
8:15に事務所。
よい天気だが風が強い。
Aプロジェクトの参考資料を探し、読み込んでデータ化。
連絡事項をいくつか行い、来週のスケジュールを考える。
クライアントさんの研究室の改修工事に関わる質問メールに、スケッチを描いて返信。
大規模な改修工事だが、それにしては建設会社の対応があまい。
スタッフが置いて行った千葉のセルフビルドの模型と図面を確認。
13:00過ぎに事務所を出て、彩の国さいたま芸術劇場「ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『コンタクトホーフ』へ。
14:30過ぎ到着し、受付に「住宅建築」の連載「役者の棲み家」の第2回目の、蜷川幸雄さんのインタビューでお世話になった渡辺さんがいらしたので、ご挨拶をする。
会場でチェ・ミキと落ち合う。
15:00をすこし押して開演。
1時間40分の後20分の休憩、その後50分の公演だが、あっという間に終ってしまった。
コンタクト・接触のホーフ・館なので、男女に問わず、同性のコンタクトなどが、ひとつの部屋で様々に繰り広げられる。
1978年初演の舞台で、最近のヴッパタール舞踊団の作品の様な、各ダンサーに依る迫力やキレのある踊りはないが、日常的な仕草が繊細に踊りになっている。
舞台前面近くに、25人くらいで椅子を並べて行くのだが、端や中心から並べて行くのではなく、バラバラに並べ始めるが、最後中央にきちんと一脚分のスペースが残る。
場ミリもなにもないのに。
踊りにみえない行為も、きちんと振り付けされている。
ピナ・バウシュは「タンツテアター」という概念で、ダンスと演劇の融合を試みて行ったのだが、今は素直に受け入れることは出来るが、1978年当時は、これはダンスではない、と思われただろう。
事実、初演は酷評だったらしい。
誕生から死までを観客それぞれに感じさせる、素晴らしい舞台であった。
会場にいるお客さんはみなとてもピナとヴッパタールのダンサーが大好きだ、と言う気持ちが伝わって来る。
カーテンコールにもやはピナは現れることはないのだが(これまではいつもセンターにピナがいた)、また次回作品が見れることを楽しみして帰路につく。
阿佐ヶ谷の餃子チェーン店で一杯やって大和町に戻る。
3歳馬
マイネルゲール

父 : ソングオブウインド / 母 : ジェンハオサイマ / 牡 / 美浦・田島俊明
疾風・父名より連想/英語/Meiner Gale
マイネルゲールは、鉾田で追い切りを始めるなど中間も順調に乗り込まれ、19日(水)美浦の田島厩舎に入厩しました。29日(土)、30日(日)に組まれている中山のダート1800mを視野に入れており、今後の状態によって判断することになっています。


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