方や、「トイレで体洗い、高架下で寝た コロナで困窮、帰国へ」方や
「届かぬ給付金、何のための会場? 税の使途、深まる疑念」。
7:00からベッドの中で本を読んで、7:30に起き出す。
日曜美術館を見ながら、夕食の食材を書き出し、阿佐ヶ谷に買い物に。
昨日の夕方の雷雨で蒸し暑さはなくなり、陽も射して来て気持ちのよい天気。
移動中に読んでいた、「神殿か獄舎か」長谷川堯著を読了。
最後の一段落。
「サン・テグジュペリは自らの城砦を、西洋杉のようなおおらかで逞しい樹木にたとえて次のように書いた。
『樹木にとって、生きるとは、土壌をとりいれ、それによって花をこねあげることだ。』
私たちはいま、十分にこねあげた花を未だ持たない。なによりもまず樹木が死んでいる。
そこで私は、新たなるゴトウを待ちながら、死んだ樹木の根もとに腰をおろして独りごち、やがて拓かれるべき地平を凝視しているのだ。」
学生時代には気がつかなかった記述、「新たなるゴトウを待ちながら」には痺れた。
さすが、長谷川博己の父君。