再び、「ハンナ・アーレント「戦争の世紀」を生きた政治哲学者」矢野久美子 著の一説。
「 「独裁体制のもとでの個人の責任」のなかで、アーレントは「公的な生活に参加し、命令に 服従した」アイヒマンのような人びとに提起すべき問いは、「なぜ服従したのか」ではなく 「なぜ支持したのか」という問いであると述べた。彼女によれば、一人前の大人が公的生活 のなかで命令に「服従」するということは、組織や権威や法律を「支持」することである。 「人間という地位に固有の尊厳と名誉」を取り戻すためには、この言葉の違いを考えなけれ ばならない。 アーレントは、ナチ政権下で公的な問題を処理していた役人は「歯車」であったかもしれ ないが法廷で裁かれるのは一人の人間である、と強調し、全体主義の犯罪性の特徴について 論じている。全体主義下では公的な地位についていた人びとは体制の行為に何らかのかたちで関わらざるをえなかった。そうした人びとが「職務を離れなかったのはさらに悪い事態が 起こることを防ぐためだった」と弁解する。仕事を続けたほうが「責任を引き受けている」 のであり、「公的な生活から身をひいた人は安易で無責任な形で逃げだしたのだ」という主 張である。それにたいしてアーレントは、「世界に対する責任」「政治的な責任」を負えなく なる「極端な状況」が生じうると述べ、次のように続けた。
政治的な責任というものは、つねにある最低限の政治的な権力を前提とするものだから です。そして自分が無能力であること、あらゆる力を奪われていることは、公的な事柄 に関与しないことの言い訳としては妥当なものだと思うのです。 (『責任と判断』)
アーレントは別の論稿では「何もしないという可能性」、「不参加という可能性」という言 葉を使っている。彼女は、こうした力のなさを認識するためには現実と直面するための「善 き意志と善き信念」を必要とすると指摘し、絶望的な状況においては「自分の無能力を認め ること」が強さと力を残すのだ、と語った。独裁体制下で公的参加を拒んだ人びとは、そう した体制を支持することを拒み、不参加・非協力を選んだのである。そしてこうした「無能力」を選ぶことができたのは、自己との対話である思考の能力を保持しえた人たちだけだった。」
なぜこんなに、現在の政府や首相についての言説と思えるものが多いのだろう。
きっと今がかなり危険な時代なのだろう。
7:00に事務所で、メールチェックや連絡事項。
今日も暑い日が続く。
若宮町のクライアントさんとキッチンのペンダントライトを選択する資料をまとめて、メール連絡。
スタッフが作成中のOZONEの提案の資料を確認。
10:00スタッフとOZONEの提案の資料の打合せ。
10:30過ぎ事務所を出て、中野区役所と杉並区の西荻窪の出張所で、父の相続に必要な書類をとる。
午後それらの書類と司法書士から送られて来た書類に捺印しまとめて郵送の準備。
これを投函すれば、とりあえず手続き完了。
ずいぶんと時間がかかった。
OZONEの提案の資料の確認を何度かスタッフと行う。
16:00前事務所を出て、若宮町の現場へ。
定例会議はないが、現場は追い込み作業中なので、様子を見に来た。
現場担当者と進捗を確認しながら各階を回って、5階のテラスにいたら、クライアントさんの車が前をとおり、手を降ったら、コインパーキングに車を置いて現場内に来られた。
キッチンのペンダントライトの寸法やテラスのタイル、玄関ドアなど、出来上がった部分を見て頂く。
クライアントさんは喜んで帰られ、17:30前現場を出る。


最新・求人情報