朝は少し寒いくらいになってきたが、今日は天気も良く、気温が上がる予報なので、短パンとTシャツで7:00前に事務所に。
メールチェックと連絡事項。
「役者の棲み家」の掲載情報をまとめてザ・スズナリの野田さんに送信。
昨日やりとりした、唐ゼミの中野さんからの申請資料の修正内容を修正作業して、メール送信。
その後も何度かやりとりをして、11:00前一通り修正の終了。
合間合間に日報を書き足し、一年前の日報をアップ。
やはり一年前の日報を確認するのは面白い。
ちょうど一年前のこのころ、総裁選をやっていて、安倍前首相への忖度の選挙戦だったことを思い出す。
西荻窪Pの各社の見積もり比較表の再確認。
昼ごろからやはり少し蒸して気温が上がってきた。
構造事務所へ鎌倉Pのサウンディング試験指示依頼用の資料を作成してメール送信。
帳簿の最終的な整理を行う。
15:30に事務所を出て、アップリンク吉祥寺へ。
16:05「17歳の瞳に映る世界」エリザ・ヒットマッン監督が始まり、17:50終映。
2時間弱、17歳の女性に寄り添わせてくれ、感じてはいたが、実感していなかったことに気が付く。
台詞は少なく、いつしか、このあとどうなっていくのだろう、という主人公の不安に一緒に向き合うようになる。
アップを多用した映像が見るものの集中力を高めて、不安が映画を引っ張るサスペンスになる。
二人の主人公は演技なのかそうでないのか分からなくなり、しかしながら主人公を包み込むようなカメラがずっと見守っている。
カメラは、「ペトラは静かに対峙する」や「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」のカメラマン エレーヌ・ルバール。
原題は『Never Rarely Sometimes Always』。
このタイトルの方がずっとよくて、映画の中の台詞でもあり、心に残る。
(追記・図書館から借りてきたキネマ旬報のこの映画についての記事を読んだら、中絶の賛成派と反対派の対立は続いていて、女性の人権問題の大きなひとつであることが分かった。「感じてはいたが」と書いたがそれはもっと一般的な状況についてで、このことは知らなかったので恥ずかしくなる。)
夜はノンアルデイでGYAOで、「散歩する侵略者」黒沢清監督を見る。
「CURE」に衝撃を受けて、期待してみたが、ラストが腑に落ちない。
物語の始まりから途中までは、セットの変に広い空間の設定含め「CURE」で見せた映画らしい不思議な雰囲気があったのだが、最後になって終わらせるためにCGを使ったりしたはどうなのだろう。
もっとカットを飛ばしてそれ以上の表現が出来たのではないだろうか。
そうなれば映画としての余韻も残ったのでは。
2021年9月20日(ご注意・一年前の日報です)
朝は少し寒いくらいになってきたが、今日は天気も良く、気温が上がる予報なので、短パンとTシャツで7:00前に事務所に。
メールチェックと連絡事項。
「役者の棲み家」の掲載情報をまとめてザ・スズナリの野田さんに送信。
昨日やりとりした、唐ゼミの中野さんからの申請資料の修正内容を修正作業して、メール送信。
その後も何度かやりとりをして、11:00前一通り修正の終了。
合間合間に日報を書き足し、一年前の日報をアップ。
やはり一年前の日報を確認するのは面白い。
ちょうど一年前のこのころ、総裁選をやっていて、安倍前首相への忖度の選挙戦だったことを思い出す。
西荻窪Pの各社の見積もり比較表の再確認。
昼ごろからやはり少し蒸して気温が上がってきた。
構造事務所へ鎌倉Pのサウンディング試験指示依頼用の資料を作成してメール送信。
帳簿の最終的な整理を行う。
15:30に事務所を出て、アップリンク吉祥寺へ。
16:05「17歳の瞳に映る世界」エリザ・ヒットマッン監督が始まり、17:50終映。
2時間弱、17歳の女性に寄り添わせてくれ、感じてはいたが、実感していなかったことに気が付く。
台詞は少なく、いつしか、このあとどうなっていくのだろう、という主人公の不安に一緒に向き合うようになる。
アップを多用した映像が見るものの集中力を高めて、不安が映画を引っ張るサスペンスになる。
二人の主人公は演技なのかそうでないのか分からなくなり、しかしながら主人公を包み込むようなカメラがずっと見守っている。
カメラは、「ペトラは静かに対峙する」や「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」のカメラマン エレーヌ・ルバール。
原題は『Never Rarely Sometimes Always』。
このタイトルの方がずっとよくて、映画の中の台詞でもあり、心に残る。
(追記・図書館から借りてきたキネマ旬報のこの映画についての記事を読んだら、中絶の賛成派と反対派の対立は続いていて、女性の人権問題の大きなひとつであることが分かった。「感じてはいたが」と書いたがそれはもっと一般的な状況についてで、このことは知らなかったので恥ずかしくなる。)
夜はノンアルデイでGYAOで、「散歩する侵略者」黒沢清監督を見る。
「CURE」に衝撃を受けて、期待してみたが、ラストが腑に落ちない。
物語の始まりから途中までは、セットの変に広い空間の設定含め「CURE」で見せた映画らしい不思議な雰囲気があったのだが、最後になって終わらせるためにCGを使ったりしたはどうなのだろう。
もっとカットを飛ばしてそれ以上の表現が出来たのではないだろうか。
そうなれば映画としての余韻も残ったのでは。


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