生動物から人間にいたる時間的な奥行きとかをいっさい無視して作っているわけで、」
○ 2005/3/23
朝、事務所。
朝刊の一面に丹下健三氏の訃報があった。
「高度経済成長時代(消費社会)のモダニズム」(だれかが言っていたように思うが)の源泉の終焉。
9:00、KOHの現場で細かい打ち合わせ。
10:00に事務所に戻り、連絡事項。
BBHの現場指示図面作成。
13:00前に事務所を出てBBHの現場へ。途中から雨が本格的になってきた。
14:00BBHの定例打ち合わせ。構造の山崎さんが、金物のチェックと、建て方時の指摘事項の是正の確認。キッチン施工会社打ち合わせ等で、16:00前終了。
17:00事務所に戻る。
今日の定例打ち合わせの整理。
○ 2005/3/24
朝起きがけに思いついたことがあり、少し早くに事務所に。
図面確認、現場担当者に今日の現場予定確認。
10:00頃、KOHの現場に行くことにする。
それまで、BBHの現場指示図の作成。
10:00にKOHの現場で、道路際につくスクリーンの下地フレームの取り付け位置確認。朝思いついた件も合わせて打ち合わせ。かなり良くなった。足場ばらしも始まり、工事はピッチが上がって、どんどん様変わりしていている。
11:30事務所に戻る。
その後ずっと、BBHの現場指示図作成。
今晩、新宿のライブハウスでチェ・ミキがメンバーの「居待月」http://www5.ocn.ne.jp/~ms-c/imachi_duki/
のライブがあり、紫水夫妻が大和町に泊まりにきた。
先に寝ていたが、3:00前眼が覚めみんなの会話に加わる。久々に会ったが、転居先の那須で活躍している様子が聞けてよかった。4:00過ぎまで話し、再び寝る。
○ 2005/3/25
朝起きて、トーストを食べていたら、紫水夫妻も起きてきた。午後までに那須に戻らないといけないとのこと。
お先に大和町を出て、事務所へ。
KNHの打ち合わせの準備やBBHのスチールドアのチェックをしたり。
KOHの現場が竣工に向けて急ピッチで進んでおり、朝現場に寄って来た木村の報告を聞くも、自分で確認したくなり16:00前事務所を出て、現場に向かいいくつかのチェックをして、17:00過ぎ、事務所に戻る。
今日はよい天気だが、風が強く冷たい。
自転車で現場に行く途中に、元新宿梁山泊の団員だった中島にばったり出くわす。元気そうだった。
18:30。KNHのクライアント打ち合わせ。基本方針がまとまってきた。
○ 2005/3/26
少しゆっくり起きて、9:00、事務所に。
いくつかの連絡事項。
午後のBBHの打ち合わせの準備。
11:00、事務所で一件打ち合わせして、12:00過ぎ事務所を出る。
13:00過ぎ、小西恵さん設計の小さなオフィスの見学会へ。本当は14:00からだが、次の打ち合わせに間に合わないので、少し早く見せてもらう。敷地面積(15坪)も建築面積(9坪)も2日にオープンハウスをする中野の家と同じ。オフィスと住宅という用途の違いはあるが、小西さんのは将来住宅としての使用を想定しているそうだし、中野は研究者の夫人の仕事場も含んでいるので、使い勝手としてはすごく近い。2階建て(小西さんの)と3階建て(中野)の違いは大きいが、同じ面積で同じような用途だけに、作り方の違いがずいぶんと違う印象を与えることを確認できた良い経験だった。
14:30、BBHの現場でクライアント打ち合わせ。
引き続き、16:00から上棟式。
四方柱をお清めし、現場で料理とお酒を頂き、17:30前終了。
その後、坂下と建設会社の方と場所を移してもう一杯。
○ 2005/3/27
よい天気。
一日大和町。
午後、買い物に高円寺駅近くまで行く。春の陽気に商店街に沢山の人が出ていた。
○ 2005/3/28
朝から雨が降っている。
事務所で、日報のアップ、メールチェック、雑務。
土曜日のクライアント打ち合わせのまとめを夕方まで。
途中、木村とKOHの進行状況と細々したことの打ち合わせ。
その後、MRHが実施設計のまとめの段階に入っているので、今週はそれに集中する。
○ 2005/3/29
朝事務所でメールチェクと連絡事項。
MRHの打ち合わせ準備。
BBHの現場指示図作成。
15:00前KOHの現場。ものつくり大学から、6月にインターンシップで来る学生との顔合わせ。那須先生と一緒に谷田貝君。鈴木基紀のところに顔合わせに行ってきた学生ふたりも一緒。現場を見てもらいながら、お互いの紹介。
15:30、現場にMRHのクライアント夫妻。2日のオープンハウスはご主人がアメリカに出張なので、先行して見てもらう。現場はワサワサ状態。そんな中で、MRHでも使おうと思っている仕上等を確認してもらう。場所を近くのカフェに移して、打ち合わせ。その中で、事務所に有る資料も見てもらった方が良くなり、事務所にご足労頂く。
18:00、MRHのクライアントと入れ替わるように、KOHの建設会社来所。増減についての一回目の打ち合わせ。19:00過ぎまで。
その後、いくつかの連絡事項。
○ 2005/3/30
朝事務所。
今日のBBHの定例の準備。
その間にオープンハウスを控えたKOHの現場に、浴槽とグレーチングが間に合わない、という連絡が建設会社から入る。ずいぶん前に決めていたのに、手配ミスだと言う。1日には写真撮影も段取り済みなので、とにかく間に合うようにぎりぎりまで折衝するように指示。
同時にインターネットで、グレーチングを扱っている会社を探し、木村に連絡を取らせる。
昼前ぎりぎりに、在庫あるところが一社見つかる。すぐ建設会社の担当者に連絡させるが、1日の午後になるという。これでは撮影にならいので、つめるように指示を出す。
13:00前事務所を出て、BBHの現場へ。
途中、何度か事務所に連絡を入れ、木村に指示。
14:00から定例打ち合わせ。16:30終了。
行き帰りに、保坂和志「明け方の猫」を読み終わる。確定できるものはなんなのか、確定できないものをあらわすことは出来るのか。引き続き、村上春樹「シドニー」を読み始める。
18:00前、事務所に戻ったら、グレーチングは明日夕方、現場に入ることになったという。やれば出来るじゃないか。最初からメーカーの言いなりになって、何の手だても尽くさないとは、なんだかなー。要は愛情か。
事務所に戻ってからは、いくつかの連絡事項。
慌ただしかったが、なんだか充実した一日だった。多少見苦しくても、やはり、積極的にして行けば、何らかの結果が出るし、あきらめもつくということだ。
○ 2005/3/31
今日で3月も終わり。
KOHもいよいよ完成だ。
朝事務所で昨日の打ち合わせのまとめと連絡事項を完了させ、10:00過ぎには昨日現場を確認していないKOHの様子を見に行こう、と
思っていたら、木村がこない。10:30前、おかしいので自宅へ電話してみたら、寝坊したとのこと。
電話を留守録にして、事務所を出る。
KOHで建設会社の担当者に、未施工箇所の確認。最終的的には明日の撮影に浴槽は間に合わない公算が大きいが、その他は大丈夫そうなので、安心。担当者の顔も、晴れやかだ。
昼前に事務所に戻り、木村に指示。
午後はMRHのスケッチ。実施図面作成を手伝ってもらっている坂下が、昨日から熱を出し、どうもインフルエンザのようだ。
15:00前に事務所を出て、外苑前へ。16:00から青山の某ジムを見学。
明日はいよいよKOHの写真撮影だ。明日は天気が良さそうだ。明後日もどうにか天気持ちそうだ。
○ 2005/4/1
朝事務所でメールチェックと連絡事項。
8:30過ぎに事務所を出て、KOHの現場へ。昨日ガラスの入ったルーバースクリーンと初対面。外観ががらっと変わった。思っていた通りだ。
撮影をしてもらう新良太さんはもう到着していた。全体を見てもらい、設計主旨を話し、新さんの印象を伺ったりして、撮影開始。現場では同時に細かい作業が続いている。木村とスクリーンの一部に絡み付かせるハゴロモジャスミンを植える。建設会社に手直しの指示を出し、木村を撮影の助手に残し、10:30過ぎ事務所に戻る。
事務所に戻り、雑務の後MRHの作業。
夕方の様子も見たいので、15:30過ぎに事務所を出て、現場へ。木村と入れ替わり、撮影の助手。夕暮れになり、新さんの指示でガラスルーバーを操作。空いているところと閉じているところを変えるたびに様相が変わって、とてもきれいだ。3階のトップライトは、クラインブルーのように真っ青で、ジェームス・タレルの作品のようだと、一人悦に入る。
19:00、撮影無事終了。
○ 2005/4/2
オープンハウスが楽しみで、なぜか早く眼が覚めてしまう。まるで遠足の前の子供のように。
ここ二三日で、いろいろな方から参加の連絡をもらった。久々に会える人もいる。天気は曇りだが、雨よりどんなに良いか。
朝事務所で、メールチェックと昨日の撮影の時、デジカメで押さえたスナップの整理。オープンハウスの後の引き渡しについての連絡。MRHのスケッチ。
10:00、事務所を出てKOHの現場へ。
準備をして、11:00からオープンハウス。スタートから沢山の人がおいでになる。天気も薄日が差す穏やかな天気になった。終了近くには、一度に二十人くらいの方が現場にいたのではないか。盛会のうちに終了。来ていただいた皆様、ありがとうございました。オープンハウスを開催させていただいた、クライアントにも感謝。
17:00前、クライアントがおいでになり、引き続き、引き渡し。引き渡し終了後、取り扱い説明だが、オープンハウスに懐かしい仲間があつまり、近所の居酒屋で待っているので、取説は木村にまかせ、先に失礼する。
駅近くの居酒屋で、小西恵さん、鈴木利美さん、朝倉・梶村夫妻とチェ・ミキで飲み会。久々に会ったメンバーで、話しが盛り上がる。
その後、帰り道チェ・ミキと高円寺の大将に寄る。帰り際にお店の人が4日で店を閉め、建て替えになると言われる。大好きな空間だったので、びっくり。建て変わっても大将のオーナーのビルなので、多分また店は再開するだろうとのこと。ただ、今の店は、ビルとビルの間に巣食った、平屋の海の家みたいな空間だから大好きだったので、きっとその風情はなくなってしまうだろう。
酔った勢いで、もう計画は出来ているだろうけれど、この感じを残すために計画させてくれないか、と話してくれるようお店のひとに名刺を渡す。面倒な酔っぱらいだ。
○ 2005/4/3
朝、ゆっくり起きる。さすがに昨日は密度の濃い一日で、疲れた。
天気がよい。天気予報は、悪い方へ外れると、花見を考えている人から苦情が出るのを恐れて、悪めの天気予報を出したのではないか、と疑いたくなるくらい、気持ちのよい天気だ。
午後、、
大和町近くの馬橋公園へ花見に行くことにする。
ワインとつまみを物色に駅近くまで行く途中に、馬橋公園の桜のようすを確認。まだ、三分咲きくらいだが、花見客が出ている。
帰って、準備をしてチェ・ミキと花見。
花が少ない、と思ったら、幾本かの桜の先端が、剪定されて枝が少なくなっていた。老桜なので、区が整備したのだろうか。
二時間弱、のんびりする。今日は陽が陰っても寒くはならない。
○ 2005/4/4
朝、事務所でメールチェックや連絡事項。
土曜日のオープンハウスのお礼のメール等がちらほら。
今日から試用期間のスタッフ候補が事務所に来る。
木村が事務所の諸々ガイダンス。その後すぐ打ち合わせで作業を始めてもらう。
いくつかの連絡事項。4月になってなんだか動きがある。
MRHの詳細納まりの検討やスケッチ。
14:00前、坂下来所。風邪がまだ完全でなく、つらそうだ。MRHの細かい打ち合わせ。
引き続き、MRHのスケッチ。
夜、HDDに録画した「キッズ・リターン」北野武監督の録画確認をするために見始めたら、止まらなくなった。前にビデオで見て、佳作だなと思った映画。やはり面白い。前半の間の取り方や、同じ場所が繰り返し出てくるところや、自転車の使い方がとてもうまい。後半のテンポ良く畳込むシーンのつなぎも魅了だが、あまりのテンポの良さに、物足りなさを感じてしまうのは、無い物ねだりだろうか。この映画の金子賢、最高だ。
○ 2005/4/5
朝からよい天気だ。
事務所でメールチェックや日報のアップ。いくつかの雑務。
明日のBBHの定例打合せの準備。
昼からMRHの照明と設備の打合せを木村と。
進行中のプロジェクトのスケッチ。
ゆっくり見直してみると、いろいろなことが少しずつ見えてくる。
○ 2005/4/6
朝から暖かい。
午前中は午後の定例の準備や雑務・連絡事項。
その合間にMRHのスケッチ。
13:00前に事務所を出て、BBHの現場へ。14:00からBBHの定例打合せ。サッシもほとんど入り、外壁工事の準備に入っている。17:30終了。
帰り道に新宿で途中下車し、書店へ。日曜の新聞を見て購入しようと思ていた本があったのだが、中を見ると読まないで終わりそうだ。せっかく来たので、書棚をひと通り見ていたら「脳と創造性-『この私』というクオリアへ」茂木健一郎著(PHP)が眼に入る。この間考えていた、コンピューターと人間/脳の関係についての著作らしく、興味があったので購入する。さっそく読み始めよう。
○ 2005/4/7
今日も暖かい。急に温度が上がったから、暖かいと言うより暑いと感じる。昨日の現場の行き帰りの電車は、冷房が入っていた。窓を開ければすみそうなことだと思うが。
大和町のキャロライナジャスミンがどんどん花開いている。
今日はなんだか、連絡事項や雑務が多く、慌ただしい。
そんな中、MRHとKNHのスタッフ打合せと同時にスケッチ。
○ 2005/4/8
朝9:00、成城学園前、現調。成城で設計させていただいたSTHは、振り返ればもう10年前だ。
成城の有名な桜は、満開。
12:00前に事務所に戻る。暖かくて、なんだかやる気にならない。
行き帰りに「脳と創造性-『この私』というクオリアへ」茂木健一郎著(PHP)を読み続ける。「例えば数学的な能力は、人間だけに備わっている特別な能力であるように思われる。しかし実際には、宇宙の森羅万象は、数学的な法則に従って生々流転している。それとは知らずに、高度な数学的な秩序に従っているのだ。天体の運行は美しい数学的な秩序に従っている。天体は、人間のように数学的秩序をメタ認知することができないだけのことである。」「人間の創造性の基礎が、自然の中の生命の営みに象徴される組織化原理にあるということを見据えれば、一つはっきりとしてくることがある。すなわち、コンピュータに新しいものを生み出す能力がないのは、端的に言えば、それが『生きて』はいないからだということである。」
午後一番で、メールチェックや日報アップ。連絡事項いくつか。
13:00KNHのスタッフ打合せ。
MRHの図面チェック。
○ 2005/4/9
朝事務所でメールチェックやBBHの連絡事項。
昨晩木村が作成したMRHの仕様をチェックしまとめ、坂下にメール。
MRHの図面チェック。
12:00過ぎに自転車で事務所を出て、高円寺駅を通るついでに、大将がどうなっているか見に寄ったら、解体工事が始まっていた。大好きだった大将の単管構造があらわになっていた。驚くことに、本当に単管だけで屋根ができていたのが分かった。結構なスパンが飛んでいたが、あの軽やかさはこの構造によるところ大だったのだ。まさに仮設建築である。
13:00前、KOHに行き、写真撮影時には入ってなかった浴槽周りの撮影に立ち会う。今日はピーカンなので、新んさんが再度外観を撮影してくれた。そこまで立ち会い、浴室周りは木村にまかせ、事務所に戻る。
15:00、打合せ一件。
17:00、事務所を出て自転車で中野へ。KOHのクライアントから食事に招いていただいた。少し時間があるので、高円寺の古書店と中野の書店に寄る。
18:00中野駅に集合して、歩いてすぐの地中海料理「カルタゴ」へ。エクレアの塩田さん、木村、チェ・ミキ。沢山の料理とお酒を頂き、話しが弾み、気がつけば24:00前。駅で解散する。ごちそうさまでした。
調子に乗り、帰りにチェ・ミキと大将3号店の追悼、などとかこつけ大将駅前店でビール一杯。
○ 2005/4/10
暖かい日曜日。風邪が強いが、お花見日和だ。
一日大和町で、新聞や本を読んだり、洗濯や買い物したり、スパゲティーや空豆を茹でたり。
8日の新聞に清家清さんの訃報があった。
0411
朝、事務所へ行く準備をしていたら、地震。東京は震度3とのこと。
事務所でメールチェックや日報のアップ。
KNHのスタッフ打合せと、MRHの図面指示。
12:00前に事務所を出て、三鷹からバスに乗り武蔵野大学へ。武蔵野大学の教授で建築史研究室の先輩の河津さんの紹介で、住環境の課題の非常勤講師を今年度から勤めるようになった。今日は武蔵野大学の方々との顔合わせと打合せ。授業は早速、来週から始まる。緊張しつつ、いろいろ考え、わくわく。果たしてこの先どのような展開が待っているのか。
夕方、事務所に戻り、いくつかの連絡事項。
KNHとMRHのチェック。
その後も、バタバタと連絡事項が続く。
○ 2005/4/12
昨日の夜から、気温が低い。暖かい陽気に慣れてしまったので、とても寒く感じる。
朝事務所で、メールチェックと日報アップ。雑務がたまってる。机の上がその状況を良くあらわしていて、雑然としている。今日はそれらを整理してしまいたい。
と思っていたが、雑務や連絡事項が多い。
11:30、BBHの建設会社が来所。簡単な打合せ。
14:00、KNHの計画のためにキッチンの製作会社に来所いただき、ヒアーリング。いろいろ参考になった。
MRHの図面作業が最終段階に入った。
午前中のBBHの打合せのまとめをして、建設会社にファックス。
OKBのスケッチや武蔵野大学の授業の準備も少しづつ始める。
その準備にパソコンで初めての作業をしようとしているので、時間がかかるが、パソコン良いタイミングで変えたのかもしれない。
○ 2005/4/13
今日も寒い。
朝事務所でメールチェックとメール送信。BBHの建設会社との連絡事項、いくつか。そして日報のアップをしていると、だいたい9:00を過ぎてしまう。
KNHとOKBのスケッチ。
MRHも最終段階。午後一で坂下から送られてきた図面チェックをして、電話打合せ。
今日、少し関わった黒テントの新しい劇場と稽古場開きがある、お邪魔することになっているので、お祝いのワインを買いに行く。引き続き、OKBのスケッチ。
17:00事務所を出て、高田馬場の翔設計へ。酒巻さんにMRHの弱電についてヒアーリング。最近の弱電はクライアントによって要望が違い、複雑でなかなか難しい。
その後、19:00からの神楽坂の劇団黒テント、シアター・イワトのお披露目の会へ。
○ 2005/4/14
春らしい陽気が戻ってきた。午前中は私用があり、午後一から事務所。
メールの調子が悪くなり、いろいろ調べて復旧。
MRHの見積りの段取りを進める。
昨日の酒巻さんとの弱電の打合せを木村に伝え、図面化指示。その他の図面もまとまってきた。
17:00、この建物の立ち退きの代理人をやっている会社が来所。話し合い。
良い環境だからここに決め、引っ越してきたのだから、同じような環境のところを見つけるのは難しいだろう。その辺の所を話す。
周りの入居者も、ここのところ引っ越しをする方がちらほら。
月曜日の武蔵野大学での授業のプレゼンテイションの資料を、パワーポイントで作成。
○ 2005/4/15
朝、事務所でメールチェックや連絡事項。
今日も一軒引っ越しをしている。ふと外を見たらボーリング調査が始まりそうな感じだ。ゼネレーターの音がうるさい。窓を開けると真下に置いてある。下におりて、移動してもらうように言う。
工事中はこのように迷惑をかけているのだろうな、と思う。
10:00、MRHの見積りをお願いする、初めておつきあいをする建設会社来所。
BBHの明日のクライアント打合せの準備チェック。武蔵野大学の授業のズケッチを少し。連絡事項いくつか。
13:00、MRHのクライアント来所。実施設計図の説明と、日程等の確認。
15:00、武蔵野大学の授業のために、杉並中央図書館にリクエストしていた雑誌の準備が確認できたので、自転車で取りに行く。ポカポカ陽気。桜吹雪もいよいよ最後だな。
16:00、事務所を出て、オペラシティーアートギャラリー「谷口吉生のミュージアム」http://www.operacity.jp/ag/へ。授業の美術館の課題の参考に、ということもあるが、実は谷口建築のファンなのだ。あそこまでできないのなら、モダンで端正なデザインはやるまい、と豊田市美術館http://www.museum.toyota.aichi.jp/を見て思った。MoMAのコーナーは充実していた。以前梁山泊のニューヨーク公演に美術と役者で同行し、公演の合間に何度かMoMAを訪れた。ニューヨークの街は、東京に比べ格段に成熟しており、緊張感があって、喧噪が好きな僕にはとても楽しい街だった。そんなニューヨーカーが選んだ結果が谷口MoMAだと思うと、流石だと言わざるを得ない。空間のつなげ方がとても魅力的だ。それは、建物内だけで終わらず、街へと繋がって行く。やはり、モダンで端正なデザインはやるまい、と改めて思ったが、この空間のつなげ方は勉強しよう。
18:30、新宿で旭化成の同期の桐山と待ち合わせ。馬主会、反省会。
○ 2005/4/16
朝ゆっくり事務所。
メール連絡と日報のアップでいっぱい。
早飯をして、12:00事務所を出る。
13:00、BBHの現場でクライアント打合せ。衛生機器の色の確認や、仕上材の色等の打合せ。大工さんが一人でやってるので、ゆっくりだが確実に出来上がって行っている。14:30過ぎにクライアント打合せは終了。引き続き、板金や造作の打合せを17:00過ぎまで。
18:00過ぎ、大和町に戻り、たまっている新聞等を読む。
16日の夕刊に、高田渡さんの訃報があった見逃していた「タカダワタル的」が今月末から、バウスシアターで凱旋レイトショウ(http://www.baustheater.com/takadawataru.htm)があるので、楽しみにしていた。「自転車に乗って」も良いが、作詞:山之口漠 作曲:高田渡の「生活の柄」がなんだか好きで、自分はそんな自由にはなれないのだが、そんな自由に憧れている。
○ 2005/4/17
朝から洗濯したり、本棚の整理をしたりで午前中過ぎてしまう。
「絶対毎日スエイ日記」末井昭(アートン)を読み終わる。毎日トイレで少しずつ読むのにちょうど良い、文体と分量だった。三年間の日記だが、一度も飽きないで読み通せた。今はネット上で毎日読むのがたのしみです、末井さん。(面識は無いが。http://www.sundial.co.jp/cgi-bin/byakuya/suei/read.cgi)
午後、KNHのスケッチ。
14:30頃、妹家族がDVDプレイヤーを取りにくる。少しの時間話す。
15:30、皐月賞。ディープインパクトは桁違いに強い。これはもしかすると久々の3冠馬が誕生か。
その後、高円寺の商店街に自転車で買い物。
夕方OKBのスケッチ。面白い考えが浮かんできた。
GAHOUSE・PROJECT2005をパラパラめくる。住宅のプロジェクトが沢山並んでいるのだが、日本の計画と海外の計画の規模に違いに、何とも言えない不思議な感覚になった。こればけ規模が違うと、一口に住宅では括れなくなっているが、そのレンジの広さが、住宅/ひとが暮らす空間の一種の自由さをあらわしているようにも思える。
○ 2005/4/18
朝メールチェックと日報アップ。
9:00になったので、大和町を持ち主だった高円寺の不動産会社(いろいろ情報交換をして懇意にしてもらている)から来ていた、ファックスの確認連絡事項。
午後の武蔵野大学の授業の準備の確認と来月担当になる、集合住宅についての資料確認。
MRHについてスタッフに、細かい部分の指示をだす。
11:30、事務所を出て、武蔵野大学へ向かう。12:15過ぎ着。早速講師の水谷先生、住環境・研究室スタッフの鈴木さんと今日の授業の進め方等打合せ。こちらで作って送っておいたパワーポイントも、問題なく立ち上がることを確認。授業をサポートしてくれる、スチューデントアシスタントの方たちと顔合わせ後、教室へ。13:00授業開始。50人ほどのが学生がこの授業を取っている。水谷先生とお互いのプロフィールを学生にパワーポイントで紹介し、第一課題の説明。今日から約一ヶ月半で提出の美術館の課題は、水谷先生が主担任で、今日はただその課題に関する説明やレクチャーを聞いているだけ。6月からの集合住宅の課題の参考になる。
16:00過ぎ、無事初授業終了。とはいえ今日はお客さんのような役。水谷先生お疲れさまでした。
その後、製図室の控え室に移って、アシスタントの方たちと、少し話しをする。住環境の研究室のある実習棟に移り、河津先生と風袋先生と少し話しをして、17:30過ぎ大学を出る。
久々の課題で、こちらもわくわくしてくる。面白設計が出来上がると良いが。
18:00過ぎ事務所に戻り、雑務や連絡事項いくつか。
○ 2005/4/19
春らしい穏やかな天気。朝事務所で、メールチェックと日報アップ。
昨晩、チェ・ミキから17日日曜日の日報の、「朝から洗濯したり、本棚の整理をしたり」についてのクレームがあった。この書き方だと、まるで家のこと全てやっているように思える。実際には自分の本棚しか整理しないし、洗濯も自分のものを中心にしかしないのに、とのこと。確かにそうです。誤解無きよう。
KNHのスタッフ打合せ。MRHの見積要項作りと図渡しの段取り。昨日メモした武蔵野大学の集合住宅の課題の整理。
14:00過ぎ、自転車で事務所を出て、KNHの仮囲いの確認。途中、KOHの家の前を横切り、ハゴロモジャスミンの様子を、チラッと見る。それほどの変化は無かったが、枯れてはいなかったので、ホッとする。自転車で小一時間走ると、暑くなってくる陽気だ。Tシャツ一枚でちょうど良いくらいだ。
事務所に戻り、KNHの現地で確認してきたことを、スケッチ。KNHのスタッフ打合せ。
OKBのスケッチ。
○ 2005/4/20
今朝は曇り。自転車で事務所に来るまでの庭先の花が、一斉に咲き始め、総天然色の世界になっている。
午前中、BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトと武蔵野大学の設計課題のスケッチ。始めたら、設計課題のスケッチ、乗ってしまいかなり集中する。面白い展開になってきた。
途中、MRHのスタッフ打合せ。
午後は、KNHとMRHの雑務。OKBのスケッチ。
○ 2005/4/21
朝は怪しい雰囲気だったが、8:30前には気持ちのよい日が射してきた。
ホームページのカウンター気がつけば、ヒット数が10000を超えていた。興味を持っていただいてありがたい。日々の記録だけでなく、もっと面白いブログにしたいのだが、自由気侭なようで意外と淡々とした日々なので、まあ仕方がない。
KNHの図面をチェックし、スタッフに指示。OKBのスケッチと図面作業。
今日はMRHの見積り用図面渡しの日。11:00過ぎ、1社目が来所。午後に2社来所。いつも通りの3週間の見積期間を見ているが、今月末からの連休が今年は長く、3週間では厳しそうだ。調整が必要かもしれない。
図面渡しを挟んで、OKBの作業を進める。
18:30、 KNHのクライアント来所。もう一息。今後の進め方等の確認。前回の打合せの際、「仁義なき戦い」の本(「『仁義なき戦い』をつくった男たち 深作欣二と笠原和夫」山根貞男 著米原尚志 著NHK出版)の話しをしたら覚えていてくれ、クライアントの手元にあった、「仁義なき戦い」のDVDを頂けることになり、今日持ってきていただいた。「仁義なき戦い」1〜5と「新・仁義なき戦い」。深作つながりで「バトル・ロワイアル」。久々に「ダダダダダダダダ、ダッダダ、タリラ、ダッダダ、ダッダダ、ダダダダ」が聞ける。
○ 2005/4/22
朝、事務所でメールチェック。日報を書き始めるが、タイムアップ。8:45事務所をでて、6年前に竣工したIMHへ。屋根の改修工事の立ち会い。よい天気だったのが、途中で暗くなり、現地につくと、晴れてるのに雨が降ってきた。狐の嫁入り。
昼、事務所に戻ると、S区役所にMRHの確認申請を出しにいった木村が、確認出せなかったという。これは単純な手続き上の問題でなのだが。もう一つ曖昧な部分があった。天井高さが1m40cm以下で、上もしくは下の階の床面積の半分以下の収納は延床面積の対象外になる。この収納に同じレベルから横に入れるようにして、役所に持って行った。役所では、上もしくは下の階から使うようでないと、だめだと言うらしい。ミサワホームの広告で、同レベルから使うことを大々的にうたったものがああったので、それを持って行かしていた。それを見せたら、ミサワホームは大臣認定を取っているから特例で、大臣認定を取ってもらえれば、問題ない、と慣れたようにいわれたとのこと。きっと、我々と同じ質問があるのだろう。いったい、同じレベルで使おうが、下から使おうがどのような問題が発生するというのだろう。しかも、特例があることを知っていてだ。そのぐらいの判断を個人に任せられず、ルールだからという。あまりにも情けないことが、まかり通っている。
『素晴らしい「直観」を与えられている人間が、ルールを杓子定規に遵守する出来損ないの人工知能のように振る舞うことは愚かなことである。せっかく天から与えられた素晴らしい判断能力を使うことなく、ルールがこうだからと融通が利かないのは、自分の脳の潜在的可能性を発揮しない愚かな行為だと言えるだろう。だからこそ、官僚機構というシステム自体に対しては批判という「北風」を吹かせたとしても、官僚一人一人に対しては、むしろその自然な脳の潜在力を引き出すべく、エールという「太陽」の光を送るべきなのである。』(「脳と創造性」茂木健一郎著)
なるほど。
木村は、結局、出張所経由で再度区役所へ。
木村から電話があり、出張所でも、道路脇の塀について、ルールをいわれる。けして建設的な縛りではない、ルールを。
「太陽」を送りたいのだが、言われること一つ一つがあまりに、官僚的なのだな。
昨日MRHの図面を受け取りに来れなかった建設会社が1社来所。
給与、経費の支払いに銀行に。
OKBの作業。
昨夜から今日にかけて『家族と住まない家:血縁から〈暮らし縁〉へ』(島村八重子+寺田和代:著 春秋社 2004)を拾い読みする。鎌倉でこれから計画するグループホームの参考のためである。家族とは異なる形で共同生活をしている人たちへの個別的なインタビュー調査の間に、篠原聡子さんや上野千鶴子さんのインタビューが挟まれている。一般論よりも具体的なケーススタディに注目している点が説得的である。社会の「個人化」にともなってライフスタイルはますます多様化している。それに対して篠原さんは、個別的な対応をし過ぎた住まいではなく、多様なライフスタイルに対応できるフレキシブルな空間を設計すべきだと主張しているのが印象的だった
○ 2005/4/23
朝、ゆっくり事務所に。気持ちのよい天気だ。
11:00、新宿で打つ合わせ。
昼は、桂花でラーメン。その後三越の上に有る、ジュンク堂へ。この間、初めて来てその品揃えに驚いた。今日も目的の本が手に入る。その他、面白そうな本を物色。その後、無印へ。
事務所にちょっとより、大和町に戻りる。
17:30過ぎ、チェ・ミキと大和町をでて、途中、荻窪で買い物をして、鳥越さんのお宅へ。
久しぶりの鳥越邸は、より落ち着いた風情を醸し出していた。
今晩は、萩原さんと佐野さんもみえて、鳥越邸に関する本作りについての一回目の打合せ兼飲み会。鳥越邸が出来上がるまでの経緯や、鳥越邸にまつわるいろんな方の思いを回想。どのような本にまとめて行くかの確認を行う。話しが楽しく、お酒も入り、最後は少し暴走気味。気がつけば、0:00前。名残惜しいが、おいとまする。
○ 2005/4/24
今日もよい天気。
キャロライナジャスミンが今を盛りと咲いている。蜂が忙しそうに飛び回り、蜜を集めている。
午前中は、たまった新聞を読んだり、買ってきた本を整理したり。何曜日かの朝日の生活欄の「読者へ」という欄の、唐十郎さんの文書が、とてつもなく面白かった。ここにまとめてみたいが、これは全文読まなければ、伝わらない。ごく簡単に書けば、「緑のおばさん」と「つばおとこ」についてのエッセイだが、充分、一本の芝居くらいの内容がある。
午後、高円寺駅そばまで買い物に行ったついでに、事務所の建物の立ち退きの交渉の代理人になっている会社から送られてきた、代願物件を外から見に行く。どちらもぱっとしないものだった。
『脳と創造性-「この私」というクオリアへ』茂木健一郎(PHP)を読み終わる。
「生物は、新しいものを生み出し続けなければ生き延びられなかった。また脳は、創造的でなければ存在し得なかった臓器であった。」という認識から始まる。「世界について知識を得て、他者に対しては成熟した寛容を示しつつも、私は生まれたばかりの赤ん坊のようにぎこちなくあり続けたい。そうすることが、『創造しつづける脳』を活かし、この有限の生をまっとうする唯一の方法であることを私は知っている。」と終わる。その間に、われわれの日常の行いに対する、優れた考察があった。
○ 2005/4/25
朝は霧雨だったが、9:30頃から薄日が射してきた。
事務所でメールチェックと日報のアップ。
朝、木村にOKBの図面作成指示。午後の授業の準備。
11:30事務所を出て、武蔵野大学へ。授業前に、原広司さん設計のグリーンホールの食堂で、昼食。ハヤシ・オムライスが380円。まあ味はそれなり。
12:30過ぎ準備室に行き、今日の打合せ。13:00から授業。講師の水谷先生から、先週の補足のレクチャー。その後、製図室に場所を変え、質問等を受け付けるが、質問が一つ二つだったので、みんなに今回の課題に対する感想や、好きな美術館等を一人一人話してもらう。話してもらったら、結構積極的な意見やスタンスがみえたので、安心した。こうやってだんだん垣根がとれて行くのだろう。授業終了時間を超えて、16:30頃まで。
準備室で水谷先生と少し話しをして、大学を後にする。
18:00前、事務所に戻る。
○ 2005/4/26
雨上がりの朝。雨上がりも気持ちのよいものだ。
いつものように、メールチェックと連絡事項。
9:40事務所を出て、KOHへ。工事でお世話になったご近所の方へ、建設会社とご挨拶に伺う。ハゴロモジャスミンは白い花を咲かしていた。これから、根が伸びれば、急激に大きくなって行くだろう。
10:45事務所に戻る。
木村とMRHの確認申請の訂正の打合せ。先日新さんが持ってきてくれた、EMHとKOHの写真の再確認をして、プリントに出す準備をする。
OKBの図面作業の合間に、プリントの依頼に出かけ、依頼し終わって外に出たら、空は真っ黒で急に雨が降り始めた。
自転車だったのでしばらくは動けず、写真やの庇の下で雨宿り。落雷を伴った集中豪雨が続く。しばらくたってすこし小降りになったので、商店街のアーケードまで自転車を飛ばす。銀行により、近くの地下に有る古書店に入り、雨をやり過ごす。しばらく経って、外に出たらほとんど雨が上がっていた。立ち退きの代理人から送られてきた物件を見に行く。全く候補にならないような物件。そうこうするうちにまた、雨が降り始める。振込のために郵便局によるが、振込の機械が壊れている。なんてこった。雨の中、事務所に戻る。でも、古書店でいままで目にしたことの無い「ワンダフルライフ」のメイキング本を巡り会えたので良しとしよう。とても大事に作られた、撮影現場の記録の本だ。
戻って、OKBの作業の続き。
17:00前、クレディスイスの小林さん来所。老後の生活についてのレクチャー。
引き続き、OKBの作業。
○ 2005/4/27
今日は気持ちのよい天気。
午後からBBHの現場に行くので準備。
KNHのスタッフ打合せ。OKBの図面チェックをし、図面修正指示。
11:30、KNHの打合せに建設会社来所。施工体制を整えてもらい、連休明けに現地調査を行うことにする。
13:00前、事務所を出てBBHの現場へ。外部のスパンドレル張りも始まり、ゆったりとした良い空間になりそうだ。
帰り道に、新宿で下車し、今週の土曜日に見に行くことにした、三百人劇場の「吉村公三郎/女性映画革命」の前売りチケットを安売りチケット店で購入。ちょうど土曜日の2、3回の上映が、「暖流」「安城家の舞踏会」と続く。
今日はMRHの見積の質疑があがって来る日。17:00までにファックスで送られて来ることになっていた。事務所に17:00過ぎ戻ってみたら、一社からあまり重要でない質問が一つだけ。拍子抜けする。それほど整った図面だった、と思ってよいのか。そんなわけないよな。
○ 2005/4/28
今日は25度まで気温が上がると言う。極端だ。
今朝もう一件、MRHの質疑がファックスで入っていた。メールチェックや日報アップ。
10:00前に事務所を出て、品川の原美術館へ向かう。武蔵野大学の前期の前半の課題が美術館で、原美術館とその敷地がサイトになっている。11:00からカフェの奥のホールで、学芸員の方からレクチャーを頂く。その後質問をする。いろいろ知らないことが分かって面白かった。12:00前終了、解散。その後各自で美術館内部と現在開催中の「タピエス-スペインの巨人 熱き絵画の挑戦」を見学。
タピエスの作品は、シザの建築を思い出させるような、静謐さと緊張感がある。その合間に原美術館の特色の、チャンバーを利用した常設作品がある。その中のほとんどは、いままで他の展覧会で見ていたが、昨年の奈良美智展の際に常設された「MyDrawingRoom」(http://www.haramuseum.or.jp/jp/common/doorToArt/index.html)がとても良かった。タピエスと対照的な感覚があるので、特に印象的だったのかもしれない。一言で言えば、統一されたユルユル感。いままで写真等で奈良さんの作品を目にしていたが、あまり興味が無かった。それはもしかすると一点一点だったからかもしれない。この「My Drawing Room」くらいまとまったときの、統一されたユルユル感は、居心地の良い友達の部屋に遊びにきたみたいな感覚だ。ほんの数秒ではまってしまった。今日から奈良作品ファンです。
こんな感覚を持った住宅(こんな形や内装という意味ではなく)が、自分が作りたいと思っているが、それがどんなものなのか分からなかったものの、確実に、一つであることことを確信した。
原美術館に来る電車で読んでいた「武満徹 その音楽地図」小沼純一(PHP新書)の中に引用されていた、武満徹の文章。
「地上には異なる人種があり、各自の言語や、考えかた、感じかたというものをもっている。このことは世界を貧しくはしていない。むしろ、日常の生活の世界を動かすことに役立っている。
それから、私はまた多くの言葉を書きとめて云った。言葉と交渉をもつと、私のなかに他者があらわれ、私の考えは緩やかにだがひとつの方向性をもった運動として収斂されて行く。
私は、この作品に《November Steps》というタイトルをつけることにした。」
この文章の印象が強度を増した。
事務所に戻り、MRHの質疑の回答や、連休前のスタッフ打合せ。
17:00阿佐ヶ谷駅で、大学の「スイング&ジャズクラブ」の時からの友人、牧夫妻と待ち合わせ。チェ・ミキと4人でアルポランへ。近くにいながら久々。「散歩の達人Presents中央線ソングズ」 (http://www.kotsu.co.jp/magazine/sanpo/osusume/index.html)の16番目に彼らのバンド「吾妻光良&SwingingBoppers」が参加していて、このCD探していたら、頂けるというので飲むことになった。懐かしい話しで盛り上がり、もう一軒ということで、近くの店に。12:00過ぎ、その店にやはり大学の時からの友人、吾妻夫妻が飲み会帰りに来て、ひとしきり話し、1:00前くらい(多分電車はまだ動いていたので)に駅で分かれる。昔は遅くまで飲んでいたが、皆歳を取り、この時間はもうオネムの時間をとうに過ぎている。
○ 2005/4/29
6時間も飲んでいると、さすがに次の日は、細胞が全て活動を休止しているような状態になり、ゆっくり寝たが、本調子ではない。
11:30事務所。
武蔵野大学の前期の後半の第2課題の文案作り。
唸りながらもどうにか形になってきた。
いろいろな資料を持って、夕方大和町へ移動。
○ 2005/4/30
午前中は、大和町で持ち帰った資料を見たり、雑務。
12:00前に大和町を出て、千石の300人劇場に。 「三百人劇場映画講座VOL.17 吉村公三郎 女性映画革命 」の「暖流」と「安城家の舞踏会」を見る。両方とも、以前読んだ映画のショット分析についての本に、頻繁に取り上げられていた映画で、一度見てみたいと思っていた。両方とも、しっかり考えられた構図とショットの素晴らしい映画だった。
しかし、原節子も高峰三枝子も実に可憐で、台詞の日本語もおっとりしていて、たかだか60年でずいぶん変わってしまったことがわかる。佐分利信も滝沢修も森雅之も魅力的なスターである。
○ 2005/5/1
一日大和町で、いろいろ。
夕方17:00、高円寺の二楽亭で焼き肉。西荻の父と妹家族3人とチェ・ミキの6人。
父にごちそうになる。
父が話し足りなそうだったので、妹と甥っ子のふたりを先に返し、父と妹の旦那とチェ・ミキの4人で近くの焼き鳥屋へ。
18:00過ぎから雨が降ってきたが、連休でどの焼き鳥屋も若い子たちで一杯。大将の3号店が無くなったのは痛い。
○ 2005/5/2
朝、事務所でメールチェックと午後の授業と後半の課題の準備。
10:00三鷹で打合せ一件。11:30前三鷹からバスに乗って武蔵野大学へ。
13:00から「空間造形3」の授業。美術館の課題のエスキスを一通り見る。まだ木曜日に見に行った原美術館の感想のようなものしか出てきていない学生が多い。一通り見終わったら17:30前。その後、前期後半の課題のたたき台について、河津、風袋、水谷先生と打合せ、学校を出る。
19:00に事務所に戻り、明日から3連休に入るスタッフの担当作業の引き継ぎ。
この間大和町地下で、CDを聞きながら寝てしまった。2階は暖かだったが、地下は寒かったので、どうやら風邪を引いてしまったようだ。はなが出て止まらない。
○ 2005/5/3
やはり、風邪のようだ。喉も少し痛くなってきた。まあこれは、昨日3時間ほどエスキスでしゃべりっぱなしだったからかもしれない。
少しゆっくり起きて、8:30前事務所。メールチェックとたまっていた日報のアップ。
BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトのエスキス。色ん素材を机に出してみる。昨日の武蔵野大学のエスキスチェックの整理。
12:00過ぎに事務所を出て、梅が丘の荒木毅さんの住宅のオープンハウスへ。三角形の敷地で、2階のLDKの道路に接する長い一辺の開放感が気持ちよく、天気も良かったので2階全てがテラスのように感じられた。外部空間を一緒に考えているというお隣も、拝見。
その後歩いて、豪徳寺の豪徳寺へ。大和町のオープンハウスをしたとき、内木さんご夫婦がお祝いにくれた招き猫を、僕の不注意で壊してしまい、申し訳なく思っていた。機会があったら豪徳寺に行って、再入手をしよう、と思って随分経つ。ついに念願かなって招き猫を、大和町にお招きすることができた。
帰りは宮の坂から世田谷線に乗り、下高井戸、吉祥寺経由で16:00、事務所に戻る。久しぶりに乗った世田谷線は、随分きれいになっていた。
吉祥寺の書店で、「東京人・6月号/建築を見に、美術館へ。」武蔵野大学の課題に、ぴったしの参考書。原美術館の歴史も少し載っている。さて、みんな気がついているかな。「映画日本国憲法読本」(FOIL)。『映画 日本国憲法』はジャン・ユンカーマン監督が『チュムスキー9・11』の続編として撮った映画で、その採録シナリオや日本国憲法全文やインタビューがまとめられた本。先日中野ゼロホールで映画公開のイベントがあったのだが、予定があって行けなかった。今日5月3日にこの本を手にするのも、何かの巡り合わせだろう。「ミヤザワケンジ・グレーテストヒット」高橋源一郎(集英社)。宮沢賢治の作品のタイトルで書かれた作品群。賢治さんだし、装幀が良いのでつい買ってしまった。
再び、BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトのエスキス。EMHとKOHの写真のプリントができたので、整理。
○ 2005/5/4
風邪を直すため昨日は早めに寝たのだが、朝起きると熱は無いのだが、咳が出て喉とはながひどくなっていた。
午後のKOHの打合せをキャンセルさせてもらい、一日大和町。
進行中のプロジェクトのエスキスとBOOK BAR『ホンコン』プロジェクトの作業。
今晩も早めに床に入る。
○ 2005/5/5
昨日が峠だったのか、随分体調が良くなってきた。
8:30事務所に来て、メールチェックや雑用。9:30になったのでKOHのクライアントに電話をして、昨日できなかった打合せを午後に行うことにする。
久々にOZONEから、面談の意思確認の問い合わせFAXが入っていた。もちろん、対応の意思あり。OZONEのコンペはクライアントには大変な部分もあるだろうが(もちろん良い部分もあるだろう)、他の設計案を体験できて、自分の考えかたへの刺激になり、結構楽しんでいる。
午前中、BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトに使おうと思っている資料探しと整理。午後の打合せの準備。
昼過ぎ事務所を出て、KOHへ。引っ越しの荷物もあらかた片付いていた。しばらく暮らしていただき、様子を見た上でのブラインドや家具の要望とそれに対するアドバイス。15:00、おいとまして事務所へ。いくつかの雑務をすまし、大和町へ戻る。大和町でMRHの図面チェックと雑誌等を見たり。
完全に休んでいる訳ではないが(完全に休むことのできない、思い切りのなさが情けないが)、それでもこの何日かゆったりと時間を過ごしている。少しずつ、たまっていたことが片付いてきた。年末年始やお盆休みとは違う、こんな時間が秋にも一度くらいあれば良いのに、と思う。
○ 2005/5/6
朝8:00事務所。たまっていた日報のアップ。BOOK BAR『ホンコン』プロジェクト用にポジや資料を見直したが、忘れていたものも沢山あり、その整理。
BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトのフォトショップの作業の、スタッフ打合せ。及び文章やプロフィールの作成。
唐組を明日見行くことにして、予約の電話をかける。
午後はBBHの現場指示図の作成やMRHの構造図の確認。
昨日までの天候に比べ、今日は寒い。気をつけないと風邪をぶり返してしまいそうだ。
○ 2005/5/7
今朝も寒い。
朝事務所でメールチェックと日報アップ。
雑務の文章書き。その後、BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトの昨日までの成果を見直す。あるところまでできて、改めて見直してみると、方向性がぶれていることが分かる。修正のエスキス。明後日スタッフに指示する準備。自分の位置を見直すのに、とても良い機会になっている。昼過ぎから晴れてきた。
17:00過ぎ、チェ・ミキと自転車で大和町を出発し、西新宿の通称「原っぱ」の唐組「鉛の兵隊」を見に行く。自転車でゆっくり走って30分強、思ったより早かった。この「原っぱ」、ザ・ハウスの新宿店のすぐそば。開場まで時間があったので、チェ・ミキを案内がてら訪ねる。
「鉛の兵隊」では、指紋とアジアの砂丘の波紋と北海道・アイヌの谷が繋がって行く、密な唐ワールドが繰り広げられていた。唐十郎というたぐいまれなる詩人の、弱音の東アジア通底音(全く政治的ではないところが素晴らしい)。改めて、この詩人の台詞と同時代に触れられる喜びを噛みしめた、といっても過言ではない芝居だった。唐組全体のアンサンブルの構図にも変化があり、この動きがどうなって行くのかも、楽しみだ。
○ 2005/5/8
昨晩は寒かったので、風邪がぶり返しそうだったので、終演後はテントに残らず帰ってきたが、それでも咳がひどくなっていた。
一日、大和町で資料や本を読んだり。
○ 2005/5/9
朝事務所でメールチェクや日報のアップ。
9:00、事務所で打合せ一件。
スタッフにBOOK BAR『ホンコン』プロジェクトの修正の指示を出し、11:00前事務所を出る。
13:00からの武蔵野大学の授業の前に、前期後半の課題の敷地候補を下見。先週先生方に教えてもらった、学校近くの敷地候補を見て歩く。グリーンパーク遊歩道沿いに目星をつけ、学校へ。13:00から空間造形3の中間発表。ほとんどが考えることで目一杯になっており、手が動いていない。一通り発表が終わった後、希望する学生に個別のエスキスチェック。18:00まで。その後、水谷先生と授業の前に下見した課題の敷地候補を見に行く。ほぼここで良いのでは、ということになる。
19:00過ぎ、事務所に戻り、スタッフに指示と連絡事項いくつか。
○ 2005/5/10
すっきりしない天気だったが、8:30頃から晴れてくる。
朝から事務所で、メールチェックや日報のアップ。BOOK BAR『ホンコン』プロジェクトの最終修正の打合せ。いくつかのパターンを出しては、修正で、結局一日かかる。
武蔵野大学の空間造形3の前期後半の課題の準備や、KOH、OKB、KNHについて連休中にまとめておいたことをスタッフと打合せ、指示。
途中、立ち退きの代理人の会社から送られて来ていた、移転候補物件を見に行く。間取りがNGだが、一応確認しておこうと思って。場所はまあまあだった。
なんやかんやで、一日事務所にいたが、落ち着かない一日だった。天候も晴れたり曇ったり。
○ 2005/5/11
朝から曇りで、ポツリポツリと雨が落ちてくる。午前中、郵便局に用事があって外に出たら、寒いくらいだった。
13:00前に事務所を出て、BBHの現場へ。外壁の板金工事が随分出来上がってきたので、確認。内部木工事の打合せ。
17:30事務所に戻る。いろいろな連絡事項があり。
18:30KNHのクライアント来所、打合せ。
○ 2005/5/12
朝9:00、KNHの現場へ。建設会社、設備、電気担当会社と工事の概要の打合せ。10:30過ぎ終了。
11:00前事務所に戻る。連絡事項が一杯で、スタッフに指示を出したり、午前中はバタバタ。
午後一番で昨晩のKNHの打合せで変更になったことと、今日の現調の確認のスタッフ打合せ。
今日は本当に、連絡や確認事項が多い。
15:00、武蔵野大学の学生が来所。エスキス模型のイメージがつかめないというので、事務所で作った模型で説明する。少しはイメージが膨らんだようだった。
その後も雑務に追われる。
大和町のiMacG5が調子が悪く、チェ・ミキがアップルのケアセンターに連絡をして修理依頼をしているが、その対応の悪さに、あきれている。箱詰めして修理に出したが、あまりに早く戻ってきたので、何事かと思ったら、受け付けた人がシリアルナンバーの一部の「N」を「M」と聞き間違えていて、ナンバーが違うから送り返してきたらしい。長いシリアルナンバーのほんの一文字が違うだけの偶然がそうそうあると思っているのだろうか。確認の連絡くらいあっても良さそうだが。その件問い合わせたら、いずれにしてもその部品在庫なく、2〜3週間先でないと工場に入らないと言う。修理に出す前にはそんなこと一言も言われていないらしい。その後も、期限を切って修理の要望を出したが、アップルはそういうお客様の要望に沿う努力をしない会社だ、と電話窓口が言うらしい。いまだに何も解決されていない。
○ 2005/5/13
朝から曇り。天気予報を見ると、明日関東は曇りになっているが白州の天気は晴れのち曇り。日曜日より良さそうだし、TRHの撮影、予定通り行ってみよう。
朝、日報のアップとメールチェック。
9:00過ぎたので、アップル本社へクレーム。
KNHの電気設備の検討。午後一番にそのスケッチをスタッフ打合せ。
その後、立ち退きの代理人会社から来ている物件を見に、高円寺まで自転車で。ろくな物件でなかった。帰り道に、2、3不動産会社によって、事情を話し物件情報の依頼をする。
EMHとKOHのポジ機械焼きで出していたプリントをピックアップ。同時に、ポジからスキャナーでデーター化したものをプリントに出していたのだが、なんだかこちらの方がきれな気がする。便利なもんだ。
BBHとOKBの作業。チェ・ミキから電話があって、アップルは結局、2〜3週間かかる対応しかしてくれないそうだ。何を言ってものれんに腕押し。企業の自己防衛が強くなり、ルールばっかり作って、社員はそれを守るのに精一杯。消費者が一番弱く、不利益を被る世の中になってきていることを、最近感じる。JRの事故もその一つのような気がする。
夜になり天気予報、山梨は曇り昼過ぎには雨が降り出すとのことで、撮影延期。
○ 2005/5/14
朝9:00事務所。なんだか東京は雲の合間に青空がみえる。事務所のパソコンで山梨の天気を見ると、晴れ時々曇りになっている。まあしょうがないか。急に空いた一日、有効に使おう。
武蔵野大学の空間造形3の前期後半の課題の準備。だいぶ固まってきた。明日読む資料の準備。
KNHのエスキス。来週中過ぎには概算用としてまとめ、建設会社へ概算見積を依頼したい。
○ 2005/5/15
変な天気だ。
朝曇っていたと思ったら、晴間が見え、午後買い物に出かけると、風邪が強く、急に暗くなってきたと思ったら、ほんの一瞬にわか雨。夕方、激しい雷雨の後、快晴になった。
一日、武蔵野大学のレクチャーの準備の資料読み。
一念発起で、レシピを見ないで作れる料理のレパートリーを増やすことにする。まずは、揚げずに作る、酢豚。十何年前、料理を始めた時と同じように、「クロアッサン」(最新号)のお世話になる。マズマズの出来。何度か繰り返すうちに、レシピなしで自分流にアレンジしたものになって行くだろう。
○ 2005/5/16
朝から晴天。だが気温は上がっていない。風邪が少し冷たい。
メールチェックに日報のアップ。
土日でエスキスしたことをスタッフに指示。いくつかの連絡事項をすませ、11:30事務所を出て武蔵野大学へ。
13:00から空間造形3のエスキス。2年の課題は半期に一つだったとのことで、みんな前期の半分で一つの課題を仕上げたことが無く、スケジュール的にみて、どう見ても苦しい。あと二週間、どこまでレベルアップするか。17:30終了。
その後、準備室で前期後半の課題の資料探し。
18:30に講師の水谷先生と学校を出て、吉祥寺の「いせや」へ。一杯やりながら、色んな話しをする。「いせや」は22:00に閉店なので、もう一軒、ということで、十何年ぶりに「のろ」を目指す。場所を覚えているか定かではなかったが、あっさり見つかる。24:00過ぎまで。
○ 2005/5/17
少し飲み過ぎて、朝少しゆっくり事務所。
メールチェックと連絡事項。
10:30区役所にMRHの確認申請、設備の訂正に行っている木村から電話がある。ガスカランがついている部屋に、24時間換気で吸気口がついているにも関わらず、吸気口を追加の指導があったと言う。暖房のためにガスカランつけるのに、冷気が入ってきてしまう、とい言っても、だめだというらしい。燃焼器具の有る部屋で死んでしまったらこまる、とのことらしい。それくらい住む人の意思に任せればよいのに。本当にルールが好きな国である。
土曜日のOZONEの面談の資料を読む。
12:00に事務所を出て、OZONE面談の敷地を見に行く。帰りに久々に旗の台で乗り換える。大井町線と池上線をつなぐ階段がとてもドラマチックで大好きだった。5年前住まいを長原から引っ越す前に写真を撮っておこう、と思っていたのだが忘れてしまっていた。その後駅の工事が始まったことを聞き、もう変わってないかと思っていたら、まだこの部分手つかずだった。シンメトリーに配された、ストロークの長い階段とトップ、サイドライトとトラス。どれがかけてもいけない、魅惑の空間だ。
原宿で山手線人身事故に巻き込まれ、立ち往生。振替輸送で千代田線と小田急線で新宿までたどり着いたら、山手線も復旧していた。
15:30事務所に戻る。
16:00過ぎ、ザ・ハウスの研修中の新人の竹内さん来所。一時間ほど面談。
現調の整理とBBHの現場指示図作成。
「空港にて」村上龍(文春文庫)を電車のなかで読み始める。短編集で、『コンビニにて/居酒屋にて/公園にて/カラオケルームにて/結婚披露宴にて/クリスマス/駅前にて/空港にて』、の8編で構成されている。場所が各短編の題名になっているので、興味を持ったが。脳や感覚を記述する試みというか、私ってこんな感じっていうか。同時に様々な情報が飛込んできて、色んな行為を同時にしている。けして一つのルールだけに従っているのでなく、ズルズルと連続的に判断をしたり、判断を回避したりしている。その連続なのだ。『クリスマス』の途中だが、『コンビニにて』は秀逸だ。「明け方の猫」保坂和志や「脳と創造性」茂木健一郎とも通じるところがある。
明日からチェ・ミキは名古屋のおばさんのご招待で中国旅行。うらやましい。敦煌まで行って、月の砂漠でらくだに乗るらしい。朝早く名古屋の空港から出発なので、今晩おばさんの家に泊めてもらうため、出発した。
○ 2005/5/18
今朝は気持ちのよい天気だ。事務所の窓を開け、部屋の中を吹抜けて行く風が、気持ちよい。
BBHの現場とクライアントに連絡事項。金曜日に足場ばらしの予定。
BBH、KNHの図面作成。
午後、MRHの見積が1時間おきに、4社から出てくる。やはり予算に対して厳しい見積が出てきた。
1時間ごとの来所なので、合間合間に武蔵野大学のレクチャーの準備をする。
いくつかの建物の竣工年を確認しようと、資料を探していたら「現代建築の軌跡・1925-1995『新建築』に見る建築と日本の近代」(新建築1995・12月臨時増刊)が出てきた。パラパラめくるととても面白い。70年間の間に豊穣な様相を持った建築群や活動があったのが良くわかる。しばらくそんなことを忘れていた自分が恥ずかしく、自分の建築に対する考えをそれらの豊穣と比べた時の小ささに唖然とした。そして同時にそんな歴史を持つ建築の末端にいて、仕事ができることを嬉しく思った。
全て出そろったところで、クライアントに報告し、チェックと比較表の作成を始める。
○ 2005/5/19
今朝も昨日と同じような、気持ちのよい天気だ。
やっと暖かくなってきたので、小さい虫が沢山飛び回っている。
朝から昨日の続きのMRHの見積チェックと比較表の作成。
10:30、一区切りついたところで、不動産屋さんから来た高円寺の事務所用物件を見に行く。簡単には良いものあるわけないな。
事務所に戻って、連絡事項いくつか。
午後一で武蔵野大学の学生がふたり、エスキスに来所。みんな戸惑い、悩んでいる様子。しかし、時間も無くなってきている。
次回の課題のレクチャー用の画像の取り込みを、スタッフに指示。なんだかバタバタしている。
昨晩ニュースを見ていたら、少女監禁事件で保護観察所のファックスミスで、容疑者の保護観察に2ヶ月の空白期間が生じていた、という。ファックスででも報告を出すと言うルールを作る。それに従っていれば、良しとする。人間だからミスも有る。しかし、ルールには従っていたので、申し訳ない。そのようなことのためにルールばかり出来て行く。
ミスをするかもしれないから、その件の重要さによって方法を判断し、相手に伝わっているかを確認するのが、コミュニケーションで、そのために機械がそれらの行為を行うのでなく、人間が行っているのではないだろうか。
NHKのニュースのホームページを見ると、「法務省は、このミスを重くみて、全国に50ある保護観察所に対して緊急の通達を出しました。それによりますと、特に保護観察を受けている者が転居や旅行をする際に保護観察に空白が生じやすいとしたうえで、▽ファックスで転居などを照会する際は、送信先の保護観察所に確実に届いたことを確認するほか、・・・」とある。こうやって人間は創造力を失って行くのか。
○ 2005/5/20
昨日に比べ少し肌寒いが、よい天気だ。
一月くらい前に読んだ、「武満徹—その音楽地図 」小沼純一(PHP新書)で知り、入手した小室等の「武満徹ソングブック」、最近良く聞いている。数ある「武満徹ソングブック」の中で、一番好きな作品だ。昨晩も少し酔っぱらいながら聞いていた。他の人が歌っていない「ぽつねん」は心にしみる。癌で亡くなった友人のYを思い出した。彼は亡くなる前、お見舞いに持って行った鈴木大介演奏の武満徹のギター曲をとても気に入っていた。「ぽつねん」聞かせたかったな。
MRHの減額案検討。明日のOZONEの面談の資料確認と準備。武蔵野大学の空間造形3の前期後半の課題のレクチャーの準備。ほぼ完了に近づいた。
一日事務所だった。
○ 2005/5/21
朝9:30、OZONEで面談。
面談の終わり頃、面談ご一家の9才のお嬢ちゃんが僕の絵をホワイトボードに書いてくれたことに気づく。カワイイ(もちろん僕がではなく、絵が)ので、デジカメで撮らしてもらう。
その後、昨日足場がばれたBBHへ。すっと立ち上がっていた。現場でいくつか気がついた点があり、大工さんと話す。
平日だとゆっくり寄れない、書店やタワーレコードへ。特に収穫なし。
夕方事務所に戻り、天気予報見るも、明日の山梨・北杜市は曇り。新さんに連絡し、明日の撮影は延期。白州に滞在中のクライアントにも連絡し、他の日の撮影をお願いする。どうも天気との相性が悪い。
18:00大和町へ戻る。暮れなずむ時間、家の中を吹抜ける風に定家葛の香りが。武満徹のソングズを流しビールを飲み始め、少し酔い始める。ゴーヤチャンプル(CookDoに頼ってしまった)を作る。(次からはCookDoに頼らないように、料理本で勉強。何だ簡単だ。)
「インターネット持仏堂1・いきなりはじめる浄土真宗」内田樹・釈徹宗(本願寺出版)が面白い。内田樹さんのホームページ内のコーナーを本にしたもの。内田樹さんのブログはとても興味深く、こまめにチェックしている。レヴィナスへの興味から、内田樹さんを知った。この本にも、沢山のレヴィナスへの言及がある。
日本テレビ「瑠璃の島」。つい見てしまう。みんなが「ごめん」という島。
○ 2005/5/22
朝、ベット中で「空港にて」村上龍を読み終わる。あとがきに「希望」を描きたかった、と。なるほど。この小説の中に、ひょんなことから使い切るのに困ってしまうほどの収入を得てしまう人間が何人か出てくる。確かに現代はそんな時代だ。起きてたまった新聞を読んでいたら、自分の周りの出来事を一週間に一度連載してるコーナーがあり、今月は菊池成孔という人だった。この人も、生きて行くのに困らない程度の親の遺産がある、と書いてあった。内容はトンガッタ文章で、なぜだか印象に残った。
昼前、のび放題の蔦類の剪定。長い柄のついた鋏で上を見たり下を見たり剪定するのだが、終わると手だけでなく脚までも震えている。何と筋力の無い身体になったのだろう。
中国のチェ・ミキと名古屋のおばさんから電話有り。今お別れ昼食会の最中とのこと。今日中には東京に戻れる、とのこと。
午後高円寺文庫センターにある本を探しに行って、レジに持って行ったら、レジのところに「菊池成孔」のサイン色紙が立ててある。(ここには以前、人間風車のビル・ロビンソンの色紙が立っていたこともある。)そこに「東京大学のアルバート・アイラー」という本の情報があった。面白そうなので、店員さんに訪ねると、何冊かの本がまとまってコーナーになっていた。どれも面白そうなものだったので迷ったが、「東京大学のアルバート・アイラー/東大ジャズ講義録・歴史編」菊池成孔+大谷能生(メディア総合研究所)を購入。(サイン本)店員さんはかなり入れ込んでいるみたいで、いろいろ教えてくれる。
夕方、資料整理と録画したDVDの整理。
夜は、残り物の野菜を使い、ポトフもどき。「さかな、さかな、さかなー、魚を食べると」という歌がいつも流れているので、「さかな、さかな」と呼んでいる近所の魚屋の自家製サバの干物を焼く。焼き魚、煮魚も手中に収めたい。
○ 2005/5/23
昨日夜遅くチェ・ミキが帰ってきた様子。朝起きたら坊主がテーブルに並んでいた。
朝、事務所。メールチェックと日報を書く。
BBHのクライアントから連絡の電話。土曜日足場がばれた様子を見に行って、良い家が出来そうだ、と喜んだとのこと。こちらも嬉しい。
11:30事務所を出て、武蔵野大学へ。13:00空間造形3前期前半の課題の最後のエスキス。やっとみんな尻に火がついてきたようだ。まとまりつつあるもの、いまだに暗中模索のもの、様々だ。エスキスは19:30まで続いた。終わってから、製図室の準備室で水谷先生と鈴木さんと一休みの雑談。いささか疲れた。20:00過ぎ武蔵野大学を出る。
○ 2005/5/24
朝事務所でメールチェックとたまっていた日報のアップ。
BBHの現場指示図の作成。もうしばらくで現場指示作業も終了する。
武蔵野大学の空間造形3の前期第2課題の準備も今日で一段落した。
月末のいくつかの雑務。
OKHの図面作業。
以前設計させてもらった、鳥越けい子さんの自宅「風聴亭」(http://www.keitori.net/)の本の出版を計画している。「風聴亭」について鳥越さんが書いた「古いトランクのある家」を半分まで読み返す。
○ 2005/5/25
昨日の新聞に、杏里とリー・リトナーの婚約、という僕らの世代のニュースがあった。
今朝は清々しい天気だ。だが今日も夕方から天気が崩れる、とニュースの天気予報。季節の変わり目を感じる、中間のよい気候だ。連休の頃は急に暑くなって、すぐ夏が来る異常気象かと思ったが、やはり四季はこうでなくては。
朝事務所でメールチェックと日報アップと連絡事項。
MRHの見積見直しとOKBの図面作業。
11:00過ぎ、KOHとKNHの件で建設会社来所。
引き続きOKBの作業。
鳥越さんから連絡があって、先日鳥越さんが見に行ってとてもよかったという、「ポタライブ」という「散歩をしながら楽しむライブ」のお誘いを受ける。今回は西荻なので、ぜひ見るべきだとのこと。明日が本番なのだが、定員が少ないので既に一杯で、今晩のリハーサルを見せていただくことになった。
19:50西荻窪の改札に集る。19:00ポタライブ・吉祥寺編「斜」開演。案内人について西荻窪駅を出発し、西に向かう。途中何度か立ち止まって案内人の説明を聞いていると、その説明の中に出てくる人物と思われる人がどこからとも無く登場する。さらに進むと、説明の中の思いが我々の前に顕われる。そして・・・。
いろんなことを考えさせられた。確か「脳と創造性」茂木健一郎にあったのだと思うが、古代ギリシャ(?)の「逍遥哲学」といって、歩きながら考えると集中できる。「哲学の道」もそうで、歩き慣れた安全な道を歩いて考えると、他のことから身体が自由になり、集中して考えられる。歩いていたり、自転車に乗っていると、時にはっと思いつくことがある。
ポタライブは案内人に誘導されている、という安心感からか、周りの街がよく見えてきていろいろな考えが浮かんでくる。
一度体験する価値のあるものだ、と思った。
ポタライブ(http://kurumin.dyndns.org/potalive/index.htm)
終演後、西荻の戎で打ち上げ。これも楽しかった。
○ 2005/5/26
今日も気持ちのよい朝だ。
朝、メールチェックと日報のアップ。
いくつかの調べごと。インンターネットは本当に便利だ。
なかなか天気と撮影のタイミングが合わないので、TRHの鍵をクライアントからお借りすることにした。昼過ぎ受けとりに出かける。
その後も資料を見たり、調べものしたり。
夕方から、KTHを少しずつ考え始める。
○ 2005/5/27
いつも朝8:00前くらいに自転車で大和町から事務所に来る。その途中にお母さんと一緒に(時にはお父さんも一緒に)登校している、小学校低学年と思われる男の子とすれ違う。少しばかり障害があるようで、お母さんが同行しているようだ。少し前から、その子は僕を見つけると笑いかけてくれるようになっていた。こちらも頭をチョコッと下げる。ここのところしばらくすれ違わなかったが、今朝、遠くから僕を見つけると手を振ってくれた。すれ違うとき、お母さんも「お早うございます」と。こちらは慌ててしまい「こんにちは」などと言ってしまう。すれ違うまで手を振って振り返ってくれる。今度あったら「お早うございます」と挨拶しよう。
いつも通りの朝。
午後のMRHの見積についてのクライアント打合せがあるので、確認を含めスタッフ打合せ。
13:00、MRHのクライアント来所。見積のチェックと比較表、こちらで準備した減額案の説明。一週間いただき、減額案に沿った見積を建設会社に依頼することになる。
打合せの内容をスタッフとまとめ、減額案の修正を指示。
武蔵野大学の課題用に借りっ放しになっていた雑誌を、自転車で図書館に返却しに行く。
帰ってきて、各建設会社に断りを入れたり、減額見積の依頼をしたり。
KTHのエスキスを進める。
○ 2005/5/28
土曜日はいつもより少しゆっくりで、9:00事務所。
メールチェックと日報のアップ。
BBHの現場打合せ準備。
KTHのエスキス。
11:30事務所を出てBBHの現場へ。13:00クライアント打合せ。内部の塗装の色等、ほぼ最終の打合せ。大工さん一人で、着実に進んでいる。15:00前終了。
16:00過ぎ阿佐ヶ谷で電車を降りたら、新宿梁山泊にいた石井ひとみに呼び止められる。久しぶりだ。30日・月曜の13:00からTBSで始まる「コスメの魔法2」の収録の帰りだ、とのこと。この番組、新宿梁山泊の三浦伸子と梶村ともみがレギュラーで出演しており、今日も一緒で、今日が収録の最終日だそうだ。事務所の帰り道の途中まで懐かしい話しをしながら歩く。
事務所に戻り、明日の白州の天気調べるも曇り。新さんに電話して、水曜日が良さそうなので、水曜に仮決定。その他いくつかの連絡事項。
一度大和町に戻り、荷物を置いて高円寺へ。17:00「抱瓶」で中島早苗さんとチェ・ミキで飲み会。飲み会の前に、浜松のONHについての簡単なインタビュー。「エデュー」と言う雑誌の取材で先日ONHまで行っていただいた。そのとき同行できなかったので、補足的な話しをする。中島さんは以前、モダンリビングの編集部にいて、もう10年以上のおつきあいになる。「ガラスの使途」のロケに使えないかと、中島さんの部屋をロケハンさせていただいた、去年の初夏依頼なので一年ぶり。
「抱瓶」の次に「タイフーン」へ。
○ 2005/5/29
金曜日に届いたスピーカー、TIMEDOMAINmini(http://www.timedomain.co.jp/)をセット。確かに小さい音でもクリアーに聞こえるような気がする。
ダービー、ディープインパクトは強い。皐月賞の時もそう思ったが、改めて。今年の3歳馬の中では、ずば抜けているのではないか。久々の三冠馬か。
「いきなりはじめる浄土真宗 (インターネット持仏堂 1)」内田樹・釈徹宗(本願寺出版社)を読み終わる。朝時々すれ違う子の笑顔、布施を頂いてるのだな。この本の「おかげさま」でなんとなくわかります。
夜。「さかなさかな」で買った、さわらの酒塩焼き。高円寺の八百屋に行ったら眼についた空芯菜の炒め物。クロワッサンから、いんげんとアスパラガスの干し海老炒め。
○ 2005/5/30
季節が一つ戻ってしまったような天気だ。
今日は武蔵野大学の課題提出日だが、雨でみな苦労するな。
事務所でメールチェックと日報のアップ。連絡事項いくつか。
スタッフにいくつかの指示を出し、10:30事務所を出て武蔵野大学へ向かう。
提出図面は10:00から受け付けているので、どのような様子か気になるので、いつもより早く出る。どのような図面が出てくるか、楽しみで落ち着かない。
11:30、武蔵野大学の製図室。何人か既に提出済み。
12:00のタイムアップ前後に皆慌ただしく提出しに来る。13:00まで、先生方とアシスタントの方々が気になったものに付箋を貼る。
13:30から講評開始。今回は一回目ということで、全員発表の講評会になっている。一人持ち時間は5分。それに簡単なコメントをつけて行く。約50人の学生の発表だが、合格点をあげられるものは正直言って一割ほど。どうにか図面らしきものにした、という学生がほとんど。短大から4年生に変わっての初めての3年生なので、先輩の参考例がないので手探りなのだろうが、他の学校の作品集やアイデアコンペの結果等に興味を持ってもらいたい。
全員終了は21:00過ぎ。その後次回の課題を渡し終了。準備室で雑談のあと、河津先生、水谷先生と武蔵小金井の焼き鳥屋でお疲れ。0:00前大和町に戻るも、疲れているが、頭はさえ1:00まで本を読んだり、講評会や今後の課題について思いを巡らしたり。
○ 2005/5/31
昨日、さすがに疲れ、9:00事務所。
雨が良く降る。メールチェックと連絡事項いくつか。
11:00高円寺の移転候補の物件を見に行く。こちら独自のルートで声がかかった物件は、条件的にもほほ満足したが、間取りがどうしても一点譲れないところがあり、後ろ髪を引かれながらも断念。それに比べ、立ち退きの代理人の会社から送られてくる物件のひどさにあきれる。建物を確認に行くと、サラ金の入ったビルだったり、1階がスナックだったり。
BBHのクライアント打合せのまとめ。BBHの木製建具等の施工図チェック。MRHの減額案項目指示等。
午後になり、天気が回復してくる。白州の明日の天気は予想通り、晴れ。明日は撮影大丈夫そうだ。
○ 2005/6/1
朝6:30、新さんに大和町でピックアップしてもらう。
9:00過ぎ、白州到着。雲が少しあるが、陽が射すよい天気だ。早速撮影開始。
外から撮り始めて、内部に移ったのが12:00。山の中なので、いつまで陽が射しているか予想がつかないので、昼も取らず撮影を続ける。新さんの助手をしながら、デジカメで自分もスナップを撮る。外部を撮影のときには、カメラを構えた新さんの指示で、照明や開口の操作をするために、内部に走って各部屋を移動する。午前中それをしていたので、撮影終了する頃にはバテバテ。撮影は楽しいが、大変なのです。
17:30撮影終了。片付け、戸締まりをして帰路につく。
20:00、大和町到着。エネルギー切れで、言葉も出ない。体力ないな。
行き帰りの車中、写真や建築等について、新さんとした話しは、自分が今考えていることの確認にもなり、楽しかった。
○ 2005/6/2
なんだか、脚が少し筋肉痛。情けない。
いつも通り8:00に事務所。
昨日は事務所にこなかったので、メールや連絡事項が溜まっている。
昨日のデジカメ写真の整理をして、日報のアップ。
スタッフといくつかの打合せ。
14:00過ぎ、事務所を出て武蔵野大学へ。水谷先生と15:00から、空間造形3の第1課題の採点。採点の後第1課題を振り返り、次の課題やその進行方法について反省と相談。17:00終了。
今晩は水谷先生のゼミの飲み会があり、空間造形3を履修している学生たちなので、参加させてもらうことにする。一足先に大学を出て、
新宿に。買い物をして、18:00水谷先生と待ち合わせて、ふたりで先に一杯。19:00過ぎ学生の何人かが加わる。19:45に新宿駅で残りの学生たちと合流し、末広亭近くの店に行く。学生がセッティングしたので、チェーン店の居酒屋だろうと思っていたら、なかなか良い店。学生たちも、授業の時とはだいぶテンションが違い(当たり前だが、エスキスのテンションもこの位あげて欲しい)楽しい会になった。もう一軒ということで、水谷先生と何人かの学生と一緒に、花園神社を通りゴールデン街の「クラクラ」へ。久々に沢山飲んだ。
○ 2005/6/3
朝私用があって、11:00過ぎ事務所。。
さすがに昨晩飲み過ぎで、二日酔い気味。何をするにも集中できず、時間がかる。
BBHの施工図チェックバック。スタッフとの打合せいくつか。
大阪からチェ・ミキの友達のハマちゃんが出張で来京。大和町に泊まるので、19:00高円寺の「成都」で飲むことに。「成都」の後、大和町で二次会。さすがに疲れて、ふたりはまだ話していたが、先に休む。
○ 2005/6/4
9:00前事務所。メールチェックに日報のアップ。
今週は講評会や撮影、飲み会と密度の濃い一週間だった。さすがに疲れた。この土日は久々に打合せがないので、デスクワークと休養にあてよう。
図書館にリクエストした本を自転車で取り入った以外は、一日事務所で作業。
夕方から、真っ暗になり雷雨。
○ 2005/6/5
チェ・ミキは今日が学会の発表とやらで、昨晩は徹夜し朝出かけて行った。
一日大和町。溜まった新聞、雑誌を整理したり。
夜は、ビタミンを取ろうと、ゴーヤチャンプル。今回はDookDoに頼らず、オリジナルの味付け。こちらの方があっさりして美味しく出来た。キャベツとコンビーフの炒め煮。これは昔よく作っていたもの。忘れていたのを、冷蔵庫あさりをしていた見つけたキャベツで思い出した。
先週の疲れを、リセット出来たか。
○ 2005/6/6
朝いつも通り8:00前に事務所。
メールチェックと日報アップと連絡事項いくつか。
今日の武蔵野大学でのレクチャーのパワーポイントの確認。スタッフへの指示をいくつか出し、11:30事務所を出て、武蔵野大学へ。
13:00から、空間造形3の前期後半の課題説明。その後、常勤の先生にショートレクチャーをお願いし、課題関連事例のパワーポイントを使ったレクチャーを16:00過ぎまで。16:10に授業終了。その後、水谷先生と、先週の課題提出ビハインドの学生の提出課題の説明を聞く。
武蔵野大学はこの3年生が、4年生に変わった後の初代の学生で、前回の課題では初めてのことが多く、皆戸惑っていたようだ。二つ目の課題、どのようになって行くかな。
17:00過ぎ、大学を出て、18:00過ぎ事務所に戻る。
図面チェック作業と連絡事項。
○ 2005/6/7
朝いつものように事務所で、メールチェックに日報のアップ。
今読んでいる「東京大学のアルバート・アイラー/東大ジャズ講義録・歴史編」菊池成孔+大谷能生(メディア総合研究所)が面白い。12音平均律、バークリー・メッソド、MIDI(これについては何か分からない)の3つを、今までの音楽の歴史の中で、音楽を記号的にとらえる体系を作り上げた単語と考え、それに沿ってモダンジャズ史を講義している。ジャズの譜面には、テーマのメロディーとコードしか記されていない。その前のダンスミュージックの譜面には、各パートのアレンジが全て記されていた。その違いは考えてみれば、かなり大きい。そんなところから、様々な方向に話しは向かう。
確かに、「ジャズは難しい/分からない」と良く言われる。現代音楽もしかり。確かにポップスと違って、ある約束事を理解していないと何がなんだか、分かりにくい。最近、武満徹を聞いているが、入り込みやすい曲と入り込みにくい曲がある。この間、N響アワーで「バイオリン協奏曲 第1番 二長調 作品19」プロコフィエフ作曲(バイオリン)ヒラリー・ハーンを聞いたら、当たり前だが武満徹の音楽に通じるところを感じた。そうなると自分なりに、武満徹の入り込みにくい楽曲にも少しだが、とっかかりを持てたような気がしてくる。ある程度体系的に聞いて行けば、理解も少しずつ深まって行くのだろう。
そういえば、昔、高校時代にジャズを聴き始めた頃は、随分沢山の時間、ジャズを聴いていた。植草甚一さんにも、ジャズを聴き始めた時は300時間聴いた、というエッセイがあった。
同時に、「東京大学のアルバート・アイラー」のような、歴史を読み直すようなテキストがあると、より理解が進むのだろう。歴史を読み解くと言うことは、菊池さんが言うように「歴史は捏造だ」としてもスリリングだ、と言うことを、最近痛切に感じる。
KNHのスタッフ打合せ。BBHの施工図チェック。MRHの減額調整。KTHのエスキス。
14:30、事務所の立ち退きの代理人が見つけてきた阿佐ヶ谷の物件を内見しに行く。ちょっと期待していたが、だめだった。見れば見るほど、今の事務所の環境の良さが分かってくる。
○ 2005/6/8
今週も三日過ぎ、どうやらリセットできたような感じだ。
今朝も事務所。
KTHのエスキス。午前中にMRHの減額案を持って建設会社来所。同時にKNHの見積も出てくる。両方とも確認の上、訂正や打合せの準備をお願いする。午後のOKBの打合せ準備。
15:00前、事務所を出てOKBへ。16:00、OKBクライアント打合せ。改装計画が非常にゆっくりだが確実に進みつつある。
18:30事務所にて、KNHの見積打合せ。建設会社も同席。なかなか厳しい見積。我々にとっても、クライアントにとっても頑張りどころ。
夜、偶然見てしまった、NHKの「その時、歴史が動いた /エンタツ・アチャコの漫才革命〜あんじょうわろうてや!」。昭和初期、エンタツ・アチャコが歌踊りの入った「万歳」を、しゃべくりだけの「漫才」に変革した話し。これが、今読んでいる「東京大学のアルバート・アイラー」のビ・バップ=モダン・ジャズの歴史と見事にシンクロしている。早い話しが、構成がきっちり固められたバンド音楽が、少人数の自由なやり取りの音楽に変革されて行く。そのバックには、ラジオやレコードの発達があった。「万歳」は歌踊りの間に、しゃべりを挟み込んでいたのが、(ビックバンドのアレンジされた演奏の間に短いソロが挟み込まれる)ふたりの喋りだけになり、その喋りも毎回変わって進化して行く。
エンタツ・アチャコの漫才が全国的にブレイクするのは、ラジオの放送開始により、彼らのしゃべくりだけの漫才が放送された事による。
彼らのコンビは4年で終わる。その後それぞれの活動がNHKの番組で行われたことや、ブレイクのもとにはNHKラジオがある事等、あまりおしゃれとは言えない番組のまとめで終わるのだが、その後の漫才の歴史(特に80年代の漫才ブームまで)をたどってみたら面白いかもしれない。
漫才は日本のジャズだった。
○ 2005/6/9
朝から曇り空。蒸し暑い。そろそろ梅雨が始まるのか。
朝事務所に来る途中に、時々すれ違う男の子とお母さんとすれ違う。今朝は「お早う」と言えた。男の子は手を振ってくれ、お母さんも微笑んでくれた。
いつものようにメールチェクと日報のアップと連絡事項。
MRH減額案の詰めについてスタッフ打合せ。建設会社に連絡入れさせる。KNHの設備機器の減額案のスタッフ打合せ。KTHのエスキス。第一案がかなりまとまってきた。
午後一で新さんが、先日のTRHのポジを持ってきてくれる。今週から梅雨に入りそうなので、先週に撮影出来てよかった。天候の良さが、写真に出ている。新さんの最近の作品も拝見させてもらう。いろいろ考えているな。
KTHの第一案を、明日スタッッフに指示出来るところまでまとめ、時間切れ。18:00前事務所を出る。立ち退きの代理人から送られてきた物件、阿佐ヶ谷と高円寺の、を外から見て連絡を入れる。そのまま高円寺に自転車を置いて、麻布十番へ。
1年半前に竣工したNSHのクライアントの後輩の方が、土地購入と新築を考えているとの事で連絡を頂き、家作りの諸々を話しに行く。最近にわかに現実的に考えるようになったそうで、そのワクワク感とエネルギーが直に伝わってきた。クライアントに初めて会う時、ほとんどの方がこのようなエネルギーを発しており、それによって僕らは鼓舞され、日々の雑務の疲労をリペアーされているのかも知れない。
○ 2005/6/10
今朝も、男の子とお母さんとすれ違い、「お早う」。
天気が悪い。台風が来ている。いよいよ梅雨入りか。
朝はいつも通り事務所で、諸々。
9:00過ぎ事務所を出てBBHの現場へ。10:00過ぎから塗装塗り分け外部配管、外構等の細かい確認。現場はボード張りも終了し後は仕上を待つのみ。今月末には予定より早く、竣工し出来そうだ。
12:00前に打ち合わせ終了。今月末までやっている写真展「ウナセラ・ディ・トーキョー ANOHI ANOTOKIO −残像の東京物語 1935-1992 Afterimages of Tokyo−1935-1992」を見ておこうと、バスに乗って世田谷美術館へ。美術館に近づくと、全然違う展覧会の掲示が。受付で聞いたら、写真展は先月末までで終了との事。トホホ、と雨の中またバス停へ。その後事務所に戻るまで、間の悪い事が続く。今日は厄日か。
15:00事務所に戻り、KTH、MRH、KNHのスタッフ打合せ。BBHの現場からもらってきた施工図の最後のチェック。BBHクライアントへの連絡事項など。慌ただしい一日だった。
○ 2005/6/11
ムシムシする朝。9:00前事務所。メールチェックと日報のアップ。
MRHの減額案の最新集計、昨日スタッフがまとめておいたものを確認。クライアントと建設会社にメール。後一息、といったところ。
同時にKNHの見積も再度、見直しにかかる。
10;00に高円寺に行って、立ち退き仲介業者の紹介物件を見に行く。ちょっと期待していたが、やはりNG。そうそう簡単に見つかるものではないよな。
再び事務所に戻って仕事。
13:00に事務所を出て、高円寺でチェ・ミキと待ち合わせして、吉祥寺シアターへ。
設計コンペに参加させていただいた(残念ながら勝てなかった)吉祥寺シアターのこけら落とし。「カラフト伯父さん」鄭義信作・演出。武蔵野大学の水谷先生のご夫婦と一緒。鄭義信さんは新宿梁山泊の旗揚げメンバーでもあり、梁山泊の昔のメンバーも、何人か来ていた。
14:00開演。「忘れない事」をとても丁寧に描いた、素敵な芝居だった。吉祥寺シアターもシンプルに出来上がっていた。
芝居の後、高円寺に移動して、水谷夫妻とチェ・ミキと「抱瓶」へ。相変わらず一杯だ。その後「大将」へ。気がつけば終電間近。よく飲んで話した。
○ 2005/6/12
昨日、いささか飲み過ぎた。二日酔い気味。
11:00、再度立ち退き仲介業者の紹介物件を見に行く。今日は阿佐ヶ谷だが、やはりNG。
戻ってきて、昼を取り、洗濯物を干し、少し横になる。
14:00過ぎに、買い物に行くが、調子悪い。帰ってきて、また横になりラグビー「日本VSアイルランド」を見ていたら、急に回復。
KTHのエスキスをやったり、溜まっていた新聞を読んだり、バリカンで髪を切ったり。
夜は、煎り豆腐とサラダ。調子の悪い時に考えたので、このメニュー。
夜盛んに、大学でエスキスしている夢を見る。
○ 2005/6/13
朝いつも通り、事務所。メールチェックと日報のアップ。
今日から、ものつくり大学のインターンシップで、谷田貝君が8月まで事務所に来る。9:45谷田貝君来所。栃木の小山の自宅からなので、7:30に家を出てきたそうだ。頑張れ。
スタッフに紹介して、早速、MRHの軸組模型の製作に入ってもらう。
11:30事務所を出て、武蔵野大学へ。空間造形3の前期後半の課題。エスキスに参加したのは、半分受け持ってる学生25人の内、5人。前半の課題の経験は活かせているのだろうか。しかし、この5人はそれぞれ面白い事を考えていた。頑張れ。
18:30前、事務所に戻る。
谷田貝君は18:00までなので、帰宅。スタッフといくつかの、打合せ。
○ 2005/6/14
8:00前、事務所。竣工間近のBBHのスケジュールや細かいところの連絡を、クライアントと建設会社に。
MRHとKNHの見積について、建設会社より連絡。メールチェックと日報アップ。
9:00、KTHのエスキスとスタッフに指示を出し、図面化作業。
MRHの構造確認の打合せのための、スタッフ打合せ。
16:30、構造の吉田さんと飯田さん、坂下が来所。MRHの構造打合せ。複雑なスキップの建物なので、工事にかかる前の確認打合せ。
19:00終了。ビールを飲みながら、少しの時間雑談。
○ 2005/6/15
8:00、事務所に来る頃には、雨が降り出していた。
9:00、建設会社来所。MRHの見積の打合せ。最終段階に入った。同時に、KNHの減額見積の催促をする。
BBHの引き渡しの段取りを、クライアントにメールで連絡。
OZONEコンペのKTHのエスキスを続ける。一日集中してやったら、随分展開して、一つのピークがみえてきた。スケッチ模型の作成をスタッフに指示し、さらにエスキスを進める。夜には別案に展開する。今週中に、スケッチ模型を両方とも作り、次の段階へ進む事にする。
久々に、外出や打合せが無く、エスキスに集中出来たので、良い意味でアッという間に時間が経ってしまった。
○ 2005/6/16
朝から曇りで肌寒い。8:00前事務所。KTHのボリューム模型が出来ている。やはり、形になるといろいろ考える事のとっかかりが増える。
メールチェックに日報のアップ。
模型をもとに、別案のエスキスを進める。
10:00になってスタッフが来たので、二つ目のボリューム模型の説明を始めるが、検討不十分のところが見つかる。練り直して、再度指示を出す。
区の出張所へ、証明書を取りに。雨が降らないうちにと思っていたが、外に出たら、もうかなりの雨が降っている。
MRHの工事契約書の段取り。
午後は、KNHの減額案のチェック。まだまだ厳しい。その他、雑務を処理しながら、KTHのエスキス。
17:30事務所を出て、新宿へ。新宿文化センター、ピナ・バウシュ「ネフェス」の前に、書店に寄るため、少し早く出る。
BOOK1stで、この間ハマちゃんにプレゼントした「いきなりはじめる浄土真宗」をはじめ、内田樹の本を3冊入手。
19:00、TanztheaterWuppertal PinaBausch「ネフェス」(呼気)。
プログラムの製作ノートに次のようにある。「簡素な舞台。舞台中央から水が湧き出ては涸れ、また湧き出る。15m上空より瀑布が落下。床面はフローリングで素足で踊りやすい。」まさに、この通りの舞台。シンプルだが、効果的で美しい舞台。休憩(20分)をはさんで、3時間弱の作品だが、雲が自由に形を変えてくように、様々なパフォーマンスがこの構成しか無い、と思えるように揺るぎなく繰り広げられる。2003年にトルコに取材して作成された作品。
プログラムの予定を見ると、韓国初演の「新作2005」をソウルで6月21日に公演、とある。まさに成熟した集団なのだなあ、と驚く。
○ 2005/6/17
今日は、雨上がりで気持ちのよい朝だ。
いつものように事務所でメールチェックや日報のアップ。
KNH の見積を再度、見直す。KTHのエスキス。MRHの工事契約の段取り。BBHの引き渡しの段取り。ものつくり大学の谷田貝君の模型作りもペースがつかめてきたので、来週からは、OKBの既存躯体模型にかかってもらう事にした。
いろいろなプロジェクトのフェーズが同時に変わりつつある。気を抜くと、何かが飛んでしまいそうなので、今月末までは特に集中が必要だな。
遠州浜のSKHの雑誌掲載の校正。
○ 2005/6/18
9:00前事務所。建設会社の担当とメールと電話にてKNHの見積減額案の連絡と再確認。日報のアップ。
10:00KNHのクライアント来所。減額案の確認をし、さらに減額を考える部分ともとに戻す部分等を打合せ。12:00過ぎ終了。
午後から、午前中の打合せをまとめ、クライアントと建設会社の担当者にメール。
その後、KTHのエスキス。電話で、構造の吉田さんに地盤の相談。やはり、改良が必要そうで、それらを組み込んだ予算から、床面積をもう少し削減しておいたほうが良さそうなので、再エスキス。
○ 2005/6/19
午前中、KTHの資料を取りに、事務所へ。その帰りに立ち退き代理会社からの阿佐ヶ谷の物件を外から見るが、NG。
大和町でKTHのエスキス。
夕方、高円寺に買い物へ。純情通り商店会の揚げ物屋さんがずっと店を閉めている。しかも今日は、美味しい豆腐屋さんも肉屋さんも臨時休業。何かあったのだろうか。
「東京大学のアルバート・アイラー/東大ジャズ講義録・歴史編」菊池成孔+大谷能生(メディア総合研究所)を読み終わる。面白かった。
蒸し蒸し、暑いので、暑さには熱さで対抗、夜はキムチ鍋にする。サイドメニューは大根サラダと枝豆。
○ 2005/6/20
朝、いつもの通り事務所。新聞の天気予報で、最高気温が29度になっていたので半袖で出てきたら、曇りで気温も低かったが、9:00頃から蒸し暑くなってくる。
KNHの減額案について、電話連絡。
9:30スタッフが来たので、KTHの変更の指示。
11:30事務所を出て、武蔵野大学へ。空間造形3の授業。今日は中間発表の日。半数強が発表したが、前半の課題より、若干ではあるが進歩したようだ。発表の後、希望者にエスキス。面白く展開しそうなのもあるが、これからどう仕上げて行くかが正念場。みんな頑張ってほしい。
エスキスの後、製図室の準備室で水谷先生から、11日に吉祥寺シアターに芝居を見に行った後飲んだときの写真を頂く。しかし、この写真を撮った事を、水谷夫妻も僕も全く覚えていない。多分、チェ・ミキも覚えていないだろう。なんという集団か、と皆で大笑い。
その後、水谷先生と鈴木さんと、後半の課題の講評会と後期の課題について打合せ。
19:00前、事務所に戻る。いくつかの雑務。
夜、大和町に戻って、チェ・ミキに確認するも、案の定、写真撮った事は覚えていなかった。
○ 2005/6/21
朝、いつも通り事務所。メールチェクと日報のアップ。今日もなんだか、蒸す。
KTHのエスキス。平面と立面を詰める。
10:00前、MRHのクライアント来所。今日は MRHの工事請負契約。時間があるので、見積り調整中に作成した内部まで作り込んだ模型の説明。10:00、建設会社来所。契約と近隣挨拶の段取り、解体地鎮祭の工程等を打合せ、10:30過ぎ終了。
11:00過ぎまで、KTHのエスキスをして、事務所を出る。
クライアント候補が入手しようとしている岡本の土地を見に用賀へ。日差しが強く、蒸してまるで夏のようだ。岡本は、東名から少し入るだけで、静かな住宅地に変わる。敷地は多摩川に下って行く丘陵の坂道の高台にあり、道を曲がったら、急に視界が開けた。
しばらく写真を撮ったり、現地調査したり。
13:00前、岡本を後にして、BBHの現場へ。今日はキッチン工事が入っている。塗装もあらかた終わり、キッチン工事が済み、明日から木建てと家具が入り、塗装仕上が終わると、残すはクリーニングとなる状況。
もうすぐ引き渡しだ。今回は、OZENEのコンペや、武蔵野大学の前期後半の課題提出と講評など、いろいろあるので写真撮影だけにして、オープンハウスは開催しない事にした。
暑い中、良く歩いて、15:00過ぎ事務所に戻る。
KTHの構造の確認を、ファックスと電話で構造の吉田さんにヒアリング。いよいよ詰まってきたので、明日からはプレゼンテイションの作業に入る。
○ 2005/6/22
今朝は、雨。結構激しく降っている。
8:00前事務所に傘をさして、自転車で来る時、時々すれ違う男の子とお母さんとすれ違う。今日はレインコートを着て、手を振ってくれた。こちらは傘を上下して答える。
9:00頃になったら、雨は小降りに。メールチェックと日報のアップ。
今日は一日、土曜日のOZONEのコンペ・KTHのエスキスと作業。
馬主会の桐山から、当歳馬のカタログが届く。今年はDVD付き。
○ 2005/6/23
今日も雨。梅雨らしいと言えば、そうだが、鬱陶しい。でも週間天気予報を見ると、明日明後日くらいから来週はまるで夏。極端な天気だ。やはり、四季の気持ちのよいシーズンが短くなって、季節の移り変わりが極端になってきているように感じる。
朝、事務所でメールチェックと日報のアップ。
引き続き、KTHの図面チェック。
10:00にスタッフが来たので、修正の指示。引き続き文章等をまとめる。
午後からは、建設会社から送られてきたKNHの減額案のチェック。疑問点等を電話にて打合せして、修正を依頼。打合せの連絡を、クライアントにメール。明日は24日の金曜日なので、込むので諸々の振込をしに、途中銀行と郵便局へ。
夕方から、メールや電話で怒濤のように様々な連絡事項。
○ 2005/6/24
いつもより早く眼がさめてしまい、7:00過ぎに事務所へ。
一時間違うだけで、随分町の様子が違う。音や空気が微妙に違う。去年、一人サマータイムをしていた時を思い出した。登校する子供たちは、まだ外にはおらず、犬の散歩をするお年寄りや、寝間着姿でゴミ出しをしている人が多い。
昨晩寝る前に読んでいた、「ぼくんち・全」西原理恵子(小学館)http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_search_ez?jan=&pat=b2&text=%82%DA%82%AD%82%F1%82%BFを読み終わる。愛すべき登場人物が繰り広げる、恐るべきコミック。もう一度読んでみよう。これを阪本順治監督はどのように映画化したのだろう。
メールチェックと日報のアップ。
明日のプレゼンの図面が上がってくるたびに、チェック。
BBHの植栽についての連絡を、笹隈さんとクライアントと取る。
14:00、平面図と計画書をOZONEにファックス。
KNHの現地で確認したい事があるので、自転車で出る。昨日、KOHの家具等の追加工事の施工があったので、寄って確認しようと連絡するもお留守のようなので、外から我々が植えたジャスミンの様子を見に寄る。緑濃く、しっかりワイヤーメッシュに絡み付いていた。一安心。KNHの現地で実測と確認事項。事務所に戻って、建設会社にKNHの指示を連絡。
それにしても、今日の湿度は高い。吹抜けて行く風も、ベタベタしている。
明日のプレゼンの準備、スタッフには今日の18:00が完成リミットで、それに向けて作業するように随分前から言って来たが、やはりその時間までに終わらない。それ程高いハードルではないリミットなのだが。今晩あり得たかもしれない、18:30からの打合せを想定して決めたのだが。打合せが無くなったからからよかったものの、武蔵野大学(MU)の学生に、課題作成のスケジュールの大切さを盛んに言うのだが、自分のところがこれでは、困ったものである。単に早く終わらせたいからではなく、出来上がったものを見て、明日のプレゼンの想定をゆっくりしておきたいがためのリミットなのだが。作業が終われば終了と思っているから、そんな思いが想像出来ないのだな、これが。資料を完成させるのが目的ではなく、プレゼンをするのが目的だという事は自覚されていない。現場指示に置いても、ここが重要なのだが。いやはや。
不快指数と都議会選挙の戦略をまるっきり感じられない宣伝カーの音に、さらにいらだちは深まる。やれやれ。
○ 2005/6/25
今日も暑くなりそうなので、朝バリカンで髪を短くして、大和町を出る。
9:00前事務所。今日のプレゼンの模型と図面が完成している。なかなか良く出来ている。お疲れさまでした、スタッフ。
コピーをとったり、デジカメで模型写真を押さえたり、図面と模型を再確認して、プレゼンの準備。
早く着いて涼もうと、早めの11:30に事務所を出て、OZONEへ。暑い。もう夏だ。地下のカフェで先日読み始めた「レイアウトの法則-アートとアフォーダンス」佐々木正人(春秋社)を読む。2003年発行の本だが、偶然書店で手に取り、畠山直哉、塚本由晴、鈴木一誌という常に興味を持っている方達とそれぞれ行っている対談が収められているので、入手したもの。これが刺激的で面白い。「肌理(キメ)/ジェームス・ギブソン」についての本。自分の知識のなさや、浅薄さをかき乱してくれるこのような本は(「東京大学のアルバート・アイラー」もそうだった)面白い。
13:00KTHのプレゼン。いつもながら、同じ条件でも解決法は3者全く違う。クライアント候補は、これからどなたかを選べるのか、想像がつかない、とおっしゃっていたが、しかり。僕は他の提案を見て、自分の案との違いに、いろいろ考える事が出来て楽しいのだが。案を選ぶのではなく、どのような提案をする設計者とならやって行けるか、を選ぶコンペだとはいうが、やはりここまではっきり違う案が出てくると、案を選ぶしかなくなってくる。すなわち三つの提案と言う選択肢は広がっているのだが、この段階で具体的になり過ぎて、一つ一つの提案の設計の幅と言うか自由度が短時間に狭くなってしまっているのではないか、と思う。
16:00過ぎ事務所の戻り、17:00前、KNHのクライアント来所。減額見積の確認と、来週火曜日の建設会社も交えた最終打合せの確認。
18:00前大和町に戻る。今日はチェ・ミキの学校の友達のヤスエちゃんと韓国からの留学生キョンちゃんが、屋上七輪に来ている。19:00前、馬主会の桐山も参加。
しばらく飲んで食べた後、当歳馬のの選定会議を行うも、すでに酔っていて、なんだか気が大きくなり、なんと3頭を選定。(ある金額以下のものに限定し)まあ、一度こういうパターンもやってみよう。とにかく一勝をもぎ取りたい。
22:30前、キョンちゃんの寮の門限(今時まだあるか)がるので、慌てて皆帰る。
○ 2005/6/26
昨日というか、先週は疲れた。暑かった事もあるが、いろいろあった。
今日も暑い。
今日は何もしない。夕方まで大和町で新聞を読んだり、宝塚記念を見たり。8chの「スーパー競馬」の井崎の法則、快心の出来。井崎脩五郎の展開予想が微塵の狂いもなく的中。本人のあたふたした様子が、リアルで面白かった。
16:00に大和町を出て、西荻の実家へ。ビデオを買い替えたら、見る事が出来ないとの事。テレビ入力の切り替えが、分からなかったようだ。最近のテレビ関係は、デジタルがあったり、入力がいくつもあり、便利なようで分かりにくい。まるで「8月のクリスマス」の一場面のようだった。
その後、西荻の居酒屋で両親とチェ・ミキと食事。
帰りに西荻の駅で、大学時代の「スイング&ジャズクラブ」の同期の吉田に偶然会う。バンドの練習の帰りだとの事。
楽しんでる様子だった。
帰って、「新日曜美術館」とバレーボール行ったり来たり。「新日曜美術館」の印象派についての小林康夫さんの解説が、「レイアウトの法則-アートとアフォーダンス」の中の松浦寿夫・高島直之との鼎談とぴったりの内容。やはり定説化された考えかたなのだろう。
この年になって、自分の不勉強を後悔する事の多い、今日この頃。
○ 2005/6/27
昨日一日休んだので、随分楽になっている。
8:00前事務所に来るときは、まだ清々しいが、だんだん暑くなり、風も通りにくくなったので。事務所は空調を入れる。
朝から連絡事項いくつか。メールチェックと日報のアップ。
スタッフが来たので、土曜日のプレゼンの他の方の資料を渡したり、今週の予定を指示したり。
11:30過ぎ、事務所を出てMUへ。空間造形3前期後半の課題も、提出まで後2週間。どうにかなりそうな学生は1割いるか。コンセプトメイクから、実際のかたちに移行して行くところで手が止まってしまう学生が多い。という事はある意味設計がまだ始まっていない、と言う事になる。確かにコンセプトメイクは面白いし、楽しい。それを具体化して行くと、思っても見ない問題が次々出てくる。それらにどこまで対応し、どこまで守るかをエスキスする必要があるのだが、始めに決めたルールから柔軟に抜け出せない学生が多い。
結局18:30近くまでエスキス。製図室の準備室で講師陣で少し雑談をして、疲れを取り、17:30前MUを出る。
夜になっても、暑さは衰えなし。
夜、馬主会の桐山から電話があり、当歳馬やはり2頭に押さえる。当たり前か。
○ 2005/6/28
今日は朝から暑い。事務所でメールチェックをした後、8:45に事務所を出て、BBHの現場へ。
人身事故で山手線が遅れている。ただでさえ暑いのに、超満員。毎日の電車通勤がない事は、ありがたい事だ。
10:00BBHの現場。クライアント夫人と簡単な打合せ。クライアント候補のKTHのご夫婦が、参考にBBHの現場を見学にみえる。
その後、建設会社の担当者といくつかの打合せ。12:00前現場を出る。なんだこの暑さは。
渋谷で、ある書籍を探し、3軒目のブック・ファーストで購入。昼を取り、14:00前事務所に戻る。
冷たいお茶を何杯でも飲める。ちょうど1年前、この頃から「ガラスの使途」のロケハンが盛んになってきたのを、思い出す。去年も暑かった。
暑くて、バテバテだが、いくつかの連絡事項。今日の現場のまとめ。日報のアップ。
今日の最高気温が36度を超したと言う。
18:30過ぎ、KNHのクライアントと建設会社が来所。予算厳しい部分もあるが、土曜日に契約をして、工事に入る事になった。
○ 2005/6/29
梅雨の天気に戻る。湿度は高いが、昨日の気温が異常だったので、すごしやすく熟睡でき、朝起きるのが少しつらい。
8:00前事務所に来る道で、いつもの男の子とお母さんとすれ違う。そういえば、すれ違う日は雨の日が多い。
メールチェックと連絡事項に日報のアップ。
この2、3週間、工事契約やコンペのまとめが多く、決めごとが多かったが、もう少しで一段落。MRHとKNHの工事が軌道に乗り、BBHが竣工すれば、一区切り着く。
昨晩打ち合わせた、KNHの減額決定見積り内容に図面訂正のスタッフ打合せ。
源泉や契約書作りの雑務。
午後一で、OKBの図面打合せを、ものつくり大学の谷田貝君と。
BBHの竣工写真を引越し前までに撮影したいが、今週から来週は天気が悪い。新さんから電話いただくも、スケジュール組めず。
立ち退きの代理の会社から、物件が送られてくる。良いものないが、15:30に高円寺で待ち合わせ、2軒内見する事になり、15:20事務所を出る。
3軒ほど内見するも、ピンと来るものなし。「少しは、妥協してくれなくては」と言われるが、ファックスで見て今一と思う物件だが、見に来ているのだから、すでに妥協しているのに、さらに妥協しなくてはならないいわれはない、と思うのだが。
一時間半も費やし、事務所に戻ってたまっている帳簿の整理や写真の整理をする。
○ 2005/6/30
明け方、雨が激しく降っていたが、事務所に来るときは、ほとんど降っていなかった。
朝、メールチェック。雑務をいくつか。
MRHの現場用図面のスタッフ打合せ。
気温は低いのだが、湿度が高い。午後には晴れて来た。
進行中のプロジェクトの確認等。
○ 2005/7/1
気がつけば、もう7月。6月はあっという間だった。
今朝も薄曇りだが、湿度が高い。
朝事務所で、メールチェックと日報のアップ。
明日のKNHとBBHの契約や検査の準備とスタッフ打合せ。MRHの現場に入る前の設計確認。諸々の作業。
慌ただしかった6月に比べ、7月は穏やかに始まった。
夜、HDDに録画してある「8月のメリークリスマス」のメイキングを見た。この映画は、ハン・ソッキョ演じる主人公の感情を描くのではなく、周りにいる人との関係によって、感情を表現しているところが、良いところなのだな、と改めて感じた。しかし、ラストの雪のシーンが夏の撮影だとは。メイキングのナレーションにもあったが、「映画は気違いだ。」。(こんなナレーション、入れられるのだろうか。酔っぱらっていたかな。)
○ 2005/7/2
9:00事務所。メールチェックと日報のアップ。
今日検査のBBHの連絡事項。
10:00KNHのクライアントと建設会社来所。工事契約。そのまま、クライアントと建設会社の担当者は、近隣挨拶へ。
事務所で雑務の後、11:30過ぎ事務所を出て、BBHの現場へ。14:00から施主、事務所検査だが、少し事前に建設会社の担当者と打合せ。きれいに出来上がっている。今週から来週にかけては梅雨の天気が続くので、竣工写真の撮影は無理そうだ。引越し後の撮影をお願いするしかない。
検査とアクセサリー類の取付け位置決めを行い、15:30過ぎ終了。クライアントも嬉しそうで、男の子が家中を走り回っていた。
15:45にBBHの現場を出て、吉祥寺のバウスシアターへ。前から見たかった、「バッド・エデュケーション」ペトロ・アルモドバル監督を見に行く。変わらずの、濃密な映画だ。昨日の日報に書いた「8月のメリークリスマス」の感情表現とは正反対の、個人の自我の表現が、これ以上付け加えたらキッチュになってしまいそうな、セットと色彩設計の中で繰り広げられる。アルモドバルらしさが随所にあふれ、アッという間の105分だった。
夜、「オアシス」イ・チャンドン監督が見たくなり、DVDで見始めるが、途中で眠ってしまう。
○ 2005/7/3
午前中は溜まった新聞を読み、投票に。その後、ひげを整理し、シャワーを浴びて昼の準備。
少し早めに昼を取り、12:30大和町を出る。
13:30、聖心女子大。鳥越さんの本の打合せ。萩原さん、佐野さん、鳥越さん。方針の変更の確認。
15:00、広尾駅1番出口に移動して、ポタライブ・広尾編「鯨より大きい」。案内人に従い、10数名が広尾界隈を散策。途中、唄があったりパフォーマンスがあったり。(こう書くとすごく劇的になってしまうが、休日の広尾から少しはみでるだけ。)有栖川宮や広尾に関わる、宮家の出来事と、宮家に親しむ庶民の出来事を、散歩しながら案内人から話してもらう。広尾の商店街裏の路地に入り込んだら、江戸から明治、戦前に続く時間にスリップしてまったように、かすかな時間感じる。(このかすかさが、ポタライブの醍醐味のように感じる。)聖心の構内を抜け、日赤側(聖心女子大の正門側)で17:00前、ポタライブは終了。
そこで分かれ、萩原さんとバスに乗り、渋谷まで。渋谷で萩原さんと分かれ、大和町へ。
夜、都知事選の開票速報を見る。各政党の代表者は相変わらず、よくわけのわからない精神論を主張し、政策を話す政党はほんの少し。有権者の半分が投票に行かない選挙は、立候補者や政党の責任でもあるのだから、50%こえるまで(この50%もなんの根拠もないが。組織票で勢力が決まってしまうのを防げる投票率を割り出せるような気もするが。)投票を続ける、というのも一考に値するのではないか、等とつい本気で考えてしまう。
その後、昨日の続きの「オアシス」を見る。圧倒的なストーリーで登場人物がぶつかり合う「バッド・エデュケーション」も、主人公たちを包み込むように組み立てて行く「オアシス」も、方法は全く違うが、全ての部分での完成度の高さが、見るものの心を打つ。
○ 2005/7/4
朝から雨。事務所でメールチェックと日報のアップ。
11:00過ぎ、事務所を出てMUへ。後一週間で課題の提出なので、学生の学校での夜の作業につきあう水谷先生に差し入れを購入。
13:00空間造形3前期後半の課題、最終エスキス。経過を見せにくる学生の半分くらいは、前半の課題より進化してフィニッシュしそうだが、エスキスに参加しない学生が心配だ。
18:00過ぎ、エスキス終了。その後実習棟に移って、後期の課題について、先生方と打合せ。打合せ終了後、水谷先生の研究室で少し雑談し、一緒に学校を出て、吉祥寺で一杯。
○ 2005/7/5
朝、雲の間から陽が射している。
天気予報をチェックすると、木曜日は一時晴れ。BBHの竣工写真、新さんにアポを確認するも、NG。やはり、引越し後となる。
10:30、立ち退きの引越し物件候補を内見しに、阿佐ヶ谷の南口のマンションへ。やっとどうにか引越しを検討したいものが出てくる。しかし、予算より少し高い。代理人の会社の担当者に、その辺りの補償の交渉もお願いする前提のもとに、予約申し込みを入れる事にした。
13:30、KNH の現地で、建設会社との確認打合せ。この現場は、改修工事だが、いろいろ壊してみなければみえない部分もあり工事開始からしばらくの間の現場での打合せが、重要になってくる。
15:30、事務所に戻り、引越し候補地の実測して来た平面に、レイアウトしてみる。新しいところをどう使うか考えるのは楽しいのだが、これからやらなければならない手続き、雑務を考えると、うんざりする。
いくつか連絡事項があり、事務所の件を含め、今日はいろいろな事が動き始めた。
○ 2005/7/6
今日もはっきりしない天気だ。
昨日、引越し候補が一応決まったので、それに伴うスケジュール調整で、メールで連絡をいくつか入れる。
KNHのスタッフ打合せ。ものつくり大学の谷田貝君打合せ。谷田貝君はOKBの図面作業が、軌道に乗ってきた。
MUの講評会の概要を作って、水谷先生にメール。今回は二人で話して、盛り上げようといくつかの仕掛けをしてみる。
移転にかかる、負担をピクアップし始める。これも面倒な作業だ。
○ 2005/7/7
今日は七夕。天気は晴れ間も見えるが、雲も多く蒸し暑い。
雑務をいくつか。10:00MRHのスタッフ打合せ。
12:00に事務所を出て、BBHへ。今日は引き渡しと取り扱い説明。クライアント夫人に立ち会って頂く。15:00過ぎ、あらかた終了。明日が引越し。打合せを始めしばらくして、クライアント夫人のおなかに宿った赤ちゃんが、今は畳の部屋で、寝返りを打っている。一軒の家が出来上がるには、長い時間がかかる事を改めて確認した。
久しぶりに、自由が丘の鈴木基紀の事務所に立ち寄る。蒸し暑かったのと夕方だったので、ビールを持参。少し早いがビールを飲みながら、雑談。事務所となりのピクルス屋の話しから、近くの「パテ屋」の話しになり、スタッフにパテとワインを買ってきてもらい、結局20:00まで話し込む。昔田園調布でルームシェアーをしていた時は、良く「多摩川園(今は多摩川)駅」近くの飲み屋に寄り、話しをしていた事を思い出す。久々に楽しい時間だった。
大和町に帰ってきたら、入り口に猫がいる。自転車で近寄るとやっと道を譲ってくれた、と思ったら、ギャーギャーとうるさくまとわりついてくる。腹が減っているのかと、チェ・ミキを呼び牛乳と煮干を持て来てもらうと、懸命に飲んでいた。外で見ていたチェ・ミキに聞くと、その後近くで見ていた雌猫がそばを通って移動したら、すごい勢いで追っかけて行ったそうだ。どうやら発情していたようだ。そういえば、凄い眼をしていた。
○ 2005/7/8
昨日BBHの現場が終わったからか、引越し先がほぼ決まったからか、なんだか気が抜けてしまったようで、身体がだるい。
そうもしていられないと、MRHとKNHの指示をスタッフに出し、工程等の確認をする。
昨日BBHで取ったスナップの整理や、源泉の振込の件で荻窪の会計士事務所へ自転車で出かけたりで、落ち着かない。
MUの講評会の段取り連絡、講師陣はだんだん盛り上がってきたが、はたして学生は。
しかし、ここのところ、老眼が進んだのかますます字が見えずらくなってきた。スタッフと打合せをしていても、図面の数字や文字が読みずらく、それだけでイライラしてしまう。遠近両用眼鏡に変えてみるか。
○ 2005/7/9
今日は半袖では寒いくらいだ。自転車に乗っていても、長袖の人も多い。
昨日、会計士事務所に行って、溜まっている帳簿付けをなるべく早くするように指示されたので、3ヶ月分をつける。
その他雑務と雑誌を見たり。
15:50前、事務所を出て吉祥寺のバウスシアターへ「マラソン」を見に行く。今週末は知っている劇団がいくつか公演をしていて、案内をもらっているが、芝居を見に行くエネルギーが出ない。皆さん、申し訳ありません。
「マラソン」は、自閉症の男の子が母親に支えられ19歳のの時に、フルマラソンを走りきった、という韓国の実話が原作。韓国で大ヒットした、話題の作品だ。その実話をなぞるだけで涙が出る。しかし、実話と映画の違いはなんなのだろう。実話では喚起されない、別の感情を喚起する作品にごくたまに出会う。それらの作品は、そこから情報をではなく、考える事のきっかっけを与えてくれる。
何を言いたいのか、まとまりがないが、そんな事を感じてしまった。
○ 2005/7/10
暑い。
昼にビールを美味しく頂こうと、延び放題の蔦類剪定する。始めは30分くらいのつもりだったが、1時間弱かかる。少しさっぱりした。
汗が出て、アッという間の一時間だ。
シャワーを浴び、飲むビールがうまい。
少しは身体を動かさないないと、と反省。
新聞を読んだり、「レイアウトの法則ーアートとアフォーダンス」佐々木正人著(春秋社)を読み終えたり。レイアウトの概念、とても面白いのだが、昨日見た「マラソン」に感じた事を、再び感じる。知覚のについての認識としては、とても刺激的だが、そこから何が創造できるか、もう少し考えないと良くわからない。ある事を認識するための概念としての有効性は、だいぶわかった。
まあ、大雑把に言えば、他の現代思想と大筋において同じということか。
だるい身体を休めるため、早めに寝る。
○ 2005/7/11
今日も暑くなるらしい。熟睡ではないが、ゆっくり身体を横たえたので、身体が少し軽くなった。これが週末に向けて、だんだんだるくなって行くのだろう。
朝、いつもの男の子とお母さんとすれ違う。手を振って挨拶。
メールチェックと日報のアップ。7月7日分の日報、あれでは何を言っているか伝わらない、というチェ・ミキの添削が入ったので、訂正。
MUの14日の講評会に向けCDなどを準備し、確認。
13:00からMUの課題提出開始。5、6人の学生がもう持ってきている。その後しばらく間が空いたが、14:30過ぎ頃から、三々五々学生が提出に来る。締め切りの15:30を過ぎても、まだ15人くらい残っている。コンピューター室でプリントアウトしているようだが、時間がかかっている様子。17:00前、ビハインド含め、ほとんどの学生が提出終了。前半の課題に比べ、全体的にレベルアップしている。しかし、そうなると、さらに上を望んでしまう。とにかく、皆頑張った。お疲れさまでした。14日の講評会は盛り上がってほしい。
その後、講師陣で全体を見て回り、それぞれ優秀作に付箋を貼る。
講評会の段取りを、水谷先生と鈴木さんとして、18:30終了。
水谷先生と吉祥寺で、お疲れで一杯。
今後の仕掛けを、飲みながら話し合う。
○ 2005/7/12
今朝は涼しい。しかし、こう暑かったり、涼しくなったりすると、体もついてゆくのが大変だ。
連絡事項いくつか。
14:00過ぎに事務所を出て、中央線で高尾まで。今週末にOZONEで面談予定の敷地を見に行く。
中央線も八王子、高尾まで行くと丘陵地帯になり、雰囲気は少し山梨っぽくなってくる。今日は風が吹き、湿度も低く、気持ちよい。
帰りは、京王高尾駅から京王線に乗り、MRHの敷地へ寄る。
解体も終わり、更地になっている。いつもの事だが、更地になると、とても小さく見える。でも、工事が進んで行くと、敷地の大きさを再確認できるようになってくる。全体をいっぺんに確認できる時と、部分部分の集合で全体を確認するという事の違いが、そこに顕われるのか。そうだとしたら、その感覚を建物内部の計画にも取り入れられる、ということだ。意識してみても面白いかもしれない。
その後新宿まで出て、保坂和志の新刊「小説の自由」(新潮社)を購入。
○ 2005/7/13
今朝も涼しい。5月の気温だそうだ。
いつもすれ違う男の子とお母さん。今日はお父さんも一緒。
KNHのスタッフ打合せ。13:00前に事務所を出てKNHの現場へ。今日から内部の解体撤去工事が始まっている。
壁や床の断熱や下地を、部分的に壊してみて確認し、解体方法を指示。スタッフを残して、事務所に戻る。
15:30、立退きの代理会社来所。今日は最後の詰め。条件闘争である。あらかじめ準備をしておいたこちらの条件を説明。しばらく沈黙が続く。お互いに落としどころを見つけるために、少しずつ話しを進めるも、最後は韓国南大門市場のような条件交渉。決着がつき、一応引越しを7月30日(土)に決める。
これからの作業は大変だが、とりあえず一段落したので、気持ちを入れ替えてさっさと移転を完了させようと、早速出来る事から始める。
早速、雑務雑務の時間が始まる。
○ 2005/7/14
朝8:00、MU到着。水谷先生と研究室で今日の空間造形3の講評会の段取り確認。
8:30過ぎ製図室に移って、CDや映像の準備。
別の教室に集合させている学生、スタート時間の9:00になっても半分ぐらいしか来ていない。信じられない事だ。開始時間を15分遅らせて、スタート。初めは、段取り悪くスムーズに進まなかったが、2、3人過ぎたたりから少しずつペースに乗ってくる。しかし皆、プレゼン/人前で喋る事がへただ。
スタートが遅れたため、休憩も短く、発表は14:30終了。先生方から一言頂く。
あまり人の事は言えないが、皆視野が狭い。自分の興味がある事、自分が思った事をそのまま表現しているだけだ。なぜその事に興味があるのか、そう考えるのかを、再度考察して表現して行かなければ、ただのわがままになってしまう。自分や他者を、そとから見つめ直す姿勢を少し訓練すると良いのだが。
15:00過ぎ終了。皆飽和状態のようだった。ともかくお疲れさまでした。
その後、実習棟に移って、水谷先生と採点。全体的には、第1課題よりレベルアップしているが、そうなってくると平準化が気になってくる。
16:30過ぎ、製図室で行われている2年生の講評会を少しのぞき、17:00過ぎにお先にお邪魔させていただき、水谷先生と吉祥寺に向かう。
吉祥寺で学生たち6人と、大反省会。その後4人が加わる。普段、ゆっくり話した事がない学生たちの話しが聞けて、面白かった。
しかし、長くハードな一日で、本当に疲れた。
○ 2005/7/15
昨日の疲れが抜けきらない。
昨日一日事務所にいなかったので、連絡事項も多く、今日の午後、いよいよ移転先の契約と立退きの合意の調印なので、慌ただしい。
KNHのスタッフ打合せ。
午後一で、MRHのスタッフ打合せ。
16:00、阿佐ヶ谷の不動産会社で、新しく借りる部屋の契約。その場で、立退きの合意の調印。大変だったし、引越しも大変だが、まあ、面白い体験をした。立退きなんて、滅多にない事だろう。
事務所に戻って、明日のOZONEの打合せの準備と確認。
18:30、KNHのクライアントが来所。解体の状況を説明し、変更部分の打合せ。
○ 2005/7/16
朝、事務所によりメールチェック。
10:00、OZONEでKTHの打合せ。
13:30、同じくOZONEで面談。
16:30、事務所に戻り、やっと13、14、15日の日報のアップ。
17:30、INHの打合せ。
この一週間は、息つく暇もなく、本当に疲れた。
明日は、一日だらだらしよう。
○ 2005/7/17
昨晩は熱帯夜か。
あまりの湿度と暑さに、地下に避難。地下のソファの上はヒンヤリして気持ちがよい。
CATVで録画しておいたものから何か見ようと思案。結局、「めし」成瀬巳喜男監督(1951年)を選択。今年成瀬監督生誕100年記念で、連続放映されているのを録画しているのだが。いやー、面白かった。
終戦後6年。新たな近代に入りつつある時代が背景で、個人と家族、資本主義の台頭と市井の営み。そう書いてしまうとあまりにステレオタイプに聞こえるが、とにかく、そういう時代の変化の中で、夫婦の葛藤が描かれている。(林芙美子の原作に川端康成の監修に納得してしまう。)その夫婦を演じる、上原謙と原節子のアップが、二人の葛藤を静かに映し出している。こういう微妙な感情をアップであらわしている映画は、最近見ない。凄く繊細なライティングで、かすかな表情の変化を映像に収めている。
しかし、「東京物語」が1953年。原節子がアパートで、戦死したご主人の両親に、思わず心情を吐露するときの繊細な表情も、忘れられないが。
イタリア・ネオリアリズムの日本版とも思える、「めし」(なぜ「めし」かは、映画の最後にきちんと、際立たせている。)を撮った、成瀬巳喜男の映画、まだまだ録画したのがあるので楽しみだ。
○ 2005/7/18
昨晩も暑かった。また、地下へ避難。
9:00過ぎ、事務所。メールチェックと日報のアップ。
進行中のプロジェクトの資料整理。
引越しに向けて、少しずつ周りの片付けを始める。
○ 2005/7/19
暑いので、寝しなにタイマーでエアコンをかけて寝たのが良くないのか、なんだかだるく頭も重い。
OKBの図面チェックして、ものつくり大学の谷田貝君に指示。
ものを考え始めると、少しピリッとしてくる。
宿題になっている文章を書いたり、武蔵野大学の資料整理。
午後、KTHのエスキス。
引越しの業者さんが内見に来る。梱包を含めると、一日では終わらないので、前日から詰め込みを始めたいと言う。仕方がないので、前日午後から、梱包を始めてもらうようにする。
17:30事務所を出て、KNHの現場へ。あらかた解体が終了して、階段の墨が出たので確認。あらわしになった配管等の確認を、建設会社の担当者と行う。暮れなずんでの現場打合せは、蚊の猛襲に合い、アッという間に何カ所も刺されてしまう。
結構マメにチェックするブログが2つある。内田樹さんのブログと室井尚さんのブログだ。横浜国大の室井先生は、唐十郎さんの横浜国大招聘の仕掛けの首謀者で、唐組や梁山泊の芝居でお会いして、はなしをさせてもらったりする。内田先生は以前にも日報にも書いたように、レヴィナスに対する興味から、その著書を読んでいる。まったく別のルートから、お二人を知った訳だが(内田先生はこちらが一方的に知っているだけだが)、このお二人は、お知り合いだと言う。
まあそれは良いとして、室井先生の7月14日の短信に特に興味を持った。横浜国大の一年生の「基礎演習」という授業について書かれている。その中の、「せんべいチーム」の話しが面白い。今年から非常勤講師、しかも演習的な設計製図の授業の非常勤講師をしてみると、なにかもっと違う方法があり得ないか、と考えてしまう。この「せんべいチーム」の話しを読んでいると、いろんな意味で刺激的な演習になっているのが分かる。考えるヒントを頂いた。(業務報告。水谷先生、読んでみて下さい。)
しかし、これ、先生に一番エネルギーが必要な方法では。http://tanshin.cocolog-nifty.com/
○ 2005/7/20
今朝はいささかしのぎやすい。昨日の現場報告やいくつかのメール連絡。MRHの地盤調査の結果に対して、構造事務所からのファックスが入っている。今日は地鎮祭なので、早速クライアントに報告と対策を打合せする準備。
10:00に事務所を出て、MRHの現場へ。
11:30から、MRHの地鎮祭。日差しも弱く、涼しいのでありがたい。つつがなく、12:00終了。
帰りに、原宿の友人の設計事務所に寄り、アプリケーションを借りる。しばらく雑談。
15:00過ぎ、事務所に戻り、再び16:00前に事務所を出て、荻窪の会計士事務所へ。また、事務所へ戻り、18:00前再び事務所を出て、自転車で梁山泊の稽古場へ。
7月22日から9月10日まで、新宿梁山泊は「唐版・風の又三郎」をもって、韓国7都市公演のツアーに旅立つ。稽古大詰め、通し稽古を見に行く。梁山泊の稽古場に来るのは、本当に久しぶりだ。
19:30から通し稽古スタート。3時間の芝居なので、22:30過ぎ終了。その後、演出の駄目だし。24:00前稽古場を出る。
この芝居2003年から、3年かけて作ってきているが、やはり素晴らしい芝居だ。1974年の作品。空と地底の間をトルネード状に物語が行き来する。最近作でも、唐さんの作品には地底が登場する。主人公たちは地上の虚構をあざ笑うかのような魑魅魍魎が跋扈する地下へ向け、再生の旅を始める。そこには下谷万年町にうまれ、路地裏を軸に都市を描写する、唐さん独特の都市論になっている。いまや、行き場を失ったかのような、都市計画的都市論にない、魅力がある。
今読んでいる「アースダイバー」中沢新一(講談社)が、地理学的に東京を読み取っている筋と、重なる部分もあり、今夜の芝居は稽古であっても、よりイマジナブルに読み取れた。
稽古を通して、終幕熱狂的に韓国の観客に受け入れられている様子ががリアルに想像できた。スケジュールを見ると、相当ハードだが、体調に気をつけて、無事帰ってく事を、東京から祈ってます。
○ 2005/7/21
朝から、連絡事項多い。
いくつかのスタッフ打合せ。
移転先、この間の内見時は修繕中だったので、再度見に行く。図面上でまとめたレイアウトで特に問題なさそうだ。しかし、かなり良いところを選んだ事を確認した。楽しみだ。
今日は、夏らしい暑い日だが、湿度が低いのか、外を自転車で走ってもそれほどつらくない。夏休みに入って、子供たちが街にちらほらして、より夏っぽさを増した。
16:00、MRHの建設会社、来所。地下と1階のコンクリートの施工図打合せ。スタッフを叱責しながらの打合せ。情けない。1時間で終わらせなければならない内容の打合せに2時間以上かかる。
○ 2005/7/22
大和町の生活通路を挟んだ隣。大和町の土地を入手した頃は、古い銭湯だった。しかもその銭湯、天然温泉(鉱泉)だった。
大和町の家が完成したら、ゆっくりつかろうと思っていたら、工事中に休業してしまった。どうやら、銭湯をやっている家族の釜炊きをしていた方が、病気になってしまった、とのこと。
結局、再開されず、建物も取り壊され、土地の持ち主はさっさとアパートを建て、借地の権利を持っていた、銭湯を営んでいた方の持ち分は、原っぱのように残り、良い風情をかもし出していた。
その土地を、駐車場として整備すると、施工業者の方が挨拶に来たそうだ。きっとアスファルトになってしまうのだろう。外気温が上がりそうだ。
一日事務所。午後、銀行に行って振込等。梁山泊は今日韓国に出発した。
今日は涼しい。夕方から冷房を切って外気を入れる。
○ 2005/7/23
今朝も涼しい。時折強い雨が降る。
大和町の隣の土地、朝から重機が入り、土地の点圧の準備を始めた。
9:00前、事務所。メールチェックに日報のアップ。
今日も事務所の建物、1軒引越しの様子。引越し業者のトラックが入ってきた。
9:45、事務所を出て、KTHの打合せに出かける。
建て替える、現在お住まいの住宅に伺う。一通り拝見させていただき、雑談。嬉しい事に、ビールを勧められる。もちろん頂く。お昼もお子さんたちと一緒に頂く。パスタや野菜、オリーブ、ワインまで。とても美味しい。最後には杏とスモモのかき氷。話しも弾み、ついつい長居をしてしまう。次の予定があるので、14:30おいとまする。ごちそうさまでした。
最速で事務所に戻り、15:30過ぎ、面談。少々お酒を頂いている事を、まずお話しする。
16:30頃、大きな地震。ラジオの情報では、東京23区は震度4。
いろいろ動いている。
荒木さんのオープンハウスに伺えたら、と思っていたが、残念。
大和町に戻ると、背の高さくらいの下駄箱の上に置いてあった、絵が入った額が倒れ、その前に置いてあった二代目の豪徳寺の招き猫(焼き物)が玄関の土間に落ちていた。額のガラスも招き猫も無傷。奇跡的だ。一体どのように落ちたのだろう。ありがたい。
夜、「ペパーミントキャンディ」イ・チャンドン監督、ソル・ギョング、ムン・ソリの「オアシス」チームの作品、を見る。随分前にビデオに撮って見て、そのときも凄い映画だと思ったが、今回DVDで入手し、再度見て、やはり密度の高い映画だった。原題は「ハッカ飴」。ラストシーンのソル・ギョングのアップ、フェイドアウトしながら流れる一筋の涙が、印象的だ。20年の歳月を遡って行くストーリーなのだが、特典のインタビューで、完成作品とおり20年遡るように順撮りして行ったと言っていた。難しい撮り方だろうが、その効果は確実に出ているように思える。いろんなディテールが渾然一体となり、因果関係が見にくくなっている分、深みがある。
でも、映画としては、「オアシス」の方が、格上かな。それにしても、イ・チャンドン監督、第1作の「グリーンフィッシュ」もDVD注文してあるが、楽しみだ。
○ 2005/7/24
朝、8:00には眼が覚めてしまう。
「アースダイバー」中沢新一(講談社)を読み終わる。今の東京に古代の地図を重ね、昔陸だったところと海だったところの境界点に注目し、地理学的に想像力を働かせ東京を読み取っている本だ。
なぜか、途中、村上春樹の「海辺のカフカ」を思い浮かべてしまった。今も神社あるに、地底とのつながりを人々に想像させる「要石」という石の話しや、森の持つ象徴的な役割等の指摘は、そのまま「カフカ」に重なる部分も多い。地霊の顕われるところや、行き来。
さらに言えば、システムと魑魅魍魎のせめぎ合いという意味では、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」思い浮かべてしまう。
そして、「世界」がモダン(現代的)な表現だとすると、「カフカ」はプリミティブ(野生)な表現になっており、そういう意味で2つの小説は、一つになっているように思えてきた。
「アースダイバー」より、
「もしも天皇制が、グローバリズムに対抗するアジールとして、自分の存在をはっきりと意識すると、この国は変われるかもしれない。そのとき天皇は、この列島に生きる人間の抱いていたグローバリズムにたいする否定の気持ちを表現する、真実の「国民の象徴」となるのではないだろうか。」
午後、買物に出て、高円寺文庫センターによる。「戦後日本のジャズ文化」マイク・モラスキー(青土社)が平積みされている。これだから、この書店は嬉しくなる。マイクは20年くらい前、西荻や吉祥寺でいろいろやっていた、懐かしい名前だ。早速入手。
その後、「山の音」成瀬巳喜男をDVDで見る。ヤルセナキオ、と言われるのが何となく分かる。しかし、50年くらい前には、まだ人はかなり深い闇を抱えていられたのだな。こういう映画を見ると、いまは全て均一な明かりの下に出てしまっているように思えてくる。
何種類もの木漏れ日が、効果的だ。
○ 2005/7/25
台風が北上している。朝から曇りだが、湿度が高い。
7:40事務所でメールチェックや日報のアップ。
移転が今週末なので、そのための雑務をいくつか。
進行中のプロジェクトの確認やエスキス。
○ 2005/7/26
いよいよ台風上陸か。
朝から風雨。今日は自転車はやめて、歩いて事務所に。
10:00、KNHの建設会社の担当者来所。打合せ、確認事項。11:30前終了。
ファックスでMRHの地盤改良の資料が届き、スタッフにいくつかの指示。
午後は文章を書いたり、雑務。ものつくり大学の那須先生からの依頼原稿(「夜を賭けて」のセットつくりについて)にも手を付ける。
台風はそれて行ってしまったようだ。
○ 2005/7/27
台風一過。ちぎれ雲の向こうに、真っ青な空が見えている。
朝から、那須先生からの依頼原稿の続き。11:00前に仕上、メールする。
ものつくり大学のインターンシップの谷田貝君に、OKBの模型作成の指示。
KTHのエスキス。
引越し前の明日明後日に打合せがいくつか有るので、今日から自分の周りの整理を始める。
16:00大和町に建設会社の担当者に来てもらい、いくつか相談事。5年くらい経ってみると、いくつかこう出来れば、と思うような事も出てきて、どれくらいの費用で出来きるかを出してもらうようにした。
ラジオでは最高気温35度と言っており、外は晴天で暑いが、夕方の風が気持ちよい。
那須先生に、「夜を賭けて」のセットの写真をデータにして送る。
○ 2005/7/28
日差しは、夏の日差しだが、朝8:00だと空気はまだ爽やかで、風が気持ちよい。
メールチェックと日報アップし、机周りの大事なものの梱包を少しずつ始める。
KTHとKMHのエスキス。
移転の案内と引越しの日取りをとりあえず、メール。
明日からの引越しの段取りをスタッフに指示。
14:00過ぎ事務所を出て、銀行によってからKNH の現場へ。途中で自転車が変だ、と思ったら、パンク。後輪のタイヤがすり減っていたのを忘れて乗り続けていた。降りて、八百屋で近くに自転車屋さんはないか聞いたら、ラッキーな事に10m先にあった。とりあえずパンクを直してもらい、破れたタイヤは応急処置で現場に。
15:00から建設会社の担当者と打合せ。日差しは強いが、現場内は風が通って気持ちよい。16:00構造の吉田さんが現場に。補強の必要性の確認や、いくつかの指示をしてもらう。
その後、吉田さんと中野ゼロホールのレストランまで行き、KTH の構造打合せを行う。
帰りに、大和町近くのいつもの自転車屋さんに寄り、タイヤの交換をしてもらう。逆さにして、後輪をシャフトから外し、タイヤ交換。そのおじさんの手際のよさと、自転車の構造に感心する。
事務所に戻りクライアントへいくつか連絡事項。
また、地震があった。
○ 2005/7/29
いよいよ今日明日でこの事務所もおしまい。自転車ルートが変わるので、いつもすれ違う男の子には合えなくなるな。今は夏休みだから、さよならも言えないか。
事務所でメールチェックや日報のアップをして、9:00前新しい事務所へ。10:00までの間にNTTが来て工事なので、立ち会い。その後、不動産屋さんに寄って、契約書と全ての鍵を受け取る。
13:00、運送業者の女性スタッフが前日の箱詰めにくる。
簡単な指示をして、14:00前に武蔵野大学へ。
後期の空間造形の打合せ。後期は高橋先生と尾辻先生が加わり、4人でスタジオ形式で行う事になる。スケジュールや課題の選択の仕方等の打合せ。その後、製図室で、学生たちの提出図面と模型を見てもらい、レベルを確認してもらう。近くのファミリーレストランに移って、先生方6人で軽くビールを飲む。19:00過ぎ解散。事務所に戻ると、スタッフはまだ模型等を箱詰めしていた。
○ 2005/7/30
引越し。蒸し暑いが、日差しはない。
8:30前に事務所に行き、自分の周りの物を箱詰め。
9:00に運送業者が到着。総勢5人。昨日梱包してある荷物が、どんどん運び出されて行く。その間に、一人の人は残りの箱詰め。一度の休憩を入れ、作業は予想以上に早い。13:00に来るように指示していたスタッフに、30分早く来るように連絡。11:00過ぎには大凡のものが積み込まれた。積み残しは無いか確認して、新しいところに、12:40の約束をする。
2年半と言う短い間だった。粗方片付いたところを写真に収める。一度大和町に戻り、スタッフと12:30に旧事務所の段取りなので、少し前に行くが、誰も来ず、新事務所を開けなければならないので、急いで新事務所へ。
段取りとおり、棚や机のセッティングから始まる。ここに一番人がいてほしいのに、スタッフはおらず、13:00過ぎのこのこやってくる。急に時間を早くしたのだが、来れないなら来れないと言ってくれれば良いものを、ハイの返事で来ないとは。
そんなこんなで、荷運びは15:00前に終了。運送業者は若い人間5人だったが、水を浴びたように汗をかき、陽が射さなかったので助かったのでどうにか持った、と言っていた。お疲れさまでした。
その後、荷解きやセッティング。ネットやLANのセッティングにスタッフの知り合いの詳しい人に来てもらう。ADSLの切り替えが8月3日までかかり、それまでダイヤルアップ回線を使うのだが、多分、彼が来てくれなかったら、とんでもない時間が必要だっただろう。どうにか、メールも繋がる。4日まではファクスといちいちモジュラーケーブルを差し込み直しをしなければならないが、繋がらないよりはどんなに良いか。しかし、メールが無いとどうしようもない事になっている。それなのに、切り替えに3週間もかかるのは、サービスとは言えないのではないか。
17:30過ぎに作業を終了し、近くの串揚げ屋でお疲れ。本当にへとへとだった。
○ 2005/7/31
暑い、日曜日。
疲れているのに熟睡できず、疲れが取れないし、腰が重い。
午前中買物にでたら、少し身体がしゃきっとした。
しかし、どうしようもなく、一日だらだら。
夜になっても、疲れが取れず、早く休む。
○ 2005/8/1
昨夜は早くやすむが、やはり眠りが浅い。でも、長い時間横になったからか、結構爽快な朝を迎える。
8:00前、昨日スタッフに任せた、旧事務所の清掃を確認のため、旧事務所により新事務所に。
環境が変わるので、少し緊張してしまう。
全員で片付けながら、環境整備。ガスコンロを買いに行ったり、挨拶のお菓子をウサギ屋に買いに行ったり。
同じ建物に設計事務所が入っているので、ご挨拶。連絡事項いくつか。
18:00前くらいには、どうにか仕事ができる状況に。KTHのスタッフ打合せ。
しかしまた、腰が重くなってきた。
○ 2005/8/2
8月に入っても、カラッとした天気にはならず、空調をドライにしても室内は少し寒くなるが、切ると蒸し蒸しする。
事務所の整理はどうにか落ち着き先が見えてきたが、もうしばらく時間が必要だ。昔の仕事のファイル等を整理する。
13:00、立退きの代理人の会社の担当者に、幾ばくかの立退き費用と引き換えに旧事務所の鍵を渡し、明け渡しの書面に署名捺印。これでやっと立退き完了。
その脚で、原宿の知り合いの設計事務所に行き、借り物。つい話し込んでしまい、気がつけば夕方。新宿のヨドバシカメラに行き、事務所に必要な備品や、パソンコン環境の整備のためのものを購入。
夜になっても蒸し蒸しは納まらない。
○ 2005/8/3
最後の荷物整理を午前中に片付ける。これで、とりあえず梱包を解くものは終了したので、箱を回収に来てもらう連絡をする。
後は環境整備だ。
KTHのスタッフ打合せ。
雑務いくつか。
15:00に事務所を出て、KNHの現場へ。クライアントに現場を見てもらい、打合せ。
帰りに島忠に寄り、ベニヤの作業台に塗るクリアーを購入。KNHのアルミドアに塗る塗装についても確認。
事務所に戻るのに、中央線の高架下を自転車で通ってくるのだが、赤提灯では客がそぞろ、ビール等を嗜み始めている。喉の乾きも限界と、事務所近くのコンビニでビールを買って、事務所に帰る。
ADSLは今日切り替え工事が終わるとの事。配線を切り替えてみたら、無事繋がる。
いちいち切り替える必要もなく、やっぱり楽だ。
○ 2005/8/4
昨晩から、事務所ー大和町の新しい自転車ルートを確認中。
今朝も、昨晩と同じ道を通ってみるが、何度か道を間違う。このあたりはまっすぐな道が少なく、曲がりくねった道が多い。昔畦道だった名残のようだ。地図で今の中杉通りと旧中杉通り+パールセンター商店街を比べてみると、一目瞭然だ。
メールチェックと日報のアップ。ネット環境が整ったので楽だ。
10:00過ぎ、MRHのクライアントと建設会社及び各業者が来所。主に弱電関係の打合せ。最近は、LANやデジタル放送等で弱電の仕様が様々で、確認になることが多い。
午後、OKBの図面チェックをし、ものつくり大学の谷田貝君に指示。彼も残すところ三日。作業の終着地点を指示する。
今日から日曜まで三日間、浜松からチェ・ミキの妹の子供たち二人が、大和町に遊びにくる。
18:00前、チェ・ミキとヒロキとハナが事務所に来た。阿佐ヶ谷のパールセンター商店街は今晩、阿佐ヶ谷七夕祭りの前夜祭なので、ブラブラする。その後、大和町に戻って、子供たち二人と風呂に入り、夕食。
しばらくにぎやかになる。
○ 2005/8/5
今朝も新しいルートに挑戦するも、二度ほど道を間違える。なかなか難しい。
メールチェックと日報のアップ。
honkonプロジェクトの校正用のファイルが届いていたので、確認。メール返信。
KTHの図面チェックをして、スタッフへ指示。
KNHのスタッフ打合せ。
今日はヒロキとハナ、馬橋公園で遊んで、吉祥寺で芝居を見て、プールへ行って、という密度の高い一日。夜は高円寺で焼き肉。19:00前チェ・ミキから電話が有り、事務所を出る。
阿佐ヶ谷駅前は、七夕祭りで大にぎわい。
○ 2005/8/6
朝事務所でメールチェクをして、9:00過ぎ事務所を出る。
阿佐ヶ谷駅のホームで、高尾山登山に行く、妹とチェ・ミキとヒロキとハナに出くわす。
今日は暑い。電車に乗っていても頭がボーとしている。
10:30KTHの打合せ。12:00、前においとまし、東京駅に向かう。
ホームに上がったら、ちょうど中央特快の高尾行きが出発間際だったので、それに乗る。
中央線の始発から終点まで、ちょうど一時間の旅。
15:00前、高尾でKMHのクライアント打合せ。暑いので、マクドナルドでいろいろ話しを伺い、敷地へ。夏休みやお祭りの渋滞で」、高尾までとても時間がかかってしまったようで、後で気がつけば、昼も取ってなかったのでは。
17:00前にお別れし、また中央特快にのり、三鷹で乗り換え、西荻へ。うまい電車に乗れたので、待ち合わせの17:30ちょっと前に西荻に着く。
高尾登山一行と、西荻の両親と居酒屋で一杯。
浜松の子供たちが訪ねてくれたので、嬉しそうだった。
西荻から阿佐ヶ谷へ帰る電車に乗ったら、梁山泊の振り付けをしている大川さんにばったり。大川さんは今回の韓国公演、はじめの公演地・ミリャンに同行して、戻ってきていた。ミリャン公園は大変だったが、ラストシーンで片翼の飛行機が飛ぶシーンは、今までのなかで最高の出来だった、と話していた。大邸が楽しみだ。
○ 2005/8/7
今日も暑い。
ヒロキとハナはプールへ。チェ・ミキは付き添い。
昼に戻ってきて、浜松に帰る前にビリヤードがしたいという。僕は呆れて付き合わず、チェ・ミキは渋々付き合い。(偉い)
ビリヤード場の前まで一緒に行き、そこでお別れ。
買物をして、大和町に戻る。
新聞を読んだり、バリカンで髪の毛を刈ったり。
夕方、東京駅で子供らを新幹線に乗せた、チェ・ミキが戻ってくる。
チェ・ミキにとっては、密度の濃い四日間だったろう。お疲れさまでした。
○ 2005/8/8
朝、やっと事務所に道を間違わずに到着。
メールチェックと連絡事項。
9:00前に事務所を出て、MRHの現場へ。明日から柱状改良(地盤改良の一種で、良い地盤まで杭のように柱状に直径60cmの穴を掘り、その土をセメントで固めて、基礎を支持する)なので、今日遣り方(建物の位置を糸を張って出し、レベルの確認もする)。
10:00現場で遣り方を始める。途中近くにお住まいのクライアントも顔を出してくれる。レベルが心配だったが、確認できたので、スタッフを残し現地を出る。
新宿により、今日でインターンシップ終了の谷田貝君へのお疲れの本を買いに行く。一冊は既に阿佐ヶ谷の書店で入手済みの「建築家たちの20代」東京大学建築学科安藤忠雄研究室編(TOTO出版)。これは毎年の定番。今年のもう一冊は「現代思想のパフォーマンス」難波江和英・内田樹(光文社新書)。こちらはとても良い本なのに、なかなか書店に置いてない。やっと、新宿で入手。
ヨドバシカメラで、先日購入しメモリーアップ済みのi-bookをピックアップ。
13:00前に事務所に戻り、13:00過ぎ自転車でKNHの現場へ。事務所を出たら、にわか雨。それ程降らず、雷が少々。
13:30から、現場打合せ。木工事と階段の打合せが主。15:30前にスタッフを残し、現場を出る。この暑さの中、現場を2つ廻ると、さすがにこたえる。現場の職人さんたちはそんな事言ってられないのは分かっているが。
溜まっていた日報をアップして、いくつかのメールのやり取り。
19:00、ものつくり大学の谷田貝君、予定の作業を終了。彼がお礼にと買ってきてくれたビールでお疲れ。記念の本を渡す。
19:30事務所を出て、高円寺の成都へ。チェ・ミキの大学時代の同級生が名古屋から来ているので、もう一人の横浜在住の友人も交え、一杯。10:30頃、先に失礼する。名古屋の友人は大和町泊。
大和町に帰って、酔っぱらいながらニュースを見るが、各政党の幹事長等のインタビューを聞いていても、民主党が出来たときのような改変(といえるのだろうか)しか起こりえない、と確信する。
○ 2005/8/9
トタン屋根の上の猫が、いつも同じところで寝ている。暑くないのだろうか。
今朝は日差しがなく、涼しく感じる。
事務所で日報のアップとメールチェック。
先週の打合せの整理や雑務、連絡事項。
KTHの変更案をスタッフに指示し、クライアントへファックス。
KNHのスタッフ打合せ。その間確認事項等をメールしたり。
銀行に行くついでに、図書館に久々に自転車で。
移転案内のために住所録の整備。
バタバタと落ち着かない一日だった。
政界は早くも改変等おこりそうもない、流れに成ってきている様子。
○ 2005/8/10
曇りで暑くはないが、湿度が高いように感じる。
自転車で走ると、風を感じて気持ちよいが、信号で止まると、むっとする。
KTHのエスキスを進める。KNHの連絡事項いくつか。KMHの役所へ電話して、条件の確認。だいたい確認できたので、少し計画が進んでから、実際に役所に出向くのが良さそうだ。
午後、スタッフにKTHの図面指示を出し、KMHのエスキスをスタートする。
途中、MRHのスタッフ打合せ。
ずっとKMHのエスキスを続ける。
○ 2005/8/11
今日から、今週末までは天気が悪く、少し涼しいらしい。
窓を開けると、風が通る。
KMHの役所確認とエスキスを進める。
10:30、以前のスタッフ、高橋が来所。少し手伝ってもらう事になり、昼前まで打合せ。
13:00過ぎ事務所を出て、構造の山崎さんの事務所へ。KMHの相談。
今日は少し涼しいからか、JRの駅にはスタンプラリーの親子連れが沢山。
帰りに新宿の東急ハンズにより、新しく作った作業テーブル用の脚を買ってくる。
戻って、KNHのスタッフ打合せ。
明日から、16日までスタッフは夏休み。
こちらは、19日から22日まで、韓国に行くのでずらして休む。
明日からはしばらく、一人でのびのびと仕事ができる。(予定)
○ 2005/8/12
久しぶりの雨。わずかな雨でも、随分涼しい。
KNHの施工図を作成。昼過ぎ、事務所を出てKNHの現場へ。細かい打合せを、建設会社の担当者と行う。
夕方事務所に戻り、一人なので、ビールを飲みながら、進行中のプロジェクトの確認や連絡事項。
○ 2005/8/13
昨晩は涼しく、湿度も低く過ごしやすかった。
今朝も雨上がりで、涼しかったので、事務所の窓を開け風を通す。いつものところで、猫が気持ち良さそうに寝ている。しかし、10:00過ぎ位から陽が射して来て蒸し蒸しして来た。
今NHK-BSで寅さんのシリーズを、毎晩気が狂ったように放映している。その解説を映画評論家みたいな人と山本晋也監督がやっている。山本監督は、寅さんシリーズの監督を誉め讃える。それはそれで良い。でも、山本監督と言えば、寅さんにも劣らぬシリーズが有るではないか。そう、「未亡人下宿」シリーズ。たこ八郎や久保新二が毎回出て来たナンセンス喜劇が。場末の映画館の3本立てで、一本目に痴漢で出て来たたこ八郎が、二本目で警察官になっていたり、おおいに楽しませてもらった。
NHKに度量が有れば、これらも、気が狂ったように放映してもらいたいものだ。でも、成人映画(懐かしい響き)だから、無理か。
等と、連日の寅さんを流し見ながら考え、やっぱり寅さんは、盆と正月の二回くらいが、腹八分目でちょうど良いな、ととても思った。
パソコン周辺環境の整備をしてしまおう、といろいろ始める。先日購入したibookの立ち上げをしたことで、ネットワークがおかしくなり、サポートセンターとのやり取りで、2時間以上かかってやっともとの状態に。やれやれである。
夕方、一瞬の凄い雷雨。
○ 2005/8/14
久々に、新聞の懸賞で当たった歌舞伎を、見に行く。
銀座で天ムスとビールを買って歌舞伎座へ。11:00から歌舞伎座・八月納涼歌舞伎。いつもの3階席。八月はこの月だけの三部制。人気の若い役者が出ているからか、ほぼ満員。早速席につき、ビールを飲みながら筋書きを読んでいたら、最初の出し物「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)金閣寺」は、以前見た事を思い出す。
休憩を30分はさんで、獅堂・七之助の「橋弁慶(はしべんけい)」。人気者二人の舞台で、女性客(ほとんどが女性客だが)は身を乗り出して見ているが、どうもピリッとせず頂けない。
最後は勘太郎の「雨乞狐(あまごいぎつね)野狐の五変化」。題名とおり、野狐役の勘太郎が五変化するのだが、演目としてよく出来ている。勘太郎も良くこなしているように思うが、勘三郎の「雨乞狐」も見てみたい。この演目、勘太郎が引き続きやりつづけるだろうから、機会があったらまた見てみたい。
14:00、終了。外には第二部を待つお客さんが一杯。
外は暑い。広いアスファルト道路の照り返しがきつい。
そそくさと、大和町に戻り、シャワーを浴び、再びビールで一息つく。
夕方になって、風が出て来て、日が落ちると涼しくなる。あまりの暑さに入れていた、冷房を消し、窓を開けると気持ちがよい。
○ 2005/8/15
朝いつもより少し遅く起きて、8:30事務所。
メールチェックや日報のアップ。
今日明日もスタッフは夏休み。現場も夏休み(といっても作業している現場も有ろうが)。
横浜国大の室井先生(何度か日報にも登場いただいた、唐十郎さんを横浜国大に招聘した首謀者)が、14日のブログに梁山泊の韓国7都市ツアーのソウルバージョンの様子を書いている。http://tanshin.cocolog-nifty.com/
僕も出発前の通し稽古を見て、その出来の良さに、韓国の観客たちに熱狂的に迎え入れられている姿を想像できたので、現実になっているのだな、とワクワクする。
僕とチェ・ミキも19日に大邸に向かい、「唐版・風の又三郎」を韓国で体験するので、楽しみだ。
梁山泊は日本を発ってほぼ一ヶ月。室井先生のブログを読むと、皆疲れがたまって来ている様子が、少し心配だ。
とどこうっていた、メールで案内を差し上げられなかった方への、移転案内の作業と、OZONEの展示のスケッチ。
午後、郵便局に行ったり、外で雑用をしていたら、急に雲行きが怪しくなって来たので、事務所に戻ったらすぐ雨が降って来た。
OKBのスタッフへの指示をまとめ、KMHのエスキスに移る。
世間一般も夏休みで、電話等がなくいろいろな事が片付いて行く。
雨上がりのトタン屋根の上で、猫は気持ち良さそうに熟睡中のようだ。
夜、凄い雷雨が一時間弱続く。
○ 2005/8/16
昨日は8月15日。
昨晩、NHKが「 “予定調和なし”“NHKらしくない討論”として話題を呼んでいる(NHKホームページより)」という番組、『日本の、これから
「戦後60年 じっくり話そう アジアの中の日本」 』を途中から見る。
教科書問題や靖国参拝問題等が、話し合われていた。例えば、靖国になぜ参拝するのか、という質問に対して町村外相は、1.亡くなられた方への慰霊。2.今の反映の感謝。3.反戦への誓い、という。これでは、なぜ靖国神社でなければならないのか、という問いに何も答えていない。これでは、賛成も反対も判断保留になってしまう。
問題が紆余曲折して、なんだかうまい具合に問題の確信に近づきそうな場面になると、意図してか、意図せずか、NHKの司会進行の三宅さんは「この問題は後でゆっくり」と話題を移してしまう。
携帯電話を使ったアンケートを行い、3、4択のアンケートをとり、パーセンテージ表示で発表するも、一体何件のアクセスがあったのかも発表されない。そのパーセントからまた、解釈をはじめ、インターラクティブな試みだとでも言いたいようである。
深まらない話し合いに、イライラするので途中で見るのをやめる。これなら、本当に少なくなって来た、戦争に行かれた方々の話しをライブで沢山伺うとか、渋谷にいる女の子たちをスタジオに集め、話しを聞いた方がまだ予定調和なしの番組が作れるのではないか、と思った。
朝から雨で、気温は少し低いが蒸し暑い。
KNHの作業。KMHのエスキス。
昼前、結構大きな地震。時間も長い。このところ非常に地震が多いが、それに対してなにも準備していない自分を認識するが、過ぎてしまうとまた何もしない。
15:00、KNHの建設会社の担当者来所。簡単な打合せ。
夕方になって、晴れて来た。
○ 2005/8/17
今朝も、昨晩同様、過ごしやすい天候だ。空は青いが、空気が乾燥している。
スタッフの夏休みも終わり、今日から出社。
早速、スタッフの休み中にまとめておいた事項を指示。19〜22日の休みの間の分も指示する。
KMHのエスキス。傾斜地に有るため、平均地盤面によっては3階が厳しくなりそうなので、地盤面の算定をしてみた上で、エスキスを進める。
夕方になって、エアコンを切って窓を開ける。
過ごしやすい一日だ。
○ 2005/8/18
今朝もそれほど暑くない。夏ももう終わりかと思わせるが、そんなこともないだろう。
KMHの昨日のエスキスを見直してから、KNHのクライアント打合せの準備のスタッフ打合せ。
KTHのクライアントからの要望ふまえて、エスキス。
13:30、KNHのクライアント来所。最終的な工事項目の見直しと、仕上材の下打合せ。
引き続、KTHとKMHのエスキスを進める。
明日から22日まで夏休みを取って、梁山泊のテグ公演を見て、アンドンやプサンを廻る予定。日報もその間、夏休み。
○ 2005/8/23
昨日までの韓国行きは、アッという間に終わってしまった。
テグの新宿梁山泊「唐版・風の又三郎」は素晴らしい舞台だった。
今までの公演の中で、一番役者が少ない(多分)バージョンだったが、唐十郎のロマンの原型が浮き彫りにされ、その中でそれぞれの役者たちが存在感を充分に発揮して、シンプルな中にとても幅広い振幅を作り出していた。3幕の芝居だが、各幕がそれぞれ際立ちながら、最後まで太い流れが渦巻いている。シンプルになったということは、けして分かりやすくなったということではなく、芝居を見ている観客それぞれの読み取りに充分答えられる存在感を持ったという事だ。
金さんから、ソウル公演を御覧になった(そして幕開きに登場もしたという)唐さんが、「全く違う『風の又三郎』になった。」とおっしゃっていたと伝え聞いたが、本当にそう感じた。オリジナルの魑魅魍魎跋扈する、暗黒のロマンから少しずつ変化して来て、ここに至った。
見に行ってよかった。皆の体調を心配していたが、皆とても充実した顔をしていた。
役者をやる前に、スタッフワークを全員がやらなければならない梁山泊なので、メンバーが少なく大変なのでは、と思っていたが、現地のボランティアの学生たちが、本当に良く手伝ってくれているようで、テグでもボランティアの学生たちは、みな元気よかった。
テグ公演は本当に町外れの川岸にテントが建ち、あいにくの雨で客足はどうかと心配したが、広いテントに9分の入り。客の反応はとても良く、時々交えるハングルの台詞と簡単な字幕という構成の中、3幕3時間ずっと熱気は下がらなかった。
最後まで、怪我なく公演を終えて、無事の帰国を祈ってます。
朝からメールチェックと連絡事項。
留守の間の諸々、スタッフ打合せ。
雑務や4日間の日報書き。
明日から、通常業務に戻るための段取りを考える。
旅行で疲れているはずが、やはり気分転換になっているのか、とても調子が良いことに気づく。
各日付に戻って、簡単に4日間の記録。
19日
12:30成田発のプサン行きのチェックインのため、カウンターに行くと、「プサン天候不良のため、福岡着もしくは成田に戻る可能性があり、ご承知下さい。」とある。承知できないが、乗るしかない。
何の事はない、プサンは晴れ。プサン駅に移動して、KTX(韓国の最新高速列車)で、東テグへ。途中から雨に変わる。
テントのそばにあるという、パークホテルへ。ホテルのロビーからテントを確認するも、川向こうでかなり遠い。
18:00過ぎ、梁山泊のテントに到着。19:30からテグ公演の初日を見る。なんと、岩波書店の樋口さんご夫婦もいた。「夜を賭けて」の撮影のとき、群山でお世話になったハンギョル(オールウェイズ・ハン)さんも来ている。懐かしかった。
終演後、地元主催の打ち上げに、参加させてもらう。2:00前ホテルに戻る。
20日
今日も雨。9:00過ぎ、ホテルを出てテグの西門市場、薬令市をぶらぶら。
昼にビールを飲もうと店を探すも、入る店入る店ビールはなく、表から各店を見ても酒を飲んでいる様子がない。ビールを飲むのに、こんなに苦労したのは始めてで、この地域一体どうなっているのだろう、と首をひねる。へとへとでもうあきらめて、電車の中でと思いテグ駅に向かうと、なんと駅手前のポジャンマチャ(屋台の店)にビールが。簡単な揚げ物とビールで一息つく。
15:00テグ発のセマウル号でプサンに。ナンポドンのホテルフェニックスに飛び込み、安かったのでそこに決める。
夜は、ヤンコプチャン。牛のコプチャン(小腸)やヤン(ミノ)の練炭火焼き。日本で言えばホルモン焼き。これはうまかった。近所にほしい店だ。
21日
天気予報は雨。だが、雨でも狐の嫁入り。日も射している。朝飯にソルロンタンを食べているうちに、晴れて来た。
地下鉄で、トンネ(東莱)温泉へ。ナンポドンから30分強。プサンの人なら皆知っていると言う、ホシムチョン(虚心庁)に。巨大な温泉施設。日本の健康ランドを信じられないくらい大きくして、風呂やサウナのバリーエーションを多くしたもの。昔の船橋ヘルスセンターか。
遅い昼は、「韓国の『昭和』を歩く」鄭銀淑(祥伝社)で知った、クムガン・コンウォン(金剛公園)楼門前のシクタン(食堂)へ。ここで、パジョン(お好み焼き)とマッコルリ(どぶろく)が楽しめる、とかの本にありホムシチョンに行く前に訪ねてみたら、その通りだった。ここのマッコルリはこの上の山、金井山の水と麹でつくられ、ここでしか飲めないもだと言う。確かにうまかった。
その後、プサン市立博物館へ。ここにはプサンの古代から朝鮮通信使や日本統治時代の資料が展示されている。これらの展示をみていると、統治下の近代化に対して一部の人が言うように、日本の功績があったのだろうが、冷静に考えれば、統治している本人のためにやっている事だから、それで統治が悪い事ではなかった、という理屈は成り立たないな、と思う。それよりその後の朝鮮戦争まで歴史を見ると、とても長い間悲惨な状態にあった半島である事に、改めて考えが行った。
22日
天気は昨日に続き晴れ。帰りの準備をして、ホテルに荷物を預け、チャガルチ市場へ。ここでも「韓国の『昭和』を歩く」の案内により、「友へ・チング」のロケにも使われたと言う、チャガルチ乾燥物卸売り市場の統治時代の日本家屋へ。さらに、ヨンドテギョ(影島大橋)周辺へ。橋のたもとにはチョラックァン(哲学館)といい、古い占い屋が残っていると言う。
「朝鮮戦争時代、影島大橋は多くの避難民たちの再開の場所となっていた。この橋を行ったり来たりしているうちに、偶然故郷の人々に会えて、別れた家族の話しが聞けたりしたことがあったという。避難民たちは『親戚に会えるかも』『親戚の情報が聞けるかも』『故郷に帰れるかも』という期待を胸にこの橋に集るようになった。/そんなとき、先の見えない彼らの身の上話を聞いてくれたのが占い師たち。自然発生的に橋のたもとに占い屋が栄えるようになったらしいのだ。」とある。果たして、その通りにチョラックァンはあった。
「最近、影島大橋を撤去すべきか保存すべきかという論争があった。釜山市民たちと苦楽をともにしてきた象徴的な橋という点が考慮され、やはり保存されることになった。」ともある。
大事なことだなと思い、プサンの人たちの意識をとても感じられることだが、その横では、風情のあるチャガルチ市場が、近代的に建て替えられようとしているし、ロッテが高層の建物を計画しているという。
チャガルチ市場で、さきいかと明太子のお土産を入手、1階の市場でアワビとケッチム(ケジャンの蟹)とシマダイを買い、2階の食堂に行って、アワビは刺身、ケッチャムは蒸して、シマダイは刺身とあらをスープにしてもらい、ビールを頂く。マシイッソヨ。
15:30釜山発の飛行機で成田へ。20:00大和町着。
○ 2005/8/24
今日から、武蔵野大学の鈴木さんと小笠原さんが、オープンデスクで事務所に来る。約2週間の予定。
10:00前事務所に来た二人に、早速模型作りを始めてもらう。
OZONEの展覧会(http://www.ozone.co.jp/WebX?13@203.f7rEaAXC5zi.1@.338c8f0c)に出す模型の手直しと、OKBの模型作り。ものつくり大学の谷田貝君の作業を引き継いでもらう。
OZONEの出展パネル作りのスタッフ打合せ。
同時にOKBの図面作業。
9月の中頃まで、いろいろなものが同時進行しており、今週末までの進捗状況が今後の流れの一つの目安になりそうだ。
昨日も感じたが、韓国行きは、本当に良い気分転換になったようで、集中して仕事ができる。
○ 2005/8/25
今晩から明日にかけて、台風11号が東京に近づく予報。
設計の仕事をしていると、やはり台風来たり地震があると、竣工した建物は何もなかっただろうか、とても心配になる。
相米監督の「台風クラブ」ではないが、子供の頃は台風が来ると何かが起こりそうで、ワクワクしたものだが。
OKBの図面作業の続き。
10:00事務所を出て、KNHの現場へ。今日は雨なので、自転車ではなく地下鉄で。新しい事務所になって、丸ノ内線の南阿佐ヶ谷が近くなり、移動には選択肢が増え、より便利になった。クライアント夫人と簡単な打合せ。
夕方、武蔵野大学の学生に簡単なレクチャー。
台風が近づいて来ているが、それ程雨は激しくない。
○ 2005/8/26
台風一過しつつあるところ。7:00には雨も上がっている。東京上陸はせず接近で終わったようだ。
ところでこの間の韓国旅行中、韓国のテレビでやっていた映画の宣伝の中に、ぺ・ヨンジュンの新作映画の宣伝もあった。ヨン様の相手役の女優がどう見ても「夜を賭けて」の韓国の制作会社サイダスのオーディションに参加していた女優にそっくり。
日本でも「たかの友梨」の後援で上映するらしく新聞にチラシが入っており、その女優ソン・イェジンという名前だったので、オーディションの時の資料確認したら、やっぱりそうでびっくり。「四月の雪」という映画。監督は「八月のクリスマス」のホ・ジノ。見に行ってみるか。
(その後チェ・ミキが以前見た「ラブストーリー」の主演だったことを思い出し、調べたら結構韓国で期待されている女優だことが分かった。)
新宿梁山泊の三浦伸子さんからメールが来て、流石全州は食べ物がうまいらしい。映画撮影のロケハンの時も、昼飯が美味だった。どうやら皆引き続き元気でやってそうだ。ソウルに続き、全州公演に行っている室井先生のレポートが楽しみだ。http://tanshin.cocolog-nifty.com/
今日は一日中、KMHのエスキス。
久々に夏が戻って来た。
○ 2005/8/27
今日も暑い。残暑。
メールチェックや日報をアップして、OZONE展示パネルのチェックとKMHのエスキス。
10:30自転車でKNHの現場へ向かう。
台風に備え、外部のシートを外したので、外部の確認をしに行く。グッドタイミングで、大工さんと階段の最後の部分の打合せが出来た。床のフローリングも張り出していた。
現場に向かうのに高円寺を通るのだが、阿波踊り、昨晩が前夜祭で、今晩と明晩が本番。今年は土日に当たった。阿波踊りは各地であるので、その土地の開催日は日にちで決まっていて、週末に開催になるとは限らない。台風もうまい具合に通り過ぎ、きっと人出が凄いだろう。昼前なのに、大将ではもう焼き鳥を焼き始めていた。
現場からの帰りに、ある店先に吊るしてあったシャツが眼にとまり、1995円と安いので買ってしまった。
KMHの敷地模型の準備と役所確認事項の整理をして、引き続きエスキス。
OKBの図面作業。
○ 2005/8/28
涼しくて過ごしやす。
旅行の間に溜まっていた新聞を読む。
先週、釜山に行ったので、釜山が舞台の「チング・友へ」を昨日借りて来たので見る。途中で以前1度借りて来て見ていたことを思い出すも、半分以上覚えておらず、始めて見るのと同じ状況だった。良く出来ていて、ヒットするのも分かる。
買物に出たついでに、「チング・友よ」を返し、ソン・イェジンが主演の「ラブストーリー(原題『ザ・クラッシック』)」を借りてくる。こちらも軽快なタッチで良く出来ているし、ヒットするのもうなずける。2本とも、それだけ答えのはっきりした分かりやすいストーリーだと言うことだ。
やっぱり、「オアシス」や「ペパーミントキャンディー」のイ・チャンドンがマイ・フェイバリットだな。
しかし、「ラブストーリー」は、先週行ったプサン市立博物館で改めて感じた、日本統治時代から朝鮮戦争までの、とても長い間半島の悲惨な状態に続いて、ベトナム戦争という事実があったことを思い出させてくれた。
こうしてパク政権下の時代を舞台にした映画を見ていると、まだまだ韓国内にはその時代の面影を残した場所があり、ロケも可能だな(「夜を賭けて」でも、韓国の地方都市の建物は、戦後の日本の雰囲気を残した場所があり、そこで撮影をしたが、当然それは日本統治時代に作られたもだったりする。)と思う反面、もうそういう場所もなくなリつつあるように先週の旅行で感じた。ソウルはもうどうしようもないが、釜山はあの雰囲気を残してほしいが、それも旅行者の感傷か。
○ 2005/8/29
晴れだが、もう盛夏はとうに過ぎた様子。
メールチェックと日報をアップ。
OKBの図面作業を続け、切りの良いところでスタッフ打合せをして引き継ぐ。
明日、KMHのいくつかの確認をしに役所に行くので、その準備。あわせて、武蔵野大学の学生にやってもらっているOKBの模型も一段落したので、一人にKMHの敷地模型を作ってもらう打合せ。
KNHの玄関廻りの打ち合わせ図の作成とスタッフ打合せ。
武蔵野大学の後期の空間造形の課題、だいたいエスキスしてあったものを検討し直す。
○ 2005/8/30
本当に朝晩は過ごしやすくなった。
新宿梁山泊の韓国7都市公演ツアーは、全州で最高潮を迎えたようだ。梁山泊の三浦伸子さんからのメールにも、楽日の打ち上げの感動的だったことがかかれていた。ソウルに続き再度韓国を訪れた室井先生のブログにも、その様子が詳しくレポートされている。(http://tanshin.cocolog-nifty.com/)その中から、全州大学演劇学科のホームページに行くと、梁山泊の動画が見ることができる。凄い時代になったものだ。
思い起こせば、16年前の「千年の孤独」のソウル公演の時も現地に赴き、旅に出る梁山泊をソウルで見送った。そうか、あれからもう16年か。
ともかく梁山泊の持続力が、今回のハードなツアーを可能にし、関わった人たちとともに大きな感動を作り上げたのだろう。まだ2カ所の公演は残っているが、ツアーの成功おめでとう、と言いたい。
9:00に事務所を出て、KMHの設計にあたっての法規の確認に役所に向かう。
いろいろな部署を廻り、12:00前終了。
阿佐ケ谷に戻りそのまま自転車に乗り、KNHの現場へ。建設会社の担当者や大工さんと打合せ。16:00過ぎ終了。
事務所に戻り、連絡事項や武蔵野大学の学生に作ってもらっている模型のチェック。
KMHの今日の役所での確認事項のまとめと、それをもとに明日からボリューム模型を作ってもらう準備。
明日には、武蔵野大学に課題のメールを送らなくてはならない。
少し慌ただしくなって来た。明日は一日事務所にいられるので、集中したい。
朝事務所を出る時に、いつもの場所(南の家の物置のトタン屋根の上)に寝ていた猫が、夕方も同じところに寝ている。過ごしやすくなって、一日そのままだったのだろうか。そうだとしたら、たいしたものだ。
○ 2005/8/31
早速、選挙カーがいつも通りの芸のない名前の連呼で、廻りの迷惑顧みず、我が物顔で走り回っている。
涼しくなり、やっと窓を開け風通し良くして、過ごせるようになったのに。やれやれ。
内田樹さんのブログの8月9日「政治家のことを考えると頭痛が」(http://blog.tatsuru.com/archives/001163.php)。こんなセンスの良い日報が書けたら、どんなに良いだろう、とさらに思う昨日今日だ。
武蔵野大学の小笠原さんに、KMHのボリューム模型作製の指示。
KNHの階段廻りのエスキスをしてスタッフに図面作成指示。
武蔵野大学の空間造形4の課題の作成。その合間にOKBの展開図チェック。15:00過ぎに課題が完成したので、水谷先生へメール。
KMHの図面作成作業へ入る。
20:00高円寺駅で学生時代の仲間(サークル関係)の牧、吾妻、山本と待ち合わせ。
○ 2005/9/1
昨晩は久々に遅かったので、今朝は一時間遅く9:00に事務所に。
晴れて、日差しの元は暑いが、木陰に入ると自転車で切る風が気持ち良い。今日から9月。
朝からKMHのエスキスと図面作業。
ほぼ一日集中してやる。
16:00、KNHの現場から、塗装の色見本の確認をしてほしい、との連絡があったので、自転車で現場に。
階段回りが随分仕上がって来た。着実に工事は進んでいる。
再び事務所に戻り、KMHの断面チェック。
○ 2005/9/2
朝、大和町に飛騨国府の弓削さんから電話がある。
梁山泊の韓国公演、テグでいっしょになれれば、と話していたが急なご不幸があって、残念だった。どうにか最後の公演の束草に行けないか、と考えているらしい。
朝から、KMHの作業。
明日のKNHの現場でのクライアント打合せの準備。合せて、KTHの打合せの準備。
武蔵野大学の二人は、夕方にOKBの模型をほぼ決められたところまで完成。
○ 2005/9/3
ここ二三日暑さがぶり返している。今日も暑い。
9:30KNHの現場。クライアント打合せの準備。今日は和紙やクロスや塗装の最終確認をするので、それらの大きいサンプルを建設会社の担当者と壁にはったり。10:00過ぎ、クライアントと打合せを始める。その他、細かいこともいろいろ確認する。
11:30過ぎ終了。現場を先に出させていただき、自転車で高円寺まで戻り、駐輪場に自転車を置き、いつも仕事を手伝ってくれる坂下の、改修工事の現場が完成したというので、見に行く。なかなか良く出来ていた。
13:00過ぎに坂下の現場を出て、KTH のクライアント打合せに向かう。
14:00KTHのクライアント打合せ。建て替え予定の今お住まいの住宅にて。二世帯なので、まずご両親のスペースの打合せを行い、場所を移して二階で子世帯の打合せ。途中からビールを勧められ、もちろん喜んでいただく。今日は暑い中を動きっぱなしだったので、とても嬉しい。ワインまで頂く。いろいろお話しているうちに、18:00近くになってしまったのでおいとまする。
高円寺に戻り、駐輪場に自転車をとりに行こうと、中通り商店街を歩いていたら、朴保(パッポ)さんと行き会う。今晩は「抱瓶」が駅の近くに作ったビルの地下のライブハウスでに出演とのこと。誘ってくれたが、こちらは暑いなかの二件の現場巡りと打合せで、エネルギーを使い果たしていて、遠慮した。大和町に戻っても、へろへろ状態。体力ないな。
○ 2005/9/4
大和町で朝からKMHのエスキスの詰め。夕方までにおおよそまとまる。明日から、スタフに指示しプレゼン資料と模型の作製に入れるところまで出来上がる。
少し、テーブル廻りを片付け、バリカンで散髪。
夜、激しく雨が降る。
○ 2005/9/5
まだ、雨はときどき降るが、たいしたことはない。やはり昨晩の雨は相当の量だったみたいで、杉並・中野で善福寺川や妙法寺川があふれ、浸水した家もあるという記事が、新聞の一面に。
事務所に来る途中も、下水があふれたのか、縁石がずれているところがあったり、商店街では土嚢を排水口の廻りに積んでいるところもあった。
メールチェクと日報のアップをして、9:00に事務所を出て、MRHの現場へ向かう。しかし、2日メールチェックをしないだけで、70件弱のメールで、90%以上が、関係のない迷惑なメールばっかりで、呆れる。
10:00、MRHの地下耐圧盤と壁の配筋検査。検査中が一番雨が激しかった。午後にコンクリート打設予定だったが、雨がやみそうもないので、延期にする。
昼前に事務所に戻る。
KMHのスタッッフ打合せをして、図面と模型の作製の指示。
引き続き、KMHの図面作業。OKBの図面チェック。
梁山泊は今、38度線近くの東海岸沿いの都市ソクチョにいる。久々にメールが来た。想像していたいた通り、この前の公演場所のアサンは、ネット環境が悪かったようだ。
韓国では台風14号が「ナヴィ」と呼ばれ、半島に上陸しそうで大変そうだ。公演は6,7日。上陸前に撤収となれば良いが。
今日で武蔵野大学の二人はオープンデスク終了。非常に助かった。記念の本を渡し、近くのノスタルジックな変わった店で少し飲む。
○ 2005/9/6
台風は、韓国への上陸はありそうもないが、九州・日本海を進みそうなので、梁山泊のテントに影響はあるかもしれない。
KMHの立面の図面作業。
13:00過ぎに事務所を出て、KMHの構造の打合せに山崎さんの事務所まで。
雨はほとんど降っていない。15:00過ぎに事務所に戻ると、16:00頃には陽が射して来た。
OKBの打合せ準備。KMHの図面作業。
○ 2005/9/7
台風は日本海上を北上するらしい。九州では記録的な雨量で災害が発生している。
天気予報で台風の様子のを確認すると、アジア名で「ナービー」とある。梁山泊の大貫のブログで、韓国では「ナヴィ」と呼ばれている、とあったが、韓国だけの名前ではないのだ。
KMHの図面作業を続ける。
12:00過ぎに事務所を出て、OKBの打合せに。晴れていたが、13:00頃打合せ場所に着くと、少し雨が降って来た。
打合せ後、雑誌のバックナンバーを探しに、渋谷のブックファーストに入ったら、とたんに強い雨が降って来た。
雨宿りに、各階を物色していたら、地下で蓮實 重彦さんをお見かけする。相変わらず、ダンディだがマフィアのボスのようだった。
渋谷から阿佐ケ谷へ行くバスが、事務所の近くの杉並区役所を通ることがわかったので、試しに乗ってみる。バス停で待っていると時は曇りだったが、乗って発車したら激しい雨が降って来た。しかし、阿佐ケ谷に近づく頃には、又晴れて来た。一時間弱かかり、気分転換したい時には良いかもしれない。
戻って、KMHのプレゼン用図面のエスキス。OKBの打合せ事項の整理。
○ 2005/9/8
やっと台風一過だ。
ポタライブ(http://kurumin.dyndns.org/potalive/index.htm/サイトリニューアル中)へのコメントを書いて、メール。
KMHのプレゼン図面の、最終エスキス。
KTHのスタッフ打合せ。
15:30過ぎ、KNHの現場へ。階段、3階ともほぼ木工事は終了間近。階段も棚がつき、良い感じに仕上がってきた。
帰りに、現場近くのバーンによる。バーンは15、6年前学生の頃からの友人の阿部さんと田中さんの住まいの脇に、半自力建設で作り上げた東屋だ。この1年半くらい、近くに現場があったので今度寄るといいながら、なかなか機会がなかった。今日は突然よって見た。田中さんはお留守だったが、阿部さんがおりコーヒーをごちそうになる。阿部さんと会うのも何年ぶりか。近くにいるのに間があいてしまった。その間共通の友人にもいろいろあったことを教えてもらう。50前のこの何年かは、体調を崩す人も多く、しばらく合わないと随分いろんなことがある。少しはゆとりを待って暮らすように心がけなければいけないのかもしれない。
しかし、久しぶりのバーンは緑に良くなじみ、阿部さんと田中さんがよく手入れをしてくれているのが伝わってくる。我ながら、傑作だと思った。
夕方事務所に戻り、KNHの指示図面を書く。
○ 2005/9/9
朝、KNHの現場へ。板金業者さんが入ってくると聞いたので、確認事項を打合せしようと出掛けたが、10:00過ぎに現場に来るとのことなので、9:00一度事務所に戻る。
10:00に事務所を出て、再びKNHの現場へ。
打合せを終え、昼前に事務所に。打合せ事項をまとめる。
八月が決算なので、帳簿付けをまとめる。今年はじめからエクセルでつけるようにしたので楽だ。
OKBとKNHのエスキス。KMHのプレゼン用図面と模型が出来上がりつつある。
明日10日は、梁山泊の帰国日。皆久しぶりの日本で、自分の部屋に帰れる。お帰りなさい、おつかれさま。今晩は最後のソウルの夜を楽しんでいるかな。
大和町は明日、大勢のお客さんを迎える。
○ 2005/9/10
今日は午後、武蔵野大学の3年生に大和町をオープンハウスする。せっかくなので、先生方やKTHのクライアントのご家族、チェ・ミキの韓国から留学して来ている親戚や友人、その家族と、計画性のない集まりにしてしまった。
朝から片付け。来客があると片付けなくてはならないのが良い。昼前から買い出しや、簡単な食べ物の準備。そうこうしているうちに、14:00過ぎに最初の来客。15:00頃にどんどん人が増え、天気も良く、冷房を入れても負荷が大きすぎてあまり効かない。扇風機が活躍。
一番人が多い時は、30人以上になっただろうか。
図々しくも、クライアントの夫人に食べ物の準備をお願いしてあったのだが、これがなければどのようになっていたか。本当に美味しいお料理、助かりました。
三々五々に帰って行って、最後に、一番最初に来た、韓国からの親戚とその友人が片付けを手伝ってくれ、23:00頃帰って行った。
久々に大勢が集った、楽しい一日だった。
○ 2005/9/11
昨日のオープンハウスの疲れで、一日だらだら。
二人で、口を開けると、「凄かったな」となる。結構用意したつもりの食べ物が、気持ちよく全てはけた。まあ、この狭い家に良く入ったし、皆結構楽しんでいたようで、良かったなと。
もっといろんな人とゆっくり話しが出来れば良かったが、致し方ない。
子供たちも4人いたが、学生たちがよく遊んでくれた。
14:00過ぎ、買物ついでに投票へ。買物をしていたら、にわかに風が吹き始め、あたりは暗くなって来たので、慌てて大和町へ帰る。
戻って、競馬中継をつけたら、中山は凄い天気。映像は届いているが、音声は無し。
風呂を入れて、ゆっくりつかる。
○ 2005/9/12
選挙は自民党の大勝利に終わる。特に東京の小選挙区での結果がその凄さをあらわしている。
選挙はじめから、「劇場型選挙」などいう言葉語られて、とても分かりやすい選挙になってしまった。政治的争点としては、年金や増税、憲法改正やイラク派遣、東アジア問題など重要な問題が沢山あるのに、とても簡単に小泉首相を支持するかしないかの単純なものにされてしまった。
投票率が延びたのも、分かりやすい選挙になったからではないか。だから、普段は投票に行かない人も、自民党というより、小泉首相に一票を入れに出向いたのだろう。
普段政治に関心がなくても、指示する指示しないの選択だったら分かりやすい。しかも、郵政民営化という直接自分たちに影響が少なそうな(都心部の有権者で若年層は特に)問題が判断基準だ。それだったらせっかくある投票権、投票に行くのも悪くないのでは。政治家で始めて名前を覚えた「小泉さん」に投票すれば、明日の話題にもついて行けるし。等と妄想してしまう。でも実際、投票率が伸びたということは、選挙への関心が高まったということだから、そういう意味では、画期的な選挙だったのだろう。今から思うと、選挙公示後に小泉首相が靖国参拝を行わなかったことや、投票日が9・11であることは、良く出来過ぎている。
しかし、本当にそんな分かりやすくてよいのだろうか。この結果にとても不気味な感じを受けた。なんだか見たくないものの本質を見てしまったような。この分かりやすさをどうしようも出来なかった野党や、その尻馬に乗る自民党の政治家たちに、なんだか同じ国の人とは思えない、奇怪さを感じる。この選挙結果がなにか変じゃないかと思うのは、その分かりやすさを受け入れてしまう今の状況に、不気味さを感じるからではないか。
リバウンドがあるな、これは。
9:00に事務所を出て、MRHの現場へ。二度目の配筋検査。11:00前終了。
新宿のタワーレコードで、予約しておいた「ズビグ・リプチンスキー・コレクション」3巻をピックアップ。ついでに、雑誌で知った奄美大島の島唄のCDもゲット。
昼に事務所に戻り、明日のOZONEのプレゼンの図面をファックス。13:30過ぎ事務所を出て、KNHの現場へ。電気と細かい部分の打合せ。だいぶ完成に近づいて来た。15:30過ぎ現場を出て、事務所へ戻る。
今日は結構暑い。が、この暑さの中を現場に出ていて夜飲むビールと、一日事務所にいて飲むビールは、格段の差がある。今晩が楽しみだ。
戻って、明日のプレゼンの最終チェックと準備。
溜まった日報を書き上げる。
夏休み明けから、明日のプレゼンまでが、一つの山。明日無事終わると一息つける。
○ 2005/9/13
朝から事務所で、メールチェクや連絡事項。
9:45事務所を出て、OZONEに向かう。今日も残暑が厳しい。10:00過ぎで既に29度。
10:45から、KMHのプレゼン開始。12:30前終了。OZONE に展示してある、TRHの模型とパネルやその廻りの展示を早足で見て、渋谷へ。以前から見たかったペ・ドゥナが出ている「リンダリンダリンダ」山下敦弘監督を見に行く。「子猫をお願い」を思い出させるような映画だが、ペ・ドゥナがダントツに良かった。
その後、D-秋葉原テンポラリーの「ジャン・プルーヴェ展」へ。鎌倉の時見に行けなかったので良かった。6m角の組み立て住宅の展示は刺激的だったし、曲げ鋼板の作品はいくつも実物が見れて、写真を見て頭の中に描いていたものと全く違ったので、びっくりした。
今日の午前中のプレゼンで、この一ヶ月間の沢山の課題が一段落したので、見たかったものをいろいろ見て回り、事務所には戻らなかった。
○ 2005/9/14
今日も残暑が厳しい。
KNHの担当者や現場と連絡やクライアントへの確認事項、いくつか。
先週末から一昨日まであまり事務所にいなかったので、いつも読むいくつかのブログをチェックする。
14:00に事務所を出て、HMHへ。屋上のサッシ回りのメンテナンス工事に立ち会う。16:30頃に終了。
帰りに書店に立ち寄ったら、村上春樹の新しい短編集が出ていたので入手。
この3日で「ワーニャ伯父さん」アントン・チェーホフ/小田島雄志訳を読み、今日から、「吉阪隆正とル・コルビュジェ」倉方俊輔を読み始めたので、しばらく置いておこう。とりとめのない選択だが、気の向くままに。
事務所に戻り、KNHの図面作業とOKBのエスキス。
○ 2005/9/15
進行中のプロジェクトの確認と整理。設備、構造事務所との打合せの計画。
13:30、今年の春に完成したKOHへ。いくつかの追加工事の打合せを建設会社と。
その脚でKNHの現場へ。15:30事務所に戻りる。16:00頃、KOHのプレカットを担当して、これからMRHのプレカットを担当する建材会社の担当者の内田さんが来所。
17:00過ぎに新宿に出て、資料探し。横浜国大の室井先生の「巨大バッタの奇蹟」(アートン)http://www.artone.co.jp/feature/index.htmlがあったので入手。
18:30から桐山と馬主会議。今年は当歳馬2頭の共同馬主の一口を二人で持った。ここまでの、馬たちの様子。写真はシャギーボブの04……父オース。
2005/06
募集番号17 シャギーボブの04……父オース/母シャギーボブ 厩舎未定……
ビッグレッドファーム明和に滞在中。4月頃から成長ペースが急に早くなっています。背が高くなり、肉量も増えて、がっちりした馬体に変わってきました。そのわりに、きりりとした雰囲気は失われていません。昼夜放牧に慣れ、体力に余裕が出てきたためか、最近はわがままな面を見せています。
募集番号20 デモンリーの04……父フォーティナイナー/母デモンリー 厩舎未定……
ビッグレッドファーム明和に滞在中。筋肉が柔らかで、地面にへばりつくような重心の低いフットワークを、ついつい想像してしまう期待馬です。スピードとパワーの違いで押し切る競馬を得意とするのではないでしょうか。歩く姿も悠然としていて大物感たっぷり。背丈もある方です。
2005/07
募集番号17 シャギーボブの04……父オース/母シャギーボブ 厩舎未定……
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。愛嬌のある雰囲気でしたが、ここ1、2ヶ月の間に、えらく大人びてきた感じです。馬体重の数字以上にどっしりしてきました。それでも、放牧地での動きは俊敏。岡田は「運動神経に優れているからね」と述べ、普通の父の産駒とは違うとでもいいたげでした。
募集番号20 デモンリーの04……父フォーティナイナー/母デモンリー 厩舎未定……
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。筋肉がぎっしり詰まった猛々しい馬体。この1ヶ月で、さらにボリュームアップしました。有酸素運動は苦手かもしれません。その分、スピードには優れているでしょう。ふとしたときに急にびっくりする臆病な面はあるものの、人に対しては素直です。
2005/08
募集番号 17 シャギーボブの04 ……父 オース /母シャギーボブ厩舎未定……
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。ただ単に馬体が大きくなっているだけではありません。すばらしい成長を遂げ、筋肉の張りもめざましく発育しています。自らの意志を持って行動する姿も、頼もしい限り。母父のゼティテイヴをどう捉えていいのか分かりませんが、日本では珍しい産駒、セトノゼディタブは2戦目のマイルで未勝利を脱出していました。
募集番号 20 デモンリーの04 ……父 フォーティナイナー/母デモンリー厩舎未定……
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。見かけるたびに大きくなっているような気がします。体高体重とも1ヶ月前の数字を上回っているのは、ほぼ間違いないでしょう。さすがと思わせるパワーが魅力。坂路の傾斜であろうと、深い砂の上であろうと、人を乗せてすいすい駆け抜ける姿が容易に想像できます。
2005/09
募集番号17 シャギーボブの04……父オース/母シャギーボブ 厩舎未定……
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。他馬に惑わされない、悠然とした態度が目に付きます。先月あたりからは頑固な面も薄らいできました。馬体の内部からぎゅっと押し出されるような張りがあり、体調もすこぶる良好。将来は、持続力のあるスピードを武器に、跳びの大きなギャロップで活躍するのではないかと見ています。
募集番号20 デモンリーの04……父フォーティナイナー/母デモンリー 厩舎未定……
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。手がかからない一頭で、これまで扱いに困ったことがありません。放牧地では、単独行動が多く、群れから離れて青草を食んでいます。脂肪が付いても、筋肉のラインがくっきり表れた好馬体のまま。460キロ台で走っていた兄のフィールドアスカより、がっちりした競走馬になるでしょう。
○ 2005/9/16
朝少しゆっくり、9:00に事務所。
メールチェックと日報のアップ。
10:00に事務所を出て、KNHの現場へ。タイルや床の合板の並べ方の打合せ。
午後、来週の月曜日の武蔵野大学の授業用のデータを揃え始めたら、結構時間がかかってしまった。
大和町でもデータを入力しなくてはならないものがあり、少し早めに事務所を出る。
明日はこれらを、パワーポイントにまとめないといけない。
○ 2005/9/17
昨日の夜、DVDに録画してあった「ジョゼと虎と魚たち」犬童一心監督を見た。「リンダリンダリンダ」を見た時に、「子猫をよろしく」を思い出したように、「オアシス」を思い出しが、やはり全然違う。登場人物が皆振れが少なく、分かりやすいので平板な感じがする。とくに「ジョゼ」は映像的にも普通で分かりやすい。けして複雑なのが良い、と言っている訳ではないが、人の中にはもっと分からない感情や関係が絡み合っているのではないか。その点、「子猫をよろしく」や「オアシス」は登場人物の感情や行動を理解できない部分があり、それらが映画の一つの魅力になっている。はたして、原作の田辺聖子さんの小説はどうなのだろう。読んでみよう。
KTHの図面作業をして、10:30過ぎ構造の吉田さんとKTHの打ち合せ。お昼まで。
13:15事務所を出て、KNHの現場へ。クライアントご夫妻とほとんど最終の確認。塗装業者さんも入っており、2階の床を自分たちで仕上げるクライアントと一緒にアドバイスを受ける。
15:30事務所に戻り、KTHの図面を手直しし、吉田さんにメール。
日報のアップをして、武蔵野大学のパワーポイントでスライドショウの準備。
今日の写真はもう1頭、デモンリーの04……父フォーティナイナー/母デモンリー。
○ 2005/9/18
午前中にバリカンを当てる。
夕方来客があるので、高円寺まで買物に行ったついでに、高円寺文庫センターで「ジョゼと虎と魚たち」田辺聖子(角川文庫)を入手。
大和町に戻って早速読んでみる。「ジョゼと虎と魚たち」は短編集で、表題作はその中の一編。30ページほどの短い小説。これが素晴らしい。映画と全然別物。映画の中でジョゼが動物園で虎を見てつぶやく台詞があり、とても印象的な言葉なのだが、それはそのまま小説からの引用だった。昨日の日報に書いた、不充足さが小説にはない。あり得ないことをリアルに描き出すのが映画の一つの醍醐味だとすれば、映画の「ジョゼと虎と魚たち」には、あまりにも貧弱なリアルさしか描き出されていない、と思った。それが感動作ということになってしまう現状は、やはりなんかおかしいように感じる。
15:00過ぎ、韓国の友人、ユーさんとヒャンスク夫婦が大和町に来る。子どもが産まれることになり、アメリカに移住することを決めたので、引越し前のお別れ会。屋上で七輪。
日本には何年いたか。そして突然のアメリカ移住。行動力があるなあ。ちょうど15夜の月。暗くなって東の空にまんまるの月が、ゆっくり上がって来た。
遅くなったので、二人に泊まってもらう。
○ 2005/9/19
朝、ユーさんとヒャンスクに別れを告げ、事務所に。
構造の吉田さんから、早速一昨日の打合せの仮定断面がファックスで届いていた。
今日のスライドショウの確認。
11:30に事務所を出て、13:00から武蔵野大学の後期の空間造形4の授業開始。後期は高橋先生と尾辻先生が加わり、4人でスタジオ形式の進行になる。初めての先生の紹介スライドから始まり、各先生方が課題を説明。学生たちが参加したいスタジオを選択して、スタジオごとに分かれ、簡単な確認事項を行い解散。16:30終了。製図準備室に戻り、少し雑談をして17:00前に武蔵野大学を出る。
バスで吉祥寺に出て、行きのバスの中に吊り広告があった、「亀倉雄策ポスター展」武蔵野市立吉祥寺美術館に立ち寄る。図案のポスターももちろん素晴らしいが、東京オリンピックに代表される、写真を使ったポスターに改めて感動する。特に、3人のスキーヤーのぶれた写真を重ね合わせたポスターは、映画の一シーンを見ているようで大好きになった。(入場料100円です。)
一度立ち寄ってみたかった吉祥寺の「竹田製麺所」であげ麺とあんかけスープの素を買って、事務所に戻る。
事務所に戻ったら、スタッフが一人、事務所で施工図の確認をしていた。
○ 2005/9/20
カレンダーを見て、先週末から来週にかけて、週末に連休が続き、今週は平日が3日しかないことに気づく。
メールチェクと日報のアップをして、週末から昨日までの資料の整理。
進行中のプロジェクトのエスキスを進める。
18:00前事務所を出て、早稲田へ。今年で卒業25年。10月2日に開催される「早稲田建築合同クラス会2005」の幹事年で、同級生が以前から企画を立てている。当日の計画の最終確認と役割分担の確認の幹事会に出席。
終わった後、近くの飲み屋で尾崎と遊佐の3人で少し飲む。
○ 2005/9/21
涼しくはなっているのだが、少し蒸し蒸しする。
MRHのプレカットについてスタッフ打合せ。
KTHの図面チェックとOKBのエスキス。
15:30KNHの現場へ向かう。17:00過ぎまで現場で担当者と打合せ。今月一杯が契約工期だが、どうにか最後までのめどがついて来た。
18:00前事務所に戻り、連絡事項いくつか。
引き続きOKBのエスキス。
○ 2005/9/22
今朝は二匹並んでいつもの猫がいつものところで寝ている。
MRHの外部納まりのスタッフ打合せ。
KNBのエスキス。
14:00、MRHの工務店とプレカット業者が来所。プレカット図の最終打合せ。16:00までかかり、スタッフの手際の悪さにイライラする。10月一週目で建て方をフィックス。
その後銀行へ行き、引き続きOKBのエスキス。
「全身での身の任せきり-丹下健三の日本」磯崎新(新建築2005年7月号)を読む。丹下健三の戦中から戦後にかけての仕事についての論考だが、磯崎新の丹下健三への本当に最後のお別れの文になっている。偶然これを読む前に、GA ARCHITECT6 ARATA ISOZAKI1をつらつら眺めていた。そしてしばらくしてこの文章に行き当たって、読んだ。そこには、大阪万博後の師との決別の個人史が、戦後の歴史の流れの中で(多分初めて)語られていた。スリリングで読み応えがあった。
昨日偶然読んだ、「丹下健三と日本の前衛-あるいは聖なる軸線」鈴木博之(新建築2005年6月号)も、歴史家らしい、骨太な論考だった。
○ 2005/9/23
朝事務所。電話でKNHの確認事項を連絡。今日はいつもの猫が、違う場所に。
10:30に事務所を出て、3年前に竣工したMBHへ。お子さんが生まれたので、階段の手摺にネットを取付けることになり、建設会社も一緒に。
事務所に戻ったら、「99人の デザイナーとつくる未来 の本」(ラトルズ)がポストに入っていた。99人の中の一人として、見開き1ページを作った。(ぜひ多くの人に見てもらえれば、と思います。)
いくつかの連絡事項とOKB、KTHのエスキス。
天気予報は曇りだったが、空は晴れている。気持ちのよい天気だ。少し早めに上がる。
大和町に建築の雑誌を持ち帰り、ビールを飲みながらページをめくる。
夜、DVDに録画しておいた「キューティーハニー」庵野秀明監督を見る。これがなかなか良かった。「ラブ&ポップ」は映画は今イチだったが、ラストシーンが良かった。「キューティーハニー」はサイボーグの少女の孤独感がセンチメンタルにならず描かれ、庵野監督は独特のメンタリティーを持っている監督なのかもしれない、と感じた。
○ 2005/9/24
台風が関東沖を通過中。朝から降ったりやんだり。
夕方予定していたMRHの配筋検査は延期の連絡。
13:00、草月会館ホールで梁山泊も関わっているダンス「美女と野獣」を見る。
草月会館は一昨日、追悼の文章を改めて読んだ、丹下健三の作品。イサムノグチの枯山水を改めて楽しみにしていたが、入れず、下から眺めるだけだった。
その後、原宿の知り合いの事務所に、CDを返しに立ち寄る。地下鉄の表参道駅から歩く。同潤会は少しずつ姿を現していた。一番端に、昔の建物の再現と思われる部分があったが、まだピカピカだった。エイジングは施されるのだろうか、それとも自然のエイジングに任せるのだろうか。難しいところだ。
この何年かでケヤキ並木に沿って、建物が出来上がっているが、そとから歩きながら見た感じでは、伊東豊雄さんのトッズが一番並木道にあっているように感じた。雑誌の写真で見るより、樹木をメタファーにした構造が軽快で、全体がとても軽やかにみえた。「商業建築はファサード建築になりがちですが、そうでないものを作りたいと考えました。」(PLOT03伊東豊雄:建築のプロセス)のインタビューで語っているが、その通りに出来ていて、他の建築と一線を画していた。
そのまま、高円寺で買物をして、大和町に戻る。
○ 2005/9/25
一日大和町で、新聞や雑誌や本を読む。
このところ、特にこの一年くらい、元々の近視・乱視に加え、老眼になり近くの文字に焦点が合わない。眼鏡を外して文字を近づければ読みやすくなるのだが、疲れる。
そんな状態なので、単行本は無理しても距離を調整しながらどうにか読んでいるが、雑誌の文は読むのがおっくうで、特に写真のキャプションは小さすぎて読む気にもならない。
でも、このところ改めて、雑誌の文章を読んでみると、面白いものも多く、やっぱり時に即した記事や論考にぶつかり、いろいろ考えられる。今読んでいる「吉阪隆正とル・コルビュジェ」倉方俊輔(王国社)も、先日読んだ丹下健三の2つの追悼の論考と合せてみると、断然面白くなる。戦中から戦後にかけての、吉阪と丹下の共通点と違いが興味深い。二人とも建築を通して国家を考えているのだが、その先に、丹下は様式を、吉阪は生活を見据えてる。丹下が1949年にコンペで広島ピースセンターを設計し、吉阪は50年からのパリ留学帰国後、1955年に大久保の吉阪自邸を建てている。学生の頃訪れてみた、吉阪自邸のたたずまいは、今でも印象に残っている。現在住宅の設計をしていて、改めてその有り様に考えさせられることが多い。
ともかく、眼鏡の環境を改善し、もっと文章を読もう。
気持ちのよいディープインパクトとの強さを見せつけられ、夕方から、ベルリンマラソンを見る。
昔のスポーツ中継は、もっとそのものをじっくり見せてくれていたが、今の中継は何が何でもイベント化しなくてはならない、というようになっている。しかもそのイベント化が、いつでも同じで陳腐だ。マラソンは、2時間強の中に、とても微妙な駆け引きがあって、それを見続けるのが醍醐味なのだが、ぶつぶつにされてしまう。もっとゆっくり見たいものだ。
○ 2005/9/26
朝、メールチェックと日報のアップ。2、3日分だと、結構時間がかる。
11:15過ぎに事務所を出て、武蔵野大学へ。空間造形4のエスキス。第1課題は3週間と短いのだが、皆あまり実感がないのか、この1週間で芳しい進捗はない。頑張ってほしい。
17:30に事務所に戻り、雑務をいくつか。
○ 2005/9/27
8:30過ぎに事務所を出て、KNHの現場へ。現場でちょとした問題が出たので、建設会社の担当者と打合せ。今回仕上に和紙を使っており、3階の天井が仕上がっていた。なかなか良い感じだ。
10:30に事務所に戻り、OKBの打合せを、業者さんと。
13:00過ぎに事務所を出て、両国の国技館前に。来月末国技館で行われるイベントの会場構成の手伝いの打合せ。現地を見て、喫茶店で概要を決める。
16:00過ぎに事務所に戻り、メールチェックと日報のアップ。スタッフにいくつかの指示。
雑務をいくつか片付ける。
昨日、武蔵野大学からの帰りに吉祥寺の書店で見つけた、荒川洋治さんの最新刊「世に出ないことば 」(みすず書房)に「オアシス」に
ついての美しいエッセイがあった。
○ 2005/9/28
今週は昨日一昨日と外に出ることが多く、集中して仕事ができなかったが、今日からは事務所で作業が出来る。
何日か前『「99人のデザイナーとつくる未来の本」に参加していただいたみなさんの仕事のファイルを10月1日から10日までの「セントラルイースト東京」の期間中に、展示したいと思います。http://www.centraleasttokyo.com/』という連絡が、萩原さんから入っていたので、そのデータをピックアップして大和町へ。花組:チェ・ミキにファイル作りを依頼。
KTHのエスキスに集中する。
コンテスト応募案の作業をスタッフに指示し、大和町に戻って、ファイル作成のチェック。
○ 2005/9/29
昨夜、ファイルのプリントがきれいに出なかった。そこで、朝早く来て事務所のプリンターで試してみることにしていたので、6:00に起きたら、昨晩のうちにきれいにでなかった原因が分かったとのことで、全てプリントアウトされていた。
再度チェックしたら、チェクミスがあり手直ししてもらい、7:00過ぎに事務所に。
最後のチェックと手直しで、完成。締め切りが今日なので、現場の検査の後、スタッフに届けてもらうことにして、地図等の準備。
その後。KTHのエスキス。
9:00に事務所を出て、MRHの現場へ。
基礎コンクリートの最後の配筋検査。地下1階から2階まで、様々なレベルの床で構成されている住宅なので、基礎も複雑な形をしている。今日の午後コンクリートを打って、いよいよ来週建て方。昼前に事務所の戻る。
国技館前のイベントの図面を書き上げ、コンテスト応募の準備。
15:30、KTHのスタッフ打合せ。
16:30に事務所を出て、杉並区阿佐ケ谷地域区民センターへ。今日からここで父が入っている会の絵画展が始まり、見に行く。チェ・ミキも来て、終了後高円寺の二楽亭で食事をする。
○ 2005/9/30
8:30に事務所を出て、KNHの現場へ。明日が施主・事務所検査なので、進捗状況の確認。いくつかの指示を出し、明日の段取りの打合せをして事務所に戻る。和紙を貼った3階は、改修前の障子が納まり、とても居心地が良くなった。
コンテストの応募資料のチェックをしてスタッフに指示。
国技館のイベントの図面作成。
明日の準備。
今週は、いろいろな締め切り等があり、明日もミーティングと引き渡し検査、明後日は早稲田建築の合同クラス会の幹事の手伝い、と盛りだくさんな一週間だったが、どうにか後2日となる。
○ 2005/10/1
はや10月。
10:30、OZONEにてKMHの打合せ。
12:30終了。KNHの現場へ移動。
13:00過ぎから、建設会社の担当者と今日の検査と引き渡しについての打合せ。
14:00クライアントご夫妻と一緒に、取り扱い説明と検査。15:30過ぎ終了。その後、スナップを押さえたり大工さんに追加で作ってもらうものの図面を書きながら、大工さんに説明。
改修工事だったが、全て出来上がってみると、各階のバランスが良く、以前の建物からガラッと変化し、とても暮らしやすそうな場所がいくつもある住宅になった。
16:00過ぎ事務所に戻る。ビールを飲みながら、メールチェックと日報のアップ。少し疲れた。
○ 2005/10/2
今日は、早稲田大学建築学科の合同クラス会。
今年我々の学年が卒業25年で、幹事年になっている。本番の懇親会は17:00からだが、その前に新校舎の工事現場見学と講演会があり、幹事の手伝いで12:30に大隈講堂前へ。
暑いくらいのよい天気。見学会と講演会は無事終了し、17:00から大隈ガーデンハウスで懇親会。約120人の方に参加いただき、19:00終了。
建築学科だけでも1学年200人近くいたので、懐かしい顔もあれば、ほとんど初めて話す人もいる。
懇親会終了後、会場の片隅で2次会。その後残った人間で、近くの店に移り3次会。
いろんな意味で、良い刺激を受け、楽しい会だった。
○ 2005/10/3
昨日一昨日とさすがに少しつかれ、今朝はゆっくりで、9:00前に事務所。
今日で49歳になる。昨日の会では、一浪している同級生の中にはすでに50歳になっている人もいる。いやはや、といったところ。
メールチェクと日報のアップ。
昨日出掛ける前に考えた、武蔵野大学の第2課題のスケジュールをまとめる。
11:30前事務所を出て、武蔵野大学へ。
13:00から空間造形4。第1課題は3週間で提出の課題なので、今日が最後のエスキス。このスピードに戸惑っている様子の学生が少なからず。来週の提出が少し心配だ。
18:00過ぎに事務所に戻る。
○ 2005/10/4
久々に雨。
KNHの写真を新さんに撮ってもらおうと思っているが、天気がいまいち。今週末が引越しなので、天気予報を見ると金曜日に期待するしかなさそうだ。
MRHのサッシについて、スタッフと打合せ。国技館前のイベントの図面に手を加える。OKBのエスキス。KTHの図面チェック。
16:30に事務所を出て、西新宿のジョウナサンへ。国技館前のイベントの打合せ。
その後、新国立劇場・唐ゼミ★公演「盲導犬」唐十郎作・中野敦行之演出。
怪しげな飾り付けがされたロビー前で、室井先生にお会いする。
日報で、「巨大バッタの奇蹟」室井尚著(アートン)を入手したことを読んでくれたようで、新しい本「教室を路地に!-横浜国大vs紅テント2739日」唐十郎・室井尚著(岩波書店)を頂く。(内表紙の見開きでは、「岩波書店」の文字が歌舞いている。)入手したことは書いてあるが、感想がないのは、まだ読んでないからですか、と鋭い質問。もう少しで「吉阪隆生とル・コルビュジェ」倉方俊輔著(王国社)を読み終わるので、早速読み始めます。
「盲導犬」は1973年の作品。新宿梁山泊も1997年に、ソウルと東京・大阪で公演した。その時セットをやったので、興味津々。ロビーから続く、劇団員自身によて作られたセットには、ブリコラージュの可能性を新たに感じさせてくれる何かがあった。
終演後には、なんと新国のロビーにゴザを広げ、乾杯。なかなか得難い体験だが、それを含めいろいろ劇場側との闘いがあったという。頷ける。
大和町に戻って、さらに少し飲みながら、「巨大バッタの奇蹟」と「教室を路地に!」をパラパラめくる。実は今読んでいる「吉阪隆生とル・コルビュジェ」には、吉阪先生が提唱していた「有形学」や「不連続統一体」という概念を、再考させられるところが多く、室井先生の著作に書かれていることとは、とても通じる部分があるのではと思うのだ。大きくくれば、吉阪先生はまちつくり、室井先生はことつくりではあるが、現場での手法というか手練手管は、観念的な計画(作戦)も必要だが、現場で実行(戦闘)することはさらに大事であり、その行き来が何かをつくって行くというような(うーんうまく言えてない)、共通する部分があり、今とてもポテンシャルを持った方法のように予測する。果たしてその予測はいかようか、本を読み続けてみよう。
○ 2005/10/5
今日も雨。
9:30に事務所を出て、KNHの現場へ。検査時の手直しや、追加工事が行われている。
10:00過ぎ、MRHのクライアントご夫妻がみえる。仕上材が同じ部分があるので、見ておいていただく。その後いくつか確認事項の打合せ。終了後、KNHの現場担当者と、打合せ。
帰りに南阿佐ヶ谷の書店で、「シアターガイド・2005・11」に「唐十郎大特集・やっぱり唐十郎なのだ。」を見つけ、購入。これから来年初めまで、唐さんの本の芝居や映画が目白押し。昼前に事務所に戻る。
午後一で日報のアップ。KTH、OKBのエスキスを続ける。連絡事項いくつか。
○ 2005/10/6
雨が続く。明日も天気がイマイチのようだが、とりあえず新さんと朝現場でということにする。
午前中は図面チェック等で終わってしまう。
昼過ぎに事務所を出て、国技館前へ。イベントの実測。
電車に乗っている途中で、陽が射してくる。撮影、マズッタかなと思うが、仕方ない。
銀行や郵便局に寄って、17:00前に事務所に戻る。
17:30前、武蔵野大学の学生二人が来所。エスキスを見る。この二人がある意味で一番心配だったが、どうにかまとまりそうなところまでいく。後は二人の頑張りに賭けるしかない。19:00前終了。
19:00過ぎ、新宿梁山泊の三浦さんが、いま金さんが映画学校の学生の授業でつくっている芝居の台本と、梁山泊の年末の公演「風のほこり」作:唐十郎・演出:金盾進(http://www5a.biglobe.ne.jp/~s-ryo/)の台本を持て来てくれた。
日曜日にでも、読み始めよう。
○ 2005/10/7
朝、雲は多いが時々陽が射す。
メールチェクと日報をアップして、9:15事務所を出てKNHの現場へ。
撮影の準備をしつつ、新さんを待つ。
10:00前に新さんが来て、一通り内部を説明して、撮影開始。
ラッキーな事に天気も良く、13:30撮影は順調に終了。
NTTやCATVの立ち会いにクライアントのご主人もみえ、撮影終了後、2階の床に最後の柿渋とワックス掛けを始めていた。
いよいよ明後日引越し。
事務所に戻り、遅い昼をとり、いくつかの連絡事項や進行中のプロジェクトの整理。
18:00前事務所を出て、新国立劇場へ。
唐ゼミ★「黒いチューリップ」作:唐十郎・演出:中野敦之。3幕、2回の休憩を挟んでの3時間以上の芝居だが、面白い。まさに、ブリコラージュの花が咲き誇ったような芝居。1983年のパルコ劇場で公演(蜷川幸雄演出)を見ているはずなのだが、どんな芝居だったか全く記憶にない。これほど面白い芝居だったとは。まさか、見たと思い込んでいるだけでは、と不安になり、帰って探してみたらパンフレットがやはり有った。たぶん、今回の唐ゼミ★の公演に有った求心力が、全くなかったのではないか。それにしても、唐十郎の作品のもつ台詞や言葉の力を、改めて認識させられた、二公演だった。
○ 2005/10/8
午前中、事務所で面接。
昼に事務所を出て、KMHのクライアント宅へ。
今お住まいのところを拝見し、いろんな話しを伺う。ソーセージとビールをごちそうになり、17:00過ぎにおいとまする。
今週も、終わってみれば、外に出る事が多くいろんな事が有った一週間だった。
○ 2005/10/9
11:00頃大和町を出て、馬喰町の「セントラルイースト東京2005/ロジカルトーキョー」へ。
この会場で「99人のデザイナーとつくる未来の本」の出版を記念して、「BOOK BAR99」が今日一日だけオープンされるので、会場を訪ねる。
始めて浅草橋から馬喰町を歩いたが、問屋街で独特な雰囲気が有る。今日は日曜なので、ほとんど閉まっているが、それでもちょっと違う。
会場に行くと、夜のトークショウの準備を萩原さんがやっていた。「BOOK BAR99」でビールとソーセージを食べながら、すこしおしゃべりをして、近くの関連の催しを少し見て、14:00過ぎに大和町に戻る。
昼を食べておらず、少しおなかが物足りないので、先日買った「うちごはん日記」(主婦と生活社)の中に有った、「竹輪の肉詰め」を試しにつくり、またビールを飲む。この本、なかなか魅力的な品々が載っていて、しかも作り方の記述がアバウトでとても良い。
ビールを飲みながら、「巨大バッタの奇蹟」室井尚著(アートン)を読み終わる。簡単すぎる感想だが、面白かった。関係をつくって行く。しかも自分のプログラムからはずれた、思わぬ関係をさらに取り込み、形にして行く。「吉阪隆生とル・コルビュジェ」倉方俊輔著(王国社)のなかの記述の、『吉阪のリーダーシップは何よりも、「目的」を明確にすることだった。その上で、「手段」はさまざまな方法をとった。例えば、漫画も漢語も、コミュニケーションの手段として使った。内容だけでなく、漫画は「面白いぞ」、漢語は「難しいぞ」というメッセージを伝達する。あるいは意味が分からなくても、自分の知らない領域が存在するという違和感を与える。アテネ・フランセの壁面のようなものだ。吉阪は、コミュニケーションのコンスタンティブ(事実確認的)な面だけでなく、パフォーマンティブ(行為遂行的)な側面にも意識的だった。そして、「目的」が揺らがなければ、「手段」は自分の手が生み出したものにこだわらなかった。共同設計のあり方を思えば、これもまた吉阪の建築に通じる。』に重なる。
引き続き「教室を路地に!-横浜国大vs紅テント2739日」唐十郎・室井尚著(岩波書店)を少し読み始めるも、梁山泊の金さんから届けられた台本「エビ大王」も読まねばならず、そちらに手をつける。
○ 2005/10/10
朝事務所で「エビ大王」を読み続けようとしたが、立ち上げたパソコンの調子が悪く、その復旧で時間が無くなってしまった。
11:00過ぎに事務所を出て、武蔵野大学へ。
今日は後期第1課題の提出と講評会。
あいにくの雨だが、皆大きな模型をつくって来ている。
13:30から講評会を開始し、約45人の学生全員のプレゼン。それぞれに先生方の講評が加わる。
途中2回の休憩を含め、全ての発表が終わったのが21:30。8時間。お疲れさまでした。
水谷先生、尾辻先生、田口さんと吉祥寺に出て、軽く打ち上げ。12:00前お開きにする。
○ 2005/10/11
朝から事務所でメールチェック。
いくつかのスタッフ打合せや、溜まっていた日報のアップ。
午後、自転車で図書館へ。借りっ放しだった本を返却。
16:00過ぎ、MRHのサッシ業者と工務店の担当者が来所。18:00前まで打ち合わせ。
その他雑務、いろいろ。
e+の「唐十郎祭」というサイトで、「ガラスの使途(つかい)」の予告編が見れることを、室井先生のブログで知った。
http://eee.eplus.co.jp/s/kara/index.html
これから来年早々まで、様々な唐ワールドが繰り広げられる。
○ 2005/10/12
久々に天気。気持ちがよい。
KNHの増減がメールで届いたので、チェック。
10:00、測量会社が来所。KMHの境界確定と測量の見積り依頼。
武蔵野大学の一昨日の講評会の整理。
KTHの図面チェックと直しの作業。
17:00過ぎ、2年半前まで田園調布で事務所シェアーしていた鈴木基紀がCD-ROMの件で来所。
しばらく立退きの顛末等を話し、阿佐ケ谷の焼きトン屋へ移動して、久々に飲む。
○ 2005/10/13
今朝も気持ちのよい天気だ。
こまごまとした雑務や打ち合わせを挟みながら、決算資料の準備。エクセルで毎月帳簿付けをするようになったので、楽になった。以前は、この決算時期は憂鬱だったが。
昨日に続き、KTHの図面作業。
14:00前、自転車で荻窪の会計士事務所へ。
帰りに古書店に寄り、本を3冊購入。
戻って、アプリケーションのインストールや引き続きKTHの図面作業。
合間に簡単な打ち合わせや指示。
なんやかんやで、慌ただしい一日だった。
○ 2005/10/14
天気予報ははずれ、朝はよい天気。
事務所でメールチェックと日報のアップ。
温度や空気の変化の時期だからか、2、3日前から鼻がむずむずし、くしゃみが頻繁に出て、鼻水も止まらない。
9:00に事務所を出て、MRHの現場へ。先週末建て方で、今日は構造事務所の金物チェック。沢山の床レベルを持つ住宅で、敷地に合せ少し屈折しているので、複雑な木造躯体が立ち上がっている。1階と2階の空間の違いが確認でき、仕上の検討に反映できそうだ。
同時にキッチンや浴槽、その他をクライアント打ち合わせ。現場をクライアントご夫妻に見ていただいた後、近所のクライアント宅で打ち合わせ。12:00終了。
スタッフを現場に残し、大江戸線新御徒町にある、台東デザイナーズビレッジへ。http://www.designers-village.com/index.html
今度の月曜日の武蔵野大学の空間造形4の課題の参考例として、昨日電話で見学のお願いをした。
13:30、台東デザイナーズビレッジに着き、事務の方に内部を案内してもらう。
台東デザイナーズビレッジは、台東区が旧小島小学校をリノベーションして、「デザイナーに創造の場を提供して、デザイン分野の人材と機能の集積を図り、創造的なモノを生み出す拠点とするため、デザイナーの創業支援施設(インキュベーション施設)として」設置されたものだ。
台東区の地場産業の、靴、鞄、アクセサリー等のファッション雑貨関連の若いデザイナーたちの事務所や共用の展示室、制作室、図書室、交流サロン等が設けられている。
入居者は一つの教室の半分から2/3位を使っている。現在19の事務所が入っている。その中には、ファッション雑貨関連以外に、映画衣装のスタイリストやフィギア作成の事務所もある。3階には東京芸大、2階の一部に早大も入っている。
学校の幅広い廊下が、ちょうど良い緩衝地帯のようになっており、一体感が有りながら、プライバシーが保たれている感じがした。
都心の小学校特有の小さな校庭は、コインパーキングになり、事務の方の説明では、その収入がこの施設の運営資金の大きな部分をになっている、とのことだった。
非常に興味深い施設で、とても刺激を受けた。
新宿で資料探しをして、16:00前事務所に戻る。
17:00、OKBの内部検討の3Dを手伝ってもらう予定の、アルバイトの学生が面接に来所。
どのように進めて行ったら良いか相談。今使っているアプリケーションとその学生が使いこなすアプリケーションの互換性をいくつか試してみる。
○ 2005/10/15
今日のKTHの打ち合わせの準備。
図面をプリントアウトし、コピーをとったり、エスキス模型をデジカメに収める。
模型に手を加えようとしていたところに、土曜日なので事務所は休みだが、MRHの指示図面作成にスタッフが来たので、これ幸いと模型の修正を頼む。
12:00過ぎ事務所を出て、KTHのクライアント打ち合わせに。
13:30、KTHの打ち合わせ。いつものように、ビールとワインをごちそうになり、17:00、おいとまする。
夜、DVDに録画しておいた、TVドラマ「いくつかの夜」山田太一を見る。ホームページにあるディレクターの「このドラマの主人公、初老の男・恒平は、他人とかかわったことで、それまでにない優しい気持ちを持つことになります。老いを受け入れることが出来たのです。もし、そのままだったら彼は孤独な老人のまま死ななければならなかったかもしれません。」http://www.tbs.co.jp/program/cbc_ikutsukanoyoru.htmlの言葉とおり、年をとっても変わって行けるということが、しみじみと伝わってくる緒形拳の演技と山田太一の脚本に、ドラマの最後、つい涙してしまう。
○ 2005/10/16
11:00事務所で面談。
その後用事を済ませ、大和町に戻る。
来週の菊花賞。ディープインパクトの3冠挑戦も楽しみだが、秋華賞、見応えのあるレースだった。
夕方、地震。急にゆれた。
○ 2005/10/17
朝から雨。
事務所に行こうと外に出るとやんでいたので、いつも通り自転車で。
メールチェクと日報のアップ。
10月14日から、「ガラスの使途」のホームページがリニューアルされているのに気がつく。ここで予告編が見れます。
http://www.garasunotukai.com/index.html
11:30前、事務所を出て武蔵野大学へ。
13:00から空間造形4の授業。第2課題の説明と、早速のレポート0の発表。第2課題は学生を煽っていこうと決めたので、第1課題についての講評をしながら、皆の士気を高めようとするがどれだけ通じただろう。
16:00前、終了し、吉祥寺の書店により、17:00事務所に戻る。
雑務いろいろ。
○ 2005/10/18
良く降る雨だ。
OKBのスタッフ打ち合わせ。
KTHのエスキス。
調子の悪いプリンターの環境を変えようと、コピーリースの担当者に見積りを持って来てもらう。いろいろ聞き、再度テストプリントと提案をもらうことにする。
18:00頃、新さんがKNHの竣工写真のポジを持って来てくれる。
今まで撮ってもらったものや、これから出来る予定の住宅の模型を見ながらしばらく話しをする。
○ 2005/10/19
今朝は天気はどうにかもっている。
詳しいことは書かないが、以前設計させていただいたクライアントから2月位前に、知り合いの方の住宅設計の相談をいただき、昨日から今日にかけて、設計させていただいたクライアントからその件の結果報告のメールが届き、とてもありがたい内容で、こちらも感謝して返信したりした。住宅の設計に限らないが、他の人に対しどのような関係を作って行けるかがとても大切であることを、改めて教わった。心を引き締めて、頑張ろう。
OKBのスタッフ打ち合わせ。その後KTHとKMHのエスキス。
11:00頃になり、久々に陽が射し始めた。
猫たちも、気持ち良さそうにひなたぼっこしている。
このマンションの隣の、エントランスのアプローチが気になっていた、「ジュエリー煌翔(こうしょう)」http://www.kohsho.co.jp/の看板がかかっているところに、先日から、「宮迫千鶴展」開催の告知がでていた。郵便局に行くために外に出た時、立ち寄ってみた。このスペースを運営しされている、呉さんとユンさんと少し話しが出来た。お二人は在日2世で、偶然共通の知り合いもおり、今後も時々立ち寄らしてもらうことにする。木造住宅をギャラリースペースとジュエリーの工房としてお使いで、年に5回ほど展覧会を企画開催しているそうだ。
住宅街のこじんまりとしたスペースでゆっくり拝見できるので、当事務所にお出での際は、展覧会開催中だったらぜひ寄ってみて下さい。
近所に、新しい関係が出来、嬉しい展開だ。
夕方、OKBのスタッフ打ち合わせ。
17:00過ぎに、アルバイトの柴谷君が来て、OKBの3Dの打ち合わせ。
18:00前に、新さんが交換のポジをもって来てくれる。その際、新さんの現在の作品を見せてもらいながら話しをして、前から気になっていた阿蘇山の3連作を、一つの作品にしてもらい、譲っていただくことにする。楽しみだ。
○ 2005/10/20
今朝はさわやかな天気だ。
今日はいろいろなメールで、朝一時間くらいかかってしまった。
MRHの電気設備のプロット図のチェックをして、スタッフ打ち合わせ。
KTHの図面作業をして、MRH上棟祝いのお酒を買いに出る。スパークリングワインを買い、つい自分用に安いチリワインも買ってしまった。
戻って、日報のアップ。
昨日の夕刊に、「8月のクリスマス」のヒロイン役のシム・ウナさんの結婚のニュースがあった。ハン・ソッキョとシム・ウナの演技はとても素晴らしかった。しかし、以前では考えられないことだが、変わったのだな。
14:00事務所を出てMRHの現場へ。
今日は上棟式。その前に、いくつかの打ち合わせをクライアントを交えて行う。
16:00からお清めを始め、その後なおらい。
18:00頃まで、お酒や料理を頂く。
中締めをして、解散。
建設会社の営業担当者が大学の先輩で、その会社に大学の卒論で民家調査を一緒にやった同級生が転職した。この間の同窓会でそれがわかり、彼も呼んで新宿で2次会。
明日はいくつか外で打ち合わせがあるので、自重して日本酒には手を出さず。
遅く阿佐ケ谷に戻ったが、今晩阿佐ケ谷の焼き肉屋で新宿梁山泊が韓国ツアーの内輪のお疲れをやると言う連絡を受けていたので、自転車での帰り道に店をのぞいてみたが、さすがにもう誰もいなかった。
○ 2005/10/21
昨晩大和町に戻ったのが遅かったので、少しゆっくり寝て、9:00過ぎに事務所。。
昨晩自重したのが良かった、長い時間飲んでいたが、体調に影響無し。
メールや連絡事項を済ませ、自転車で荻窪の会計士事務所へ。決算が終わったので、その書類をピックアップに。帰りに図書館により、リクエストしておいた雑誌をピックアップ。
戻って日報のアップ。
14:00、先日面談したクライアント候補の方の三鷹のお宅へ。近所にある気に入っている住宅を案内していただいたり、ご要望を伺ったりで16:00おいとまする。
すぐ近くにある、山本有三記念館をのぞいてみる。立派な石積みのマントルピースがいくつもある洋館。昭和初期の武蔵野の面影を想像した。
帰りに吉祥寺まで歩き、IDC大塚家具センターで、KTHの参考資料にしようと思う家具を探す。
17:00過ぎ、事務所に戻る。OKBの3Dの途中経過を見せに柴谷君が来ている。いくつかの打ち合わせ。
KTHの検討図をまとめ、メール。
○ 2005/10/22
薄曇りで雨がパラパラ。
9:00に事務所に来て、メールチェックと連絡事項いくつか。
11:00KNHのクライアントと建設会社の担当者来所。最終増減の説明。引越しの荷物はまだ片付かないが、気持ちよく暮らしていただいているようで、嬉しかった。
KTHの図面作業。
17:00前に事務所を出て、目白へ。武蔵野大学の水谷先生と、雑司ヶ谷・鬼子母神の唐組「カーテン」作・演出:唐十郎を見に。(業務連絡:武蔵野大学の中島さんと宮内さん、これを見ていたら、ごめんなさい。)差し入れのお酒を買い、駅で待ち合わせ、鬼子母神へ向かう。
鬼子母神での唐組は初めてだ。赤いテントが張られた境内は、とても風情が良い。19:00芝居が始まる。途中休憩を2回挟んで3時間の芝居だが、唐さんの乱反射して行くような台詞のやり取りを追っていくと、アッという間に時間が過ぎていってしまう。今回の芝居は、唐組の役者たち全てが入れ替わり立ち替わり、舞台を引っ張って行く。その様子を、唐さんが見守っているような、舞台自体がメタシアターのようになっていて、充実した芝居だった。
初めて見た水谷先生も、大喜び。新宿に出て一杯やり、学校に帰らなければならない水谷先生と、阿佐ケ谷で別れる。
大和町に戻っても、なんだか興奮して、本当に久しぶりに3:00近くまで夜更かしをする。最近は、夜早く眠くなってしまうので、夜更かししたくても出来ないが、たまには夜更かしも良いものだ。
○ 2005/10/23
チェ・ミキは、従兄弟の結婚式に出席するため、早朝三重の長島温泉にでかけていった。
昨晩は夜更かししたが、なぜか眼が覚めてしまい、8:30に起きる。
12月の新宿梁山泊の公演「風のほこり」唐十郎作の台本を読む。「カーテン」とは又違った、唐さんの世界が展開されている。乞うご期待なので、あまり書けないが、これがまた素晴らしい。それに引きずられるように、昔のビデオを取り出して来て、夜、1985年の状況劇場公演「ジャガーの眼」作・演出:唐十郎の一部と、1990年の新宿梁山泊公演「人魚伝説」作:鄭義信・演出金盾進を全編見る。
結局、昨晩から3本の芝居を体験してしまった。密度の高い24時間だった。
ディープインパクト、無敗の3冠達成。強かった。レース後のインタビューで、武豊でさえも言葉が詰まり気味だったのが印象的だった。
○ 2005/10/24
昨日に続き、気持ちのよい秋晴れ。
朝、事務所でメールチェックと日報のアップ、連絡事項いくつか。
銀行に行って、振込など。
11:30に事務所を出て、武蔵野大学へ。空間造形4の授業、13:00から16:00過ぎまで。
事務所に戻って雑務をいくつか。
○ 2005/10/25
よい天気がしばらく続きそうだ。
今朝朝日新聞の一面をちょっと見たら、今回の選挙についてのアンケートを行ったという記事があった。その質問の一つがあきれかえる質問で、「今回の選挙はおもしろかったですか。」という質問だ。選挙に対するメディアの影響を計るのが目的の一つのようだが、「おもしろい/おもしろくない」が、判断基準の質問を平気でする朝日新聞というメディアが、現在の日本のメディアやそれに対する人々の状況を十全に体現しているところに笑ってしまい、恐ろしくなった。アンケートなど必要ないじゃないか。
KTHの概算用図面のチェックと作業。
13:00過ぎ事務所を出て、KMHのクライアントの事務所へ。仕事で使うものを自宅の仕事場にも運んだりする時があるので、車庫と仕事場の導線を考慮しなければならないのだが、お話だけではどのようなものを運ばなければならないか、こちらが理解できなかったので、一度拝見することにした。事務所を見せていただいて、納得。百聞は一見にしかず、の典型。
16:00前、事務所に戻り、KTHの作業をスタッフに指示。
MRHのスタフ打ち合わせなど。
17:00過ぎ、3Dの作業を続けてもらっている、柴谷君が来て、OKBの打ち合わせ。
その後、KTHの図面作業を続ける。
○ 2005/10/26
今日は薄くもり。
先日、琉球大学の修士の学生から、木造住宅の研究の対象として、遠州浜の住宅を取り上げたいので、図面を見れないでしょうかとのメールがあった。データ変換をした図面を、メールする。
時々、学校の課題で我々が設計した住宅を取り上げたいので、という連絡を学生からもらうが、興味を持ってもらえてとても嬉しいし、出来る限りの協力はしたいと思う。
KTHの設備仕様の概要を書きながら、MRHのスタッフ打ち合わせ。
昼に事務所を出て、MRHの現場へ。13:30から定例打ち合わせ。サッシも入り間仕切りの下地もあらかた設置され、設備電気の配線が佳境。配管、配線経路の打ち合わせに時間がかかる。一通り設備の打ち合わせを済ませた後、建築の納まりの打ち合わせ。途中から結構な雨が降ってくる。17:00過ぎにだいたいの打ち合わせが終わったので、スタッフを残し現場を出る。
18:00前事務所に戻る。
電話連絡いくつか。
スタッフに手直ししてもらったKTH の仕上表を自分のパソコンに戻してもらい、図面を置き換えプリントアウトしようとしたところで、設備の概要を昼間時間をかけて置き換えてしまった図面に書いたことを思い出す。まいった。既に手遅れ。あきらめて、他の図面をプリントアウト。明朝の概算のための図渡し、とりあえず設備概要は後で渡すことにする。疲れ果てて、事務所を出る。
○ 2005/10/27
雨は降り続いている。
気分を入れ替え、朝一番で思い出しながら、昨日無くなってしまったKTHの設備概要を書く。一時間ほどで完成させ、図面に入れ込む。
9:00、建設会社来所。図面を渡し、見積りをお願いする。
引き続きKTHの図面作業。KMHとNWHのエスキス。
昼になって陽が射して来た。変化が気持ち良い。
決算月なので、振込に銀行に。
OKBとMRHのスタッフ打ち合わせ。
19:00から、下北沢のタウンセンター。「ミン・ヨンチ ファーストコンサート」。演出に金守珍さんが関わり、新宿梁山泊から誘っていただいた。ミン・ヨンチさんは、大阪生まれの在日3世。なんと15歳の時に韓国の伝統音楽「国楽」を学ぶために、単身韓国に渡り、ソウル大学の国楽科を出てチャンゴ(両面使いの太鼓)奏者として、韓国の第一線で活動していたが、32歳で日本に戻り、SANTA「散打」というグループを作って活動している。そのチャンゴは本当に素晴らしく、多分五線譜のリズムでは表せない複雑なリズムを奏でる。そのリズムに身体をゆだねていると気持ち良くなって来る。
なん分のなん拍子というような、機械的なリズムではなく身体的なリズムだから、とても心地よいのではないか、と思う。
ゲストに、パンソリのイ・ジャラムさん。パンソリは昔からの物語をリズムに乗って語る、これも伝統的なものだ。「風の丘を越えて(原題:西便制・ソッピョンジェ)」 イム・グォンテク監督を韓国で見て、パンソリにその場ではまってしまって以来、大好きだ。
イ・ジャラムさんは、ソウル大学の大学院に在籍中と若く、パンソリ完唱最年少ギネス保有者だそうだ。その声の音域は一体どのくらいあるのだろう。しかも裏にならずに地声で低い音からとても高い音まで自在に行き来する。こちらもリズムは複雑だ。伝統的なパンソリの「沈清歌」の一部と、SANTAにジョイントして歌を歌ったが、どちらも素晴らしい存在感だった。
○ 2005/10/28
少し寒いが、気持ちのよい朝だ。
机の周辺を少し整理して、NWHのエスキス。
先日、以前住宅を設計させていただいたクライアントから、別件で土地を見てほしい、との連絡があったので、昼に事務所を出て池ノ上に向かう。クライアントと一緒に駒場裏から下北沢の土地を見て歩く。その後少し話しをして、土地の条件を調べにタウンホールへ。昨日に続き、2日連続で来てしまった。
16:00頃事務所に戻る。
17:00前、柴谷君来所。OKBの3Dの打ち合わせ。
MRHの現場に行って来たスタッフとの打ち合わせ。
引き続き、NWHとKMHのエスキス。
○ 2005/10/29
このところ週末は天気が悪い。唐組は今月、週末に4回テントを張っているのだが、天気が悪く生憎だ。
9:00過ぎ事務所に来て、メールチェックや日報のアップ。
KMH、NWHのエスキス。
昨日見に行った下北沢の土地の件を含めいくつかの連絡事項。
14:00前に大和町に戻り、片付け。
今日は16:00からチェ・ミキの大学院の仲間が集り、ワインのテイスティング飲み会をやることになっている。その前に、15:00僕の来客が一件有り、16:00前から人が集り始める。総勢15、6人か。少しワインを飲ませてもらい、17:00過ぎ大和町を出て事務所に戻る。
今晩は2年ぶりの荻窪中学の同窓会が西荻である。19:00からだが、それまで大和町で飲んでいると、とんでもないことになるので、少し事務所で小休止。
今日明日は阿佐ケ谷は、ジャズストリートというお祭りで、至る所で演奏が行われている。残念な雨だ。
18:30過ぎ事務所を出て、西荻に。
19:00から、貸し切りのレストランで、同窓会。懐かしい顔が沢山。誰だったか思い出せない人もいる。40〜50人くらい集ったか。細かい文字を見るのに、眼鏡を取ったり遠くにかざしたり、皆同じ仕草をするのが面白い。来年でもう50だからね。
いろんな人と話しをして、アッという間に1次会は終了。近くの居酒屋に移り2次会。ここから参加の人もいる。0:00を超したころ、2次会終了。今度は駅前のカラオケボックスへ移動。20人ほど残る。歌う歌は、やはりわれわれ世代の曲。最後に肩を組んで、「また会う日まで」を皆で歌って解散。4:30。
楽しかった。うまく言えないが、もう向こう側に向けていっぽ歩みを進めているのだな。そんな仲間との会は、理屈無しで底抜けに楽しい。
既に走り始めている中央線に乗り、大和町に戻る。
○ 2005/10/30
昨日は楽しかったが、さすがにつかれた。
12:00過ぎに起きる。
大和町のワインテイスティング飲み会も盛況だったようだ。お隣の若いご夫婦も参加してくれた、とのこと。
先日、部屋に賊が入ったヤスエチャンが、夜遅く帰るのが気持ち悪いので、泊まっていった。
少し話しをするも、喋り過ぎと歌い過ぎで、喉がかれて、疲れてしまっていたので、横にならしてもらう。
13:00過ぎ、ヤスエチャンは帰宅。
こちらは一日ゴロゴロと過ごす。
○ 2005/10/31
今日で10月も終わり。今年も後二月になってしまう。この間まで夏だったのに。月の変わり目に、時は確実に過ぎて行くことを、確認する。
喉がかれたのは、同窓会での喋り過ぎ、歌い過ぎもあるが、どうやら風邪を引いたようだ。鼻が詰まったり垂れて来たり、のどもいがらっぽい。
NWHのスタッフ打ち合わせやKMHのエスキス。
コピーのシステムを変えようと思ってるので、その段取りで連絡など。
なんだかざわざわしていた。
○ 2005/11/1
今日から11月。
風邪のせいか、夜何度も眼が覚めてしまう。でも、とぎれとぎれで熟睡でき、朝起きたら汗をかいていて、喉も少し楽になったような気がする。このまま回復してくれると良いが。
なぜだかわからないが、これからふたつき、年末まで集中してやっていこう、という気持ちになる。草野球で言えば、「しまっていこうぜ!」という感じだ。
終日、KMHのエスキス。
18:00、武蔵野大学の水谷先生が友人の佐野さんと来所。
佐野さんが今設計している住宅を担当してくれる構造事務所についての相談。事務所で小一時間話し、飲みにでる。阿佐ヶ谷の北の焼き鳥屋と満塁ホームラン軒という、レトロ風居酒屋で12:00近くまで。日々の業務のことや、学校の課題の話しなどで盛り上がる。
○ 2005/11/2
めっきり寒くなったが、秋晴れの気持ちのよい朝。
最近の経験から、外で少し遅くまで飲んでも、日本酒を飲まなければ、次の日に残ることがないのがわかる。あくまでも、限度内だが。
MRHのスタッフ打ち合わせ。
KMHのエスキス。
14:00前に事務所を出て、MRHの定例打ち合わせに。外部の板金の打ち合わせをメインに。
スタフを残し、17:00過ぎ現場を出て、新宿へ。同窓つながりの飲み会。
俳優の六平直政さんと建設会社K社とZ社の方、総勢4人。六平さんは新宿梁山泊の旗揚げメンバー。梁山泊の前に芝居をしていた、状況劇場の頃からのファンで、梁山泊で親しくなった。その六平さんの家造りに関わったのが、今日のメンバー。六平さんとK社の方が、中学高校の同級生で、その紹介で現場を担当したZ社の方とK社の方は大学の同級生で、僕はその二人の方の早稲田の建築学科の後輩。4人が顔を合せるのは、2年ぶりくらいで、建設時のこと、映画や芝居の話しなどで楽しかった。
2次会、3次会で0:00過ぎ解散。今日も日本酒は飲まなかった。
○ 2005/11/3
やはり日本酒を飲まないと、次の日は全く影響ない。だが、遅かったし休日なので、ゆっくり寝て、10:00前事務所。
武蔵野大学の非常勤講師の件で、チェ・ミキが昔着付け教室で知り合った、赤松さんに電話連絡。
メールチェックや日報アップ、連絡事項。
今日のKTHの打ち合わせ準備。
13:00過ぎ事務所を出て、KTHのクライアント打ち合わせにOZONEへ。
16:00過ぎ終了。館内で開催中の「ポーエ・モーエンセン回顧展」を見る。モーエンセンの家具が置かれており、自由に座れる。大和町にもいくつかモーエンセンの家具があるが、とても座り心地が良く親しみやすいデザインだ。いくつも並んだモーエンセンの家具を眺めると、その人柄が伝わってくるようだ。
しかし、休日のOZONEは、沢山のひとに利用されているな。
その後、タワーレコードでCDを物色。18:00過ぎに事務所に戻ったらスタッフが来て、仕事をしていた。
○ 2005/11/4
秋晴れ。
メールで連絡事項いくつか。日報のアップ。
突然だが、先月末の新内閣、ウチダブログ流に言えば、官房長官と外相の人事は、アメリカが東アジア外交に介入するのに、とても便利なスイッチをもったことになるのだろう。これでまた、東アジアの世界から、日本は一歩退くことになったわけだ。
OKBのスタッフ打ち合わせと、昨日のKTH の打ち合わせで決まった検討事項を指示。
KMHのエスキス。
昼に梁山泊の金さんから電話があり、今金さんが日本映画学校の俳優科で演出している「エビ大王」の稽古を見に来て、セットのアイデアをもらえないかとのこと。来週末が公演なので、来週早々にでも新百合ケ丘の日本映画学校に来れないかと。来週はじめは、武蔵野大学やアポイントが決まっているし、今週末は演出の入った稽古は無いというので、今日しかない。
14:00過ぎに事務所を出て、日本映画学校へ。
15:00から17:00過ぎまで稽古を見ながら話しをして、考えたことを伝える。その線で、簡単な道具帳を書いてメールすることに。
稽古を見ながら、集中して考えていると、イメージがガラガラ変わってくる。それを短時間でつかむ事が出来ないといけないし、ゆっくり時間をかけてまとめあげていくことも大事だ。この辺りは建築とまるっきり一緒だ。
18:00事務所に戻る。
新さん(http://tenplusone.inax.co.jp/archives/fieldwork/kosei/index.html)が事務所に、この間お願いした作品を持って来てくれる。
阿蘇山の風景を定点から撮ったものを、3点組み合わせたもだが、誰も何もいない風景の次に、牛たちの放牧の風景、次に修学旅行の生徒たちが散らばる風景。題名は「放牧」。初めてプリントを見せてもらった時から、気に入っていたものだ。
コンパクトだが、インパクトのある仕上がりになっていた。
○ 2005/11/5
今日も秋晴れ。気持ちがよい。9:00に事務所。
メールチェックと日報のアップ。
午前中に「エビ大王」のパネル図を書いて、梁山泊へメール。
午後は、進行中のプロジェクトの整理やエスキス。
それにしても、夜NHKのニュースで偶然見た、松田科学技術相の新閣僚インタビューはお粗末だった。何をきかれても「フロンティア、最新、最先端、世界に誇る、何々(例えば人材)が必要云々・・・」という答えしか帰ってこない。まるで、くだをまく酔っぱらいのオヤジの様だった。やれやれ。自分が投票した議員じゃないのが、せめてもの慰めだ。
○ 2005/11/6
すっきりしない天気。
一日大和町。
TKAやKMHのエスキスを進める。
GA JAPAN(建築の雑誌)77号の「高円寺会館」(高円寺駅を中野方向にしばらく戻った環七近くに計画中の、小劇場複合施設で、コンペで伊東さんが設計者に選ばれたもの)についての伊東豊雄さんへのインタビューの中で、伊東さんは下記のように話していた。
「モダニズム建築が持ってしまった本質的な矛盾、すなわち『建築家の間で通じる論理だけが存在していて、それがエクスクルーシブに働いている』事と、大きく関わっていると思います。(中略)
安心して美しいと思えるものから逸脱していくのは、やはり不安です。『アイランドシティ中央公園中核施設 ぐりんぐりん』では、無防備に溶かし過ぎた感じもあって、『ここまでやっていいのだろうか?』という危惧もあるのです。今回はシンプルな箱形からスタートしているので、慎重に見極めながら、既成の美学を少しずつ溶かす作業を進めてます。」
「アイランドシティ中央公園中核施設 ぐりんぐりん」を見て、建築家はここまで自分の自我から離れられるものか、と感動していた。なるほど、もちろんこういう葛藤があったのだ。
高円寺会館、いろんな意味で楽しみだ。
○ 2005/11/7
雨上がりの、爽やかな空気。
スタッフがまとめた、OKBの打ち合わせ資料をチェック。
朝、スタッフ出社とともに打ち合わせ。引き続き、MRHのスタッフ打ち合わせ。
11:30過ぎに事務所を出て、武蔵野大学へ。
先週は学祭の片付けで、休日だったので2週間ぶりの空間造形4のエスキス。
間の時間が長かったひさびさのエスキスだが、うちのスタジオは学生の集まりが悪い。
ともかく、エスキスを始める。二時限めになってパラパラ集り始める。16:30過ぎに終了するが、果たして他の学生はどこまで進んでいるのだろう。
18:00、事務所に戻る。
○ 2005/11/8
今日も秋晴れ。
このところ朝トイレで、西原理恵子の「ものがたり・3部作」を読んでいる。今は『営業ものかたり』。今朝その中の、「うつくしいのはら」を読んだ。本の帯に「サイバラ、生涯の最高傑作」とあるように、素晴らしい作品だった。西原さんの他の作品にも顕著な、とてもリアルにものを見るのだが優しさのある視点と、独特の文字と絵が、一つの世界を作り上げている。「ものがたり・3部作」の中で『営業ものかたり』が一番えげつない表現なので(多分。まだ『女の子ものがたり』は読んでないが。)、その中にポンと「うつくしいのはら」が飛び込んでくる編集が、心地よい。もちろん、その他の「えげつなさ」がまた、リアルで愛おしいのだが。「うつくしいのはら」おすすめです。
OKBの打ち合わせ資料の最終チェックと、MRHのスタッフ打ち合わせ。
TKAの法規調べとエスキス。単純だけど複雑なもの、を目指す。
昼に新宿梁山泊の金さんから電話があり、12月の公演「風のほこり」作:唐十郎(http://www5a.biglobe.ne.jp/~s-ryo/)の稽古を本格的に始めるので、ラフでもセットプランを10日の顔合わせに話し合えれば、とのこと。
13:00前に事務所を出て、以前設計したNSHへ。中庭の芝生の打ち合わせを、建設会社と造園の笹隈さんと。
15:00終了。すぐ移動して、15:45からOKBの打ち合わせ。16:30終了。17:30過ぎ事務所に戻る。
OKBの打ち合わせ事項をスタッフに伝える。
「風のほこり」を読み直しながら、以前書いたスケッチに手を加えていく。
○ 2005/11/9
秋晴れが続く。
朝、メールにて連絡事項いくつか。武蔵野大学の学生から、課題についての相談メールが来ていたので、返信する。
昨日の続きで、「風のほこり」の本読みと、セットのスケッチ。
午後一で、MRHのスタッフ打ち合わせ。
その後、銀行と郵便局に行くが、郵便局の窓口が全く進まないので、事務所に戻る。
入れ替わりに、スタッフたちがMRHの現場に。
引き続き、「風のほこり」のスケッチ。
○ 2005/11/10
ちょっと弱々しい、秋晴れ。中杉通りのケヤキの色が、日一日と変わって行き、風に落ち葉が舞う。
昨日の武蔵野大学の学生から、返信のメールが届く。結構深みにはまって悩んでいる様子。再度アドバイスを返信。
「風のほこり」、今朝未明、眠りながら出て来たアイデアをスケッチに加え、完成させる。
TKAの図面作成作業に移る。
18:00前事務所を出て、上高田の梁山泊の稽古場に自転車で向かう。
「風のほこり」の自主稽古は既に始まっているが、今日が本格的な稽古初め。
演出の金さんからキャストが発表され、19:15から本読みが始まる。21:00前終了し、たたき台で描いていったスケッチをもとに、簡単な打ち合わせ。セットのイメージをより具体的にするために、その後幕開きなどの部分的な立ち稽古が始まる。
まだまだ始まったばかりだが、唐さんの本は役者が動き始めると、読んでいた時とガラッと様相が変わる。そして、経験から言うと、役のキャラクターが立ち上がったとき、とんでもないパワーを発揮する。そのキャラクターをリアルにして行く作業がこれから始まる。
22:30稽古終了。
○ 2005/11/11
秋晴れも昨日まで。陽が射さないと寒い季節になってきた。
いつも通りに8:00に事務所。メールチェックと日報のアップ。
一日、TKAの図面作業。
午後、NWHのスタッフ打ち合わせ。
「風のほこり」のセットデザインのための情報収集にいくつかの連絡事項。
一日CADで図面を描いていたので、腕や肩が痛い。
○ 2005/11/12
朝7:00頃は雨が降っていたが、事務所に来た9:00頃には、西の方から青空が顔を出して来た。
天気予報通りだ。
メールと日報をアップして、TKAの図面作業。
11:00過ぎスタッフが来たので、MRHの打ち合わせ。昼食後スタッフは現場へ出掛けた。
引き続きTKAの図面作業を続け、15:00前出来上がった図面を建設会社に郵送しに、阿佐ヶ谷郵便局まで。
15:30過ぎ、事務所を出て成増まで。
「室内」の佐野さんと、特殊メイクの中田さんの工房を訪ねる。「室内」の連載の「現場の眼」の取材。
中田さんは、「ガラスの使途」でレンズに入ったひびの加工や、レンズを通した光で手の平が焼けて、血が出るとシーンの特殊メイクを担当した。
映画の撮影の際には、簡単な打ち合わせしか出来ず、どのような事をやっているのか知らずに終わった。
今回中田さんの工房を訪ね、いろいろ話しを伺ってとても楽しかった。中田さんは現在31才と若いが、その仕事は多岐にわたる。なぜこの仕事を始めたか、から作業工程や仕事に対する考えかたの話しを伺い、この仕事がとても好きだという情熱が伝わって来て、その人柄も含め感心してしまった。
沢山の人と一緒にものを作るという意味で、建築とも通じる部分があり、アッという間に時間が過ぎた。
詳しくは佐野さんが、今月末書店に並ぶ「室内」の12月号に書いてくれるだろうから、読んで下さい。きっと面白いですよ。
写真は、工房に並ぶライフマスク。(ライフマスクって・・・・。)
大和町に21:00過ぎに戻る。朝新聞で見てみたいと思っていた、KHKスペシャル「ユリあばちゃんの岬」http://www.nhk.or.jp/special/を途中から見る。
知床半島の「番屋」と呼ばれる作業小屋に春から秋にかけて一人暮らすおばあさんの暮らし。ユリばあさんが、「ここの自然が好きだ」という。単なる自然ではなく、ここの自然が、と。
それを見ていて、中田さんが特殊メイクを好きだという姿が重なってきた。同時に「教室を路地に!」唐十郎・室井尚著(岩波書店)の中の、唐ゼミの軌跡も重なる。本当に自分にとって大事なものを見つけ、大好きになる、それを「才能」というのだろう。てな事を思った。
○ 2005/11/13
秋晴れのよい天気。
12:00過ぎに大和町を出て、下北沢の駅前劇場へ日本映画学校の俳優科の公演「エビ大王」を見に行く。
早く着き過ぎてしまったので、気持ちのよい天気の中、下北沢をブラブラ。
下北沢をゆっくり歩くのは何年ぶりだろう。
思えば、十何年前、ここで暮らしていて、旗揚げ直前の新宿梁山泊と知り合ったのだ。
長い付き合いになった。
芝居には、大久保鷹さんや唐組の鳥山さんも来ていた。梁山泊の最高顧問、小松さんも元気な姿を見せていた。終演後、小松さんをホームまで送り、大和町に戻る。
○ 2005/11/14
昨日とはうって変わって、寒い。薄曇り。
日報をアップして、連絡事項いくつか。
MRHの土曜日の現場打ち合わせ状況をスタッフから報告を受ける。
11:45、事務所を出て武蔵野大学へ。
空間造形4の授業。学生たちは未だ、手が動かず。時間だけが確実に過ぎて行く。
18:00事務所に戻る。
○ 2005/11/15
今日も寒い朝だ。
スタッフが検討したKTHとNWHのスケッチチェック。
今、事務所のコピー・プリンター環境を変えようとしており、いくつかの事務機会社から見積りとヒアリングをしている。その打合せ。
チェックしたNWHのスケッチについて、スタッフ打ち合わせ。
13:30、KTHの概算見積りを持って建設会社来所。いくつかの打ち合わせ。
14:00過ぎ、アルバイトの柴谷君が青山製図学校の石井先生と来所。学校の状況を伺ったり、これから柴谷君にどれくらい手伝ってもらえるかなどの話しをする。
NWHのエスキスをまとめ、スタッフにまとめとボリューム模型作成の指示。
MRHのスタッフ打ち合わせとKTHのエスキスと連絡事項いくつか。
慌ただしい一日だが、なんだか物事が少し進んだ気がする。
気のせいでないと良いのだが。
気が着かずにいたが、11日にラフィアンのレポートが新しくなっていた。
募集番号17 シャギーボブの04……父オース/母シャギーボブ
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。外傷を負った傷口が塞がり、再び1100mの坂路に入っています。自らという気持ちが芽生え、鞍上に促されなくても前へ進むように。物覚えが良く、あっという間にすべての課題をマスターしました。もう少し体高が欲しいもの。現在は、放牧地でゆっくりさせています。
募集番号20 デモンリーの04……父フォーティナイナー/母デモンリー
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和に滞在中。弾むようなフットワークが見られ、さすが高額馬と思わせる乗り味。能力が高いと判断するには早すぎるものの、他馬とは何かが違う感触です。すくすく成長し、馬体重が500キロの大台に乗りました。坂路での馴致を終え、昼夜放牧のみの生活に切り替えています。
○ 2005/11/16
寒いが、陽が射し少し明るい気持ちになる。
メールチェックと日報をアップし、8:30に事務所を出てMRHの現場へ向かう。
9:30現場着。間仕切りもだいぶ出来上がって、部屋の大きさが良くわかる。10:00過ぎから、クライアントと仕上の決定。11:30過ぎ終了。12:00過ぎ現場を出る。
途中、書店などにより買物をして、14:00頃事務所に戻る。
NWHのスタッフ打ち合わせ。KTHの図面作業とKMH のエスキス。
シアターワークショッップの小林さんから、先日「風のほこり」の資料について尋ねた事の返答を頂く。
今年も残すところ二月を切って、なんだか街が慌ただしく感じられるのは気のせいか。
○ 2005/11/17
時々拝見する、趙海光さんのホームページの今週のコラムを読んだら、趙さんの青森高校時代の同級生のことが書かれていた。(http://www003.upp.so-net.ne.jp/umihiko/column.html)
趙さんの同級生にエイメイという人がいて、「小湊の天才的短歌詠み」と言われていたという。ある日趙さんが寺山修司の映画を見ていたら、そのエイメイが白塗りでスクリーンに現れ驚いた、とある。
そう、そのエイメイさんこそ、佐々木英明さんでその映画は「書を捨て街に出よう」だ。
僕も大昔、映画館で「書を捨て街に出よう」を見て、スクリーンの中から、「そんなくらい客席に腰掛けていたって何も始まらないよ・・・」と訛りの残る台詞回しでこちらに語りかけてくるシーンに戦慄した時をいまだに忘れない。
あの映画の青年は僕の中ではいつまでもあの年齢のままなので、趙さんの同級生だったという事を読んだ時、すごく長い時間がサーッと動いた気がした。まさに演劇的な体験だ。コラムには続きがあると書いてあり、その続きがとっても待ちどうしくなり、趙さんにメールしてしまった。
続きが楽しみだ。
午前中KMHのエスキスをまとめ、午後一でスタッフに指示。
その後銀行に行ったついでに、昨日シアターワークショップの小林さんから教えてもらった、「風のほこり」の参考資料となりそうな「東京人」1998年8月号をブックギルドで探したが、置いてなかった。変わりに「東京人」2004年7月号の「特集:東京笑いの系譜」に、カジノ・フォーリーや水族館劇場についての記事があったので入手。店員さんにどこか入手できるところはないか聞いてみたら、中野のブロードウェーのトリオという古書店には、大概そろっている、と教えてくれた。
ブックギルドの柱に貼ってある、デジカメプリントされた保坂和志さんの写真が、以前から気なっていたので店員さんに尋ねた。答えは「ただのファンで。」ということで、「僕も同じです。」で会話は終わってしまった。
戻って、中野のブロードウェーのトリオに電話してみたら、言われた通り「東京人」1998年8月号が置いてあった。取り置きをお願いした。
KTHの図面作業をしながら、新たな案が浮かんで来てエスキスし、図面化をスタッフに指示する。
毎年やっている事務所仲間の忘年会の案内がメールで来たので、夜、鈴木基紀のところに電話してみる。久々なので長話。ちょっとしんどそうな状況だった。そう言う時もあるよな、この仕事。
○ 2005/11/18
気持ちのよい秋晴れ。朝8:00頃、阿佐ヶ谷駅を過ぎて中杉通りを自転車で北上してくると、最近丁度この時間、東からまぶしいくらいの日が、ケヤキの葉を通して差してくる。この季節はなんだか、いろいろな事を考えさせられる季節だ。
KTHの図面作業とMRHのエスキス。
午後一で、新宿梁山泊の三浦さんが「風のほこり」&「楽屋」のポスターとチラシを持ってきてくれる。早速配り始める。
15:00、チェ・ミキが以前無料着物の着付け教室で知り合い、偶然仕事が建築設計だった赤松さんが来所。仕事を手伝ってもらうための打ち合わせ。
内容を説明し、データを焼いたりして、16:00過ぎ終了。
明日のKTHの打ち合わせの準備。
17:30過ぎ事務所を出て、シアターコクーンへ。カラコンプレックス「調教師」を見に行く。
唐さんの密実なる言葉の世界が展開された、美しい戯曲だった。残念だったのは、席のせいか、劇場の構造か、役者たちの台詞が聞き取りずらく、そちらに神経を集中しなければならなっかった。願わくば、もう少し小さい小屋で、薄汚れた焼き鳥屋が中国大陸に変わって行く様を、体験してみたい。「風のほこり」のセットもそうなならないよう、他山の石としよう。
しかし、見た後は、何かわからぬ高揚が、身体の中に残る。これが唐さんの言葉の力なのだろう。
馬主会の桐山から、ラフィアンからの便りがメールで送られて来た。
○ 2005/11/19
木枯らしが吹く朝、自転車で事務所に。
メールチェックと日報のアップ。
KTHの打ち合わせ準備をまとめ、「風のほこり」のセット案を描いて、梁山泊へファックス。
11:30過ぎ事務所を出て、7月に完成したBBHへ。引越し前に写真撮影が出来なかったので、引越し後の様子を拝見させて頂くのと、いくつかの細かい事の打ち合わせに。
13:30過ぎBBHをおいとまし、KTHのクライアント打ち合わせに。
17:00過ぎにKTHの打ち合わせ終了。その後3年前まで田園調布で事務所シェアーをしていた、鈴木基紀の自由が丘の事務所を尋ねる。事務所で少し話し、近くの居酒屋へ。今話題になっている、データの改竄をした構造事務所の話しから、設計の仕事の話しなど、日々の仕事等。自分たちが設計を始めた頃と現在では、設計という仕事を取り巻く周辺状況が随分と変わって来ている、という実感がある。それらの事を充分意識する必要があるという話し。と同時に、吉阪先生や今井兼二先生の建築についての話しをし、どのように設計をしていくかが、これから後10何年か設計を続けていくのなら大事だな、という事などを話す。
○ 2005/11/20
午前中、大和町でNWHとKMHのエスキス。
昼から、東京国際女子マラソンをテレビで見る。マラソンで優勝する日本の選手は多々あるが、高橋尚子は皆に感動を与える人だな。
その後。自転車で中野ブロードウエーへ。取り置きしておいてもらった「東京人1998・8月号/特集:浅草は、笑いの王国だ。」を取りに。
話しには聞いていたが、ブロードウエーはとんでもない事になっている。(特に3階は。)雑誌や漫画、フィギャーやコスプレ、サブカルチャーの小売りデパートのような状態で、人が沢山集っている。つい、漫画とCDをいくつか買ってしまう。
帰りに高円寺駅近くに買物により、大和町に戻る。
「東京人」はとても参考になった。
○ 2005/11/21
薄くもり。良く寝たのでエネルギーが満ちている。
NWHのスタッフが進めた図面のチェック。
スタッフの出社とともに、NWHの打ち合わせ。少しづつ収斂しつつある。
「風のほこり」のセットエスキス。
11:45事務所を出て、武蔵野大学へ。
空間造形4の課題の中間発表。ごく限られた学生しか手が動いておらず、とても厳しい状況だ。「24時間はみんなに平等にある。」という、高橋尚子の昨日の言葉を伝え、楽しんで課題を進めるよう話す。
その後、水谷先生と2人で、吉祥寺の「カッパ」に行って少しの飲みながら話す。
「カッパ」は20年くらい前、設計事務所に転職して初めて先輩から引き継いで完成させた建物だ。もつ焼屋さんだが、相変わらずお客さんがいっぱいだった。
○ 2005/11/22
日一日と寒くなってくように感じるが、同時にその寒さに身体も少しづつ慣れ親しんでくる。
メールチェックと日報のアップ。
NWHのエスキスを進める。
午後一、昨日MRHの現場に行って来たスタッフと打ち合わせ。
NWHのスタッフ打ち合わせと「風のほこり」の資料チェックと、スタッフが作成したKMHの図面チェック。
16:30、建設会社にOKBの改修工事の内容を説明し、想定作業すケージュール作成を依頼する。
18:00前事務所を出て、東中野へ。水谷先生と待ち合わせ、新宿梁山泊のアトリエ「芝居砦・満点星」へ向かう。
19:00から行われる「映画『ガラスの使途』公開成功祈念会」に参加。唐組・新宿梁山泊をいつも応援してくれる方々に完成と公開の報告を兼ね、応援してもらおうと言う会。
予告編や15分ほどのメイキングの上映があり、映画の主演の唐組の稲荷さんの歌や、「夜を賭けて」の音楽を担当した朴保さんの歌、最後には「少女仮面」の名曲「時はゆくゆく・・・」を唐さんが歌い、大いに盛り上がる。
ただただ、唐さんの芝居が好きで「状況劇場」を見ていたのが25年前。25年後にこんな事になっているとは、夢にも思ってなかった。そんな状況は、なんだか今再読している村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を読みつつ考えることと、シンクロする。その他でも「ねじまき鳥クロニクル」とシンクロする事の多い今日この頃だ。
10:30過ぎに中締めで解散。梁山泊の事務所で「風のほこり」の資料をコピーしてもらい、水谷先生と満点星を後にする。
東中野の居酒屋に入り、もう少し飲む。1:00、大和町に戻る。
○ 2005/11/23
今日は休日。少しゆっくり起きて、9:00に事務所に。
スタッフが作成したKMHの図面チェックとNWHのエスキス。
13:00前、スタッフが来たので、NWHのエスキス内容を説明する。
15:00前、事務所を出て国立の岡部版画出版のギャラリー「korino」へ。横尾忠則さんの新しい版画が展示されているのを見に行く。
2002年の東京都現代美術館で行われた「横尾忠則・森羅万象展」(http://www.japandesign.ne.jp/HTM/JDNREPORT/020925/yokoo/index4.htmlの「19.Y字路ふたたび」の下の段雄の写真の一番右側にある絵)の一番最後に展示されていた「シー・ユー・アゲイン」という絵がとても好きで、その絵がリトグラフの新作になっているというので。このY字路シリーズは、はじめは写実的な作品から始まり、どんどん展開して行き、ひとつ毛色の違う「シー・ユー・アゲイン」が展覧会の最後にあり、その展開のダイナミックさに驚き、この作品を見て気持ちが高揚し、沢山のエネルギーをもらったような感じになったのを思い出す。
16:30前国立をたち、吉祥寺へ。
西荻の両親と妹家族と居酒屋で忘年会。
○ 2005/11/24
なんやかんやと、3連ちゃんで飲んでいるので、少し疲れて来たが、まあいつも通りに事務所へ。
KMHの図面のチェックをスタッフに指示。
「風のほこり」の資料を読む。昭和5年の話しだが、この時代の浅草は活気に満ちて面白いな。ほんとに凄い。
資料を読み、「東京人」の写真や桑原甲子雄の「東京1934〜1993」を見直す事で、漠然としていたものが具体的に立ち上がって来た。大きな枠組みは出来上がりつつある。これからはその枠組みをどのように彩っていくかだ。そこはもう、芝居の世界だ。
○ 2005/11/25
金曜日の朝刊には必ず、沢山の豪華な分譲マンションの広告が挟まっていたが、さすがに今日の朝刊には、一枚しかなかった。
今話題の構造計算書偽造事件の影響だろう。
この問題は、建築に関わるものとして、よく考えなければならない問題なので、軽卒にはコメントできない。しかし、昔からずっとおかしいと思っていたのは、一級建築士の資格の意味と確認申請という許認可制度のことだ。最終的に責任の所在がはっきりしない、これらの制度にどのような意味があるのか、いつも疑問だった。許認可の意味を調べると、「 行政行為の一。行政機関が国民生活の保全などを目的として、国民の行動を適法なものとするために行う規制行為。許可・認可・検査・認証など。「〜権」」(大辞林)とある。
建築確認の制度は本来的には国民生活の保全を目的としているだろう。しかし、現在ではその本質からそれているのでは、と思う事も多々ある。たとえば、以前日報にも書いた、階や面積の緩和対象の収納の扱いに、認定を受けた住宅は同じレベルから入れる(その時はミサワホームだった。それを広告で大々的にうたっている。)のに、個別の申請ではだめだったということ。個別の申請物件は、上もしくは下の階から入る場合しか認めないという。
今回の話しに全く出てこないが、型式適合認(大臣認定)という制度があり、構造といえどもこの認定を取得していれば、建築基準法外の構造形式を用いる事が出来る。先の同レベルからの収納の緩和ができる住宅は、型式適合認定の際にそれに関わる認定も一緒に取っているので、そうしたいなら認定を取って来てくれ、と役所はいうのだ。確かに構造は何度も実験をして、実績を積み上げて認定を取るので、この認定を取るのは、時間的にも費用的にも大変だ。しかし収納の緩和は、全く違うフェーズにあるのではないだろうか。
各人の責任で考えるよりも、だれかに決めてもらい、決められたものに対しては皆平等だと思う。そこから外れたものには自己責任とやらを問い、しかし、それを決めた責任者ははっきりせず、何かあっても何も責任を取らない。どこかで聞いたような話しが、確認申請という制度の中にもある様に感じる。そんな中で一級建築士という資格は、どのような意味があるのだろう。
「国民生活の保全」よりも、先に引いた辞書にもあったが、「〜権」すなわち「許認可権」が意味を持つようになり、その利権をめぐる様々な綱引きの結果が、今回の問題を引き起こすひとつの要因になっているように思えるのだが、いかがなものだろう。
そして、その辺りの事は何も報道されずに過ぎて行く。
KMHのスタッフ打ち合わせとMRHの内装の再確認、及び連絡事項いくつか。
TKOの概算見積りを建設会社が持って来てくれる。こんなにかかるのか。
「風のほこり」のエスキス。昨日資料を読んでいて、川端康成の「浅草紅団」を読んでおいた方が良さそうに思った。良く行く阿佐ヶ谷の古書店「銀星舎」にはありそうに思い、行ってみたら、ズバリ、棚に収まっていた。早速購入。なんだかこういうときは嬉しくなる。
今日、コピー機を入れ替え、パソコンプリントの周辺環境がグレードアップした。
○ 2005/11/26
8:30に事務所。メールチェックや日報のアップをして、スタッフが打ち合わせテーブルに置いて帰った、KMHの図面と模型のチェック。
11:00過ぎ、スタッフとその友人が事務所に来てくれて、パソコンのLANの調整確認をしてくれる。
14:30前事務所を出て、新宿のTOTOのショウルームへ。KTHのクライアントとショウルームにて水回りのものを見て回る。18:00終了。
事務所に戻り、明日の打ち合わせの資料を整える。
「室内・12月号」が郵便受けに入っていた。先日佐野さんと特殊メイクの中田さんを尋ねた時の話しが、連載の「現場の眼」no12にまとめられている。面白いので、どこかで読んでみて下さい。
横浜国大の室井先生のブログを見たら(http://tanshin.cocolog-nifty.com/)、唐さんが紫綬褒章を辞退していた、という記事について書かれていて、その記事の唐さんのインタビューを読んで、拍手喝采。
○ 2005/11/27
午前中、大和町の片付け。
13:30KMHのクライアントが大和町にいらっしゃる。
家の中を一通り見て頂き、打ち合わせをする。
夕方までいくつかのプランを説明し、要望を具体的にして行く。
暖かく、過ごしやすい日だった。
○ 2005/11/28
いつも通りの月曜が始まる。
昨日まとめた、コンテストに応募するための資料を再確認し、事務所にある資料も再度見直す。
NWHのエスキスチェック。
10:00にスタッフが来たので、その2つを指示。
11:30過ぎに事務所を出て武蔵野大学へ。課題提出が迫って来ているが、エスキスチェックには半分以下の学生しか来ない。果たして大丈夫なのだろうか。17:00大学を出る。
事務所に戻り、スタッフが準備してくれたコンテスト資料のたたき台をチェックして、手直しの指示を出す。
今日、「ねじまき鳥クロニクル」の再読終了。以前読んだときはあまり印象に残こらなかったのだが、今回は全く違う。とても深い物語が胸を打つ。はじめに読んだのは出版ばっかりの平成6年、11年前だ。30代の最後に近い。40を越えて、随分肉体的にも変化があり、廻りで起こったいくつかの出来事に精神的に影響を受け、考え方も変わって来たのだということを思い起こさせてくれた。
○ 2005/11/29
天気予報どおり早朝に雨が降ったのか、湿度が高い。自転車で走る角々のコーナーミラーが一様に結露している。
コンテストの応募資料が出来上がっていたので最終確認。
ザ・ハウスのコラムを書き始めるが途中でひとまずやめ、KTH の1階キッチンのエスキス。検討事項をまとめてスタッフに指示。
「風のほこり」の資料をまとめ、12:00前事務所を出る。枯れ葉舞う中杉街道を、自転車で鷺宮駅まで。西武新宿線に乗り花小金井へ。
13:00に花小金井で梁山泊のメンバーと落ち合い、ANAPの青田さんと待ち合わせ。
ANAPの青田さんは、TRHの時に螺旋階段を作ってもらった時からのおつきあい。今回の芝居に螺旋階段が出てくる。はじめは木で作ろうかと思っていたが、いろいろ当たっていったら青田さんのところにあるものを貸して頂けそうなので、皆で見いく。
ちょうど良い大きさで、皆も満足。きれいなデザインなのだが、資料を当たると、この芝居の時代設定の昭和5年前後は、分離派や創宇社の時代。こんなデザインがあっても全くおかしくない。貸して頂く事にする。その後ANAPの作業所を見せて頂く。自分たちで作ったとい半屋外の作業所は、コンテナをうまく使った魅力的なスペースだった。
その後、車で移動し街道沿いのマックに入り、セットや仕掛けについて2時間くらいミィーティング。やっと少しずつだが、もやもやしたものがはっきりし始めた。
鷺宮まで送ってもらい、自転車で事務所に戻り、慌てて資料を整え、OKBの打ち合わせに出る。
18:00OKBの打ち合わせを終え、19:00前事務所に戻る。
スタッフとNWHの簡単な打ち合わせ。慌ただしい一日だった。ふー。
○ 2005/11/30
スタッフが昨晩打ち合わせテーブルの上に置いていったNWHの図面のチェック。
NWH、MRHのスタッフ打ち合わせ。
13:00過ぎに事務所を出て、以前完成したEMHへ。簡単な打ち合わせのあと、NWHのお宅へ。来週プレゼンだが、事前に方位を見てもらうための平面図を持参する。
帰りに吉祥寺の駅ビルの書店で立ち読みしていたら、大学のジャズ研・スイング&ジャズの同級生の牧に声をかけられる。牧も中央線沿線に会社と自宅があるので、時々会ったりしているが、2ヶ月ぶりくらい。立ち話もなんなので、ちょっと飲もうということになり「みすず」へ。吉祥寺中通りにある「みすず」は学生時代中央線沿線に住んでいた仲間が、練習が終わるとだらだらと連なり、しょっちゅう飲みに来ていた店だ。牧は三鷹の吉祥寺よりに住んでおり、時々顔を出している事を聞いていた。一度行こうと言われながら、なかなかその機会がなかった。だから本当に何年ぶりになるのだろう。おじさんもおばさんも変わりなかった。好物の軟骨は相変わらずうまかった。
19:30前事務所に戻るが、飲んでしまったのですぐ帰る。
○ 2005/12/1
いよいよ今年も残すところ、一月。12月初日は、とても寒い朝だ。
メールチェックと日報のアップ。まずい、風邪をひいたかもしれない。
様々なスタッフ打ち合わせで時間が過ぎて行く。
15:00過ぎ、武蔵野大学の学生2人がスケッチを見せにくる。
17:00前事務所を出て、船堀のTNHへ向かう。5年前に竣工したTNHは、1階が駄菓子屋+もんじゃ焼き+イタリア料理のお店で、2、3階が3世代のお住まいになっている。今日は16:00前から「室内」の峯田さんが取材に入っている。夜の部の撮影にお邪魔する。
久しぶりに会ったクライアントご家族は全然変わっていなかったが、大きくなったお子さんを見て、時間の経過を感じた。
カウンターに座らしてもらい、ビールを飲みながら撮影に加わる。全て終了して、小上がりで峯田さんと写真家の瀬戸山さんと鉄板を囲み、もんじゃとお好み焼きを頂く。いろんな工夫がされていて美味しかった。
今回初めてご一緒した瀬戸山さんの写真は時々雑誌で拝見していたが、なんと「教室を路地に!」唐十郎・室井尚(岩波書店)の表紙などに使われている、唐さんの原稿の撮影をした方だった。
瀬戸山さんは飛騨国府で梁山泊の芝居を見ていたり、荒木経惟さんの弟子で「写真時代」の話しが出たり、とても楽しい時間だった。21:30頃おいとまする。
○ 2005/12/2
今日も朝は寒い。12月に入って急に冬模様だ。
朝は事務所で連絡事項や日報を書いていたが、途中で出掛ける時間になる。
9:30過ぎ、MRHの現場へ。内部階段も出来上がり、外壁も半分くらい完了し、確実に進んでいる。
11:30過ぎスタッフを残し現場を出る。渋谷のパルコのロゴスギャラリーの、寺山修司生誕70年 寺山修司+森山大道『あゝ、荒野』展(http://www.parco-art.com/web/logos/terayama/)に立ち寄る。
14:00前事務所に戻り、KTHの打ち合わせ準備とNWHのスタッフ打ち合わせ。
その後、「風のほこり」のセットスケッチ。
19:00、ザ・ハウス忘年会。一年ぶりの方たちがいっぱいだ。
○ 2005/12/3
朝事務所にちょっと立ち寄って、NMHへ。10:30からNMHのクライアントにお願いして、KTHのクライアントご家族と一緒に中を拝見させていただく。
11:30においとまし、立ち話で検討図面の説明を簡単にして、終了。
その脚で「ドイツ写真の現在」を見るため、東京国立近代美術館に向かう。竹橋でおり、何か食べようとパレスサイドビルに入ってみる。外は何度も眺めているが、中に入ったのは随分昔のような気がする。ステンレスメッシュで編まれた階段や丸いコアは有名だが、急に視界に入ったメインエントランスは、低い天井と大きな階段からなる広々とした空間で、気持ちがよい。今日は土曜日なので人が少ないが、平日は沢山の人の動きが、より空間に魅力を増すのではないか、と思われた。日生劇場のホワイエの階段も同じ魅力があるが、あちらが劇場というハレの世界なら、こちらはケの世界の確実さがある。
「ドイツ写真の現在」はとても刺激的な展覧会だった。写真を撮る事、見る事の意味を考えようと、迫られる展示だった。同時に開催されていた、「アウグスト・サンダー展」が、それをより深めてくれる。
そして、もうひとつの同時開催の「所蔵作品展 近代日本の美術」の特集:岸田劉生の展示のひとつ<道路と土手と塀(切通之写生)>1915年 油彩・キャンバスには驚いてしまった。写真などで見て良く知っている絵だが、現物は初めて。岸田劉生の「写実」へ向かう気持ちの強度が直に伝わってくる。その真摯さに、感動した。
16:00前事務所に戻り、懐かしい連絡等有り、夕方から「風のほこり」のセットの検討作業。
○ 2005/12/4
一日大和町。本格的な冬の天気になった一日。
「風のほこり」のスケッチと図面作業。
○ 2005/12/5
空は晴れているが、風は北風。ピューピュー吹抜けて、銀杏やケヤキの葉っぱが舞っている。
日報のアップとメールチェック。
「風のほこり」の道具帳を作成し、その他の図面と梁山泊へメール。
MRHのスタッフ打ち合わせ。
11:45事務所を出て、武蔵野大学へ。空間造形4のプレ提出1週間前のエスキス。3分の2の学生が見せにくるも、果たしてまとまるのか心配な学生もちらほら。だんだん余裕が無くなってきて、今が一番厳しい状況なのだろう。客観的に自分のやっている事を全く見れなくなってしまっている学生もいる。まあ、これは自分たちの仕事にもそういう時がたまにあるが、学生たちはその状況からの自己修復の経験が少ないので、心配だ。
19:00過ぎ事務所に戻り、MRHのスタッフ打ち合わせ。
夜テレビで「ウメ子」を見る。新聞を見て面白そうなので見始めた。監督は結構好きな映画「桜の園」の中原俊さん。テレビドラマっぽくない映像で、最後まで楽しく見てしまった。最後のクレジットロールに、「ガラスの使途」の撮影監督だった猪本雅三さんの名前を見つける。登場人物を優しく包み込むカメラは猪本さんだったのだ。
○ 2005/12/6
9:00、MRHの現場。最終のクライアント打ち合わせ。内部造作ももう一息。仕上がりが楽しみになって来た。25日にオープンハウスをさせて頂く事に、クライアントから了解いただくも、もう少し進行状況を見て最終決定をしよう。スタッフを置いて、先に現場を出る。
昼に事務所に戻る。
メールチェックにスタッフ打ち合わせ、身の回りの簡単な整理、日報のアップ。
18:00過ぎ、自転車で東中野の新宿梁山泊の稽古場に向かう。
メールしておいたセットの図面を説明し、19:30過ぎから頭からの稽古を見る。無理矢理ながら結局最後まで通す。
ひとりで黙読していると難しい芝居だが、やはり役者が台詞のやりとりを始めると、とたんに台詞が立ってくる。わかりやすくないのだ。そこが唐さんの戯曲の魅了で、懐が深い。
台詞一行の言い方で、全体のトーンががらりと変わる。建築の設計も同じだな、と感じる。いくつかの大事なニュアンスを見逃さず、きつんと詰めて行くことに依って、思っている空間を手に入れていくような。
23:00前、終了。
○ 2005/12/7
昨日は大和町に戻り寝たのが遅かったので、少しゆっくり置き、9:00に事務所に。
スタッフが置いて帰った図面や模型を見直す。
KTHのスタッフ打ち合わせ。特殊メイクの中田さんに電話。梁山泊の梶村が芝居の件で、中田さんの作業場にお邪魔させて頂きたい事をお願いし、快諾いただく。すぐに、梁山泊の梶村に連絡。
NWHのスタッフ打ち合わせのあと、お隣のアートスペース煌翔を訪ねる。11月19日から12月9日まで「秋田小吉展」が行われている。(詳しくはhttp://www.kohsho.co.jp/)いつも出掛けるとき、入り口の案内を見て、気になっていたのだが、やっと見に行く事ができた。
「ガラスの使途」と「風のほこり」のチラシを持っていく。そのチラシからまた新たな共通の知り合いが見つかる。11日に行われる、かわなかのぶひろさんのフィルム上映会に誘って頂く。
用事を足しに阿佐ヶ谷駅前まで出掛けたので、なんとなく南口前の古書店をのぞくと、平積みしてある「朝日クロニクル・週間20世紀」が眼に入る。一番上にはエノケンのアップ。1929年・昭和4年の号だ。「風のほこり」の時代設定の昭和5年はないかと下をみると、なんとあるではないか。チラリとめくれば、「特集2:エロ・グロ・ナンセンスーそれは、やけくその空騒ぎだった」とあり、2号連続でカジノ・フォーリーについて書いてある。6年は、と探すがさすがになく、20冊くらい積まれていた中に、昭和初期はこの2冊だけ。こんな偶然嬉しくなる。一冊200円。即購入。
レジに行こうとふとまた眼を向けると、本棚の下の陰に面白そうな本が。前の本をずらし苦労して取り出してみると、「毎日グラフ別冊・寺山修司/反逆から様式へ」と言う本。あまり見かけない本で、1975年の阿佐ヶ谷を中心に展開された、「市街劇・ノック」の公演レポートもたっぷりだ。先日ロゴスギャラリーで寺山修司生誕70年 寺山修司+森山大道『あゝ、荒野』展を見て来たので、この本に引き寄せられたように思い、安かったので入手。
そんな事が、時たまある。
事務所に戻り、郵便受けをから郵便を取り出す。喪中の葉書が2通。今年は喪中の葉書が多い。両親が亡くなる年齢にさしかかっている事を改めて感じる。
OKBのスケッチ。その他細かい打ち合わせ。
○ 2005/12/8
朝いつも通りに事務所に来るが、なんだか疲れが溜まって来たような感じだ。乱れに乱れたデスクトップ上を少し整理する。
10:00、NWHのクライアント来所。第1回目のプレゼンテイション。ご主人には初めてお目にかかったが、とても楽しい方で、2時間があっという間に過ぎていった。
「室内」の峯田さんから来ていた、先日取材したTNHについての質問を返したり、ザ・ハウスのコラムを書いたり、借りっ放しの本を図書館に返しにいったり、細々としたスタッフ打ち合わせをしたりで一日が過ぎて行く。
昨日の朝日の夕刊に、「ガラスの使途」の広告が大きく掲載され、唐さんのインタビューがのっていた。
この映画は、唐さん扮する天才レンズ磨き職人が主人公だ。そしてインタビューで、『誰でも仕事や作業をしながら、「いいものを創りたい」「こういうものを創りたい」と、創るものと対話をしているのだと思います。創っているものから「俺の使いをしっかりつとめろよ」、という声を聞いている。現代社会に生きる一人ひとりに、自身が抱えているものからの指令、その深い言葉を聞いてもらいたい。この映画がその一つの媒体になればと思っています。」と話している。
この言葉、内田樹さんの12月7日のブログ(http://blog.tatsuru.com/)にもリンクする。何年か前からものを創る人にこだわって来た唐さんは、今日日のいたたまれない状況を察知し警告を発していたのでは、と思えてならないのだが。
○ 2005/12/9
朝起きたら鼻が出て、喉もむずかゆい。風邪かな。昨日感じた疲れは、これか。
ついにスタッフたちが使っているiMacG5を修理に出す事にした。購入したのが今年のはじめ。2、3ヶ月前、突然2台が同じ時期に、立ち上げると凄いファンの音がしたり、ファインダーが乱れたりし始めた。いろいろやってみたが、調子は悪くなるばかり。Macユーザーの梁山泊の大貫に聞いてみたら、そうなったらどうしようもないから、すぐ修理に出した方が良いとの事。これも昨日の日報に書いた、内田樹さんのブログにあった「初期不良」の小田島さんのコメントと同じだ。困ったもんだ。
16:00、下北沢のスズナリを舞台監督の村松さんと梁山泊の三浦さんと訪ね、打ち合わせ。
その脚で、武蔵野大学へ向かう。「環境デザイン論レクチャーシリーズ2005」という講座が毎週金曜日に行われている。今日は写真家の長倉洋海さん。長倉さんの「ザビット一家、家を建てる」という写真集を持っていて、長倉さんという方にとても興味があり、ぜひこの回は参加したい、と思っていた。
18:00にレクチャーが始まり、最初の一時間でザビット一家の写真を中心にしたスライドをいろいろ拝見する。その後、長倉さんがザビット家との関わりからなにを感じたか、世界を回ってなにを考えたかの話しが続いた。
切られれば血が出るような関係から、いろんな事を感じとって来られている長倉さんの話しは、とても説得力がありリアルだ。
講演終了後、実習棟に移っての懇親会にも参加させてもらい、近くで少し飲みながら話しが出来たのも楽しかった。
長倉さんの話しから考えたのは、写真に対して解釈をしない、感じる事が大切で、感じた事から考えをスタートすれば良い、という事だった。
○ 2005/12/10
朝事務所に来て、昨日武蔵野大学に行った時、課題の作業をしていて相談を受けた、空館造形4の学生に、昨晩考えたことをメール。
連絡事項いくつか。
11:00、OKBの想定工程表を建設会社が持って来てくれ、説明を受ける。
ザ・ハウスのコラムを書き上げ、送信する。
デスクトップだけでなく、散らかしっぱなしのデスクも少し整理する。
気がついたら11月25日にラフィアンのレポートが更新されていた。
20051125
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和で調整中。坂路でキャンター1100m1本の運動をしています。乗り出した頃に比べ、楽に走っている感じ。手応えがぐっと良くなりました。物怖じしやすい一面があり、些細なことに反応するものの、鞍上を信頼しているため、意思の疎通はスムーズです。
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和で調整中。坂路でキャンター1100m1本の運動を再開しています。早速、トモの筋肉が張り出してきました。さすが父の産駒といった馬っぷりです。すっと加速する脚があり、踏み込みも力強く、先々のスピード調教が楽しみでなりません。いまのところ折り合いもぴたり。
○ 2005/12/11
午後、10年前に完成したSTHを訪ねる。何日か前に連絡を頂き、地続きの土地が分譲されることになり、そこを入手しお母様のお住まいを検討し始めた、とのこと。ただしその土地はハウスメーカーの建築条件がついており、土地を入手するためにはその条件は外せそうにないが、地続きをうまく活かすようにしたいので相談したい、という電話だった。
伺って話しを伺うと、本当に巡り合わせというものはあるのだな、と感じる土地の分割のされ方で、ハウスメーカーからの計画や見積りについて、できる限りのアドバイスをする事にして、2、3時間お話をする。
このお宅が、完全に独立して、一人で住宅の設計をした初めてのお宅。10年経ったと思えないほど、丁寧に住んで頂いている。僕もまだかろうじて30代だった。いろんな空間に、一生懸命にやった事を思い出させてくれる部分があり、初心を思い出させてもらう良い体験だった。
18:00大和町に戻り、18:30過ぎ再び出掛ける。自転車で事務所の隣のアートスペース煌翔へ。先日伺った時に誘われた、映像作家の、かわなか のぶひろさんのフィルム上映会。到着するとすでに、かわなかさんや幾人かの方がビールを飲んでおり、早速紹介いただきビールを頂く。19:00過ぎから上映しようと言っていたが、話しが盛り上がって来て、皆んで車座に座り飲み会が始まる。イメージフォーラムのかわなかさんの講座の学生さんも何人か参加している。
しばらく話し込んだあと、30分くらいのフィルム二本(かわなかさんは「日記」と「アジアの元気」と言っていらしたが、フィルムの最初には別の題があった)が上映された。お名前は存じていたが、初めてかわなかさんのフィルムを見た。とても素敵なフィルムだった。かわなかさんの心象スケッチのような映像なのだが、当たり前だが、映像のもつ特性がとてもさりげなく考えられた掌編だった。写真でも、個人フィルムでも、このようなさりげなく完成度の高い作品は、素人に自分でも撮影して作品を作ってみたい、と思わせる。まさしくそう思った。でも、そんな簡単ではないのだよな、しばらく経って冷静になった。しかし、それくらい見た人に沢山の事を感じさせてくれる映像だった。
23:00、飲みながらの歓談はまだ続いていたが、おいとまする。かわなかさんや先日までここで作品展を開催していた吉野辰海さん達皆さんは、60代なかばという事だったが、お元気だ。
○ 2005/12/12
朝日報をアップし、土曜日に現場に行って来たスタッフと打ち合わせ。
13:00、武蔵野大学、空間造形4。提出一週間前の最後のエスキス。ばらつきがあるが、とりあえず講評会の発表者を決める。その後もエスキスを続ける。帰りに、水谷先生と吉祥寺で軽く飲む。
23:00、大和町に梁山泊から電話があり、明日稽古場に行く事にする。何となく気になって、午前中電話していたのだが留守で、午後から夜はずっと学校だったので、連絡つかなかった。にわかに慌ただしくなって来た。
○ 2005/12/13
昨晩帰って来てから空間造形4のエスキスで気になったこといくつかあったので、朝事務所で学生にメールする。
KMHとOKBのスタッフ打ち合わせ。
昼に自転車で事務所を出て、新宿梁山泊の稽古場・満点星へ。13:00から、セットの細かい打ち合わせ。いくつかの図面を書いて、15:30満点星を出る。帰りに中野ブロードウェーの3階に寄って、雑誌のバックナンンバーを探す。どこにもなかったものがここにはある。
16:00過ぎ事務所に戻り、進行中のプロジェクトのスケッチなど。
○ 2005/12/14
先週末から、本当に寒くなって来た。やはり、最高気温が10度を切ると違うな。
「風のほこり」セット、思いついた事があったので、梁山泊へファックス。映画「ガラスの使途」は今週間末17日に封切り。芝居「風のほこり」も19日から仕込み。22日初日、と大詰めだ。
9:00に事務所を出て、MRHの現場へ。今日はキッチンの設置が行われている。内部造作ももう一息。最後の工事を慌てないでやってもらうために、25日に開こうかと思っていたオープンハウスを、来年の9日に延期する事にした。もうしばらくで足場がとれる、楽しみだ。
スタッフを残し、11:00過ぎに現場を出る。
昼に事務所に戻り、連絡事項いくつか。昨日梁山泊で書いて来た手書きの図面を、CAD化する。アクリルミラーを加工してもらうのにCADデータがあると早くできる、との連絡があった。アクリルだから、レーザーで切り抜くのだろう。図面が機械へインプットするデータになるという、CADの利点が発揮されるわけだ。
「吉阪隆正とル・コルビュジエ」の著者、倉方 俊輔さんのブログ(http://kntkyk.blog24.fc2.com/)を見たら、「大学セミナー・ハウス(東京都八王子市、吉阪隆正+U研究室設計)の 宿泊ユニットのほとんどを2006年3月までに取り壊すという計画が、 (財)大学セミナーハウス(理事長:中島嶺男、館長:荻上紘一) によって進められています(以下、敬称略)。 」(中略)「宿泊ユニットのほとんどが近日中に取り壊されるという計画の詳細が、 いま、知れ渡っているとは言えません。 少なくとも、これを知らせることは大事だろうと思います。
もし、関心を持たれましたら、他の関心があるであろう方に、 できるだけ広くお伝えいただければ幸いです。 」とあった。
昨年建築会館で行われた、「吉阪隆正展」に迫力ある粘土模型が出展されており、その形の豊かさに改めて気づかされた。そして、なんといっても建築学科に入学し、初めてのオリエンテーションがこの大学セミナーハウスであり、起伏に富む大地に配置された建築群を体験したのが、建築へのイニシエーションだった事を思い出す。
確かに、性能的には現在当然とされるスペックからだいぶ外れてしまっている事は伝え聞いいていたが、やはり100棟あっての宿泊ユニット群である事には変わらないだろう。その100棟が、自然と朽ち果てていく姿を想像できる、まさに生きている建築・集落としての魅力を有した、希有な建築作品だと思うのだが。どうにかならないものか。
夕方、遅くiMacが修理を終えて戻って来た。どうやら、直って来たようだ。
○ 2005/12/15
この2、3日、鼻をかむと鼻血が出る。以前も、左側の鼻の中の血管が切れ、鼻血が止まらなくなった事があった。その時の医者が言うには、鼻の中の骨が元々左側に膨らんでいて、(慢性的に蓄膿気味なのはそのせいで)負担がかかり、鼻をかんだりする時に切れやすいそうだ。今回も同じ左側だ。寒くなって、血管が収縮して、切れやすくなっているのだろうか。
早く医者にいた方が良さそうなので、いくつかキャンセルして近所の耳鼻科を探すも、木曜休診のところばかり。明日朝行く事にする。
そうこうしているうちに、10:00になり、設備事務所などが予定とおり来所、OKBの打合せ。
昼前に終了。朝キャンセルした方に連絡するも、もう今日は無理なので、来週ということに。
相談を受けている、建築条件付きの住宅の、僕なりの平面を作り上げファックス。その後、進行中のプロジェクトのエスキスを続ける。
夕方から夜にかけて、梁山泊より連絡がある。稽古場にパネルを立て込んでみたら、不都合な部分が生じたとのことで、変更の相談。いよいよ押し迫ってきた。
○ 2005/12/16
昨晩大和町に帰ると、私道が取り付く公道が全て土になっていた。ここ2週間くらい、舗装のし直し工事が進んでいた。L型側溝も新しくなり、アスファルト舗装前の状態なのだろう。
自然の中や田舎に行けば、もちろん土の道はある。でも、街の中に突然現れた土の面は、とても存在感がある。
今朝、事務所に来る時にその道を通ると、新しくて白いL型側溝に縁取られた、細く長く続く土の道は、そこだけ突然タイムスリップしたみたいに見えた。残念ながらカメラを持っておらず、残せなかった。きっと今日でまた、アスファルトに戻ってしまうのだろう。
まあたらしいL型側溝に縁どられし土の道。一瞬の昭和。
メールチェックと日報をアップして、9:00前近所の耳鼻科へ。
僕のような症状の人間は、今年のように急に乾燥状態になると、鼻の中が乾燥して粘膜が弱くなり、鼻血が出やすくなるのだそうだ。そういう人は、結構いるらしい。鼻の中が乾燥しないように塗り薬をもらい、マスクをして鼻が冷えず乾燥しないように注意するように、と言われた。ついでに鼻血が出た時の止め方も教わる。
事務所に戻って、エスキスや作業。午後、スタッフ打合せ。MRHの引き渡しの段取り連絡。
17:00から六本木の構造の吉田さんの事務所で打合せがあるので、15:30に事務所を出て、打合せ前に乃木坂のギャラリー間に「日本の現代住宅1985-2005」を見に寄る。123軒の住宅の模型が展示されていた。
印象的だったのは、伊東豊雄さんの「シルバーハット」から始まっている事。なるほど「都市住宅」が1986年に休刊。俗に名作住宅と呼ばれる住宅の時代から、草の根住宅・都市住宅の時代を経て、住宅の新しい世界を開いたのが、「シルバーハット」といっても良いだろう。
一番驚いた模型は、妹島和世さんの「梅林の家」。100分の1の模型を覗き込むと、窓から5mmくらい向こうに壁がある。平面でわかっていているが、模型として目の当たりにすると、今までにない空間がリアルに立ち上がってくる。
一番建築としてリアルに感じたのが、安藤忠雄さんの「4m×4mの家」。そこに広がるであろう空間が、密接に想像できた。この感覚は、安藤さんの他のプロジェクト展で見た模型にも体験した事のある感覚だ。
KTHの構造打合せを18:00過ぎに終え、皆んで事務所を出て、築地市場厚生会館1F「魚四季」で忘年会。
とっても良い店で、でっかいブリのカマやマグロのあご、新鮮な魚介類を味わい尽くす。
帰りに、地下鉄銀座の入り口階段脇に、「ガラスの使途」のポスターを見つける。いよいよ明日、封切りだ。
○ 2005/12/17
今朝、大和町を出て、私道を自転車を押していたら、変な声が聞こえる。低く唸るような声の後に、クルクルクルーというような声がこける。それが同じ間隔で何度も続いている。どこから聞こえるのだろうと思いながら公道まで出ると、斜め左前の家の塀に猫が、30cmもはなれていない門扉の上にカラスがいて、見合いながら声を上げている。「手術台の上でのミシンと蝙蝠傘の出会い」ほどではないが、シュールな光景だった。はたして猫とカラスは会話をしていたのか。争っているようには見えなかったのだが。「海辺のカフカ」ではないが、流石中野区、これくらいの事があっても不思議でないのかもしれない。
しばらく呆然と眺め、ハッとデジカメを取り出したが、時すでに遅く、カラスは飛び立ってしまっていた。
事務所で雑務をいくつか片付け、11:30に恵比寿の写真美術館へ向かう。今日、「ガラスの使途」が封切りで、13:10の回の最後に初日の舞台挨拶がある。写真美術館ホールはほぼ満員。上映終了後、唐さん、佐藤めぐみさん、稲荷さん、金さんが舞台に上がり、初日の挨拶。最後には唐さんのお嬢さんでこの映画でデビューした、美仁音ちゃんも舞台に上がりマスコミの取材。
久しぶりに見た「ガラスの使途」、大好きなレオス カッラクスと比べるにはおこがましいかもしれないが、ひいき目に見ればそんな片鱗があるのではないか、(と言ってしまうと、贔屓の引き倒しか。失礼。)と思った。御覧になった方、感想を聞かせて下さい。
帰りに、新宿の書店に寄り、夕方遅く事務所に戻る。
○ 2005/12/18
今週から来週末は、オープンハウスが多い。今日も案内を頂いているのだが、ちょっと疲れてしまったので、一日大和町にいる事にする。
溜まった新聞を読んだり、書籍を整理したり、進行中のプロジェクトのスケッチを行う。夕方バリカンをあてる。
新聞を読んでいたら、朝日新聞の物故者の記事に、コメディアンのショパン猪狩さんの記事があった。何度見ても、ネタが分かっていても面白かった「東京コッミックショウ」。子供の頃、「大正テレビ寄席」に「東京コッミックショウ」が出てくると、日曜の午後がとても幸せな時間になった事を思い出す人も多いのではないだろうか。
○ 2005/12/19
本格的に寒くなって来た。大寒波が日本列島を覆っているようだ。
昨日、一日休んだので、だいぶエネルギーが溜まった。
今朝から、新宿梁山泊は下北沢ザ・スズナリで仕込みだが、武蔵野大学の最後の授業の講評会で、今日は現場に行けない。まだ一度も仮組した事がないセットなので少し気がかりだ。朝、螺旋階段の件で梁山泊の三浦さんから連絡がある。
11:00前に武蔵野大学へ向かう。
12:00から、提出された図面や模型をチェックして、講評会の発表者の確認をするが、うちのスタジオは半分の学生しか提出されていない。もう、腹をくくるしかない。先週5人を指名していたが、3人しか発表できない状態だ。残りの半分は、まだ別の場所で作業中。
13:00過ぎから実習棟で講評会が始まる。4スタジオ、14人の発表が終わり、指名されなかったが発表したい、という意欲的な学生4人の発表を含め、20:30全ての講評会が終了。一年間の空間造形の授業が無事終わった。
水谷先生の研究室で、採点を確認し、21:00から同じく実習棟でお疲れの反省会。学科で用意してくれた、食事や飲物で歓談する。22:30終了。学生達もホッとしたのか、皆よい顔をしていた。
この一年間の経験や反省を、ぜひ自分の糧にしてもらいたい。というのも自分の学生時代の反省からそう切実に思う。お疲れさまでした。
水谷先生と、SAの田口さんと浅川君をねぎらうために、吉祥寺に出て屋台のおでん屋で一杯。
24:00前の電車で一緒に帰る。
○ 2005/12/20
9:00、下北沢のザ・スズナリ。セットはほとんど組み上がっていた。螺旋階段とセットの取り合いが心配だったのだが、大きな問題はなく組み上がっていた。一安心。
細かい問題点や手直し部分を打合せ。
13:00から場当たり。場当たりとは、役者がシーンごとに舞台上に立ち、照明や音楽のきっかけを確認して行く作業だ。15:30まで場当たりに立会い、セットはおおよそ問題なく進み始めたので、小屋を出て事務所に戻る。
昨日の昼前から今日夕方まで事務所にいなかったので、連絡事項いくつか。スタッフ打ち合わせ。
明日も現場で、夜はゲネプロ(衣装やメイクもして、本番と同じに行う通し稽古)。明後日は初日と今週はめまぐるしい。
昨日で、武蔵野大学の非常勤の一年目が全て修了したが、振り返ってみると、学生達とあれこれ課題を試行して行く作業は、僕にとってもとても刺激的な作業だった。唐さんが横浜国大に出向こうと決めた時、「いまだ会ったことのない若者の餓えたる魂はドラキュラであり、何百人というドラキュラが待っていて、こちらの血が吸われてはいけない。逆にこちらが吸い返してやろう。どういう血が吸えるのかなというところで、教壇に立ってみよう。」(「教室を路地に!」岩波書店)と考えたという。そこまではスリリングではないが、5月からの8ヶ月で随分自分の考え方も変わった。格好良く言えば、他者との関係の取り方により積極的になって行こう、より柔軟にしていこう、と言う気持ちに以前より素直になれるようになった、ということだ。
○ 2005/12/21
事務所を9:00に出てMRHの現場へ。南面の足場を残し、その他は全て足場がばれている。少し曲がった外観が、ツイストしてるようだ。早く軒天の木が張られ、手摺が付かないかな。
10:00からカーテンや照明のクライアント打合せ。クライアントも出来上がりが楽しみな様子で嬉しい。
11:30に現場を出て、昼過ぎ事務所に戻る。
どうも鼻の調子が良くない。鼻が出るのだが、鼻血が気になり鼻がかめない。無理して啜ると、少し鼻血が出て来たりする。スーと垂れてくる感覚が、水ばななのか鼻血なのか区別がつかず、やっかいだ。(汚い話しで済みません。)
スタッフ打合せや日報アップをして、16:30再び事務所を出て下北沢のザ・スズナリへ向かう。今日のゲネプロを、新さんに撮影してもらうので。
18:00過ぎゲネプロ開始。唐さんもいらしている。細かい問題はあったが、2時間で無事終了。
自分でもデジカメでスナップしていたので、舞台に集中できなかったが、ラストは初めて台本を読んだ時の感動が、舞台の上で再現されていた。明日の初日が楽しみだ。
○ 2005/12/22
昨日まで出ていることが多く、今日は初日で夕方にはまた出なければならない。この年末に明日からは3連休なので、年末調整、銀行、会計士事務所など、雑務雑務雑務。合間を見てスケッチ。明日からはゆっくり仕事ができそうだ。
荻窪の会計士事務所に自転車で行った帰りに古書店「ささま書店」に立ち寄ったら、なんとずっと探していた「夢の引用」武満徹(岩波書店)が棚に。以前クライアントから借りて読んだ、希有な美しさを持った本だ。映画についてのテクストを集めたものだが、そのテクストには武満徹の映画への愛情があふれている。装幀も美しい。はかない本だ。
17:30過ぎに事務所を出て、下北沢のザ・スズナリへ。19:00、満員で「風のほこり」初日開演。
休憩を挟み2時間の芝居。アッという間に終わってしまう。昨日のゲネの何倍も仕上がった。関係者の感想ということを割りびいても、とても成功したのではないだろうか。
短いが難しい芝居だが、丁寧に作って行ったことが芝居を成功させた、と初日を見たうるさ方が皆いっていた。本当にそうだ。
初日と、明日明後日のソワレの3回のみ、コビヤマ洋一がスケジュールの都合でNGで、金守珍がダブルキャストで演じている。唐十郎の台詞を久々に演じる金守珍を見て、1980年の状況劇場の公演「鉛の心臓」の双子のサンドイッチマンの芝居を思い出した。
終演後「眠亭」の2階で初日乾杯。大勢の人が集った。お疲れさまでした。
○ 2005/12/23
午前中、メールや連絡事項、スケッチをして、昼過ぎスタッフ打合せ。
今日も宴会。事務所を設立した頃住んでいた中野坂上の定食居酒屋「まこと」の忘年会。一年に一度、この忘年会に顔を出すだけになってしまったが、いつも声をかけてくれる。
懐かしい顔にあって、楽しい忘年会だった。
気がつけば、12月9日、ラフィアンが更新されていた。
シャギーボブの04は、ビッグレッドファーム明和で休養中。繋にケイクンが見られ、皮膚があかぎれのような状態になっています。治療の効果で回復に向かっているものの、たびたび患部を気にすることから、坂路調教を休止して普通放牧に切り替えました。毎日、静かに過ごしています。スタッフを煩わせることがありません。
デモンリーの04は、ビッグレッドファーム明和で調整中。坂路でキャンター1100m1本の運動をしています。一瞬の動きが俊敏。軽く仕掛けただけで、すっと脚を伸ばします。騎乗者は「最近は、余計なことに反応を示す。もう少し気性が成長してくれれば」と今後の課題を挙げていました。
○ 2005/12/24
昨晩も風呂に入ったら、鼻血が出て来て止まりにくかったので、朝耳鼻科に立ち寄る。温度差が激しいと出やすいので、風呂などは一番出やすい環境だ、ということ。とにかくマスクをかけて乾燥させないように心がけることだそうだ。厄介だな。
事務所で日報のアップ、メールチェック、スケッチ。
進行中のプロジェクトを整理する。少しはすっきりした。
2、3日前に届いた「吉阪隆正の迷宮」2004年吉阪隆正展実行委員会編(TOTO出版)を開封する。貴重な写真も沢山あり、密度の高い本になっている。今読んでいる「カーテン-7部構成の小説論」ミラン・クンデラ/西永良成訳(集英社)を読み終わったら、早速読んでみよう。(この本、結構読み進むのが大変なのだが。)
○ 2005/12/25
一日大和町。
文章を書いたり、スケッチしたり。
ディープインパクトは飛ばなかった。
○ 2005/12/26
今年も残すところあと一週間。月並みだが、時間が経つのが早い。
スタッフ打合せと連絡事項、明日の打合せの準備などをしていると、アッという間に時間が過ぎていってしまう。
工作社の峯田さんから「室内」2006年1月号が送られて来た。
この間取材に行った、船堀の「田中や」さんの様子が掲載されている。何と24ページから30ページまで。7ページの大盤振る舞い。(http://www.shitsunai.jp/)
楽しそうで美味しそうな(本当に楽しくて美味しいのです。)様子が伝わってくる。時間とともに変わっていく「田中や」さんが良く現れていた。(江東区とあるが、江戸川区です。)ご近所の方はぜひ一度立ち寄ってみて下さい。
○ 2005/12/27
11:00KTHのクライアント打合せ。基本設計の最終確認。
14:30過ぎ終了。私用を済ませ、渋谷へ。
今晩は昔代々木・参宮橋に事務所をシェアーしていたグループが中心となって、毎年行われている、設計事務所仲間の忘年会。
まだ、時間があったので、ブックファーストへ。
19:00から、忘年会。40人くらい集る。ここでも、一年にいっぺんの顔が沢山だ。21:00過ぎに終了。
何人かで二次会の場所を探すも、どこも一杯。今日明日が忘年会や納会のピークか。渋谷も人だらけ。
二次会グループから別れ、奥村君と2人で近くの居酒屋に入る。
0:00近くまで飲んで、駅に向かうと、中央線で接触事故があったとのことで、電車は遅れ超満員。やれやれ。
○ 2005/12/28
朝、昨日スタッフ打合せ。
メールリストを整理して、オープンハウスのお知らせをメール。
14:00、3年前に竣工したKBHへ。洗濯機の排水が詰まってあふれ、水がまわってしまった部分を点検しに、建設会社お邪魔する。
竣工した時に誕生したお嬢ちゃんが、大きくなっていてびっくり。3年経ったのだから当たり前だが。ここでも時間の経過を痛感した。
帰りに神保町の源喜堂で探していた「現代日本建築家全集15吉阪隆正・芦原義信」(三一書房・1971年)を見つける。1600円。南洋堂やその先の古書店を見て回ろうとしていたのに、あっさり見つかってしまった。
夕方事務所に戻り、スタッフ打合せ。
今晩はチェ・ミキの福井の友人一家が大和町に泊まりに来ているので、18:00過ぎに事務所を出て、大和町に戻る。
○ 2005/12/29
朝から、年賀状用のメールアドレスの整理と大掃除ならぬ、小掃除。合間を見てスタッフ打合せ。掃除途中で事務所を出て、MRHの現場へ。
結局年内には完成しなかったが、クライアントと一通り現場を見て、年明けのスケジュールの確認をする。
足場が完全にばれて、南側の木の外壁と手摺が付いた外観に、クライアントは満足そうだった。良かった。
今日は、スタッフもこの現場に後から来て、そのまま納会に移ろうかと思っていたが、まだ現場作業の真っ最中なので、来ているスタッフ電話させ、事務所待機にする。
われわれも夕方事務所に一度戻る。18:00過ぎまで、掃除や作業の整理をして、近くの「たんどたん」という店に行って、納会。北口の「あるぽらん」に移って二次会。
23:30過ぎ終了。
○ 2005/12/30
この年末は、映画の封切りや芝居の初日があったりして、なんだか慌ただしく過ぎって行っている。
昨日机廻りの整理が終わらなかったので、朝遅めに事務所。細々とした整理とメールアドレスの整理をする。
午後、スタッフが事務所に来て、図面のまとめをしている。
年明けも、事務所は9日のオープンハウスからだが、4日と7日に現場打合せが入り、5、6日は下北沢のスズナリで、「風のほこり」から「楽屋」へ飾り変えの作業があり、早々から慌ただしそうだ。
夕方に事務所を出て、大和町用の松飾りなど買って帰る。
今日から2006年1月9日まで、事務所は正月休みなので、日報もちょっと休憩。
よいお年をお迎え下さい。
来年もよろしくお願いします。
○ 2005/12/31
一日大和町。
CDと書籍の整理。