弁当を詰め、7:00に事務所。
メールチェックや東北地方出身の友人にメール連絡したり。
8:30過ぎ事務所を出て、自転車で中野の税務署へ確定申告を提出に。
中央線の高架下を歩く人が多い。高円寺駅横を通ったら、ホームへの入場制限をしており、沢山の人が改札前に並んでいた。
9:15事務所に戻り、日報をアップ。
HNHの図面化作業とスケッチ。
14年前に浦安に竣工したOKHのクライアントから、地震の影響で地面が液状化して影響があった様子との電話がある。
新浦安辺りの液状化のニュースもあり、気になっていたが、地震時には道路が波打っていたように見えたとのこと。
建設会社に連絡をして調査を依頼し、クライアントへ報告。
昨日のスケッチをまとめ、スタッフとKNH-2の打合せ。
「暮しの道具デザインコンペ」の試作品の写真が、吉野杉工房の小林さんから届き、事務所一同喜びの声を上げるも、しばらく後に、事務局から17日の審査会は延期の連絡が届く。
予想はしていたが、順当な措置だ。
小林さんには、お礼をメールを送る。
さらに後、クライアントからメールが来て、連絡がとれてなかった夫人の気仙沼の実家のご両親と連絡がとれたことを知らせて頂く。
自分の身内のことのようにホッとした。
メールにもあったが、亡くなったりいまだ不明の方や、これからの生活のことを考えると、手放しでは喜べないだろうが、ともかく良かった。
帰り道、阿佐ヶ谷の街は、ハンバーガー屋さんの看板が消えていたり、休んでいるお店もあり、路地に入ると、いつもより暗く、ほんのりとした明るさが落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
それにしても、テレビ局は各局同じ情報を繰り返しているだけなのだから、ひとつの局が代表して放送し、他は放送をやめれば、かなりの電力が助かるのでは、と思うのだが。
もしくは、一番重要なのは、避難されている方の名前や顔の情報だと思うのだが、避難所では全体の様子を中継するだけで、一人一人の確認には至らない。何故なのだろう。
被災地以外からの安否の確認情報は、被災地の方はなかなか見ることが出来ないのだから、被災地に入った報道が避難されている方の情報を、被災地以外で安否の確認を知りたくて、報道を見ている方々に届けることは出来ないのだろうか。
ラジオと教育テレビで、音声や文字情報でしか行なわれていない。