昨晩ニュースに出演したNPOのボランティア代表が、救援物資は届いていないのではなくて、全体量が足りない状態だ、と話していた。
5:00前に目が覚めてしまったので、ベットの中で、終盤に差し掛かっている「チェーホフ伝」アンリ・トロワイヤ著 村上香住子訳(中公文庫)を読み、再び6:00前に寝て7:00に起きる。
ドストエフスキーが1821年生まれで1881年に亡くなっている。
チェーホフは1860年に生まれ、1904年に亡くなっている。
このふたりの生きた時間の間にロシアではなにがあったのか。
ものすごいエネルギーで長いモノローグを語るドストエフスキーのロシア人と、いつかは何故自分達が生きていたのかが分かる日が来ること期待して日々を送るチェーホフのロシア人。
あまりの違いに眼がくらむが、ドストエフスキーのロシアに「人間」を見て、強烈な人間性にひかれながらも、チェーホフのロシア人達に「関係・社会」を見て、近代性に親密感をものすごく感じる。
8:00に事務所。よい天気だが、空気は冷たい。
NHK-FMも今朝から通常放送に戻っている。
もちろん民放のテレビやラジオはすでに地震の前の番組に戻っているが、コマーシャルだけが公共広告機構・ACのものだらけであることは、記録しておこう。
進行中のプロジェクトのスケッチ。
13:30、EMHのポスターケースを作成してもらった、金属加工の中村さんが来所。
KNH-2のファサードについて相談。
いろいろ教えてもらい、考えが広がって来た。14:45終了。
15:00前事務所を出て、新宿へ。武蔵野大学の住環境専攻の謝恩会会場へ。
予定では今晩が謝恩会だったが、先日の地震を考慮し、謝恩会は13:00からに変更になり、2次会が15:30から行なわれることになった。
会場に着き、先生方と久しぶりに会って、話しをする。
しばらくして、水谷先生と出し物の確認。
毎年の謝恩会で、水谷先生と実習棟のスタッフと歌を何曲か歌う出し物を行なっている。
今年はどうしようか相談したが、こんな時こそ、社会に出て頑張ってもらうよう、いつもとおりに皆の卒業の記念になるように、出し物を行なうことにした。
例年は本番前にリハーサルを行うのだが、今年は出来なかった。
しかし、ぶっつけでやった本番は、今までで一番の出来だった。
他の先生方は謝恩会で花をもらったらしく、終了後、遅れて来た僕にも、ひとりの学生が思い出話しの後、花を送ってくれた。
その後も、学生の歌やイベントがあり、最後に河津先生の言葉があり、これも恒例になってしまった、三三七拍子+万歳三唱の音頭を取り、18:00前お開き。
名残惜しそうな学生を残し、先生方と帰路に着く。
就職難や地震、大変な年に卒業して行くのだが、だからこそいつまでも学生生活を記憶して、これからの時間を充実させて行って欲しい。
今日はお招きありがとうございました。