2011年1月11日〜20日

○ 2011/1/20
少しゆっくり起きて、8:45事務所。
昨晩から風が弱まったせいか、少し暖かく感じる。
メールでお知らせした、演劇博物館の展覧会「広場をつくる・広場を動かす-日本の仮設劇場の半世紀-」(http://www.waseda.jp/enpaku/special/2010kasetsugekijyo.html)への返信を何通か頂く。
ありがたい。
OZONEの「建築家100の模型展」(http://www.ozone.co.jp/event_seminar/event/detail/1063.html)出品するパネルの確認。
年末調整や源泉票の送付等の雑務。
西村さんの新宿梁山泊の芝居砦・満天星の写真展用のパネルをスタッフに作ってもらう。
午後一で、ユーチャンに送る今までの日報のデータ整理。
引き続き、ちょっと溜まってしまった日報を書いてアップ。
整理した日報のデータをユーチャンへ送付。
もうしばらくで新しいホームページに変わります。
17:30事務所を出て、新宿梁山泊の稽古場へ。
西村さんの写真展示の横に、作成して来たパネルをセット。
19:00前に唐さんがみえ、19:00から全て本番と一緒のゲネプロ(通し稽古)開始。
記録用の写真撮影をしながら見る。
2幕だが休憩無しの1時間50分。
一幕の後半からぐっと引き付けられる。
密度の濃い台詞の連鎖が続く。
20:50終演。
唐さんから、これまでの公演より、より良くなって良かった、とのお話があり皆胸を撫で下ろす。
隣の喫茶室に移り、唐さんを中心に軽く一杯やって、22:00過ぎ唐さんは帰られた。
22:30前、稽古場を後にする。
みな疲れが溜まっているような感じだが、明日の初日の成功を祈りたい。
マイネルソラーナ、22日(土)2R出走確定。
こちらも期待したい。

○ 2011/1/19
8:00に事務所。
午前中、KNH-2の簡単なスタッフ打合せや午後の葬儀の精算の件で銀行に行ったり。
ユーチャンと新しいホームページの連絡何度か。
17:30前事務所を出て、銀座のBLD GALLERY 中平卓馬写真展「Documentary」(http://bld-gallery.jp/exhibition/110108nakahiratakuma.html)へ。
何枚もの鮮明なカラー写真が並ぶ。
被写体は限られたものだ。
なんだかよくわからないが、圧倒的な存在感。
新橋に移動して、19:00から居酒屋で、早稲田大学理工学部スゥイング&ジャズの同期の新年会。
もう何年になるか、毎年行なっている。
今年は5人の参加。
この会、気が付くと毎年同じ話しをして、大笑いしていると言うしょうもない会だが、今年は山本が実家から見つけてきた、32年前のリサイタルの会場、六本木ピット・インの前で撮った写真が登場。
あまりの変わりように皆仰天。
すごいインパクトを持って、会を盛り上げてくれた。
22:00、店を出て、もう一軒と、吾妻の先導で新橋のビルの地下のブルース立ち飲みバーへ。
なかなかお目にかかれない地下の横丁の店で、もう一杯飲み、23:15皆で帰路に着く。
来年またやろう。

○ 2011/1/18
7:00に起きて、8:00過ぎに事務所。
今年は荷物等がないときはなるべく歩いて事務所に来よう、と仕事始め前に何度か事務所に歩いて来たが、母の件があり自転車を使う状態に戻っていた。
今日から、再び歩いて事務所に。
約20分、良い距離。
スタッフが置いて行ったKNH-2の模型をチェック。
朝父から連絡があったことを、葬儀社に連絡。
9:30に事務所を出て、吉祥寺シアターカフェ(http://www.theatre-cafe.com/index.html)へ。
写真家の西村さんが、1968・69年のピットインやトラック劇場での状況劇場の公演を撮った写真の展覧会「実存」の展示作業。
西村さんとシアターワークショップの小池さんと。
一度に5枚の写真展示なので、2月末まで2回展示替えをする。
11:00過ぎに完了し、片付け。
事務所で打合せがあるので、11:30前お先に失礼する。
急いで帰って来て、構造事務所の来所を待つも、スタッフに確認したら12:45からとのこと。
12:00とばかり思っていた。トホホ。
15:00、KNH-2の構造打合せ終了。
演劇博物館の展覧会「広場をつくる・広場を動かす-日本の仮設劇場の半世紀-」(http://www.waseda.jp/enpaku/special/2010kasetsugekijyo.html)の案内を書いて、いろいろな方へ送信。

○ 2011/1/17
7:00に起きだして、久しぶりに弁当を詰め、8:00に事務所。
連絡事項いくつか。
10:00、スタッフとKNH-2の打合せ。
11:30前終了。
14:00過ぎ、銀行と杉並区役所へ。
区役所で、後期高齢者医療保険の保健所の変換や年金の手続きの確認を行なう。
同じ窓口にみえてる方は、やはり身内の方が亡くなった方が多いようだ。
このようになってみて、初めてそんなことに気付く。
夕方もKNH-2の地下のスケッチやスタッフとの確認。

○ 2011/1/16
8:00に起きだし、KNH-2の図面確認。
午前中、高円寺に買い物に。
北風が強く、寒い。
16:00、チェ・ミキと大和町を出て、西荻窪の実家へ。
葬儀に関わる諸々を父と確認。
出掛けるのを億劫がる父を励まし、18:00過ぎ西荻窪の駅側の焼肉屋へ。
久しぶりに良く食べた、と言う父を実家まで送り、20:00過ぎ帰路に着く。

○ 2011/1/15
昨晩はよく眠った。
7:30に起きだし、8:30に事務所。
9:00過ぎ、西荻窪の実家に電話。
父は疲れているが大丈夫そうだった。
ただ、電話で話していても、母や四十九日の件になるとまだ感情がこみ上げて来る様子。
致し方ないが、気にかかる。
仕事始め前日に母が亡くなったことで、まったくアップしてなかった日報をまとめてアップ。
いつも読んでいるいくつかのブログの中の、内田樹さんの12日のブログ、「エマニュエル・レヴィナスによる鎮魂について」(http://blog.tatsuru.com/2011/01/12_1030.php)を読んで、亡くなった母への感情の幾ばくかが腑に落ちた、というか、書かれていることにより近づけたような感覚がある。
雑務やKNH-2の模型や図面の確認。
16:30事務所を出て、一度大和町に寄って、18:00過ぎに新宿梁山泊の稽古場へ。
稽古場は、昨日母を荼毘に付した斎場のすぐ側だ。
すでに組まれているセットを確認する。
稽古場の空間にあまりにはまり過ぎていて、ビックリ。
19:00から抜き稽古があり、19:30過ぎから通し稽古。
後半の演出がずいぶん変わり、唐さんの世界が鮮明になってきつつある。
楽しみだ。
気が付いたことを演出に話し、22:30稽古場を出る。

明けて2歳馬
マイネメリアンの09
父:ステイゴールド/母:マイネメリアン/関東:武藤善則(予定)
マイネメリアンの09は、真歌トレーニングパークに滞在中。坂路でキャンター1500m1本の運動をしています。乗り込みが進むにつれて前へ前へという気持ちが強くなってきました。年明けから2頭縦列の後方を単独で行かせるなど、折り合いを意識したメニューに切り替えています。あくまで今後の対策であり、いまもきちんとコントロールできているので問題ありません。馬体重は426キロです。
3歳馬
マイネルソラーナMeiner Solana/日だまり/スペイン語
父アグネスデジタル/母コスモバレンシア/関東:畠山重則
マイネルソラーナは、美浦で調整中。帰厩後も目立つ疲れはなく、レース翌日の日曜日から曳き運動を開始。10日(月)にはダートの内回りコースに入れてダクと軽めのキャンターを乗りました。レースを使ってすぐなので多少硬さは感じましたが、この程度ならすぐに取れるというジャッジ。次走は22日(土)か23日(日)の小倉、ダート1700mへの出走を予定しており、あす15日(土)に小倉競馬場へ向けて出発する予定です。次の小倉開催で待望の初勝利を狙います。

○ 2011/1/14
7:00に起きだす。
よい天気だ。
8:00過ぎから今日の段取の説明を聞く。
浜松から、チェ・ミキの兄や、横浜から従姉妹も来て、親族のみの告別式を9:00から行なう。
お坊さんの読経後、皆で柩に花を入れ、母にお別れをする。
10:00、葬儀式場を出て、落合の斎場へ。
皆で最後の別れを告げ、火葬の間控え室で待ち、お坊さんの話しを聞く。
小一時間で声がかかり、骨上げ。
かかりの人から骨上げの説明を受ける。
「のど仏」は説明にあったように、まさに仏様が合掌している姿をしており、驚く。
全ての骨を骨壺に収め、斎場を後にする。
12:00、葬儀式場に戻り、環骨勤行と初七日の法要をお坊さんにして頂く。
読経後お坊さんが、初七日、四十九日などの説明をして下さる。
その後、精進落しで食事をして、13:30全てを終了し、地方からの親族とも別れ、父と妹家族とチェ・ミキで遺骨と遺影を持ち、西荻窪に帰る。
その後、葬儀社の方が花等を持って来てくれ、最後の説明を受ける。
しばらくは皆で話していたが、皆がいると父の高まった感情が収まらないので、15:00過ぎ、皆でお線香を上げ、今晩泊まってくれる妹を残し、西荻窪の実家を出る。
阿佐ヶ谷でチェ・ミキと別れ、事務所へ。
メール等をチェックして連絡事項いくつか行ない、今日は18:00前に帰路に着く。

○ 2011/1/13
7:30起きだして、8:30事務所。
よい天気だが、日に日に寒くなっている。
スタッフが置いて行ったKNH-2の模型やOZONEの展示パネルの確認。
10:00スタッフ打合せ。
11:00過ぎ事務所を出て、西荻窪の実家へ。
12:00、葬儀社の車が来て、母を送り出す。
16:00前、準備をして、父と妹とタクシーで高円寺の葬儀式場へ。
担当の方から、いろいろ説明を受ける。
大阪から従兄弟や浜松からチェ・ミキのお母さんと妹も来てくれて、母の顔を見てもらい、18:00から通夜。
読経後、お坊さんが戒名についての話しをして下さる。
19:00前に終了し、家族葬にしたので、お坊さんと親族と実家の両となりの方々で通夜ぶるまい。
20:00頃、お坊さんとご近所の方々は帰られ、改めて親族だけでいろいろ話す。
21:00前、お開き。
父と妹と従兄弟と会場に泊まるので、もう少し飲んで話して、23:00床につく。

○ 2011/1/12
7:00過ぎに起き出す。
父と葬儀の段取の確認。
銀行へ行って来る。
9:00妹が来る。
9:30前実家を出て、武蔵野大学へ。
今日は卒業論文・設計の発表講評会。
一昨年一年間一緒に課題をやった学生がどう成長したかを見ることが出来る、この会に一日参加することが毎年恒例の楽しみになっているし、葬儀まで一日余裕があるので、先生方には母の件は話さず、迷わず参加した。
10:00過ぎ、会場のグリーンホールに着くと、あと二人で卒業論文の発表が終わるところ。
10:35から、卒業設計の発表講評会が始まる。
この会は、期限内に提出した学生は全て発表出来る会なので、40 人以上の学生達が発表する。
1人3分の発表と、質問講評が7分で、進行通り進んでも17:30くらいまでかかる長丁場。
今年は、飛び抜けた学生はいないが、平均レベルが高く、質問講評も自然と押してしまい、全員の発表が終了したのは、19:00過ぎ。
先生方のまとめの講評があった後、実習等の準備室に移り、2月5日の最終発表の発表者を投票に依り選抜。
平均レベルが高く、横並びだったので、選抜作業は難航するのでは、と言うのが皆の想像だったが、豈図らんや第一回の投票で14名が確定。
発表予定数は15名なので、もう1人を選ぶ投票を行なうと、ふたりが同票だったので、発表者を16にして終了。
19:45、実習等で発表者を発表。
何にかの学生と話しをして、20:30前水谷先生と学校を出て、吉祥寺の居酒屋へ。
お疲れの乾杯をして、今日の講評会のことや、来年の4年生の話し等をして、0:00過ぎお開き。
2歳馬
マイネルソラーナは、8日(土)、中山3Rに出走し、4着でした。次走は中山最終週、1月22日(土)または23日(日)のダート1800mを予定しています。
From RaceCourseのコメント
三浦騎手「ゲートを出てくれたし、良い位置で競馬ができて最後までしっかり伸びている。3〜4コーナーでふわっとしかけたけど、我慢してくれた。きょうはメンバーが強かったからどうかと思ったが、この内容ならチャンスがくるはず」
マイネマオMeine Mao/雨後の青空/ハワイ語
父キングカメハメハ/母レッドジグ/関西:宮本博
マイネマオは、ビッグレッドファーム鉾田で調整中。坂路でキャンター600m2〜3本の運動をしています。骨瘤の状態が一定まで落ち着いた直後、今度はフレグモーネを発症する出来事がありました。抗生物質の投与によって回復し、先週末から再び乗り出しています。
3歳馬
マイネルチハヤは、8日(土)、京都8Rに出走し、15着でした。
酒井騎手「早めに動こうと思って外に出したら、自らハミを取ってくれた。あまり出して行きすぎると止まってしまうと思ったので、少しずつ加速していったが、ペースが上がると置かれ始め、直線に入ると手応えがなくなってしまった」

マイネルチハヤMeiner Chihaya/千早/日本語
父マイネルセレクト/母キクスイ/関東:中野栄治
マイネルチハヤは、8日(土)に京都で出走し、勝ち馬から2.7秒離された15着でした。2歳秋に勝ち上がってからは地方交流競走を除いて掲示板に入ったのが1度だけと苦戦が続いていて、いずれも勝ち馬から1.1秒以上差をつけられています。レース内容からも今後大きな変わり身を期待することが難しいと判断し、引退することになりました。2勝目を挙げることができず、大変残念です。長い間ご声援いただき、ありがとうございました。

○ 2011/1/11
2011を迎えました。
今年もよろしくお願いします。
沢山の方々から年賀状を頂きました。
ありがとうございました。
しばらく前から全ての賀状の挨拶を行なっていないので、大変失礼致します。
ご容赦下さい。

新たな年の初めの日報ですが、あまりめでたくない報告で恐縮です。
昨年8月から入院していた母が、昨晩亡くなりました。
1月10日事務所にいたら、14:00、西荻窪の父から電話があり、母の調子が悪いので、妹に電話してすぐ来るようにとのこと。
急いで事務所を出て、西荻窪の病院へ。
母は処置中。
昨日今日と熱が出て40度近くまで行っている、とのこと。
処置に依り、今は体温が下がり、34度くらい。
しばらくして、チェ・ミキも来る。
その後妹も。
他の患者さんの透析の処置が終わる時間なので、先生も忙しく、なかなか話しが出来ない。
母の処置が終わり、同じ病室の方の透析が終了したら、隣の方のベットが大部屋へ移動した。
しばらく前にやはり母と同室の方が、母のベットを別の部屋に移動したその日に亡くなったので、父はもうダメなのだ、と言う。
やっと先生と話す。
熱が上がり、便も水のようになり、脱水状態になりつつある。
ヴィールス性のものなのか、ともかく体力がないケースによくあることで、感染を防ぐために処置液を注入しており、その液は冷たいままなので体温が下がっている。
また、血液の濃度も、健康な人の半分くらいなので、血圧をあげる処置もしている。
元の状態になることを前提に処置をしている、との話しで少し安心する。
お隣の方は、元々大部屋希望だったが、認知症で騒がしいのでこちらと一緒だったが、静かになったので移動しただけ、とのことでこれも一安心。
姪甥も来る。
先生の話しを聞いて一安心した父は、疲れが出たのか早く食事に行こう、と言う。
病院を17:30に出て、父と4人はバスで駅に向かう。
父の乗って来た自転車を実家に戻し、駅近くの中華屋へ行って合流。
母が良い新年会をセッティングしてくれた、とみんなで話しながら夕食。
お開きにしようと思った19:00過ぎ、妹の携帯が鳴り、至急病院に来て欲しいとの連絡が入る。
タクシーに乗り分け、病院へ。
血圧が上がらず、呼吸が困難になった、とのことで、人工呼吸器や心拍計がつけられている。
我々が到着し、耳元で皆が声をかけたら、しばらくすると、みるみる心拍数が下がり、あっという間にゼロの表示になる。
先生が心臓マッサージを繰り返すも、反応はない。
20:00少し前にあきらめる。
まるで我々が食事をするのを待っていてくれたかのようだ。
皆に看取られ、苦しんだ様子もなく、静かな最後だった。
人の命の呆気なさを深く感じる。
先生から指示を受け、予め父が準備していた葬儀社に連絡。
妹親子とチェ・ミキは一足先に実家に戻り、母を迎える準備。
20:30葬儀社の車が来る。
病室へ父と向かい、きれいにしてもらった母と対面。
葬儀社の方に搬送をお願いして、一緒に車に乗って実家へ。
母を寝かせ、今晩やることを教えてもらい、それぞれお線香を上げる。
妹の子供達は実家を出る。
その後、通夜と告別式の段取を行ない、23:00過ぎ終了。
今晩は妹が泊まることにして、チェ・ミキと二人で23:30過ぎ実家を出る。

そして今日から事務所は仕事始め。
8:00前に起きだし、喪服の確認。
北風に吹き集められた枯れ葉を掃き集め、9:00に事務所。
今週のいくつかの予定をメールにて変更したりキャンセルしたり、連絡事項いくつか。
進行中のプロジェクトの確認事項もいくつか。
KNH-2の地下のスケッチ。
17:30過ぎ事務所を出て、西荻窪の実家へ。
母に線香を上げ、父と一杯やり、泊まる。

事務所概要

自己紹介

住宅設計について

家つくりを考えている方へのメッセージ

大塚 聡・略歴

大塚聡アトリエ・略歴

作品掲載誌

受賞

浅草九倶楽部+浅草九劇・2017

エンガワの家・2012年

改修・隠れ家リトリート・2011年

下北沢の家・2010年

経堂の家・2009年

高尾の家・2007年

中野中央の家・2005年

白州の週末住宅・2005年

北沢の家・2004年

桜新町の家・2004年

遠州浜の家・2002年

軽井沢のゲストハウス・2002年

大和町の家・2000年

深沢の家・1997年

計画案・MYOプロジェクト

コンペ優秀賞・暮しの道具

コンペ案・三次市民ホール

コンペ案・沖縄県看護協会

設計のプロセス

以上が設計のプロセスですが、より詳しくは以下のQ&Aも参考にして頂ければ、と思います。

はじめに

関町の家・建て方

小岩の家・実施計画

小岩の家・内装

小岩の家・鉄骨階段

小岩の家・上棟

小岩の家・木造部分建て方

小岩の家・地下コンクリート壁

小岩の家・根切り+耐圧盤

小岩の家・基礎地盤補強工事

小岩の家-1

空間造形4 写真ギャラリー案内

一次掘削

地鎮祭

魑魅魍魎の生息地帯

坊主No.2

坊主No.1

はじめに

「鉛の心臓」 紅テントの虜に

「唐版 犬狼都市」紅テント洗礼

武蔵野大学環境学部環境学科住環境専攻・都市環境専攻

OZONE家つくりサポート

新宿梁山泊

紫水'DANNA'勇太郎

株式会社ワークス WOORKS Inc.

居待月〜the 18th. moon