7:30に起き出し、大和町でメールチェックと連絡事項。
久しぶりの雨。
買い出しややることを書き出して、雨がほぼ上がった10:00過ぎに阿佐ヶ谷まで買い物に。
12:30再び大和町を出て、西荻窪の事務所で昨日持ち帰りるのを忘れていたものをピックアップして、吉祥寺のアップリンクへ。
13:30に「キネマの玉手箱」大林宣彦監督が始まり、16:30過ぎに終映。
大林監督の遺作で、渾身の作品。
最初はその表現の自由さに戸惑ったが、時間が進むうちに自分も映画の中に入ったような気持ちになって、集中する。
映画を見ているお客さんも当事者であれ、というメッセージがあったり、中原中也の詩が響いてくる。
廃墟でピアノを爪弾く老人が、エンドロールで監督自身だ、とわかるが、痩せ細ってしまった体の痛々しさと、それでも現場に向かう気魄を感じて胸が熱くなる。
この映画はどうしても撮りたかった映画なのだろう。
映画のラストの中原中也の詩「秋の夜に」
(秋の夜に、
僕は僕が破裂する夢を見て目が醒(さ)めた。)
人類の背後には、はや暗雲が密集している
多くの人はまだそのことに気が付かぬ
気が付いた所で、格別別様のことが出来だすわけではないのだが、
気が付かれたら、諸君ももっと病的になられるであろう。
(デカダン、サンボリスム、キュビスム、未来派、
表現派、ダダイスム、スュルレアリスム、共同製作……
世界は、呻(うめ)き、躊躇(ちゅうちょ)し、萎(しぼ)み、
牛肉のような色をしている。)
然(しか)るに、今病的である者こそは、
現実を知っているように私には思える。
健全とははや出来たての銅鑼(どら)、
なんとも淋しい秋の夜です。
カッコ内は多分省かれていた。
病的でありたい。


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