朝は曇っているが、天気予報では昼頃から晴れて、30度近くなるそうだ。
昨晩はゆっくり休んだので、風邪は小康状態。
7:30過ぎに事務所。
韓国・ソウルから昨日送った図面等について返信が来ている。
当たり前だが、便利なものだ。
その利便性は、ユンさんと言う日本で5、6年音響の勉強と仕事をしていた女性がいるので、日本語でやり取りが出来るありがたさがあるからだ。
いくつかの連絡事項。
ホームページの作品集のアップ用のデータ作成作業。
昼頃から確かに暖かくなって来た。
14:00、AVのインストーラーの方が来所。
KNH-2の打合せ。
この方は、2004年にあるクライアントの仕事で知り合い、その後3年くらい海外放浪の旅に出ていて、一昨年くらいだったか戻って来た、と連絡を頂き、しばらく前に連絡を入れてみたら、電話は使われていないと言うアナウンス。
メールを送ってしばらく待ったが、なかなか返信がないので、あきらめようと思っていたところに連絡があった。
相変わらず独特な雰囲気で、元気そうで安心した。
15:30前終了。
風邪は小康状態だが、眼や喉が熱っぽく、集中力がないので、ホームページの作業に終止することに。
15:00過ぎ事務所を出て、早稲田大学西早稲田(理工学部)キャンパスへ。
キャンパスに着いて、校舎を見ていたら、建築会館のイベントの時に頑張ってくれた、歴史研究室の後輩の女子学生達が声をかけてくれた。
研究室の文献ゼミの休憩時間で、これから再び始まるが、何時間かかるか、きっと遅くまでになるとのことだった。
頑張っているなあ。
18:00から、第1回『吉阪隆正賞』授賞式/記念シンポジウム。
先ず、審査過程の報告があり、田中泯さんの受賞理由が発表され、賞状等の授与。
その後、田中泯さんの話しがある。
その場所での自らの身体との応答を行ないながら紡ぎ出される話しは、まるでそこで踊っているような雰囲気を徐々に醸し出し、最後は体全体を使いながらの話しになる。
多くの人が感じてたようだが、吉阪先生と似たような様相を、感じた。
話しのあと、いくつかの質問があり、講演は終了。
19:20から、田中泯さんと選考委員に依る「『吉阪隆正賞』とは何だったか」と言うテーマのシンポジウム。
各選考委員からの選定についての話しが続く。
選考委員達も何度も話し合いを繰り返しながら、『吉阪隆正賞』とはを模索して来て、そこに田中泯さんとその活動があらわれることで、それがすこしはっきりした、と言う様子だが、そこが『吉阪隆正賞』の独自性であるように感じられる、とても良いシンポジウムだった。
けして演繹的に決まった受賞者ではなく、選考委員会も田中泯さんとその活動という外部に出合うことで、賞の第1回目を選定し、『吉阪隆正賞』のスタートを切れる、と考えられるようになったのだろう。
23件の応募があったが、ほとんどが既存の枠組みの中での行為であったと言う報告もあった。
実は、僕も「夜を賭けて」のオープンセット作り(参考・「ヨルカケ」)で応募し、最終選考まで残っていたが、選考委員の岡崎乾二郎さんがこの件に触れてくれ、バラックや仮設性の持つ可能性としての外部性への取り組みが不十分であることを指摘され、眼から鱗が落ちる思いがした。
今回のシンポジウムは、とても意味のあるシンポジウムになったのではないだろうか。
自分にとってはなおさらで、ひとつひとつの行為について、周りを説得する為に考えるのではく、自分の中で深めて行くことを考えない限り、何もないことを、この『吉阪隆正賞』から教えてもらった。
ここしばらく、いろんなことで足元がフラフラしていたが、眼を覚まされた。
凄い賞がスタートしたものだ。
奇しくも今日、「三好十郎傳 悲しい火だるま」片島紀男著(五月書房)の大著を読了する。
三好十郎もまた、既存の枠組に寄りかからず、自分の中を深く掘り下げて行ったひとであった。