移動中に読んでいる、「責任と判断」ハンナ・アレント著より。
結論として次の二つのことを指摘しておきたいと思います。カントについての考察から、キケロとマイスター・エックハルトを経由して、誰とともにありたいと願うか〉という問題を提起した理由がおわかりになったと思います。善と悪に関するわたしたちの決定は、生活をともにしたいと思う人々の選択にかかわる問いなのです。そしてどのような人々と生活をともにしたいかは、実例を通じて、現実または虚構の人物、すでに亡き人物やいまなお生きている人物の手本を通じて、そして過去と現在の 出来事の手本を通じて思考することで、選択するのです。
あまりありえないことですが、[六人の妻を次々と殺した童話の人物である]青髭とともに暮らしたいと言いだす人がいるかもしれません。もしもその人がそのような人物を手本として選んだのであれば、わたしたちにできることはその人が近くにやってこないようにすることだけです。しかし青髭を手本とする人が登場するよりももっと可能性が高いのは、自分はどんな人とでも、<ともに暮らす〉ことができるという人が現れることです。実はこちらのほうが心配なのです。道徳的にみても政治的にみても、この無関心さは、きわめてありふれたものではありますが、きわめて危険なのです。
同じように危険なのは(危険性は少しは小さくなりますが)、そもそも判断することをすべて拒否するという傾向が広がっていることです。自分の手本を選択すること、ともに暮らしたい人を選択することができない場合、そもそも選択する意志がない場合、そして判断することで他者とかかわることができないか、かかわる意志がない場合には、真の躓きの石(スカンダロン)が生まれます。この躓きの石は、人間の力ではとりのぞくことはできません。人間が作りだしたものでも、人間が理解できる動機によって生まれたものでもないからです。そこに恐怖があります。そして同時にそこに悪の凡庸さがあるのです。
(一九六五―六六年)
「責任と判断」ハンナ・アレント(ちくま学芸文庫)P236-237
7:00に事務所。
朝は雨と風が強いとの予報だったが、傘を刺さずに事務所まで。
昨日から今朝にかけて気がついたことを、メモして送信した内容をひとつひとつ連絡。
西荻窪の東隣の方からもやっとメールが来たので、挨拶含め、お知らせ板の経緯と、説明書を送る。
今日の西荻窪PのJRと協議にために資料準備。
日報を書き足す。
建て替えのお宅のスケッチ。
13:00過ぎに事務所を出て、神田のJRの土木技術センターへ。
建設会社の方と落ち合い、14:00から西荻窪Pの仮設と高架への影響と対策の打ち合わせを行い、15:00過ぎに終了。
提出必要資料の概要が分かり、必要な対応についても理解でき、想像範囲内だったので良かった。
事務所には戻らずに、大和町に戻って2003年の唐組の「泥人魚」のDVDを見る。
皆若いし、唐さんが元気溌剌で最高。
一つの役が、出版された本より台詞と出番が多いことに気がつき、金さんにLINEしようと見たら、昼頃に「劇作家・唐十郎さん「現状に異風を起こしたい」 文化功労者」のニュースの知らせが来ていた。
以前に紫綬褒章を辞退したのは知ってたが、それが2005年だった。
「泥人魚」や新宿梁山泊に書き下ろしの「風のほこり」がちょうどその頃で、今回のコクーンの「泥人魚」の年に「再度光を当て」られての文化功労賞は、なにか因縁めいていて、さすが唐十郎だ。
引き続き、建て替えのお宅のスケッチ。
夜はノンアルデイでGYAOで「ザ・タワー 超高層ビル大火災」キム・ジフン監督を見る。
冒頭知り合いの役者キム・ウンスさんが出てきて、やってるな、と嬉しくなる。
ソル・ギョング、ソン・イェジン、キム・サンギョンとスターキャストで架空の高層ビルの映像や炎上のシーンのスペクタクルは一級品。
しかしなが、「タワーリング・インフェルノ」のような社会的な批評の視点はない(全くないわけではないがあまりにもステレオタイプ)。
まあ、エンターテインメントと言ってしまえばそれまでだが。
2021年10月26日(ご注意・一年前の日報です)
移動中に読んでいる、「責任と判断」ハンナ・アレント著より。
結論として次の二つのことを指摘しておきたいと思います。カントについての考察から、キケロとマイスター・エックハルトを経由して、誰とともにありたいと願うか〉という問題を提起した理由がおわかりになったと思います。善と悪に関するわたしたちの決定は、生活をともにしたいと思う人々の選択にかかわる問いなのです。そしてどのような人々と生活をともにしたいかは、実例を通じて、現実または虚構の人物、すでに亡き人物やいまなお生きている人物の手本を通じて、そして過去と現在の 出来事の手本を通じて思考することで、選択するのです。
あまりありえないことですが、[六人の妻を次々と殺した童話の人物である]青髭とともに暮らしたいと言いだす人がいるかもしれません。もしもその人がそのような人物を手本として選んだのであれば、わたしたちにできることはその人が近くにやってこないようにすることだけです。しかし青髭を手本とする人が登場するよりももっと可能性が高いのは、自分はどんな人とでも、<ともに暮らす〉ことができるという人が現れることです。実はこちらのほうが心配なのです。道徳的にみても政治的にみても、この無関心さは、きわめてありふれたものではありますが、きわめて危険なのです。
同じように危険なのは(危険性は少しは小さくなりますが)、そもそも判断することをすべて拒否するという傾向が広がっていることです。自分の手本を選択すること、ともに暮らしたい人を選択することができない場合、そもそも選択する意志がない場合、そして判断することで他者とかかわることができないか、かかわる意志がない場合には、真の躓きの石(スカンダロン)が生まれます。この躓きの石は、人間の力ではとりのぞくことはできません。人間が作りだしたものでも、人間が理解できる動機によって生まれたものでもないからです。そこに恐怖があります。そして同時にそこに悪の凡庸さがあるのです。
(一九六五―六六年)
「責任と判断」ハンナ・アレント(ちくま学芸文庫)P236-237
7:00に事務所。
朝は雨と風が強いとの予報だったが、傘を刺さずに事務所まで。
昨日から今朝にかけて気がついたことを、メモして送信した内容をひとつひとつ連絡。
西荻窪の東隣の方からもやっとメールが来たので、挨拶含め、お知らせ板の経緯と、説明書を送る。
今日の西荻窪PのJRと協議にために資料準備。
日報を書き足す。
建て替えのお宅のスケッチ。
13:00過ぎに事務所を出て、神田のJRの土木技術センターへ。
建設会社の方と落ち合い、14:00から西荻窪Pの仮設と高架への影響と対策の打ち合わせを行い、15:00過ぎに終了。
提出必要資料の概要が分かり、必要な対応についても理解でき、想像範囲内だったので良かった。
事務所には戻らずに、大和町に戻って2003年の唐組の「泥人魚」のDVDを見る。
皆若いし、唐さんが元気溌剌で最高。
一つの役が、出版された本より台詞と出番が多いことに気がつき、金さんにLINEしようと見たら、昼頃に「劇作家・唐十郎さん「現状に異風を起こしたい」 文化功労者」のニュースの知らせが来ていた。
以前に紫綬褒章を辞退したのは知ってたが、それが2005年だった。
「泥人魚」や新宿梁山泊に書き下ろしの「風のほこり」がちょうどその頃で、今回のコクーンの「泥人魚」の年に「再度光を当て」られての文化功労賞は、なにか因縁めいていて、さすが唐十郎だ。
引き続き、建て替えのお宅のスケッチ。
夜はノンアルデイでGYAOで「ザ・タワー 超高層ビル大火災」キム・ジフン監督を見る。
冒頭知り合いの役者キム・ウンスさんが出てきて、やってるな、と嬉しくなる。
ソル・ギョング、ソン・イェジン、キム・サンギョンとスターキャストで架空の高層ビルの映像や炎上のシーンのスペクタクルは一級品。
しかしなが、「タワーリング・インフェルノ」のような社会的な批評の視点はない(全くないわけではないがあまりにもステレオタイプ)。
まあ、エンターテインメントと言ってしまえばそれまでだが。


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