移動中に読んでいる、「責任と判断」ハンナ・アレント著より。
「強要する不可避な活動はないのですし、結局のところ思考は、人間のもっとも頻繁でふつうの活動であるとはいえないのですから、プラトンに同意したくなるのは自然なところなのです。
ただし思考が人間に一般にみられる習慣であることを信じられなくなっているわたしたちでも、ごくふつうの人間でも善と悪の違いを認識できるべきであり、悪をなすよりも、 悪をなされるほうがましであるというソクラテスの意見に同意すべきであるということも、 忘れるべきではありません。政治的に重要なのは、誰かを不正に刺し殺すのと、誰かに不正に刺し殺されるのを比較して、どちらが不名誉であるかを決めることではありません。 政治として重要なのは、こうした行為が行われない世界を作りだすことだけなのです (『ゴルギアス』五〇八をごらんください)。
「哲学の条件としての無言の対話」
さてこの講義の最初で申しあげた複雑な事態に関して、これまで検討してきた事柄によってわたしたちがどのような方向に進もうとしているのか、要約したいと思います。 道徳哲学は、「もっとも重要な事柄」を考察するものでありながら、その高貴な目的を 示すための適切な名称をみつけることができなかったのですが、それは哲学者たちは、道 徳哲学のことを論理学、宇宙論、存在論のような別の部門としては考えることができなか ったことによるものと思われます。道徳的な掟が思考という活動そのものから生まれるの だとすると、そして問題となる事柄を問わず、思考の暗黙の条件がわたしとわたしの自己 との間で沈黙のうちに交わされる対話にあるとすると、これは一つの哲学の部門というよ りも、哲学が成立するための前・哲学的な条件だということになります。これは哲学にも、 技術的でない意味での思考の方法にも共通する思考の条件なのです。
そして当然のことですが、この活動の対象はとくに哲学だけに限られるものではなく、 科学的なテーマだけに限られるものでもありません。思考はいかなる場合でも行われる可 能性のある活動です。道を歩きながらある出来事を目撃したか、何かの事件に巻き込まれ たとしましょう。するとわたしは何が起きたのかと考え始めます。そしてわたしは自分にある種の物語を考えだして、それをあとで他人に伝達するための準備を始めるのです。わたしが自分で行った事柄について、沈黙のうちに考える場合もまったく同じです。 しかしわたしが悪しきことをなしてしまうと、この能力が損ねられるのです。犯罪者が決して発見されず、処罰されないためのもっとも安全な方法は、犯罪そのものをすべて忘れて、自分のなしたことについてまったく考えないことです。同じ意味で、後悔するとい うことは、まず何よりも自分が行ったことを忘れず、ヘブライ語の shuv という動詞が示 しているように、「それに立ち戻ること」にあります。道徳哲学を考察する際には、この 思考と記憶の結びつきがとくに重要です。自己と対話せずには、自分が考えなかったこと
を思いだすことはできないのです。
この技術的でない意味での思考は、哲学者や科学者など、特別な種類の人間の特権のよ うなものではありません。どんな生き方をしていても、このような思考はみられるのです し、知識人と呼ばれる人々にも、こうした思考がまったく欠如していることもあるのです。 ただしソクラテスが想定したほど、こうした思考は頻繁に行われるものではないのもたし かです(プラトンが懸念していたほど稀ではないことを望みたいものですが)。
もしもわたしが思考し、記憶することを拒んだとしても、ごくふつうの人間として暮らせないわけではありません。ただし危険なのは、わたしはそうすることで、人間の活動を もっとも高度に実現する能力であるみずからの発言の能力を傷つけ、自分の発言の意味をなくしてしまうことです。それだけではなく、ほかの人々にとっても、本来なら高度の知性をそなえているはずでありながら、まったく思考というものを欠如した人間とともに暮 らさざるをえないことになります。わたしにとっても他人にとっても、これは大きな危険をもたらすものです。そしてわたしが記憶することを拒むなら、わたしはどんなことでもやりかねません。たとえば苦痛という経験をすぐに忘却してしまうなら、わたしの勇気はきわめて無謀なものとなるでしょう。
「悪と記憶」
記憶の問題を検討することで、悪の性格という面倒な問題の考察を、わずかではあってもさらに進めることができます。哲学が、そしてすでに指摘しましたように、偉大な文学 作品がわたしたちに教えてくれるのは、悪漢とは絶望に駆られ、絶望のために自分のある 種の高貴さを投げ捨てた人間だということです。このような悪漢が実際に存在することを 否定したいわけではありません。ただ、わたしたちが知っている最大の悪人とは、自分に直面せざるをえず、自分のしたことを忘れることができないことを呪いつづけるような人ではありません。最大の悪者とは、自分のしたことについて思考しないために、自分のしたことを記憶していることのできない人、そして記憶していないために、何をすることも妨げられない人のことなのです。 「人間にとっては、過去の事柄を考えるということは、深いところに向かって進むという ことであり、自分の〈根〉をみいだし、自分を安定させることです。そうすることで、 時代精神や〈歴史〉やたんなる誘惑などの出来事によっても、押し流されないようになる のです。最大の悪は根源的なものではありません。それには〈根〉がないのです。根がないために制限されることがなく、考えのないままに極端に進み、世界全体を押し流すので
す。」
まるで今の新閣僚やその裏にいる人たちについての話のようだ。
7:00に事務所。
今日は曇りで少し気温は低い。
ネズミは駆除されたのか、侵入口らしきを開けてみたが、駆除剤は減っていない。
メールチェックと連絡事項。
西荻窪Pの建設会社とのやり取り。
日報を書き足す。
図書館へ本の返却と取り寄せた本のピックアップに。
鎌倉PのCADスケッチ。
14:00先日x建て替えの相談をメールでいただいたご家族が来所。
こちらの仕事の説明から始めて、質問に答えながら話をしていく。
我々はもちろん何度も経験のあることだが、一般的には建て替えは未知の世界のことである。
丁寧すぎてまずいことはないことに、改めて気がつく。
一度現地を拝見して、時間をいただき、提案することにして16:00終了。
片付けをして、帰り道に、非常事態宣言が解除されたので久しぶりにお店を開けた忘日舎に立ち寄り、本を二冊購入し、少し伊藤さんと話す。
久しぶりの店の再開だからか、結構頻繁にお客さんがみえる。


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